4 「兄弟もなければ親もない。……俺は本当に孤児だ」 ――岡郷介はこう思って来ると、いつも心が寂しくなった。 「昨日も戦争、今日も戦争、そうして明日も又戦争。……足利の武威衰えて以来、世はいわゆる戦国となり、仁義道徳は地に堕ちてしまった。親が子を殺し子が親を害する。恐ろしいは世の中の態だ。……親などはない方が気楽かもしれない」 ――こう思うようなこともあった。 「しかし、それでは寂しいな。やはり親はあった方がいい。ああ両親に逢いたいものだ」 親に対する思慕の情は捨ようとしても捨られないのであった。 「だが、それにしても俺の親は、どうして俺を振り捨て行方知れずになったのであろう? 俺は両親の顔をさえ知らぬ」 彼の心はこれを思うといよいよ寂しくなるのであった。
「最所治部めが叛いたそうな。毛利元就へ款を通じ俺に鋒先を向けるそうな」 備前国矢津の城主浮田直家はこう云って癇癪筋を額に浮かべた。 「不都合千万でございますな」 お気に入りの近習岡郷介はこれも無念そうに相槌を打ったが、 「余人はともかく治部殿は殿のご縁者ではございませぬか」 「だから一層残念だ」 「これは許しては置けませぬな」 「許しては置けない! 許しては置けない!」 直家の声は物狂わしい。 「謀叛の原因は何でございましょう?」 郷介はじっと眼を据えた。 「ああ原因か。原因は女だ!」 「ははあ女子でございますか」 「俺の娘月姫だ」 「月姫様?」と鸚鵡返したが、郷介の声は顫えていた。 「言語道断でございますな。……たしか治部殿は五十歳、月姫様はお十八、どうする意でございましょう?」 「治部は昨年妻を失した」 「ははあそれでは後妾などに?」 「うん」と直家は奥歯を噛み締め、 「主筋にあたるこの俺へ姫をくれえと申して参った」 「すぐにお断りなさいましたか」 「するとたちまち今度の謀叛だ」 「憎い男でございますな」 二人はちょっと黙り込んだ。春の夜嵐が吹いている。庭の花木にあたると見えて、サラサラサラサラと落花でもあろう、地を払う物の気勢がする。 「郷介」と直家は意味あり気に、 「其方は今年二十二歳、姫とはちょうど年恰好だ」 「殿、何を仰せられます」 郷介は眼瞼を紅くした。 「治部さえなくば月姫は、其方に嫁わせないものでもない」 「私は臣下でございます」 「秘蔵の臣下だ。疎かには思わぬ」 「忝けのう存じます」 「治部はどうしても生かして置けぬ」 「殿」と郷介は膝行り寄った。 「私、治部めを討ち取りましょう」 「娘月姫は其方のものだ」 「忝けのう存じます」
春昼の陽は暖かく光善寺の樓門を照らしていた。 六十余り七十にもなろうか、どこか気高い容貌をした老年の乞食が樓門の前で、さも長閑そうに居眠っていた。 そこへ通りかかった岡郷介は、何と思ったかツカツカと近寄り、 「お父様!」と呼びかけた。そうして地上へ跪座いた。 驚いたのは乞食であった。 「私は乞食でござります。お父様などとはとんでもない。何かのお間違いでござりましょう」 「いえいえ貴郎はお父様です。夢のお告げがござりました。……昨夜のことでございますが、神々しい老人が現われ出で、『汝明日光善寺へ参れ、そこに老年の乞食がいよう、それこそ汝が年頃尋ねる実の生の親であろうぞ』と、お告げ下されましてござります。……何と仰せられても貴郎は父上。どうでも邸へお迎え致し孝養を尽くさねばなりませぬ」 郷介はこう云うと飽迄真面目に乞食の手を取るのであった。 「どうも不思議だ。解せぬことだ」 乞食は苦々しく笑ったが、 「ところで貴郎のお姓名は?」 「岡郷介と申します」 「なに?」と乞食はそれを聞くと颯と顔色を変えたものである。 「岡郷介? しかと左様かな?」 「何しに偽りを申しましょう」 「……ああもう遁れぬ運命じゃ。……さあどこへでもお連れ下され。……」 老いたる乞食はヒョロヒョロと敷いていた筵から立ち上ったが、その表情にもその態度にも、一種異様なものがあった。恐れに恐れていた幽霊に、避けに避けていた悪運に、突然ぶつかった人かのような、絶体絶命[#「絶体絶命」は底本では「絶対絶命」]の恐怖の情がまざまざと現われていたのであった。
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