您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 大杉 栄 >> 正文

獄中記(ごくちゅうき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:56:50  点击:  切换到繁體中文

 

一、新聞紙条令違犯(秩序紊乱)  三カ月
二、新聞紙条令違犯(朝憲紊乱)  五カ月
三、治安警察法違犯(屋上演説事件)一月半
四、兇徒聚集罪  (電車事件)  二カ年
  官吏抗拒罪
五、       (赤旗事件)  二年半
  治安警察法違反

 これで見ると、前科は五犯、刑期の延長は六年近くになるが、実際は三年と少ししか勤めていない。先月ちょっと日本に立ち寄った革命の婆さん、プレシュコフスカヤの三十年に較べれば、そのわずかに一割だ。堺も山川も山口も前科は僕と同じくらいだが、刑期は山口や山川の方が一、二年多い筈だ。僕なんぞは仲間のうちではずっと後輩の方なんだ。
 初陣は二十二の春、日本社会党(今はこんなものはない)の発起で電車値上(片道三銭から五銭になろうとした時)反対の市民大会を開いた時の兇徒聚集事件だが、三月に未決監にはいってその年の六月に保釈で出た。そしてそのほかの四つの事件は、この兇徒聚集事件が片づくまでの、二年余りの保釈中の出来事なんだ。一から三までの三事件九カ月半の刑期もこの保釈中に勤めあげた。
 こうして二カ月かせいぜい六カ月の日の目を見ては、出たりはいったりしている間に、とうとう二十四の夏錦輝館で例の無政府共産の赤旗をふり廻して捕縛され、それと同時に電車事件の方の片もついたのであった。そして当時のありがたい旧刑法のお蔭で、新聞紙条令違犯の二件を除く他の三件は併合罪として重きによって処断するということで、電車事件の二カ年もまたすでに勤めあげた屋上演説事件の一月半もすべて赤旗事件の二カ年半の中に通算されてしまった。いわばまあゼロになっちゃったんだ。
 検事局では地団太ふんでくやしがったそうだ、そうだろう。保釈中に三度も牢にはいっているのに、保釈中だということをすっかり忘れていたんだ。しかし僕の方ではお蔭さまで大儲けをした。が、その年の十月から今の新刑法になって、同時に幾つ犯罪があっても一つ一つ厳重に処罰することになったから、もう二度とこんないい儲けはあるまい。
 それで二十七の年の暮、ちょうど幸徳等の逆徒どもが死刑になる一カ月ばかり前にしばらく目でまた日の目を見て、それ以来今日までまる七年の間ずっと謹慎している。
 だから、僕の獄中生活というのは、二十二の春から二十七の暮までの、ちょいちょい間を置いた六年間のことだ。そして僕が分別盛りの三十四の今日まだ、危険人物なぞという物騒な名を歌われているのは、二十二の春から二十四の夏までの、血気に逸った若気のあやまちからのことだ。
 とんだ木賃宿
 もっとも、その後一度ふとしたことからちょっと東京監獄へ行ったことがある。しかしそれは決して血気の逸りでもまた若気のあやまちでもない。現に御役人ですら「どうも相済みません」と言って謝まって帰してくれたほどだ。それは本年のことで、事情はざっとこうだ。
 三月一日の晩、上野のある仲間の家で同志の小集りがあった。その帰りに、もう遅くなってとても亀戸までの電車はなし、和田の古巣の涙橋の木賃宿にでも泊って見ようかということになって、僕の家に同居していた和田、久板の二人と一緒に、三輪から日本堤をてくって行った。この和田も久板も今は初陣の新聞紙法違犯で東京監獄にはいっているが、本年の二科会に出た林倭衛の「H氏の肖像」というのはこの久板の肖像だ。
 吉原の大門前を通りかかると、大勢人だかりがしてわいわい騒いでいる。一人の労働者風の男が酔っぱらって過ってある酒場の窓ガラスを毀したというので、土地の地廻りどもと巡査がその男を捕えて弁償しろの拘引するのと責めつけているのだった。
 その男はみすぼらしい風態をして、よろよろよろけながらしきりに謝まっていた。僕はそれを見かねて仲へはいった。そしてその男を五、六歩わきへ連れて行って、事情を聞いてそこに集まっているみんなに言った。
「この男は今一文も持っていない。弁償は僕がする。それで済む筈だ。一体、何か事あるごとに一々そこへ巡査を呼んで来たりするのはよくない。何でもお上にはなるべく御厄介をかけないことだ。大がいのことは、こうして、そこに居合した人間だけで片はつくんだ。」
 酒場の男どももそれで承知した。地廻りどもも承知した。見物の弥次馬どもも承知した。しかしただ一人承知のできなかったのは巡査だ。
「貴様は社会主義だな。」
 初めから僕に脹れっ面をしていた巡査は、いきなり僕に食ってかかった。
「そうだ、それがどうしたんだ。」
 僕も巡査に食ってかかった。
「社会主義か、よし、それじゃ拘引する。一緒に来い。」
「それや面白い。どこへでも行こう。」
 僕は巡査の手をふり払って、その先きに立ってすぐ眼の前の日本堤署へ飛びこんだ。当直の警部補はいきなり巡査に命じて、僕等のあとを追って来た他の二人まで一緒に留置場へ押しこんでしまった。
 これが当時の新聞に「大杉栄等検挙さる」とかいう事々しい見だしで、僕等が酔っぱらって吉原へ繰りこんで、巡査が酔いどれを拘引しようとする邪魔をしたとか、その酔いどれを小脇にかかえて逃げ出したとか、いい加減な嘘っぱちをならべ立てた事件の簡単な事実だ。
 そして翌朝になって、警部が出て来てしきりにゆうべの粗忽を謝まって、「どうぞ黙って帰ってくれ」と朝飯まで御馳走して置きながら、いざ帰ろうとすると、こんどは署長が出て来て、どうしたことか再びまたもとの留置場へ戻されてしまった。
 かくして僕等は、職務執行妨害という名の下に、警察に二晩、警視庁に一晩、東京監獄に五晩、とんだ木賃宿のお客となって、
「どうも相済みません。どうぞこれで御帰りを願います」というお挨拶で帰された。
 元来僕は、ほとんど一滴も飲めない、女郎買いなぞは生れて一度もしたことのない、そして女房と腕押しをしてもいつも負けるくらいの実に品行方正な意気地なしなのだ。
 奥さんも御一緒
 それから、これは本年の夏、一週間ばかり大阪の米一揆を見物して帰って来ると、
「ちょっと警察まで。」
 ということで、その足で板橋署へ連れて行かれて、十日ばかりの間「検束」という名義で警察に泊め置かれた。
 しかしそれも、何も僕が大阪で悪いことをしたという訳でもなく、また東京へ帰って何かやるだろうという疑いからでもなく、ただ昔が昔だから暴徒と間違われて巡査や兵隊のサーベルにかかっちゃ可哀相だというお上の御深切からのことであったそうだ。立派な座敷に通されて、三度三度署長が食事の註文をききに来て、そして毎日遊びに来る女をつかまえて、
「どうです、奥さん。こんなところではなはだ恐縮ですが、決して御心配はいりませんから、あなたも御一緒にお泊りなすっちゃ。」
 などと真顔に言っていたくらいだからたぶん僕もそうと信じ切っている。当時の新聞に、僕が大阪で路傍演説をしたとか拘束されたとか、ちょいちょい書いてあったそうだが、それはみんなまるで根も葉もない新聞屋さん達のいたずらだ。
 その他、こういう種類のお上の御深切から出た「検束」ならちょっとは数え切れないほどあるが、それは何も僕の悪事でもなければ善事でもない。
 とにかく、僕のことと言うとどこででも何事にでも誤解だらけで困るので、まずこれだけの弁解をうんとして置く。
 初陣
「さあ、はいれ。」
 ガチャガチャとすばらしい大きな音をさせて、錠をはずして戸を開けた看守の命令通りに、僕は今渡されて来た布団とお膳箱とをかかえて中へはいった。
「その箱は棚の上へあげろ。よし。それから布団は枕をこっちにして二枚折に畳むんだ。よし。あとはまたあした教えてやる。すぐ寝ろ。」
 看守は簡単に言い終ると、ガタンガタンガチャガチャと、室じゅうというよりもむしろ家じゅう震え響くような恐ろしい音をさせて戸を閉めてしまった。
「これが当分僕のうちになるんだな。」
 と思いながら僕は突っ立ったまままずあたりを見廻した。三畳敷ばかりの小綺麗な室だ。まだ新しい縁なしの畳が二枚敷かれて、入口と反対の側の窓下になるあと一枚分は板敷になっている。その右の方の半分のところには、隅っこに水道栓と鉄製の洗面台とがあって、その下に箒と塵取と雑巾とが掛かっていて、雑巾桶らしいものが置いてある。左の方の半分は板が二枚になっていて、その真ん中にちょうど指をさしこむくらいの穴がある。何だろうと思って、その板をあげて見ると、一尺ほど下に人造石が敷いてあって、その真ん中に小さなとり手のついた長さ一尺ほどの細長い木の蓋が置いてある。それを取りのけるとプウンとデシンらしい強い臭いがする。便所だ。さっそく中へはいって小便をした。下には空っぽの桶が置いてあるらしくジャジャと音がする。板をもと通りに直して水道栓をひねって手を洗う。窓は背伸びしてようやく目のところが届く高さに、幅三尺、高さ四尺くらいについている。ガラス越しに見たそとは星一つない真暗な夜だった。室の四方は二尺くらいずつの間を置いた三寸角の柱の間に厚板が打ちつけられている。そして高い天井の上からは五燭の電燈が室じゅうをあかあかと照らしていた。
「これは上等だ。コンフォルテブル・エンド・コンヴェニエント・シンプル・ライフ!」
 と僕は独りごとを言いながら、室の左側の棚の下に横たえてある手拭掛けの棒に手拭をかけて、さっき着かえさせられて来た青い着物の青い紐の帯をしめ直して、床の中にもぐりこもうとした。
「がみんなはどこにいるんだろう。」
 僕は四、五日前の市民大会当日に拘引された十人ばかりの同志のことを思った。そして入口の戸の上の方についている「のぞき穴」からそっと廊下を見た。さっきもそう思いながら左右をきょろきょろ見て来た廊下だ。二間ばかり隔てた向う側にあの恐ろしい音を立てる閂様の白く磨ぎ澄まされた大きな鉄の錠を鼻にして、その上の「のぞき穴」を目にして、そして下の方の五寸四方ばかりの「食器口」の窓を口にした巨人の顔のような戸が、幾つも幾つも並んで見える。その目からは室の中からの光が薄暗い廊下にもれて、その曲りくねった鼻柱はきらきらと白光りしている。しかし、厚い三寸板の戸の内側を広く外側を細く削ったこの「のぞき穴」は、そとからうちを見るには便宜だろうが、うちからそとを窺くにはまずかったので、こんどは蹲がんで、そっと「食器口」の戸を爪で開けて見た。例の巨人の顔は前よりも多く、この建物の端から端までのがみんな見えた。しかしその二十幾つかの顔のどの目からも予期していた本当の人間の目は出て来なかった。そしてみんなこっちを睨んでいるように見える巨人の顔が少々薄気味悪くなり出した。
「もうみんな寝たんだろう。僕も寝よう。みんなのことはまたあしたのことだ。」
 僕はそっとまた爪で戸を閉めて、急いで寝床の中へもぐりこんだ。綿入一枚、襦袢一枚の寒さに慄えてもいたのだ。
 すると、室の右側の壁板に、
「コツ、コツ。コツ、コツ。コツ、コツ。」
 と音がする。僕は飛びあがった。そしてやはり同じように、コツコツ、コツコツ、コツコツと握拳で板を叩いた、ロシアの同志が、獄中で、このノックで話をすることはかねて本で読んでいた。僕はきっと誰か同志が隣りの室にいて、僕に話しかけるのだと思った。
「あなたは大杉さんでしょう。」
 しかしその声は、聞き覚えのない、子供らしい声だった。
「え、そうです。君は?」
 僕もその声を真似た低い声で問い返した。知らない声の男だ。それだのに今はいって来たばかりの僕の名を知っている。僕はそれが不思議でならなかった。
「私は何でもないんですがね。ただお隣りから言いつかって来たんですよ。みんなが、あなたの来るのを毎日待っていたんですって、そいで、今新入りがあったもんですから、きっとあなただろうというんで、ちょっと聞いてくれって頼まれたんですよ。」
「君のお隣りの人って誰?」
 僕は事のますます意外なのに驚いた。
「○○さんという焼打事件の人なんですがね。その人と山口さんが向い同士で、毎日お湯や運動で一緒になるもんですから、あなたのことを山口さんに頼まれていたんです。」
「その山口とはちょっと話ができないかね。」
「え、少し待って下さい。お隣りへ話して見ますから。今ちょうど看守が休憩で出て行ったところなんですから。」
 しばらくすると、食器口を開けて見ろと言うので、急いで開けて見ると、向う側のちょうど前から三つ目の食器口に眼鏡をかけた山口の顔が半分見える。
「やあ、来たな。堺さんはどうした? 無事か?」
「無事だ。きのうちょっと警視庁へ呼ばれたが、何でもなかったようだ。」
「それや、よかった。ほかには、君のほかに誰か来たか。」
「いや、僕だけだ。」
 と僕は答えて、ひょいと顔を引っこめた山口を「おい、おい」とまた呼び出した。
「ほかのものはみんなどこにいるんだ、西川(光二郎)は?」
「シッ、シッ。」
 山口はちょっと顔を出して、こう警戒しながら、また顔を引っこましてしまった。コトンコトンと遠くの方から靴音がした。僕は急いでまた寝床の中へもぐりこんだ。靴音はつい枕許まで近く聞えて来たが、まただんだん遠くのもと来た方へ消えて行った。
「コツコツ、コツコツ、コツコツ。」
 とまた隣りで壁を叩く音がした。そしてこの隣りの男を仲介にして、その隣りの○○という男と、しばらく話しした。西川は他の二、三のものと二階に、そしてここにも僕と同じ側にもう一人いることが分った。
 僕はもう面白くて堪らなかった。きのうの夕方拘引されてから、初めての入獄をただ好奇心一ぱいにこんどはどんなところでどんな目に遭うのだろうとそれを楽しみに、警察から警視庁、警視庁から検事局、検事局から監獄と、一歩一歩引かれるままに引かれて来たのだが、これで十分に満足させられて、落ちつく先のきまった安易さや、仲間のものとすぐ目と鼻の間に接近している心強さなどで、一枚の布団に柏餅になって寝る窮屈さや寒さも忘れて、一、二度寝返りをしたかと思ううちにすぐに眠ってしまった。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告