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地獄変(じごくへん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 8:59:45  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集 第一巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1995(平成7)年11月8日


底本の親本: 鼻
出版社: 春陽堂
初版発行日: 1918(大正7)年7月8日

 

     一

 堀川の大殿様(おほとのさま)のやうな方は、これまでは固(もと)より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、大威徳明王(だいゐとくみやうおう)の御姿が御母君(おんはゝぎみ)の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎(と)に角(かく)御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の為(な)さいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。早い話が堀川のお邸の御規模を拝見致しましても、壮大と申しませうか、豪放と申しませうか、到底(たうてい)私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。中にはまた、そこを色々とあげつらつて大殿様の御性行を始皇帝(しくわうてい)や煬帝(やうだい)に比べるものもございますが、それは諺(ことわざ)に云ふ群盲(ぐんもう)の象を撫(な)でるやうなものでもございませうか。あの方の御思召(おおぼしめし)は、決してそのやうに御自分ばかり、栄耀栄華をなさらうと申すのではございません。それよりはもつと下々の事まで御考へになる、云はば天下と共に楽しむとでも申しさうな、大腹中(だいふくちう)の御器量がございました。
 それでございますから、二条大宮の百鬼夜行(ひやつきやぎやう)に御遇ひになつても、格別御障(おさは)りがなかつたのでございませう。又陸奥(みちのく)の塩竈(しほがま)の景色を写したので名高いあの東三条の河原院に、夜な/\現はれると云ふ噂のあつた融(とほる)の左大臣の霊でさへ、大殿様のお叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。かやうな御威光でございますから、その頃洛中の老若男女が、大殿様と申しますと、まるで権者(ごんじや)の再来のやうに尊み合ひましたも、決して無理ではございません。何時ぞや、内の梅花の宴からの御帰りに御車の牛が放れて、折から通りかゝつた老人に怪我をさせました時でさへ、その老人は手を合せて、大殿様の牛にかけられた事を難有がつたと申す事でございます。
 さやうな次第でございますから、大殿様御一代の間には、後々までも語り草になりますやうな事が、随分沢山にございました。大饗(おほみうけ)の引出物に白馬(あをうま)ばかりを三十頭、賜(たまは)つたこともございますし、長良(ながら)の橋の橋柱(はしばしら)に御寵愛の童(わらべ)を立てた事もございますし、それから又華陀(くわだ)の術を伝へた震旦(しんたん)の僧に、御腿(おんもゝ)の瘡(もがさ)を御切らせになつた事もございますし、――一々数へ立てゝ居りましては、とても際限がございません。が、その数多い御逸事の中でも、今では御家の重宝になつて居ります地獄変の屏風の由来程、恐ろしい話はございますまい。日頃は物に御騒ぎにならない大殿様でさへ、あの時ばかりは、流石(さすが)に御驚きになつたやうでございました。まして御側に仕へてゐた私どもが、魂も消えるばかりに思つたのは、申し上げるまでもございません。中でもこの私なぞは、大殿様にも二十年来御奉公申して居りましたが、それでさへ、あのやうな凄じい見物(みもの)に出遇つた事は、ついぞ又となかつた位でございます。
 しかし、その御話を致しますには、予め先づ、あの地獄変の屏風を描きました、良秀(よしひで)と申す画師の事を申し上げて置く必要がございませう。

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