四
「どこへ行く」と中野君が高柳君をつらまえた。所は動物園の前である。太い桜の幹が黒ずんだ色のなかから、銀のような光りを秋の日に射返して、梢を離れる病葉は風なき折々行人の肩にかかる。足元には、ここかしこに枝を辞したる古い奴ががさついている。 色は様々である。鮮血を日に曝して、七日の間日ごとにその変化を葉裏に印して、注意なく一枚のなかに畳み込めたら、こんな色になるだろうと高柳君はさっきから眺めていた。血を連想した時高柳君は腋の下から何か冷たいものが襯衣に伝わるような気分がした。ごほんと取り締りのない咳を一つする。 形も様々である。火にあぶったかき餅の状は千差万別であるが、我も我もとみんな反り返る。桜の落葉もがさがさに反り返って、反り返ったまま吹く風に誘われて行く。水気のないものには未練も執着もない。飄々としてわが行末を覚束ない風に任せて平気なのは、死んだ後の祭りに、から騒ぎにはしゃぐ了簡かも知れぬ。風にめぐる落葉と攫われて行くかんな屑とは一種の気狂である。ただ死したるものの気狂である。高柳君は死と気狂とを自然界に点綴した時、瘠せた両肩を聳やかして、またごほんと云ううつろな咳を一つした。 高柳君はこの瞬間に中野君からつらまえられたのである。ふと気がついて見ると世は太平である。空は朗らかである。美しい着物をきた人が続々行く。相手は薄羅紗の外套に恰好のいい姿を包んで、顋の下に真珠の留針を輝かしている。――高柳君は相手の姿を見守ったなり黙っていた。 「どこへ行く」と青年は再び問うた。 「今図書館へ行った帰りだ」と相手はようやく答えた。 「また地理学教授法じゃないか。ハハハハ。何だか不景気な顔をしているね。どうかしたかい」 「近頃は喜劇の面をどこかへ遺失してしまった」 「また新橋の先まで探がしに行って、拳突を喰ったんじゃないか。つまらない」 「新橋どころか、世界中探がしてあるいても落ちていそうもない。もう、御やめだ」 「何を」 「何でも御やめだ」 「万事御やめか。当分御やめがよかろう。万事御やめにして僕といっしょに来たまえ」 「どこへ」 「今日はそこに慈善音楽会があるんで、切符を二枚買わされたんだが、ほかに誰も行き手がないから、ちょうどいい。君行きたまえ」 「いらない切符などを買うのかい。もったいない事をするんだな」 「なに義理だから仕方がない。おやじが買ったんだが、おやじは西洋音楽なんかわからないからね」 「それじゃ余った方を送ってやればいいのに」 「実は君の所へ送ろうと思ったんだが……」 「いいえ。あすこへさ」 「あすことは。――うん。あすこか。何、ありゃ、いいんだ。自分でも買ったんだ」 高柳君は何とも返事をしないで、相手を真正面から見ている。中野君は少々恐縮の微笑を洩らして、右の手に握ったままの、山羊の手袋で外套の胸をぴしゃぴしゃ敲き始めた。 「穿めもしない手袋を握ってあるいてるのは何のためだい」 「なに、今ちょっと隠袋から出したんだ」と云いながら中野君は、すぐ手袋をかくしの裏に収めた。高柳君の癇癪はこれで少々治まったようである。 ところへ後ろからエーイと云う掛声がして蹄の音が風を動かしてくる。両人は足早に道傍へ立ち退いた。黒塗のランドーの蓋を、秋の日の暖かきに、払い退けた、中には絹帽が一つ、美しい紅いの日傘が一つ見えながら、両人の前を通り過ぎる。 「ああ云う連中が行くのかい」と高柳君が顋で馬車の後ろ影を指す。 「あれは徳川侯爵だよ」と中野君は教えた。 「よく、知ってるね。君はあの人の家来かい」 「家来じゃない」と中野君は真面目に弁解した。高柳君は腹のなかでまたちょっと愉快を覚えた。 「どうだい行こうじゃないか。時間がおくれるよ」 「おくれると逢えないと云うのかね」 中野君は、すこし赤くなった。怒ったのか、弱点をつかれたためか、恥ずかしかったのか、わかるのは高柳君だけである。 「とにかく行こう。君はなんでも人の集まる所やなにかを嫌ってばかりいるから、一人坊っちになってしまうんだよ」 打つものは打たれる。参るのは今度こそ高柳君の番である。一人坊っちと云う言葉を聞いた彼は、耳がしいんと鳴って、非常に淋しい気持がした。 「いやかい。いやなら仕方がない。僕は失敬する」 相手は同情の笑を湛えながら半歩踵をめぐらしかけた。高柳君はまた打たれた。 「いこう」と単簡に降参する。彼が音楽会へ臨むのは生れてから、これが始めてである。 玄関にかかった時は受付が右へ左りへの案内で忙殺されて、接待掛りの胸につけた、青いリボンを見失うほど込み合っていた。突き当りを右へ折れるのが上等で、左りへ曲がるのが並等である。下等はないそうだ。中野君は無論上等である。高柳君を顧みながら、こっちだよと、さも物馴れたさまに云う。今日に限って、特別に下等席を設けて貰って、そこへ自分だけ這入って聴いて見たいと一人坊っちの青年は、中野君のあとをつきながら階段を上ぼりつつ考えた。己れの右を上る人も、左りを上る人も、またあとからぞろぞろついて来るものも、皆異種類の動物で、わざと自分を包囲して、のっぴきさせず二階の大広間へ押し上げた上、あとから、慰み半分に手を拍って笑う策略のように思われた。後ろを振り向くと、下から緑りの滴たる束髪の脳巓が見える。コスメチックで奇麗な一直線を七分三分の割合に錬り出した頭蓋骨が見える。これらの頭が十も二十も重なり合って、もう高柳周作は一歩でも退く事はならぬとせり上がってくる。 楽堂の入口を這入ると、霞に酔うた人のようにぽうっとした。空を隠す茂みのなかを通り抜けて頂に攀じ登った時、思いも寄らぬ、眼の下に百里の眺めが展開する時の感じはこれである。演奏台は遥かの谷底にある。近づくためには、登り詰めた頂から、規則正しく排列された人間の間を一直線に縫うがごとくに下りて、自然と逼る擂鉢の底に近寄らねばならぬ。擂鉢の底は半円形を劃して空に向って広がる内側面には人間の塀が段々に横輪をえがいている。七八段を下りた高柳君は念のために振り返って擂鉢の側面を天井まで見上げた時、目がちらちらしてちょっと留った。excuse me と云って、大きな異人が、高柳君を蔽いかぶせるようにして、一段下へ通り抜けた。駝鳥の白い毛が鼻の先にふらついて、品のいい香りがぷんとする。あとから、脳巓の禿げた大男が絹帽を大事そうに抱えて身を横にして女につきながら、二人を擦り抜ける。 「おい、あすこに椅子が二つ空いている」と物馴れた中野君は階段を横へ切れる。並んでいる人は席を立って二人を通す。自分だけであったら、誰も席を立ってくれるものはあるまいと高柳君は思った。 「大変な人だね」と椅子に腰をおろしながら中野君は満場を見廻わす。やがて相手の服装に気がついた時、急に小声になって、 「おい、帽子をとらなくっちゃ、いけないよ」と云う。 高柳君は卒然として帽子を取って、左右をちょっと見た。三四人の眼が自分の頭の上に注がれていたのを発見した時、やっぱり包囲攻撃だなと思った。なるほど帽子を被っていたものはこの広い演奏場に自分一人である。 「外套は着ていてもいいのか」と中野君に聞いて見る。 「外套は構わないんだ。しかしあつ過ぎるから脱ごうか」と中野君はちょっと立ち上がって、外套の襟を三寸ばかり颯と返したら、左の袖がするりと抜けた、右の袖を抜くとき、領のあたりをつまんだと思ったら、裏を表てに、外套ははや畳まれて、椅子の背中を早くも隠した。下は仕立ておろしのフロックに、近頃流行る白いスリップが胴衣の胸開を沿うて細い筋を奇麗にあらわしている。高柳君はなるほどいい手際だと羨ましく眺めていた。中野君はどう云ものか容易に坐らない。片手を椅子の背に凭たせて、立ちながら後ろから、左右へかけて眺めている。多くの人の視線は彼の上に落ちた。中野君は平気である。高柳君はこの平気をまた羨ましく感じた。 しばらくすると、中野君は千以上陳列せられたる顔のなかで、ようやくあるものを物色し得たごとく、豊かなる双頬に愛嬌の渦を浮かして、軽く何人にか会釈した。高柳君は振り向かざるを得ない。友の挨拶はどの辺に落ちたのだろうと、こそばゆくも首を捩じ向けて、斜めに三段ばかり上を見ると、たちまち目つかった。黒い髪のただ中に黄の勝った大きなリボンの蝶を颯とひらめかして、細くうねる頸筋を今真直に立て直す女の姿が目つかった。紅いは眼の縁を薄く染めて、潤った眼睫の奥から、人の世を夢の底に吸い込むような光りを中野君の方に注いでいる。高柳君はすわやと思った。 わが穿く袴は小倉である。羽織は染めが剥げて、濁った色の上に垢が容赦なく日光を反射する。湯には五日前に這入ったぎりだ。襯衣を洗わざる事は久しい。音楽会と自分とはとうてい両立するものでない。わが友と自分とは?――やはり両立しない。友のハイカラ姿とこの魔力ある眼の所有者とは、千里を隔てても無線の電気がかかるべく作られている。この一堂の裡に綺羅の香りを嗅ぎ、和楽の温かみを吸うて、落ち合うからは、二人の魂は無論の事、溶けて流れて、かき鳴らす箏の線の細きうちにも、めぐり合わねばならぬ。演奏会は数千の人を集めて、数千の人はことごとく双手を挙げながらこの二人を歓迎している。同じ数千の人はことごとく五指を弾いて、われ一人を排斥している。高柳君はこんな所へ来なければよかったと思った。友はそんな事を知りようがない。 「もう時間だ、始まるよ」と活版に刷った曲目を見ながら云う。 「そうか」と高柳君は器械的に眼を活版の上に落した。 一、バイオリン、セロ、ピヤノ合奏とある。高柳君はセロの何物たるを知らぬ。二、ソナタ……ベートーベン作とある。名前だけは心得ている。三、アダジョ……パァージャル作とある。これも知らぬ。四、と読みかけた時拍手の音が急に梁を動かして起った。演奏者はすでに台上に現われている。 やがて三部合奏曲は始まった。満場は化石したかのごとく静かである。右手の窓の外に、高い樅の木が半分見えて後ろは遐かの空の国に入る。左手の碧りの窓掛けを洩れて、澄み切った秋の日が斜めに白い壁を明らかに照らす。 曲は静かなる自然と、静かなる人間のうちに、快よく進行する。中野は絢爛たる空気の振動を鼓膜に聞いた。声にも色があると嬉しく感じている。高柳は樅の枝を離るる鳶の舞う様を眺めている。鳶が音楽に調子を合せて飛んでいる妙だなと思った。 拍手がまた盛に起る。高柳君ははっと気がついた。自分はやはり異種類の動物のなかに一人坊っちでおったのである。隣りを見ると中野君は一生懸命に敲いている。高い高い鳶の空から、己れをこの窮屈な谷底に呼び返したものの一人は、われを無理矢理にここへ連れ込んだ友達である。 演奏は第二に移る。千余人の呼吸は一度にやむ。高柳君の心はまた豊かになった。窓の外を見ると鳶はもう舞っておらぬ。眼を移して天井を見る。周囲一尺もあろうと思われる梁の六角形に削られたのが三本ほど、楽堂を竪に貫ぬいている、後ろはどこまで通っているか、頭を回らさないから分らぬ。所々に模様に崩した草花が、長い蔓と共に六角を絡んでいる。仰向いて見ていると広い御寺のなかへでも這入った心持になる。そうして黄色い声や青い声が、梁を纏う唐草のように、縺れ合って、天井から降ってくる。高柳君は無人の境に一人坊っちで佇んでいる。 三度目の拍手が、断わりもなくまた起る。隣りの友達は人一倍けたたましい敲き方をする。無人の境におった一人坊っちが急に、霰のごとき拍手のなかに包囲された一人坊っちとなる。包囲はなかなか已まぬ。演奏者が闥を排してわが室に入らんとする間際になおなお烈しくなった。ヴァイオリンを温かに右の腋下に護りたる演奏者は、ぐるりと戸側に体を回らして、薄紅葉を点じたる裾模様を台上に動かして来る。狂うばかりに咲き乱れたる白菊の花束を、飄える袖の影に受けとって、なよやかなる上躯を聴衆の前に、少しくかがめたる時、高柳は感じた。――この女の楽を聴いたのは、聴かされたのではない。聴かさぬと云うを、ひそかに忍び寄りて、偸み聴いたのである。 演奏は喝采のどよめきの静まらぬうちにまた始まる。聴衆はとっさの際にことごとく死んでしまう。高柳君はまた自由になった。何だか広い原にただ一人立って、遥かの向うから熟柿のような色の暖かい太陽が、のっと上ってくる心持ちがする。小供のうちはこんな感じがよくあった。今はなぜこう窮屈になったろう。右を見ても左を見ても人は我を擯斥しているように見える。たった一人の友達さえ肝心のところで無残の手をぱちぱち敲く。たよる所がなければ親の所へ逃げ帰れと云う話もある。その親があれば始からこんなにはならなかったろう。七つの時おやじは、どこかへ行ったなり帰って来ない。友達はそれから自分と遊ばなくなった。母に聞くと、おとっさんは今に帰る今に帰ると云った。母は帰らぬ父を、帰ると云ってだましたのである。その母は今でもいる。住み古るした家を引き払って、生れた町から三里の山奥に一人佗びしく暮らしている。卒業をすれば立派になって、東京へでも引き取るのが子の義務である。逃げて帰れば親子共餓えて死ななければならん。――たちまち拍手の声が一面に湧き返る。 「今のは面白かった。今までのうち一番よく出来た。非常に感じをよく出す人だ。――どうだい君」と中野君が聞く。 「うん」 「君面白くないか」 「そうさな」 「そうさなじゃ困ったな。――おいあすこの西洋人の隣りにいる、細かい友禅の着物を着ている女があるだろう。――あんな模様が近頃流行んだ。派出だろう」 「そうかなあ」 「君はカラー・センスのない男だね。ああ云う派出な着物は、集会の時や何かにはごくいいのだね。遠くから見て、見醒めがしない。うつくしくっていい」 「君のあれも、同じようなのを着ているね」 「え、そうかしら、何、ありゃ、いい加減に着ているんだろう」 「いい加減に着ていれば弁解になるのかい」 中野君はちょっと会話をやめた。左の方に鼻眼鏡をかけて揉上を容赦なく、耳の上で剃り落した男が帳面を出してしきりに何か書いている。 「ありゃ、音楽の批評でもする男かな」と今度は高柳君が聞いた。 「どれ、――あの男か、あの黒服を着た。なあに、あれはね。画工だよ。いつでも来る男だがね、来るたんびに写生帖を持って来て、人の顔を写している」 「断わりなしにか」 「まあ、そうだろう」 「泥棒だね。顔泥棒だ」 中野君は小さい声でくくと笑った。休憩時間は十分である。廊下へ出るもの、喫煙に行くもの、用を足して帰るもの、が高柳君の眼に写る。女は小供の時見た、豊国の田舎源氏を一枚一枚はぐって行く時の心持である。男は芳年の書いた討ち入り当夜の義士が動いてるようだ。ただ自分が彼らの眼にどう写るであろうかと思うと、早く帰りたくなる。自分の左右前後は活動している。うつくしく活動している。しかし衣食のために活動しているのではない。娯楽のために活動している。胡蝶の花に戯むるるがごとく、浮藻の漣に靡くがごとく、実用以上の活動を示している。この堂に入るものは実用以上に余裕のある人でなくてはならぬ。 自分の活動は食うか食わぬかの活動である。和煦の作用ではない粛殺の運行である。儼たる天命に制せられて、無条件に生を享けたる罪業を償わんがために働らくのである。頭から云えば胡蝶のごとく、かく翩々たる公衆のいずれを捕え来って比較されても、少しも恥かしいとは思わぬ。云いたき事、云うて人が点頭く事、云うて人が尊ぶ事はないから云わぬのではない。生活の競争にすべての時間を捧げて、云うべき機会を与えてくれぬからである。吾が云いたくて云われぬ事は、世が聞きたくても聞かれぬ事は、天がわが手を縛するからである。人がわが口を箝するからである。巨万の富をわれに与えて、一銭も使うなかれと命ぜられたる時は富なき昔しの心安きに帰る能わずして、命を下せる人を逆しまに詛わんとす。われは呪い死にに死なねばならぬか。――たちまち咽喉が塞がって、ごほんごほんと咳き入る。袂からハンケチを出して痰を取る。買った時の白いのが、妙な茶色に変っている。顔を挙げると、肩から観世よりのように細い金鎖りを懸けて、朱に黄を交えた厚板の帯の間に時計を隠した女が、列のはずれに立って、中野君に挨拶している。 「よう、いらっしゃいました」と可愛らしい二重瞼を細めに云う。 「いや、だいぶ盛会ですね。冬田さんは非常な出来でしたな」と中野君は半身を、女の方へ向けながら云う。 「ええ、大喜びで……」と云い捨てて下りて行く。 「あの女を知ってるかい」 「知るものかね」と高柳君は拳突を喰わす。 相手は驚ろいて黙ってしまった。途端に休憩後の演奏は始まる。「四葉の苜蓿花」とか云うものである。曲の続く間は高柳君はうつらうつらと聴いている。ぱちぱちと手が鳴ると熱病の人が夢から醒めたように我に帰る。この過程を二三度繰り返して、最後の幻覚から喚び醒まされた時は、タンホイゼルのマーチで銅鑼を敲き大喇叭を吹くところであった。 やがて、千余人の影は一度に動き出した。二人の青年は揉まれながらに門を出た。 日はようやく暮れかかる。図書館の横手に聳える松の林が緑りの色を微かに残して、しだいに黒い影に変って行く。 「寒くなったね」 高柳君の答は力の抜けた咳二つであった。 「君さっきから、咳をするね。妙な咳だぜ。医者にでも見て貰ったら、どうだい」 「何、大丈夫だ」と云いながら高柳君は尖った肩を二三度ゆすぶった。松林を横切って、博物館の前に出る。大きな銀杏に墨汁を点じたような滴々の烏が乱れている。暮れて行く空に輝くは無数の落葉である。今は風さえ出た。 「君二三日前に白井道也と云う人が来たぜ」 「道也先生?」 「だろうと思うのさ。余り沢山ある名じゃないから」 「聞いて見たかい」 「聞こうと思ったが、何だかきまりが悪るかったからやめた」 「なぜ」 「だって、あなたは中学校で生徒から追い出された事はありませんかとも聞けまいじゃないか」 「追い出されましたかと聞かなくってもいいさ」 「しかし容易に聞きにくい男だよ。ありゃ、困る人だ。用事よりほかに云わない人だ」 「そんなになったかも知れない。元来何の用で君の所へなんぞ来たのだい」 「なあに、江湖雑誌の記者だって、僕の所へ談話の筆記に来たのさ」 「君の談話をかい。――世の中も妙な事になるものだ。やっぱり金が勝つんだね」 「なぜ」 「なぜって。――可哀想に、そんなに零落したかなあ。――君道也先生、どんな、服装をしていた」 「そうさ、あんまり立派じゃないね」 「立派でなくっても、まあどのくらいな服装をしていた」 「そうさ。どのくらいとも云い悪いが、そうさ、まあ君ぐらいなところだろう」 「え、このくらいか、この羽織ぐらいなところか」 「羽織はもう少し色が好いよ」 「袴は」 「袴は木綿じゃないが、その代りもっと皺苦茶だ」 「要するに僕と伯仲の間か」 「要するに君と伯仲の間だ」 「そうかなあ。――君、背の高い、ひょろ長い人だぜ」 「背の高い、顔の細長い人だ」 「じゃ道也先生に違ない。――世の中は随分無慈悲なものだなあ。――君番地を知ってるだろう」 「番地は聞かなかった」 「聞かなかった?」 「うん。しかし江湖雑誌で聞けばすぐわかるさ。何でもほかの雑誌や新聞にも関係しているかも知れないよ。どこかで白井道也と云う名を見たようだ」 音楽会の帰りの馬車や車は最前から絡繹として二人を後ろから追い越して夕暮を吾家へ急ぐ。勇ましく馳けて来た二梃の人力がまた追い越すのかと思ったら、大仏を横に見て、西洋軒のなかに掛声ながら引き込んだ。黄昏の白き靄のなかに、逼り来る暮色を弾き返すほどの目覚しき衣は由ある女に相違ない。中野君はぴたりと留まった。 「僕はこれで失敬する。少し待ち合せている人があるから」 「西洋軒で会食すると云う約束か」 「うんまあ、そうさ。じゃ失敬」と中野君は向へ歩き出す。高柳君は往来の真中へたった一人残された。 淋しい世の中を池の端へ下る。その時一人坊っちの周作はこう思った。「恋をする時間があれば、この自分の苦痛をかいて、一篇の創作を天下に伝える事が出来るだろうに」 見上げたら西洋軒の二階に奇麗な花瓦斯がついていた。
五
ミルクホールに這入る。上下を擦り硝子にして中一枚を透き通しにした腰障子に近く据えた一脚の椅子に腰をおろす。焼麺麭を噛って、牛乳を飲む。懐中には二十円五十銭ある。ただ今地理学教授法の原稿を四十一頁渡して金に換えて来たばかりである。一頁五十銭の割合になる。一頁五十銭を超ゆべからず、一ヵ月五十頁を超ゆべからずと申し渡されてある。 これで今月はどうか、こうか食える。ほかからくれる十円近くの金は故里の母に送らなければならない。故里はもう落鮎の時節である。ことによると崩れかかった藁屋根に初霜が降ったかも知れない。鶏が菊の根方を暴らしている事だろう。母は丈夫かしら。 向うの机を占領している学生が二人、西洋菓子を食いながら、団子坂の菊人形の収入について大に論じている。左に蜜柑をむきながら、その汁を牛乳の中へたらしている書生がある。一房絞っては、文芸倶楽部の芸者の写真を一枚はぐり、一房絞っては一枚はぐる。芸者の絵が尽きた時、彼はコップの中を匙で攪き廻して妙な顔をしている。酸で牛乳が固まったので驚ろいているのだろう。 高柳君はそこに重ねてある新聞の下から雑誌を引きずり出して、あれこれと見る。目的の江湖雑誌は朝日新聞の下に折れていた。折れてはいるがまだ新らしい。四五日前に出たばかりのである。折れた所は六号活字で何だか色鉛筆の赤い圏点が一面についている。僕の恋愛観と云う表題の下に中野春台とある。春台は無論輝一の号である。高柳君は食い欠いた焼麺麭を皿の上へ置いたなり「僕の恋愛観」を見ていたがやがて、にやりと笑った。恋愛観の結末に同じく色鉛筆で色情狂※[#感嘆符三つ、320-13] と書いてある。高柳君は頁をはぐった。六号活字はだいぶ長い。もっともいろいろの人の名前が出ている。一番始めには現代青年の煩悶に対する諸家の解決とある。高柳君は急に読んで見る気になった。――第一は静心の工夫を積めと云う注意だ。積めとはどう積むのかちっともわからない。第二は運動をして冷水摩擦をやれと云う。簡単なものである。第三は読書もせず、世間も知らぬ青年が煩悶する法がないと論じている。無いと云っても有れば仕方がない。第四は休暇ごとに必ず旅行せよと勧告している。しかし旅費の出処は明記してない。――高柳君はあとを読むのが厭になった。颯と引っくりかえして、第一頁をあける。「解脱と拘泥……憂世子」と云うのがある。標題が面白いのでちょっと目を通す。 「身体の局部がどこぞ悪いと気にかかる。何をしていても、それがコダワって来る。ところが非常に健康な人は行住坐臥ともにわが身体の存在を忘れている。一点の局部だにわが注意を集注すべき患所がないから、かく安々と胖かなのである。瘠せて蒼い顔をしている人に、君は胃が悪いだろうと尋ねて見た事がある。するとその男が答えて、胃は少しも故障がない、その証拠には僕はこの年になるが、いまだに胃がどこにあるか知らないと云うた。その時は笑って済んだが、後で考えて見ると大に悟った言葉である。この人は全く胃が健康だから胃に拘泥する必要がない、必要がないから胃がどこにあっても構わないのと見える。自在飲、自在食、いっこう平気である。この男は胃において悟を開いたものである。……」 高柳君はこれは少し妙だよと口のなかで云った。胃の悟りは妙だと云った。 「胃について道い得べき事は、惣身についても道い得べき事である。惣身について道い得べき事は、精神についても道い得べき事である。ただ精神生活においては得失の両面において等しく拘泥を免かれぬところが、身体より煩いになる。 「一能の士は一能に拘泥し、一芸の人は一芸に拘泥して己れを苦しめている。芸能は気の持ちようではすぐ忘れる事も出来る。わが欠点に至っては容易に解脱は出来ぬ。 「百円や二百円もする帯をしめて女が音楽会へ行くとこの帯が妙に気になって音楽が耳に入らぬ事がある。これは帯に拘泥するからである。しかしこれは自慢の例じゃ。得意の方は前云う通り祟りを避け易い。しかし不面目の側はなかなか強情に祟る。昔しさる所で一人の客に紹介された時、御互に椅子の上で礼をして双方共頭を下げた。下げながら、向うの足を見るとその男の靴足袋の片々が破れて親指の爪が出ている。こちらが頭を下げると同時に彼は満足な足をあげて、破れ足袋の上に加えた。この人は足袋の穴に拘泥していたのである。……」 おれも拘泥している。おれのからだは穴だらけだと高柳君は思いながら先へ進む。 「拘泥は苦痛である。避けなければならぬ。苦痛そのものは避けがたい世であろう。しかし拘泥の苦痛は一日で済む苦痛を五日、七日に延長する苦痛である。いらざる苦痛である。避けなければならぬ。 「自己が拘泥するのは他人が自己に注意を集注すると思うからで、つまりは他人が拘泥するからである。……」 高柳君は音楽会の事を思いだした。 「したがって拘泥を解脱するには二つの方法がある。他人がいくら拘泥しても自分は拘泥せぬのが一つの解脱法である。人が目を峙てても、耳を聳やかしても、冷評しても罵詈しても自分だけは拘泥せずにさっさと事を運んで行く。大久保彦左衛門は盥で登城した事がある。……」 高柳君は彦左衛門が羨ましくなった。 「立派な衣装を馬士に着せると馬士はすぐ拘泥してしまう。華族や大名はこの点において解脱の方を得ている。華族や大名に馬士の腹掛をかけさすと、すぐ拘泥してしまう。釈迦や孔子はこの点において解脱を心得ている。物質界に重を置かぬものは物質界に拘泥する必要がないからである。……」 高柳君は冷めかかった牛乳をぐっと飲んで、ううと云った。 「第二の解脱法は常人の解脱法である。常人の解脱法は拘泥を免かるるのではない、拘泥せねばならぬような苦しい地位に身を置くのを避けるのである。人の視聴を惹くの結果、われより苦痛が反射せぬようにと始めから用心するのである。したがって始めより流俗に媚びて一世に附和する心底がなければ成功せぬ。江戸風な町人はこの解脱法を心得ている。芸妓通客はこの解脱法を心得ている。西洋のいわゆる紳士はもっともよくこの解脱法を心得たものである。……」 芸者と紳士がいっしょになってるのは、面白いと、青年はまた焼麺麭の一片を、横合から半円形に食い欠いた。親指についた牛酪をそのまま袴の膝へなすりつけた。 「芸妓、紳士、通人から耶蘇孔子釈迦を見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釈迦から芸妓、紳士、通人を見れば依然として拘泥している。拘泥のうちに拘泥を脱し得たりと得意なるものは彼らである。両者の解脱は根本義において一致すべからざるものである。……」 高柳君は今まで解脱の二字においてかつて考えた事はなかった。ただ文界に立って、ある物になりたい、なりたいがなれない、なれんのではない、金がない、時がない、世間が寄ってたかって己れを苦しめる、残念だ無念だとばかり思っていた。あとを読む気になる。 「解脱は便法に過ぎぬ。下れる世に立って、わが真を貫徹し、わが善を標榜し、わが美を提唱するの際、泥帯水の弊をまぬがれ、勇猛精進の志を固くして、現代下根の衆生より受くる迫害の苦痛を委却するための便法である。この便法を証得し得ざる時、英霊の俊児、またついに鬼窟裏に堕在して彼のいわゆる芸妓紳士通人と得失を較するの愚を演じて憚からず。国家のため悲しむべき事である。 「解脱は便法である。この方便門を通じて出頭し来る行為、動作、言説の是非は解脱の関するところではない。したがって吾人は解脱を修得する前に正鵠にあたれる趣味を養成せねばならぬ。下劣なる趣味を拘泥なく一代に塗抹するは学人の恥辱である。彼らが貴重なる十年二十年を挙げて故紙堆裏に兀々たるは、衣食のためではない、名聞のためではない、ないし爵禄財宝のためではない。微かなる墨痕のうちに、光明の一炬を点じ得て、点じ得たる道火を解脱の方便門より担い出して暗黒世界を遍照せんがためである。 「このゆえに真に自家証得底の見解あるもののために、拘泥の煩を払って、でき得る限り彼らをして第一種の解脱に近づかしむるを道徳と云う。道徳とは有道の士をして道を行わしめんがために、吾人がこれに対して与うる自由の異名である。この大道徳を解せざるものを俗人と云う。 「天下の多数は俗人である。わが位に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。わが富に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。下れるものは、わが酒とわが女に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。 「光明は趣味の先駆である。趣味は社会の油である。油なき社会は成立せぬ。汚れたる油に廻転する社会は堕落する。かの紳士、通人、芸妓の徒は、汚れたる油の上を滑って墓に入るものである。華族と云い貴顕と云い豪商と云うものは門閥の油、権勢の油、黄白の油をもって一世を逆しまに廻転せんと欲するものである。 「真正の油は彼らの知るところではない。彼らは生れてより以来この油について何らの工夫も費やしておらん。何らの工夫を費やさぬものが、この大道徳を解せぬのは許す。光明の学徒を圧迫せんとするに至っては、俗人の域を超越して罪人の群に入る。 「三味線を習うにも五六年はかかる。巧拙を聴き分くるさえ一カ月の修業では出来ぬ。趣味の修養が三味の稽古より易いと思うのは間違っている。茶の湯を学ぶ彼らはいらざる儀式に貴重な時間を費やして、一々に師匠の云う通りになる。趣味は茶の湯より六ずかしいものじゃ。茶坊主に頭を下げる謙徳があるならば、趣味の本家たる学者の考はなおさら傾聴せねばならぬ。 「趣味は人間に大切なものである。楽器を壊つものは社会から音楽を奪う点において罪人である。書物を焼くものは社会から学問を奪う点において罪人である。趣味を崩すものは社会そのものを覆えす点において刑法の罪人よりもはなはだしき罪人である。音楽はなくとも吾人は生きている、学問がなくても吾人はいきている。趣味がなくても生きておられるかも知れぬ。しかし趣味は生活の全体に渉る社会の根本要素である。これなくして生きんとするは野に入って虎と共に生きんとすると一般である。 「ここに一人がある。この一人が単に自己の思うようにならぬと云う源因のもとに、多勢が朝に晩に、この一人を突つき廻わして、幾年の後この一人の人格を堕落せしめて、下劣なる趣味に誘い去りたる時、彼らは殺人より重い罪を犯したのである。人を殺せば殺される。殺されたものは社会から消えて行く。後患は遺さない。趣味の堕落したものは依然として現存する。現存する以上は堕落した趣味を伝染せねばやまぬ。彼はペストである。ペストを製造したものはもちろん罪人である。 「趣味の世界にペストを製造して罰せられんのは人殺しをして罰せられんのと同様である。位地の高いものはもっともこの罪を犯しやすい。彼らは彼らの社会的地位からして、他に働きかける便宜の多い場所に立っている。他に働きかける便宜を有して、働きかける道を弁えぬものは危険である。 「彼らは趣味において専門の学徒に及ばぬ。しかも学徒以上他に働きかけるの能力を有している。能力は権利ではない。彼らのあるものはこの区別さえ心得ておらん。彼らの趣味を教育すべくこの世に出現せる文学者を捕えてすらこれを逆しまに吾意のごとくせんとする。彼らは単に大道徳を忘れたるのみならず、大不道徳を犯して恬然として社会に横行しつつあるのである。 「彼らの意のごとくなる学徒があれば、自己の天職を自覚せざる学徒である。彼らを教育する事の出来ぬ学徒があれば腰の抜けたる学徒である。学徒は光明を体せん事を要す。光明より流れ出ずる趣味を現実せん事を要す。しかしてこれを現実せんがために、拘泥せざらん事を要す。拘泥せざらんがために解脱を要す」 高柳君は雑誌を開いたまま、茫然として眼を挙げた。正面の柱にかかっている、八角時計がぼうんと一時を打つ。柱の下の椅子にぽつ然と腰を掛けていた小女郎が時計の音と共に立ち上がった。丸テーブルの上には安い京焼の花活に、浅ましく水仙を突きさして、葉の先が黄ばんでいるのを、いつまでもそのままに水をやらぬ気と見える。小女郎は水仙の花にちょっと手を触れて、花活のそばにある新聞をとり上げた。読むかと思ったら四つに畳んで傍に置いた。この女は用もないのに立ち上がったのである。退屈のあまり、ぼうんを聞いて器械的に立ち上がったのである。羨ましい女だと高柳君はすぐ思う。 菊人形の収入についての議論は片づいたと見えて、二人の学生は煙草をふかして往来を見ている。 「おや、富田が通る」と一人が云う。 「どこに」と一人が聞く。富田君は三寸ばかり開いていた硝子戸の間をちらと通り抜けたのである。 「あれは、よく食う奴じゃな」 「食う、食う」と答えたところによるとよほど食うと見える。 「人間は食う割に肥らんものだな。あいつはあんなに食う癖にいっこう肥えん」 「書物は沢山読むが、ちっとも、えろうならんのがおると同じ事じゃ」 「そうよ。御互に勉強はなるべくせん方がいいの」 「ハハハハ。そんなつもりで云ったんじゃない」 「僕はそう云うつもりにしたのさ」 「富田は肥らんがなかなか敏捷だ。やはり沢山食うだけの事はある」 「敏捷な事があるものか」 「いや、この間四丁目を通ったら、後ろから出し抜けに呼ぶものがあるから、振り反ると富田だ。頭を半分刈ったままで、大きな敷布のようなものを肩から纏うている」 「元来どうしたのか」 「床屋から飛び出して来たのだ」 「どうして」 「髪を刈っておったら、僕の影が鏡に写ったものだから、すぐ馳け出したんだそうだ」 「ハハハハそいつは驚ろいた」 「おれも驚ろいた。そうして尚志会の寄附金を無理に取って、また床屋へ引き返したぜ」 「ハハハハなるほど敏捷なものだ。それじゃ御互になるべく食う事にしよう。敏捷にせんと、卒業してから困るからな」 「そうよ。文学士のように二十円くらいで下宿に屏息していては人間と生れた甲斐はないからな」 高柳君は勘定をして立ち上った。ありがとうと云う下女の声に、文芸倶楽部の上につっ伏していた書生が、赤い眼をとろつかせて、睨めるように高柳君を見た。牛の乳のなかの酸に中毒でもしたのだろう。
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