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蔦の門(つたのもん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 7:57:41  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本幻想文学集成10 岡本かの子
出版社: 国書刊行会
初版発行日: 1992(平成4)年1月23日
入力に使用: 1992(平成4)年1月23日初版第1刷
校正に使用: 1992(平成4)年1月23日初版第1刷


底本の親本: 岡本かの子全集
出版社: 冬樹社
初版発行日: 1975(昭和49)年発行

 

私の住む家の門には不思議につたがある。今の家もさうであるし、越して来る前の芝、白金しろがねの家もさうであつた。もつともその前の芝、今里の家と、青山南町の家とには無かつたが、その前にゐた青山隠田おんでんの家には矢張り蔦があつた。都会の西、南部、赤坂と芝とを住みる数回のうちに三ヶ所もそれがあるとすれば、蔦の門には余程縁のある私である。
 目慣れてしまへば何ともなく、門の扉のいただきより表と裏に振り分けて、若人のれ髪を干すやうにかんぬきの辺まで鬱蒼うっそうと覆ひ掛り垂れ下るつる葉の盛りを見て、たゞ涼しくも茂るよと感ずるのみであるが、たま/\家族と同伴して外にで立つとき誰かゞ支度が遅く、自分ばかり先立つて玄関の石畳に立ちあぐむときなどは、焦立いらだつ気持ちをこの葉の茂りに刺し込んで、ひて蔦の門の偶然に就いて考へてみることもある。
 結局、表扉を開いて出入りを激しくする職業の家なら、たとへ蔦の根はあつても生え拡がるまいし、自然のすまゝを寛容する嗜癖しへきの家族でなければかういふ状態を許すまい。蔦の門には偶然に加ふるに多少必然の理由はあるのだらうか――この私の自問に答へははなはだ平凡だつたが、しかし、表門を蔦の成長の棚床に閉ぢ与へて、人間は傍の小さい潜門くぐりもんから世を忍ぶものゝやうに不自由勝ちに出入するわが家のものは、無意識にもせよ、この質素な蔦を真実愛してゐるのだつた。ひよつとすると、移転の必要あるたび、次の家の探し方に門に蔦のある家を私たちは黙契のうちに条件に入れて探してゐたのかも知れない。さう思ふと、蔦なき門の家に住んでゐたときの家の出入りをおもひ返し、丁度女がひたい真廂まびさしをむきつけに電燈の光で射向けられるやうな寂しくもうとい感じがした。そして、従来の経験にると、さういふ家には永く住みつかなかつたやうである。
 夏の葉盛りには鬱青うっせいの石壁にもたとへられるほど、蔦はその肥大な葉をうろこ状に積み合せて門を埋めた。秋より初冬にかけては、金朱のいろのにしきみのをかけ連ねたやうに美しくなつた。しもの下りる朝ごとに黄葉朽葉くちばを増し、風もなきに、かつ散る。冬は繊細執拗しつように編みまじり、いてはれ戻る枝や蔓枝だけが残り、原始時代の大匍足類ほそくるいの神経か骨が渇化して跡をとゞめてゐるやうで、節々に吸盤らしいとげ立ちもあり、私の皮膚を寒気立たした。しかし見方によつてははがね螺線らせんで作つたルネサンス式の図案様式の扉にも思へた。
 蔦を見て楽しくさわやかな気持ちをするのは新緑の時分だつた。透き通る様な青い若葉が門扉もんぴの上から雨後の新滝のやうに流れ降り、その萌黄もえぎいろから出る石竹せきちく色の蔓尖つるさきの茎や芽は、われ勝ちに門扉の板の空所をひ取らうとする。伸びるいきおい不揃ふぞろひなところが自由で、おさなく、愛らしかつた。この点では芝、白金の家の敷地の地味はもつともこの種の蔓の木によかつたらしく、柔かくふとつた若葉が無数に蔓でからまり合ひ、一握りづつの房になつて長短を競はせて門扉にかゝつた。
「まるで私たちが昔かけた房附きの毛糸の肩掛けのやうでございますね」
 自然や草木に対してわり合ひに無関心の老婢ろうひまきまでが美事な蔦に感心した。晴れてまだ晩春のろうたさが残つてゐる初夏の或る日のことである。老婢は空の陽を手庇てびさしで防ぎながら、仰いで蔦の門扉に眼をやつてゐた。
「日によると二三すんも一度に伸びる芽尖めさきがあるのでございます。草木もかうなると可愛かわゆいものでございますね」
 性急な老婢は、草木の生長の速力が眼で計れるのに始めて自然に愛を見出みいだして来たものゝやうである。正直ものでも兎角とかく、一徹に過ぎ、ときにはいこぢにさへ感ぜられる老婢が、そのため二度も嫁入つて二度とも不縁に終り、知らぬ他人の私の家に永らく奉公しなければならない、性格の一部に何となくエゴの殻をつけてゐる老年の女が、この蔦の芽にどうやらなごやかな一面を引き出されたことだけでも私には愉快だつた。また五十も過ぎて身寄りとはことごと仲違なかたがひをしてしまひ、子供一人ない薄倖はっこうな身の上を彼女自身潜在意識的に感じて来て、女の末年の愛を何ものかに向つて寄せずにはゐられなくなつた性情の自然の経過が、いくらかこんなことでゝもこゝに現はれたのではないかと、あわれにも感じ、つく/″\老婢の身体を眺めやつた。
 老婢の身体つきは、だいぶ老齢の女になつて、横顔のあごの辺に二三本、褐色ちゃいろ竪筋たてすじが目立つて来た。
「蔦の芽でも可愛がつておやりよ。おまへの気持ちの和みにもなるよ」
 老婢は「へえ」とから返事をしてゐた。もうこの蔦に就いて他のことを考へてゐるらしかつた。


 その日から四五日経た午後、門の外で老婢が、がみ/\叫んでゐる声がした。その声は私の机のある窓近くでもあるので、書きものゝ気を散らせるので、めてもらはうと私は靴を爪先つまさきにつきかけて、玄関先へ出てみた。門の裏側の若蔦の群は扉を横匍よこばひに匍ひ進み、みさきと崎にせかれて、その間に干潮を急ぐ海流の形のやうでもあり、大きくうねりを見せて動いてゐる潮のやうでもある。空間にあへなき支点を求めて覚束おぼつかなくも微風に揺られてゐるきつきあまつた新蔓は、潮の飛沫しぶきのやうだ。机から急に立上つた身体の動揺から私は軽微の眩暈めまいがしたのと、久し振りにあたる明るい陽の光の刺戟しげきに、苦しいよりかえっ揺蕩ようとうとした恍惚こうこつに陥つたらしい。そのまゝたたずんで、しめやかな松の初花の樹脂くさい匂ひを吸ひ入れながら、門外のいさかひを聞くとも聞かぬともなく聞く。
「えゝ/\、ほんとに、あたしぢやないのだわ。よその子よ。そしてそのよその子、あたし知つてるよ」
 早熟ませた口調で言つてゐるのはこの先の町の葉茶屋の少女ひろ子である。遊び友達らしい子供の四五人の声で、くす/\笑ふのが少し遠く聞える。
「嘘だろ! 両手を出してお見せ」と言つたのは老いたまきの声である。もうだいぶ返答返しされて多少自信を失つたまきはしどろもどろの調子である。
「はい」少女はわざと、いふことを素直に聴く良い子らしい声音こわねを装つて返事しながら立派に大きく両手を突出した様子が蔦の門を越した向うに感じられた。たちまち当惑したまきの表情が私に想像される。老婢ろうひは「ふうむ」とうなつた。
 また、くす/\笑ふ子供たちの声が聞える。
 私も何だか微笑が出た。ちよつと間を置いて、まきいきおいづき
「ぢや、この蔦の芽をちよぎつたのは誰だ。え、そいつてごらん。え、誰だよ、そら言へまい」
「あら、言へてよ。けど言はないわ。言へばをばさんにしかられるの判つてゐるでせう。叱られること判つてゐながら言ふなんて、いくら子供だつて不人情だわ」
「不人情、は は は は は」と女の子供たちは、ひろ子の使つた大人らしい言葉が面白かつたか、男のやうな声をたてゝ一せいに笑つた。
 まきはいきり立つて「この子たち口減らずといつたら――」まきの憤慨してゐる様子が私にも想像されたが、すべてのものから孤独へはふり捨てられたこの老女は、やはり不人情の一言には可なり刺激を受けたらしい。「早く向うへ行つて。おまへなど女弁士にでもおなり」と叱り散らした。
 もう、そのとき、ひろ子はじめ連れの子供たちは逃げかかつてゐて、老婢より相当離れてゐた。老婢はまた懐柔して防ぐにくはないと気をへたらしく、ひて優しい声を投げた。
「ねえ、みんな、おまへさんたちいゝ子だから、この蔦の芽を摘むんぢやないよ。ほんとに頼むよ」
 流石さすがの子供たちも「あゝ」とか「うん」とかなま返事しながらせ去る足音がした。やつと私は潜戸くぐりどを開けて表へ出てみた。
「ばあや、どうしたの」
「まあ、奥さま、ご覧遊ばせ。憎らしいつたらございません。ひろ子が餓鬼がき大将で蔦の芽をこんなにしてしまつたのでございます。わたくし、親の家へ怒鳴どなり込んでやらうと思つてゐるんでございます」
 指したのを見ると、門の蔦は、子供の手の届く高さの横一文字の線にむしり取られて、髪のおかつぱさんの短い前髪のやうにそろつてゐた。流行を追うて刈り過ぎた理髪のやうに軽佻けいちょう滑稽こっけいにも見えた。私はむつとして「なんといふ、非道ひどいこと。いくら子供だつて」と言つたが、子供の手の届く範囲を示して子供の背丈けだけに摘み揃つてゐる蔦の芽の摘み取られ方には、悪戯いたずらは悪戯でもやつぱり子供らしい自然さが現れてゐて、思ひ返さずにはゐられなかつた。
「これより上へ短くは摘み取るまいよ。そしてそのうちには子供だから摘むのにもぢき飽きるだらうよ」
「でも」
「まあ、いゝから……」

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