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小熊秀雄全集(おぐまひでおぜんしゅう)-20

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 7:09:17  点击:  切换到繁體中文



生死を越えず ペン部隊海軍班帰る


 ▼日支事変の現地視察に赴いた海軍班従軍ペン部隊の一行もどうやら無事に御帰還になつた。今回のペン部隊作家達の出発に先立つてこんな噂が流布された。「当局者の方では今度の作家のうちから二三人は死んでもらふつもりださうだ」と。勿論それはデマであるが、根拠のないこともあるまい。作家が厳格でなければならない筈の死に対する理解の態度が、作品の上では甚だルーズな態度で描写されてきた、その事実はこれまでも多い。殊に大衆作家はヱイ、ヤッといふ掛声だけで相手を斃してしまふといふ簡単さで済してきたものだ。

 ▼なるほど読者はそれでもすむしそれでも面白がつてゐる。しかし読者の心はさういふ作者の死の扱ひ方に対する不真実に抗議を保留してきた筈である。作家は只読者が面白がるといふ部分だけに喰ひ下り読者を釣つてきただけである。当局でなくても机上の文字で人間の生死感を簡単に片づける作家に向つて、戦場に出掛けて弾丸雨飛のもとで死んで見当[#「当」に「ママ」の注記]とまでは言はないが、毛脛を焦がす程度の戦争の迫真性でも味つてきてから作品を書けと言ひたくもなるのである。

 ▼当局が作家を戦地に招待するのも戦争に対する認識の是正を作家に求めたからであらう。当局も文化と民衆との接触がその作用の大きさに於て、見逃すことの出来ないことを認めてゐる今日、当局が今後文化人に対する奉仕の求め方も強くなつてくるものとみていい。

 ▼それはたいへん結構なことである。当局はいろいろの機会に作家を各方面に手きびしく引き廻して、第一に作家の感傷性の追ひ出しをしてもらひたい。全く作家の振り廻す国内的な感傷性位、これまでどれだけ読者を毒してゐるかわからないのであるから――。



文化宣伝の具 英語の国際性を知れ


 ▼国際文化振興会で現代目本の実相を外人に伝へる目的で、『日本文化叢書』を発刊したことは、時宜に適したやり方だが、事業が『国際性』に立つ場合に、いやでも『英語』に依るといふ事情はこゝでも動かすことが出来ない。曾つて英語排斥の声は高かつた。気の早い学校では英語科目を廃止したところさへあつた。日支事変で日英関係が悪化した事も原因であるが、大体日本人の国民性には、現象に左右されるといふ心理的動揺の幅がありすぎる。ちよつと許り日英間の情勢が変ると、坊主憎ければ袈裟式にすぐ英語を廃さうとするのである。

 ▼むしろ日英関係が悪化した場合には、大いに英語を学ぶべきで、相手国を理解し尽しそれを圧倒するには、相手国の言葉を知ることが何より先決問題だからである。然るに一部人士には、外国語使用を国辱なりとして排斥しようとする傾きがある。それでは悔は身近くにはないが、やがて遠いところに現はれることは明らかである。

 ▼日本が外国語を擯斥してゐる際に、逆に諸外国で日本語熱が昂まつてゐる。それだけで日本の国際的地歩の向上である――とお人好しに喜んでもをれない。むしろそのことに驚かなければならぬ。言語を知られるといふことは、その国民の心臓を知られるといふことであるからだ。

 ▼一部の日本人の外国語を嫌悪するといふ心理は『英語』と『英国』とを混同してゐるからであつて、国際語としての英語は、既に外国語と呼ばるべきではない。それほどにも英語は国際的な文化共有語として存在する。ただそこからの摂取能力の高い国のみが、そこから多くを学び多くを獲得するのである。

 ▼国際文化振興会で世界にむかつて二千部そこそこの日本文化宣伝をばらまいたところで大いしたこともあるまいが、これまで翻訳文化で育成してきた日本が、ここらで勇躍文化を翻訳して世界に向つて攻勢に出る必要があらう。



楽天主義か 知的動員の倦怠


 ▼漢口陥落を転機として、愈々国民的総力戦に移る。その一翼としての知的方面も、如何なる形で協力すべきかは、今後の興味ぶかい問題であらう。見渡すところ知的分野は、現実が深刻であるに拘はらず甚だ楽天的な態度である。好んで楽天的であるのか、そこまで追ひつめられたのか、何れにしても一種の倦怠状態である。

 ▼文芸批評家は、その指導的立場を全く放棄し、ひとり作品だけが、何を描かうが、いかなる創作上の過誤を犯さうが、お構ひなしの横行ぶりで、これまた文学の楽天時代だ。

 ▼報告文学は旺んだが、戦地にゆけば何かしら現実的な文章が書けるだらうといふ淡い目標から出かけるものも少くない。文学的な構成力を働かす力がなくなつた作家が、『事実の強さ』に捕はれるといふ消極的な現れだ。報告文学とはいへ、旅行記と何等変りがない。

 ▼材を満洲国や支那にとるといふ大陸小説は今後も盛んに続出するだらうが、これらの小説はその作者の創作心理の不緊密であることを、益々その作品によつて暴露してゆくだけで、大陸小説、民族小説の目的とは遥かに遠い。だらしのない落莫小説を産出する位が関の山だらう。

 ▼これらの作品は当面の強烈な現象に飛びついたといふ意味では国策的であるが、国内的な現実に眼を掩つてそこから逃げ出さうとする態度では、一種の越境小説と言へる。

 ▼日支事変は国民の精神に新らたなる試煉を与へた。同時にあらゆるものの価値の急激な修正が無意識のうちに行はれてゐる。作日の読者また今日の読者ではない。
 ▼殊に戦争とか事変とかいふ精神的ショックの後に来る国民精神の変化といふものは、ある決定的な姿をとつて現はれることは明らかで、それは国民の国内的な基本的な生活の変化としての必然的な姿である。国民の変貌、新しい読者の登場。然るに作家のみ徒に現象を追ひまはすといふ醜態は救ひ難いものがある。

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