かれ男爵、ただ酒を飲み、白眼にして世上を見てばかりいた加藤の
がっかりしたのも無理はない。彼の戦争論者たるも無理はない。
「号外」、なるほど加藤男の彫像に題するには何よりの題目だろう、……男爵は例のごとくそのポケットから幾多の新聞の号外を取り出して、
「号外と僕に題するにおいて何かあらんだ。ねえ、中倉さん、ぜひ、その題で僕を、一ツ作ってもらいたい。……こんなふうに読んでいるところならなおさらにうれしい、」と朗読をはじめる。
第三報、四月二十八日午後三時五分発、同月同日午後九時二十五分着。敵は
「どうです、
――戦死者中福井丸の広瀬中佐および
「どうです、聞いていますか」と加藤男爵は問えど、いつものことゆえ、聞いている者もあり、相手にせぬ者もある。けれども御当人は例によって夢中である。
「どうです、一片の肉塊を艇内に残して海中に墜落したるものなり――なんという悲壮な最後だろう、僕は何度読んでも涙がこぼれる」
「けれども、だめだ、もうだめだ、もう
「妙、妙、そこを彫るのだ、そこだ、なるほど号外の題はおもしろい、なるほど加藤君は号外だ、人間の号外だ、号外を読む人間の号外だ」と中倉翁は感心した声を出す。
「そこと言うのは」加藤男が聞く。
「そことは君が号外を前へ置いてひどくがっかりしているところだ」
「それはいけない、そんな気のきかないところは御免をこうむる。――」と
中倉先生微笑を含んでしばし黙っていたが、
「それじゃア、君に限った事はない。だれでも今の公報を読めば愉快だ、それを読んで愉快な気持ちになっておるところなら平凡な事で、別にこの大先生を煩わすに及ぶまいハヽヽヽヽ」
「なぜだ、これはおかしい、なぜです。」と加藤号外君、せきこんで詰問に及んだ。
「号外から縁がなくなって、君ががっかりしておるところが君の君たるところじゃアないか。」
「大いにしかりだ」と自分は賛成する。
「それじゃア諸君は少しもがっかりしないのか」と加藤君大いに不平なり。
「どうだろう?
「そうですねえ、まるきりがっかりしないでもないだろうと思う、というわけは、
「そら見たまえ、僕ばかりじゃアない、決してない、だから、喜んでいるところを彫るのが平凡ならばだ、がっかりしているところだって平凡だろう、どうですね、中倉の大先生、」と「加と男」やや得意なり。
「だって君のようなのもない、君は号外が出ないと生きている張り合いがないという次第じゃアないか。」と中倉翁の答えすこぶるよし。
「じゃア僕ががっかりの総代というのか」と加藤男また奇抜なことをいう。
「だから君はわれわれの号外だ。」と中倉翁の言、さらに妙。加藤君この時、
「さすが、中倉大先生様だ、大いによかろう、がっかりしたところ、大いによかろう、ぜひ願います、題して号外、妙、妙、」と大満足なり。
それから一時間ばかり、さらに談じかつ飲み、中倉翁は
銀座は銀座に違いないが、なるほどわが「号外」君も無理はない、市街までがっかりしているようにも見える。三十七年から八年の中ごろまでは、通りがかりの赤の他人にさえ言葉をかけてみたいようであったのが、今ではまたもとの赤の他人どうしの往来になってしまった。
そこで自分は
底本:「号外・少年の悲哀 他六編」岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年4月17日第1刷発行
1960(昭和35)年1月25日第14刷改版発行
1981(昭和56)年4月10日第34刷発行
入力:紅 邪鬼
校正:LUNA CAT
2000年8月21日公開
2004年6月23日修正
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