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葱(ねぎ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 14:49:03  点击:  切换到繁體中文


 瓦屋根(かわらやね)の上の月の光は、頸(くび)の細い硝子(ガラス)の花立てにさした造花の百合(ゆり)を照らしている。壁に貼ったラファエルの小さなマドンナを照らしている。そうしてまたお君さんの上を向いた鼻を照らしている。が、お君さんの涼しい眼には、月の光も映っていない。霜の下りたらしい瓦屋根も、存在しないのと同じ事である。田中君は今夜カッフェから、お君さんをここまで送って来た。そうして明日(あす)の晩は二人で、楽しく暮そうと云う約束までした。明日はちょうど一月に一度あるお君さんの休日(やすみび)だから、午後六時に小川町(おがわまち)の電車停留場で落合って、それから芝浦(しばうら)にかかっている伊太利人(イタリイじん)のサアカスを見に行こうと云うのである。お君さんは今日(きょう)までに、未嘗(いまだかつて)男と二人で遊びに出かけた覚えなどはない。だから明日の晩田中君と、世間の恋人同士のように、つれ立って夜の曲馬(きょくば)を見に行く事を考えると、今更のように心臓の鼓動(こどう)が高くなって来る。お君さんにとって田中君は、宝窟(ほうくつ)の扉を開くべき秘密の呪文(じゅもん)を心得ているアリ・ババとさらに違いはない。その呪文が唱えられた時、いかなる未知の歓楽境がお君さんの前に出現するか。――さっきから月を眺めて月を眺めないお君さんが、風に煽(あお)られた海のごとく、あるいはまた将(まさ)に走らんとする乗合自動車のモオタアのごとく、轟く胸の中に描いているのは、実にこの来るべき不可思議(ふかしぎ)の世界の幻であった。そこには薔薇(ばら)の花の咲き乱れた路(みち)に、養殖真珠の指環(ゆびわ)だの翡翠(ひすい)まがいの帯止めだのが、数限りもなく散乱している。夜鶯(ナイチンゲエル)の優しい声も、すでに三越(みつこし)の旗の上から、蜜を滴(したたら)すように聞え始めた。橄欖(かんらん)の花の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)(にお)いの中に大理石を畳んだ宮殿では、今やミスタア・ダグラス・フェアバンクスと森律子嬢(もりりつこじょう)との舞踏が、いよいよ佳境に入ろうとしているらしい。……
 が、おれはお君さんの名誉のためにつけ加える。その時お君さんの描いた幻の中には、時々暗い雲の影が、一切(いっさい)の幸福を脅(おびやか)すように、底気味悪く去来していた。成程お君さんは田中君を恋しているのに違いない。しかしその田中君は、実はお君さんの芸術的感激が円光を頂(いただ)かせた田中君である。詩も作る、ヴァイオリンも弾(ひ)く、油絵の具も使う、役者も勤める、歌骨牌(うたがるた)も巧(うま)い、薩摩琵琶も出来るサア・ランスロットである。だからお君さんの中にある処女(しょじょ)の新鮮な直観性は、どうかするとこのランスロットのすこぶる怪しげな正体を感ずる事がないでもない。暗い不安の雲の影は、こう云う時にお君さんの幻の中を通りすぎる。が、遺憾ながらその雲の影は、現れるが早いか消えてしまう。お君さんはいくら大人(おとな)じみていても、十六とか十七とか云う少女である。しかも芸術的感激に充ち満ちている少女である。着物を雨で濡らす心配があるか、ライン河の入日の画端書(えはがき)に感嘆の声を洩(も)らす時のほかは、滅多(めった)に雲の影などへ心を止(と)めないのも不思議ではない。いわんや今は薔薇(ばら)の花の咲き乱れている路に、養殖真珠の指環だの翡翠まがいの帯止めだのが――以下は前に書いた通りだから、そこを読み返して頂きたい。
 お君さんは長い間、シャヴァンヌの聖(サン)・ジュヌヴィエヴのごとく、月の光に照らされた瓦屋根を眺めて立っていたが、やがて嚏(くさめ)を一つすると、窓の障子をばたりとしめて、また元の机の際(きわ)へ横坐りに坐ってしまった。それから翌日の午後六時までお君さんが何をしていたか、その間の詳しい消息(しょうそく)は、残念ながらおれも知っていない。何故(なぜ)作者たるおれが知っていないのかと云うと――正直に云ってしまえ。おれは今夜中にこの小説を書き上げなければならないからである。
 翌日の午後六時、お君さんは怪しげな紫紺(しこん)の御召(おめし)のコオトの上にクリイム色の肩掛をして、いつもよりはそわそわと、もう夕暗に包まれた小川町の電車停留場へ行った。行くとすでに田中君は、例のごとく鍔広(つばびろ)の黒い帽子を目深(まぶか)くかぶって、洋銀の握りのついた細い杖をかいこみながら、縞の荒い半オオヴァの襟を立てて、赤い電燈のともった下に、ちゃんと佇(たたず)んで待っている。色の白い顔がいつもより一層また磨きがかかって、かすかに香水の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)(におい)までさせている容子(ようす)では、今夜は格別身じまいに注意を払っているらしい。
「御待たせして?」
 お君さんは田中君の顔を見上げると、息のはずんでいるような声を出した。
「なあに。」
 田中君は大様(おおよう)な返事をしながら、何とも判然しない微笑を含んだ眼で、じっとお君さんの顔を眺めた。それから急に身ぶるいを一つして、
「歩こう、少し。」
とつけ加えた。いや、つけ加えたばかりではない。田中君はもうその時には、アアク燈に照らされた人通りの多い往来を、須田町(すだちょう)の方へ向って歩き出した。サアカスがあるのは芝浦(しばうら)である。歩くにしてもここからは、神田橋(かんだばし)の方へ向って行かなければならない。お君さんはまだ立止ったまま、埃風(ほこりかぜ)に飜(ひるがえ)るクリイム色の肩掛へ手をやって、
「そっち?」
と不思議そうに声をかけた。が、田中君は肩越しに、
「ああ。」
と軽く答えたぎり、依然として須田町の方へ歩いて行く。そこでお君さんもほかに仕方がないから、すぐに田中君へ追いつくと、葉を振(ふる)った柳の並樹(なみき)の下を一しょにいそいそと歩き出した。するとまた田中君は、あの何とも判然しない微笑を眼の中に漂わせて、お君さんの横顔を窺(うかが)いながら、
「お君さんには御気の毒だけれどもね、芝浦のサアカスは、もう昨夜(ゆうべ)でおしまいなんだそうだ。だから今夜は僕の知っている家(うち)へ行って、一しょに御飯でも食べようじゃないか。」
「そう、私(わたし)どっちでも好いわ。」
 お君さんは田中君の手が、そっと自分の手を捕(とら)えたのを感じながら、希望と恐怖とにふるえている、かすかな声でこう云った。と同時にまたお君さんの眼にはまるで「不如帰(ほととぎす)」を読んだ時のような、感動の涙が浮んできた。この感動の涙を透(とお)して見た、小川町、淡路町(あわじちょう)、須田町の往来が、いかに美しかったかは問うを待たない。歳暮(せいぼ)大売出しの楽隊の音、目まぐるしい仁丹(じんたん)の広告電燈、クリスマスを祝う杉の葉の飾(かざり)、蜘蛛手(くもで)に張った万国国旗、飾窓(かざりまど)の中のサンタ・クロス、露店に並んだ絵葉書(えはがき)や日暦(ひごよみ)――すべてのものがお君さんの眼には、壮大な恋愛の歓喜をうたいながら、世界のはてまでも燦(きら)びやかに続いているかと思われる。今夜に限って天上の星の光も冷たくない。時々吹きつける埃風(ほこりかぜ)も、コオトの裾を巻くかと思うと、たちまち春が返ったような暖い空気に変ってしまう。幸福、幸福、幸福……
 その内にふとお君さんが気がつくと、二人(ふたり)はいつか横町(よこちょう)を曲ったと見えて、路幅の狭い町を歩いている。そうしてその町の右側に、一軒の小さな八百屋(やおや)があって、明(あかる)く瓦斯(ガス)の燃えた下に、大根、人参(にんじん)、漬(つ)け菜(な)、葱(ねぎ)、小蕪(こかぶ)、慈姑(くわい)、牛蒡(ごぼう)、八(や)つ頭(がしら)、小松菜(こまつな)、独活(うど)、蓮根(れんこん)、里芋、林檎(りんご)、蜜柑の類が堆(うずたか)く店に積み上げてある。その八百屋の前を通った時、お君さんの視線は何かの拍子(ひょうし)に、葱の山の中に立っている、竹に燭奴(つけぎ)を挟んだ札(ふだ)の上へ落ちた。札には墨黒々(すみくろぐろ)と下手(へた)な字で、「一束(ひとたば)四銭(よんせん)」と書いてある。あらゆる物価が暴騰した今日(こんにち)、一束四銭と云う葱は滅多にない。この至廉(しれん)な札を眺めると共に、今まで恋愛と芸術とに酔っていた、お君さんの幸福な心の中には、そこに潜んでいた実生活が、突如としてその惰眠から覚めた。間髪(かんはつ)を入れずとは正にこの謂(いい)である。薔薇(ばら)と指環と夜鶯(ナイチンゲエル)と三越(みつこし)の旗とは、刹那に眼底を払って消えてしまった。その代り間代(まだい)、米代、電燈代、炭代、肴代(さかなだい)、醤油代、新聞代、化粧代、電車賃――そのほかありとあらゆる生活費が、過去の苦しい経験と一しょに、恰(あたか)も火取虫の火に集るごとく、お君さんの小さな胸の中に、四方八方から群(むらが)って来る。お君さんは思わずその八百屋の前へ足を止めた。それから呆気(あっけ)にとられている田中君を一人後に残して、鮮(あざやか)な瓦斯(ガス)の光を浴びた青物の中へ足を入れた。しかもついにはその華奢(きゃしゃ)な指を伸べて、一束四銭の札が立っている葱の山を指さすと、「さすらい」の歌でもうたうような声で、
「あれを二束(ふたたば)下さいな。」と云った。
 埃風(ほこりかぜ)の吹く往来には、黒い鍔広(つばびろ)の帽子(ぼうし)をかぶって、縞(しま)の荒い半オオヴァの襟を立てた田中君が、洋銀の握りのある細い杖をかいこみながら、孤影悄然(しょうぜん)として立っている。田中君の想像には、さっきからこの町のはずれにある、格子戸造(こうしどづくり)の家が浮んでいた。軒に松(まつ)の家(や)と云う電燈の出た、沓脱(くつぬ)ぎの石が濡れている、安普請(やすぶしん)らしい二階家である、が、こうした往来に立っていると、その小ぢんまりした二階家の影が、妙にだんだん薄くなってしまう。そうしてその後(あと)には徐(おもむろ)に一束四銭の札(ふだ)を打った葱(ねぎ)の山が浮んで来る。と思うとたちまち想像が破れて、一陣の埃風(ほこりかぜ)が過ぎると共に、実生活のごとく辛辣(しんらつ)な、眼に滲(し)むごとき葱の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)(におい)が実際田中君の鼻を打った。
「御待ち遠さま。」
 憐むべき田中君は、世にも情無(なさけな)い眼つきをして、まるで別人でも見るように、じろじろお君さんの顔を眺めた。髪を綺麗にまん中から割って、忘れな草の簪(かんざし)をさした、鼻の少し上を向いているお君さんは、クリイム色の肩掛をちょいと顋(あご)でおさえたまま、片手に二束八銭の葱を下げて立っている。あの涼しい眼の中に嬉しそうな微笑を躍らせながら。

       ―――――――――――――――――――――――――

 とうとうどうにか書き上げたぞ。もう夜が明けるのも間はあるまい。外では寒そうな鶏(にわとり)の声がしているが、折角(せっかく)これを書き上げても、いやに気のふさぐのはどうしたものだ。お君さんはその晩何事もなく、またあの女髪結(おんなかみゆい)の二階へ帰って来たが、カッフェの女給仕をやめない限り、その後(ご)も田中君と二人で遊びに出る事がないとは云えまい。その時の事を考えると、――いや、その時はまたその時の事だ。おれが今いくら心配した所で、どうにもなる訳のものではない。まあこのままでペンを擱(お)こう。左様(さよう)なら。お君さん。では今夜もあの晩のように、ここからいそいそ出て行って、勇ましく――批評家に退治(たいじ)されて来給え。

(大正八年十二月十一日)




 



底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
   1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月8日公開
2004年3月12日修正
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