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自叙伝(じじょでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:01:42  点击:  切换到繁體中文


   三

「私、平塚さんのところまで行きたいわ。」
 いよいよ出かける日の前日になって、ふいと伊藤が言いだした。らいちょうは、その頃、奥村君と一緒に茅ヶ崎[#底本では「茅ケ崎」]にいた。
 伊藤はその家を出る時すでにあらゆる友人から棄てられる覚悟でいた。しかし、長年の友情を自分から棄てることもできなかったものと見えて、その家を出た日に野上弥生子君を訪い、そしてらいちょうにはハガキを出した。が、その後この二人の友人が悪罵に等しい批評を彼女の行為の上に加えているのを見て、彼女もまったくその友情を棄てていたようだった。けれどもまた、長い間の親しい友人に背くということはさびしい。彼女はよく彼女等との古い友情をなつかしんでいた。
「よかろう。それじゃ茅ヶ崎[#底本では「茅ケ崎」]まで一緒に行って、葉山に一晩泊って帰るか。」
 僕は彼女の心の中を推しはかって言った。しかし、らいちょうの家では、僕等はひる飯を御馳走になって二、三時間話していたが、お互いに腹の中で思っている問題にはちっとも触れずに終った。
「いいわ、もうまったく他人だわ。私もう、友達にだって理解して貰おうなどと思わないから。」
 彼女はその家を出て松原にさしかかると、僕の手をしっかりと握りながら言った。彼女はその友人に求めていたものをついに見出すことができなかったのだ。
 葉山に泊った翌朝は、もう秋も大ぶ進んでいるのに、ぽかぽかと暖かい、小春日和となったようないい日だった。
「きょう一日遊んで行かない?」
 僕は朝飯が済むと彼女に言った。
「ええ、だけど、お仕事の邪魔になるでしょう。」
 もう帰る仕度までしていた彼女はちょっと意外らしく言った。
「なあに、こんないい天気じゃ、とても仕事なぞできないね。それより、大崩れの方へでも遊びに行って見ようよ。」
「ほんとにそうなさいましな。せっかくいらっしたんですもの。そんなにすぐお帰りじゃつまりませんわ。」
 年増の女中のおげんさんまでもそばからしきりと彼女に勧めた。
 大崩れまで、自動車で行って、そこから秋谷辺まで、半里ほどの海岸通をぶらぶらと歩いた。その辺は遠く海中にまで岩が突き出て、その向うには鎌倉から片瀬までの海岸や江の島などを控えて、葉山から三崎へ行く街道の中でも一番景色のいいところだった。それに、もう遅すぎるセルでもちょっと汗ばむほどの、気持のいいぽかぽかする暖かさだった。僕等二人は実際、溶けるような気持になって、その間をぶらぶらと行った。正午にはいったん宿に帰って、こんどはおげんさんを誘って、すぐ前の大きな池のような静かな海の中で舟遊びをした。そしていい加減疲れて、帰って湯にはいって、夕飯を待っていた。
 そこへおげんさんがあわててはいって来て、女のお客様だと知らせた。そして僕が立って行こうとすると、おげんさんの後にはもう、神近がさびしそうな微笑をたたえて立っていた。
 伊藤はまだ両肌脱いだまま鏡台の前に坐って、髪を結いなおすかどうかしていた。神近の鋭い目がまずその方をさした。
「二、三日中っておっしゃったものだから、私毎日待っていたんだけれど、ちっともいらっしゃらないものだから、きょうホテルまで行って見たの。すると、お留守で、こちらだと言うんでしょう。で、私、その足ですぐこちらへ来たの。野枝さんが御一緒だとはちっとも思わなかったものですから……」
 神近は愚痴のようにしかしまた言いわけのように言った。
「寄ろうと思ったんだけれど、ちょっと都合がわるかったものだから……」
 と僕も苦しい弁解をするほかはなかった。
 あしたは帰るんだからというので、伊藤と僕とは、いろいろ甘そうな好きな御馳走を註文してあった。僕はおげんさんにそれをもう一人前ふやすように言った。それから食事の出るまでの三十分間がほどは、ほとんど三人とも無言の行でいた。僕には何となくいよいよもうおしまいだなという予感がした。
 その年の春、二度目の『近代思想』を止すと同時に、僕は一種の自暴自棄に陥っていた。先きに僕は知識階級の間に宣伝することのほとんど無駄なことを悟って、哲学や科学や文学の仮面の下に自由思想を論じた最初の『近代思想』は、要するに知識的手淫に過ぎないものと断じた。そして二年間もいつくしんで来てようやく世間から認められだしたそれを止して、僕等の本来に帰るんだと言って、別に労働者相手の『平民新聞』を創めた。それが前にも言ったように、半年間発売禁止を続けてついに倒れ、さらに半年間の準備によって再び起された『近代思想』も同じ運命の下に倒されてしまった。僕等はもうちょっと手の出しようがなかった。それでも、もし僕等同志の結束でも堅いのであったら、また何とか方法もあったのだったろう。が、ごく少数しかいない同志の間にもこれがうまく行かなかった。同志の間にはまだ運動に対する本当の熱がなかったのだ。
「僕等はまるで暖簾と腕押しをしているのだな。」
 当時ほとんど一人のようになっていた荒畑寒村と僕とが、よく慨き合った言葉だった。
 かくして、もう何もかも失ったような僕が、その時に恋を見出したのだ。恋と同時に、その熱情に燃えた同志を見出したのだ。そして僕はこの新しい熱情を得ようとして、ほとんどいっさいを棄ててこの恋の中に突入して行った。
 その恋の対象がこの神近と伊藤とだったのだ。が、その恋ももう堕落した。僕等三人の間には、友人または同志としての関係よりも、異性または同性としての関係の方が勝って来た。そしてその関係がへたな習俗的なものになりかかっていた。
 例のおげんさんによって夕飯が運ばれた。そしてこのおげんさんの寂しい顔が、みんなの気まずい引きたたない顔の中にまじった。好きなそして甘そうな料理ばかり註文したのだが、僕も伊藤もあまり進まなかった。神近もちょっと箸をつけただけで止した。
 伊藤は箸を置くとすぐ、室の隅っこへ行って何かしていたがいきなり立ち上って来て、
「私帰りますわ。」
 と、二人の前に挨拶をした。
「うん、そうか。」
 と、僕はそれを止めることができなかった。神近もただ一言、
「そう。」
 と言ったきりだった。
 そして伊藤はたった一人で、おげんさんに送られて出て行った。
 二人きりになると、神近はまた、前よりももっと、愚痴らしくそしてまた言いわけらしく、来た時に言った言葉を繰返した。僕も不機嫌にやはり前に言った言葉をただ繰返した。そして僕は引返して来たおげんさんにすぐ寝床を敷くようにと命じた。
 朝秋谷で汗をかいたり風にふかれたりしたせいか、そしてその上に湯にはいったせいか、少し風邪気味で熱を感じたのだ。肺をわずらっていた僕には、感冒はほとんど年じゅうのつきものであり、そしてまた大禁物だった。が、ちょっとでも風邪をひくと、僕はすぐ寝床につくのを習慣としていた。
 が、その時には、それよりむしろ、神近と相対して坐っていて、何か話ししなければならないのが、何よりも苦痛だった。彼女がこの室にはいって来て、伊藤の湯上り姿に鋭い一瞥を加えて以来、僕は彼女の顔を見るのもいやになっていたのだ。
 彼女は疲れたからと言ってすぐ寝床にはいった。僕は少し眠ったようだった。
 夜十時頃になって、もうとうに東京へ帰ったろうと思っていた伊藤から、電話がかかって来た。ホテルの室の鍵を忘れたから、逗子の停車場までそれを持って来てくれというのだ。僕は着物の上にどてらを着て、十幾町かある停車場まで行った。彼女は一人ぽつねんと待合室に立っていた。
「いったん汽車に乗ったんですけれど、鍵のことを思いだして、鎌倉から引返して来ましたの。だけどもう今日は上りはないわ。」
 彼女はそう言って、一人でどこかの宿屋に泊って明日帰るからと言いだした。
 僕は彼女を強いて、もう一度日蔭に帰らした。いっそ、三人でめいめいの気まずい思いを打明け合って、それでどうにでもなるようになれと思ったのだ。が、こうして彼女が帰ると、室の空気は前よりももっといけなかった。そして三人とも、またほとんど口をきかずに、床をならべて寝た。
 神近も伊藤もほとんど眠らなかったようだ。が、僕は風邪をひいた上に夜ふけてそとでをしたので、熱が大ぶ高くなって、うつらうつらと眠った。そして時々目をさましては彼女等の方を見た。神近はすぐ僕のそばに、伊藤はその向うにいた。伊藤は顔まで蒲団をかぶって、向うを向いてじっとして寝ていた。僕がふと目をあけた時、僕は神近が恐ろしい顔をして、それを睨んでいるのをちらと見た。
「もしや……」
 とある疑念が僕の心の中に湧いた。僕は眠らずにそっと彼女等を窺っていなければならないときめた。が、いつの間にか熱は僕を深い眠りの中に誘ってしまった。

   四

 目をさました時にはもうかなり日が高かった。神近も伊藤も無事でまだ寝ていた。僕はほっとした。
 朝飯を済ますと、伊藤はすぐ出て行った。勿論東京へ帰ったのだ。が、神近はそれを疑っているようだった。もともと僕と一緒にずうといるつもりで来たので、今は自分が来たからちょっと近所のどこかで避けて、また自身が帰ればすぐここへ来るのだろう、というような口ぶりだった。彼女は割合に人が好くて、ごく人を信じやすいかわりには、疑い出すとずいぶん邪推深かった。僕はもう彼女の邪推と闘うには、あまりに彼女に疲れていた。そうでなくても、きのう彼女が「侵入」して来て以来の僕の気持は、とうてい静かに彼女と話しすることを許さなかった。しかしまた、彼女をすっぽぬかして伊藤と一緒にここへ来ているという弱点は、彼女に対してあまり強く出ることも許さなかった。で、彼女のそんな疑いに対しては、ただ一言「馬鹿な」と軽く受け流して、相手にせずにいた。
 そして昼飯が済むとすぐ、僕は苦りきった顔をして、机に向って原稿紙をとり出した。彼女は仕方なしにおげんさんの案内で海岸へ遊びに行った。
 その時はちょうど寺内内閣ができた時で、僕は『新小説』の編集者から、寺内内閣の標榜するいわゆる善政についての批評を書くことを頼まれていた。憲政会は三菱党だ。政友会は三井党だ。したがってこの二大政党には、今日の意味での善政、すなわち社会政策を行うことはとうていできない。彼等は資本家党なのだ。官僚派は資本家の援助がなければ何事もできないことはよく知っている。しかし彼にはこの資本家の上に立つ政治家だという、ともかくもの自尊がある。そしてなお、この資本家の横暴と対抗するには、労働者の援助をかりなければならない。そこでその政治は、善政は、すなわち社会政策をとるほかはない。僕はざっとそんなふうに考えていた。そして、なおそれを歴史の事実の上から論ずるつもりで、桂がその晩年熱心な社会政策論者であったことや、またドイツのビスマルクの例を詳しく書いて見ようと思っていた。
 僕は誰だかの『ビスマルクと国家社会主義』をその参考に持って来ていた。で、まずざっとその本を読んで見ようと思った。
 が、こうして落ちついて机の前に坐ると、急にまた風邪の熱で頭の重いことが思い出されて来た。熱でばかりではない、いろいろな雑念で重いのだ。
 僕は神近とはもうどうしてもお終いだと思った。彼女とできて半年あまりの間に、このもうお終いだという言葉が、彼女の口から三、四度も出た。が、こんどは、それを初めて僕の方から言い出そうと思った。
 最初は、彼女との関係後二カ月ばかりして、さらに伊藤との関係ができかかった時、彼女からずいぶん手厳しくそれを申渡された。
「きょうはきっとあなた、どこかでいいことがあったのね。顔じゅうがほんとうに喜びで光っているわ。野枝さんとでも会って?」
 ある晩遅く彼女を訪ねた時、顔を見るとすぐ彼女は言った。僕はそれまではそんなに嬉しそうにしていたとも思わなかったが、そう言われて初めて、彼女の言葉通りに顔じゅうが喜びで光っているような気がした。そして実際また、彼女の言った通り、今伊藤と会って来たばかりだったのだ。しかも、いつも亭主が一緒なのが、その日は初めて二人きりで会って、初めて二人で手を握り合って歩いて、初めて甘いキスに酔うて来たのだった。僕は正直にその通りを彼女に話した。
「そう、それやよかったわね、私も一緒になってお喜びしてあげるわ。」
 彼女はもうよほど以前から僕等二人がよく好き合っていることを知っていた。そして、ただ好き合っているばかりで、それ以上にちっとも進まないことをむしろ不思議がっていた。で、自分が僕等の姉さんででもあるかのようにして、ほんとうに喜んでくれたようだった。
 彼女には、この姉さんというような気持が、ずいぶんにあった。そしてこの気持の上から、僕や伊藤のわがままをいつも許してくれ、また自分からも進んでいろいろなわがままをさせていた。彼女はもう三十だった。そして伊藤は彼女より七、八つ下だった。
 僕が彼女と初めて手を握った時にも、彼女は伊藤に対する僕の愛を許していた。まだどうにもなっていない、今からもどうなるか見こみはちっともない、しかし僕は非常に伊藤を愛している、今こうして相抱き合っている彼女よりも以上に愛している、僕はこの事実を偽ることはできないと言った。彼女はそれを承認した。しかも、ちっともいやな顔は見せないで、笑いながら承認した。
「たとえば、僕にはいろんな男の友人がいる。そしてその甲の友人に対するのと乙の友人に対するのと、その人物の評価は違う。また尊敬や親愛の度も違う。しかし、それが僕の友人たるにおいては同一だ。そしてみんなは、各々自分に与えられた尊敬と親愛との度で満足していなければならない。俺は乙よりも尊敬されないから、あいつの友人になるのはいやだ、などという馬鹿な甲はいない。」
 というのが僕の友人観兼恋愛観だった。僕は友人と恋人との間に大した区別を設けたくなかった。
 が、理窟はまあどうでもいいとして、とにかく彼女は、僕の心の中での彼女と伊藤との優劣を認めたのだ。と同時にまた、その尊敬や親愛の対象となるものの、質の違っていることも認めたのだ。そして彼女は、この優越を蔽うために、年齢の上からの自分の優越を考え出したのだ。しかし反対にまた、彼女より年の多い保子に対しては、彼女は自分の知力の優越を考えていた。そしてやはりこの優越感の上から、保子に対してまでも姉さんぶった心の態度を持っていた。この姉さんぶるという態度には、彼女の性格の一種の仁侠もあるのであるが、しかし彼女がその競争者に対してどうしても持ちたい優越感がそれを非常に助けていたのだ。
 実際彼女はこの優越ということをよく口にしていた。そして彼女があらゆる点において優越を感じていた保子に対しては、ただ憐憫があるばかりで、ほとんど何の嫉妬もなかった。それからもう一人、これは今ちょっとその人の名を言えないが、やはり女文士でかりにFというのがあった。そのFと僕とのごく淡い関係についても、彼女はやはり自分の優越感から何の嫉妬をも感じていなかった。むしろ一種の興味をもってすら見ていた。
 その晩は僕は麻布の彼女の家に泊った。そして翌日、保子のいる逗子の家に帰った。するとたぶんその翌日の朝だ、僕は彼女から本当に三行半と言ってもいい短かい絶縁状を受取った。それは「もし本当に私を思っていてくれるのなら、今後もうお互いに顔を合せないようにしてくれ。では、永遠にさよなら」というような意味の、あまりに突然のものだった。僕はすぐ東京へ出た。そして彼女をその家に訪うた。が、彼女は僕の顔を見るや、泣いてただ、「帰れ帰れ」と叫ぶのみで、話のしようもなかった。そして僕は何かをほうりつけられて、その家を逐い出された。
 僕はすぐ宮島の家へ行った。宮島の細君は彼女にとってのほとんど唯一の同性の友達だった。
「ゆうべはひどい目に会ったよ。神近君が酔っぱらって気違いのようにあばれ出してね。そして君のことを『だました! だました!』と言って罵るんだ。ようやくそれを落ちつけさして、家まで連れて行って、寝かしつけて来たがね。実際弱っちゃったよ。」
 宮島は、僕が彼女の話をすると、本当に弱ったような顔をして話した。
 そこへ、しばらくして、彼女がやって来た。顔色も態度も、さっきとはまるで別人のように、落ちついていた。
「私、あなたを殺すことに決心しましたから。」
 彼女は僕の前に立って勝利者のような態度で言った。
「うん、それもよかろう。が、殺すんなら、今までのお馴染甲斐に、せめては一息で死ぬように殺してくれ。」
 僕はその「殺す」という言葉を聞くと同時に、急に彼女に対する敵意の湧いて来るのを感じたのであったが、戯談半分にそれを受け流した。
「その時になって卑怯なまねはしないようにね。」
「ええ、ええ、一息にさえ殺していただければね。」
 二人はそんな言葉を言いかわしながら、しかしもう、お互いの顔には隠しきれない微笑みがもれていた。
 彼女はまたもとの姉さんに帰ったのだが、僕と伊藤とはこの姉さんにあまりに甘えすぎたようだ。あまりに無遠慮すぎたようだ。それをあまりに利用しすぎたとまでは思わないが。そしてそのたびに彼女はヒステリーを起しはじめた。
 ヒステリーとまでは行かんでも、その後彼女は、その生来の執拗さがますますひつっこくなった。いろんな要求がますます激しくなった。そして、それが満足されなければされないほど、それだけまたますますひつっこくなり、ますますうるさくなるのであった。が、ここに白状して置かなければならないのは、僕はだんだんこの執拗さにいや気がさして行ったのであるが、しかしまた、その執拗さが僕にとっての一つの強い魅力ででもあったことだ。
 彼女は折々その執拗さを遠慮した。が、それはいつも、さらに数倍の執拗さをもって来る前ぶれのようなものだった。そしてその執拗さが満足されないと、彼女はきまってそのヒステリーを起した。そしてそのたびに、彼女の口から、例の「殺す」という言葉が出た。その言葉を聞くと、僕は奮然として、その席を起って出た。
 かくして僕は彼女から三度ばかり絶交を申渡された。が、その翌日には、彼女はきっと謝まって帰って来るのだった。そしてその最後に謝まって来た時には、僕は彼女に、もう一週間熟考して見るがいいと言って、いったんそれを斥けた。彼女はその一週間が待てないで、その翌日また謝まって来た。
「しかし、こんどはもう、断然その絶交をこっちから申渡すんだ。」
 僕は原稿紙を前に置いたまま、それにはただ「善政とは何ぞや」という題を書いただけで、独り言のように言った。
「こんどもし、君が殺すと言ったり、またそんな態度を見せた場合には、即刻僕は本当に君と絶交する。」
 最後の仲直りの時に僕は彼女にそう言ったのだ。そして今、ゆうべ僕は、彼女の顔の中に確かに殺意を見たのだ。

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