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徳川氏時代の平民的理想(とくがわしじだいのへいみんてきりそう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-31 10:58:16  点击:  切换到繁體中文


 我が平民界の侠客をうつして文章に録せしもの、甚だ多し、われは一々之を参照する能はず、こゝに馬琴が其「侠客伝」に序して曰ひし数句を挙げて、其意見をうかゞひ見む。曰く、近世有大鳥居逸平、関東小六、幡随長兵、及号茨城草袴、白柄大小神祇、皆是閭巷侠、而其所為、或未必合於義、啻立気斉作威福、結私交以立彊於世者也、較諸古者道徳之士、不声色、消宇内之大変、相去非唯霄壌而已、然気豪、以此至当世之兇暴、此戦国余習未改、其私義廉潔以有然也、使当時無此人、則士風自是衰、侠客之義、曷可少哉、余有感焉、而無激憤、不激不憤、猶且伝侠客。云々。
 支那の大歴史家同じく「遊侠伝」なる一小篇をのこして曰へることあり。今游侠、其行雖於正義、然其言必信、其行必果、已諾必誠、不其躯、赴士之阨困、既已存亡死生矣、而不其能、羞其徳、蓋亦有多者
 韓非子の侠を論ずるの語に曰く、儒以文乱法、侠以武犯禁。老子は侠を談じて、大道廃有仁義、仁義者道之異称也、而有似而非者。と曰ふに対して、馬琴は、夫侠之為言、彊也持也、軽生高気、排難解紛、孔子所謂、殺身成仁者是已。と言へり。
 われは侠を上下する論を立つるにあらず、天知子及び愛山生の所論に対して余はむしろ平民界の侠気に同情を投ぐるの念起りたれば、いさゝ※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうそつの説を為し、我が平民界の「侠」及び「粋」の由つてきたるところを穿鑿せんさくしたるに過ぎず。もし夫れ侠なるものを愛好するやと問はるゝ人あらば、我は是を愛好すなりと答ふるに躊躇せざるべし。然れども我に侠を重んずるやと問ふ者あらば、我は答ふるところを知らず、われは実に徳川時代に平民の理想となりて異色の光彩を放ちしこの「侠」を、其時代の平民の為に憐れむなり。かつて幡随院長兵衛の劇を見たる時に、われは実に長兵衛の衷情ちゆうじやうを悲しめり、然れども我は長兵衛の為に悲しむより、寧ろ当時の平民の為に悲しみしなり。彼等平民はみづから重んずる故を知らず、おのづから侠客なるものをして擅横せんわう縦暴しようばうの徒とならしめたり、侠客の侠客たる所以ゆゑん、甚だ重しとせず、平民界にいりて一種の理想となりたる跡、まことに痛むべし。

(明治二十五年七月)




 



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二二號~三二四號」女學雜誌社
   1892(明治25)年7月2日、16日、30日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2004年10月31日作成
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