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冬(ふゆ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-17 14:54:22  点击:  切换到繁體中文


「妙な帽子ね。日本で出来るもんじゃないでしょう?」
「これ? これはロシア人のかぶる帽子さ。」
 しかし従兄の弟は従兄以上に「仕事師」だけにいろいろの障害を見越していた。
「何しろこの間も兄貴(あにき)の友だちなどは××新聞の社会部の記者に名刺を持たせてよこすんです。その名刺には口止め料金のうち半金(はんきん)は自腹を切って置いたから、残金を渡してくれと書いてあるんです。それもこっちで検(しら)べて見れば、その新聞記者に話したのは兄貴の友だち自身なんですからね。勿論半金などを渡したんじゃない。ただ残金をとらせによこしているんです。そのまた新聞記者も新聞記者ですし、……」
「僕もとにかく新聞記者ですよ。耳の痛いことは御免蒙(ごめんこうむ)りますかね。」
 僕は僕自身を引き立てるためにも常談(じょうだん)を言わずにはいられなかった。が、従兄の弟は酒気を帯びた目を血走らせたまま、演説でもしているように話しつづけた。それは実際常談さえうっかり言われない権幕(けんまく)に違いなかった。
「おまけに予審判事(よしんはんじ)を怒(おこ)らせるためにわざと判事をつかまえては兄貴を弁護する手合いもあるんですからね。」
「それはあなたからでも話して頂けば、……」
「いや、勿論そう言っているんです。御厚意は重々(じゅうじゅう)感謝しますけれども、判事の感情を害すると、反(かえ)って御厚意に背(そむ)きますからと頭を下げて頼んでいるんです。」
 従姉(いとこ)は瓦斯(ガス)暖炉の前に坐ったまま、アストラカンの帽をおもちゃにしていた。僕は正直に白状すれば、従兄の弟と話しながら、この帽のことばかり気にしていた。火の中にでも落されてはたまらない。――そんなことも時々考えていた。この帽は僕の友だちのベルリンのユダヤ人町を探がした上、偶然モスクヴァへ足を伸ばした時、やっと手に入れることの出来たものだった。
「そう言っても駄目(だめ)ですかね?」
「駄目どころじゃありません。僕は君たちのためを思って骨を折っていてやるのに失敬なことを言うなと来るんですから。」
「なるほどそれじゃどうすることも出来ない。」
「どうすることも出来ません。法律上の問題には勿論、道徳上の問題にもならないんですからね。とにかく外見は友人のために時間や手数(てすう)をつぶしている、しかし事実は友人のために陥(おと)し穽(あな)を掘る手伝いをしている、――あたしもずいぶん奮闘主義ですが、ああ云うやつにかかっては手も足も出すことは出来ません。」
 こう云う僕等の話の中(うち)に俄(にわ)かに僕等を驚かしたのは「T君万歳」と云う声だった。僕は片手に窓かけを挙げ、窓越しに往来へ目を落した。狭い往来には人々が大勢(おおぜい)道幅一ぱいに集っていた。のみならず××町青年団と書いた提灯(ちょうちん)が幾つも動いていた。僕は従姉たちと顔を見合せ、ふと従兄には××青年団団長と云う肩書もあったのを思い出した。
「お礼を言いに出なくっちゃいけないでしょうね。」
 従姉はやっと「たまらない」と云う顔をし、僕等二人(ふたり)を見比べるようにした。
「何、わたしが行って来ます。」
 従兄の弟は無造作(むぞうさ)にさっさと部屋を後ろにして行った。僕は彼の奮闘主義にある羨(うらやま)しさを感じながら、従姉の顔を見ないように壁の上の画などを眺めたりした。しかし何も言わずにいることはそれ自身僕には苦しかった。と云って何か言ったために二人とも感傷的になってしまうことはなおさら僕には苦しかった。僕は黙って巻煙草に火をつけ、壁にかかげた画の一枚に、――従兄自身の肖像画に遠近法の狂いなどを見つけていた。
「こっちは万歳どころじゃありはしない。そんなことを言ったって仕かたはないけれども……」
 従姉は妙に空ぞらしい声にとうとう僕に話しかけた。
「町内(ちょうない)ではまだ知らずにいるのかしら?」
「ええ、……でも一体どうしたんでしょう?」
「何が?」
「Tのことよ。お父さんのこと。」
「それはTさんの身になって見れば、いろいろ事情もあったろうしさ。」
「そうでしょうか?」
 僕はいつか苛立たしさを感じ、従姉に後ろを向けたまま、窓の前へ歩いて行った。窓の下の人々は不相変(あいかわらず)万歳の声を挙げていた。それはまた「万歳、万歳」と三度繰り返して唱(とな)えるものだった。従兄の弟は玄関の前へ出、手ん手に提灯(ちょうちん)をさし上げた大勢(おおぜい)の人々にお時宜(じぎ)をしていた。のみならず彼の左右には小さい従兄の娘たちも二人、彼に手をひかれたまま、時々取ってつけたようにちょっとお下(さ)げの頭を下げたりしていた。………
 それからもう何年かたった、ある寒さの厳しい夜、僕は従兄の家の茶の間(ま)に近頃始めた薄荷(はっか)パイプを啣(くわ)え、従姉と差し向いに話していた。初七日(しょなのか)を越した家の中は気味の悪いほどもの静かだった。従兄の白木(しらき)の位牌(いはい)の前には燈心(とうしん)が一本火を澄ましていた。そのまた位牌を据えた机の前には娘たちが二人夜着(よぎ)をかぶっていた。僕はめっきり年をとった従姉の顔を眺めながら、ふとあの僕を苦しめた一日の出来事を思い出した。しかし僕の口に出したのはこう云う当り前の言葉だけだった。
「薄荷(はっか)パイプを吸っていると、余計寒さも身にしみるようだね。」
「そうお、あたしも手足が冷(ひ)えてね。」
 従姉は余り気のないように長火鉢の炭などを直していた。………

(昭和二年六月四日)




 



底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年3月1日公開
2004年3月7日修正
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