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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)16子不語(清)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-27 18:05:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


   秦の毛人

 湖広に房山ぼうざんという高い山がある。山は甚だ嶮峻で、四面にたくさんの洞窟があって、それがあたかもへやのような形をなしているので、房山と呼ばれることになったのである。
 その山には毛人もうじんという者が棲んでいる。身のたけ一丈余で、全身が毛につつまれているので、人呼んで毛人というのである。この毛人らは洞窟のうちに棲んでいるらしいが、時どきに里へ降りて来て、人家の※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)や犬などを捕りくらうことがある。迂闊にそれをさえぎろうとすると、かれらはなかなかの大力で、大抵の人間は投げ出されたり、なぐり付けられたりするので、手の着けようがない。弓や鉄砲で撃っても、矢玉はみな跳ねかえされて地に落ちてしまうのである。
 しかも昔からの言い伝えで、毛人を追いはらうには一つの方法がある。それは手をって、大きな声ではやし立てるのである。
「長城を築く、長城を築く」
 その声を聞くと、かれらは狼狽して山奥へ逃げ込むという。
 新しく来た役人などは、最初はそれを信じないが、その実際を見るに及んで、初めて成程と合点がてんするそうである。
 長城を築く――毛人らが何故なぜそれを恐れるかというと、かれらはその昔、しん始皇帝しこうていが万里の長城を築いたときに駆り出された役夫えきふである。かれらはその工事の苦役くえきに堪えかねて、同盟脱走してこの山中に逃げ籠ったが、歳久しゅうして死なず、遂にかかる怪物となったのであって、かれらは今に至るも築城工事に駆り出されることを深く恐れているらしく、人に逢えば長城はもう出来あがってしまったかとく。その弱味に付け込んで、さあ長城を築くぞと囃し立てると、かれらはびっくり敗亡して、たちまちに姿を隠すのであると伝えられている。
 秦代の法令がいかに厳酷であったかは、これで想いやられる。

   帰安の魚怪

 みん代のことである。帰安きあん県の知県ちけんなにがしが赴任してから半年ほどの後、ある夜その妻と同寝していると、夜ふけてその門を叩く者があった。知県はみずから起きて出たが、暫くして帰って来た。
「いや、人が来たのではない。風が門を揺すったのであった」
 そう言って彼は再び寝床に就いた。妻も別に疑わなかった。その後、帰安の一県は大いに治まって、獄を断じ、うったえをさばくこと、あたかもしんのごとくであるといって、県民はしきりに知県の功績を賞讃した。
 それからまた数年の後である。有名の道士張天師ちょうてんしが帰安県を通過したが、知県はあえて出迎えをしなかった。
「この県には妖気がある」と、張天師は眉をひそめた。そうして、知県の妻を呼んで聞きただした。
「お前は今から数年前の何月何日の夜に、門を叩かれたことを覚えているか」
「おぼえて居ります」
「現在のおっとはまことの夫ではない。年を経たる黒魚こくぎょはもの種類)の精である。おまえの夫はかの夜すでに黒魚のために食われてしまったのであるぞ」
 妻は大いにおどろいて、なにとぞ夫のために仇を報いてくだされと、天師にすがって嘆いた。張天師は壇に登って法をおこなうと、果たして長さ数丈ともいうべき大きい黒魚が、正体をあらわして壇の前にひれ伏した。
「なんじの罪はざんに当る」と、天師はおごそかに言い渡した。「しかし知県に化けているあいだにすこぶる善政をおこなっているから、特になんじの死をゆるしてやるぞ」
 天師は大きいかめのなかにかの魚を押し籠めて、神符をもってその口を封じ、県衙けんがの土中に埋めてしまった。
 そのときに、魚は甕のなかからしきりに哀れみを乞うと、天師はまた言い渡した。
「今はゆるされぬ。おれが再びここを通るときに放してやる」
 張天師はその後ふたたび帰安県を通らなかった。

   狗熊

 しん乾隆けんりゅう二十六年のことである。※(「亡+おおざと」、第3水準1-92-61)こきゅうに乞食があって一頭の狗熊くゆうを養っていた。熊の大きさは川馬せんばのごとくで、のような毛が森立している。
 この熊の不思議は、物をいうことこそ出来ないが、筆を執って能く字をかき、よく詩を作るのである。往来の人が一銭をあたえれば、飼いぬしの乞食がその熊を見せてくれる。さらに百銭をあたえて白紙をわたせば、飼い主は彼に命じて唐詩一首を書かせてくれる。まことに不思議の芸であった。
 ある日、飼い主が外出して、けものだけ独り残っているところへ、ある人が行って例のごとくに一枚の紙をあたえると、熊は詩を書かないで、思いも寄らないことを書いた。
 自分は長沙ちょうさの人で、姓はきん、名は汝利じょりというものである。若いときにこの乞食に拐引かどわかされて、まず唖になる薬を飲まされたので、物をいうことが出来なくなった。その家には一頭の狗熊が飼ってあって、自分を赤裸にしてそれと一緒に生活させ、それから細い針を用いて自分の全身を隙間なく突き刺して、熱血淋漓たる時、一方の狗熊を殺してその生皮なまかわを剥ぎ、すぐに自分の肌の上を包んだので、人の生き血と熊の生き血とが一つにねばり着いて、皮は再び剥がれることなく、自分はそのままの狗熊になってしまった。それを鉄の鎖につないで、こうして芸を売らせているので、今日こんにちまでにすでに幾万貫の銭を儲けたであろう。何をいうにも口を利くことが出来ないので、おめおめと彼に引き廻されているのである。
 これを書き終って、熊はわが口を指さして、血の涙を雨のごとくに流した。
 観るひと大いにおどろいて、その書いたものを証拠に訴え出ると、飼い主の乞食はすぐに捕われて、すべてその通りであると白状したので、かれは立ちどころに杖殺され、狗熊の金汝利は長沙の故郷へ送り還された。

   人魚

 著者の甥の致華ちかという者が淮南わいなんの分司となって、四川しせん※州きしゅう[#「くさかんむり/(止+(自/儿)+氾のつくり)/夂」、312-2]城を過ぎると、往来の人びとが何か気ちがいのように騒ぎ立っている。その子細しさいをきくと、或る村民の妻徐氏じょしというのは平生から非常に夫婦仲がよかったが、昨夜も夫とおなじ床に眠って、けさ早く起きると、彼女のすがたは著るしく変っていた。
 徐氏の顔や髪や肌の色はすべて元のごとくであるが、その下半身がいつか魚に変ってしまったのである。乳から下にはうろこが生えてなめらかになまぐさく、普通の魚と同様であるので、夫もただ驚くばかりで、どうするすべも知らなかった。妻は泣いて語った。
「ゆうべ寝る時分には別に何事もなく、ただ下半身がむずかゆいので、それを掻くとからだの皮が次第に逆立って来たようですから、おそらく痺癬ひぜんでも出来たのだろうかと思っていました。すると、五更ごこうののちから両脚が自然に食っ付いてしまって、もう伸ばすことも縮めることも出来なくなりました。撫でてみると、いつの間にか魚の尾になっているのです。まあ、どうしたらいいでしょう」
 夫婦はただ抱き合って泣くばかりであるという。
 致華はその話を聞いて、試みに供の者を走らせて実否じっぷを見とどけさせると、果たしてそれは事実であると判った。但し致華は官用の旅程を急ぐ身の上で、そのまま出発してしまったために、人魚ともいうべき徐氏をどう処分したか、彼女を魚として河へ放すことにしたか、あるいは人として家に養って置くことにしたか、それらの結末を知ることが出来なかったそうである。

   金鉱の妖霊

 乾※子かんきし[#「鹿/几」、313-3]というのは、人ではない。人の死骸のしたるもの、すなわち前に書いた僵尸きょうしのたぐいである。雲南地方には金鉱が多い。その鉱穴に入った坑夫のうちには、土に圧されて生き埋めになって、あるいは数十年、あるいは百年、土気と金気に養われて、形骸はそのままになっている者がある。それを乾※[#「鹿/几」、313-6]子と呼んで、普通にはそれを死なない者にしているが、実は死んでいるのである。
 死んでいるのか、生きているのか、甚だあいまいな乾※[#「鹿/几」、313-8]子なるものは、時どきに土のなかから出てあるくと言い伝えられている。鉱内は夜のごとくに暗いので、穴に入る坑夫はひたいの上にともしびをつけて行くと、その光りを見てかの乾※[#「鹿/几」、313-10]子の寄って来ることがある。かれらは人を見ると非常に喜んで、烟草たばこをくれという。烟草をあたえると、立ちどころに喫ってしまって、さらに人にむかって一緒に連れ出してくれと頼むのである。その時に坑夫はこう答える。
「われわれがここへ来たのは金銀を求めるためであるから、このまま手をむなしゅうして帰るわけにはゆかない。おまえは金のつるのある所を知っているか」
 かれらは承知して坑夫を案内すると、果たしてそこには大いなる金銀を見いだすことが出来るのである。そこで帰るときには、こう言ってかれらをだますのを例としている。
「われわれが先ず上がって、それからお前をかごにのせて吊りあげてやる」
 竹籃にかれらを入れて、縄をつけて中途まで吊りあげ、不意にその縄を切り放すと、かれらは土の底に墜ちて死ぬのである。ある情けぶかい男があって、だますのも不憫だと思って、その七、八人を穴の上まで正直に吊りあげてやると、かれらは外の風にあたるや否や、そのからだも着物も見る見るけて水となった。その臭いは鼻を衝くばかりで、それを嗅いだ者はみな疫病にかかって死んだ。
 それに懲りて、かれらを入れた籃は必ず途中で縄を切って落すことになっている。最初から連れて行かないといえば、いつまでも付きまとって離れないので、いつもこうして瞞すのである。但しこちらが大勢で、相手が少ないときには、押えつけ縛りあげて土壁にりかからせ、四方から土をかけて塗り固めて、その上に燈台を置けば、ふたたび祟りをなさないと言い伝えられている。
 それと反対に、こちらが小人数で、相手が多数のときは、死ぬまでも絡み付いていられるので、よんどころなく前にいったような方法を取るのである。



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