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男女関係について(だんじょかんけいについて)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:07:30  点击:  切换到繁體中文


         五

 さて、野枝さん。
 思わず妙なところに力瘤を入れてしまったが、ここまで自分等の思うことを仕遂げて来た僕等は、さらに翻って、僕等のいわゆる犠牲者となった人達のことを考えて見なければならない。そして僕等はその人達のことを考えるに当って、僕等自身の心持をもって律することなく、やはりその人たち自身の現実にまで降って見なければならない。
 まず女の人達のことにのみついて言えば、君は保子と神近という二人のいわゆる犠牲者を出した訳だ。もっとも神近は、最初は保子を犠牲者の地位に陥しいれて、さらに君のために、こんどは自分が犠牲者になったのだが、したがって神近は、保子に対する心持と、君に対する心持との間に、単にこの地位の上からのみでも、よほどの差異を持っていた。さきに僕が、君の他の女に対する心持の進みかたと、他の女の君に対する心持の動きかたとに、自ずから相異するところがあると言ったのは主としてこの地位の上にもとづくものを指したのだ。さらに分りやすく言えば、人の亭主もしくは愛人をねとった女と、その男をねとられた女との心持の差異である。
 君は、自分が僕の愛を一番多く持っているということに、自分の安心があるのではないかということを、絶えず怠らずに反省している、と言う。しごく結構なことだ。しかし、なおそれと同時に、君が一番最後に僕のところに来たんであるということをも、十分に考えて見なければならない。現に神近は、平気で人の亭主をねとって置きながら、その男をさらに他の女にねとられて、急に騒ぎ出した。男を殺してしまうとまで狂い出した。それでもなお神近は、ついに自分をしっかりと握って、再び起ちあがることができた。これは、神近には反省と思索とのかなりのトレーニングがあった上に、経済上に独立しているという強味もあり、それらの点からははなはだ好都合な地位にいたのだが、なおかつ人を殺し自分も死ぬといういったんの決心までも経た後の、そしてまたさらに二カ月間の火の出るような内心の苦闘の後の、ようやくのことであった。神近の話が出たからついでに言って置くがさきに抜き書をした君の手紙の中に、「この気持は、たぶん私とあなた以外の誰にも、本当は理解のできない気持ではないでしょうか」とあったが、いや、神近はすでに君よりも以前に、君が最後に到達した点にまで立派に進んでいたのだ。そして神近は、出るところへも出ずになるべく保子とは顔も合わせないようにして、保子のことはただ僕に任せて置いたのだ。
 保子は、自分の亭主を、しかも二人の女に寝とられた女である。
 保子のことについて考える時には、第一番にまず、このことをしっかりと念頭に置いてかからねばならない。そして、彼女から亭主を寝とった君や神近は、自分等の考えの進みかたのえらさによほどの割引きをして反省しなければならないとともに、なお保子の態度について物を言う時には、よほどの遠慮がなくてはならない。
 保子は、諸君のごとき反省や思索のトレーニングのない、無教育な女だ。しかし彼女は、生じっか学問のある女よりは、よほどよく物事の分る女だ。むずかしい理屈を言うことはとても諸君に及びもつかないが、世俗のことについてならば、諸君なぞはとても彼女の足もとにも及び得るものでない。それに彼女は、ふだんはずいぶんやさしいおとなしい女であるのだが、それでいて、なかなかに意地もあり張りもある女である。
 しかるに彼女は、こんどのことのあって以来、急に意地も張りもなくして、愚痴といやみの、分からずやになってしまった。何事に対してでもずいぶん思い切って無茶をやる僕の心情については、従来は本当によく理解していてくれたのだが、こんどばかりは、まったくの盲目になってしまった。そして、ただもう、僕のいわゆる乱行にあきれ返っている態だ。
 と言っても、必ずしも、いつもそうだという訳ではない。僕がこんな乱行をやるようになった動機についても、またその他の僕のこの六カ月間の私行の動機についても、心の奥底では決して分っていないのではない。なるほど、彼女には、明らかに口に出して、それを説明することはできないかも知れない。しかし彼女の僕に対する愛は、彼女にそれを直覚させないではいない筈だ。現に、僕のこの乱行の間に僕に対する彼女の態度には、この直覚から出た彼女の態度には、僕は彼女に感謝しなければならない多くのものを見ている。
 また、君に対する彼女の心持とても、必ずしも例の「狐さん」ばかりでいつも充たされているのではない。君は、御宿へ行く時に僕の財布から少々の金を持って行ったことを、彼女が君を軽蔑しあるいは自らを不安に思っていやしないかと心配しているようだったが、彼女とてもそれほどの馬鹿ではない。新聞記事などによって余計な推測をしてはいけない。彼女はまた、そのことをもってただちに、君が「働きのない」辻を去って、「働きのある」僕のところへ、「妾になって来たのだと言われても仕方がない」などと考えるような、そんなさもしい心の女ではない。真新婦人西川文子君の談話だというこの新聞記事も、恐らくは、例の黄色新聞記者のいい加減な捏造に過ぎないのであろう。保子だって、君のことは、相応に尊敬している。
 野枝さん。
 僕の乱行と無茶、この六カ月間ばかりの僕の生活の動機については、少なくとも君や神近は、明らかに理解していてくれる。本当を言うと、まずこの動機のことから詳しく書き始めなければ、僕のこの頃の行動については、何にも本当には理解することができないのであるが、いわゆる苦労人の先輩とか友人とかの冷笑するがごとく、今はまず、「自棄酒を呑んで女に狂っているのだ」として置いてもいい。苦労人なぞというものは、せいぜい、そのくらいのことを言っていればお役目は済むのだ。


 

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