二、三羽――十二、三羽(に、さんば――じゅうに、さんば)
引越しをするごとに、「雀(すずめ)はどうしたろう。」もう八十幾(いく)つで、耳が遠かった。――その耳を熟(じっ)と澄ますようにして、目をうっとりと空を視(なが)めて、火桶(ひおけ)にちょこんと小さくいて、「雀はどうしたろうの。」引越しをするごとに、祖母のそう呟(つぶや)いたことを覚えている。「祖母(おばあ)さん、一所(いっしょ)に越して来ますよ。」当てずッぽに気安めを言うと、「おお、そうかの。」と目皺(めじわ)を深く、ほくほくと頷(うなず)いた。 そのなくなった祖母は、いつも仏(ほとけ)の御飯の残りだの、洗いながしのお飯粒(まんまつぶ)を、小窓に載せて、雀を可愛(かわい)がっていたのである。 私たちの一向(いっこう)に気のない事は――はれて雀のものがたり――そらで嵐雪(らんせつ)の句は知っていても、今朝も囀(さえず)った、と心に留(と)めるほどではなかった。が、少(すくな)からず愛惜(あいじゃく)の念を生じたのは、おなじ麹町(こうじまち)だが、土手三番町(どてさんばんちょう)に住(すま)った頃であった。春も深く、やがて梅雨(つゆ)も近かった。……庭に柿の老樹が一株。遣放(やりばな)しに手入れをしないから、根まわり雑草の生えた飛石(とびいし)の上を、ちょこちょことよりは、ふよふよと雀が一羽、羽を拡げながら歩行(ある)いていた。家内がつかつかと跣足(はだし)で下りた。いけずな女で、確(たしか)に小雀を認めたらしい。チチチチ、チュ、チュッ、すぐに掌(てのひら)の中に入った。「引掴(ひッつか)んじゃ不可(いけな)い、そっとそっと。」これが鶯(うぐいす)か、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥籠(とりかご)をと、内(うち)にはないから買いに出る処(ところ)だけれど、対手(あいて)が、のりを舐(な)める代(しろ)もので、お安く扱われつけているのだから、台所の目笊(めざる)でその南の縁(えん)へ先ず伏せた。――ところで、生捉(いけど)って籠に入れると、一時(ひととき)と経(た)たないうちに、すぐに薩摩芋(さつまいも)を突(つッ)ついたり、柿を吸ったりする、目白鳥(めじろ)のように早く人馴れをするのではない。雀の児(こ)は容易(たやす)く餌(え)につかぬと、祖母にも聞いて知っていたから、このまだ草にふらついて、飛べもしない、ひよわなものを、飢えさしてはならない。――きっと親雀が来て餌(え)を飼(か)おう。それには、縁(えん)では可恐(こわ)がるだろう。……で、もとの飛石の上へ伏せ直した。 母鳥(ははどり)は直ぐに来て飛びついた。もう先刻(さっき)から庭樹(にわき)の間を、けたたましく鳴きながら、あっちへ飛び、こっちへ飛び、飛騒(とびさわ)いでいたのであるから。 障子(しょうじ)を開けたままで覗(のぞ)いているのに、仔(こ)の可愛さには、邪険な人間に対する恐怖も忘れて、目笊の周囲を二、三尺、はらはらくるくると廻って飛ぶ。ツツと笊(ざる)の目へ嘴(はし)を入れたり、颯(さっ)と引いて横に飛んだり、飛びながら上へ舞立(まいた)ったり。そのたびに、笊の中の仔雀のあこがれようと言ったらない。あの声がキイと聞えるばかり鳴き縋(すが)って、引切(ひっき)れそうに胸毛を震わす。利かぬ羽を渦(うず)にして抱きつこうとするのは、おっかさんが、嘴(はし)を笊の目に、その……ツツと入れては、ツイと引く時である。 見ると、小さな餌(え)を、虫らしい餌を、親は嘴(くちばし)に銜(くわ)えているのである。笊の中には、乳離(ちばな)れをせぬ嬰児(あかんぼ)だ。火のつくように泣立(なきた)てるのは道理である。ところで笊の目を潜(くぐ)らして、口から口へ哺(くく)めるのは――人間の方でもその計略だったのだから――いとも容易(やさし)い。 だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退(ひ)いて飛廻(とびまわ)るのは、あまり利口でない人間にも的確に解せられた。「あかちゃんや、あかちゃんや、うまうまをあげましょう、其処(そこ)を出ておいで。」と言うのである。他(ひと)の手に封じられた、仔はどうして、自分で笊が抜けられよう? 親はどうして、自分で笊を開けられよう? その思(おもい)はどうだろう。 私たちは、しみじみ、いとしく可愛くなったのである。 石も、折箱(おりばこ)の蓋(ふた)も撥飛(はねと)ばして、笊を開けた。「御免よ。」「御免なさいよ。」と、雀の方より、こっちが顔を見合わせて、悄気(しょ)げつつ座敷へ引込(ひっこ)んだ。 少々極(きまり)が悪くって、しばらく、背戸(せど)へ顔を出さなかった。 庭下駄(にわげた)を揃(そろ)えてあるほどの所帯ではない。玄関の下駄を引抓(ひッつま)んで、晩方(ばんがた)背戸へ出て、柿の梢(こずえ)の一つ星を見ながら、「あの雀はどうしたろう。」ありたけの飛石――と言っても五つばかり――を漫(そぞろ)に渡ると、湿(し)けた窪地(くぼち)で、すぐ上が荵(しのぶ)や苔(こけ)、竜(りゅう)の髯(ひげ)の石垣の崖(がけ)になる、片隅に山吹(やまぶき)があって、こんもりした躑躅(つつじ)が並んで植(うわ)っていて、垣どなりの灯(ひ)が、ちらちらと透(す)くほどに二、三輪咲残(さきのこ)った……その茂った葉の、蔭も深くはない低い枝に、雀が一羽、たよりなげに宿っていた。正(まさ)に前刻(さっき)の仔に違いない。…様子が、土から僅(わず)か二尺ばかり。これより上へは立てないので、ここまで連れて来た女親(おふくろ)が、わりのう預けて行ったものらしい……敢(あえ)て預けて行ったと言いたい。悪戯(いたずら)を詫(わ)びた私たちの心を汲(く)んだ親雀の気の優(やさ)しさよ。……その親たちの塒(ねぐら)は何処(いずこ)?……この嬰児(あか)ちゃんは寂しそうだ。 土手の松へは夜鷹(よたか)が来る。築土(つくど)の森では木兎(ずく)が鳴く。……折から宵月(よいづき)の頃であった。親雀は、可恐(おそろし)いものの目に触れないように、なるたけ、葉の暗い中に隠したに違いない。もとより藁屑(わらくず)も綿片(わたぎれ)もあるのではないが、薄月(うすづき)が映(さ)すともなしに、ぼっと、その仔雀の身に添って、霞(かすみ)のような気が籠(こも)って、包んで円(まる)く明(あかる)かったのは、親の情(なさけ)の朧気(おぼろげ)ならず、輪光(りんこう)を顕(あら)わした影であろう。「ちょっと。」「何さ。」手招(てまね)ぎをして、「来て見なよ。」家内を呼出(よびだ)して、両方から、そっと、顔を差寄(さしよ)せると、じっとしたのが、微(かすか)に黄色な嘴(くちばし)を傾けた。この柔(やわらか)な胸毛の色は、さし覗(のぞ)いたものの襟(えり)よりも白かった。 夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、野良猫(のらねこ)に注意した。彼奴(きゃつ)が後足(あとあし)で立てば届く、低い枝に、預(あずか)ったからである。 朝寝はしたし、ものに紛(まぎ)れた。午(ひる)の庭に、隈(くま)なき五月の日の光を浴びて、黄金(おうごん)の如く、銀の如く、飛石の上から、柿の幹、躑躅(つつじ)、山吹の上下(うえした)を、二羽縦横(じゅうおう)に飛んで舞っている。ひらひら、ちらちらと羽が輝いて、三寸、五寸、一尺、二尺、草樹(くさき)の影の伸びるとともに、親雀につれて飛び習う、仔の翼は、次第に、次第に、上へ、上へ、自由に軽くなって、卯(う)の花垣(はながき)の丈(たけ)を切るのが、四、五度(たび)馴れると見るうちに、崖(がけ)をなぞえに、上町(うわまち)の樹の茂りの中へ飛んで見えなくなった。 真綿を黄に染めたような、あの翼が、こう速(すみやか)に飛ぶのに馴れるか。かつ感じつつ、私たちは飽かずに視(なが)めた。 あとで、台所からかけて、女中部屋の北窓の小窓の小縁(こえん)に、行ったり、来たり、出入(ではい)りするのは、五、六羽、八、九羽、どれが、その親と仔の二羽だかは紛れて知れない。 ――二、三羽、五、六羽、十羽、十二、三羽。ここで雀たちの数を言ったついでに、それぞれの道の、学者方までもない、ちょっとわけ知りの御人(ごじん)に伺(うかが)いたい事がある。 別の儀でない。雀の一家族は、おなじ場所では余り沢山(たくさん)には殖えないものなのであろうか知ら? 御存じの通り、稲塚(いなづか)、稲田(いなだ)、粟黍(あわきび)の実る時は、平家(へいけ)の大軍を走らした水鳥(みずどり)ほどの羽音(はおと)を立てて、畷行(なわてゆ)き、畔行(あぜゆ)くものを驚かす、夥多(おびただ)しい群団(むれ)をなす。鳴子(なるこ)も引板(ひた)も、半ば――これがための備(そなえ)だと思う。むかしのもの語(がたり)にも、年月(としつき)の経(ふ)る間には、おなじ背戸(せど)に、孫も彦(ひこ)も群(むらが)るはずだし、第一椋鳥(むくどり)と塒(ねぐら)を賭けて戦う時の、雀の軍勢を思いたい。よしそれは別として、長年の間には、もう些(ちっ)と家族が栄えようと思うのに、十年一日と言うが、実際、――その土手三番町(どてさんばんちょう)を、やがて、いまの家へ越してから十四、五年になる。――あの時、雀の親子の情(なさけ)に、いとしさを知って以来、申出るほどの、さしたる御馳走でもないけれど、お飯粒(まんまつぶ)の少々は毎日欠かさず撒(ま)いて置く。たとえば旅行をする時でも、……「火の用心」と、「雀君を頼むよ」……だけは、留守へ言って置くくらいだが、さて、何年にも、ちょっと来て二羽三羽、五、六羽、総勢すぐって十二、三羽より数が殖えない。長者でもないくせに、俵(たわら)で扶持(ふち)をしないからだと、言われればそれまでだけれど、何、私だって、もう十羽殖えたぐらいは、それだけ御馳走を増すつもりでいるのに。 何も、雀に託(かこつ)けて身代(しんしょう)の伸びない愚痴(ぐち)を言うのではない。また……別に雀の数の多くなる事ばかりを望むのではないのであるが、春に、秋に、現に目に見えて五、六羽ずつは親の連れて来る子の殖えるのが分っているから、いつも同じほどの数なのは、何処(どこ)へ行って、どうするのだろうと思うからである。 が、どうも様子が、仔雀が一羽だちの出来るのを待って、その小児(こども)だけを宿に残して、親雀は塒(ねぐら)をかえるらしく思われる。 あの、仔雀が、チイチイと、ありッたけ嘴(くちばし)を赤く開けて、クリスマスに貰(もら)ったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよと揺(ゆる)がせて、こう仰向(あおむ)いて強請(ねだ)ると、あいよ、と言った顔色(かおつき)で、チチッ、チチッと幾度(いくたび)もお飯粒(まんまつぶ)を嘴から含めて遣(や)る。……食べても強請(ねだ)る。ふくめつつ、後(あと)ねだりをするのを機掛(きっかけ)に、一粒銜(くわ)えて、お母(っか)さんは塀(へい)の上――(椿(つばき)の枝下(えだした)で茲(ここ)にお飯(まんま)が置いてある)――其処(そこ)から、裏露地を切って、向うの瓦屋根(かわらやね)へフッと飛ぶ。とあとから仔雀がふわりと縋(すが)る。これで、羽を馴らすらしい。また一組は、おなじく餌(え)を含んで、親雀が、狭い庭を、手水鉢(ちょうずばち)の高さぐらいに舞上(まいあが)ると、その胸のあたりへ附着(くッつ)くように仔雀が飛上(とびあが)る。尾を地へ着けないで、舞いつつ、飛びつつ、庭中を翔廻(かけまわ)りなどもする、やっぱり羽を馴らすらしい。この舞踏が一斉(いっとき)に三組(みくみ)も四組(よくみ)もはじまる事がある。卯(う)の花を掻乱(かきみだ)し、萩(はぎ)の花を散らして狂う。……かわいいのに目がないから、春も秋も一所(いっしょ)だが、晴の遊戯(あそび)だ。もう些(ちっ)と、綺麗(きれい)な窓掛(まどかけ)、絨毯(じゅうたん)を飾っても遣(や)りたいが、庭が狭いから、羽とともに散りこぼれる風情(ふぜい)の花は沢山ない。かえって羽について来るか、嘴(くちばし)から落すか、植えない菫(すみれ)の紫が一本(ひともと)咲いたり、蓼(たで)が穂を紅(あか)らめる。 ところで、何のなかでも、親は甘いもの、仔はずるく甘ッたれるもので。……あの胸毛の白いのが、見ていると、そのうちに立派に自分で餌(え)が拾えるようになる。澄ました面(つら)で、コツンなどと高慢に食べている。いたずらものが、二、三羽、親の目を抜いて飛んで来て、チュッチュッチュッとつつき合(あい)の喧嘩(けんか)さえ遣(や)る。生意気(なまいき)にもかかわらず、親雀がスーッと来て叱(しか)るような顔をすると、喧嘩の嘴(くちばし)も、生意気な羽も、忽(たちま)ちぐにゃぐにゃになって、チイチイ、赤坊声(あかんぼごえ)で甘ったれて、餌(うまうま)を頂戴と、口を張開(はりひら)いて胸毛をふわふわとして待構(まちかま)える。チチッ、チチッ、一人でお食べなと言っても肯(き)かない。頬辺(ほっぺた)を横に振っても肯(き)かない。で、チイチイチイ……おなかが空いたの。……おお、よちよち、と言った工合に、この親馬鹿が、すぐにのろくなって、お飯粒(まんまつぶ)の白い処(ところ)を――贅沢(ぜいたく)な奴らで、内(うち)のは挽割麦(ひきわり)を交(ま)ぜるのだがよほど腹がすかないと麦の方へは嘴(はし)をつけぬ。此奴(こいつ)ら、大地震の時は弱ったぞ――啄(ついば)んで、嘴(はし)で、仔の口へ、押込(おしこ)み揉込(もみこ)むようにするのが、凡(およ)そ堪(たま)らないと言った形で、頬摺(ほおず)りをするように見える。 怪(け)しからず、親に苦労を掛ける。……そのくせ、他愛(たわい)のないもので、陽気がよくて、お腹(なか)がくちいと、うとうととなって居睡(いねむり)をする。……さあさあ一(ひと)きり露台(みはらし)へ出ようか、で、塀の上から、揃ってもの干(ほし)へ出たとお思いなさい。日のほかほかと一面に当る中に、声は噪(はしゃ)ぎ、影は踊る。 すてきに物干(ものほし)が賑(にぎやか)だから、密(そっ)と寄って、隅の本箱の横、二階裏(にかいうら)の肘掛窓(ひじかけまど)から、まぶしい目をぱちくりと遣(や)って覗(のぞ)くと、柱からも、横木からも、頭の上の小廂(こびさし)からも、暖(あたたか)な影を湧(わ)かし、羽を光らして、一斉(いっとき)にパッと逃げた。――飛ぶのは早い、裏邸(うらやしき)の大枇杷(おおびわ)の樹までさしわたし五十間(けん)ばかりを瞬(またた)く間(ま)もない。――(この枇杷の樹が、馴染(なじみ)の一家族の塒(ねぐら)なので、前通りの五本ばかりの桜の樹(有島(ありしま)家)にも一群(ひとむれ)巣を食っているのであるが、その組は私の内へは来ないらしい、持場が違うと見える)――時に、女中がいけぞんざいに、取込(とりこ)む時引外(ひきはず)したままの掛棹(かけざお)が、斜違(はすか)いに落ちていた。硝子(がらす)一重(ひとえ)すぐ鼻の前(さき)に、一羽可愛(かわい)いのが真正面(まっしょうめん)に、ぼかんと留(と)まって残っている。――どうかして、座敷へ飛込(とびこ)んで戸惑いするのを掴(つかま)えると、掌(てのひら)で暴れるから、このくらい、しみじみと雀の顔を見た事はない。ふっくりとも、ほっかりとも、細い毛へ一つずつ日光を吸込(すいこ)んで、おお、お前さんは飴(あめ)で出来ているのではないかい、と言いたいほど、とろんとして、目を眠っている。道理こそ、人の目と、その嘴(はし)と打撞(ぶつか)りそうなのに驚きもしない、と見るうちに、蹈(ふま)えて留(とま)った小さな脚がひょいと片脚、幾度も下へ離れて辷(すべ)りかかると、その時はビクリと居直(いなお)る。……煩(わずら)って動けないか、怪我(けが)をしていないかな。……
[1] [2] [3] 下一页 尾页