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郷介法師(ごうすけほうし)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-2 7:33:28 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



 当時、すなわち永禄えいろくの頃には、備前の国は三人の大名が各自おのおの三方に割居して、互いに勢いを揮っていた。谷津の城には浮田直家なおいえ、龍の口城には最所治部さいしょじぶ、船山城には須々木豊前すずきぶぜん。――そうして勢力は互格であった。
 最所治部の龍の口城へ、ある日一人の若侍が、父だと云う老人を連れて、さも周章あわただしく駈け込んで来た。手足から鮮血なまちを流している。
「私事は浮田の家臣岡郷介と申す者、寃罪むじつのつみによりまして、主人のためかくの如きの折檻、あまりと云えば非義非道、ことには重代の主従ではなし、絶縁致すはこの時と存じ、一人の父を引き連れまして、谷津の城を抜け出し、ここまで参りましてござります。承わりますれば最所殿には士を愛する名君との事、願わくば随身仕り、犬馬の労を尽くしたく、そのため参上致しましてござるが、貴意いかがにござりましょうや?」
 これが若侍の口上であった。
「浮田の家来とあるからは、ちょうど幸い扶持して取らせ、其奴そやつの口から敵状を聞こう」
 最所治部はこう云った。で、郷介はその時から最所家の家来となったのである。
 才気縦横の郷介は間もなく治部の寵臣となったが武道は精妙、弁舌は爽か、それに浮田家の内情は裏の裏まで知っていて、治部が尋ねれば声に応じて、城の要害、武具兵糧、兵の強弱、謀将の可否、どんな事でも物語るので、治部は遺憾なく相格を崩し、郷介を寵愛するのであった。
 こうしていつか春も去り、やがて蒸し熱い夏となったが、その夏もって秋となった。郷介が治部に随身してから六月の月日が経ったのである。
 或日治部は家来を率いて、馬場で馬術の調練をした。
「郷介」と治部は声を掛けた。
其方そち馬術は鍛練かな?」
「は、いささか仕ります」
 岡郷介は微笑して云う。
「では、一鞍せめて見ろ」
「は」と云ったが気乗りせず、
「適当の逸物ござりましょうか?」
「馬か? 馬ならいくらもある」
「私、駻馬を好みます」
「荒馬がよいか。それは面白い。では月山に乗って見ろ」
「失礼ながら月山などは、私の眼から見ますると、弱気の病馬に過ぎません」
「ほほう左様か。玄海はどうだ?」
「やはり弱気に過ぎまする」
「其方随意に選ぶがよい」
「殿のご愛馬将門栗毛を、拝借致しとう存じます」
「何、将門? ううむ将門か?」
 最所治部は眼を顰めた。将門栗毛は治部にとっては生命いのちに次いでの秘蔵の名馬で、誰にもこれ迄借したことはない。――随意に選べと云った手前、今さらしかし貸さないとは云えない。
「おおよかろう、将門をせめろ
 そこで将門は引き出された。丈高く肥え太り、鬣荒く尾筒長く、生月いけづき磨墨するすみ、漢の赤兎目せきとめもこれまでであろうと思われるような、威風堂々たる逸物であったが、岡郷介は驚きもせずひらりとばかりまたがるとタッタッタッタッと馬場を廻る。
「見事々々」と最所治部は思わず感嘆して声を掛けたが、途端に郷介一鞭くれると馬場の木柵を飛び越した。
「ワッハハハハ」と哄笑の声が郷介の口からほとばしったが、
「最所殿、治部殿、最所治部め! 大馬鹿殿の迂濶者め、郷介これでお暇申す! 将門栗毛は引出物、拙者この儘頂戴致す。さりとてお礼は申さぬつもり、口惜しく思わば取り返しめされ! これ迄明かせば浮田家の内情、あれは悉皆出鱈目じゃ。さて拙者はここを立ち退き船山城へ伺候致し須々木豊前殿へ仕官する所存、苦情があらば遠慮なく船山城の方へ申し越されい。永居はおそれハイ左様なら!」
 云い捨てクルリと馬の首を東南へ向けて立て直すと、さっとばかりに走らせた。人馬諸共一瞬の後には木陰へ隠れて見えなくなった。

 戦国時代の武将達は一芸に秀でた武士と見ると善悪を問わず抱えたものである。で、郷介は何の苦もなく須々木豊前守に抱えられたが、これを怒ったのは最所治部で、治部は直ちに使者を遣わし、岡郷介を取り戻そうとした。しかし須々木家では相手にしない。
「岡郷介となのる武士、当城内には決して居らぬ」
 これが須々木家の返事であった。
 治部たる者ますます怒らざるを得ない。
「郷介の父の郷左衛門を船山城の大手へ連れ行き、はりつけ柱へ付けてしまえ!」
 踴り上り踴り上り最所治部は狂人のように叫んだものである。

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