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小熊秀雄全集(おぐまひでおぜんしゅう)-15

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 7:03:04  点击:  切换到繁體中文


社会寓話集


  日本的とは何か―の行衛

 小さな島に沢山の猿が棲んでゐた、こゝの猿達は『退屈』といふことを知らない、なぜなら彼等は話題を失つても、叫ぶことを忘れないからだ、彼等はキャッ、キャッと叫んで一日中島の中をかけまはつてゐた、ところが猿達を沈黙させる大事件が起つた。
 或る日、大暴風雨が島を襲つた、草は倒れ、岩石は飛び、樹木は空に舞ひ上り、猿達の住居と遊び場は全く奪はれた。
 島には三本の樹より残らなかつた、一本の樹は風のために枝を裸にされて、たつた二本の枝より残らなかつたし、二番目の樹には二本の枝きり、三番目の樹には六本の枝、つまり、二、二、六計十本の枝より猿達のとびまはる枝がなくなつた、猿達はその暴風雨のことを、枝の数で呼んで、二、二六事件と言つてゐた。
 この事件があつて以来、猿達の叫び声は、恐怖のために身ぶるひし、一倍元気のよい大猿も低い声で叫ぶやうになり、わけて常日頃元気のない猿などは、沈黙してヒイヒイと泣くやうな声より出すことができなかつた。
 ところが突然一匹の猿が大声をあげて叫びだした。
『諸君、我々はあの位の暴風雨によつて沈黙してゐるべき時ではない、大いに叫び、大いに遊ぶ時である、我々は、我々の住んでゐる島がどんな島であるか、はつきりと知らねばならない―』
 そしてこの猿の音頭取りで新しい遊戯が始まつた。
 三本の樹を枝から枝へ、とび移る遊戯であつた、樹は波の打ちよせる崖際に生へてゐて、樹の根元は絶えず洗はれ、樹はいまにも倒れさうに傾いてゐた。
 遊戯といふのは、猿達は第一の木に飛び移るとき―『日本』と叫び、そこから次の木に飛び移るときには『的とは―』と叫んだ、そこから第三の樹に移るときには『何か―』と叫んだ、そして猿達はいり乱れて、『日本』『的とは』『何か―』と口々に叫びながら枝から枝へとび移つた。
 しまひには遊戯が混乱して、『的とは』『日本』『何か―』となつたり『何か、的とは、日本』と前後したり、めちやくちやな遊びになつた。
『諸君、落着きたまへ』と哲学的な猿が一同を見廻した、この状態では何時までたつても『日本的とは何か―』といふ疑問は解決できないから、一本づつの樹で、ひとつづつの問題を解かうではないかと提案した。
 つまり第一の枝に飛び移るときに『日本とは何か―』と叫んでしまふことであつた。次の樹では『的とは―何か』と叫ぶのであつた、が、三番目の樹に移つたとき『何かとは、何か―』と叫ばなければならなくなつたので、問題が一層わけがわからなくなつてしまつた。
 すると樹の下の波打際で、大笑ひをするものがあつた、猿達がこの笑ふものの正体をみると、それは波の音であつた。
 猿達は怒りながら質ねた。
『笑つたのはお前か、お前は何者だ―』
 すると
『僕は波だ、スペインの海岸からたつたいま君達の日本の岸へついた波だ』
 つゞいて次の波が言つた。
『僕は支那の海岸から、日本の岸へ着いた波だ―』
 つづいて浦塩から着いた波や、アメリカから着いた波達が答へた、この国際的な波の笑ひは次第に高くなつていつた。

  果樹園のアナウンサー

 果樹園に大きな望楼が立つてゐた、この望楼は、果樹園の所有者が建てたもので、この国でいちばん声のきれいな、声の高い男が選ばれて、沢山の給料をもらつて、雨の日も風の日も、この望楼の上に立つてゐた。
 このおしやべり男は大きな声で叫んだ。
『こちらは果樹園の望楼でございます、只今北風が次第に強く海の方から吹いてまいります、みなさん木が倒れぬやう御注意下さい―』
『こちらは望楼でございます、たいへん果実に虫がつくやうでございます、リンゴには紙袋をおかけ下さい―』
 時には
『××さんの柿が熟れました、只今三個落ちました、これは本年最初の熟柿でございます』
 などと大きな声で叫ぶのであつた。
 このお喋り男は雇はれるとき、主人との約束で、自分のことはしやべつてはいけない事、果樹園の主人が伝へてよいと許したこと以外にはしやべれない事になつてゐた、彼は自分のことは唖のやうに黙つてゐなければならなかつた。
 或る時、大海嘯つなみが突然やつてきた、果樹園の人々は狼狽して果樹園の背後の山へ避難したが、望楼の男だけは、最後まで望楼に踏み止まつてお喋しつづけた。
『みなさん、御安心下さい、只今水は二米減りました、××方面では三米、××方面では四米減りました、××さんの李の木が五本倒れました、被害は思つたより僅少であります、間もなく水が引くと思ひます』
『御避難の方へ申しあげます、××方面はもう大丈夫ですから随意お帰り下さい―』
 間もなく洪水は収まり、人々は果樹園に帰つてきた、人々はこのお喋り男の、英雄的な勇敢な行為と、果樹園への奉仕ぶりに感動して、勇士だと褒めた。
 ところが人々はこのお喋り男の真個ほんとうのことを知らなかつたのであつた、この男は勇士どころか一番の臆病者で、最初果樹園に水が襲つてきたとき、男は真先に望楼を駈け下りて、逃げださうとした、そこへ果樹園の主人がやつてきてこの臆病者を、望楼の柱に繩でしばりつけてから、主人は手にした鞭でぴしぴしと男の尻を引つぱたき、強制的に果樹園の安全なことをお喋りさせたのであつた。
 水が引いてから主人はお喋り男の尻を撫でてやつて『いや御苦労々々』といつて褒美の金一封を渡した上、新聞に勇士らしくかきたてさせたのであつた。
 果樹園の人々は後で事情を知つてから、この望楼男のお喋りすることを少しも信じなくなつた、なぜといふに男の傍にはいつも果樹園の主人がついてゐて、鞭で尻をうつて、果樹園の都合の良いことだけをお喋りさせてゐるといふことが判つたからであつた。

  百歳老人の話

 ある村に、何時の頃から生きてゐるのか判らないほど歳をとつた老人が住んでゐた。
 村の人々は、この老人を『百歳老人』と呼んでゐた、村随一の物識りで、村に何か面倒な事が起きると、村の人々はこの老人の住んでゐる村端れの家まで『如何したものでございませうか―』ときゝに行つた。
 ごたごたがどうしてもまとまらない時は、村長が老人を迎へに行つた、老人は長い竹の杖をついて出て来た。
 この竹の杖の節はくりぬかれて、中には薄荷水が詰めてあつた。
 老人は村の歴史をよく知つてゐて、村の騒擾ごたごたを捌く智恵を沢山もつてゐたが、年齢が年齢なので、ときどき胴忘れをすることも多かつた、そんな時老人は手にした竹の杖でトントンと地を突いてから、杖の中の薄荷水を、手の平の上におとして、それを額の上に塗つた、すると薄荷水はピリリと額と眼にしみて、この刺激で記憶がよみがへつてきた。
 ある時、村に騒動が起きた、それは村の鶏に羽虫が湧き、羽虫は鶏小屋から、鶏小屋へひろがつて行つた、村長は驚ろいて、百歳老人を迎へに行つた。
『はあ、御老体、大変なことになりまして、羽虫のついた鶏は、ひとまとめにして他の鶏と分けてありますが、なにぶん沢山の数なもので御座いまして始末に困つてをります、これは鶏小屋へ返へしたものでございませうか、ひと思ひに殺して喰べてしまつたものでございませうか』
 すると老人は
『わしが、ひとつ考へてみよう―』
 さういつて一間にとぢこもつて考へこんだ。
 だが鶏の羽虫のことを考へるよりも、年齢のせいで、老人は眠くてたまらないので、コクリ、コクリと居眠りを始めた、老人はあわてゝ杖をとりあげたが、あまり大急ぎで家を出てきたので、杖に薄荷水をつめて来るのを忘れてゐたので、これを額に塗つて、眠気をさますことも、村の歴史のことも、鶏の羽虫の駆除の良い名案も思ひ出すことができなかつた。
 何時まで経つても老人が、いゝ智恵を貸してくれないので、村長はこのまゝでゐては、羽虫が村中の鶏に伝染してしまふので、取敢へず一番羽虫の沢山ついてゐる鶏二十数羽を殺してしまつた。
 そして残りの鶏をもとの鶏小舎に帰して老人のところに行つた。
『いかゞで御座いませう、御老体いゝ智恵がございませうか―』
 ときいてみた、しかし老人はじつと考へこんでゐて答へない、あまり答へないので、眠つてゐるのかと思つて、ゆり動かしてみると老人は死んでゐた。
 それからこの村では、薄荷水を額につけなければいゝ智恵がうかばないやうな年寄からはものをきかないことにした、鶏に羽虫がついたときなどは、どん/″\と殺してしまふことに決めたということである。

  魚の座談会

 鎌倉の海で『蛸』を中心として、魚類精神を論ずる座談会といふのが開かれた、司会者は、とらへどころのないのつぺりとした理論を吐くことで定評のあるクラゲ氏で、論理を翻すことで有名なヒラメ氏、墨を吐くことで相手をごまかす常習者イカ氏、毒をもつてゐることを自慢にしてゐるが喰はないものにとつては少しも恐ろしくないフグ氏等、十五匹が蛸を中心として『魚類精神』を論じあつた。
 大体この催しは、この鎌倉のグループで発行してゐる雑誌『魚類界』の座談会記事をつくるのが目的で開かれたもので、魚達は勝手気儘にどれだけ泡をふいてしやべつても構はない性質のものであつた。
 この会での蛸氏の位置といふものは、なかなかデリケートなもので、一見議論はさかんなやうで、他の魚達が蛸氏の議論に喰つてかかつてゐるやうに見えるが、実は誰も蛸氏の議論を頭から押へるといふ力のあるものがなく、多くの出席者は、蛸氏の脚の一本づつをとらへて、その脚の先を捻る程度のもので、そのことで却つて蛸氏の位置が支へられ、また押へる方も蛸氏に捲きついて貰ふといふ安全さを利用した。
 蛸氏もまた心得たもので、如何なる場合にも絶えず論敵の肩に手をかけることを忘れず、一匹の子分が脚を離れても、必ず他の一匹を捉へてをくといふ蛸氏の腹黒さは徹底したものであつたが、それを知つてゐてか知らないのか、とにかくこのグループは表面甚だ仲の良いものであつた。
 座談会が終ると、一同に酒が出た。
『座談会も終つたからいゝが、実際こんなことは書いてもらつてはこまるがね―』
 などと身をふるはすことで深刻さうな電気ナマヅ氏が話を切りだすと、それはそれは面白い魚達の内輪話が始まり、さて酒が廻つてくると、話に拍車をかけて女の話やら、猥談やらそれはそれは賑やかになつた。
 次いで魚達のエゴイズムが酒によつて発揮されてくると、あちこちで悪口の言ひ合ひが始まり、怪しげなダンスが始まり、席は益々乱れてきた。
 蛸氏はグイグイと麦酒をあほり、傲然たる態度を示してゐたが、突然席の向ひ側に坐つて飲んでゐたカツオ氏の顔へ、蛸氏は手にしたコップの麦酒をかけた、カツオ氏はグッと癪に触つたが、酒の上のこととして勘弁し、鰭をもつて顔にかゝつた麦酒を拭つた、すると又もや蛸氏はコップの麦酒をカツオ氏の顔へかけた。
 度々のことにさすがの温厚なカツオ氏も、非常に腹をたて、さてその復讐の方法としてカツオ氏は、食卓の上の醤油の容器いれものをパッと蛸氏の顔にかけ、次にその傍の砂糖の容器をなげつけ、つゞいて酢の入つた容器を投げつけたので、蛸氏は醤油と砂糖と酢とをあびて、はからずも蛸の三杯酢ができてしまつた。

  国際紙風船倶楽部

 世界各国の紙風船の愛好家の集りに、国際パン倶楽部といふのがあつた、倶楽部では四年目毎に、各国順番で総会を開らくことになつてゐた。
 その日は各国からパン倶楽部の代表が集つて、紙風船を手でパンと叩きつぶしてその音を審査するのであつた、このクラブが何故国際性があるかといふと、世界各国の紙風船代表が、それぞれ紙風船の中に、自分の国の空気を封じこみ、その風船の口を目張りしたものを持寄り、会場でそれを叩きつぶして、風船が裂ける音響に依つて、各国の『自由の精神』の性質を知るといふ点であつた。
 第×回国際パンクラブ総会が開かれた、フランスからやつてきたクラブ員は、紙風船を手にして壇上に立つた。
『諸君、この風船の中に、私が入れて持つて参りました、フランスの風船の破れる音響について、或ひは諸君はその音響の余りに低いことに不満を覚えるでせう、然しながらこの風船の中の『自由の精神』はヒューマニズムと申しまして、決して音響が低いが故に、価値低いものではありません、将にその反対であります―』
 フランス代表は、かう弁解がましく一席述べてから、彼は掌の上の風船を力いつぱい叩いた。
 ところが風船は柔らかい生き物のやうに、グニャグニャしてつぶれない、彼は焦燥して床に風船を投げ、足で強くこれを踏みつけると、やつとボンと低い音がして風船はつぶれた。
 次にドイツのパンクラブ代表が、毛だらけの腕をめくつて、手の上にのせた風船を、力まかせに勢ひこめて叩いた、すると恐ろしい大音響を発した、ドイツ代表は得意満面
『斯くのごとく、わがドイツの風船は、自由の精神の声高いのであります』
 と周囲を見廻した。
 するとフランスの風船代表が承知をしません、
『議長、ドイツのクラブの風船の音は、真に自由の叫びではないと考へます、何故ならば、つまり風船の内容物である空気の叫びではなくして、風船の紙の裂ける音の高さであります…』
 ドイツのクラブ員は『違ふ、違ふ―』と怒鳴りだし、イタリーの代表もそれに加担し、果ては、ドイツとフランスとが取つ組合ひを始め議場は混乱に陥つた。
 議長の慰撫と、再審査の結果、フランスの代表に対しては、手で叩きつぶすべき風船を、足まで使つて踏みつぶしたといふ点で無効となり、ドイツの代表に対しては、ドイツの風船の音は、リベラリズムとしての空気の音ではなく、ファシズムとしての紙の音であると認められてケリがついた。
 日本からも、日本パンクラブ代表として、老詩人×氏が出席してゐた、彼は果してどんな音響を立てゝ、日本の風船を叩きつぶしたであらうか、日本代表はまもなく日本へ帰つてきた、そこで×氏の報告を兼ねた歓迎会が開らかれた。
 出発の時の馬鹿騒ぎに較べて、×氏の帰朝歓迎会は出席者も少なく見るからに淋しい集りであつた、席上意地の悪い批評家△△氏が卓上演説のとき、クラブ代表×氏にむかつて
『噂に依りますと、パンクラブ日本代表は、余り御老体であつたため、風船を叩きつぶす気力もなく、会場で醜態を尽した揚句、やつとの思ひで叩きつぶしたといふことですが―』
 と無遠慮に質問するのであつた。
 すると日本代表×氏は、やをら席を立つて、洋服の上着のポケットから、折り畳んだ風船をとりだし、それを一同に示しながら
『只今の御質問に対してお答へいたします、みなさん、私は会場で風船を叩きつぶすどころか、このやうに風船を折り畳んだまゝ持ち帰つた有様です、それは何故かと申しますと、日本にはこの紙風船にいれて国際的に持ち出すやうな『自由の精神』があつたでせうか、ありませんでした、だから私は風船にいれずに出席いたしたのであります―』
 と答へた。
 すると意地の悪い批評家はグッと詰つてしまつたが、席の一隅から議論がいつぺんにもちあがつた、若い批評家は立つて斯ういつた
『果して代表のいはれるやうに、我国に風船にいれるほどの一握りの自由の精神もないでせうか、もし代表があくまで無いとおつしやるなら、私は即座にあなたの手にしてゐる風船にそれを吹きこんでお目にかけませう、然しです、その風船はとうてい御老体が、遙々お持ちになることができない程、重いものでありませう―』といつて笑つた。

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