您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 国木田 独歩 >> 正文

湯ヶ原ゆき(ゆがわらゆき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:10:51  点击:  切换到繁體中文

 



        八

 景色けしきおほきいが變化へんくわとぼしいからはじめてのひとならかく自分じぶんすで幾度いくたび此海このうみこの棧道さんだうれてるからしひながめたくもない。義母おつかさんさだめしめづらしがるだらうとおもつてたのが、れいごと簡單かんたん御挨拶ごあいさつだけだから張合はりあひけてしまつた。新聞しんぶん今朝けさまへつくしてしまつたし、ほん元氣げんきもなし、ねむくもなし、喋舌しやべ對手あひてもなし、あくびもないし、さてうなると空々然くう/\ぜん漠々然ばく/\ぜん何時いつし義母おつかさん自分じぶんうつつて流動ながれ次第々々しだい/\のろくなつてくやうながした。
 うらへ一時半じはんあひだのぼりであるが多少たせう高低かうていはある。くだりもある。喇叭らつぱく、くて棧道さんだうにかゝつてからだい一の停留所ていりうじよいたところわすれたが此處こゝ熱海あたみから人車じんしやりちがへるのである。
 巡査じゆんさ此處こゝはじめ新聞しんぶん手離てばなした。自分じぶんはホツと呼吸いきをしてわれかへつた。義母おつかさんはウンともスンともはれない。べつわれかへ必要ひつえうもなくかへるべきわれもつられない
此處こゝまた暫時しばらたされるのか。』
眞鶴まなづる巡査じゆんさすなは張飛巡査ちやうひじゆんさつたので
『いつも此處こゝたされるのですか。』
自分じぶんおもはずふた。
『さうともかぎりませんが熱海あたみおそくなると五ふんや十ぷん此處こゝたされるのです。』
 壯丁さうていくるまはなれてみづむもあり、みな掛茶屋かけぢやゝえんあつまつてやすんでた。此處こゝ谷間たにまる一小村せうそん急斜面きふしやめん茅屋くさやだんつくつてむらがつてるらしい、くるまないからくはわからないが漁村ぎよそんせうなるもの蜜柑みかんやま産物さんぶつらしい。人車じんしや軌道きだうむら上端じやうたんよこぎつてる。
 あめがポツ/\つてる。自分じぶんやまはうをのみた。はじめは何心なにごころなくるともなしにうちに、次第しだいいま前面ぜんめん光景くわうけいは一ぷく俳畫はいぐわとなつてあらはれてた。

        九

 軌道レール直角ちよくかく細長ほそなが茅葺くさぶき農家のうかが一けんあるうらやまはたけつゞいてるらしい。いへまへ廣庭ひろにはむぎなどをところだらう、廣庭ひろにはきあたりに物置ものおきらしい屋根やねひく茅屋くさやがある。母屋おもや入口いりくちはレールにちかはうにあつて人車じんしやからると土間どま半分はんぶんほどはすかひえる。
 入口いりくちそと軒下のきした橢圓形だゑんけい据風呂すゑぶろがあつて十二三の少年せうねんはひつるのが最初さいしよ自分じぶん注意ちゆういいた。この少年せうねんけた脊中せなかばかり此方こちらけてけつして人車じんしやはうない。つたり、しやがんだりしてるばかりで、手拭てぬぐひもつないらし[#「い脱カ」の注記]何時いつふうえず、三時間じかんでも五時間じかんでも一日でも、あアやつてるのだらうと自分じぶんにはおもはれた。廣庭ひろにはむいかまくちからあをけむ細々ほそ/″\立騰たちのぼつて軒先のきさきかすめ、ボツ/\あめ其中そのなかすかしてちてる。半分はんぶんえる土間どまでは二十四五のをんな手拭てぬぐひ姉樣ねえさまかぶりにしてあががまち大盥おほだらひほどをけひか何物なにものかをふるひにかけて專念せんねんてい其桶そのをけまへに七ツ八ツの小女こむすめすわりこんで見物けんぶつしてるが、これは人形にんぎやうのやうにうごかない、風呂ふろなか少年せうねんおなじくこれを見物けんぶつしてるのだといふことが自分じぶんにやつとわかつた。
 入口いりくち彼方あちらなが縁側えんがはで三にん小女こむすめすわつてその一人ひとり此方こちらいましも十七八の姉樣ねえさんかみつてもら最中さいちゆう前髮まへがみさげ可愛かはゆこれ人形じんぎやうのやうにおとなしくして廣庭ひろにはでは六十以上いじやうしかいづれも達者たつしやらしいばあさんが三人立にんたつその一人ひとり赤兒あかんぼ脊負おぶつこしるのが何事なにごとばあさんごゑ張上はりあげて喋白しやべつてると、二人ふたり婆樣ばあさん合槌あひづちつてる。けれども三にんともあしうごかさない。そして五六にんおな年頃としごろ小供こどもがやはり身動みうごきもしないでばあさんたち周圍まはりいてるのである。
 眞黒まつくろつや洋犬かめが一ぴきあごけてねそべつて、みゝれたまゝまたをすらうごかさず、廣庭ひろには仲間なかまくははつてた。そして母屋おもや入口いりくち軒陰のきかげからつばめたりはひつたりしてる。
 はじめは俳畫はいぐわのやうだとおもつてたが、これじつでもなんでもない。細雨さいうれなんとする山間村落さんかんそんらく生活せいくわつもつとしづかなる部分ぶゝんである。たにおくには墓場はかばもあるだらう、人生じんせい悠久いうきうながれ此處こゝでも泡立あわだたぬまでのうづゐてるのである。

        十

 隨分ずゐぶんながたされたとおもつたが實際じつさいは十ぷんぐらゐで熱海あたみからの人車じんしや威勢ゐせい能く喇叭らつぱきたてゝくだつてたのでれちがつて我々われ/\出立しゆつたつした。
 あめ次第しだいつよくなつたので外面そと模樣もやう陰鬱いんうつになるばかり、車内うち退屈たいくつすばかり眞鶴まなづる巡査じゆんさがとう/\
何方どちらいらつしやいます。』とくちきつた。
はらゆかふとおもつてます。』と自分じぶんがこれにおうじた。おもつてるどころか、今現いまげんきつゝあるのだ。けれどふ言ふのが温泉場をんせんばひと海水浴場かいすゐよくぢやうひと乃至ないし名所見物めいしよけんぶつにでも出掛でかけひと洒落しやれ口調くてうであるキザな言葉ことばたるをうしなはない。
はらとこです、はじめてゞすか。』
『一二つたことがあります。』
宿やど何方どちらです。』
中西屋なかにしやです。』
中西屋なかにしや結構けつかうです、近來きんらい※(二の字点、1-2-22)ます/\いやうです。さうだねきみ。』と兔角とかく言葉ことばすくない鈴木巡査すゞきじゆんさ贊成さんせいもとめた。
『さうです。實際じつさいうちいまばん繁盛はんじやうするでしよう。』と關羽くわんう鈴木巡査すゞきじゆんさこたへた。
 づこんなりふれた問答もんだふから、だん/\談話はなしはながさいて東京博覽會とうきようはくらんくわいうはさ眞鶴近海まなづるきんかい魚漁談ぎよれふだんとう退屈たいくつまぬかれ、やつとうらたつした。
『サアこれからくだりだ。』と齋藤巡査さいとうじゆんさ威勢ゐせいをつけた。
義母おつかさんこれからくだりですよ。』
『さう。』
隨分ずゐぶん亂暴らんばうだから用心ようじんせんとあたま打觸ぶつけますよ。』
『さうですか。』

 齋藤巡査さいとうじゆんさ眞鶴まなづる下車げしやしたので自分じぶん談敵だんてきうしなつたけれど、はら入口いりくちなる門川もんかはまでは、退屈たいくつするほど隔離かくりでもないのでこまらなかつた。
 れかゝつてあめ※(二の字点、1-2-22)ます/\つよくなつた。山々やま/\こと/″\くもうもれてわづかに其麓そのふもとあらはすばかり。我々われ/\門川もんかはりて、さら人力車くるまりかへ、はら溪谷けいこくむかつたときは、さながらくもふかおもひがあつた。





底本:「定本 国木田独歩全集 第四巻」学習研究社
   1971(昭和46)年2月10日初版発行
   1978(昭和53)年3月1日増訂版発行
   1995(平成7)年7月3日増補版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:mayu
2001年11月7日公開
2004年7月20日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

上一页  [1] [2] [3]  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告