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獄中記(ごくちゅうき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:56:50  点击:  切换到繁體中文


 野口男三郎君
 翌日は雨が降って、そとへ出て運動ができないので、朝飯を済ますとすぐに、三、四人ずつ廊下で散歩させられた。
 僕は例の食器口を開けて、みんなが廊下の廻りを廻って歩くのを見ていた。山口と一緒のゆうべ隣りの男を仲介にして話した男とも目礼した。そしてもう一人の同志と一緒にいるのが、当時有名な事件だった寧斎殺しの野口男三郎ということは、その組が散歩に出るとすぐ隣りの男から知った。男三郎も、その連れから僕のことを聞いたと見えて、僕と顔を合せるとすぐに目礼した。
 男三郎とはこれが縁になって、その後二年余りして彼が死刑になるまでの間、碌に口もきいたことはないのだが大ぶ親しく交わった。その間に僕は、出たりはいったりして二、三度しばらくここに滞在し、その他にも巣鴨の既決監から余罪で幾度か裁判所へ引き出されるたびに一晩は必ずここに泊らされた。そしてことに既決囚になっている不自由な身の時には、ずいぶん男三郎の厄介になった。男三郎自身の手からあるいは雑役という看守の小使のようになって働いている囚人の手を経て、幾度か半紙やパンを例の食器口から受取った。僕もそとへ出たたびに何かの本を差入れてやった。
 男三郎は獄中の被告人仲間の間でもすこぶる不評判だった。典獄はじめいろんな役人どもにしきりに胡麻をすって、そのお蔭で大ぶ可愛がられて、死刑の執行が延び延びになっているのもそのためだなぞという話だった。面会所のそばの、自分の番の来るのを待っている間入れて置かれる、一室二尺四方ばかりの俗にシャモ箱という小さな板囲いの中には、「極悪男三郎速かに斬るべし」というような義憤の文句が、あちこちの壁に爪で書かれていた。
 僕なぞと親しくしたのも、一つは、自分を世間に吹聴して貰いたいからであったかも知れない。現にそんな意味の手紙を一、二度獄中で貰った。その連れになっていた同志にもいつもそんな意味のことを言っていたそうだ。
 要するにごく気の弱い男なんだ。その女の寧斎の娘のことや子供のことなぞを話す時には、いつも本当に涙ぐんでいた。子供の写真は片時も離したことがないと言って、一度それを見せたこともあった。また、これは自分が画いた女と子供の絵だと言って、雑誌の口絵にでもありそうな彩色した絵を見せたこともあった。どうしても何かの口絵をすき写ししたものに違いなかった。しかし絵具はどうして手に入れたろう。よほどの苦心をして何かから搾り取って寄せ集めでもしたものに違いない。が、何のためにそれだけの苦心をしたのだろう。しかもそれは、自分の女や子供の絵ではなく、まったく似てもつかない他人の顔なのだ。
 寧斎殺しの方は証拠不十分で無罪になったとか言って非常に喜んでいたことがあった。また、本当か嘘か知らないが、薬屋殺しの方は別に共犯者があってその男が手を下したのだが、うまく無事に助かっているので、その男が毎日の食事の差入れや弁護士の世話をしてくれているのだとも話していた。そしてある時なぞは、何かその男のことを非常に怒って、法廷ですっかり打ちあけてやるのだなどといきごんでいたこともあった。
 その後赤旗事件でまた未決監にはいった時、ある日そとの運動場で散歩していると、男三郎が二階の窓から顔を出して、半紙に何か書いたものを見せている、それには、
「ケンコウヲイノル。」
 と片仮名で大きく書いてあった。僕は黙って頷いて見せた。男三郎もいつものようににやにやと寂しそうに微笑みながら、二、三度お辞儀をするように頷いて、しばらく僕の方を見ていた。
 その翌日か、翌々日か、とうとう男三郎がやられたといううわさが獄中にひろがった。
 出歯亀君
 出歯亀にもやはりここで会った。大して目立つほどの出歯でもなかったようだ。いつも見すぼらしい風をして背中を丸くして、にこにこ笑いながら、ちょこちょこ走りに歩いていた。そしてみんなから、
「やい、出歯亀。」
 なぞとからかわれながら、やはりにこにこ笑っていた。刑のきまった時にも、
「やい、出歯亀、何年食った?」
 と看守に聞かれて、
「へえ、無期で。えへへへ。」
 と笑っていた。
 強盗殺人君
 それから、やはりここで、運動や湯の時に一緒になって親しい獄友になった三人の男がある。
 一人は以前にも強盗殺人で死刑の宣告を受けて、終身懲役に減刑されて北海道へやられている間に逃亡して、また強盗殺人で捕まって再び死刑の宣告を受けた四十幾つかの太った大男だった。もう一人は、やはり四十幾つかの上方者らしい優男で、これは紙幣偽造で京都から控訴か上告かして来ているのだった。そして最後のもう一人は、六十幾つかの白髪豊かな品のいい老人で、詐欺取財で僕よりも後にはいって来て、僕等の仲間にはいったのだった。
 強盗殺人君はよく北海道から逃亡した時の話をした。一カ月ばかり山奥にかくれて、手当り次第に木の芽だの根だのを食っていたのだそうだが、
「何だって食えないものはないよ、君。」
 と入監以来どうしても剃刀を当てさせないで生えるがままに生えさせている粗髯を撫でながら、小さな目をくるくるさせていた。
 そして、
「どうせ、いつ首を絞められるんだか分らないんだから……。」
 と言って、できるだけ我が儘を言って、少しでもそれが容れられないと荒れ狂うようにして乱暴した。湯もみなよりは長くはいった。運動も長くやった。お蔭様で僕等の組のものはいろいろと助かった。この男の前では、どんな鬼看守でも、急に仏様になった。看守が何か手荒らなことを囚人や被告人に言うかするかすれば、この男は仁王立ちになって、ほかの看守がなだめに来るまで怒鳴りつづけ暴ばれつづけた。その代り少しうまくおだてあげられると、猫のようにおとなしくなって、子供のように甘えていた。
 ある時なぞは、窓のそとを通る女看守が、その連れて来た女の被告人か拘留囚かがちょっと編笠をあげて男どものいる窓の方を見たとか言って、うしろから突きとばすようにして叱っているのを見つけた彼は、終日、
「伊藤の鬼婆あ、鬼婆あ、鬼婆あ!」
 と声をからして怒鳴りつづけていた。看守の名と言っては、誰一人のも覚えていない今、この伊藤という名だけは今でもまだ僕の耳に響き渡って聞える。何でも、もう大ぶ年をとった、背の高い女だった。その時には、ちょうど僕も、雑巾桶を踏台にして女どもの通るのを眺めていた。
 仲間のものにはごく人の好いこの強盗殺人君が、たった一度、紙幣偽造君を怒鳴りつけたことがある。偽造君は長い間満州地方で淫売屋をしていたのだそうだ。そしてそのたびたび変えた女房というのはみんな内地で身受けした芸者だったそうだ。偽造君はそれらの細君にもやはり商売をさせていたのだ。
「貴様はひどい奴だな、自分の女房に淫売をさせるなんて、この馬鹿ッ。」
 と殺人君は運動場の真ん中で、恐ろしい勢いで偽造君に食ってかかった。それをようやくのことで僕と詐欺老人とで和めすかした。
「俺は強盗もした。火つけもした。人殺しもした。しかし自分の女房に淫売をさせるなぞという悪いことはしたことがない。君はそれでちっとも悪いとは思わんのか。気持が悪いことはないのか。」
 ようやく静まった彼は、こんどはいつものように「君」と呼びかけて、偽造君におとなしく詰問した。
「いや、実際僕はちっとも悪い気もせず、また悪いとも思っちゃいない。まるで当り前のようにして今までそうやって来たんだ。それに僕の女房はいつでも一番たくさん儲けさしてくれたんだ。」
 偽造君はまだ蒼い顔をして、おずおずしながら、しかし正直に白状した。品はいいがしかしどこか助平らしい、いつも十六、七の女を妾にしているという詐欺老人は「アハハハ」と大きな口を開いて嬉しそうに笑った。殺人君は呆れた奴等だなというように憤然とした顔はしながら、それでもやはりしまいには詐欺老人と一緒になってにこにこ笑っていた。
 偽造君と詐欺老人とは仲善く一緒に歩いていた。二人は「花」の賭け金の額を自慢し合ったり、自分の犯罪のうまく行った時の儲け話などをしていた。偽造君は前にロシア紙幣の偽造をして、ずいぶん大儲けをしたことがあるんだそうだ。詐欺老人のは大抵印紙の消印を消して売るのらしかった。そして老人は、
「こんど出たら君がやったような写真で偽造をして見ようか。」
 と言いながら、しきりに偽造君に、写真でやる詳しい方法の説明を聞いていた。
 僕は折々差入れの卵やパンを殺人君に分けてやって、その無邪気な気焔を聞くのを楽しみにしていた。
 殺人君は宣告後三年か四年か無事でいて、たぶん証拠不十分でなかったのだろうと思うが、その後また死一等を減ぜられて北海道へやられたそうだ。

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