八
秋は次第に行く。虫の音はようやく細る。 筆硯に命を籠むる道也先生は、ただ人生の一大事因縁に着して、他を顧みるの暇なきが故に、暮るる秋の寒きを知らず、虫の音の細るを知らず、世の人のわれにつれなきを知らず、爪の先に垢のたまるを知らず、蛸寺の柿の落ちた事は無論知らぬ。動くべき社会をわが力にて動かすが道也先生の天職である。高く、偉いなる、公けなる、あるものの方に一歩なりとも動かすが道也先生の使命である。道也先生はその他を知らぬ。 高柳君はそうは行かぬ。道也先生の何事をも知らざるに反して、彼は何事をも知る。往来の人の眼つきも知る。肌寒く吹く風の鋭どきも知る。かすれて渡る雁の数も知る。美くしき女も知る。黄金の貴きも知る。木屑のごとく取り扱わるる吾身のはかなくて、浮世の苦しみの骨に食い入る夕々を知る。下宿の菜の憐れにして芋ばかりなるはもとより知る。知り過ぎたるが君の癖にして、この癖を増長せしめたるが君の病である。天下に、人間は殺しても殺し切れぬほどある。しかしこの病を癒してくれるものは一人もない。この病を癒してくれぬ以上は何千万人いるも、おらぬと同様である。彼は一人坊っちになった。己れに足りて人に待つ事なき呑気な一人坊っちではない。同情に餓え、人間に渇してやるせなき一人坊っちである。中野君は病気と云う、われも病気と思う。しかし自分を一人坊っちの病気にしたものは世間である。自分を一人坊っちの病気にした世間は危篤なる病人を眼前に控えて嘯いている。世間は自分を病気にしたばかりでは満足せぬ。半死の病人を殺さねばやまぬ。高柳君は世間を呪わざるを得ぬ。 道也先生から見た天地は人のためにする天地である。高柳君から見た天地は己れのためにする天地である。人のためにする天地であるから、世話をしてくれ手がなくても恨とは思わぬ。己れのためにする天地であるから、己れをかまってくれぬ世を残酷と思う。 世話をするために生れた人と、世話をされに生れた人とはこれほど違う。人を指導するものと、人にたよるものとはこれほど違う。同じく一人坊っちでありながらこれほど違う。高柳君にはこの違いがわからぬ。 垢染みた布団を冷やかに敷いて、五分刈りが七分ほどに延びた頭を薄ぎたない枕の上に横えていた高柳君はふと眼を挙げて庭前の梧桐を見た。高柳君は述作をして眼がつかれると必ずこの梧桐を見る。地理学教授法を訳して、くさくさすると必ずこの梧桐を見る。手紙を書いてさえ行き詰まるときっとこの梧桐を見る。見るはずである。三坪ほどの荒庭に見るべきものは一本の梧桐を除いてはほかに何にもない。 ことにこの間から、気分がわるくて、仕事をする元気がないので、あやしげな机に頬杖を突いては朝な夕なに梧桐を眺めくらして、うつらうつらとしていた。 一葉落ちてと云う句は古い。悲しき秋は必ず梧桐から手を下す。ばっさりと垣にかかる袷の頃は、さまでに心を動かす縁ともならぬと油断する翌朝またばさりと落ちる。うそ寒いからと早く繰る雨戸の外にまたばさりと音がする。葉はようやく黄ばんで来る。 青いものがしだいに衰える裏から、浮き上がるのは薄く流した脂の色である。脂は夜ごとを寒く明けて、濃く変って行く。婆娑たる命は旦夕に逼る。 風が吹く。どこから来るか知らぬ風がすうと吹く。黄ばんだ梢は動ぐとも見えぬ先に一葉二葉がはらはら落ちる。あとはようやく助かる。 脂は夜ごとの秋の霜にだんだん濃くなる。脂のなかに黒い筋が立つ。箒で敲けば煎餅を折るような音がする。黒い筋は左右へ焼けひろがる。もう危うい。 風がくる。垣の隙から、椽の下から吹いてくる。危ういものは落ちる。しきりに落ちる。危ういと思う心さえなくなるほど梢を離れる。明らさまなる月がさすと枝の数が読まれるくらいあらわに骨が出る。 わずかに残る葉を虫が食う。渋色の濃いなかにぽつりと穴があく。隣りにもあく、その隣りにもぽつりぽつりとあく。一面が穴だらけになる。心細いと枯れた葉が云う。心細かろうと見ている人が云う。ところへ風が吹いて来る。葉はみんな飛んでしまう。 高柳君がふと眼を挙げた時、梧桐はすべてこれらの径路を通り越して、から坊主になっていた。窓に近く斜めに張った枝の先にただ一枚の虫食葉がかぶりついている。 「一人坊っちだ」と高柳君は口のなかで云った。 高柳君は先月あたりから、妙な咳をする。始めは気にもしなかった。だんだん腹に答えのない咳が出る。咳だけではない。熱も出る。出るかと思うとやむ。やんだから仕事をしようかと思うとまた出る。高柳君は首を傾けた。 医者に行って見てもらおうかと思ったが、見てもらうと決心すれば、自分で自分を病気だと認定した事になる。自分で自分の病気を認定するのは、自分で自分の罪悪を認定するようなものである。自分の罪悪は判決を受けるまでは腹のなかで弁護するのが人情である。高柳君は自分の身体を医師の宣告にかからぬ先に弁護した。神経であると弁護した。神経と事実とは兄弟であると云う事を高柳君は知らない。 夜になると時々寝汗をかく。汗で眼がさめる事がある。真暗ななかで眼がさめる。この真暗さが永久続いてくれればいいと思う。夜があけて、人の声がして、世間が存在していると云う事がわかると苦痛である。 暗いなかをなお暗くするために眼を眠って、夜着のなかへ頭をつき込んで、もうこれぎり世の中へ顔が出したくない。このまま眠りに入って、眠りから醒めぬ間に、あの世に行ったら結構だろうと考えながら寝る。あくる日になると太陽は無慈悲にも赫奕として窓を照らしている。 時計を出しては一日に脈を何遍となく験して見る。何遍験しても平脈ではない。早く打ち過ぎる。不規則に打ち過ぎる。どうしても尋常には打たない。痰を吐くたびに眼を皿のようにして眺める。赤いものの見えないのが、せめてもの慰安である。 痰に血の交らぬのを慰安とするものは、血の交る時にはただ生きているのを慰安とせねばならぬ。生きているだけを慰安とする運命に近づくかも知れぬ高柳君は、生きているだけを厭う人である。人は多くの場合においてこの矛盾を冒す。彼らは幸福に生きるのを目的とする。幸福に生きんがためには、幸福を享受すべき生そのものの必要を認めぬ訳には行かぬ。単なる生命は彼らの目的にあらずとするも、幸福を享け得る必須条件として、あらゆる苦痛のもとに維持せねばならぬ。彼らがこの矛盾を冒して塵界に流転するとき死なんとして死ぬ能わず、しかも日ごとに死に引き入れらるる事を自覚する。負債を償うの目的をもって月々に負債を新たにしつつあると変りはない。これを悲酸なる煩悶と云う。 高柳君は床のなかから這い出した。瓦斯糸の蚊絣の綿入の上から黒木綿の羽織を着る。机に向う。やっぱり翻訳をする了簡である。四五日そのままにして置いた机の上には、障子の破れから吹き込んだ砂が一面に軽くたまっている。硯のなかは白く見える。高柳君は面倒だと見えて、塵も吹かずに、上から水をさした。水入に在る水ではない。五六輪の豆菊を挿した硝子の小瓶を花ながら傾けて、どっと硯の池に落した水である。さかに磨り減らした古梅園をしきりに動かすと、じゃりじゃり云う。高柳君は不愉快の眉をあつめた。不愉快の起る前に、不愉快を取り除く面倒をあえてせずして、不愉快の起った時に唇を噛むのはかかる人の例である。彼は不愉快を忍ぶべく余り鋭敏である。しかしてあらかじめこれに備うべくあまり自棄である。 机上に原稿紙を展べた彼は、一時間ほど呻吟してようやく二三枚黒くしたが、やがて打ちやるように筆を擱いた。窓の外には落ち損なった一枚の桐の葉が淋しく残っている。 「一人坊っちだ」と高柳君は口のうちでまた繰り返した。 見るうちに、葉は少しく上に揺れてまた下に揺れた。いよいよ落ちる。と思う間に風ははたとやんだ。 高柳君は巻紙を出して、今度は故里の御母さんの所へ手紙を書き始めた。「寒気相加わり候処如何御暮し被遊候や。不相変御丈夫の事と奉遥察候。私事も無事」とまでかいて、しばらく考えていたが、やがてこの五六行を裂いてしまった。裂いた反古を口へ入れてくちゃくちゃ噛んでいると思ったら、ぽっと黒いものを庭へ吐き出した。 一人坊っちの葉がまた揺れる。今度は右へ左へ二三度首を振る。その振りがようやく収ったと思う頃、颯と音がして、病葉はぽたりと落ちた。 「落ちた。落ちた」と高柳君はさも落ちたらしく云った。 やがて三尺の押入を開けて茶色の中折を取り出す。門口へ出て空を仰ぐと、行く秋を重いものが上から囲んでいる。 「御婆さん、御婆さん」 はいと婆さんが雑巾を刺す手をやめて出て来る。 「傘をとって下さい。わたしの室の椽側にある」 降れば傘をさすまでも歩く考である。どこと云う目的もないがただ歩くつもりなのである。電車の走るのは電車が走るのだが、なぜ走るのだかは電車にもわかるまい。高柳君は自分があるくだけは承知している。しかしなぜあるくのだかは電車のごとく無意識である。用もなく、あてもなく、またあるきたくもないものを無理にあるかせるのは残酷である。残酷があるかせるのだから敵は取れない。敵が取りたければ、残酷を製造した発頭人に向うよりほかに仕方がない。残酷を製造した発頭人は世間である。高柳君はひとり敵の中をあるいている。いくら、あるいてもやっぱり一人坊っちである。 ぽつりぽつりと折々降ってくる。初時雨と云うのだろう。豆腐屋の軒下に豆を絞った殻が、山のように桶にもってある。山の頂がぽくりと欠けて四面から煙が出る。風に連れて煙は往来へ靡く。塩物屋に鮭の切身が、渋びた赤い色を見せて、並んでいる。隣りに、しらす干がかたまって白く反り返る。鰹節屋の小僧が一生懸命に土佐節をささらで磨いている。ぴかりぴかりと光る。奥に婚礼用の松が真青に景気を添える。葉茶屋では丁稚が抹茶をゆっくりゆっくり臼で挽いている。番頭は往来を睨めながら茶を飲んでいる。――「えっ、あぶねえ」と高柳君は突き飛ばされた。 黒紋付の羽織に山高帽を被った立派な紳士が綱曳で飛んで行く。車へ乗るものは勢がいい。あるくものは突き飛ばされても仕方がない。「えっ、あぶねえ」と拳突を喰わされても黙っておらねばならん。高柳君は幽霊のようにあるいている。 青銅の鳥居をくぐる。敷石の上に鳩が五六羽、時雨の中を遠近している。唐人髷に結った半玉が渋蛇の目をさして鳩を見ている。あらい八丈の羽織を長く着て、素足を爪皮のなかへさし込んで立った姿を、下宿の二階窓から書生が顔を二つ出して評している。柏手を打って鈴を鳴らして御賽銭をなげ込んだ後姿が、見ている間にこっちへ逆戻をする。黒縮緬へ三つ柏の紋をつけた意気な芸者がすれ違うときに、高柳君の方に一瞥の秋波を送った。高柳君は鉛を背負ったような重い心持ちになる。 石段を三十六おりる。電車がごうっごうっと通る。岩崎の塀が冷酷に聳えている。あの塀へ頭をぶつけて壊してやろうかと思う。時雨はいつか休んで電車の停留所に五六人待っている。背の高い黒紋付が蝙蝠傘を畳んで空を仰いでいた。 「先生」と一人坊っちの高柳君は呼びかけた。 「やあ妙な所で逢いましたね。散歩かね」 「ええ」と高柳君は答えた。 「天気のわるいのによく散歩するですね。――岩崎の塀を三度周るといい散歩になる。ハハハハ」 高柳君はちょっといい心持ちになった。 「先生は?」 「僕ですか、僕はなかなか散歩する暇なんかないです。不相変多忙でね。今日はちょっと上野の図書館まで調べ物に行ったです」 高柳君は道也先生に逢うと何だか元気が出る。一人坊っちでありながら、こう平気にしている先生が現在世のなかにあると思うと、多少は心丈夫になると見える。 「先生もう少し散歩をなさいませんか」 「そう、少しなら、してもいい。どっちの方へ。上野はもうよそう。今通って来たばかりだから」 「私はどっちでもいいのです」 「じゃ坂を上って、本郷の方へ行きましょう。僕はあっちへ帰るんだから」 二人は電車の路を沿うてあるき出した。高柳君は一人坊っちが急に二人坊っちになったような気がする。そう思うと空も広く見える。もう綱曳から突き飛ばされる気遣はあるまいとまで思う。 「先生」 「何ですか」 「さっき、車屋から突き飛ばされました」 「そりゃ、あぶなかった。怪我をしやしませんか」 「いいえ、怪我はしませんが、腹は立ちました」 「そう。しかし腹を立てても仕方がないでしょう。――しかし腹も立てようによるですな。昔し渡辺崋山が松平侯の供先に粗忽で突き当ってひどい目に逢った事がある。崋山がその時の事を書いてね。――松平侯御横行――と云ってるですが。この御横行の三字が非常に面白いじゃないですか。尊んで御の字をつけてるがその裏に立派な反抗心がある。気概がある。君も綱引御横行と日記にかくさ」 「松平侯って、だれですか」 「だれだか知れやしない。それが知れるくらいなら御横行はしないですよ。その時発憤した崋山はいまだに生きてるが、松平某なるものは誰も知りゃしない」 「そう思うと愉快ですが、岩崎の塀などを見ると頭をぶつけて、壊してやりたくなります」 「頭をぶつけて、壊せりゃ、君より先に壊してるものがあるかも知れない。そんな愚な事を云わずに正々堂々と創作なら、創作をなされば、それで君の寿命は岩崎などよりも長く伝わるのです」 「その創作をさせてくれないのです」 「誰が」 「誰がって訳じゃないですが、出来ないのです」 「からだでも悪いですか」と道也先生横から覗き込む。高柳君の頬は熱を帯びて、蒼い中から、ほてっている。道也は首を傾けた。 「君坂を上がると呼吸が切れるようだが、どこか悪いじゃないですか」 強いて自分にさえ隠そうとする事を言いあてられると、言いあてられるほど、明白な事実であったかと落胆する。言いあてられた高柳君は暗い穴の中へ落ちた。人は知らず、かかる冷酷なる同情を加えて憚からぬが多い。 「先生」と高柳君は往来に立ち留まった。 「何ですか」 「私は病人に見えるでしょうか」 「ええ、まあ、――少し顔色は悪いです」 「どうしても肺病でしょうか」 「肺病? そんな事はないです」 「いいえ、遠慮なく云って下さい」 「肺の気でもあるんですか」 「遺伝です。おやじは肺病で死にました」 「それは……」と云ったが先生返答に窮した。 膀胱にはち切れるばかり水を詰めたのを針ほどの穴に洩らせば、針ほどの穴はすぐ白銅ほどになる。高柳君は道也の返答をきかぬがごとくに、しゃべってしまう。 「先生、私の歴史を聞いて下さいますか」 「ええ、聞きますとも」 「おやじは町で郵便局の役人でした。私が七つの年に拘引されてしまいました」 道也先生は、だまったまま、話し手といっしょにゆるく歩を運ばして行く。 「あとで聞くと官金を消費したんだそうで――その時はなんにも知りませんでした。母にきくと、おとっさんは今に帰る、今に帰ると云ってました。――しかしとうとう帰って来ません。帰らないはずです。肺病になって、牢屋のなかで死んでしまったんです。それもずっとあとで聞きました。母は家を畳んで村へ引き込みました。……」 向から威勢のいい車が二梃束髪の女を乗せてくる。二人はちょっとよける。話はとぎれる。 「先生」 「何ですか」 「だから私には肺病の遺伝があるんです。駄目です」 「医者に見せたですか」 「医者には――見せません。見せたって見せなくったって同じ事です」 「そりゃ、いけない。肺病だって癒らんとは限らない」 高柳君は気味の悪い笑いを洩らした。時雨がはらはらと降って来る。からたち寺の門の扉に碧巌録提唱と貼りつけた紙が際立って白く見える。女学校から生徒がぞろぞろ出てくる。赤や、紫や、海老茶の色が往来へちらばる。 「先生、罪悪も遺伝するものでしょうか」と女学生の間を縫いながら歩を移しつつ高柳君が聞く。 「そんな事があるものですか」 「遺伝はしないでも、私は罪人の子です。切ないです」 「それは切ないに違いない。しかし忘れなくっちゃいけない」 警察署から手錠をはめた囚人が二人、巡査に護送されて出てくる。時雨が囚人の髪にかかる。 「忘れても、すぐ思い出します」 道也先生は少し大きな声を出した。 「しかしあなたの生涯は過去にあるんですか未来にあるんですか。君はこれから花が咲く身ですよ」 「花が咲く前に枯れるんです」 「枯れる前に仕事をするんです」 高柳君はだまっている。過去を顧みれば罪である。未来を望めば病気である。現在は麺麭のためにする写字である。 道也先生は高柳君の耳の傍へ口を持って来て云った。 「君は自分だけが一人坊っちだと思うかも知れないが、僕も一人坊っちですよ。一人坊っちは崇高なものです」 高柳君にはこの言葉の意味がわからなかった。 「わかったですか」と道也先生がきく。 「崇高――なぜ……」 「それが、わからなければ、とうてい一人坊っちでは生きていられません。――君は人より高い平面にいると自信しながら、人がその平面を認めてくれないために一人坊っちなのでしょう。しかし人が認めてくれるような平面ならば人も上ってくる平面です。芸者や車引に理会されるような人格なら低いにきまってます。それを芸者や車引も自分と同等なものと思い込んでしまうから、先方から見くびられた時腹が立ったり、煩悶するのです。もしあんなものと同等なら創作をしたって、やっぱり同等の創作しか出来ない訳だ。同等でなければこそ、立派な人格を発揮する作物も出来る。立派な人格を発揮する作物が出来なければ、彼らからは見くびられるのはもっともでしょう」 「芸者や車引はどうでもいいですが……」 「例はだれだって同じ事です。同じ学校を同じに卒業した者だって変りはありません。同じ卒業生だから似たものだろうと思うのは教育の形式が似ているのを教育の実体が似ているものと考え違した議論です。同じ大学の卒業生が同じ程度のものであったら、大学の卒業生はことごとく後世に名を残すか、またはことごとく消えてしまわなくってはならない。自分こそ後世に名を残そうと力むならば、たとい同じ学校の卒業生にもせよ、ほかのものは残らないのだと云う事を仮定してかからなければなりますまい。すでにその仮定があるなら自分と、ほかの人とは同様の学士であるにもかかわらずすでに大差別があると自認した訳じゃありませんか。大差別があると自任しながら他が自分を解してくれんと云って煩悶するのは矛盾です」 「それで先生は後世に名を残すおつもりでやっていらっしゃるんですか」 「わたしのは少し、違います。今の議論はあなたを本位にして立てた議論です。立派な作物を出して後世に伝えたいと云うのが、あなたの御希望のようだから御話しをしたのです」 「先生のが承る事が出来るなら、教えて頂けますまいか」 「わたしは名前なんてあてにならないものはどうでもいい。ただ自分の満足を得るために世のために働くのです。結果は悪名になろうと、臭名になろうと気狂になろうと仕方がない。ただこう働かなくっては満足が出来ないから働くまでの事です。こう働かなくって満足が出来ないところをもって見ると、これが、わたしの道に相違ない。人間は道に従うよりほかにやりようのないものだ。人間は道の動物であるから、道に従うのが一番貴いのだろうと思っています。道に従う人は神も避けねばならんのです。岩崎の塀なんか何でもない。ハハハハ」 剥げかかった山高帽を阿弥陀に被って毛繻子張りの蝙蝠傘をさした、一人坊っちの腰弁当の細長い顔から後光がさした。高柳君ははっと思う。 往来のものは右へ左へ行く。往来の店は客を迎え客を送る。電車は出来るだけ人を載せて東西に走る。織るがごとき街の中に喪家の犬のごとく歩む二人は、免職になりたての属官と、堕落した青書生と見えるだろう。見えても仕方がない。道也はそれでたくさんだと思う。周作はそれではならぬと思う。二人は四丁目の角でわかれた。
九
小春の日に温め返された別荘の小天地を開いて結婚の披露をする。 愛は偏狭を嫌う、また専有をにくむ。愛したる二人の間に有り余る情を挙げて、博く衆生を潤おす。有りあまる財を抛って多くの賓格を会す。来らざるものは和楽の扇に麾く風を厭うて、寒き雪空に赴く鳧雁の類である。 円満なる愛は触るるところのすべてを円満にす。二人の愛は曇り勝ちなる時雨の空さえも円満にした。――太陽の真上に照る日である。照る事は誰でも知るが、だれも手を翳して仰ぎ見る事のならぬくらい明かに照る日である。得意なるものに明かなる日の嫌なものはない。客は車を駆って東西南北より来る。 杉の葉の青きを択んで、丸柱の太きを装い、頭の上一丈にて二本を左右より平に曲げて続ぎ合せたるをアーチと云う。杉の葉の青きはあまりに厳に過ぐ。愛の郷に入るものは、ただおごそかなる門を潜るべからず。青きものは暖かき色に和げられねばならぬ。 裂けば煙る蜜柑の味はしらず、色こそ暖かい。小春の色は黄である。点々と珠を綴る杉の葉影に、ゆたかなる南海の風は通う。紫に明け渡る夜を待ちかねて、ぬっと出る旭日が、岡より岡を射て、万顆の黄玉は一時に耀く紀の国から、偸み来た香りと思われる。この下を通るものは酔わねば出る事を許されぬ掟である。 緑門の下には新しき夫婦が立っている。すべての夫婦は新らしくなければならぬ。新しき夫婦は美しくなければならぬ。新しく美しき夫婦は幸福でなければならぬ。彼らはこの緑門の下に立って、迎えたる賓客にわが幸福の一分を与え、送り出す朋友にわが幸福の一分を与えて、残る幸福に共白髪の長き末までを耽るべく、新らしいのである、また美くしいのである。 男は黒き上着に縞の洋袴を穿く。折々は雪を欺く白き手拭が黒き胸のあたりに漂う。女は紋つきである。裾を色どる模様の華やかなるなかから浮き上がるがごとく調子よくすらりと腰から上が抜け出でている。ヴィーナスは浪のなかから生れた。この女は裾模様のなかから生れている。 日は明かに女の頸筋に落ちて、角だたぬ咽喉の方はほの白き影となる。横から見るときその影が消えるがごとく薄くなって、判然としたやさしき輪廓に終る。その上に紫のうずまくは一朶の暗き髪を束ねながらも額際に浮かせたのである。金台に深紅の七宝を鏤めたヌーボー式の簪が紫の影から顔だけ出している。 愛は堅きものを忌む。すべての硬性を溶化せねばやまぬ。女の眼に耀く光りは、光りそれ自からの溶けた姿である。不可思議なる神境から双眸の底に漂うて、視界に入る万有を恍惚の境に逍遥せしむる。迎えられたる賓客は陶然として園内に入る。 「高柳さんはいらっしゃるでしょうか」と女が小さな声で聞く。 「え?」と男は耳を持ってくる。園内では楽隊が越後獅子を奏している。客は半分以上集まった。夫婦はなかへ這入って接待をせねばならん。 「そうさね。忘れていた」と男が云う。 「もうだいぶ御客さまがいらしったから、向へ行かないじゃわるいでしょう」 「そうさね。もう行く方がいいだろう。しかし高柳がくると可哀想だからね」 「ここにいらっしゃらないとですか」 「うん。あの男は、わたしが、ここに見えないと門まで来て引き返すよ」 「なぜ?」 「なぜって、こんな所へ来た事はないんだから――一人で一人坊っちになる男なんだから――、ともかくもアーチを潜らせてしまわないと安心が出来ない」 「いらっしゃるんでしょうね」 「来るよ、わざわざ行って頼んだんだから、いやでも来ると約束すると来ずにいられない男だからきっとくるよ」 「御厭なんですか」 「厭って、なに別に厭な事もないんだが、つまりきまりがわるいのさ」 「ホホホホ妙ですわね」 きまりのわるいのは自信がないからである。自信がないのは、人が馬鹿にすると思うからである。中野君はただきまりが悪いからだと云う。細君はただ妙ですわねと思う。この夫婦は自分達のきまりを悪るがる事は忘れている。この夫婦の境界にある人は、いくらきまりを悪るがる性分でも、きまりをわるがらずに生涯を済ませる事が出来る。 「いらっしゃるなら、ここにいて上げる方がいいでしょう」 「来る事は受け合うよ。――いいさ、奥はおやじや何かだいぶいるから」 愛は善人である。善人はその友のために自家の不都合を犠牲にするを憚からぬ。夫婦は高柳君のためにアーチの下に待っている。高柳君は来ねばならぬ。 馬車の客、車の客の間に、ただ一人高柳君は蹌踉として敵地に乗り込んで来る。この海のごとく和気の漲りたる園遊会――新夫婦の面に湛えたる笑の波に酔うて、われ知らず幸福の同化を享くる園遊会――行く年をしばらくは春に戻して、のどかなる日影に、窮陰の面のあたりなるを忘るべき園遊会は高柳君にとって敵地である。 富と勢と得意と満足の跋扈する所は東西球を極めて高柳君には敵地である。高柳君はアーチの下に立つ新しき夫婦を十歩の遠きに見て、これがわが友であるとはたしかに思わなかった。多少の不都合を犠牲にしてまで、高柳君を待ち受けたる夫婦の眼に高柳君の姿がちらと映じた時、待ち受けたにもかかわらず、待ち受け甲斐のある御客とは夫婦共に思わなかった。友誼の三分一は服装が引き受ける者である。頭のなかで考えた友達と眼の前へ出て来た友達とはだいぶ違う。高柳君の服装はこの日の来客中でもっとも憐れなる服装である。愛は贅沢である。美なるもののほかには価値を認めぬ。女はなおさらに価値を認めぬ。 夫婦が高柳君と顔を見合せた時、夫婦共「これは」と思った。高柳君が夫婦と顔を見合せた時、同じく「これは」と思った。 世の中は「これは」と思った時、引き返せぬものである。高柳君は蹌踉として進んでくる。夫婦の胸にはっときざした「これは」は、すぐと愛の光りに姿をかくす。 「やあ、よく来てくれた。あまり遅いから、どうしたかと思って心配していたところだった」偽りもない事実である。ただ「これは」と思った事だけを略したまでである。 「早く来ようと思ったが、つい用があって……」これも事実である。けれどもやはり「これは」が略されている。人間の交際にはいつでも「これは」が略される。略された「これは」が重なると、喧嘩なしの絶交となる。親しき夫婦、親しき朋友が、腹のなかの「これは、これは」でなし崩しに愛想をつかし合っている。 「これが妻だ」と引き合わせる。一人坊っちに美しい妻君を引き合わせるのは好意より出た罪悪である。愛の光りを浴びたものは、嬉しさがはびこって、そんな事に頓着はない。 何にも云わぬ細君はただしとやかに頭を下げた。高柳君はぼんやりしている。 「さあ、あちらへ――僕もいっしょに行こう」と歩を運らす。十間ばかりあるくと、夫婦はすぐ胡麻塩おやじにつらまった。 「や、どうもみごとな御庭ですね。こう広くはあるまいと思ってたが――いえ始めてで。おとっさんから時々御招きはあったが、いつでも折悪しく用事があって――どうも、よく御手入れが届いて、実に結構ですね……」 と胡麻塩はのべつに述べたてて容易に動かない。ところへまた二三人がやってくる。 「結構だ」「何坪ですかな」「私も年来この辺を心掛けておりますが」などと新夫婦を取り捲いてしまう。高柳君は憮然として中心をはずれて立っている。 すると向うから、襷がけの女が駈けて来て、いきなり塩瀬の五つ紋をつらまえた。 「さあ、いらっしゃい」 「いらっしゃいたって、もうほかで御馳走になっちまったよ」 「ずるいわ、あなたは、他にこれほど馳けずり廻らせて」 「旨いものも、ない癖に」 「あるわよ、あなた。まあいいからいらっしゃいてえのに」とぐいぐい引っ張る。塩瀬は羽織が大事だから引かれながら行く、途端に高柳君に突き当った。塩瀬はちょっと驚ろいて振り向いたまでは、粗忽をして恐れ入ったと云う面相をしていたが、高柳君の顔から服装を見るや否や、急に表情を変えた。 「やあ、こりゃ」と上からさげすむように云って、しかも立って見ている。 「いらっしゃいよ。いいからいらっしゃいよ。構わないでも、いいからいらっしゃいよ」と女は高柳君を後目にかけたなり塩瀬を引っ張って行く。 高柳君はぽつぽつ歩き出した。若夫婦は遥かあなたに遮られていっしょにはなれぬ。芝生の真中に長い天幕を張る。中を覗いて見たら、暗い所に大きな菊の鉢がならべてある。今頃こんな菊がまだあるかと思う。白い長い花弁が中心から四方へ数百片延び尽して、延び尽した端からまた随意に反り返りつつ、あらん限りの狂態を演じているのがある。背筋の通った黄な片が中へ中へと抱き合って、真中に大切なものを守護するごとく、こんもりと丸くなったのもある。松の鉢も見える。玻璃盤に堆かく林檎を盛ったのが、白い卓布の上に鮮やかに映る。林檎の頬が、暗きうちにも光っている。蜜柑を盛った大皿もある。傍でけらけらと笑う声がする。驚ろいて振り向くと、しるくはっとを被った二人の若い男が、二人共相好を崩している。 「妙だよ。実に」と一人が云う。 「珍だね。全く田舎者なんだよ」と一人が云う。 高柳君はじっと二人を見た。一人は胸開の狭い。模様のある胴衣を着て、右手の親指を胴衣のぽっけっとへ突き込んだまま肘を張っている。一人は細い杖に言訳ほどに身をもたせて、護謨びき靴の右の爪先を、竪に地に突いて、左足一本で細長いからだの中心を支えている。 「まるで給仕人だ」と一本足が云う。 高柳君は自分の事を云うのかと思った。すると色胴衣が 「本当にさ。園遊会に燕尾服を着てくるなんて――洋行しないだってそのくらいな事はわかりそうなものだ」と相鎚を打っている。向うを見るとなるほど燕尾服がいる。しかも二人かたまって、何か話をしている。同類相集まると云う訳だろう。高柳君はようやくあれを笑ってるのだなと気がついた。しかしなぜ燕尾服が園遊会に適しないかはとうてい想像がつかなかった。 芝生の行き当りに葭簀掛けの踊舞台があって、何かしきりにやっている。正面は紅白の幕で庇をかこって、奥には赤い毛氈を敷いた長い台がある。その上に三味線を抱えた女が三人、抱えないのが二人並んでいる。弾くものと唄うものと分業にしたのである。舞台の真中に金紙の烏帽子を被って、真白に顔を塗りたてた女が、棹のようなものを持ったり、落したり、舞扇を開いたり、つぼめたり、長い赤い袖を翳したり、翳さなかったり、何でもしきりに身振をしている。半紙に墨黒々と朝妻船とかいて貼り出してあるから、おおかた朝妻船と云うものだろうと高柳君はしばらく後ろの方から小さくなって眺めていた。 舞台を左へ切れると、御影の橋がある。橋の向の築山の傍手には松が沢山ある。松の間から暖簾のようなものがちらちら見える。中で女がききと笑っている。橋を渡りかけた高柳君はまた引き返した。楽隊が一度に満庭の空気を動かして起る。 そろそろと天幕の所まで帰って来る。今度は中を覗くのをやめにした。中は大勢でがやがやしている。入口へ回って見ると人で埋って皿の音がしきりにする。若夫婦はどこにいるか見えぬ。 しばらく様子を窺っていると突然万歳と云う声がした。楽隊の音は消されてしまう。石橋の向うで万歳と云う返事がある。これは迷子の万歳である。高柳君はのそりと疳違をした客のように天幕のうちに這入った。 皿だけ高く差し上げて人と人の間を抜けて来たものがある。 「さあ、御上んなさい。まだあるんだが人が込んでて容易に手が届かない」と云う。高柳君は自分にくれるにしては目の見当が少し違うと思ったら、後ろの方で「ありがとう」と云う涼しい声がした。十七八の桃色縮緬の紋付をきた令嬢が皿をもらったまま立っている。 傍にいた紳士が、天幕の隅から一脚の椅子を持って来て、 「さあこの上へ御乗せなさい」と令嬢の前に据えた。高柳君は一間ばかり左へ進む。天幕の柱に倚りかかって洋服と和服が煙草をふかしている。 「葉巻はやめたのかい」 「うん、頭にわるいそうだから――しかしあれを呑みつけると、何だね、紙巻はとうてい呑めないね。どんな好い奴でも駄目だ」 「そりゃ、価段だけだから――一本三十銭と三銭とは比較にならないからな」 「君は何を呑むのだい」 「これを一つやって見たまえ」と洋服が鰐皮の煙草入から太い紙巻を出す。 「なるほどエジプシアンか。これは百本五六円するだろう」 「安い割にはうまく呑めるよ」 「そうか――僕も紙巻でも始めようか。これなら日に二十本ずつにしても二十円ぐらいであがるからね」 二十円は高柳君の全収入である。この紳士は高柳君の全収入を煙にするつもりである。 高柳君はまた左へ四尺ほど進んだ。二三人話をしている。 「この間ね、野添が例の人造肥料会社を起すので……」と頭の禿げた鼻の低い金歯を入れた男が云う。 「うん。ありゃ当ったね。旨くやったよ」と真四角な色の黒い、煙草入の金具のような顔が云う。 「君も賛成者のうちに名が見えたじゃないか」と胡麻塩頭の最前中野君を中途で強奪したおやじが云う。 「それさ」と今度は禿げの番である。「野添が、どうです少し持ってくれませんかと云うから、さようさ、わたしは今回はまあよしましょうと断わったのさ。ところが、まあ、そう云わずと、せめて五百株でも、実はもう貴所の名前にしてあるんだからと云うのさ、面倒だからいい加減に挨拶をして置いたら先生すぐ九州へ立って行った。それから二週間ほどして社へ出ると書記が野添さんの株が大変上りました。五十円株が六十五円になりました。合計三万二千五百円になりましたと云うのさ」 「そりゃ豪勢だ、実は僕も少し持とうと思ってたんだが」と四角が云うと 「ありゃ実際意外だった。あんなに、とんとん拍子にあがろうとは思わなかった」と胡麻塩がしきりに胡麻塩頭を掻く。 「もう少し踏み込んで沢山僕の名にして置けばよかった」と禿は三万二千五百円以外に残念がっている。 高柳君は恐る恐る三人の傍を通り抜けた。若夫婦に逢って挨拶して早く帰りたいと思って、見廻わすと一番奥の方に二人は黒いフロックと五色の袖に取り巻かれて、なかなか寄りつけそうもない。食卓はようやく人数が減った。しかし残っている食品はほとんどない。 「近頃は出掛けるかね」と云う声がする。仙台平をずるずる地びたへ引きずって白足袋に鼠緒の雪駄をかすかに出した三十恰好の男だ。 「昨日須崎の種田家の別荘へ招待されて鴨猟をやった」と五分刈の浅黒いのが答えた。 「鴨にはまだ早いだろう」 「もういいね。十羽ばかり取ったがね。僕が十羽、大谷が七羽、加瀬と山内が八羽ずつ」 「じゃ君が一番か」 「いいや、斎藤は十五羽だ」 「へえ」と仙台平は感心している。 同期の卒業生は多いなかに、たった五六人しか見えん。しかもあまり親しくないものばかりである。高柳君は挨拶だけして別段話もしなかったが、今となって見ると何だか恋しい心持ちがする。どこぞにおりはせぬかと見廻したが影も見えぬ。ことによると帰ったかも知れぬ。自分も帰ろう。 主客は一である。主を離れて客なく、客を離れて主はない。吾々が主客の別を立てて物我の境を判然と分劃するのは生存上の便宜である。形を離れて色なく、色を離れて形なき強いて個別するの便宜、着想を離れて技巧なく技巧を離れて着想なきをしばらく両体となすの便宜と同様である。一たびこの差別を立したる時吾人は一の迷路に入る。ただ生存は人生の目的なるが故に、生存に便宜なるこの迷路は入る事いよいよ深くして出ずる事いよいよかたきを感ず。独り生存の欲を一刻たりとも擺脱したるときにこの迷は破る事が出来る。高柳君はこの欲を刹那も除去し得ざる男である。したがって主客を方寸に一致せしむる事のできがたき男である。主は主、客は客としてどこまでも膠着するが故に、一たび優勢なる客に逢うとき、八方より無形の太刀を揮って、打ちのめさるるがごとき心地がする。高柳君はこの園遊会において孤軍重囲のうちに陥ったのである。 蹌踉としてアーチを潜った高柳君はまた蹌踉としてアーチを出ざるを得ぬ。遠くから振り返って見ると青い杉の環の奥の方に天幕が小さく映って、幕のなかから、奇麗な着物がかたまってあらわれて来た。あのなかに若い夫婦も交ってるのであろう。 夫婦の方では高柳をさがしている。 「時に高柳はどうしたろう。御前あれから逢ったかい」 「いいえ。あなたは」 「おれは逢わない」 「もう御帰りになったんでしょうか」 「そうさ、――しかし帰るなら、ちっとは帰る前に傍へ来て話でもしそうなものだ」 「なぜ皆さんのいらっしゃる所へ出ていらっしゃらないのでしょう」 「損だね、ああ云う人は。あれで一人じゃやっぱり不愉快なんだ。不愉快なら出てくればいいのになおなお引き込んでしまう。気の毒な男だ」 「せっかく愉快にしてあげようと思って、御招きするのにね」 「今日は格別色がわるかったようだ」 「きっと御病気ですよ」 「やっぱり一人坊っちだから、色が悪いのだよ」 高柳君は往来をあるきながら、ぞっと悪寒を催した。
十
道也先生長い顔を長くして煤竹で囲った丸火桶を擁している。外を木枯が吹いて行く。 「あなた」と次の間から妻君が出てくる。紬の羽織の襟が折れていない。 「何だ」とこっちを向く。机の前におりながら、終日木枯に吹き曝されたかのごとくに見える。 「本は売れたのですか」 「まだ売れないよ」 「もう一ヵ月も立てば百や弐百の金は這入る都合だとおっしゃったじゃありませんか」 「うん言った。言ったには相違ないが、売れない」 「困るじゃござんせんか」 「困るよ。御前よりおれの方が困る。困るから今考えてるんだ」 「だって、あんなに骨を折って、三百枚も出来てるものを――」 「三百枚どころか四百三十五頁ある」 「それで、どうして売れないんでしょう」 「やっぱり不景気なんだろうよ」 「だろうよじゃ困りますわ。どうか出来ないでしょうか」 「南溟堂へ持って行った時には、有名な人の御序文があればと云うから、それから足立なら大学教授だから、よかろうと思って、足立にたのんだのさ。本も借金と同じ事で保証人がないと駄目だぜ」 「借金は借りるんだから保証人もいるでしょうが――」と妻君頭のなかへ人指ゆびを入れてぐいぐい掻く。束髪が揺れる。道也はその頭を見ている。 「近頃の本は借金同様だ。信用のないものは連帯責任でないと出版が出来ない」 「本当につまらないわね。あんなに夜遅くまでかかって」 「そんな事は本屋の知らん事だ」 「本屋は知らないでしょうさ。しかしあなたは御存じでしょう」 「ハハハハ当人は知ってるよ。御前も知ってるだろう」 「知ってるから云うのでさあね」 「言ってくれても信用がないんだから仕方がない」 「それでどうなさるの」 「だから足立の所へ持って行ったんだよ」 「足立さんが書いてやるとおっしゃって」 「うん、書くような事を云うから置いて来たら、またあとから書けないって断わって来た」 「なぜでしょう」 「なぜだか知らない。厭なのだろう」 「それであなたはそのままにして御置きになるんですか」 「うん、書かんのを無理に頼む必要はないさ」 「でもそれじゃ、うちの方が困りますわ。この間御兄さんに判を押して借りて頂いた御金ももう期限が切れるんですから」 「おれもその方を埋めるつもりでいたんだが――売れないから仕方がない」 「馬鹿馬鹿しいのね。何のために骨を折ったんだか、分りゃしない」 道也先生は火桶のなかの炭団を火箸の先で突つきながら「御前から見れば馬鹿馬鹿しいのさ」と云った。妻君はだまってしまう。ひゅうひゅうと木枯が吹く。玄関の障子の破れが紙鳶のうなりのように鳴る。 「あなた、いつまでこうしていらっしゃるの」と細君は術なげに聞いた。 「いつまでとも考はない。食えればいつまでこうしていたっていいじゃないか」 「二言目には食えれば食えればとおっしゃるが、今こそ、どうにかこうにかして行きますけれども、このぶんで押して行けば今に食べられなくなりますよ」 「そんなに心配するのかい」 細君はむっとした様子である。 「だって、あなたも、あんまり無考じゃござんせんか。楽に暮せる教師の口はみんな断っておしまいなすって、そうして何でも筆で食うと頑固を御張りになるんですもの」 「その通りだよ。筆で食うつもりなんだよ。御前もそのつもりにするがいい」 「食べるものが食べられれば私だってそのつもりになりますわ。私も女房ですもの、あなたの御好きでおやりになる事をとやかく云うような差し出口はききゃあしません」 「それじゃ、それでいいじゃないか」 「だって食べられないんですもの」 「たべられるよ」 「随分ね、あなたも。現に教師をしていた方が楽で、今の方がよっぽど苦しいじゃありませんか。あなたはやっぱり教師の方が御上手なんですよ。書く方は性に合わないんですよ」 「よくそんな事がわかるな」 細君は俯向いて、袂から鼻紙を出してちいんと鼻をかんだ。 「私ばかりじゃ、ありませんわ。御兄さんだって、そうおっしゃるじゃありませんか」 「御前は兄の云う事をそう信用しているのか」 「信用したっていいじゃありませんか、御兄さんですもの、そうして、あんなに立派にしていらっしゃるんですもの」 「そうか」と云ったなり道也先生は火鉢の灰を丁寧に掻きならす。中から二寸釘が灰だらけになって出る。道也先生は、曲った真鍮の火箸で二寸釘をつまみながら、片手に障子をあけて、ほいと庭先へ抛り出した。 庭には何にもない。芭蕉がずたずたに切れて、茶色ながら立往生をしている。地面は皮が剥けて、蓆を捲きかけたように反っくり返っている。道也先生は庭の面を眺めながら 「だいぶ吹いてるな」と独語のように云った。 「もう一遍足立さんに願って御覧になったらどうでしょう」 「厭なものに頼んだって仕方がないさ」 「あなたは、それだから困るのね。どうせ、あんな、豪い方になれば、すぐ、おいそれと書いて下さる事はないでしょうから……」 「あんな豪い方って――足立がかい」 「そりゃ、あなたも豪いでしょうさ――しかし向はともかくも大学校の先生ですから頭を下げたって損はないでしょう」 「そうか、それじゃおおせに従って、もう一返頼んで見ようよ。――時に何時かな。や、大変だ、ちょっと社まで行って、校正をしてこなければならない。袴を出してくれ」 道也先生は例のごとく茶の千筋の嘉平治を木枯にぺらつかすべく一着して飄然と出て行った。居間の柱時計がぼんぼんと二時を打つ。 思う事積んでは崩す炭火かなと云う句があるが、細君は恐らく知るまい。細君は道也先生の丸火桶の前へ来て、火桶の中を、丸るく掻きならしている。丸い火桶だから丸く掻きならす。角な火桶なら角に掻きならすだろう。女は与えられたものを正しいものと考える。そのなかで差し当りのないように暮らすのを至善と心得ている。女は六角の火桶を与えられても、八角の火鉢を与えられても、六角にまた八角に灰を掻きならす。それより以上の見識は持たぬ。 立ってもおらぬ、坐ってもおらぬ、細君の腰は宙に浮いて、膝頭は火桶の縁につきつけられている。坐わるには所を得ない、立っては考えられない。細君の姿勢は中途半把で、細君の心も中途半把である。 考えると嫁に来たのは間違っている。娘のうちの方が、いくら気楽で面白かったか知れぬ。人の女房はこんなものと、誰か教えてくれたら、来ぬ前によすはずであった。親でさえ、あれほどに親切を尽してくれたのだから、二世の契りと掟にさえ出ている夫は、二重にも三重にも可愛がってくれるだろう、また可愛がって下さるよと受合われて、住み馴れた家を今日限りと出た。今日限りと出た家へ二度とは帰られない。帰ろうと思ってもおとっさんもお母さんも亡くなってしまった。可愛がられる目的ははずれて、可愛がってくれる人はもうこの世にいない。 細君は赤い炭団の、灰の皮を剥いて、火箸の先で突つき始めた。炭火なら崩しても積む事が出来る。突ついた炭団は壊れたぎり、丸い元の姿には帰らぬ。細君はこの理を心得ているだろうか。しきりに突ついている。 今から考えて見ると嫁に来た時の覚悟が間違っている。自分が嫁に来たのは自分のために来たのである。夫のためと云う考はすこしも持たなかった。吾が身が幸福になりたいばかりに祝言の盃もした。父、母もそのつもりで高砂を聴いていたに違ない。思う事はみんなはずれた。この頃の模様を父、母に話したら定めし道也はけしからぬと怒るであろう。自分も腹の中では怒っている。 道也は夫の世話をするのが女房の役だと済ましているらしい。それはこっちで云いたい事である。女は弱いもの、年の足らぬもの、したがって夫の世話を受くべきものである。夫を世話する以上に、夫から世話されるべきものである。だから夫に自分の云う通りになれと云う。夫はけっして聞き入れた事がない。家庭の生涯はむしろ女房の生涯である。道也は夫の生涯と心得ているらしい。それだから治まらない。世間の夫は皆道也のようなものかしらん。みんな道也のようだとすれば、この先結婚をする女はだんだん減るだろう。減らないところで見るとほかの旦那様は旦那様らしくしているに違ない。広い世界に自分一人がこんな思をしているかと気がつくと生涯の不幸である。どうせ嫁に来たからには出る訳には行かぬ。しかし連れ添う夫がこんなでは、臨終まで本当の妻と云う心持ちが起らぬ。これはどうかせねばならぬ。どうにかして夫を自分の考え通りの夫にしなくては生きている甲斐がない。――細君はこう思案しながら、火鉢をいじくっている。風が枯芭蕉を吹き倒すほど鳴る。 表に案内がある。寒そうな顔を玄関の障子から出すと、道也の兄が立っている。細君は「おや」と云った。 道也の兄は会社の役員である。その会社の社長は中野君のおやじである。長い二重廻しを玄関へ脱いで座敷へ這入ってくる。 「だいぶ吹きますね」と薄い更紗の上へ坐って抜け上がった額を逆に撫でる。 「御寒いのによく」 「ええ、今日は社の方が早く引けたものだから……」 「今御帰り掛けですか」 「いえ、いったんうちへ帰ってね。それから出直して来ました。どうも洋服だと坐ってるのが窮屈で……」 兄は糸織の小袖に鉄御納戸の博多の羽織を着ている。 「今日は――留守ですか」 「はあ、たった今しがた出ました。おっつけ帰りましょう。どうぞ御緩くり」と例の火鉢を出す。 「もう御構なさるな。――どうもなかなか寒い」と手を翳す。 「だんだん押し詰りましてさぞ御忙がしゅう、いらっしゃいましょう」 「へ、ありがとう。毎年暮になると大頭痛、ハハハハ」と笑った。世の中の人はおかしい時ばかり笑うものではない。 「でも御忙がしいのは結構で……」 「え、まあ、どうか、こうかやってるんです。――時に道也はやはり不相変ですか」 「ありがとう。この方はただ忙がしいばかりで……」 「結構でないかね。ハハハハ。どうも困った男ですねえ、御政さん。あれほど訳がわからないとまでは思わなかったが」 「どうも御心配ばかり懸けまして、私もいろいろ申しますが、女の云う事だと思ってちっとも取り上げませんので、まことに困り切ります」 「そうでしょう、私の云う事だって聞かないんだから。――わたしも傍にいるとつい気になるから、ついとやかく云いたくなってね」 「ごもっともでございますとも。みんな当人のためにおっしゃって下さる事ですから……」 「田舎にいりゃ、それまでですが、こっちにこうしていると、当人の気にいっても、いらなくっても、やっぱり兄の義務でね。つい云いたくなるんです。――するとちっとも寄りつかない。全く変人だね。おとなしくして教師をしていりゃそれまでの事を、どこへ行っても衝突して……」 「あれが全く心配で、私もあのためには、どんなに苦労したか分りません」 「そうでしょうとも。わたしも、そりゃよく御察し申しているんです」 「ありがとうございます。いろいろ御厄介にばかりなりまして」 「東京へ来てからでも、こんなくだらん事をしないでも、どうにでも成るんでさあ。それをせっかく云ってやると、まるで取り合わない。取り合わないでもいいから、自分だけ立派にやって行けばいい」 「それを私も申すのでござんすけれども」 「いざとなると、やっぱりどうかしてくれと云うんでしょう」 「まことに御気の毒さまで……」 「いえ、あなたに何も云うつもりはない。当人がさ。まるで無鉄砲ですからね。大学を卒業して七八年にもなって筆耕の真似をしているものが、どこの国にいるものですか。あれの友達の足立なんて人は大学の先生になって立派にしているじゃありませんか」 「自分だけはあれでなかなかえらいつもりでおりますから」 「ハハハハえらいつもりだって。いくら一人でえらがったって、人が相手にしなくっちゃしようがない」 「近頃は少しどうかしているんじゃないかと思います」 「何とも云えませんね。――何でもしきりに金持やなにかを攻撃するそうじゃありませんか。馬鹿ですねえ。そんな事をしたってどこが面白い。一文にゃならず、人からは擯斥される。つまり自分の錆になるばかりでさあ」 「少しは人の云う事でも聞いてくれるといいんですけれども」 「しまいにゃ人にまで迷惑をかける。――実はね、きょう社でもって赤面しちまったんですがね。課長が私を呼んで聞けば君の弟だそうだが、あの白井道也とか云う男は無暗に不穏な言論をして富豪などを攻撃する。よくない事だ。ちっと君から注意したらよかろうって、さんざん叱られたんです」 「まあどうも。どうしてそんな事が知れましたんでしょう」 「そりゃ、会社なんてものは、それぞれ探偵が届きますからね」 「へえ」 「なに道也なんぞが、何をかいたって、あんな地位のないものに世間が取り合う気遣はないが、課長からそう云われて見ると、放って置けませんからね」 「ごもっともで」 「それで実は今日は相談に来たんですがね」 「生憎出まして」 「なに当人はいない方がかえっていい。あなたと相談さえすればいい。――で、わたしも今途中でだんだん考えて来たんだが、どうしたものでしょう」 「あなたから、とくと異見でもしていただいて、また教師にでも奉職したら、どんなものでございましょう」 「そうなればいいですとも。あなたも仕合せだし、わたしも安心だ。――しかし異見でおいそれと、云う通りになる男じゃありませんよ」 「そうでござんすね。あの様子じゃ、とても駄目でございましょうか」 「わたしの鑑定じゃ、とうてい駄目だ。――それでここに一つの策があるんだが、どうでしょう当人の方から雑誌や新聞をやめて、教師になりたいと云う気を起させるようにするのは」 「そうなれば私は実にありがたいのですが、どうしたら、そう旨い具合に参りましょう」 「あのこの間中当人がしきりに書いていた本はどうなりました」 「まだそのままになっております」 「まだ売れないですか」 「売れるどころじゃございません。どの本屋もみんな断わりますそうで」 「そう。それが売れなけりゃかえって結構だ」 「え?」 「売れない方がいいんですよ。――で、せんだってわたしが周旋した百円の期限はもうじきでしょう」 「たしかこの月の十五日だと思います」 「今日が十一日だから。十二、十三、十四、十五、ともう四日ですね」 「ええ」 「あの方を手厳しく催促させるのです。――実はあなただから、今打ち明けて御話しするが、あれは、わたしが印を押している体にはなっているが本当はわたしが融通したのです。――そうしないと当人が安心していけないから。――それであの方を今云う通り責める――何かほかに工面の出来る所がありますか」 「いいえ、ちっともございません」 「じゃ大丈夫、その方でだんだん責めて行く。――いえ、わたしは黙って見ている。証文の上の貸手が催促に来るのです。あなたも済していなくっちゃいけません。――何を云っても冷淡に済ましていなくっちゃいけません。けっしてこちらから、一言も云わないのです。――それで当人いくら頑固だって苦しいから、また、わたしの方へ頭を下げて来る。いえ来なけりゃならないです。その、頭を下げて来た時に、取って抑えるのです。いいですか。そうたよって来るなら、おれの云う事を聞くがいい。聞かなければおれは構わん。と云いやあ、向でも否とは云われんです。そこでわたしが、御政さんだって、あんなに苦労してやっている。雑誌なんかで法螺ばかり吹き立てていたって始まらない、これから性根を入れかえて、もっと着実な世間に害のないような職業をやれ、教師になる気なら心当りを奔走してやろう、と持ち懸けるのですね。――そうすればきっと我々の思わく通りになると思うが、どうでしょう」 「そうなれば私はどんなに安心が出来るか知れません」 「やって見ましょうか」 「何分宜しく願います」 「じゃ、それはきまったと。そこでもう一つあるんですがね。今日社の帰りがけに、神田を通ったら清輝館の前に、大きな広告があって、わたしは吃驚させられましたよ」 「何の広告でござんす」 「演説の広告なんです。――演説の広告はいいが道也が演説をやるんですぜ」 「へえ、ちっとも存じませんでした」 「それで題が大きいから面白い、現代の青年に告ぐと云うんです。まあ何の事やら、あんなものの云う事を聞きにくる青年もなさそうじゃありませんか。しかし剣呑ですよ。やけになって何を云うか分らないから。わたしも課長から忠告された矢先だから、すぐ社へ電話をかけて置いたから、まあ好いですが、何なら、やらせたくないものですね」 「何の演説をやるつもりでござんしょう。そんな事をやるとまた人様に御迷惑がかかりましょうね」 「どうせまた過激な事でも云うのですよ。無事に済めばいいが、つまらない事を云おうものなら取って返しがつかないからね。――どうしてもやめさせなくっちゃ、いけないね」 「どうしたらやめるでござんしょう」 「これもよせったって、頑固だから、よす気遣はない。やっぱり欺すより仕方がないでしょう」 「どうして欺したらいいでしょう」 「そうさ。あした時刻にわたしが急用で逢いたいからって使をよこして見ましょうか」 「そうでござんすね。それで、あなたの方へ参るようだと宜しゅうございますが……」 「聞かないかも知れませんね。聞かなければそれまでさ」 初冬の日はもう暗くなりかけた。道也先生は風のなかを帰ってくる。
十一
今日もまた風が吹く。汁気のあるものをことごとく乾鮭にするつもりで吹く。 「御兄さんの所から御使です」と細君が封書を出す。道也は坐ったまま、体をそらして受け取った。 「待ってるかい」 「ええ」 道也は封を切って手紙を読み下す。やがて、終りから巻き返して、再び状袋のなかへ収めた。何にも云わない。 「何か急用ででもござんすか」 道也は「うん」と云いながら、墨を磨って、何かさらさらと返事を認めている。 「何の御用ですか」 「ええ? ちょっと待った。書いてしまうから」 返事はわずか五六行である。宛名をかいて、「これを」と出す。細君は下女を呼んで渡してやる。自分は動かない。 「何の御用なんですか」 「何の用かわからない。ただ、用があるから、すぐ来てくれとかいてある」 「いらっしゃるでしょう」 「おれは行かれない。なんならお前行って見てくれ」 「私が? 私は駄目ですわ」 「なぜ」 「だって女ですもの」 「女でも行かないよりいいだろう」 「だって。あなたに来いと書いてあるんでしょう」 「おれは行かれないもの」 「どうして?」 「これから出掛けなくっちゃならん」 「雑誌の方なら、一日ぐらい御休みになってもいいでしょう」 「編輯ならいいが、今日は演説をやらなくっちゃならん」 「演説を? あなたがですか?」 「そうよ、おれがやるのさ。そんなに驚ろく事はなかろう」 「こんなに風が吹くのに、よしになさればいいのに」 「ハハハハ風が吹いてやめるような演説なら始めからやりゃしない」 「ですけれども滅多な事はなさらない方がよござんすよ」 「滅多な事とは。何がさ」 「いいえね。あんまり演説なんかなさらない方が、あなたの得だと云うんです」 「なに得な事があるものか」 「あとが困るかも知れないと申すのです」 「妙な事を云うね御前は。――演説をしちゃいけないと誰か云ったのかね」 「誰がそんな事を云うものですか。――云いやしませんが、御兄さんからこうやって、急用だって、御使が来ているんですから行って上げなくっては義理がわるいじゃありませんか」 「それじゃ演説をやめなくっちゃならない」 「急に差支が出来たって断わったらいいでしょう」 「今さらそんな不義理が出来るものか」 「では御兄さんの方へは不義理をなすっても、いいとおっしゃるんですか」 「いいとは云わない。しかし演説会の方は前からの約束で――それに今日の演説はただの演説ではない。人を救うための演説だよ」 「人を救うって、誰を救うのです」 「社のもので、この間の電車事件を煽動したと云う嫌疑で引っ張られたものがある。――ところがその家族が非常な惨状に陥って見るに忍びないから、演説会をしてその収入をそちらへ廻してやる計画なんだよ」 「そんな人の家族を救うのは結構な事に相違ないでしょうが、社会主義だなんて間違えられるとあとが困りますから……」 「間違えたって構わないさ。国家主義も社会主義もあるものか、ただ正しい道がいいのさ」 「だって、もしあなたが、その人のようになったとして御覧なさい。私はやっぱり、その人の奥さん同様な、ひどい目に逢わなけりゃならないでしょう。人を御救いなさるのも結構ですが、ちっとは私の事も考えて、やって下さらなくっちゃ、あんまりですわ」 道也先生はしばらく沈吟していたが、やがて、机の前を立ちながら「そんな事はないよ。そんな馬鹿な事はないよ。徳川政府の時代じゃあるまいし」と云った。 例の袴を突っかけると支度は一分たたぬうちに出来上った。玄関へ出る。外はいまだに強く吹いている。道也先生の姿は風の中に消えた。 清輝館の演説会はこの風の中に開かれる。 講演者は四名、聴衆は三百名足らずである。書生が多い。その中に文学士高柳周作がいる。彼はこの風の中を襟巻に顔を包んで咳をしながらやって来た。十銭の入場料を払って、二階に上った時は、広い会場はまばらに席をあましてむしろ寂寞の感があった。彼は南側のなるべく暖かそうな所に席をとった。演説はすでに始まっている。 「……文士保護は独立しがたき文士の言う事である。保護とは貴族的時代に云うべき言葉で、個人平等の世にこれを云々するのは恥辱の極である。退いて保護を受くるより進んで自己に適当なる租税を天下から払わしむべきである」と云ったと思ったら、引き込んだ。聴衆は喝采する。隣りに薩摩絣の羽織を着た書生がいて話している。 「今のが、黒田東陽か」 「うん」 「妙な顔だな。もっと話せる顔かと思った」 「保護を受けたら、もう少し顔らしくなるだろう」 高柳君は二人を見た。二人も高柳君を見た。 「おい」 「何だ」 「いやに睨めるじゃねえか」 「おっかねえ」 「こんだ誰の番だ。――見ろ見ろ出て来た」 「いやに、ひょろ長いな。この風にどうして出て来たろう」 ひょろながい道也先生は綿服のまま壇上にあらわれた。かれはこの風の中を金釘のごとく直立して来たのである。から風に吹き曝されたる彼は、からからの古瓢箪のごとくに見える。聴衆は一度に手をたたく。手をたたくのは必ずしも喝采の意と解すべからざる場合がある。独り高柳君のみは粛然として襟を正した。 「自己は過去と未来の連鎖である」 道也先生の冒頭は突如として来た。聴衆はちょっと不意撃を食った。こんな演説の始め方はない。 「過去を未来に送り込むものを旧派と云い、未来を過去より救うものを新派と云うのであります」 聴衆はいよいよ惑った。三百の聴衆のうちには、道也先生をひやかす目的をもって入場しているものがある。彼らに一寸の隙でも与えれば道也先生は壇上に嘲殺されねばならぬ。角力は呼吸である。呼吸を計らんでひやかせばかえって自分が放り出されるばかりである。彼らは蛇のごとく鎌首を持ち上げて待構えている。道也先生の眼中には道の一字がある。 「自己のうちに過去なしと云うものは、われに父母なしと云うがごとく、自己のうちに未来なしと云うものは、われに子を生む能力なしというと一般である。わが立脚地はここにおいて明瞭である。われは父母のために存在するか、われは子のために存在するか、あるいはわれそのものを樹立せんがために存在するか、吾人生存の意義はこの三者の一を離るる事が出来んのである」 聴衆は依然として、だまっている。あるいは煙に捲かれたのかも知れない。高柳君はなるほどと聴いている。 「文芸復興は大なる意味において父母のために存在したる大時期である。十八世紀末のゴシック復活もまた大なる意味において父母のために存在したる小時期である。同時にスコット一派の浪漫派を生まんがために存在した時期である。すなわち子孫のために存在したる時期である。自己を樹立せんがために存在したる時期の好例はエリザベス朝の文学である。個人について云えばイブセンである。メレジスである。ニイチェである。ブラウニングである。耶蘇教徒は基督のために存在している。基督は古えの人である。だから耶蘇教徒は父のために存在している。儒者は孔子のために生きている。孔子も昔えの人である。だから儒者は父のために生きている。……」 「もうわかった」と叫ぶものがある。 「なかなかわかりません」と道也先生が云う。聴衆はどっと笑った。 「袷は単衣のために存在するですか、綿入のために存在するですか。または袷自身のために存在するですか」と云って、一応聴衆を見廻した。笑うにはあまり、奇警である。慎しむにはあまり飄きんである。聴衆は迷うた。 「六ずかしい問題じゃ、わたしにもわからん」と済ました顔で云ってしまう。聴衆はまた笑った。 「それはわからんでも差支ない。しかし吾々は何のために存在しているか? これは知らなくてはならん。明治は四十年立った。四十年は短かくはない。明治の事業はこれで一段落を告げた……」 「ノー、ノー」と云うものがある。 「どこかでノー、ノーと云う声がする。わたしはその人に賛成である。そう云う人があるだろうと思うて待っていたのである」 聴衆はまた笑った。 「いや本当に待っていたのである」 聴衆は三たび鬨を揚げた。 「私は四十年の歳月を短かくはないと申した。なるほど住んで見れば長い。しかし明治以外の人から見たらやはり長いだろうか。望遠鏡の眼鏡は一寸の直径である。しかし愛宕山から見ると品川の沖がこの一寸のなかに這入ってしまう。明治の四十年を長いと云うものは明治のなかに齷齪しているものの云う事である。後世から見ればずっと縮まってしまう。ずっと遠くから見ると一弾指の間に過ぎん。――一弾指の間に何が出来る」と道也はテーブルの上をとんと敲いた。聴衆はちょっと驚ろいた。 「政治家は一大事業をしたつもりでいる。学者も一大事業をしたつもりでいる。実業家も軍人もみんな一大事業をしたつもりでいる。したつもりでいるがそれは自分のつもりである。明治四十年の天地に首を突き込んでいるから、したつもりになるのである。――一弾指の間に何が出来る」 今度は誰も笑わなかった。 「世の中の人は云うている。明治も四十年になる、まだ沙翁が出ない、まだゲーテが出ない。四十年を長いと思えばこそ、そんな愚痴が出る。一弾指の間に何が出る」 「もうでるぞ」と叫んだものがある。 「もうでるかも知れん。しかし今までに出ておらん事は確かである。――一言にして云えば」と句を切った。満場はしんとしている。 「明治四十年の日月は、明治開化の初期である。さらに語を換えてこれを説明すれば今日の吾人は過去を有たぬ開化のうちに生息している。したがって吾人は過去を伝うべきために生れたのではない。――時は昼夜を舎てず流れる。過去のない時代はない。――諸君誤解してはなりません。吾人は無論過去を有している。しかしその過去は老耄した過去か、幼稚な過去である。則とるに足るべき過去は何にもない。明治の四十年は先例のない四十年である」 聴衆のうちにそうかなあと云う顔をしている者がある。 「先例のない社会に生れたものほど自由なものはない。余は諸君がこの先例のない社会に生れたのを深く賀するものである」 「ひや、ひや」と云う声が所々に起る。 「そう早合点に賛成されては困る。先例のない社会に生れたものは、自から先例を作らねばならぬ。束縛のない自由を享けるものは、すでに自由のために束縛されている。この自由をいかに使いこなすかは諸君の権利であると同時に大なる責任である。諸君。偉大なる理想を有せざる人の自由は堕落であります」 言い切った道也先生は、両手を机の上に置いて満場を見廻した。雷が落ちたような気合である。 「個人について論じてもわかる。過去を顧みる人は半白の老人である。少壮の人に顧みるべき過去はないはずである。前途に大なる希望を抱くものは過去を顧みて恋々たる必要がないのである。――吾人が今日生きている時代は少壮の時代である。過去を顧みるほどに老い込んだ時代ではない。政治に伊藤侯や山県侯を顧みる時代ではない。実業に渋沢男や岩崎男を顧みる時代ではない。……」 「大気 」と評したのは高柳君の隣りにいた薩摩絣である。高柳君はむっとした。 「文学に紅葉氏一葉氏を顧みる時代ではない。これらの人々は諸君の先例になるがために生きたのではない。諸君を生むために生きたのである。最前の言葉を用いればこれらの人々は未来のために生きたのである。子のために存在したのである。しかして諸君は自己のために存在するのである。――およそ一時代にあって初期の人は子のために生きる覚悟をせねばならぬ。中期の人は自己のために生きる決心が出来ねばならぬ。後期の人は父のために生きるあきらめをつけなければならぬ。明治は四十年立った。まず初期と見て差支なかろう。すると現代の青年たる諸君は大に自己を発展して中期をかたちづくらねばならぬ。後ろを顧みる必要なく、前を気遣う必要もなく、ただ自我を思のままに発展し得る地位に立つ諸君は、人生の最大愉快を極むるものである」 満場は何となくどよめき渡った。 「なぜ初期のものが先例にならん? 初期はもっとも不秩序の時代である。偶然の跋扈する時代である。僥倖の勢を得る時代である。初期の時代において名を揚げたるもの、家を起したるもの、財を積みたるもの、事業をなしたるものは必ずしも自己の力量に由って成功したとは云われぬ。自己の力量によらずして成功するは士のもっとも恥辱とするところである。中期のものはこの点において遥かに初期の人々よりも幸福である。事を成すのが困難であるから幸福である。困難にもかかわらず僥倖が少ないから幸福である。困難にもかかわらず力量しだいで思うところへ行けるほどの余裕があり、発展の道があるから幸福である。後期に至るとかたまってしまう。ただ前代を祖述するよりほかに身動きがとれぬ。身動きがとれなくなって、人間が腐った時、また波瀾が起る。起らねば化石するよりほかにしようがない。化石するのがいやだから、自から波瀾を起すのである。これを革命と云うのである。 「以上は明治の天下にあって諸君の地位を説明したのである。かかる愉快な地位に立つ諸君はこの愉快に相当する理想を養わねばならん」 道也先生はここにおいて一転語を下した。聴衆は別にひやかす気もなくなったと見える。黙っている。 「理想は魂である。魂は形がないからわからない。ただ人の魂の、行為に発現するところを見て髣髴するに過ぎん。惜しいかな現代の青年はこれを髣髴することが出来ん。これを過去に求めてもない、これを現代に求めてはなおさらない。諸君は家庭に在って父母を理想とする事が出来ますか」 あるものは不平な顔をした。しかしだまっている。 「学校に在って教師を理想とする事が出来ますか」 「ノー、ノー」 「社会に在って紳士を理想とする事が出来ますか」 「ノー、ノー」 「事実上諸君は理想をもっておらん。家に在っては父母を軽蔑し、学校に在っては教師を軽蔑し、社会に出でては紳士を軽蔑している。これらを軽蔑し得るのは見識である。しかしこれらを軽蔑し得るためには自己により大なる理想がなくてはならん。自己に何らの理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。現代の青年は滔々として日に堕落しつつある」 聴衆は少しく色めいた。「失敬な」とつぶやくものがある。道也先生は昂然として壇下を睥睨している。 「英国風を鼓吹して憚からぬものがある。気の毒な事である。己れに理想のないのを明かに暴露している。日本の青年は滔々として堕落するにもかかわらず、いまだここまでは堕落せんと思う。すべての理想は自己の魂である。うちより出ねばならぬ。奴隷の頭脳に雄大な理想の宿りようがない。西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度において皆奴隷である。奴隷をもって甘んずるのみならず、争って奴隷たらんとするものに何らの理想が脳裏に醗酵し得る道理があろう。 「諸君。理想は諸君の内部から湧き出なければならぬ。諸君の学問見識が諸君の血となり肉となりついに諸君の魂となった時に諸君の理想は出来上るのである。付焼刃は何にもならない」 道也先生はひやかされるなら、ひやかして見ろと云わぬばかりに片手の拳骨をテーブルの上に乗せて、立っている。汚ない黒木綿の羽織に、べんべらの袴は最前ほどに目立たぬ。風の音がごうと鳴る。 「理想のあるものは歩くべき道を知っている。大なる理想のあるものは大なる道をあるく。迷子とは違う。どうあってもこの道をあるかねばやまぬ。迷いたくても迷えんのである。魂がこちらこちらと教えるからである。 「諸君のうちには、どこまで歩くつもりだと聞くものがあるかも知れぬ。知れた事である。行ける所まで行くのが人生である。誰しも自分の寿命を知ってるものはない。自分に知れない寿命は他人にはなおさらわからない。医者を家業にする専門家でも人間の寿命を勘定する訳には行かぬ。自分が何歳まで生きるかは、生きたあとで始めて言うべき事である。八十歳まで生きたと云う事は八十歳まで生きた事実が証拠立ててくれねばならん。たとい八十歳まで生きる自信があって、その自信通りになる事が明瞭であるにしても、現に生きたと云う事実がない以上は誰も信ずるものはない。したがって言うべきものでない。理想の黙示を受けて行くべき道を行くのもその通りである。自己がどれほどに自己の理想を現実にし得るかは自己自身にさえ計られん。過去がこうであるから、未来もこうであろうぞと臆測するのは、今まで生きていたから、これからも生きるだろうと速断するようなものである。一種の山である。成功を目的にして人生の街頭に立つものはすべて山師である」 高柳君の隣りにいた薩摩絣は妙な顔をした。 「社会は修羅場である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である。四十年前の志士は生死の間に出入して維新の大業を成就した。諸君の冒すべき危険は彼らの危険より恐ろしいかも知れぬ。血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、より悲惨である。諸君は覚悟をせねばならぬ。勤王の志士以上の覚悟をせねばならぬ。斃るる覚悟をせねばならぬ。太平の天地だと安心して、拱手して成功を冀う輩は、行くべき道に躓いて非業に死したる失敗の児よりも、人間の価値は遥かに乏しいのである。 「諸君は道を行かんがために、道を遮ぎるものを追わねばならん。彼らと戦うときに始めて、わが生涯の内生命に、勤王の諸士があえてしたる以上の煩悶と辛惨とを見出し得るのである。――今日は風が吹く。昨日も風が吹いた。この頃の天候は不穏である。しかし胸裏の不穏はこんなものではない」 道也先生は、がたつく硝子窓を通して、往来の方を見た。折から一陣の風が、会釈なく往来の砂を捲き上げて、屋の棟に突き当って、虚空を高く逃れて行った。 「諸君。諸君のどれほどに剛健なるかは、わたしには分らん。諸君自身にも知れぬ。ただ天下後世が証拠だてるのみである。理想の大道を行き尽して、途上に斃るる刹那に、わが過去を一瞥のうちに縮め得て始めて合点が行くのである。諸君は諸君の事業そのものに由って伝えられねばならぬ。単に諸君の名に由って伝えられんとするは軽薄である」 高柳君は何となくきまりがわるかった。道也の輝やく眼が自分の方に注いでいるように思れる。 「理想は人によって違う。吾々は学問をする。学問をするものの理想は何であろう」 聴衆は黙然として応ずるものがない。 「学問をするものの理想は何であろうとも――金でない事だけはたしかである」 五六ヵ所に笑声が起る。道也先生の裕福ならぬ事はその服装を見たものの心から取り除けられぬ事実である。道也先生は羽織のゆきを左右の手に引っ張りながら、まず徐ろにわが右の袖を見た。次に眼を転じてまた徐ろにわが左の袖を見た。黒木綿の織目のなかに砂がいっぱいたまっている。 「随分きたない」と落ちつき払って云った。 笑声が満場に起る。これはひやかしの笑声ではない。道也先生はひやかしの笑声を好意の笑声で揉み潰したのである。 「せんだって学問を専門にする人が来て、私も妻をもろうて子が出来た。これから金を溜めねばならぬ。是非共子供に立派な教育をさせるだけは今のうちに貯蓄して置かねばならん。しかしどうしたら貯蓄が出来るでしょうかと聞いた。 「どうしたら学問で金がとれるだろうと云う質問ほど馬鹿気た事はない。学問は学者になるものである。金になるものではない。学問をして金をとる工夫を考えるのは北極へ行って虎狩をするようなものである」 満場はまたちょっとどよめいた。 「一般の世人は労力と金の関係について大なる誤謬を有している。彼らは相応の学問をすれば相応の金がとれる見込のあるものだと思う。そんな条理は成立する訳がない。学問は金に遠ざかる器械である。金がほしければ金を目的にする実業家とか商買人になるがいい。学者と町人とはまるで別途の人間であって、学者が金を予期して学問をするのは、町人が学問を目的にして丁稚に住み込むようなものである」 「そうかなあ」と突飛な声を出す奴がいる。聴衆はどっと笑った。道也先生は平然として笑のしずまるのを待っている。 「だから学問のことは学者に聞かなければならん。金が欲しければ町人の所へ持って行くよりほかに致し方はない」 「金が欲しい」とまぜかえす奴が出る。誰だかわからない。道也先生は「欲しいでしょう」と云ったぎり進行する。 「学問すなわち物の理がわかると云う事と生活の自由すなわち金があると云う事とは独立して関係のないのみならず、かえって反対のものである。学者であればこそ金がないのである。金を取るから学者にはなれないのである。学者は金がない代りに物の理がわかるので、町人は理窟がわからないから、その代りに金を儲ける」 何か云うだろうと思って道也先生は二十秒ほど絶句して待っている。誰も何も云わない。 「それを心得んで金のある所には理窟もあると考えているのは愚の極である。しかも世間一般はそう誤認している。あの人は金持ちで世間が尊敬しているからして理窟もわかっているに違ない、カルチュアーもあるにきまっていると――こう考える。ところがその実はカルチュアーを受ける暇がなければこそ金をもうける時間が出来たのである。自然は公平なもので一人の男に金ももうけさせる、同時にカルチュアーも授けると云うほど贔屓にはせんのである。この見やすき道理も弁ぜずして、かの金持ち共は己惚れて……」 「ひや、ひや」「焼くな」「しっ、しっ」だいぶ賑やかになる。 「自分達は社会の上流に位して一般から尊敬されているからして、世の中に自分ほど理窟に通じたものはない。学者だろうが、何だろうがおれに頭をさげねばならんと思うのは憫然のしだいで、彼らがこんな考を起す事自身がカルチュアーのないと云う事実を証明している」 高柳君の眼は輝やいた。血が双頬に上ってくる。 「訳のわからぬ彼らが己惚はとうてい済度すべからざる事とするも、天下社会から、彼らの己惚をもっともだと是認するに至っては愛想の尽きた不見識と云わねばならぬ。よく云う事だが、あの男もあのくらいな社会上の地位にあって相応の財産も所有している事だから万更そんな訳のわからない事もなかろう。豈計らんやある場合には、そんな社会上の地位を得て相当の財産を有しておればこそ訳がわからないのである」 高柳君は胸の苦しみを忘れて、ひやひやと手を打った。隣の薩摩絣はえへんと嘲弄的な咳払をする。 「社会上の地位は何できまると云えば――いろいろある。第一カルチュアーできまる場合もある。第二門閥できまる場合もある。第三には芸能できまる場合もある。最後に金できまる場合もある。しかしてこれはもっとも多い。かようにいろいろの標準があるのを混同して、金で相場がきまった男を学問で相場がきまった男と相互に通用し得るように考えている。ほとんど盲目同然である」 エヘン、エヘンと云う声が散らばって五六ヵ所に起る。高柳君は口を結んで、鼻から呼吸をはずませている。 「金で相場のきまった男は金以外に融通は利かぬはずである。金はある意味において貴重かも知れぬ。彼らはこの貴重なものを擁しているから世の尊敬を受ける。よろしい。そこまでは誰も異存はない。しかし金以外の領分において彼らは幅を利かし得る人間ではない、金以外の標準をもって社会上の地位を得る人の仲間入は出来ない。もしそれが出来ると云えば学者も金持ちの領分へ乗り込んで金銭本位の区域内で威張っても好い訳になる。彼らはそうはさせぬ。しかし自分だけは自分の領分内におとなしくしている事を忘れて他の領分までのさばり出ようとする。それが物のわからない、好い証拠である」 高柳君は腰を半分浮かして拍手をした。人間は真似が好である。高柳君に誘い出されて、ぱちぱちの声が四方に起る。冷笑党は勢の不可なるを知って黙した。 「金は労力の報酬である。だから労力を余計にすれば金は余計にとれる。ここまでは世間も公平である。(否これすらも不公平な事がある。相場師などは労力なしに金を攫んでいる)しかし一歩進めて考えて見るが好い。高等な労力に高等な報酬が伴うであろうか――諸君どう思います――返事がなければ説明しなければならん。報酬なるものは眼前の利害にもっとも影響の多い事情だけできめられるのである。だから今の世でも教師の報酬は小商人の報酬よりも少ないのである。眼前以上の遠い所高い所に労力を費やすものは、いかに将来のためになろうとも、国家のためになろうとも、人類のためになろうとも報酬はいよいよ減ずるのである。だによって労力の高下では報酬の多寡はきまらない。金銭の分配は支配されておらん。したがって金のあるものが高尚な労力をしたとは限らない。換言すれば金があるから人間が高尚だとは云えない。金を目安にして人物の価値をきめる訳には行かない」 滔々として述べて来た道也はちょっとここで切って、満場の形勢を観望した。活版に押した演説は生命がない。道也は相手しだいで、どうとも変わるつもりである。満場は思ったより静かである。 「それを金があるからと云うてむやみにえらがるのは間違っている。学者と喧嘩する資格があると思ってるのも間違っている。気品のある人々に頭を下げさせるつもりでいるのも間違っている。――少しは考えても見るがいい。いくら金があっても病気の時は医者に降参しなければなるまい。金貨を煎じて飲む訳には行かない……」 あまり熱心な滑稽なので、思わず噴き出したものが三四人ある。道也先生は気がついた。 「そうでしょう――金貨を煎じたって下痢はとまらないでしょう。――だから御医者に頭を下げる。その代り御医者は――金に頭を下げる」 道也先生はにやにやと笑った。聴衆もおとなしく笑う。 「それで好いのです。金に頭を下げて結構です――しかし金持はいけない。医者に頭を下げる事を知ってながら、趣味とか、嗜好とか、気品とか人品とか云う事に関して、学問のある、高尚な理窟のわかった人に頭を下げることを知らん。のみならずかえって金の力で、それらの頭をさげさせようとする。――盲目蛇に怖じずとはよく云ったものですねえ」 と急に会話調になったのは曲折があった。 「学問のある人、訳のわかった人は金持が金の力で世間に利益を与うると同様の意味において、学問をもって、わけの分ったところをもって社会に幸福を与えるのである。だからして立場こそ違え、彼らはとうてい冒し得べからざる地位に確たる尻を据えているのである。 「学者がもし金銭問題にかかれば、自己の本領を棄てて他の縄張内に這入るのだから、金持ちに頭を下げるが順当であろう。同時に金以上の趣味とか文学とか人生とか社会とか云う問題に関しては金持ちの方が学者に恐れ入って来なければならん。今、学者と金持の間に葛藤が起るとする。単に金銭問題ならば学者は初手から無能力である。しかしそれが人生問題であり、道徳問題であり、社会問題である以上は彼ら金持は最初から口を開く権能のないものと覚悟をして絶対的に学者の前に服従しなければならん。岩崎は別荘を立て連らねる事において天下の学者を圧倒しているかも知れんが、社会、人生の問題に関しては小児と一般である。十万坪の別荘を市の東西南北に建てたから天下の学者を凹ましたと思うのは凌雲閣を作ったから仙人が恐れ入ったろうと考えるようなものだ……」 聴衆は道也の勢と最後の一句の奇警なのに気を奪われて黙っている。独り高柳君がたまらなかったと見えて大きな声を出して喝采した。 「商人が金を儲けるために金を使うのは専門上の事で誰も容喙が出来ぬ。しかし商買上に使わないで人事上にその力を利用するときは、訳のわかった人に聞かねばならぬ。そうしなければ社会の悪を自ら醸造して平気でいる事がある。今の金持の金のある一部分は常にこの目的に向って使用されている。それと云うのも彼ら自身が金の主であるだけで、他の徳、芸の主でないからである。学者を尊敬する事を知らんからである。いくら教えても人の云う事が理解出来んからである。災は必ず己れに帰る。彼らは是非共学者文学者の云う事に耳を傾けねばならぬ時期がくる。耳を傾けねば社会上の地位が保てぬ時期がくる」 聴衆は一度にどっと鬨を揚げた。高柳君は肺病にもかかわらずもっとも大なる鬨を揚げた。生れてから始めてこんな痛快な感じを得た。襟巻に半分顔を包んでから風のなかをここまで来た甲斐はあると思う。 道也先生は予言者のごとく凛として壇上に立っている。吹きまくる木枯は屋を撼かして去る。
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