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文芸的な、余りに文芸的な(ぶんげいてきな、あまりにぶんげいてきな)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-17 14:56:50  点击:  切换到繁體中文

底本: 現代日本文学大系 43 芥川龍之介集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1968(昭和43)年8月25日
入力に使用: 1968(昭和43)年8月25日初版第1刷

 

  一 「話」らしい話のない小説

 僕は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。従つて「話」らしい話のない小説ばかり書けとも言はない。第一僕の小説も大抵は「話」を持つてゐる。デツサンのない画は成り立たない。それと丁度同じやうに小説は「話」の上に立つものである。(僕の「話」と云ふ意味は単に「物語」と云ふ意味ではない。)し厳密に云ふとすれば、全然「話」のない所には如何いかなる小説も成り立たないであらう。従つて僕は「話」のある小説にも勿論尊敬を表するものである。「ダフニとクロオと」の物語以来、あらゆる小説或は叙事詩が「話」の上に立つてゐる以上、誰か「話」のある小説に敬意を表せずにゐられるであらうか? 「マダム・ボヴアリイ」も「話」を持つてゐる。「戦争と平和」も「話」を持つてゐる。「赤と黒と」も「話」を持つてゐる。……
 しかし或小説の価値を定めるものは決して「話」の長短ではない。いはんや話の奇抜であるか奇抜でないかと云ふことは評価の埒外らちぐわいにあるはずである。(谷崎潤一郎は人も知る通り、奇抜な「話」の上に立つた多数の小説の作者である。その又奇抜な「話」の上に立つた同氏の小説の何篇かは恐らくは百代の後にも残るであらう。しかしそれは必しも「話」の奇抜であるかどうかに生命を託してゐるのではない。)更に進んで考へれば、「話」らしい話の有無うむさへもかう云ふ問題には没交渉である。僕は前にも言つたやうに「話」のない小説を、――或は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。しかしかう云ふ小説も存在し得ると思ふのである。
「話」らしい話のない小説は勿論ただ身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩などと呼ばれるものよりもはるかに小説に近いものである。僕は三度繰り返せば、この「話」のない小説を最上のものとは思つてゐない。が、若し「純粋な」と云ふ点から見れば、――通俗的興味のないと云ふ点から見れば、最も純粋な小説である。もう一度画を例に引けば、デツサンのない画は成り立たない。(カンデインスキイの「即興」などと題する数枚の画は例外である。)しかしデツサンよりも色彩に生命を託した画は成り立つてゐる。幸ひにも日本へ渡つて来た何枚かのセザンヌの画は明らかにこの事実を証明するのであらう。僕はかう云ふ画に近い小説に興味を持つてゐるのである。
 ではかう云ふ小説はあるかどうか? 独逸ドイツの初期自然主義の作家たちはかう云ふ小説に手をつけてゐる。しかし更に近代ではかう云ふ小説の作家としては何びともジユウル・ルナアルにかない。(僕の見聞する限りでは)たとへばルナアルの「フイリツプ一家の家風」は(岸田国士氏の日本訳「葡萄ぶだう畑の葡萄作り」の中にある)一見未完成かと疑はれる位である。が、実は「善く見る目」と「感じ易い心」とだけに仕上げることの出来る小説である。もう一度セザンヌを例に引けば、セザンヌは我々後代のものへ沢山の未完成の画を残した。丁度ミケル・アンヂエロが未完成の彫刻を残したやうに。――しかし未完成と呼ばれてゐるセザンヌの画さへ未完成かどうか多少の疑ひなきを得ない。現にロダンはミケル・アンヂエロの未完成の彫刻に完成の名を与へてゐる!……しかしルナアルの小説はミケル・アンヂエロの彫刻は勿論、セザンヌの画の何枚かのやうに未完成の疑ひのあるものではない。僕は不幸にも寡聞くわぶんの為に仏蘭西フランス人はルナアルをどう評価してゐるかを知らずにゐる。けれども、わがルナアルの仕事の独創的なものだつたことを十分には認めてゐないらしい。
 ではかう云ふ小説は紅毛人こうまうじん以外には書かなかつたか? 僕は僕等日本人の為に志賀直哉氏の諸短篇を、――「焚火たきび」以下の諸短篇を数へ上げたいと思つてゐる。
 僕はかう云ふ小説は「通俗的興味はない」と言つた。僕の通俗的興味と云ふ意味は事件そのものに対する興味である。僕はけふ往来に立ち、車夫と運転手との喧嘩けんくわを眺めてゐた。のみならず或興味を感じた。この興味は何であらう? 僕はどう考へて見ても、芝居の喧嘩を見る時の興味と違ふとは考へられない。し違つてゐるとすれば、芝居の喧嘩は僕の上へ危険をもたらさないにもかかはらず、往来の喧嘩はいつ何時なんどき危険を齎らすかもわからないことである。僕はかう云ふ興味を与へる文芸を否定するものではない。しかしかう云ふ興味よりも高い興味のあることを信じてゐる。若しこの興味とは何かと言へば、――僕は特に谷崎潤一郎氏にはかう答へたいと思つてゐる。――「麒麟きりん」の冒頭の数頁はただちにこの興味を与へる好個かうこの一例となるであらう。
「話」らしい話のない小説は通俗的興味の乏しいものである。が、最も善い意味では決して通俗的興味に乏しくない。(それは唯「通俗的」と云ふ言葉をどう解釈するかと云ふ問題である。)ルナアルの書いたフイリツプが――詩人の目と心とを透して来たフイリツプが僕等に興味を与へるのは一半はその僕等に近い一凡人である為である。それをも亦通俗的興味と呼ぶことは必しも不当ではないであらう。(もつとも僕は僕の議論の力点を「一凡人である」と云ふことには加へたくない。「詩人の目と心とを透して来た一凡人である」と云ふことに加へたいのである。)現に僕はかう云ふ興味の為に常に文芸に親しんでゐる大勢の人を知つてゐる。僕等は勿論動物園の麒麟に驚嘆の声をしむものではない。が、僕等の家にゐる猫にもやはり愛着あいぢやくを感ずるのである。
 しかし或論者の言ふやうにセザンヌを画の破壊者とすれば、ルナアルも亦小説の破壊者である。この意味ではルナアルは暫く問はず、香炉かうろの香を帯びたジツドにもせよ、町の匂ひのするフイリツプにもせよ、多少はこの人通りの少ない、陥穽かんせいに満ちた道を歩いてゐるのであらう。僕はかう云ふ作家たちの仕事に――アナトオル・フランスやバレス以後の作家たちの仕事に興味を持つてゐる。僕の所謂いはゆる「話」らしい話のない小説はどう云ふ小説を指してゐるか、なぜ又僕はかう云ふ小説に興味を持つてゐるか、――それ等は大体上に書いた数十行の文章にきてゐるであらう。

     二 谷崎潤一郎氏に答ふ

 次に僕は谷崎潤一郎氏の議論に答へる責任を持つてゐる。尤もこの答の一半は(一)[#「(一)」は縦中横]の中にもないことはない。が、「およそ文学に於て構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説である」と云ふ谷崎氏の言には不服である。どう云ふ文芸も、――僅々きんきん十七字の発句ほつくさへ「構造的美観」を持たないことはない。しかしかう云ふ論法を進めることは谷崎氏の言を曲解するものである。とは言へ「凡そ文学に於て構造的美観を最も多量に持ち得るもの」は小説よりもむしろ戯曲であらう。勿論最も戯曲らしい小説は小説らしい戯曲よりも「構成的美観」を欠いてゐるかも知れない。しかし戯曲は小説よりも大体「構成的美観」に豊かである。――それも亦実は議論上の枝葉に過ぎない。かく小説と云ふ文芸上の形式は「最も」か否かを暫くき、「構成的美観」に富んでゐるであらう。なほ又谷崎氏の言ふやうに「筋の面白さを除外するのは、小説と云ふ形式が持つ特権を捨ててしまふ」と云ふことも考へられるのに違ひない。が、この問題に対する答は(一)[#「(一)」は縦中横]の中に書いたつもりである。唯「日本の小説に最も欠けてゐるところは、此の構成する力、いろいろ入り組んだ筋を幾何学的に組み立てる才能にある」かどうか、その点は僕は無造作に谷崎氏の議論に賛することは出来ない。我々日本人は「源氏物語」の昔からかう云ふ才能を持ち合せてゐる。単に現代の作家諸氏を見ても、泉鏡花氏、正宗白鳥氏、里見※(「弓+椁のつくり」、第3水準1-84-22)とん氏、久米正雄氏、佐藤春夫氏、宇野浩二氏、菊池寛氏等を数へられるであらう。しかもそれ等の作家諸氏の中にも依然として異彩を放つてゐるのは「僕等の兄」谷崎潤一郎氏自身である。僕は決して谷崎氏のやうに我々東海の孤島の民に「構成する力」のないのを悲しんでゐない。
 この「構成する力」の問題はまだ何十行でも論ぜられるであらう。しかしその為には谷崎氏の議論のもう少し詳しいのを必要としてゐる。唯次手ついでに一言すれば、僕はこの「構成する力」の上では我々日本人は支那人よりも劣つてゐるとは思つてゐない。が、「水滸伝すゐこでん」「西遊記さいいうき」「金瓶梅きんぺいばい」「紅楼夢こうろうむ」「品花宝鑑ひんくわはうかん」等の長篇を絮々綿々じよじよめんめんと書き上げる肉体的力量には劣つてゐると思つてゐる。
 更に谷崎氏に答へたいのは「芥川君の筋の面白さを攻撃するうちには、組み立ての方面よりも、或は寧ろ材料にあるかも知れない」と云ふ言葉である。僕は谷崎氏の用ふる材料には少しも異存を持つてゐない。「クリツプン事件」も「小さい王国」も「人魚の歎き」も材料の上では決して不足を感じないものである。それから又谷崎氏の創作態度にも、――僕は佐藤春夫氏を除けば、恐らくは谷崎氏の創作態度を最も知つてゐる一人であらう。僕が僕自身をむちうつと共に谷崎潤一郎氏をも鞭ちたいのは(僕の鞭にとげのないことは勿論谷崎氏も知つてゐるであらう。)その材料を生かす為の詩的精神の如何いかんである。或は又詩的精神の深浅である。谷崎氏の文章はスタンダアルの文章よりも名文であらう。(暫く十九世紀中葉の作家たちはバルザツクでもスタンダアルでもサンドでも名文家ではなかつたと云ふアナトオル・フランスの言葉を信ずるとすれば)ことに絵画的効果を与へることはその点では無力に近かつたスタンダアルなどの匹儔ひつちうではない。(これも又連帯責任者にはブランデスを連れてくれば善い。)しかしスタンダアルの諸作の中にみなぎり渡つた詩的精神はスタンダアルにして始めて得られるものである。フロオベエル以前の唯一のラルテイストだつたメリメエさへスタンダアルに一籌いつちうしたのはこの問題に尽きてゐるであらう。僕が谷崎潤一郎氏に望みたいものは畢竟ひつきやう唯この問題だけである。「刺青しせい」の谷崎氏は詩人だつた。が、「愛すればこそ」の谷崎氏は不幸にも詩人には遠いものである。
「大いなる友よ、汝は汝の道にかへれ。」

     三 僕

 最後に僕の繰り返したいのは僕も亦今後側目わきめもふらずに「話」らしい話のない小説ばかり作るつもりはないと云ふことである。僕等は誰も皆出来ることしかしない。僕の持つてゐる才能はかう云ふ小説を作ることに適してゐるかどうか疑問である。のみならずかう云ふ小説を作ることは決して並み並みの仕事ではない。僕の小説を作るのは小説はあらゆる文芸の形式中、最も包容力に富んでゐる為に何でもぶちこんでしまはれるからである。若し長詩形の完成した紅毛人の国に生まれてゐたとすれば、僕は或は小説家よりも詩人になつてゐたかも知れない。僕はいろいろの紅毛人たちに何度も色目を使つて来た。しかし今になつて考へて見ると、最も内心に愛してゐたのは詩人兼ジヤアナリストの猶太人ユダヤじん――わがハインリツヒ・ハイネだつた。

(昭和二年二月十五日)


     四 大作家

 僕は上に書いた通り、すこぶ雑駁ざつぱくな作家である。が、雑駁な作家であることは必しも僕のわづらひではない。いや、何びとの患ひでもない。古来の大作家と称するものはことごとく雑駁な作家である。彼等は彼等の作品の中にあらゆるものをはふりこんだ。ゲエテを古今の大詩人とするのもたとひ全部ではないにもせよ、大半はこの雑駁なことに、――この箱船の乗り合ひよりも雑駁なことに存してゐる。しかし厳密に考へれば、雑駁なことは純粋なことにかない。僕はこの点では大作家と云ふものにいつも疑惑の目を注いでゐる。彼等は成程一時代を代表するに足るものであらう。しかし彼等の作品が後代を動かすに足るとすれば、それは唯彼等がどの位純粋な作家だつたかと云ふ一点に帰してしまふわけである。「大詩人と云ふことは何でもない。我々は唯純粋な詩人を目標にしなければならぬ」と云ふ「狭い門」(ジツド)の主人公の言葉も決して等閑とうかんに附することは出来ない。僕は「話」らしい話のない小説を論じた時、偶然この「純粋な」と云ふ言葉を使つた。今この言葉を機縁にし、最も純粋な作家たちの一人、――志賀直哉氏のことを論ずるつもりである。従つてこの議論の後半はおのづから志賀直哉論に変化するであらう。尤も時と場合により、どう云ふ横道にれてしまふか、それは僕自身にも保証出来ない。

     五 志賀直哉氏

 志賀直哉氏は僕等のうちでも最も純粋な作家――でなければ最も純粋な作家たちの一人である。志賀直哉氏を論ずるのは勿論僕自身に始まつたことではない。僕は生憎あいにく多忙の為に、――と云ふよりは寧ろ無精ぶしやうの為にそれ等の議論を読まずにゐる。従つていつか前人の説を繰り返すことになるかも知れない。しかし又或は前人の説を繰り返すことにもならないかも知れない。……
 (一)[#「(一)」は縦中横] 志賀直哉氏の作品は何よりも先にこの人生を立派に生きてゐる作家の作品である。立派に?――この人生を立派に生きることは第一には神のやうに生きることであらう。志賀直哉氏もまた地上にゐる神のやうには生きてゐないかも知れない。が、少くとも清潔に、(これは第二の美徳である)生きてゐることは確かである。勿論僕の「清潔に」と云ふ意味は石鹸ばかり使つてゐることではない。「道徳的に清潔に」と云ふ意味である。これは或は志賀直哉氏の作品を狭いものにしたやうに見えるかも知れない。が、実は狭いどころか、かへつて広くしてゐるのである。なぜ又広くしてゐるかと言へば、僕等の精神的生活は道徳的属性を加へることにより、その属性を加へない前よりも広くならずにはゐないからである。(勿論道徳的属性を加へると云ふ意味も教訓的であると云ふことではない。物質的苦痛を除いた苦痛は大半はこの属性の生んだものである。谷崎潤一郎氏の悪魔主義がやはりこの属性から生まれてゐることは言ふまでもあるまい。〔悪魔は神の二重人格者である。〕更に例を求めるとすれば、僕は正宗白鳥氏の作品にさへ屡々しばしば論ぜられる厭世えんせい主義よりも寧ろ基督キリスト的魂の絶望を感じてゐるものである。)この属性は志賀氏の中に勿論深い根を張つてゐたのであらう。しかし又この属性を刺戟する上には近代の日本の生んだ道徳的天才、――恐らくはその名にあたひする唯一の道徳的天才たる武者小路実篤氏の影響も決して少くはなかつたであらう。念の為にもう一度繰り返せば、志賀直哉氏はこの人生を清潔に生きてゐる作家である。それは同氏の作品の中にある道徳的口気こうきにもうかがはれるであらう。(「佐々木の場合」の末段はその著しい一例である。)同時に又同氏の作品の中にある精神的苦痛にも窺はれないことはない。長篇「暗夜行路」を一貫するものは実にこの感じ易い道徳的魂の苦痛である。
 (二)[#「(二)」は縦中横] 志賀直哉氏は描写の上には空想を頼まないリアリストである。その又リアリズムのさいに入つてゐることは少しも前人の後に落ちない。若しこの一点を論ずるとすれば、僕は何の誇張もなしにトルストイよりも細かいと言ひ得るであらう。これは又同氏の作品を時々平板へいばんをはらせてゐる。が、この一点に注目するものはかう云ふ作品にも満足するであらう。世人の注目をかなかつた、「廿代一面にじふだいいちめん」はかう云ふ作品の一例である。しかしその効果を収めたものは、(たとへば小品「鵠沼行くげぬまゆき」にしても)写生の妙を極めないものはない。次手ついでに「鵠沼行」のことを書けば、あの作品のデイテエルは悉く事実に立脚してゐる。が、「丸くふくれた小さな腹には所々に砂がこびりついて居た」と云ふ一行だけは事実ではない。それを読んだ作中人物の一人は「ああ、ほんたうにあの時には××ちやんのおなかに砂がついてゐた」と言つた!
 (三)[#「(三)」は縦中横] しかし描写上のリアリズムは必しも志賀直哉氏に限つたことではない。同氏はこのリアリズムに東洋的伝統の上に立つた詩的精神を流しこんでゐる。同氏のエピゴオネンの及ばないのはこの一点にあると言つても差し支へない。これこそ又僕等に――少くとも僕に最も及び難い特色である。僕は志賀直哉氏自身もこの一点を意識してゐるかどうかは必しもはつきりとは保証出来ない。(あらゆる芸術的活動を意識のしきゐの中に置いたのは十年前の僕である。)しかしこの一点はたとひ作家自身は意識しないにもせよ、確かに同氏の作品に独特の色彩を与へるものである。「焚火」、「真鶴まなづる」等の作品はほとんどかう云ふ特色の上に全生命を託したものであらう。それ等の作品は詩歌にも劣らず(勿論この詩歌と云ふ意味は発句ほつくをも例外にするのではない。)すこぶる詩歌的に出来上つてゐる。これは又現世の用語を使へば、「人生的」と呼ばれる作品の一つ、――「憐れな男」にさへ看取かんしゆ出来るであらう。ゴムだまのやうに張つた女の乳房に「豊年だ。豊年だ」を唄ふことは到底詩人以外に出来るものではない。僕は現世の人々がかう云ふ志賀直哉氏の「美しさに」比較的注意しないことに多少の遺憾を感じてゐる。(「美しさ」は極彩色ごくさいしきの中にあるばかりではない。)同時に又他の作家たちの美しさにもやはり注意しないことに多少の遺憾を感じてゐる。
 (四)[#「(四)」は縦中横] 更に又やはり作家たる僕は志賀直哉氏のテクニイクにも注意をおこたらない一人である。「暗夜行路」の後篇はこの同氏のテクニイクの上にも一進歩を遂げてゐるものであらう。が、かう云ふ問題は作家以外の人々には余り興味のないことかも知れない。僕は唯初期の志賀直哉氏さへ、立派なテクニイクの持ち主だつたことを手短かに示したいと思ふだけである。
 ――煙管きせるは女持でも昔物で今の男持よりも太く、ガツシリしたこしらへだつた。吸口の方に玉藻たまもまへ檜扇ひあふぎかざして居る所が象眼ざうがんになつてゐる。……彼は其のあざやかな細工に暫く見惚みとれて居た。そして、身長の高い、眼の大きい、鼻の高い、美しいと云ふよりすべてがリツチな容貌をした女には如何にもこれが似合ひさうに思つた。――
 これは「彼と六つ上の女」の結末である。
 ――代助は花瓶の右手にある組み重ねの書棚の前へ行つて、上に載せた重い写真帖を取り上げて、立ちながら、金の留金とめがねを外して、一枚二枚と繰り始めたが、中頃まで来てぴたりと手を留めた。其処には二十歳位の女の半身がある。代助は眼をせてぢつと女の顔を見詰めてゐた。――
 これは「それから」の第一回の結末である。
 出門日已遠しゆつもんひすでにとほし 不受徒旅欺うけずとりよのあざむくを 骨肉恩豈断こつにくのおんあにたたんや 手中挑青糸しゆちゆうせいしをとる 捷下万仞岡 俯身試搴旗
 これは更にずつと古い杜甫とほの「前出塞ぜんしゆつさい」の詩の結末――ではない一首である。が、いづれも目に訴へる、――言はば一枚の人物画に近い造形美術的効果により、結末を生かしてゐるのは同じことである。
 (五)[#「(五)」は縦中横] これは畢竟ひつきやう余論である。志賀直哉氏の「子を盗む話」は西鶴の「子供地蔵」(大下馬おほげば)を思はせ易い。が、更に「はんの犯罪」はモオパスサンの「ラルテイスト」(?)を思はせるであらう。「ラルテイスト」の主人公はやはり女の体のまはりへナイフを打ちつける芸人である。「范の犯罪」の主人公は或精神的薄明りの中に見事に女を殺してしまふ。が、「ラルテイスト」の主人公は如何いかに女を殺さうとしても、多年の熟練を積んだ結果、ナイフは女の体に立たずに体のまはりにだけ立つのである。しかもこの事実を知つてゐる女は冷然と男を見つめたまま、微笑さへ洩らしてゐるのである。けれども西鶴の「子供地蔵」は勿論、モオパスサンの「ラルテイスト」も志賀直哉氏の作品には何の関係も持つてゐない。これは後世の批評家たちに模倣よばはりをさせぬ為に特にちよつとつけ加へるのである。

     六 僕等の散文

 佐藤春夫氏の説によれば、僕等の散文は口語文であるから、しやべるやうに書けと云ふことである。これは或は佐藤氏自身は不用意のうちに言つたことかも知れない。しかしこの言葉は或問題を、――「文章の口語化」と云ふ問題を含んでゐる。近代の散文は恐らくは「しやべるやうに」の道を踏んで来たのであらう。僕はその著しい例に(近くは)武者小路実篤、宇野浩二、佐藤春夫等の諸氏の散文を数へたいものである。志賀直哉氏も亦この例に洩れない。しかし僕等の「しやべりかた」が、紅毛人の「しやべりかた」は暫く問はず、隣国たる支那人の「しやべりかた」よりも音楽的でないことも事実である。僕は「しやべるやうに書きたい」願ひも勿論持つてゐないものではない。が、同時に又一面には「書くやうにしやべりたい」とも思ふものである。僕の知つてゐる限りでは夏目先生はどうかすると、実に「書くやうにしやべる」作家だつた。(但し「書くやうにしやべるものは即ちしやべるやうに書いてゐるから」と云ふ循環論法的な意味ではない。)「しやべるやうに書く」作家は前にも言つたやうにゐないわけではない。が、「書くやうにしやべる」作家はいつこの東海の孤島に現はれるであらう。しかし、――
 しかし僕の言ひたいのは「しやべる」ことよりも「書く」ことである。僕等の散文も羅馬ロオマのやうに一日に成つたものではない。僕等の散文は明治の昔からじりじり成長をつづけて来たものである。そのいしずゑゑたものは明治初期の作家たちであらう。しかしそれは暫く問はず、比較的近い時代を見ても、僕は詩人たちが散文に与へた力をも数へたいと思ふものである。
 夏目先生の散文は必しも他を待つたものではない。しかし先生の散文が写生文に負ふ所のあるのは争はれない。ではその写生文は誰の手になつたか? 俳人兼歌人兼批評家だつた正岡子規の天才によつたものである。(子規はひとり写生文に限らず、僕等の散文、――口語文の上へ少からぬ功績を残した。)かう云ふ事実を振り返つて見ると、高浜虚子きよし、坂本四方太しはうだ等の諸氏もやはりこの写生文の建築師のうちに数へなければならぬ。(勿論「俳諧師」の作家高浜氏の小説の上に残した足跡は別に勘定するのである。)けれども僕等の散文が詩人たちの恩をかうむつたのは更に近い時代にもない訣ではない。ではそれは何かと言へば、北原白秋氏の散文である。僕等の散文に近代的な色彩や匂を与へたものは詩集「思ひ出」の序文だつた。かう云ふ点では北原氏の外に木下杢太郎もくたらう氏の散文を数へても善い。
 現世の人々は詩人たちを何か日本のパルナスの外に立つてゐるやうに思つてゐる。が、何も小説や戯曲はあらゆる文芸上の形式と没交渉に存在してゐる訣ではない。詩人たちは彼等の仕事の外にもやはり又僕等の仕事にいつも影響を与へてゐる。それは別に上に書いた事実の証明するばかりではない。僕等と同時代の作家たちの中に詩人佐藤春夫、詩人室生犀星むろふさいせい、詩人久米正雄等の諸氏を数へることは明らかに僕の説を裏書きするものである。いや、それ等の作家ばかりではない。最も小説家らしい里見※(「弓+椁のつくり」、第3水準1-84-22)とん氏さへ幾篇かの詩を残してゐる筈である。
 詩人たちは或は彼等の孤立に多少のたんを持つてゐるかも知れない。しかしそれは僕に言はせれば、寧ろ「名誉の孤立」である。

     七 詩人たちの散文

 尤も詩人たちの散文は人力にも限りのある以上、大抵彼等の詩と同程度に完成してゐないのを常としてゐる。芭蕉ばせをの「奥の細道」もやはり又この例に洩れない。殊に冒頭の一節はあの全篇にみなぎつた写生的興味を破つてゐる。第一「月日は百代の過客くわかくにして、ゆきかふ年も又旅人なり」と云ふ第一行を見ても、軽みを帯びた後半は前半の重みを受けとめてゐない。(散文にも野心のあつた芭蕉は同時代の西鶴の文章を「浅ましくもなりさがれる姿」と評した。これは枯淡こたんを愛した芭蕉には少しも無理のない言葉である。)しかし彼の散文もやはり作家たちの散文に影響を与へたことは確かである。たとひそれは「俳文」と呼ばれる彼以後の散文を通過して来たにもしろ。

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