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安達が原(あだちがはら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:42:45  点击:  切换到繁體中文


     二

 さておばあさんが出て行ってしまうと、坊(ぼう)さんはただ一人(ひとり)、しばらくはつくねんと炉端(ろばた)に座(すわ)ったままおばあさんの帰(かえ)りを待(ま)っていましたが、じき帰(かえ)ると思(おも)ったおばあさんはなかなか帰(かえ)って来(き)ません。何(なに)しろ西(にし)も東(ひがし)も分(わ)からない原中(はらなか)の一軒家(けんや)に一人(ひとり)ぼっちとり残(のこ)されたのですから、心細(こころぼそ)さも心細(こころぼそ)いし、だんだん心配(しんぱい)になってきました。何(なん)でも安達(あだち)が原(はら)の黒塚(くろづか)には鬼(おに)が住(す)んでいて人を取(と)って食(く)うそうだなどという、旅(たび)の間(あいだ)にふと小耳(こみみ)にはさんだうわさを急(きゅう)に思(おも)い出(だ)すと、体中(からだじゅう)の毛穴(けあな)がぞっと一時(じ)に立(た)つように思(おも)いました。そういえばこんな寂(さび)しい原中(はらなか)におばあさんが一人(ひとり)住(す)んでいるというのもおかしいし、さっき出がけに、妙(みょう)なことをいって度々(たびたび)念(ねん)を押(お)して行ったが、もしやこの家(うち)が鬼(おに)のすみかなのではないかしらん。いったい「見(み)るな。」といった次(つぎ)の間(ま)には何(なに)があるのか知(し)らん。こう思(おも)うと、こわさはこわいし、気(き)にはなるし、だんだんじっとして辛抱(しんぼう)していられなくなりました。それでもあれほど固(かた)く「見(み)るな。」といわれたものを見(み)ては、なおさらどんな災難(さいなん)があるかもしれません。
 坊(ぼう)さんはしばらく見(み)ようか、見(み)まいか、立(た)ったり座(すわ)ったり迷(まよ)っていましたが、おばあさんはやっぱり帰(かえ)って来(こ)ないので、とうとう思(おも)いきって、そっと立(た)って行って、次(つぎ)の間(ま)のふすまをあけました。
 すると坊(ぼう)さんは驚(おどろ)いたの、驚(おどろ)かないのではありません。あけるといっしょに中からぷんと血(ち)なまぐさいにおいが立(た)って、人間(にんげん)の死骸(しがい)らしいものが天井(てんじょう)まで高(たか)く積(つ)み重(かさ)ねてありました。そしてくずれてどろどろになった肉(にく)が血(ち)といっしょに流(なが)れ出(だ)していました。
 坊(ぼう)さんは「あっ。」といったなり、しばらく腰(こし)を抜(ぬ)かして目ばかり白黒(しろくろ)させたまま起(お)き上(あ)がることもできませんでした。そのうちふと気(き)がつくと、これこそ話(はなし)にきいた一つ家(や)の鬼(おに)だ、ぐずぐずしているととんでもないことになると思(おも)って、あわててわらじのひもを結(むす)ぶひまもなく逃(に)げ出(だ)そうとしました。けれども今(いま)にもうしろから鬼婆(おにばばあ)に襟首(えりくび)をつかまれそうな気(き)がして、気(き)ばかりわくわくして、腰(こし)がわなわなふるえるので、足(あし)が一向(いっこう)に進(すす)みません。それでもころんだり、起(お)きたり、めくらめっぽうに原(はら)の中を駆(か)け出(だ)して行きますと、ものの五六町(ちょう)も行かないうちに、暗(くら)やみの中で、
「おうい、おうい。」
 と呼(よ)ぶ声(こえ)がしました。
 その声(こえ)を聞(き)くと、坊(ぼう)さんは、さてこそ鬼婆(おにばばあ)が追(お)っかけて来(き)たとがたがたふるえながら、耳(みみ)をふさいでどんどん駆(か)け出(だ)して行きました。そして心(こころ)の中で悪鬼(あくき)除(よ)けの呪文(じゅもん)を一生懸命(いっしょうけんめい)唱(とな)えていました。そのうち、
「おうい待(ま)て、おうい待(ま)て。」
 と呼(よ)ぶ鬼婆(おにばばあ)の声(こえ)がずんずん近(ちか)くなって、やがておこった声(こえ)で、
「やい、坊主(ぼうず)め、あれほど見(み)るなといった部屋(へや)をなぜ見(み)たのだ。逃(に)げたって逃(に)がしはしないぞ。」
 というのが、手(て)にとるように聞(き)こえるので、坊(ぼう)さんはもういよいよ絶体絶命(ぜったいぜつめい)とかくごをきめて、一心(いっしん)にお経(きょう)を唱(とな)えながら、走(はし)れるだけ走(はし)って行きました。
 すると、お経(きょう)の功徳(くどく)でしょうか、もうそろそろ夜(よ)が明(あ)けかかってきたので、鬼(おに)もこわくなったのでしょうか、鬼(おに)の足(あし)がだんだんのろくなって、もうよほど間(あいだ)が遠(とお)くなりました。そのうちずんずん空(そら)は明(あか)るくなってきて、東(ひがし)の空(そら)が薄赤(うすあか)く染(そ)まってくると、どこかの村(むら)で鶏(にわとり)の鳴(な)き立(た)てる声(こえ)がいさましく聞(き)こえました。
 もう夜(よ)が明(あ)けてしまえばしめたものです。鬼(おに)は真昼(まひる)の光(ひかり)にあってはいくじのないものですから、うらめしそうに、しばらくは、旅僧(たびそう)のうしろ姿(すがた)を遠(とお)くからながめていましたが、ふいと姿(すがた)が消(き)えて見(み)えなくなりました。
 坊(ぼう)さんはそのうち人里(ひとざと)に出て、ほっと一息(ひといき)つきました。そして花(はな)やかにさし昇(のぼ)った朝日(あさひ)に向(む)かって手を合(あ)わせました。





底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年4月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:大久保ゆう
2003年9月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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