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南蛮秘話森右近丸(なんばんひわもりうこんまる)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-3 7:34:51 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


29[#「29」は縦中横]

 が再びそれが現われた時には、南蛮寺の前に立っていた。
 ところが茨組の一党の後から、ひそかに歩いて来た少年があった。他ならぬ猿若である。その猿若は小北山における、例の乱闘のにわから遁れ、京都の町へ入り込んだが、民弥のことが気にかかってならない。で、その消息を知ろうとして、この時洛中を歩いていたのであったが、見れば異様な野武士たちの中に、民弥が捕らえられているではないか。これは大変と思いながら、民弥の安否を見届けようと、その後からつけて来たのであった。
「これが有名な南蛮寺か」
「いや立派な伽藍ではある」
つくりも随分変わっているなあ」
「莫大な費用がかかっているらしい」
 賊どもは互いに呟いている。
 蒼白くひろがった月光の中に、尖塔を持ち円家根まるやねを持ち、矗々すくすくと聳えている南蛮寺の姿は、異国的であって神々しい。
 夜が相当深いので、往来を通る人もなく、夜警にたずさわる検断所の武士も、他の方面でも巡っているのであろう。ここら辺りには見えなかった。
「噂によれば南蛮寺には、大変もない値打ちのあるものが、貯えられているということだが、どうぞしてなかへ忍び込み、そいつをこっちへ奪いたいものだ」
 こう考えたは一党の頭、すなわち星影左門であったが、手下の者を見廻した。
「誰でもよいからかこいを乗り越し、内の様子を探って来い」
 つまり命令を下したのである。
 いつもは我武紗羅がむしゃらで命知らずで、どんな処へでも出かけて行く――そういう手下ではあったけれど、今度ばかりはどうしたものか、左門の云い付けを聞こうともしない。顔を見合わせて黙っている。
 それには理由があるのである。
 始めて眼にした南蛮寺、構造つくりがまるで異っている。うかうか内へ入った処で、内の様子を探ることが、覚束ないように思われる。それに第二に何と云っても、神々しい宗教的建物である。じっと見ていると敬虔の念が、自然と心に湧くのである。
 で、どうにも入り込みにくい。
 で、一同黙っている。
「ふん」と云ったのは星影左門で、改めて手下を見廻したが、「行くものがないのか、臆病な奴等だ。よしよしそれなら頼まない。この俺が自分で出かけて行こう」
 そこで鉄棒を小脇にかかえ、スルスルと門際へ歩み寄ったが、その星影左門さえ、結局寺内へは踏み入ることが出来ず、その上娘の民弥をさえ、捨ててしまわなければならないような、意外な事件にぶつかってしまった。
 と云うのは突然門の内から、かつて一度も聞いたことのない、微妙な不思議な音楽の音色が、さも荘厳に湧き起こり、続いて正面の門が開き、そこから数本の松火を持った、数人の男が現われたが、それに守られた一人の老人が、「民弥よ民弥よ、恐れるには及ばぬ、なやみある者は救われるであろう、悲しめる者は慰められるであろう」
 まずこう云ってから賊どもを見廻し、「ああ汝等も救われるであろう。改心をせよ、改心をせよ、一切悪事というものは、改心によって償われる、まず手はじめにすることは、捉えている娘を離すことだ、そうしてこっちへ手渡すがよい! そうして坐れ、土の上へ! そうして拝め、唯一なる神を!」
 こう云って威厳のある眼を以て、次々に賊共を睨んだので、賊共は等しく胆を潰し、民弥を放すと一同揃って、大地へひざまずいたからである。
 で、民弥は小走ったが、その老人の袖へ縋った。
「ああ貴郎あなた様はオルガンチノ[#「オルガンチノ」は底本では「オンガンチノ」]様!」
「民弥か、おいで、怖れることはない」
「はい有難うございます。どうぞお助け下さいまし」
 で、民弥とオルガンチノとは、門をくぐって寺内へ入った。
 と、すぐにその後から、猿若少年が飛び込んだ。民弥を慕って飛び込んだのである。
 やがて門は内から閉ざされ、松火も隠れ音楽も消え、あたりは全く寂静ひっそりとなった。
 だがもし誰か民弥達と一緒に、南蛮寺の寺内へ入って行ったなら、その寺内の一室から、民弥とそうしてオルガンチノとが、次のように話していることを、耳にすることが出来たろう。
「おお、まアそれではお父様が!」
「見られる通りの有様でござる」
「お父様! お父様! お父様!」
「静かになされ、静かになされ!」と。……

30[#「30」は縦中横]

 処女造庭境とは何物であろう?
 衣笠山から小北山、鷹ヶ峰から釈迦谷山、瓜生山から白妙山、その方面の山林地帯へ、種々様々の迷路を設け、またいろいろの防禦物を作り、都の人間を入れないように、造を構えた地域であって、特に男性を入れないようにしたのと、それを作った頭なるものが、美しい処女であったのとで、処女造庭境というような、物々しい名をつけたまでで、特別の境地ではなかったのである。つまり自然を利用した、一個の広い砦なのであった。
 その頭は何という女か? 唐姫からひめという女である。その唐姫とは何物であるか? 織田信長に滅ぼされたところの、なにがし大名の息女なのである。で、父の仇を討とうがため、すなわち信長を討とうがため、都近くのそんな所へ、そのような自然的砦を設け、もとの家臣を庭師風に仕立て、一緒に住んで虎視眈々、様子を窺っていたのである。
 で、ここは処女造庭境の神明づくりの社の前である。
 二人の男女が縛られて、大地の上に据えられている。
 猪右衛門ししえもんとそうして玄女げんじょである。
 森右近丸もりうこんまるに追いかけられ、処女造庭境まで逃げて来て、処女造庭境の人達に、捉えられて縛られてしまったのである。
 ところで今はいつかというに、民弥が南蛮寺へ入り込んだ、そのおんなじ夜なのである。
「いつ迄縛って置くのだろう。どうにもこうにもやりきれないなあ」こう云ったのは猪右衛門。
「ほんとにほんとにどうする気だろう」こう云ったのは玄女である。
「とうとう人形も取られてしまった」
「犬さんが骨を折りまして、鷹さんに取られたというものさ」
「取った鷹さんはよかろうが、取られた犬さんはつまらない」
「その犬さんが私達さ」
ひどい目にこそ逢いにけり」
「もっと酷い目に逢うかもしれない」
「もうこれ以上は御免だよ」
「どだいお前が悪いのだよ」玄女が猪右衛門をやっつけた。
「ううんお前がよくないのさ」
「ナーニお前がよくないのさ、と云うのは道草を食っていたからさ、人形を盗んだら大急ぎで、飛び帰ってくればよかったのに」
「と云うことが云えるなら、俺の方にだって云分いいぶんはある。人形はお前へ渡したはずだ、あの時サッサと逃げ帰ったら、こんな不態ぶざまには逢わなかったはずだ」
「何だか知らないがお前が悪い!」
「何だか知らないがお前が悪い!」
「いいえさ、お前だ!」
「何のお前だ!」
 人間が逆境に落ち込むと、仲好し迄が喧嘩をする。例えに洩れずというのでもあろう、玄女と猪右衛門とは争い出した。
 やがて二人は掴み合いをはじめ、互いに咽喉を締め合った。そうして二人ながら死んでしまった。
 ところがこの頃社務所の中の、燈火ともしびの明るい部屋の一つで、三人の男女が話し合っていた。
 唐姫と右近丸と浮木である。
「……と云うわけでございまして、民弥殿を目付けはしましたが、惜しいところで茨組共に、奪い去られましてございます。使命をお果しすることが出来ず、何とも申しわけござりませぬが、事情が事情ゆえ特別を以て、何卒お許し下さいますよう。……それはそれとして民弥殿は、お可哀そうにも茨組共に、連れて行かれたのでございます。ところで茨組と来た日には、ご存知の通りのあばれもの。で、民弥殿のお身の上、心元のう存ぜられます。と云ってはたして茨組共は、どこに根城を構えていて、どこへ民弥殿を連れて行ったものやら、これさえ今のところ一向わからず、いよいよ心元のうございます」
 こう云ったのは浮木である。
 民弥を探して探しそこなった、その事情を話しているのである。
「困ったことになりましたねえ」
 こう云ったのは唐姫で、チラリと右近丸の顔を見た。
 右近丸は黙ってうつ向いている。その顔色は蒼白い。頬が痙攣を起こしている。感動をしている証拠である。民弥が賊に奪われたと、そう聞いたので心配し、それが痙攣を起こしたのであろう。
 部屋の中は清らかである、だがたくさんの武器がある。鉄砲、刀、槍、弓矢、……紙燭ししょくの光に照らされて、その一所はキラキラと輝き、一所は陰影かげをつけている。
 三人しばらくは無言であった。
 で、部屋の中は静かであった。

31[#「31」は縦中横]

 だが唐姫からひめが口をひらき、次のようなことを云い出したためその静けさは破られた。
「茨組と云う賊共は、父の旧家臣にございます。その頭の名は星影左門ほしかげさもん、以前からわたくしを妻にしようと、狙っていたものにございます。で、左門の目的は、民弥たみや殿でなくてこのわたし。で、民弥殿の御身上は、まず大丈夫と思われます。それはそれとして唐寺の謎は、半分解くことは出来ましたが、後の半分は解けませぬ。そこで貴郎あなた様にお願い致します。山を下り京都みやこへ行き、南蛮寺へおいでになり、多聞兵衛殿の死骸を掘り出し、その左右の胸を調べ、唐寺の謎をお解き下さいまし」
 そこで右近丸は立ち上ったが、そのまま社務所から外へ出た。
 月のあきらかな山路を、京都の方へ下って行く。
 案内役は銅兵衛である。松火を持って先へ立った。
 造庭境の出口へ来た。
「これでお別れいたしましょう」
「ご苦労でござった。では御免」
 一人となった右近丸は、京都の方へ下って行く。
ひどい目に逢えば逢ったものだ」心の中で考えた。「処女造庭境の連中まで、唐寺の謎を解こうものと、苦心していたとは知らなかったよ」
 いろいろのことを思い出した。
 玄女と猪右衛門とを追っかけて、処女造庭境へ入り込んだこと、そこの住民に捉えられたこと、今日迄監禁されたこと、しかし優待されたこと、玄女や猪右衛門の手許から、処女造庭境の連中が、例の人形を奪ったこと、そこで自分が申し出て、人形の眼を押させたこと、すると人形が叫んだこと、
「唐寺の謎は胎内の、肺臓の中に蔵してあろうぞ」と、
 そこで人形を断ち割って、その肺臓をしらべた処、一葉の紙のあったこと、そうしてその紙に次のような、数行の文字が書いてあったこと、
多聞兵衛たもんひょうえ死せる場合、決して死骸を焼くべからず、左右の胸を調ぶきこと、一切の謎おのずから解けん」
「その肝心の多聞兵衛殿は、気の毒な変死をした上に、南蛮寺へ葬られてしまった。左右の胸を調べるとなると、なるほど土から掘り出さなければならない。大変な役目を引き受けたものだ」
 右近丸は都へ下って行く。
 都へ入ったのは間もなくであった。
 夜分は南蛮寺はとざされている。
 翌朝行かなければならなかった。
 そうして翌朝行った時、驚くべきことが発見された。
 死んだと思っていた多聞兵衛が、死なずに活きていたのである。
 のみならず娘の民弥までいた。
「おお民弥殿!」
「右近丸様!」
 抱き合ったのは云う迄もない。

 唐寺の謎は解かれたか? いや解くことは出来なかった。多聞兵衛が拒否したからで、こう兵衛は云ったそうである。
「わしは南蛮寺の教義について、とんでもない誤解をしていたよ。だが南蛮寺に数日いて、その誤解を知ることが出来た。よい教えだ、立派なものだ。そうしてオルガンチノ司僧をはじめ、寺中の人達も立派なものだ。で、わしは帰依をする。わしもこの宗旨の信者になる。で、秘密は明かされない」
 そうして絶対に多聞兵衛は、胸を見せなかったということである。いやいや見せないばかりではなく、その胸の上へ焼金をあて、火傷やけどをさせたということである。でそこに何かが書いてあったとしても、今は全くわからない。
 で南蛮寺の謎なるものは、遂に世人には知れなかったのである。
 で、唐姫も信長も、けっきょく南蛮寺から何物をも、奪い取ることが出来なかった。
 風船仕込みの毒薬は、強烈な催眠剤であったそうな。
 しかしそれにしても唐寺の謎とは、どういう性質のものなのであろう?
 天文てんもん十八年西班牙スペイン僧ザビエル、この者が日本へ渡来して、吉利支丹きりしたん宗教を拡めようとした。その際ザビエルは今日の価値あたいにして、五億円に近い黄金を、持参したということであり、その金ははたして布教一方に用いる、浄財と認めてよいだろうか? それとも宗教に名をりて、日本侵略を心掛け、その工作に用いる金! そういう金ではあるまいか? これが一つの謎であった。
 更にそののち京都の地に、南蛮寺、即ち唐寺が建てられ、その五億円の黄金が、その唐寺の内に秘蔵されたそうだが、唐寺の何処に秘蔵してあるか? これが二つ目の謎であった。
 そうしてこれら二つの謎を集め、総称して「唐寺の謎」と云い、その謎をひそかに解いた上、その黄金を手に入れようとして、織田信長や唐姫の徒や、香具師やしの猪右衛門や玄女たちが、苦心惨憺したのであった。
 弁才坊事多聞兵衛は、吉利支丹そのものを邪法と認め、五億円の黄金は日本侵略の金と信じ、その金の在り場所を発見し、それを信長に告げ知らせ、その功によって家を再興しよう――こう思って唐寺の附近に住み、唐寺へ絶えず出入し、その才智と胆略とで、その黄金の在り場所を探り、謎をすっかり解いたのであった。しかしその秘密を紙などへ書いては、盗まれる憂いがあるというので、唐寺から窃取した薬品を以て、自分の胸へ焼きつけて、身を以て秘密を保ったのであった。
 しかるに弁才坊は猿若によって、一時仮死の状態にされた。
 それを唐寺のオルガンチノ僧正が、唐寺へ引取り介抱し、その間吉利支丹宗旨なるものの、邪宗でないことを説明したので、弁才坊は翻然悟り、黄金の在場所を未来永劫、他人に知らせないようにしたのであった。
 その翌年の春が来た時、右近丸と民弥との結婚式が、織田信長の仲人の下に、安土城内において行なわれた。その客の中には改心をした猿若が、可愛らしいお小姓の姿をして、嬉しそうに雑っていた。栄達を嫌い隠遁をし、吉利支丹宗徒となった弁才坊も、この日は特に美々しく着飾って、出席したことは云う迄もない。
 洛中洛外にはびこっていたところの、姦悪の人買の連中を、信長が指揮して根絶やしにしたのは、それから間もなくのことであり、その中には桐兵衛一味がいて、いずれも捕らえられて殺された。
「処女造庭境」に蟠踞ばんきょしていた唐姫の一党はどうしたか?
 信長に楯突くの非を悟り、関東の方へ居を移し、広大な山間の地域を領し、女ながらも大豪族として、永く栄えたということである。





底本:「国枝史郎伝奇全集 巻三」未知谷
   1993(平成5)年3月20日初版発行
初出:「少女倶楽部」
   1927(昭和2)年4月~10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:阿和泉拓
校正:湯地光弘
2005年3月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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