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漂泊(ひょうはく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-21 16:22:46  点击:  切换到繁體中文

底本: 石川啄木作品集 第二巻
出版社: 昭和出版社
初版発行日: 1970(昭和45)年11月20日
入力に使用: 1970(昭和45)年11月20日発行
校正に使用: 1972(昭和47)年6月20日発行

 

      一

 曇つた日だ。
 立待岬たちまちさきから汐首しほくびの岬まで、諸手もろてを擴げて海を抱いた七里の砂濱には、荒々しい磯の香りが、何はばからず北國の強い空氣にひたつて居る。空一面に澁い顏を開いて、遙かに遙かに地球の表面を壓して居る灰色の雲の下には、壓せれれてたまるものかと云はぬ許りに、劫初の儘の碧海が、底知れぬ胸の動搖の浪をあげて居る。右も左も見る限り、鹽を含んだ荒砂は、冷たい浪の洗ふに委せて、此處は拾ふべき貝殼のあるでもなければ、もとより貝拾ふ少女子が、素足にからむ赤の裳の艷立つ姿は見る由もない。夜半の滿潮に打上げられた海藻の、重く濕つた死骸が處々に散らばつて、さも力無げに※(「しんにょう+施のつくり」、第3水準1-92-52)のたくつて居る許り。
 時は今五月の半ば。五月といへば、此處北海の浦々でさへ、日は暖かに、風も柔らいで、降る雨は春の雨、濡れて喜ぶ燕の歌は聞えずとも、梅桃櫻ひと時に、花をかぬ枝もなく、家に居る人も、晴衣して花の下行く子も、おしなべて老も若きも、花の香に醉ひ、醉心地おぼえぬは無いといふ、あまが下の樂しい月と相場がきまつて居るのに、さりとはうした日もあるものかと、怪まれる許りな此荒磯の寂寞を、寄せては寄する白浪の、魂の臺までも搖がしさうな響きのみが、絶間もなく破つて居る。函館に來て、林なす港の船の檣を見、店美しい街々の賑ひを見ただけの人は、いかに裏濱とはいひ乍ら、大森濱の人氣無さの恁許かくばかりであらうとは、よも想ふまい。ものの五町ともへだたらぬのだが、齷齪あくせくかてを爭ふ十萬の市民の、我を忘れた血聲の喧囂さへ、浪の響に消されてか、敢て此處までは傳はつて來ぬ。――これ然し、怪むべきでないかも知れぬ、自然の大なる聲に呑まれてゆく人の聲の果敢なさを思へば。
 浪打際に三人の男が居る。男共の背後うしろには、腐れた象の皮を被つた樣な、傾斜の緩い砂山が、恰も「俺が生きて居るか、死んで居るか、誰も知るまい、俺も知らぬ。」と云ふ樣に、唯無感覺によこたはつて居る。無感覺に投げ出した砂山の足を、浪は白齒をむいてたゆまず噛んで居る。幾何いくら噛まれても、砂山は痛いとも云はぬ、動きもせぬ。痛いとも云はず、動きもせぬが、浪は矢張根氣よく撓まず噛んで懸る。太初から「生命」を知らぬ砂山と、無窮に醒めて眠らぬ潮騷の海との間に、三人の――生れたり死んだりする三人の男が居る。インバネスを着て、薄鼠色の中折を左の手に持つて、いなごの如くしゃがんで居る男と、大分埃を吸つた古洋服の鈕を皆はづして、蟇の如く胡坐あぐらをかいた男とは、少し間を隔てて、共に海に向つて居る。もみくちやになつた大島染の袷を着た、モ一人の男は、兩手を枕に、足は海の方へ投げ出して、不作法にも二人の中央まんなかに仰向になつてて居る。
 千里萬里の沖から吹いて來て、この、扮裝も違へば姿態も違ふ三人を、皆一樣に吹きつける海の風には、色もなければ、心もない。風は風で、勝手に吹く。人間は人間で、勝手なことを考へる。同じ人間で、風に吹かれ乍ら、三人は又三人で、勝手な所を見て勝手なことを考へて居る。
 仰向の男は、空一面彌漫はびこつて動かぬ灰雲の眞中を、默つてみつめて居る。螽の如く蹲んだ男は、平たい顏を俯向けて、右手の食指で砂の上に字を書いて居る。――「忠志」と書いて居る。書いては消し、消しては復同じ字を書いて居る。忠志といふのは此男の名である。何遍も消しては、何遍も書く。用の少い官吏とか會社員とかが、仕樣事なしの暇つぶしに、よくる奴で、※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)こんな事をする男は、大抵彈力のない思想を有つて居るものだ。頭腦に彈機の無い者は、足に力の這入らぬ歩行方あるきかたをする。そして、女といふ女には皆好かれたがる。女の前に出ると、處嫌はず氣取つた身振をする。心は忽ち蕩けるが、それで、煙草の煙の吹き方まで可成かなり眞面目腐つてやる。何よりも美味い物が好きで、色澤がよいものだ。此忠志君も、美味い物を食ふと見えて平たい顏の血色がよい。
 蟇の如く胡坐をかいた男は、紙莨たばこの煙をゆるやかに吹いて、靜かに海を眺めて居る。凹んだ眼窩の底に陰翳のない眼が光つて、見るからに男らしい顏立の、年齡は二十六七でがなあらう。浮いたところのすこしもない、さればと云つて心鬱した不安の状もなく、悠然として海の廣みに眼をる體度は、雨に曝され雪に撃たれ、右から左から風にめられて、磯馴の松の偏曲もせず、矗乎ぬつと生ひ立つた杉の樹の樣に思はれる。海の彼方には津輕の山が浮んで、山の左から汐首の岬まで、灰色の空を被いだ太平洋が、唯一色の強い色を湛へて居る。――其水天髣髴の邊にポッチリと黒く浮いてるのは、汽船であらう。無論はしつて居るには違ひないが、此處から見ては、唯ポッチリとした黒い星、動いてるのか動かぬのか、南へ駛るのか北へ向くのか、少しも解らぬ。此方へ來るなと思へば、此方へ來る樣に見える。先方あつちへ行くなと思へば、先方へ行く樣に見える。何處の港を何日いつつて、何處の港へ何日着くのか。つて來る時には、必ず、アノ廣い胸の底の、大きい重い悲痛を、滯りなく出す樣な汽笛を誰憚らず鳴らした事であらう。其勇ましい唸き聲が、眞上の空をつんざいて、落ちて四匝あたりの山を動かし、反つて數知れぬ人の頭を低れさせて、響の濤の澎湃と、東に溢れ西に漲り、甍を壓し、樹々を震わせ…………………………弱り弱つた名殘の音が、見えざる光となつて、今猶、或は、世界の奈邊どこ[#ルビの「どこ」は、底本では「邊」のみにかかる]かにさまようて居るかも知れぬ。と考へて來た時、ポッチリとした沖の汽船が、どうやら少し動いた樣に思はれた。右へ動いたか左へ寄つたか、勿論それは解らぬが、海に浮んだ汽船だもの動かぬといふ筈はない。必ず動いて居る筈だと瞳を据ゑる。黒い星は依然として黒い星で、見ても見ても、矢張同じ所にポッチリとして居る。一體何處の港を何日發つて、何處の港へ行く船だらうと、また繰返して考へた。錨を拔いた港から、汽笛と共に搖ぎ出て、乘つてる人の目指す港へ、船首を向けて居る船には違ひない。
『昨日君の乘つて來た汽船ふねは、』と、男は沖を見た儘で口を開く。『何といふ汽船だツたかね。』
『午前三時に青森を出て、六時間にして函館港の泥水に、錆びた錨を投げた船だ。』と仰向の男が答へる。
『名前がさ』
『知らん。』
『知らん?』
※(「口+云」、第3水準1-14-87)うん。』
『自分の乘つた船の名前だぜ。』と、忠志君は平たい顏を上げて、たしなめる樣に仰向の男を見る。
『だからさ。』
『君は何時でも其調子だ。』と苦い顏をしたが、『あれア陸奧丸です。膸分汚い船ですよ。』と胡坐の男に向いて説明する。
『あ、陸奧ですか、あれには僕も一度乘つた事がある。餘程以前の事だが………………………』
『船員は、君、皆男許りな樣だが、あらどうしたもんだらう。』と仰向の男が起き上る。
 胡坐の男は沖の汽船から眼を離して、躯を少し捻った。『……………さうさね。海上の生活には女なんからんぢやないか。海といふ大きい戀人のはらの上を、縱横自在に※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)るんだからね。』
『海といふ大きい戀人! さうか。』と復仰向になツた。灰色の雲は、動くでもない動かぬでもない。遙かに男の顏を壓して、照る日の光を洩さぬから、午前か午後かそれさへも知る由のない大氣の重々しさ。
 胡坐の男は、砂の上に投げ出してある紙莨を一本とつて、チョと燐寸マツチを擦つたが、見えざる風の舌がペロリと舐めて、直ぐえた。復擦つたが復滅えた。三度目には十本許り一緒にして擦る。火が勢よく發した所を手早く紙莨に移して、息深く頬を凹ませて吸うた煙を、少しづつ少しづつ鼻から出す。出た煙は、出たと見るまもなく海風に散つて見えなくなる。
 默つて此樣を見て居た忠志君の顏には、胸にある不愉快な思が、自づと現れて來るのか、何樣澁いかげが漲つて、眉間の肉が時々ピリ/\と動いた。何か言はうとする樣に、二三度口をうごめかしてチラリ仰向の男を見た目を砂に落す。『同じ事許り繰返していふ樣だが、實際どうも、はじめさんの爲方やりかたにや困つて了ふね。無頓着といへば可のか、向不見むかうみずといへばいゝのか、正々堂々とか赤裸々とか君は云ふけれど露骨に云へや後前あとさき見ずの亂暴だあね。それで通せる世の中なら、何處までも我儘通して行くも可さ。それも君一人ならだね。※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)あんなに年老つた伯母さんを、………………………今迄だつて一日も安心さした事つて無いんだ。君にや唯一人の御母さんぢやないか、此以後このあと一體どうする積りなんだい。昨宵ゆうべもね、母が僕にさう云ふんだ。君が楠野さん所へ行つた後にだね、「肇さんももう廿三と云へや子供でもあるまいに姉さんが※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)どんなに心配してるんだか、眞實ほんたうに困つちまふ」つてね。實際困つちまふんだ。君自身ぢや痛快だつたつて云ふが、然し、免職になる樣な事を仕出しでかす者にや、まあ誰だつて同情せんよ。それで此方へ來るにしてもだ。何とか先に手紙でも來れや、職業くちの方だつて見付けるに都合がいゝんだ。昨日は實際僕喫驚びつくりしたぜ。何にも知らずに會社から歸つて見ると後藤の肇さんが來てるといふ。何しにつて聞くと、何しに來たのか解らないが、奧で晝寢をしてるつて、妹が君、眼を丸くして居たぜ。』
※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)あんな大きな眼を丸くしたら、顏一杯だつたらう。』
『君は何時も人の話を茶にする。』と忠志君はにがり切つた。『君は何時でも其調子だし、どうせ僕とは全然まるつきり性が合はないんだ。幾何いくら云つたつて無駄な事は解つてるんだが、伯母さんの……………………君の御母さんの事を思へばこそ、不要事いらないことも云へば、不要いらない心配もするといふもんだ。母も云つたが、實際君と僕程性の違つたものは、マア滅多に無いね。』
『性が合はんでも、僕は君の從兄弟いとこだよ。』
『だからさ、僕の從兄弟に君の樣な人があるとは、實に不思議だね。』
『僕は君よりズート以前からさう思つて居た。』
『實際不思議だよ。…………………』
『天下の奇蹟だね。』とくちばしを容れて、古洋服の楠野君は横になつた。横になつて、砂についた片肱かたひぢの、たなごゝろの上に頭を載せて、寄せくる浪の穗頭を、ズット斜に見渡すと、其起伏の樣が又一段と面白い。頭を出したり隱したり、活動寫眞で見る舞踏ダンス歩調あしどりの樣に追ひ越されたり、追越したり、段々近づいて來て、今にも我が身を洗ふかと思へば、牛の背に似た碧の小山のいただきが、ツイと一列ひとつらの皺を作つて、眞白の雪の舌が出る。出たかと見ると、其舌がザザーッといふ響きと共に崩れ出して、磯を目がけて凄まじく、白銀の齒車を捲いて押寄せる。警破すはやと思ふ束の間に、逃足立てる暇もなく、敵は見ン事さつ退く。退いた跡には、砂の目から吹く潮の氣が、シーッとすゞしい音を立てゝ、えならぬ強い薫を撒く。
『一體肇さんと、僕とは小兒の時分から合はなかつたよ。』と忠志君は復不快な調子で口を切る。『君の亂暴は、或は生來うまれつきなのかも知れないね。そら、まだお互に郷里くにに居て、尋常科の時分だ。僕が四年に君が三年だつたかな、學校の歸途かへりに、そら、酒屋の林檎畑へ這入はいつた事があつたらう。何でも七八人も居たつた樣だ。………………。』
※(「口+云」、第3水準1-14-87)うん、さうだ、僕も思出す。發起人が君で、實行委員が僕。夜になつてからにしようとみんなが云ふのを構ふもんかといふ譯で、眞先に垣を破つたのが僕だ。續いて一同みんな乘り込んだが、君だけは見張をするつて垣の外に殘つたつけね。眞紅まつかな奴が枝も裂けさうになつてるのへ、眞先に僕が木登りして、漸々やう/\手が林檎に屆く所まで登つた時「誰だ」つてノソ/\出て來たのは、そら、あの畑番の六助爺だよ。樹下したに居た奴等は一同みんな逃げ出したが、僕は仕方が無いから默つて居た。爺奴ぢゞいめおどかす氣になつて、「竿持つて來て叩き落すぞつ。」つて云ふから「そんな事するならうして呉れるぞ。」つて、僕は手當り次第林檎をつて打付ぶつつけた。爺吃驚びつくりして「竿持つて來るのは止めるから、早く降りて呉れ、旦那でも來れあ俺が叱られるから。」と云ふ。「そんなら降りてやるが、降りてから竿なんぞ持つて來るなら、石打付ぶつつけてやるぞ。」つて僕はズル/\辷り落ちた。そして、投げつけた林檎の大きいのを五つ六つ拾つて、出て來て見ると誰も居ないんだ。何處まで逃げたんだか、馬鹿な奴等だと思つて、僕は一人でそれを食つたよ。實に美味うまかつたね。』
『二十三で未だ其氣なんだから困つちまうよ。』
『其晩、そつと一人で大きいざるを持つて行つて、三十許り盜んで來て、僕に三つ呉れたのは、あれあ誰だつたらう、忠志君。』
 忠志君は苦い顏をして横を向く。
『尤も、忠志君の遣方やりかたの方が理窟に合つてると僕は思ふ。窃盜と云ふものは、由來暗い所で隱密こつそりやるべきものなんだからね。アハヽヽヽ。』
『馬鹿な事を。』
『だから僕は思ふ。今の社會は鼠賊の寄合で道徳とかいふものは其鼠賊共が、暗中の隱密こつそり主義を保持してゆく爲めの規約だ。鼠賊をして鼠賊以上の行爲なからしめんが爲めには、法律という網がある。滑稽極まるさ、自分で自分を縛る繩を作つて。太陽の光が蝋燭の光の何百何倍あるから、それを仰ぐと人間の眼が痛くなるといふ眞理を發見して、成るべく狹い薄暗い所に許り居ようとする。それで、日進月歩の文明はこれでございと威張る。歴史とは進化の義なりと歴史家が説く。アハヽヽヽ。
 學校といふ學校は、皆鼠賊の養成所で、教育家は、好な酒を飮むにも隱密こつそりと飮む。これは僕の實見した話だが、或る女教師は、「可笑をかしい事があつても人の前へ出た時は笑つちや不可いけません。」と生徒に教へて居た。可笑をかしい時に笑はなけれあ、腹が減つた時便所はゞかりへ行くんですかつて、僕は後で冷評ひやかしてやつた。………………尤も、なんだね、宗教家だけは少し違ふ樣だ。佛教の方ぢや、髮なんぞかぶらずに、凸凹でこぼこ[#「凸凹」は底本では「凹凸」]瘤頭こぶあたまを臆面もなく天日てんぴに曝して居るし、耶蘇の方ぢや、教會の人の澤山集つた所でなけれあ、大きい聲を出して祈祷なんぞしない。これあ然し尤もだよ。喧嘩するにしても、人の澤山居る所でなくちや張合がないからね。アハヽヽ。』
『アハヽヽヽ。』と楠野君は大聲を出して和した。
『處でだ。』と肇さんは起き上つて、右手を延して砂の上の紙莨を取つたが、直ぐまた投げる。『※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)こんな社會だから、赤裸々な、堂々たる、小兒の心を持つた、聲の太い人間が出て來ると、鼠賊共、大騷ぎだい。そこで其種の聲の太い人間は、鼠賊と一緒になつて、大笊を抱へて夜中に林檎畑に忍ぶことが出來ぬから、勢ひ吾輩の如く、あまが下に家の無い、否、天下を家とする浪人になる。浪人といふと、チョン髷頭やブッサキ羽織を連想して不可いかんが、放浪の民だね。世界の平民だね。――名は幾何いくらでもつく、地上の遊星といふ事も出來る。道なき道を歩む人とも云へる。コスモポリタンのと呼んで見るもいゝ。ハヽヽヽ。』

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