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文章(ぶんしょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-17 14:59:30  点击:  切换到繁體中文



 本多少佐の葬式の日は少しものない秋日和あきびよりだった。保吉はフロック・コオトにシルク・ハットをかぶり、十二三人の文官教官と葬列のあとについて行った。そのうちにふと振り返ると、校長の佐佐木ささき中将を始め、武官では藤田大佐だの、文官では粟野あわの教官だのは彼よりもうしろに歩いている。彼は大いに恐縮したから、すぐ後ろにいた藤田大佐へ「どうかお先へ」と会釈えしゃくをした。が、大佐は「いや」と云ったぎり、妙ににやにや笑っている。すると校長と話していた、口髭くちひげの短い粟野教官はやはり微笑を浮かべながら、常談じょうだんとも真面目まじめともつかないようにこう保吉へ注意をした。
「堀川君。海軍の礼式じゃね、高位高官のものほどあとにさがるんだから、君はとうてい藤田さんの後塵こうじんなどは拝せないですよ。」
 保吉はもう一度恐縮した。なるほどそう云われて見れば、あの愛敬あいきょうのある田中中尉などはずっと前の列に加わっている。保吉は※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうそう大股おおまたに中尉の側へ歩み寄った。中尉はきょうも葬式よりは婚礼の供にでも立ったように欣々きんきんと保吉へ話しかけた。
い天気ですなあ。……あなたは今葬列に加わられたんですか?」
「いや、ずっとうしろにいたんです。」
 保吉はさっきの顛末てんまつを話した。中尉は勿論葬式の威厳をきずつけるかと思うほど笑い出した。
「始めてですか、葬式に来られたのは?」
「いや、重野少尉の時にも、木村大尉の時にも出て来たはずです。」
「そう云う時にはどうされたですか?」
「勿論校長や科長よりもずっとあとについていたんでしょう。」
「そりゃどうも、――大将格になったわけですな。」
 葬列はもう寺に近い場末ばすえの町にはいっている。保吉は中尉と話しながら、葬式を見に出た人々にも目をやることを忘れなかった。この町の人々は子供の時から無数の葬式を見ているため、葬式の費用を見積みつもることに異常の才能を生じている。現に夏休みの一日前に数学を教える桐山きりやま教官のお父さんの葬列の通った時にも、ある家の軒下のきしたたたずんだ甚平じんべい一つの老人などは渋団扇しぶうちわひたいへかざしたまま、「ははあ、十五円のとむらいだな」と云った。きょうも、――きょうは生憎あいにくあの時のように誰もその才能を発揮しない。が、大本教おおもときょう神主かんぬしが一人、彼自身の子供らしいしら肩車かたぐるまにしていたのは今日こんにち思い出しても奇観である。保吉はいつかこの町の人々を「葬式」とか何とか云う短篇の中に書いて見たいと思ったりした。
「今月は何とかほろ上人しょうにんと云う小説をお書きですな。」
 愛想のい田中中尉はしっきりなしに舌をそよがせている。
「あの批評が出ていましたぜ。けさの時事じじ、――いや、読売よみうりでした。のちほど御覧に入れましょう。外套がいとうのポケットにはいっていますから。」
「いや、それには及びません。」
「あなたは批評をやられんようですな。わたしはまた批評だけは書いて見たいと思っているんです。例えばシェクスピイアのハムレットですね。あのハムレットの性格などは……」
 保吉はたちまち大悟たいごした。天下に批評家の充満しているのは必ずしも偶然ではなかったのである。
 葬列はとうとう寺の門へはいった。寺は後ろの松林の間にいだ海を見下みおろしている。ふだんは定めし閑静であろう。が、今は門の中は葬列の先に立って来た学校の生徒にうずめられている。保吉は庫裡くりの玄関に新しいエナメルのくつぎ、日当りの長廊下ながろうかを畳ばかり新しい会葬者席へ通った。
 会葬者席の向う側は親族席になっている。そこの上座に坐っているのは本多少佐のお父さんであろう。やはり禿たかに似た顔はすっかり頭の白いだけに、令息よりも一層慓悍ひょうかんである。その次に坐っている大学生は勿論弟に違いあるまい。三番目のは妹にしては器量きりょうの好過ぎる娘さんである。四番目のは――とにかく四番目以後の人にはこれと云う特色もなかったらしい。こちらがわの会葬者席にはまず校長が坐っている。その次には科長が坐っている。保吉はちょうど科長のま後ろ、――会葬者席の二列目にズボンのしりえることにした。と云っても科長や校長のようにちゃんとひざを揃えたのではない。容易にしびれの切れないように大胡坐おおあぐらをかいてしまったのである。
 読経どきょうすぐにはじまった。保吉は新内しんないを愛するように諸宗の読経をも愛している。が、東京乃至ないし東京近在の寺は不幸にも読経の上にさえたいていは堕落だらくを示しているらしい。昔は金峯山きんぷせん蔵王ざおうをはじめ、熊野くまの権現ごんげん住吉すみよし明神みょうじんなども道明阿闍梨どうみょうあざりの読経を聴きに法輪寺ほうりんじの庭へ集まったそうである。しかしそう云う微妙音びみょうおんはアメリカ文明の渡来と共に、永久に穢土えどをあとにしてしまった。今も四人の所化しょけは勿論、近眼鏡きんがんきょうをかけた住職は国定教科書を諳誦あんしょうするように提婆品だいばぼんか何かを読み上げている。
 そのうち読経どきょうの切れ目へ来ると、校長の佐佐木中将はおもむろに少佐の寝棺ねがんの前へ進んだ。白い綸子りんずおおわれたかんはちょうど須弥壇しゅみだんを正面にして本堂の入り口に安置してある。そのまた棺の前の机には造花のはすの花のほのめいたり、蝋燭ろうそくほのおなびいたりする中に勲章の箱なども飾ってある。校長は棺に一礼したのち、左の手にたずさえていた大奉書おおぼうしょ弔辞ちょうじを繰りひろげた。弔辞は勿論二三日まえに保吉の書いた「名文」である。「名文」は格別恥ずる所はない。そんな神経はとうの昔、古い革砥かわとのようにり減らされている。ただこの葬式の喜劇の中に彼自身も弔辞の作者と云う一役ひとやくを振られていることは、――と云うよりもむしろそう云う事実をあからさまに見せつけられることはとにかく余り愉快ではない。保吉は校長の咳払せきばらいと同時に、思わず膝の上へ目を伏せてしまった。
 校長は静かに読みはじめた。声はややびを帯びた底にほとんど筆舌を超越ちょうえつした哀切の情をこもらせている。とうてい他人の作った弔辞を読み上げているなどとは思われない。保吉はひそかに校長の俳優的才能に敬服した。本堂はもとよりひっそりしている。身動きさえ滅多めったにするものはない。校長はいよいよ沈痛に「君、資性しせい穎悟えいご兄弟けいていゆうに」と読みつづけた。すると突然親族席に誰かくすくす笑い出したものがある。のみならずその笑い声はだんだん声高こわだかになって来るらしい。保吉は内心ぎょっとしながら、藤田大佐の肩越しに向う側の人々を物色ぶっしょくした。と同時に場所がらを失した笑い声だと思ったものは泣き声だったことを発見した。
 声のぬしは妹である。旧式の束髪そくはつ俯向うつむけたかげに絹の手巾はんけちを顔に当てた器量好きりょうよしの娘さんである。そればかりではない、弟も――武骨ぶこつそうに見えた大学生もやはり涙をすすり上げている。と思うと老人もしっきりなしに鼻紙を出してはしめやかに鼻をかみつづけている。保吉はこう云う光景の前にまず何よりも驚きを感じた。それからまんまと看客かんかくを泣かせた悲劇の作者の満足を感じた。しかし最後に感じたものはそれらの感情よりも遥かに大きい、何とも云われぬ気の毒さである。たっとい人間の心の奥へ知らずらず泥足どろあしを踏み入れた、あやまるにもあやまれない気の毒さである。保吉はこの気の毒さの前に、一時間にわたる葬式中、始めて悄然しょうぜんと頭を下げた。本多少佐の親族諸君はこう云う英吉利イギリス語の教師などの存在も知らなかったのに違いない。しかし保吉の心の中には道化どうけの服を着たラスコルニコフが一人、七八年たった今日こんにちもぬかるみの往来へひざまずいたまま、ひらに諸君の高免こうめんを請いたいと思っているのである。………

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