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南蛮秘話森右近丸(なんばんひわもりうこんまる)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-3 7:34:51 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语




 もうこの辺りは山である。鬱々と木立が繁っている。人家もなければ人気もない。夜の闇が四辺あたりを領している。ズンズン恐れず巫女が行く。着ている白衣びゃくえが生白く見える。時々月光が木間を洩れ、肩のあたりをうすく照らす。
 鹿苑院ろくおんいん金閣寺、いつかその辺りも通ってしまった。だんだん山路が険しくなる。いよいよ木立が繁り増さり、気味の悪い夜鳥よどりの啼声がする。
 巫女はズンズン歩いて行く。
「一体どこまで行くのだろう?」若武士はいささか気味悪くなった。だが断念はしなかった。足音を忍んでつけて行く。
 一際こんもりした森林が、行手にあたって繁っている。ちょうどその前まで来た時であった。巫女は突然足を止め、グルリと振り返ったものである。
「若い綺麗なお侍さん、お見送り有難うございました。もう結構でございます。どうぞお帰り下さいまし。これから先は秘密境、迷路がたくさんございます。踏み込んだが最後帰れますまい」それから不意に叱るように云った。「犯してはならぬよ我等の領地を! 宏大な「処女造庭」境を!」
「おっ」と若武士は驚いたが、同時に怒りが湧き起こった。「何を女め! 不埒ふらちな巫女! 二条通りで我君の雑言、ご治世を詈ったそればかりか、拙者を捉えて子供扱い、許さぬぞよ。縛め捕る!」ヌッと一足踏み出した。
「捕ってごらんよ」とおちついた声、それで巫女はまた云った。「悪いことは云わぬよ。帰るがいい、お前がきたない侍なら、北野あたりで殺しもしたろう、可愛い綺麗な侍だったから、ここまで送らせて来たのだよ。だが今夜はお帰りよ。そうして妾を覚えておいで、もう一度ぐらいは会うだろう、お帰りお帰り、さあ今夜は」
 馬鹿にしきった態度である。
 本当に怒った若い武士は、手捕りにしようと思ったのだろう、「観念!」と叫ぶと躍りかかった。
 それより早く、不思議な巫女は、サ――ッと後へ飛び退いたが、「お馬鹿ちゃんねえ」と云ったかと思うと、片手をヌーッと頭上へ上げた。キラキラ光る物がある。巨大な星でも捧げたようだ。カーッと烈しい青光るほのお、そこから真直ぐに反射して、若い武士の眼を射た。魔法か? いやいやそうではない。胸にかけていた円鏡そいつを右手に捧げたのである。
 だがそれにしても不思議である、いかに月光が照らしたとは云え、そんな鏡がそんなにも強い、焔のような光芒をどうして反射したのだろう?
「あッ」とうめいた若い武士は、二三歩背後うしろへよろめいたが、ガックリ地面へ膝をついた。しかし勇気は衰えなかった。立ち上ると同時に太刀を抜き、
「妖婦!」と一やく切り込んだ。
「勇気があるねえ、いっそ可愛いよ。だが駄目だよ、お止めお止め」
 沈着おちつき払った巫女の声が、同じ場所から聞こえてきた。いぜん鏡を捧げている。キラキラキラキラと反射する。それが若武士の眼を射る。どうにも切り込んで行けないのである。
 とはいえ若武士も勇士と見える。両眼つむると感覚だ。柄を双手に握りしめ「ウン」とばかりに突き出した。
 だが何の手答えもない。ギョッとして眼を開いた眼の前に、十数本の松火たいまつが、一列にタラタラと並んでいた。
 異様の扮装をした十数人の男が、美々びびしい一挺の輿こしを守り、若武士の眼前めのまえにいるではないか。
 いつの間にどこから来たのだろう? 森の奥から来たらしい。町人でもなければ農夫でもない。庭師のような風俗である。そのくせ刀を差している。その立派な体格風貌、その点から云えば武士である。
 若武士などへは眼もくれず、巫女の前へ一斉に跪坐ひざまずいたが、「いざ姫君、お召し下さりませ」
「ご苦労」と家来に対するように、巫女は鷹揚に頷いたが、ユラリとばかりに輿に乗った。
「さようならよ、逢いましょうねえ、いずれは後日、ここの森で……綺麗で若くて勇しい、妾の好きなお侍さん」[#「妾の好きなお侍さん」」は底本では「妾の好きなお侍さん」。」]
 それから巫女は意味ありげに笑った。
「さあお遣りよ、急いで輿を!」
 松火で森を振り照らし、スタスタと奥へ行ってしまった。



 信長の居城安土あづちの城、そこから乗り出した小舟がある。
 春三月、桜花おうかの候、琵琶の湖水静かである。
 乗っているのは信長の寵臣、森右近丸もりうこんまると云って二十一歳、秀でた眉、鋭い眼、それでいて非常に愛嬌がある。さぞ横顔がよいだろう、そう思われるような高い鼻、いわゆる皓歯こうしそれを蔽て、軽く結ばれている唇は、紅を注したように艶がよい。笑うと左右にえくぼが出来る。色が白くて痩せぎすで、婦人を想わせるような姿勢ではあるが、武道鍛錬だということは、ガッシリ据わった腰つきや、物を見る眼の眼付でわかる。だが動作は軽快で、物の云い方など率直で明るい。どこに一点の厭味もない。まずは武勇にして典雅なる、理想的若武士わかざむらいということが出来よう。
 かの有名な森蘭丸らんまる。その蘭丸の従兄弟いとこであり、そうして過ぐる夜衣笠山まで、巫女を追って行った若武士なのである。信長の大切の命を受け、京へいそいでいるところであった。
 天正七年春の午前、湖水の水が膨らんでいる。水藻の花が咲いている。水鳥が元気よく泳いでいる。舟が通ると左右へ逃げる。だがすぐ仲よく一緒になる。よい天気だ、日本晴れだ、機嫌よく日光が射している。
 舟はズンズンはしって行く。軽舟けいしゅう行程半日にして、大津の宿まで行けるのである。
 矢走やばせが見える、三井寺が見える、もう大津へはすぐである。
 とその時事件が起こった。どこからともなく一本の征矢そやが、ヒュ――ッと飛んで来たのである。舟の船首へさきへ突っ立った。
「あっ」と仰天する水夫かこや従者、それを制した右近丸は、スルスルと近寄って眺めたが、
「ほほうこいつは矢文だわい」
 左様、それは矢文であった。矢羽根から二三寸下ったところに、畳んだ紙が巻き付けてある。
 矢を引き抜いた右近丸はクルクルと紙を解きほぐすと、スルスルと開いて見た。
「南蛮寺の謎手に入れんとする者信長公一人いちにんにてはそうろうまじ、我等といえども虎視耽々、尚その他にも数多く候」
 これが記された文字であった。
「成程」と呟いたが右近丸は些少いささか驚いた様子であった。「俺の用向きを知っていると見える。俺を嚇そうとしているらしい。これは用心をしなければならない。何者がどこから射たのだろう」四辺あたりを見廻したがわからなかった。たくさん舟が通っている。帆船もあれば漁船もある。商船あきないぶねも通っている。だがどの舟から射たものやら、少しも見当が付かなかった。
「さあ、舟遣れ、水夫かこども漕げ」
 そこで小舟ははしり出した。

 その同じ日の夕方のこと――ここは京都四条坊門、南蛮寺が巨然と聳えている。その周囲は四町四方、石垣の中に作られたは、紅毛ぶりの七堂伽藍。金銀を惜まぬ立派なものだ。
 ゆうべの鐘が鳴っている。讃美歌の合唱が聞こえている。
 「アベ マリア! ……アベ マリア!」
 美しい神々しい清浄な声!
 ボーン! 梵鐘! 神秘的の音!
 それらが虚空へ消えて行く。
 この南蛮寺の傍らに、こんもり庭木にとりかこまれた、一軒の荒れた屋敷があった。
 この頃京都みやこで評判の高い、多門兵衛たもんひょうえという弁才坊(今日のいわゆる幇間たいこもち)と、十八になる娘の民弥たみや、二人の住んでいる屋敷である。
 今日も二人はえんに腰かけ、さも仲よく話している。
 だが本当に多門兵衛という老人、そんな卑しい弁才坊だろうか?
 どうもそうとは思われない。深い智識を貯えたような、聡明で深味のあるその眼付、高貴の血統を暗示するような真直ぐで、正しい高い鼻、錠を下ろしたような緊張ひきしまった口、その豊かな垂頬から云っても、卑しい身分とは思われない。民弥の方もそうである。その大量な艶のよい髪、二重瞳の切長の眼、彫刻に見るような端麗な鼻梁、大きくもなければ小さくもない、充分調和のよい受口めいた口、結んでいても開いていても、無邪気な微笑が漂よっている。身長せいも高く肉附もよく、高尚な健康美に充たされている。行儀作法を備えているとともに、武術の心得もあるらしく、その「動き」にも無駄がない。
 親子であることには疑いない。万事二人はよく似ている。そうして二人ながら貧しいとみえ、粗末な衣裳を着ているが、しかし大変清らかである。



「ねえ民弥さん民弥さん、よい天気でございますねえ」
 こう云ったのは弁才坊で、自分の娘を呼びかけるのに、民弥さんとさんの字を付けている。ひどく言葉が砕けている。
「はいはい本当によいお天気で、春らしい陽気になりました。こんな日にお出かけになりましたら、お貰いもたくさんありましょうに、弁才坊さん弁才坊さん、町へお出かけなさりませ」
 民弥は民弥でこんなことを云っている。自分の父親を呼びかけるのに、弁才坊さんと云っている。
 だがこいつ常時いつもなのである。真実の親子でありながら、お友達のような調子なのである。とても二人ながら剽軽ひょうきんなのである。
「お貰いに行くのも結構ですが、今日は二人で遊びましょう。色々の花が咲きました、桜に山吹に小手毬こてまり草に木瓜ぼけすもも木蘭もくらんに、海棠かいどうの花も咲きました」こう云ったのは弁才坊。
「ほんとにほんとにこのお庭は、お花で一杯でございます。往来さえ見えない程で」こう云ったのは民弥である。
「今日はお花見を致しましょう。お酒を一口戴きたいもので」
「お合憎様でございます。一合の酒さえございません」民弥は笑って相手にしない。
「ははあ、左様で、ではお茶でも」
「お茶もお合憎様でございます。久しく切れて居りますので」
「おやおやそいつは困りました。では白湯さゆなりと戴きましょう」
「差し上げたくはございますが、お湯を沸かす焚物たきものがございません」民弥はやっぱり相手にしない。
 これにはどうやら弁才坊も少しばかり吃驚びっくりしたらしい。
「ははあ焚物もございませんので」
「明日の朝いただく御飯さえ、実はないのでございます」
「随分貧乏でございますな」
「今に始まりは致しません。昔から貧乏でございます」
「これはいかにも御尤ごもっとも、昔から貧乏でございます」こうは云ったが弁才坊は意味ありそうに云い続けた。「だが大丈夫でございますよ。苦の後には楽が来る、明日あしたにでもなると百万両が、ころげ込むかも知れません」
「はいはい左様でございますとも。百万両は愚かのこと、大名になれるかも知れません」
「そうなった日のあかつきには、この弁才坊城を築き、兵をたくわえ武器を調ととのえ威張って威張って威張ります」
「そうなった日の暁には、この民弥さんも輿こしに乗り、多くの侍女を従えて、都大路おおじを打たせます」
「どうやらそういう栄華の日が、すぐ間近く迫ったようで」
「結構なことでございます」
「これまでは苦労を致しました」
「ほんとにお気の毒でございました」
「いえいえわたしより民弥さんの方が、一層お気の毒でございました」
「何の何のどう致しまして、弁才坊様あなたの方が、一層ご苦労なさいました」
「苦は楽の種、苦は楽の種、アッハハハ楽になったら、この三年間の苦しみが、笑い話になりましょう」
「そうしたいものでございます」
「きっとなります。きっとなります」
「お父様!」とここで娘の民弥はにわかに調子を改めたが、四辺あたりを憚った鋭い声で「遂げられたのでございましょうか? 年月重ねられたご研究が?」
「うむ」とこれも弁才坊、がぜん態度を一変したが「民弥、遂げたぞ、ようやくのことで!」
「で、その旨信長公へ?」
「うむ、昨日きのう云ってやった!」
「では追っつけお使者が参り?」
「そうだ、このわしの研究材料をお買い上げ下さるに相違ない」
「ああそうなったら私達は……」
「昔の身分にかえれるのだ」
 ここで親子は沈黙し、その眼と眼とを見合せた。
 まだ梵鐘が鳴っている。
 讃美歌の声も聞こえている。
 庭の桜が夕風に連れ、ホロホロホロホロと散ってくる。
 ヌッと立った弁才坊は、「民弥!」とじっと娘を見た。「秘密の一端明かせてやろう、部屋へおいで、来るがよい」
 えんを上って行く後から、いて行ったのは娘の民弥で、二人家の内へかくれた時、老桜の陰からスルスルと忍び出た一人の人物があった。

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