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野分(のわき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-18 9:09:38 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


        四

「どこへ行く」と中野君が高柳君をつらまえた。所は動物園の前である。太い桜のみきが黒ずんだ色のなかから、銀のような光りを秋の日に射返して、こずえを離れる病葉わくらばは風なき折々行人こうじんの肩にかかる。足元には、ここかしこに枝を辞したる古いやつががさついている。
 色は様々である。鮮血を日にさらして、七日なぬかの間ごとにその変化を葉裏に印して、注意なく一枚のなかに畳み込めたら、こんな色になるだろうと高柳君はさっきからながめていた。血を連想した時高柳君はわきの下から何か冷たいものが襯衣シャツに伝わるような気分がした。ごほんと取り締りのないせきを一つする。
 形も様々である。火にあぶったかきもちなりは千差万別であるが、我も我もとみんなかえる。桜の落葉もがさがさにり返って、反り返ったまま吹く風に誘われて行く。水気みずけのないものには未練も執着もない。飄々ひょうひょうとしてわが行末を覚束おぼつかない風に任せて平気なのは、死んだあとの祭りに、から騒ぎにはしゃぐ了簡りょうけんかも知れぬ。風にめぐる落葉とさらわれて行くかんなくずとは一種の気狂きちがいである。ただ死したるものの気狂である。高柳君は死と気狂とを自然界に点綴てんてつした時、せた両肩をそびやかして、またごほんと云ううつろなせきを一つした。
 高柳君はこの瞬間に中野君からつらまえられたのである。ふと気がついて見ると世は太平である。空は朗らかである。美しい着物をきた人が続々行く。相手は薄羅紗うすらしゃ外套がいとう恰好かっこうのいい姿を包んで、あごの下に真珠の留針とめばりを輝かしている。――高柳君は相手の姿を見守ったなり黙っていた。
「どこへ行く」と青年は再び問うた。
「今図書館へ行った帰りだ」と相手はようやく答えた。
「また地理学教授法じゃないか。ハハハハ。何だか不景気な顔をしているね。どうかしたかい」
「近頃は喜劇のめんをどこかへ遺失おとしてしまった」
「また新橋の先までがしに行って、拳突けんつくを喰ったんじゃないか。つまらない」
「新橋どころか、世界中探がしてあるいても落ちていそうもない。もう、御やめだ」
「何を」
「何でも御やめだ」
「万事御やめか。当分御やめがよかろう。万事御やめにして僕といっしょに来たまえ」
「どこへ」
「今日はそこに慈善音楽会があるんで、切符を二枚買わされたんだが、ほかに誰もがないから、ちょうどいい。君行きたまえ」
「いらない切符などを買うのかい。もったいない事をするんだな」
「なに義理だから仕方がない。おやじが買ったんだが、おやじは西洋音楽なんかわからないからね」
「それじゃ余った方を送ってやればいいのに」
「実は君の所へ送ろうと思ったんだが……」
「いいえ。あすこへさ」
「あすことは。――うん。あすこか。何、ありゃ、いいんだ。自分でも買ったんだ」
 高柳君は何とも返事をしないで、相手を真正面から見ている。中野君は少々恐縮の微笑をらして、右の手に握ったままの、山羊やぎの手袋で外套がいとうの胸をぴしゃぴしゃたたき始めた。
穿めもしない手袋を握ってあるいてるのは何のためだい」
「なに、今ちょっと隠袋ポッケットから出したんだ」と云いながら中野君は、すぐ手袋をかくしのうちに収めた。高柳君の癇癪かんしゃくはこれで少々治おさまったようである。
 ところへ後ろからエーイと云う掛声がしてひづめの音が風を動かしてくる。両人ふたりは足早に道傍みちばたへ立ち退いた。黒塗くろぬりのランドーのおおいを、秋の日の暖かきに、払い退けた、中には絹帽シルクハットが一つ、美しいくれないの日傘ひがさが一つ見えながら、両人の前を通り過ぎる。
「ああ云う連中が行くのかい」と高柳君があごで馬車の後ろ影をす。
「あれは徳川侯爵だよ」と中野君は教えた。
「よく、知ってるね。君はあの人の家来かい」
「家来じゃない」と中野君は真面目まじめに弁解した。高柳君は腹のなかでまたちょっと愉快を覚えた。
「どうだい行こうじゃないか。時間がおくれるよ」
「おくれると逢えないと云うのかね」
 中野君は、すこし赤くなった。怒ったのか、弱点をつかれたためか、恥ずかしかったのか、わかるのは高柳君だけである。
「とにかく行こう。君はなんでも人の集まる所やなにかを嫌ってばかりいるから、一人坊ひとりぼっちになってしまうんだよ」
 打つものは打たれる。参るのは今度こそ高柳君の番である。一人坊っちと云う言葉を聞いた彼は、耳がしいんと鳴って、非常に淋しい気持がした。
「いやかい。いやなら仕方がない。僕は失敬する」
 相手は同情の笑をたたえながら半歩くびすをめぐらしかけた。高柳君はまた打たれた。
「いこう」と単簡たんかんに降参する。彼が音楽会へ臨むのは生れてから、これが始めてである。
 玄関にかかった時は受付が右へ左りへの案内で忙殺ぼうさつされて、接待掛りの胸につけた、青いリボンを見失うほど込み合っていた。突き当りを右へ折れるのが上等で、左りへ曲がるのが並等である。下等はないそうだ。中野君は無論上等である。高柳君を顧みながら、こっちだよと、さも物馴ものなれたさまに云う。今日に限って、特別に下等席を設けて貰って、そこへ自分だけ這入はいっていて見たいと一人坊っちの青年は、中野君のあとをつきながら階段を上ぼりつつ考えた。おのれの右をのぼる人も、左りを上る人も、またあとからぞろぞろついて来るものも、皆異種類の動物で、わざと自分を包囲して、のっぴきさせず二階の大広間へ押し上げた上、あとから、慰み半分に手をって笑う策略さくりゃくのように思われた。後ろを振り向くと、下からみどりのしたたる束髪そくはつ脳巓のうてんが見える。コスメチックで奇麗きれいな一直線を七分三分の割合にり出した頭蓋骨ずがいこつが見える。これらの頭が十も二十も重なり合って、もう高柳周作は一歩でも退く事はならぬとせり上がってくる。
 楽堂の入口を這入はいると、かすみに酔うた人のようにぽうっとした。空を隠す茂みのなかを通り抜けていただきじ登った時、思いも寄らぬ、眼の下に百里のながめが展開する時の感じはこれである。演奏台ははるかの谷底にある。近づくためには、登り詰めた頂から、規則正しく排列された人間の間を一直線に縫うがごとくに下りて、自然とせま擂鉢すりばちの底に近寄らねばならぬ。擂鉢すりばちの底は半円形を劃して空に向って広がる内側面には人間のへいが段々に横輪をえがいている。七八段を下りた高柳君は念のために振り返って擂鉢の側面を天井てんじょうまで見上げた時、目がちらちらしてちょっと留った。excuse me と云って、大きな異人が、高柳君をおおいかぶせるようにして、一段下へ通り抜けた。駝鳥だちょうの白い毛が鼻の先にふらついて、品のいい香りがぷんとする。あとから、脳巓のうてん禿げた大男が絹帽シルクハットを大事そうに抱えて身を横にして女につきながら、二人をり抜ける。
「おい、あすこに椅子が二ついている」と物馴ものなれた中野君は階段を横へ切れる。並んでいる人は席を立って二人を通す。自分だけであったら、誰も席を立ってくれるものはあるまいと高柳君は思った。
「大変な人だね」と椅子に腰をおろしながら中野君は満場を見廻わす。やがて相手の服装に気がついた時、急に小声になって、
「おい、帽子をとらなくっちゃ、いけないよ」と云う。
 高柳君は卒然として帽子を取って、左右をちょっと見た。三四人の眼が自分の頭の上にそそがれていたのを発見した時、やっぱり包囲攻撃だなと思った。なるほど帽子をかぶっていたものはこの広い演奏場に自分一人である。
外套がいとうは着ていてもいいのか」と中野君に聞いて見る。
「外套は構わないんだ。しかしあつ過ぎるから脱ごうか」と中野君はちょっと立ち上がって、外套のえりを三寸ばかりと返したら、左のそでがするりと抜けた、右の袖を抜くとき、えりのあたりをつまんだと思ったら、裏をおもてに、外套ははや畳まれて、椅子いす背中せなかを早くも隠した。下は仕立したておろしのフロックに、近頃流行はやる白いスリップが胴衣チョッキ胸開むねあきを沿うて細い筋を奇麗きれいにあらわしている。高柳君はなるほどいい手際てぎわだとうらやましく眺めていた。中野君はどういうものか容易に坐らない。片手を椅子の背にたせて、立ちながら後ろから、左右へかけて眺めている。多くの人の視線は彼の上に落ちた。中野君は平気である。高柳君はこの平気をまたうらやましく感じた。
 しばらくすると、中野君は千以上陳列せられたる顔のなかで、ようやくあるものを物色し得たごとく、豊かなる双頬そうきょう愛嬌あいきょううずを浮かして、かろ何人なんびとにか会釈えしゃくした。高柳君は振り向かざるを得ない。友の挨拶あいさつはどのへんに落ちたのだろうと、こそばゆくも首をじ向けて、ななめに三段ばかり上を見ると、たちまち目つかった。黒い髪のただ中に黄の勝った大きなリボンのちょうさっとひらめかして、細くうねる頸筋くびすじを今真直に立て直す女の姿が目つかった。くれないは眼のふちを薄く染めて、うるおった眼睫まつげの奥から、人の世を夢の底に吸い込むような光りを中野君の方に注いでいる。高柳君はすわやと思った。
 わが穿はかま小倉こくらである。羽織は染めがげて、濁った色の上にあか容赦ようしゃなく日光を反射する。湯には五日前に這入はいったぎりだ。襯衣シャツを洗わざる事は久しい。音楽会と自分とはとうてい両立するものでない。わが友と自分とは?――やはり両立しない。友のハイカラ姿とこの魔力ある眼の所有者とは、千里を隔てても無線の電気がかかるべく作られている。この一堂のうち綺羅きらかおりをぎ、和楽のあたたかみを吸うて、落ち合うからは、二人の魂は無論の事、けて流れて、かき鳴らすこといとの細きうちにも、めぐり合わねばならぬ。演奏会は数千の人を集めて、数千の人はことごとく双手そうしゅげながらこの二人を歓迎している。同じ数千の人はことごとく五はじいて、われ一人を排斥している。高柳君はこんな所へ来なければよかったと思った。友はそんな事を知りようがない。
「もう時間だ、始まるよ」と活版に刷った曲目を見ながら云う。
「そうか」と高柳君は器械的に眼を活版の上に落した。
 一、バイオリン、セロ、ピヤノ合奏とある。高柳君はセロの何物たるを知らぬ。二、ソナタ……ベートーベン作とある。名前だけは心得ている。三、アダジョ……パァージャル作とある。これも知らぬ。四、と読みかけた時拍手はくしゅの音が急にはりを動かして起った。演奏者はすでに台上に現われている。
 やがて三部合奏曲は始まった。満場は化石したかのごとく静かである。右手の窓の外に、高いもみの木が半分見えて後ろははるかの空の国に入る。左手のみどりの窓掛けをれて、澄み切った秋の日がななめに白い壁を明らかに照らす。
 曲は静かなる自然と、静かなる人間のうちに、快よく進行する。中野は絢爛けんらんたる空気の振動を鼓膜こまくに聞いた。声にも色があるとうれしく感じている。高柳は樅の枝を離るるとびの舞うさまを眺めている。鳶が音楽に調子を合せて飛んでいる妙だなと思った。
 拍手がまたさかんに起る。高柳君ははっと気がついた。自分はやはり異種類の動物のなかに一人坊ひとりぼっちでおったのである。隣りを見ると中野君は一生懸命にたたいている。高い高い鳶の空から、おのれをこの窮屈きゅうくつな谷底に呼び返したものの一人は、われを無理矢理にここへ連れ込んだ友達である。
 演奏は第二に移る。千余人の呼吸は一度にやむ。高柳君の心はまた豊かになった。窓の外を見ると鳶はもう舞っておらぬ。眼を移して天井てんじょうを見る。周囲一尺もあろうと思われる梁の六角形にけずられたのが三本ほど、楽堂をたてつらぬいている、後ろはどこまで通っているか、かしらめぐらさないから分らぬ。所々に模様にくずした草花が、長いつると共に六角をからんでいる。仰向あおむいて見ていると広い御寺のなかへでも這入はいった心持になる。そうして黄色い声や青い声が、梁をまと唐草からくさのように、もつれ合って、天井からってくる。高柳君は無人むにんきょうに一人坊っちでたたずんでいる。
 三度目の拍手が、断わりもなくまた起る。隣りの友達は人一倍けたたましい敲き方をする。無人の境におった一人坊っちが急に、あられのごとき拍手のなかに包囲された一人坊っちとなる。包囲はなかなかまぬ。演奏者がたつはいしてわがしつに入らんとする間際まぎわになおなおはげしくなった。ヴァイオリンを温かに右の腋下えきかまもりたる演奏者は、ぐるりと戸側とぎわたいめぐらして、薄紅葉うすもみじを点じたる裾模様すそもようを台上に動かして来る。狂うばかりに咲き乱れたる白菊の花束を、ひるがえるそでの影に受けとって、なよやかなる上躯じょうくを聴衆の前に、少しくかがめたる時、高柳は感じた。――この女の楽をいたのは、聴かされたのではない。聴かさぬと云うを、ひそかに忍び寄りて、ぬすみ聴いたのである。
 演奏は喝采かっさいのどよめきの静まらぬうちにまた始まる。聴衆はとっさの際にことごとく死んでしまう。高柳君はまた自由になった。何だか広い原にただ一人立って、はるかの向うから熟柿じゅくしのような色の暖かい太陽が、のっとのぼってくる心持ちがする。小供のうちはこんな感じがよくあった。今はなぜこう窮屈になったろう。右を見ても左を見ても人は我を擯斥ひんせきしているように見える。たった一人の友達さえ肝心かんじんのところで無残むざんの手をぱちぱちたたく。たよる所がなければ親の所へ逃げ帰れと云う話もある。その親があれば始からこんなにはならなかったろう。七つの時おやじは、どこかへ行ったなり帰って来ない。友達はそれから自分と遊ばなくなった。母に聞くと、おとっさんは今に帰る今に帰ると云った。母は帰らぬ父を、帰ると云ってだましたのである。その母は今でもいる。住みるした家を引き払って、生れた町から三里の山奥に一人びしく暮らしている。卒業をすれば立派になって、東京へでも引き取るのが子の義務である。逃げて帰れば親子共えて死ななければならん。――たちまち拍手の声が一面にき返る。
「今のは面白かった。今までのうち一番よく出来た。非常に感じをよく出す人だ。――どうだい君」と中野君が聞く。
「うん」
「君面白くないか」
「そうさな」
「そうさなじゃ困ったな。――おいあすこの西洋人の隣りにいる、こまかい友禅ゆうぜんの着物を着ている女があるだろう。――あんな模様が近頃流行はやるんだ。派出はでだろう」
「そうかなあ」
「君はカラー・センスのない男だね。ああ云う派出な着物は、集会の時や何かにはごくいいのだね。遠くから見て、見醒みざめがしない。うつくしくっていい」
「君のあれも、同じようなのを着ているね」
「え、そうかしら、何、ありゃ、いい加減かげんに着ているんだろう」
「いい加減に着ていれば弁解になるのかい」
 中野君はちょっと会話をやめた。左の方に鼻眼鏡はなめがねをかけて揉上もみあげ容赦ようしゃなく、耳の上でり落した男が帳面を出してしきりに何か書いている。
「ありゃ、音楽の批評でもする男かな」と今度は高柳君が聞いた。
「どれ、――あの男か、あの黒服を着た。なあに、あれはね。画工えかきだよ。いつでも来る男だがね、来るたんびに写生帖を持って来て、人の顔を写している」
「断わりなしにか」
「まあ、そうだろう」
「泥棒だね。顔泥棒だ」
 中野君は小さい声でくくと笑った。休憩時間は十ぷんである。廊下へ出るもの、喫煙に行くもの、用をして帰るもの、が高柳君の眼に写る。女は小供の時見た、豊国とよくに田舎源氏いなかげんじを一枚一枚はぐって行く時の心持である。男は芳年よしとしの書いた討ち入り当夜の義士が動いてるようだ。ただ自分が彼らの眼にどう写るであろうかと思うと、早く帰りたくなる。自分の左右前後は活動している。うつくしく活動している。しかし衣食のために活動しているのではない。娯楽のために活動している。胡蝶こちょうの花にたわむるるがごとく、浮藻うきもさざなみなびくがごとく、実用以上の活動を示している。この堂に入るものは実用以上に余裕のある人でなくてはならぬ。
 自分の活動は食うか食わぬかの活動である。和煦わくの作用ではない粛殺しゅくさつの運行である。げんたる天命に制せられて、無条件に生をけたる罪業ざいごうつぐなわんがために働らくのである。頭から云えば胡蝶のごとく、かく翩々へんぺんたる公衆のいずれをとらきたって比較されても、少しもはずかしいとは思わぬ。云いたき事、云うて人が点頭うなずく事、云うて人がたっとぶ事はないから云わぬのではない。生活の競争にすべての時間をささげて、云うべき機会を与えてくれぬからである。われが云いたくて云われぬ事は、世が聞きたくても聞かれぬ事は、天がわが手をばくするからである。人がわが口をかんするからである。巨万の富をわれに与えて、一銭も使うなかれと命ぜられたる時は富なきむかしの心安きに帰るあたわずして、めいを下せる人をさかしまにのろわんとす。われはのろい死にに死なねばならぬか。――たちまち咽喉のどふさがって、ごほんごほんとる。たもとからハンケチを出してたんを取る。買った時の白いのが、妙な茶色に変っている。顔をげると、肩から観世かんぜよりのように細い金鎖きんぐさりをけて、朱に黄をまじえた厚板の帯の間に時計を隠した女が、列のはずれに立って、中野君に挨拶あいさつしている。
「よう、いらっしゃいました」と可愛らしい二重瞼ふたえまぶたを細めに云う。
「いや、だいぶ盛会ですね。冬田さんは非常な出来でしたな」と中野君は半身を、女の方へ向けながら云う。
「ええ、大喜びで……」と云い捨てて下りて行く。
「あの女を知ってるかい」
「知るものかね」と高柳君は拳突けんつくを喰わす。
 相手は驚ろいて黙ってしまった。途端とたんに休憩後の演奏は始まる。「四葉よつば苜蓿花うまごやし」とか云うものである。曲の続く間は高柳君はうつらうつらと聴いている。ぱちぱちと手が鳴ると熱病の人が夢からめたように我に帰る。この過程を二三度繰り返して、最後の幻覚からび醒まされた時は、タンホイゼルのマーチで銅鑼どらたた大喇叭おおらっぱを吹くところであった。
 やがて、千余人の影は一度に動き出した。二人の青年はまれながらに門を出た。
 日はようやく暮れかかる。図書館の横手にそびえる松の林が緑りの色をかすかに残して、しだいに黒い影に変って行く。
「寒くなったね」
 高柳君の答は力の抜けたせき二つであった。
「君さっきから、咳をするね。妙な咳だぜ。医者にでも見て貰ったら、どうだい」
「何、大丈夫だ」と云いながら高柳君はとがった肩を二三度ゆすぶった。松林を横切って、博物館の前に出る。大きな銀杏いちょう墨汁ぼくじゅうてんじたような滴々てきてきからすが乱れている。暮れて行く空に輝くは無数の落葉である。今は風さえ出た。
「君二三日前にさんちまえ白井道也しらいどうやと云う人が来たぜ」
「道也先生?」
「だろうと思うのさ。余り沢山ある名じゃないから」
「聞いて見たかい」
「聞こうと思ったが、何だかきまりが悪るかったからやめた」
「なぜ」
「だって、あなたは中学校で生徒から追い出された事はありませんかとも聞けまいじゃないか」
「追い出されましたかと聞かなくってもいいさ」
「しかし容易に聞きにくい男だよ。ありゃ、困る人だ。用事よりほかに云わない人だ」
「そんなになったかも知れない。元来何の用で君の所へなんぞ来たのだい」
「なあに、江湖雑誌こうこざっしの記者だって、僕の所へ談話の筆記に来たのさ」
「君の談話をかい。――世の中も妙な事になるものだ。やっぱり金が勝つんだね」
「なぜ」
「なぜって。――可哀想かわいそうに、そんなに零落れいらくしたかなあ。――君道也先生、どんな、服装なりをしていた」
「そうさ、あんまり立派じゃないね」
「立派でなくっても、まあどのくらいな服装をしていた」
「そうさ。どのくらいとも云いにくいが、そうさ、まあ君ぐらいなところだろう」
「え、このくらいか、この羽織ぐらいなところか」
「羽織はもう少し色がいよ」
はかまは」
「袴は木綿もめんじゃないが、その代りもっと皺苦茶しわくちゃだ」
「要するに僕と伯仲はくちゅうの間か」
「要するに君と伯仲の間だ」
「そうかなあ。――君、せいの高い、ひょろ長い人だぜ」
「背の高い、顔の細長い人だ」
「じゃ道也先生に違ない。――世の中は随分無慈悲むじひなものだなあ。――君番地を知ってるだろう」
「番地は聞かなかった」
「聞かなかった?」
「うん。しかし江湖雑誌こうこざっしで聞けばすぐわかるさ。何でもほかの雑誌や新聞にも関係しているかも知れないよ。どこかで白井道也と云う名を見たようだ」
 音楽会の帰りの馬車や車は最前さいぜんから絡繹らくえきとして二人を後ろから追い越して夕暮を吾家わがやへ急ぐ。勇ましくけて来た二ちょう人力じんりきがまた追い越すのかと思ったら、大仏を横に見て、西洋軒のなかに掛声ながら引き込んだ。黄昏たそがれの白きもやのなかに、せまり来る暮色をはじき返すほどの目覚めざましききぬよしある女に相違ない。中野君はぴたりと留まった。
「僕はこれで失敬する。少し待ち合せている人があるから」
「西洋軒で会食すると云う約束か」
「うんまあ、そうさ。じゃ失敬」と中野君はむこうへ歩き出す。高柳君は往来の真中へたった一人残された。
 淋しい世の中をいけはたくだる。その時一人坊っちの周作はこう思った。「恋をする時間があれば、この自分の苦痛をかいて、一篇の創作を天下に伝える事が出来るだろうに」
 見上げたら西洋軒の二階に奇麗きれい花瓦斯はなガスがついていた。

        五

 ミルクホールに這入はいる。上下うえした硝子ガラスにして中一枚をとおしにした腰障子こししょうじに近くえた一脚の椅子いすに腰をおろす。焼麺麭やきパンかじって、牛乳を飲む。懐中には二十円五十銭ある。ただ今地理学教授法の原稿を四十一頁渡して金にえて来たばかりである。一頁五十銭の割合になる。一頁五十銭をゆべからず、一ヵ月五十頁を超ゆべからずと申し渡されてある。
 これで今月はどうか、こうか食える。ほかからくれる十円近くの金は故里ふるさとの母に送らなければならない。故里ふるさとはもう落鮎おちあゆの時節である。ことによるとくずれかかった藁屋根わらやね初霜はつしもが降ったかも知れない。にわとりが菊の根方をらしている事だろう。母は丈夫かしら。
 向うの机を占領している学生が二人、西洋菓子を食いながら、団子坂だんござかの菊人形の収入についておおいに論じている。左に蜜柑みかんをむきながら、そのしるを牛乳の中へたらしている書生がある。一房絞ひとふさしぼっては、文芸倶楽部ぶんげいくらぶの芸者の写真を一枚はぐり、一房しぼっては一枚はぐる。芸者の絵が尽きた時、彼はコップの中をさじき廻して妙な顔をしている。さんで牛乳が固まったので驚ろいているのだろう。
 高柳君はそこに重ねてある新聞の下から雑誌を引きずり出して、あれこれと見る。目的の江湖雑誌こうこざっしは朝日新聞の下に折れていた。折れてはいるがまだ新らしい。四五日前に出たばかりのである。折れた所は六号活字で何だか色鉛筆の赤い圏点けんてんが一面についている。僕の恋愛観と云う表題の下に中野春台なかのしゅんたいとある。春台は無論輝一きいちの号である。高柳君は食い欠いた焼麺麭やきパンを皿の上へ置いたなり「僕の恋愛観」を見ていたがやがて、にやりと笑った。恋愛観の結末に同じく色鉛筆で色情狂※[#感嘆符三つ、320-13] と書いてある。高柳君は頁をはぐった。六号活字はだいぶ長い。もっともいろいろの人の名前が出ている。一番始めには現代青年の煩悶はんもんに対する諸家の解決とある。高柳君は急に読んで見る気になった。――第一は静心せいしん工夫くふうを積めと云う注意だ。積めとはどう積むのかちっともわからない。第二は運動をして冷水摩擦れいすいまさつをやれと云う。簡単なものである。第三は読書もせず、世間も知らぬ青年が煩悶はんもんする法がないと論じている。無いと云っても有れば仕方がない。第四は休暇ごとに必ず旅行せよと勧告している。しかし旅費の出処は明記してない。――高柳君はあとを読むのがいやになった。さっと引っくりかえして、第一頁をあける。「解脱げだつ拘泥こうでい……憂世子ゆうせいし」と云うのがある。標題が面白いのでちょっと目を通す。
身体からだの局部がどこぞ悪いと気にかかる。何をしていても、それがコダワって来る。ところが非常に健康な人は行住坐臥ぎょうじゅうざがともにわが身体の存在を忘れている。一点の局部だにわが注意を集注すべき患所かんしょがないから、かく安々とゆたかなのである。せてあおい顔をしている人に、君は胃が悪いだろうと尋ねて見た事がある。するとその男が答えて、胃は少しも故障がない、その証拠には僕はこの年になるが、いまだに胃がどこにあるか知らないと云うた。その時は笑って済んだが、あとで考えて見るとおおいさとった言葉である。この人は全く胃が健康だから胃に拘泥こうでいする必要がない、必要がないから胃がどこにあっても構わないのと見える。自在飲じざいいん自在食じざいしょく、いっこう平気である。この男は胃においてさとりを開いたものである。……」
 高柳君はこれは少し妙だよと口のなかで云った。胃の悟りは妙だと云った。
「胃についてい得べき事は、惣身そうしんについても道い得べき事である。惣身について道い得べき事は、精神についてもい得べき事である。ただ精神生活においては得失の両面において等しく拘泥こうでいまぬかれぬところが、身体からだよりわずらいになる。
一能いちのうは一能に拘泥こうでいし、一芸いちげいの人は一芸に拘泥しておのれを苦しめている。芸能は気の持ちようではすぐ忘れる事も出来る。わが欠点に至っては容易に解脱げだつは出来ぬ。
「百円や二百円もする帯をしめて女が音楽会へ行くとこの帯が妙に気になって音楽が耳に入らぬ事がある。これは帯に拘泥こうでいするからである。しかしこれは自慢の例じゃ。得意の方は前云う通りたたりを避けやすい。しかし不面目ふめんぼくの側はなかなか強情にたたる。昔しさる所で一人の客に紹介された時、御互に椅子の上で礼をして双方共かしらを下げた。下げながら、向うの足を見るとその男の靴足袋くつたび片々かたかたが破れて親指の爪が出ている。こちらが頭を下げると同時に彼は満足な足をあげて、足袋たびの上に加えた。この人は足袋の穴に拘泥していたのである。……」
 おれも拘泥している。おれのからだは穴だらけだと高柳君は思いながら先へ進む。
「拘泥は苦痛である。避けなければならぬ。苦痛そのものは避けがたい世であろう。しかし拘泥の苦痛は一日で済む苦痛を五日いつか七日なぬかに延長する苦痛である。いらざる苦痛である。避けなければならぬ。
「自己が拘泥するのは他人が自己に注意を集注すると思うからで、つまりは他人が拘泥するからである。……」
 高柳君は音楽会の事を思いだした。
「したがって拘泥を解脱するには二つの方法がある。他人がいくら拘泥しても自分は拘泥せぬのが一つの解脱法である。人が目をそばだてても、耳をそびやかしても、冷評しても罵詈ばりしても自分だけは拘泥せずにさっさと事を運んで行く。大久保彦左衛門おおくぼひこざえもんたらい登城とじょうした事がある。……」
 高柳君は彦左衛門がうらやましくなった。
「立派な衣装いしょう馬士まごに着せると馬士はすぐ拘泥してしまう。華族や大名はこの点において解脱の方を得ている。華族や大名に馬士の腹掛はらがけをかけさすと、すぐ拘泥してしまう。釈迦しゃか孔子こうしはこの点において解脱を心得ている。物質界におもきを置かぬものは物質界に拘泥する必要がないからである。……」
 高柳君はめかかった牛乳をぐっと飲んで、ううと云った。
「第二の解脱法は常人じょうじんの解脱法である。常人の解脱法は拘泥をまぬかるるのではない、拘泥せねばならぬような苦しい地位に身を置くのを避けるのである。人の視聴をくの結果、われより苦痛が反射せぬようにと始めから用心するのである。したがって始めより流俗りゅうぞくびて一世に附和ふわする心底しんていがなければ成功せぬ。江戸風な町人はこの解脱法を心得ている。芸妓通客げいぎつうかくはこの解脱法を心得ている。西洋のいわゆる紳士ゼントルマンはもっともよくこの解脱法を心得たものである。……」
 芸者と紳士ゼントルマンがいっしょになってるのは、面白いと、青年はまた焼麺麭やきパンの一ぺんを、横合から半円形に食い欠いた。親指についた牛酪バタをそのままはかまひざへなすりつけた。
「芸妓、紳士、通人つうじんから耶蘇ヤソ孔子こうし釈迦しゃかを見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釈迦から芸妓、紳士、通人を見れば依然として拘泥こうでいしている。拘泥のうちに拘泥を脱し得たりと得意なるものは彼らである。両者の解脱げだつは根本義において一致すべからざるものである。……」
 高柳君は今まで解脱の二字においてかつて考えた事はなかった。ただ文界に立って、ある物になりたい、なりたいがなれない、なれんのではない、金がない、時がない、世間が寄ってたかっておのれを苦しめる、残念だ無念だとばかり思っていた。あとを読む気になる。
「解脱は便法べんぽうに過ぎぬ。くだれる世に立って、わが真を貫徹し、わが善を標榜ひょうぼうし、わが美を提唱するの際、※(「てへん+施のつくり」、第3水準1-84-74)泥帯水たでいたいすいへいをまぬがれ、勇猛精進ゆうもうしょうじんこころざしを固くして、現代下根げこん衆生しゅじょうより受くる迫害の苦痛を委却いきゃくするための便法である。この便法を証得しょうとくし得ざる時、英霊の俊児しゅんじ、またついに鬼窟裏きくつり堕在だざいして彼のいわゆる芸妓紳士通人と得失をこうするのを演じてはばからず。国家のため悲しむべき事である。
「解脱は便法である。この方便門ほうべんもんを通じて出頭しゅっとうし来る行為、動作、言説の是非は解脱の関するところではない。したがって吾人は解脱を修得する前に正鵠せいこくにあたれる趣味を養成せねばならぬ。下劣なる趣味を拘泥なく一代に塗抹とまつするは学人の恥辱である。彼らが貴重なる十年二十年をげて故紙堆裏こしたいり兀々こつこつたるは、衣食のためではない、名聞みょうもんのためではない、ないし爵禄財宝しゃくろくざいほうのためではない。かすかなる墨痕ぼっこんのうちに、光明の一きょを点じ得て、点じ得たる道火どうかを解脱の方便門よりにないだして暗黒世界を遍照へんじょうせんがためである。
「このゆえに真に自家証得底じかしょうとくてい見解けんげあるもののために、拘泥のはんを払って、でき得る限り彼らをして第一種の解脱に近づかしむるを道徳と云う。道徳とは有道ゆうどうの士をして道を行わしめんがために、吾人がこれに対して与うる自由の異名いみょうである。この大道徳を解せざるものを俗人と云う。
「天下の多数は俗人である。わが位にちゃくするがためにこの大道徳を解し得ぬ。わが富に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。くだれるものは、わが酒とわが女に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。
「光明は趣味の先駆である。趣味は社会の油である。油なき社会は成立せぬ。けがれたる油に廻転する社会は堕落だらくする。かの紳士、通人、芸妓のは、汚れたる油の上をすべって墓に入るものである。華族と云い貴顕きけんと云い豪商と云うものは門閥もんばつの油、権勢けんせいの油、黄白こうはくの油をもって一世をさかしまに廻転せんと欲するものである。
真正しんせいの油は彼らの知るところではない。彼らは生れてより以来この油について何らの工夫くふうも費やしておらん。何らの工夫を費やさぬものが、この大道徳を解せぬのは許す。光明の学徒を圧迫せんとするに至っては、俗人の域を超越して罪人のむれに入る。
三味線しゃみせんを習うにも五六年はかかる。巧拙こうせつを聴き分くるさえ一カ月の修業では出来ぬ。趣味の修養が三味しゃみ稽古けいこよりやすいと思うのは間違っている。茶の湯を学ぶ彼らはいらざる儀式に貴重な時間を費やして、一々に師匠の云う通りになる。趣味は茶の湯よりずかしいものじゃ。茶坊主に頭を下げる謙徳けんとくがあるならば、趣味の本家ほんけたる学者の考はなおさら傾聴せねばならぬ。
「趣味は人間に大切なものである。楽器をこぼつものは社会から音楽を奪う点において罪人である。書物を焼くものは社会から学問を奪う点において罪人である。趣味をくずすものは社会そのものをくつがえす点において刑法の罪人よりもはなはだしき罪人である。音楽はなくとも吾人は生きている、学問がなくても吾人はいきている。趣味がなくても生きておられるかも知れぬ。しかし趣味は生活の全体にわたる社会の根本要素である。これなくして生きんとするは野に入って虎と共に生きんとすると一般である。
「ここに一人いちにんがある。この一人が単に自己の思うようにならぬと云う源因のもとに、多勢たぜいが朝に晩に、この一人を突つき廻わして、幾年ののちこの一人の人格を堕落せしめて、下劣なる趣味に誘い去りたる時、彼らは殺人より重い罪を犯したのである。人を殺せば殺される。殺されたものは社会から消えて行く。後患こうかんのこさない。趣味の堕落したものは依然として現存する。現存する以上は堕落した趣味を伝染せねばやまぬ。彼はペストである。ペストを製造したものはもちろん罪人である。
「趣味の世界にペストを製造して罰せられんのは人殺しをして罰せられんのと同様である。位地の高いものはもっともこの罪をおかしやすい。彼らは彼らの社会的地位からして、他に働きかける便宜べんぎの多い場所に立っている。他に働きかける便宜を有して、働きかける道をわきまえぬものは危険である。
「彼らは趣味において専門の学徒に及ばぬ。しかも学徒以上他に働きかけるの能力を有している。能力は権利ではない。彼らのあるものはこの区別さえ心得ておらん。彼らの趣味を教育すべくこの世に出現せる文学者を捕えてすらこれをさかしまに吾意のごとくせんとする。彼らは単に大道徳を忘れたるのみならず、大不道徳を犯して恬然てんぜんとして社会に横行しつつあるのである。
「彼らの意のごとくなる学徒があれば、自己の天職を自覚せざる学徒である。彼らを教育する事の出来ぬ学徒があれば腰の抜けたる学徒である。学徒は光明を体せん事を要す。光明より流れ出ずる趣味を現実せん事を要す。しかしてこれを現実げんじつせんがために、拘泥こうでいせざらん事を要す。拘泥せざらんがために解脱げだつを要す」
 高柳君は雑誌を開いたまま、茫然ぼうぜんとして眼をげた。正面の柱にかかっている、八角時計がぼうんと一時を打つ。柱の下の椅子いすにぽつねんと腰を掛けていた小女郎こじょろうが時計の音と共に立ち上がった。丸テーブルの上には安い京焼きょうやき花活はないけに、浅ましく水仙を突きさして、葉の先が黄ばんでいるのを、いつまでもそのままに水をやらぬ気と見える。小女郎は水仙の花にちょっと手を触れて、花活はないけのそばにある新聞をとり上げた。読むかと思ったら四つに畳んでかたわらに置いた。この女は用もないのに立ち上がったのである。退屈のあまり、ぼうんを聞いて器械的に立ち上がったのである。うらやましい女だと高柳君はすぐ思う。
 菊人形の収入についての議論は片づいたと見えて、二人の学生は煙草たばこをふかして往来を見ている。
「おや、富田とみたが通る」と一人が云う。
「どこに」と一人が聞く。富田君は三寸ばかり開いていた硝子戸ガラスどの間をちらと通り抜けたのである。
「あれは、よく食うやつじゃな」
「食う、食う」と答えたところによるとよほど食うと見える。
「人間は食うわりふとらんものだな。あいつはあんなに食う癖にいっこうえん」
「書物は沢山読むが、ちっとも、えろうならんのがおると同じ事じゃ」
「そうよ。御互に勉強はなるべくせん方がいいの」
「ハハハハ。そんなつもりで云ったんじゃない」
「僕はそう云うつもりにしたのさ」
「富田はふとらんがなかなか敏捷びんしょうだ。やはり沢山食うだけの事はある」
「敏捷な事があるものか」
「いや、この間四丁目を通ったら、後ろから出し抜けに呼ぶものがあるから、振り反ると富田だ。頭を半分ったままで、大きな敷布のようなものを肩からまとうている」
「元来どうしたのか」
「床屋から飛び出して来たのだ」
「どうして」
「髪を刈っておったら、僕の影が鏡に写ったものだから、すぐけ出したんだそうだ」
「ハハハハそいつは驚ろいた」
「おれも驚ろいた。そうして尚志会しょうしかいの寄附金を無理に取って、また床屋へ引き返したぜ」
「ハハハハなるほど敏捷びんしょうなものだ。それじゃ御互になるべく食う事にしよう。敏捷にせんと、卒業してから困るからな」
「そうよ。文学士のように二十円くらいで下宿に屏息へいそくしていては人間と生れた甲斐かいはないからな」
 高柳君は勘定をして立ち上った。ありがとうと云う下女の声に、文芸倶楽部の上につっ伏していた書生が、赤い眼をとろつかせて、にらめるように高柳君を見た。牛の乳のなかの酸に中毒でもしたのだろう。

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