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岡本一平論(おかもといっぺいろん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:26:55  点击:  切换到繁體中文

底本: 愛よ、愛
出版社: メタローグ
初版発行日: 1999(平成11)年5月8日
入力に使用: 1999(平成11)年5月8日第1刷
校正に使用: 1999(平成11)年5月8日第1刷


底本の親本: 岡本かの子全集
出版社: 冬樹社
初版発行日: 1976(昭和51)年

 

岡本一平論

――親の前で祈祷

岡本かの子




「あなたのお宅の御主人は、面白いをおきになりますね。さぞおうちのなかも、いつもおにぎやかで面白くいらっしゃいましょう。」
 このようなことを私にむかってう人が時々あります。
 そんな時私は、
「ええ、いいえ、そうでもありませんけど。」などと表面、あいまいな返事をして置きますが、心のなかでは、何だかその人が、大変見当違いなことを云ってる様な気がします。もちろん、私の家にも面白い時もにぎやかな折も随分ずいぶんあるにはあります。
 けれど、主人一平氏は家庭において、平常、大方おおかた無口で、沈鬱ちんうつな顔をして居ます。この沈鬱は氏が生来せいらい持つ現世に対する虚無思想からだ、と氏はいつも申します。
 以前、この氏の虚無思想は、氏の無頼ぶらい遊蕩ゆうとう的生活となって表われ、それに伴って氏はかなり利己的でもありました。
 それゆえに氏は、親同胞にも見放され、妻にも愛の叛逆をくわだてられ、随分、にがつらい目のかぎりを見ました。
 その頃の氏の愛読書は、三馬さんば緑雨りょくうのものが主で、その独歩どっぽとか漱石そうせき氏とかのものも読んで居た様です。
 酒をのむにしても、一升いっしょう以上、煙草たばこえば、一日に刺戟しげきの強い巻煙草まきたばこの箱を三つ四つも明けるというふうで、すべて、徹底的に嗜好物しこうぶつなどにもおぼれて行くという方でした。
 食味しょくみなども、下町式のいきを好むと同時に、また無茶むちゃ悪食あくじき間食家かんしょくかでもありました。
 仕事は、昼よりも夜にはかどるらしく、徹夜などはほとんど毎夜続いたくらいです。昼は大方おおかた眠るか外出してるかでした。
 しかしそうした放埒ほうらつな、利己的な生活のなかにも、氏には愛すべき善良さがあり、尊敬すべきる品位が認められました。
 四五年以来、氏はすっかり、宗教の信仰者になってしまいました。
 始めは、熱心なキリスト教信者でした。しかし、氏はトルストイなどの感化から、教会や牧師というものに、接近はしませんでした。氏は、一度信ずるや、自分の本業などは忘れて、只管ひたすら深く、その方へ這入はいって行きました。氏の愛読書は、聖書と、東西の聖者の著書や、宗教的文学書とかわりました。同時にあれほどの大酒おおざけも、喫煙もすっかりやめて、氏の遊蕩ゆうとう無頼ぶらいな生活は、日夜祈祷きとうの生活と激変してしまいました。
 その頃の氏の態度は、丁度ちょうどうまれて始めて、自分の人生の上に、一大宝玉ほうぎょくでも見付け出したような無上の歓喜かんきに熱狂して居ました。キリストの名を親しい友か兄の様に呼び、なつかしんで居ました。ある時長い間往来おうらい杜絶とだえて居た両親の家に行き、突然ひざまずいて、大真面目まじめに両親の前で祈祷したりして、両親をかえって驚かしたこともありました。また誰かにもらって来たローマ旧教カトリックの僧の首にけ古された様な連珠れんじゅに十字架上のクリストの像の小さなブロンズのかかったのを肌へ着けたりして居ました。
 氏の無邪気な利己主義が、痛ましいほど愛他あいた的傾向になり初めました。
 やがて、氏は大乗だいじょう仏教をも、味覚しました、ここにもまた、氏の歓喜的飛躍ひやくいちじるしさを見ました。その後とて、決してキリスト教からとおざかろうとはしませんけれど、氏の元来がんらいが、キリスト教より、仏教の道を辿たどるに適して居ないかと思われる程、近頃の氏の仏教修業しゅぎょうが、いかにも氏に相応ふさわしく見受けられます。
 氏は毎朝、六時に起きて、家族と共に朝飯前に、静座せいざして聖書と仏典ぶってんの研究をかわがわるいたしてります。
 氏は、キリスト教も仏教も、極度の真理は同じだとの主張を持って居ります。したがって二重につかえるという観念もないのであります。ただ、目下もっかは、キリスト教に対しては、その教理をやや研究的に、仏教にはほとん陶酔とうすい的状態に見うけられます。
 現在に対する虚無きょむの思想は、今尚いまなお氏を去りません。しかし、氏は信仰を得て「永遠の生命」に対する希望を持つようになりました。氏の表面は一層沈潜ちんせんしましたが、底に光明こうみょうを宿してためか、氏の顔には年と共に温和な、平静な相がひろがる様に見うけられます。暴食のくせなどもほとんせたせいか、健康もずっと増し、二十貫目かんめ近い体に米琉よねりゅう昼丹前ひるたんぜん無造作むぞうさに着て、日向ひなたえんなどに小さい眼をおとなしくしばたたいて居る所などの氏は丁度ちょうど象かなどの様に見えます。この容態ようだいで氏は、家庭におい家人かじん些末さまつな感情などから超然ちょうぜんとして、自分のへやにたてこもりちであります。その室は、毎朝氏の掃除にはなりますが、書籍や、作りかけの仕事などが、雑然ざつぜん混然こんぜんとして居て一寸ちょっと足の踏み所もい様です。一隅はじには、座蒲団ざぶとんを何枚も折りかさねた側に香立てをえた座禅ざぜん場があります。壁間かべには、鳥羽とば僧正そうじょう漫画まんがを仕立てた長い和装わそうの額が五枚ほどかけ連ねてあります。氏は近頃漫画として鳥羽僧正のをひどく愛好してようです。


 

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