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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)16子不語(清)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/27 18:05:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


   水鬼の箒

 張鴻業(ちょうこうぎょう)という人が秦淮(しんわい)へ行って、潘(はん)なにがしの家に寄寓していた。その房(へや)は河に面したところにあった。ある夏の夜に、張が起きて厠(かわや)へゆくと、夜は三更を過ぎて、世間に人の声は絶えていたが、月は大きく明るいので、張は欄干(らんかん)によって暫くその月光を仰いでいると、たちまち水中に声あって、ひとりの人間のあたまが水の上に浮かみ出た。
「この夜ふけに泳ぐ奴があるのかしら」
 不審に思いながら、月あかりに透かしみると、黒いからだの者が水中に立っていた。顔は眼も鼻も無いのっぺらぽうで、頸(くび)も動かない。さながら木偶(でく)の坊(ぼう)のようなものである。張はその怪物にむかって石を投げ付けると、彼はふたたび水の底に沈んでしまった。
 事件は単にそれだけのことであったが、明くる日の午後、ひとりの男がその河のなかで溺死したという話を聞いて、さては昨夜の怪物は世にいう水鬼(すいき)であったことを張は初めて覚(さと)った。
 水鬼は命(めい)を索(もと)めるという諺があって、水に死んだ者のたましいは、その身代りを求めない以上は、いつまでも成仏(じょうぶつ)できないのである。したがって、水鬼は誰かを水中に引き込んで、その命(いのち)を取ろうとすると言い伝えられているが、眼(ま)のあたりに、その水鬼の姿を見たのは今が初めてであるので、張も今更のように怖ろしくなって、それを同宿の人びとに物語ると、そのなかに米あきんどがあって、自分もかつて水鬼の難に出逢ったことがあると言った。その話はこうである。
「わたしがまだ若い時のことでした。嘉興(かこう)の地方へ米を売りに行って、薄暗いときに黄泥溝(こうでいこう)を通ると、なにしろそこは泥ぶかいので、わたしは水牛を雇って、それに乗って行くことにしました。そうして、溝の中ほどまで来かかると、泥のなかから一つの黒い手が出て来て、不意にわたしの足を掴んで引き落そうとしました。こんな所では何事が起るかも知れないと思って、わたしもかねて用心していたので、すぐに足を縮めてしまうと、その黒い手はさらに水牛の足をつかんだので、牛はもう動くことが出来ない。わたしもおどろいて救いを呼ぶと、往来の人びとも加勢に駈けつけて、力をあわせて牛を牽(ひ)いたが、牛の四足は泥のなかへ吸い込まれたようになって、曳(ひ)けども押せども動かない。百計尽きて思いついたのが火牛(かぎゅう)のはかりごとで、試みに牛の尾に火をつけると、牛も熱いのに堪えられなくなったと見えて、必死の力をふるって起(た)ちあがると、ようように泥の中から足を抜くことが出来ました。それから検(あらた)めてみると、牛の腹の下には古い箒(ほうき)のようなものがしっかりと搦(から)みついていて、なかなか取れませんでした。それがまた、非常になまぐさいような臭(にお)いがして寄り付かれません。大勢が杖をもって撃ち叩くと、幽鬼のむせび泣くような声がして、したたる水はみな黒い血のしずくでした。大勢はさらに刃物でそれをずたずたに切って、柴の火へ投げ込んで焚(や)いてしまいましたが、その忌(いや)な臭いはひと月ほども消えなかったそうです。しかしそれから後は、黄泥溝で溺れ死ぬ者はなくなりました」

   僵尸(きょうし)(屍体)を画く

 杭州の劉以賢(りゅういけん)は肖像画を善くするを以って有名の画工であった。その隣りに親ひとり子ひとりの家があって、その父が今度病死したので、せがれは棺を買いに出る時、又その隣りの家に声をかけて行った。
「となりの劉先生は肖像画の名人ですから、今のうちに私の父の顔を写して置いてもらいたいと思います。あなたから頼んでくれませんか」
 隣りの人はそれを劉に取次いだので、劉は早速に道具をたずさえて行くと、忰はまだ帰って来ないらしく、家のなかには人の影もみえなかった。しかし近所に住んでいて、その家の勝手もよく知っているので、劉は構わずに二階へあがると、寝床の上には父の死骸が横たわっていた。劉はそこにある腰掛けに腰をおろして、すぐに画筆を執りはじめると、その死骸は忽(たちま)ち起(お)きあがった。劉ははっと思うと同時に、それが走屍(そうし)というものであることを直ぐに覚(さと)った。
 走屍は人を追うと伝えられている。自分が逃げれば、死骸もまた追って来るに相違ない。いっそじっとしていて、早く画をかいてしまう方がいいと覚悟をきめて、劉は身動きもしないで相手の顔を見つめていると、死骸も動かずに劉を見つめている。
 その人相をよく見とどけて、劉は紙をひろげて筆を動かし始めると、死骸もおなじように臂(ひじ)を動かし、指を働かせている。劉は一生懸命に筆を動かしながら、時どきに大きい声で人を呼んだが、誰も返事をする者がない。鬼気はいよいよ人に逼(せま)って、劉の筆のさきも顫(ふる)えて来た。
 そのうちに忰の帰って来たらしい足音がきこえたので、やれ嬉しやと思っていると、果たして忰は二階へあがって来たが、父の死骸がこの体(てい)であるのを見て、あっと叫んで仆(たお)れてしまった。その声を聞きつけて、隣りの人は二階からのぞいたが、これも驚いて梯子からころげ落ちた。
 こういう始末であるから、劉はますます窮した。それでも逃げることは出来ない。逃げれば追いかけて来て掴み付かれる虞(おそ)れがあるので、我慢に我慢して描きつづけていると、そこへ棺桶屋が棺を運び込んで来たので、劉はすぐに声をかけた。
「早く箒を持って来てくれ。箒草(ほうきぐさ)の箒を……」
 棺桶屋はさすがに商売で、走屍などにはさのみ驚かない。走屍を撃ち倒すには箒草の箒を用いることをかねて心得ているので、劉のいうがままに箒を持って来て、かの死骸を撃ち払うと、死骸は元のごとく倒れた。気絶した者には生姜湯(しょうがゆ)を飲ませて介抱し、死骸は早々に棺に納めた。

   美少年の死

 京城の金魚街に徐四(じょし)という男があった。家が甚だ貧しいので、兄夫婦と同居していた。ある冬の夜に、兄は所用あって外出し、今夜は戻らないという。兄嫁は賢(さか)しい女であるので、夫の出たあとで徐四に言った。
「今夜は北風が寒いから、煖坑(だんこう)(床下に火を焚いて、その上に寝るのである)でなければ、とても寝られますまい。しかしこの家(うち)にはたった一つの煖坑しかないのですから、夫の留守にあなたと一つ床に枕をならべて寝るわけには行きません。わたしは母の家へ帰って寝かしてもらうことにしますから、あなた一人でお寝(やす)みなさい」
 義弟は承知して出してやった。表には寒い風が吹きまくって、月のひかりが薄あかるい。その夜も二更(にこう)とおぼしき頃に、門をたたいて駈け込んで来た者がある。それは一個の美少年で、手に一つの嚢(ふくろ)をさげていた。徐四が怪しんで問うまでもなく、少年は泣いて頼んだ。
「どうぞ救ってください。わたしは実は男ではありません。後生(ごしょう)ですから、なんにも聞かずに今夜だけ泊めてください。そのお礼にはこれを差し上げます」
 少年はふくろを解いて、見ごとな毛裘(けごろも)をとり出した。それは貂(てん)の皮で作られたもので、金や珠の頸かざりが燦然(さんぜん)として輝いているのを見れば、捨て売りにしても価い万金という代物(しろもの)である。徐四もまだ年が若い。相手が美しい女で、しかも高価の宝をいだいているのを見て、こころ頗(すこぶ)る動いたが、かんがえてみるとどうも唯者でない。迂闊に泊めてやって、どんな禍いを招くようなことになるかも知れない。さりとて情(すげ)なく断わるにも忍びないので、かれは咄嗟の思案でこう答えた。
「では、まあともかくも休んでおいでなさい。となりへ行ってちょっと相談して来ますから」
 女を煖坑の上に坐らせて、徐四はすぐに表へ出て行ったが、となりの人に相談したところで仕様がないと思ったので、かれは近所の善覚寺(ぜんかくじ)という寺へかけ付けて、方丈(ほうじょう)の円智(えんち)という僧をよび起して相談することにした。円智はここらでも有名の高僧で、徐四も平素から尊敬しているのであった。
 その話を聴いて、円智も眉をひそめた。
「それはおそらく高位顕官の家のむすめか妾で、なにかの子細あって家出したものであろう。それをみだりに留めて置いては、なにかの連坐(まきぞえ)を受けないとも限らない。さりとて追い出すのも気の毒であると思うならば、おまえは今夜この寺に泊まって家へ戻らぬ方がよい。万一の場合には、わたしの留守の間に入り込んで来たのだといえば、申し訳は立つ。夜が明ければ、女はどこへか立ち去るに相違ないから、その時刻を見計らって帰ることにしなさい」
 なるほどと徐四もうなずいて、その夜を善覚寺で明かすことにした。それで済めば無事であったが、外宿した徐四の兄は夜ふけの寒さに堪えかねて、わが家へ毛皮の衣(きもの)を取りに帰ると、寝床の煖坑の下には男の沓(くつ)がぬいである。見れば、男と女とが一つ衾(よぎ)に眠っている。さてはおれの留守の間に、妻と弟めが不義をはたらいたかと、彼は烈火の怒りに前後をかえりみず、腰に帯びている剣をぬいて、枕をならべている男と女の首をばたばたと斬り落した。
 言うまでもなく、それは兄の思いちがいで、女はかの美少年であった。男は善覚寺の若僧(にゃくそう)であった。
 高僧の弟子にも破戒のやからがあって、かの若僧は徐四の話を洩れ聴いて不埒の料簡を起したらしく、そっと寺ちゅうをぬけ出して徐四の留守宅へ忍び込んだのである。それから先はどうしたのか、勿論わからない。
 あやまって二人を殺したことを発見して、兄はすぐに自首して出た。しかし右の事情であるから、誤殺であることは明白である。美少年と若僧とは不義姦通である。殺したものに悪意なくして、殺された者どもは不義のやからであるというので、兄は無事に釈放された。
 ここに判らないのは、美少年に扮していたかの女の身の上である。官でその首を市(いち)にかけて、心あたりの者を求めたが、誰も名乗って出る者はなかった。
「可哀そうに、あの女はここの家へ死にに来たようなものだ」
 徐四は形見(かたみ)の毛裘や頸飾りを売って、その金を善覚寺に納め、永く彼女の菩提を弔った。



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