3 「こいついよいよ狂人だ。俺達を何者と思っているか!」 「俺は知らぬ。知る必要もない」 「一体貴様は何者だ?」 「見られる通りの乞食坊主さ」 「そうではあるまい。そんなはずはない」 賊の頭目は相手の様子に少なからず興味を感じたらしく、 「名を宣れ。身分を宣れ」 「俺はな」と法師は物憂そうに、 「幸と云おうか不幸と云おうか、忘れ物をして来たよ」 「忘れ物をした? それは何だ?」 「磔柱だ。磔柱だよ」 賊共はにわかにざわめいた。それから森然と静まった。 賊の頭目は眼を見張ったが、やがてポンと手を拍った。 「ははあ左様か。そうであったか。磔柱の郷介法師か」 「ところでお主何者かな?」 「私は五右衛門だ。石川五右衛門だ」 すると今度は法師の方でポンとばかりに手を拍った。 「うん、そうか、無徳道人だったか」 「郷介法師、奇遇だな」 「いや、全く奇遇だわえ」 「私はお主に逢いたかった」 「私もお主に逢いたかったものさ」 「で、五千両入用かな?」 「五右衛門と聞いては取られもしまい」 「せっかくのことだ、半金上げよう」 「金には不自由しているよ」 「私の所へ来てはどうか?」 「今どこに住んでいるな?」 「洛外嵯峨野だ。いい所だぞ。……ところでお主はどこにいるな?」 「私は雲水だ。宿はない」 「私の所へ来てはどうか?」 「まあやめよう。恐いからな」 「ナニ恐い? 何が恐い?」 「恐いというのは秀吉の事さ」 「成り上り者の猿面冠者か」 「私はあいつから茶碗を貰った」 「それが一体どうした事だ」 「そこで恐くなったのさ」 「何の事だか解らないな」 「彼奴、殿下にもなれるはずだ。底の知れない大腹中だ。で私は立ち退く意だ。そうだよ近畿地方をな」 「なんだ、馬鹿な、郷介程の者が、あんな者を恐れるとは恥かしいではないか!」 「その中お主にも思い当たろう」 「私は彼奴をやっつける意だ」 「悪いことは云わぬ、それだけは止めろ」 「私はある方に頼まれているのだ」 「はて誰かな? 家康かな?」 「いいや違う。狸爺ではない」 「およそ解った、秀次だろう?」 「誰でもいい。云うことは出来ぬ」 「止めるがいい。失敗するぞよ。彼奴用心深いからな」 五右衛門は娘をチラリと見たが、 「好い娘だな。別嬪だな。月姫殿の遺児かな?」 「うん」と云うと郷介法師は始めて悲しそうな顔をした。 「この娘も本当に可哀そうだ」 「ではどうでも立ち退くつもりか?」 「うん、どうでも立ち退くよ」 「旅費はどうかな? 少し進ぜよう」 「私には五万両の貸がある」 「え、五万両? 誰に貸したのか?」 「堺の魚屋利右衛門へな」 「それではこれでお別れか」 「行雲流水、どれ行こうか」 そこで二人は別れたのである。
関白秀吉を恐れさせ一世の強盗五右衛門をして、兄事させた所の郷介法師とは、いかなる身分の大盗であろうか? 歴史にもなく伝説にもないこの不思議の大盗賊について、書き記してある書物と云えば、「緑林黒白」一冊しかない。 で作者はその書に憑據し、この大盗の生い立ちを左に一通り述べることにしよう。
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