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高野聖(こうやひじり)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-22 13:25:57 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



     三

「今にもう一人ここへ来て寝るそうじゃが、お前様と同国じゃの、若狭の者で塗物ぬりもの旅商人たびあきんど。いやこの男なぞは若いが感心に実体じっていい男。
 わたしが今話の序開じょびらきをしたその飛騨の山越やまごえをやった時の、ふもとの茶屋で一緒いっしょになった富山とやまの売薬というやつあ、けたいの悪い、ねじねじしたいや壮佼わかいもので。
 まずこれからとうげかかろうという日の、朝早く、もっともせんとまりはものの三時ぐらいにはって来たので、涼しい内に六里ばかり、その茶屋までのしたのじゃが朝晴でじりじり暑いわ。
 慾張よくばり抜いて大急ぎで歩いたからのどかわいてしようがあるまい、早速さっそく茶を飲もうと思うたが、まだ湯がいておらぬという。
 どうしてその時分じゃからというて、めったに人通ひとどおりのない山道、朝顔のいてる内に煙が立つ道理もなし。
 床几しょうぎの前には冷たそうな小流こながれがあったから手桶ておけの水をもうとしてちょいと気がついた。
 それというのが、時節柄じせつがら暑さのため、おそろしい悪い病が流行はやって、先に通った辻などという村は、から一面に石灰いしばいだらけじゃあるまいか。
(もし、ねえさん。)といって茶店の女に、
(この水はこりゃ井戸いどのでござりますか。)と、きまりも悪し、もじもじ聞くとの。
(いんね、川のでございます。)という、はて面妖めんようなと思った。
(山したの方には大分流行病はやりやまいがございますが、この水はなにから、辻の方から流れて来るのではありませんか。)
(そうでねえ。)と女は何気なにげなく答えた、まずうれしやと思うと、お聞きなさいよ。
 ここに居て、さっきから休んでござったのが、右の売薬じゃ。このまた万金丹まんきんたん下廻したまわりと来た日には、ご存じの通り、千筋せんすじ単衣ひとえ小倉こくらの帯、当節は時計をはさんでいます、脚絆きゃはん股引ももひき、これはもちろん、草鞋わらじがけ、千草木綿ちぐさもめん風呂敷包ふろしきづつみかどばったのを首にゆわえて、桐油合羽とうゆがっぱを小さくたたんでこいつを真田紐さなだひもで右の包につけるか、小弁慶こべんけいの木綿の蝙蝠傘こうもりがさを一本、おきまりだね。ちょいと見ると、いやどれもこれも克明こくめいで分別のありそうな顔をして。
 これがとまりに着くと、大形の浴衣ゆかたに変って、帯広解おびひろげ焼酎しょうちゅうをちびりちびりりながら、旅籠屋はたごやの女のふとったひざすねを上げようというやからじゃ。
(これや、法界坊ほうかいぼう。)
 なんて、天窓あたまからめていら。
おつなことをいうようだが何かね、世の中の女が出来ねえと相場がきまって、すっぺら坊主になってやっぱり生命いのちは欲しいのかね、不思議じゃあねえか、争われねえもんだ、姉さん見ねえ、あれでまだ未練のある内がいいじゃあねえか、)といって顔を見合せて二人でからからと笑った。
 年紀としは若し、お前様まえさんわし真赤まっかになった、手に汲んだ川の水を飲みかねて猶予ためらっているとね。
 ポンと煙管きせるはたいて、
(何、遠慮えんりょをしねえで浴びるほどやんなせえ、生命いのちが危くなりゃ、薬をらあ、そのためにわしがついてるんだぜ、なあ姉さん。おい、それだっても無銭ただじゃあいけねえよ、はばかりながら神方しんぽう万金丹、一じょう三百だ、欲しくば買いな、まだ坊主に報捨ほうしゃをするような罪は造らねえ、それともどうだお前いうことをくか。)といって茶店の女の背中をたたいた。
 わしはそうそうに遁出にげだした。
 いや、膝だの、女の背中だのといって、いけとしつかまつった和尚が業体ぎょうてい恐入おそれいるが、話が、話じゃからそこはよろしく。」

     四

わし腹立紛はらたちまぎれじゃ、無暗むやみと急いで、それからどんどん山のすそ田圃道たんぼみちへかかる。
 半町ばかり行くと、みちがこう急に高くなって、のぼりが一カ処、横からよく見えた、弓形ゆみなりでまるで土で勅使橋ちょくしばしがかかってるような。上を見ながら、これへ足を踏懸ふみかけた時、以前の薬売くすりうりがすたすたやって来て追着おいついたが。
 別に言葉もかわさず、またものをいったからというて、返事をする気はこっちにもない。どこまでも人をしのいだ仕打しうちな薬売は流眄しりめにかけてわざとらしゅうわし通越とおりこして、すたすた前へ出て、ぬっと小山のような路の突先とっさきへ蝙蝠傘を差して立ったが、そのまま向うへ下りて見えなくなる。
 その後から爪先上つまさきあがり、やがてまた太鼓たいこどうのような路の上へ体が乗った、それなりにまたくだりじゃ。
 売薬は先へ下りたが立停たちどまってしきりに四辺あたり※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわしている様子、執念しゅうねん深く何かたくんだかと、快からず続いたが、さてよく見ると仔細しさいがあるわい。
 路はここで二条ふたすじになって、一条いちじょうはこれからすぐに坂になってのぼりも急なり、草も両方から生茂おいしげったのが、路傍みちばたのそのかどの処にある、それこそ四抱よかかえ、そうさな、五抱いつかかえもあろうという一本のひのきの、背後うしろうねって切出したような大巌おおいわが二ツ三ツ四ツと並んで、上の方へかさなってその背後へ通じているが、わしが見当をつけて、心組こころぐんだのはこっちではないので、やっぱり今まで歩いて来たそのはばの広いなだらかな方がまさしく本道、あと二里足らず行けば山になって、それからが峠になるはず。
 と見ると、どうしたことかさ、今いうその檜じゃが、そこらになんにもない路を横断よこぎって見果みはてのつかぬ田圃の中空なかぞらにじのように突出ている、見事な。根方ねがたところの土がくずれて大鰻おおうなぎねたような根が幾筋ともなくあらわれた、その根から一筋の水がさっと落ちて、地の上へ流れるのが、取って進もうとする道の真中に流出ながれだしてあたりは一面。
 田圃が湖にならぬが不思議で、どうどうとになって、前途ゆくて一叢ひとむらやぶが見える、それを境にしておよそ二町ばかりの間まるで川じゃ。こいしはばらばら、飛石のようにひょいひょいと大跨おおまたで伝えそうにずっと見ごたえのあるのが、それでも人の手で並べたにちがいはない。
 もっとも衣服きものを脱いで渡るほどの大事なのではないが、本街道にはちと難儀なんぎ過ぎて、なかなか馬などが歩行あるかれるわけのものではないので。
 売薬もこれで迷ったのであろうと思う内、切放きりはなれよくむきを変えて右の坂をすたすたと上りはじめた。見るに檜をうしろくぐり抜けると、わしが体の上あたりへ出て下を向き、
(おいおい、松本まつもとへ出る路はこっちだよ、)といって無造作むぞうさにまた五六歩。
 岩の頭へ半身を乗出して、
茫然ぼんやりしてると、木精こだまさらうぜ、昼間だって容赦ようしゃはねえよ。)とあざけるがごとく言いてたが、やがて岩のかげに入って高い処の草にかくれた。
 しばらくすると見上げるほどなあたりへ蝙蝠傘の先が出たが、木のえだとすれすれになってしげみの中に見えなくなった。
(どッこいしょ、)と暢気のんきなかけ声で、その流の石の上を飛々とびとびに伝って来たのは、茣蓙ござ尻当しりあてをした、何にもつけない天秤棒てんびんぼうを片手で担いだ百姓ひゃくしょうじゃ。」

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