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かの女の朝(かのじょのあさ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:36:47  点击:  切换到繁體中文


 そうだった。かの女はそれを忘れて居たのだ。逸作が近道を行って早く息子の手紙を見度いのも本当だろうが、逸作はたしかに、ぞろぞろ子供にうのは嫌いだった。子供は世の人々が言いとうとぶように無邪気なものと逸作もかの女も思っては居なかった。子供は無邪気に見えて、実は無遠慮な我利我利がりがりなのだ。子供はうそを言わないのではない。嘘さえ言えぬ未完成な生命なのだ。教養の不足してる小さな粗暴漢そぼうかんだ。そして恥や遠慮を知る大人を無視した横暴おうぼうな存在主張者だ。(逸作もかの女も、自分の息子が子供時代を離れ、一つの人格として認め得た時から息子への愛が確立したのだ。)本能で各々おのおのその親達が愛するのはい。しかし、逸作達が批判的に見る世の子供達は一見可愛かわいらしい形態をした嫌味いやみあくどい、無教養な粗暴な、かもやり切れない存在だ。
 ――でもパパは、童女どうじょ型だの、小児性しょうにせい夫人だのってカチ(逸作はかの女をう呼ぶ)を贔屓ひいきにするではないか。
 ――大人で童心どうしんを持ってるのと、子供が子供のまんまなのとは違うよ。大人で童心を持ってるその童心をむしろ普通の子供はちっとも持ってないんだ。だから子供のうちから本当の童心を持ってる子はやっぱり大人で童心を持ってる人と同じくすくないんだよ。
 うした筋の通らぬような、通ったような結論を或時あるとき二人がかりでこしらえてしまった。
 道の両側は文化住宅地だった。かの女達が伯林ベルリンの新住宅地で見て来たような大小の文化住宅が立ち並んでいる。だが、かの女は、の日本の小技工のたくみな建築が、寧ろ伯林のよりも効果的だと考えられるのである。日本で想像して居たより独逸ドイツ人の技巧は大まかだ。影か、骨か、何かがひとけた足りなくて、あのいたずらに高い北欧の青空の下に何処どこか間の抜けた調子で立ち並んでいるのであった。日本の建築が独逸のそれを模倣もほうしているのは一見明白であるが、実物で無い、独逸建築の写真で見た感覚から、多くの抜け目の無い効果を学びとったのであろう。かの女達が伯林で、現在眼の前の実物を観ながら、その建築物の写真の載った写真帖しゃしんちょうなど見並べると、驚くほどの写真の方が、線の影や深味ふかみが、精巧な怜悧れいり写術しゃじゅつによって附加されている。その写真帖を、そのまま、日本へ持って帰り、日本の人に見せるのは、少し、そらぞらしい嘘をつくようなうしろめたさを覚えた。が、それかと言って、その写真が計画的に修正でもしてあるわけでもなし、それは何処どこまでも、その独逸建築をありのままに写した写真なのだから仕方がない。人間の顔を写してもそうなのだ、平たい陰影の少ない東洋人の顔より、筋骨きんこつ的な線のはっきりした西洋人の顔が多く効果的に写る――ともかく日本の様式建築が、独逸の効果的写真帖の影や深味までを東洋人の感覚で了解し、原型伯林の建築より効果を出している。それが、日本の樹木の優雅なたたずまいや、葉のこまやかさの裏表に似つかわしく添って建っているのだ。
 ――何処の国の都会の住宅地でもそうだけど、五万円や八万円かかった住宅はどっさり建ってるでしょう。それでいて門標もんぴょうを見れば、何処の誰だか分らない人の名ばかりじゃないの。世の中にお金が無いなんて嘘のような気がするのね。
 ――………………。
 ――何故なぜだまって笑ってらっしゃるの。
 ――だって、君にしちゃあ、よくそんなところへ気が付いたもんだ。
 四辺しへんの空気が、冷え冷えとして来て墓地に近づいた。が、寺は無かった。独立した広い墓地だけに遠慮が無く這入はいれた。る墓標のそばには、大株の木蓮もくれんが白い律義りちぎな花を盛り上げていた。青苔あおごけが、青粉あおこを敷いたように広い墓地内の地面を落ち付かせていた。さび静まったの地上にぱっと目立つかんなやしおらしい夏草をそなえた新古の墓石や墓標が入り交って人々の生前と死後との境に、幾ばくかの主張を見せているようだ。すくなくともかの女にはそう感じられ、ささやかな竹垣や、いかめしい石垣、格子こうしのカナメ垣の墓囲いも、人間の小さい、いじらしい生前と死後との境を何か意味するように見える。
 ――生きてるものに取っては、ここが、死人の行った道の入口のような気がして、お墓はやっぱりあった方がいのね。
 ――そうかな、僕ぁんなもの面倒くさいな。死んだら灰にして海の上へでも飛行機でばらいてもらった方が気持がいな。
 いつか墓地の奥へ二人は来て居た。
 ――どれ見せな。
 ――息子の手紙? 執念深く見度みたがるのね。
 ――お墓の問題よりその方が僕にゃ先きだ。
 其処そこころがっている自然石のはしと端へ二人は腰を下ろした。夏の朝の太陽が、意地悪に底冷そこびえのする石の肌をほんのりとあたたなごめていた。二人は安気あんきにゆっくり腰を下ろしてられた。うむ、うむ、と逸作は、うまいものでもべる時のような味覚のうなずきを声に立てながら息子の手紙を読んで居る。
 ――ねえパパ。
 ――うるさいよ。
 ――何処どこまで読んだ?
 ――待て。
 ――其処そこに、ママの抒情じょじょう的世界を描けってところあるでしょう。
 ――待ちたまえ。
 逸作は一寸ちょっと腕をやくしてかの女を払い退けるようにして読み続けた。
 ――ねえ、ママの抒情的世界を描きなさいって書いて来てあるでしょう。ねえ、私の抒情的世界って、何なのいったい。
 ――考えて見なさい自分で。
 ――だってよくわからない。
 ――息子はあたまが良いよ。
 ――じゃ、巴里パリいてやろうか。
 ――馬鹿ばか言いなさんな、またたしなめられるぞ。
 ――だって判んないもの。
 ――つまりさ、君が、日常よろこんだり、怒ったり、考えたり、悲しんだりすることがあるだろう。その最も君にそくしたことを書けって言うんだ。
 ――私のそんなこと、それ私の抒情的世界って言うの。
 ――そうさ、何も、具体的に男と女がれたりはれたりすることばかりが抒情的じゃないくらい君判んないのかい。息子は頭が良いよ。君の日常の心身のムードに特殊性を認めてそれを抒情的と言ったんだよ、新らしい言い方だよ。
 ――うむ、そうか。
 かの女のぱっちりした眼が生きて、巴里の空を望むようなひとみの作用をした。
 ――判ってよ、ようく判ってよ。
 かの女は腰かけたまま足をぱたぱたさせた。
 かの女の小児型の足が二つまりのようにずんだ。よく見ればそれに大人おとなの筋肉の隆起りゅうきがいくらかあった。それを地上に落ち付けると赭茶あかちゃ駒下駄こまげたまわりだけがくびれて血色を寄せている。そのやわらかい筋肉とは無関係に、角化質かくかしつの堅いつめが短かくさきの丸いおさない指を屈伏くっぷくさせるように確乎かっこと並んでいる。此奴こいつ強情ごうじょう!と、逸作はその爪を眼でおさえながら言った。
 ――それからね。君の強情も。
 ――あたしの強情も抒情じょじょう的のなかに這入はいるの。
 ――そうさ。
 ――そんな事言えば、いくらだってあるわ。私が他所よそからひとりで帰って来る――すると時々パパがうちから出迎えてだまって肩をおさえて眼をつぶって、そしてけた時の眼が泣いている。こんなことも?
 ――うん。
 逸作は一寸ちょっと面倒らしい顔をした。
 ――そう、そう、その事ね。私たった一度山路さんとこで話しちゃった。そしたら山路さんも奥さんも不思議そうな顔して、「何故なぜでしょう」って言うの。「大方おおかた、独りで出つけない私が、よく車にもかれず犬にもまれず帰って来たって不憫ふびんがるのでしょう」って言ったら、物判ものわかりのい夫婦でしょう。すっかり判ったような顔してらしったわ。「私のこと、対世間的なことになると逸作は何でもあぶながります」って私言ったの。こんな事も抒情的なの。
 ――だろうな。
 逸作は自分に関することを、じかに言われるとじきにてれる男だ。
 ――ついでに私、山路さんとこでみんな言っちまった。世間で、私のことを「まあ御気丈おきじょうな、お独り子を修行しゅぎょうためとは言え、よくあんな遠方えんぽうへ置いてらしった。流石さすがにあなた方はお違いですね。判ってらっしゃる」って、世間は単純にそんなめ方ばかりしてます。雑誌などでも私を如何いかにも物の判った模範的な母親として有名にしちまいましたが、だが一応はそういうことも本当ですが、その奥にまだまだそれとはまるで違った本当のところがあるのですよ。そんな立ちまさった量見りょうけんからばかりで、あの子を巴里パリへ置いときませんって、――巴里は私達親子三人の恋人です。三人が三人、巴里パリるわけに行きませんから、せめて息子だけ、巴里って恋人に添わせて置くのを心遣こころやりに、私達は日本って母国へ帰って来ましたの。何も息子をえらくしようとか、世間へ出そうとか、そんな欲でやっとくんでもありません。言わば息子をあすこに置いとくことは、息子に離れてるつらい気持ちとやりとりの私達の命がけの贅沢ぜいたくなんですよ。…………てね。
 かの女は自分がそう言って居るうちに、それを自分に言ってきかせて居るような気持きもちになってしまった。
 ――ねえパパ、こんなところへ朝っから来て、こんなこと言ったりしてることも私の抒情じょじょう的世界ってことになるんでしょうね。
 ――ああ、当分、君の抒情的世界の探索たんさくにぎやかなことだろうよ。
 逸作は、息子の手紙をたたんだりほぐしたりしながら比較的実際的な眼付きを足下あしもと一処ひとところへ寄せて居た。逸作は息子に次に送るなりの費用の胸算用むなざんようをして居るのであろう。逸作の手のはしではじけている息子の手紙のドームという仏蘭西フランス文字のってあるレターペーパーをかの女はちらと眼にすると、それがモンパルナッスの大きなキャフェで、其処そこに息子と仲好なかよしの女達も沢山たくさん居て、かの女もその女達が可愛かわいくてひまさえあれば出掛でかけて行って紙つぶてを投げ合って遊んだことを懐しく想い出した。
 逸作がしばらく取り合わないので、かの女も自然自分自身の思考に這入はいって行った。
 暫くしてかの女が、空に浮く白雲しらくもの一群に眼をあげた時に、かの女は涙ぐんでた。かの女は逸作と息子との領土を持ちながらやっぱりまだ不平があった。世の中にもかの女自身にも。かの女はかの女の強情ごうじょうをも、傲慢ごうまんをも、潔癖けっぺきをも持てあまして居た。そのくせ、かの女は、かの女の強情やそれらを助長じょちょうさすのは、世の中なのだとさえ思って居る。
 人懐ひとなつかしがりのかの女を無条件によろこばせ、その尊厳そんげんか、怜悧れいりか、豪華か、素朴か、誠実か、何でもい素晴らしくそしてしみじみと本質的なものに屈伏くっぷくさせられるような領土をかの女は世の中の方にもまだ欲しい。かの女はそういうものがまれにはかの女の遠方えんぽうるのを感じる。しかし遠いものは遠いものとしてはるかに尊敬の念を送って居たい。わざわざ出かけて行って其処そこにふみ入ったり、きまつわったりするのはあくどくて嫌だ。かの女はそんな空想や逡巡しゅんじゅんの中に閉じこもって居るために、かの女に近い外界からだんだんだん遠ざかってしまった。かの女は閑寂かんじゃくな山中のような生活を都会のなかに送って居るのだ。それが、今のところかの女に適していると承知しょうちして居る。だが、かの女はそれがまた寂しいのだ。自分の意地や好みを立てて、その上、寂しがるのは贅沢ぜいたくと知りつつ時々涙が出るのだった。
 まだその日の疲れのにじまない朝の鳥が、二つ三つ眼界を横切った。つばさをきりりと立てた新鮮な飛鳥ひちょうの姿に、今までのかの女の思念しねんたれた。かの女は飛び去る鳥に眼を移した。鳥はまたたく間に、かの女の視線をって近くの小森に隠れて行った。残されたかの女の視線は、墓地に隣接するS病院の焼跡やけあとに落ちた。十年も前の焼跡だ。焼木杭やけぼっくいや焼灰等はちり程も残っていない。赤土あかつちの乾きが眼にも止まらぬ無数の小さな球となって放心ほうしんしたような広い地盤じばん上の層をなしている。一隅いちぐうに夏草の葉が光ってたくましく生えている。そのくさむらを根にして洞窟どうくつ残片ざんぺんのようにのこっている焼け落ちた建物の一角がある。それは空中を鍵形かぎがたに区切り、やいば型に刺し、その区切りの中間から見透みとおす空の色を一種の魔性ましょうに見せながら、その性全体においては茫漠ぼうばくとした虚無を示して十年の変遷へんせんのうちに根気こんきよく立っている。かの女は伊太利イタリアの旅で見た羅馬ローマの丘上のネロ皇帝宮殿の廃墟はいきょを思い出した。恐らく日本の廃園はいえんうまで彼処あそこに似たところは他には無かろう。
  廃墟は廃墟としての命もちつゝ羅馬市の空にそびえてとこしへなるべし。
 かの女は自分が彼処あそこをうたった歌を思い出してた。
 と、何処どこか見当の付かぬ処で、大きなおならの音がした。かの女の引締ひきしまって居た気持を、急に飄々ひょうひょうとさせるような空漠くうばくとした音であった。
 ――パパ、聞こえた?
 逸作とかの女は不意に笑った顔を見合わせて居たのだ。
 ――墓地のなかね。
 ――うん。
 逸作はあたりまえだと言う顔に戻って居る。
 ――墓地のなかでおならする人、どう思うの。
 かの女は逸作をのぞくようにして言った。
 ――どうって、…………君はどう思う。
 ――私?
 かの女は眼をつむってしかつらして笑い直した。そして眼を開いて真面目に返ると言った。
 ――っぽど現実世界でいじめられてる人じゃないかしら。普通ならお墓へ来れば気が引締まるのに。お墓へ来て気がゆるんでおならをする人なんて。
 かの女達が腰を上げて墓地を出ようとすると、其処そこへ突然のようにプロレタリア作家甲野氏が現われた。
 朝は不思議にどんなみすぼらしい人の姿をもきたなくは見せない。その上、今日の甲野氏はいつもよりずっと身なりもさっぱりして居る。
 ――やあ。
 ――やあ。
 男同志の挨拶あいさつ――。
 かの女は咄嗟とっさの間に、おなら嫌疑けんぎを甲野氏にかけてしまった。そしてそのめに突き上げて来た笑いが、甲野氏への法外ほうがい愛嬌あいきょうになった。そのせいか一寸ちょっとひがやすい甲野氏が、むしろ彼から愛想よく出て来た。
 ――奥さんには久し振りですな。
 ――散歩?
 ――昨夜晩くまでかかって××社の仕事が済んだので、今朝けさ早く持ってって来ました。
 ――奥さんがおなくなりになってからお食事なんか如何どうなさいますの。
 ――外で安飯やすめしべてますよ。
 ――大変ね。
 ――ひとり者の気楽さってところもありますよ。
 墓地を出て両側のくぼみにきのこえていそうな日蔭ひかげの坂道にかかると、坂下から一幅いっぷくの冷たい風が吹き上げて来た。
 ――どうです、僕の汚い部屋へ一寸ちょっとお寄りになりませんか。
 ――有難ありがとう。
 逸作もかの女も甲野氏の部屋へ寄るとも寄らぬともめないでぶらぶら歩いた。道が、表街近くなった明るい三つ角に来た時、甲野氏は、自分の部屋に寄りそうもない二人と別れて自分の家の方へ行こうとしたが、また一寸引きかえして来て、ことにかの女に向いて言った。
 ――僕、昨日の朝、散歩のついでに戸崎夫人のところへ寄って見ましたよ。
 ――そう、此頃このごろあの方どうしてらっしゃる?
 ――相変あいかわらず真赤な洋服かなんか着てね、「甲野さんのようなプロレタリア文学家と私のような小説家と、どっちが世の中のめになるかってこと考えて御覧ごらんなさい。世の中には食えない人より食える人の方がずっと多いのだから、私の小説は、その食える人の方の読者の為めに書いてるんだ。」と、うですよ。は、は、は、は。
 かの女は、華美でも洗練されてるし、我儘わがままでも卒直そっちょくな戸崎夫人のうわさは不愉快ふゆかいでなかった。そういう甲野氏もひがやすいに似ず、ずかずか言われる戸崎夫人をちょいちょいたずねるらしかった。
 ――あなたのうわさも出ましたよ。あなたをたんとめて居たが、おしまいがいや、――だけどあの方あんなに息子の事ばかり思ってんのが気が知れないって。
 かの女はぷっと吹き出してしまった。かの女は子を持たない戸崎夫人が、猫、犬、小鳥、豆猿と、おおよそ小面倒な飼い者を体の周りにまつわり付けて暮らして居る姿を思い出したからである。





底本:「愛よ、愛」メタローグ
   1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第五巻」冬樹社
   1974(昭和49)年12月発行
※「二三丁」「量見りょうけん」「鍵形かぎがた」の表記について、底本は、原文を尊重したとしています。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年2月17日作成
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