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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)07白猿伝・其他(唐)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/27 17:47:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


   女侠

 唐の貞元年中、博陵(はくりょう)の崔慎思(さいしんし)が進士(しんし)に挙げられて上京したが、京に然るべき第宅(ていたく)がないので、他人の別室を借りていた。家主は別の母屋(おもや)に住んでいたが、男らしい者は一人も見えず、三十ぐらいの容貌(きりょう)のよい女と唯ふたりの女中がいるばかりであった。崔は自分の意を通じて、その女を妻にしたいと申し入れると、彼女は答えた。
「わたくしは人に仕えることの出来る者ではありません。あなたとは不釣合いです。なまじいに結婚して後日(ごじつ)の恨みを残すような事があってはなりません」
 それでは妾(めかけ)になってくれと言うと、女は承知した。しかも彼女は自分の姓を名乗らなかった。そうして二年あまりも一緒に暮らすうちに、ひとりの子を儲けた。それから数月の後、ある夜のことである。崔は戸を閉じ、帷(とばり)を垂れて寝(しん)に就くと、夜なかに女の姿が見えなくなった。
 崔はおどろいて、さては他に姦夫(かんぷ)があるのかと、憤怒(いきどおり)に堪えぬままに起き出でて室外をさまよっている時、おぼろの月のひかりに照らされて、彼女は屋上から飛び降りて来た。白の練絹を身にまとって、右の手には、匕首(あいくち)、左の手には一人の首をたずさえているのである。
「わたくしの父は罪なくして郡守に殺されました。その仇を報ずるために、城中に入り込んで数年を送りましたが、今や本意を遂げました。ここに長居は出来ません。もうお暇(いとま)をいたします」
 彼女は身支度して、かの首をふくろに収め、それを小脇にかかえて言った。
「わたくしは二年間あなたのお世話になりまして、幸いに一人の子を儲けました。この住居も二人の奉公人もすべてあなたに差し上げますから、どうぞ子供の養育を願います」
 男に別れて墻(かき)を越え、家を越えて立ち去ったので、崔も暫くはただ驚嘆するのみであった。やがて女はまた引っ返して来た。
「子供に乳をやって行くのを忘れましたから、ちょっと飲ませて来ます」
 彼女は室内にはいったが、やや暫くして出て来た。
「乳をたんと飲ませました」
 言い捨てて出たままで、彼女はかさねて帰らなかった。それから時を移しても、赤児(あかご)の啼く声がちっとも聞えないので、崔は怪しんでうかがうと、赤児もまた殺されていた。
 その子を殺したのは、のちの思いの種を断つためであろう。昔の侠客もこれには及ばない。
(原化記)

   霊鏡

 唐の貞元年中、漁師十余人が数艘(そう)の船に小網を載せて漁に出た。蘇州(そしゅう)の太湖が松江(しょうこう)に入るところである。
 網をおろしたがちっとも獲物(えもの)はなかった。やがて網にかかったのは一つの鏡で、しかもさのみに大きい物でもないので、漁師はいまいましがって水に投げ込んだ。それから場所をかえて再び網をおろすと、又もやかの鏡がかかったので、漁師らもさすがに不思議に思って、それを取り上げてよく視ると、鏡はわずかに七、八寸であるが、それに照らすと人の筋骨(きんこつ)から臓腑(ぞうふ)まではっきりと映ったので、最初に見た者はおどろいて気絶した。
 ほかの者も怪しんで鏡にむかうと、皆その通りであるので、驚いて倒れる者もあり、嘔吐(はきけ)を催す者もあった。最後の一人は恐れて我が姿を照らさず、その鏡を取って再び水中に投げ込んでしまった。彼は倒れている人びとを介抱して我が家へ帰ったが、あれは確かに妖怪であろうと言い合った。
 あくる日もつづいて漁に出ると、きょうは網に入る魚が平日の幾倍であった。漁師のうちで平生から持病のある者もみな全快した。故老の話によると、その鏡は河や湖水のうちに在って、数百年に一度あらわれるもので、これまでにも見た者がある。しかもそれが何の精であるかを知らないという。
(同上)

   仏像

 白鉄余(はくてつよ)は延州(えんしゅう)の胡人(こじん)(西域(せいいき)の人)である。彼は邪道をもって諸人を惑わしていたが、深山の柏の樹の下に銅(あかがね)の仏像を埋め、その後数年、そこに草が生えたのを見すまして、土地の人びとを欺(あざむ)いた。
「昨夜わたしが山の下を通ると、仏のひかりを見た。日をさだめて精進潔斎(しょうじんけっさい)をして、尊い御仏(みほとけ)を迎えることにしたい」
 定めの日に数百人をあつめて、ここらという所を掘りかえしたが、仏は見付からなかった。彼はまた言った。
「諸人が誠心をささげて布施物(ふせもつ)を供えなければ、仏の姿を拝むことは出来ない」
 集まっている男女はあらそって百余万銭を供えると、彼はさきに埋めたところを掘り起して、一体の仏像を示した。その噂が四方に伝わって、それを拝ませてくれという者が多くなると、彼はまた宣言した。
「尊い御仏を拝むと、万病が本復(ほんぷく)する」
 その計略成就して、数百里のあいだの老若男女(ろうにゃくなんにょ)がみな集まった。そこで、紫や緋(ひ)や黄の綾絹(あやぎぬ)をもって幾重にも仏像をつつみ、拝む者があれば先ずその一重を剥(は)いで見せる。一回の布施が十万銭、その正体を拝むまでには幾十万銭に及ぶのであった。
 こんな詭計(きけい)を用いているうちに、一、二年の後には土地の者がみな彼に帰伏した。彼は遂に乱をおこして、みずから光王(こうおう)と称し、もろもろの官職を設け、長吏(ちょうり)を置き、諸国の禍いをなすこと数年に及んだので、朝廷は将軍程務挺(ていむてい)に命じてこれを討たしめ、かれらをほろぼして光王を斬った。
(朝野僉載)

   孝子

 東海に郭純(かくじゅん)という孝子があった。母を喪(うしな)って彼は大いに哭(こく)した。その哭するごとに、鳥の群れがたくさん集まって来るのである。官から使者を派して取調べさせると、果たしてその通りであったので、彼は孝子として村の入口に表彰された。
 後に聞くと、この孝子は哭するごとに、地上に餅を撒(ま)き散らして鳥にあたえた。それが幾たびも続いたので、その泣き声を聞きつけると、鳥の群れは餅を拾うために集まって来たのであった。
(同上)
 



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