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十二神貝十郎手柄話(オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 6:34:03  点击:  切换到繁體中文


        二

 足芸をする若い女太夫、一人で八人分の芸を使う、中年増の女太夫、曲独楽きょくごまを廻す松井源水の弟子、――などというような芸人を、一緒に集めて打っている小屋で、都会ではとうてい見ることの出来ない、大変もないイカモノ揃いなのだが、そこは田舎のことなので、毎夜繁昌していたものさ。
 潮湯治というのは海水を浴びて、病気を癒すというのが一つ、水泳自慢に泳ぐことによって夏の暑さを忘れるというのが一つ、……遊山半分の贅沢な人の、贅沢な療治そのものなのだから、夜などは無聊に苦しんでいる。そこでそんなような見世物が掛かって、繁昌をする次第なのさ。
 木戸番の老爺おやじが番台の上に坐って、まねきの口上を述べていた。
「八人芸の真っ最中で、見事なものでございますよ。足で胡弓を弾くかと思うと、口で太鼓のばちをくわえ、太鼓を打つのでございますからな。その間に片手で三味線を弾き、片手でかねを打つんでさあ。その太夫が年増でこそあれ、滅法美しいあだ者なのですからなあ。……団十郎の声色であろうと、菊五郎左団次の声色であろうと、声色であったらどんな声色でも、一度耳にしたら使って見せる――と云う器用な太夫さんでもあるので。……八人芸の真っ最中、さあさあはいってごらんなされ。……」
 しかし老爺はすぐ黙ってしまった。その時一人の年増女が、小屋の口から現われて、
とんちき、何んだよ、おかしくもない、八人芸は済んだじゃアないか、今は独楽こまの曲廻しだよ」
 こう伝法に云ったからさ、その女が八人芸の女太夫の、蔦吉という女なのさ。
「おい、蔦吉」
 と呼びかけてやった。
「ちょっと来てくれ、訊きたい事がある」
「おや、十二神オチフルイの殿様でしたか」
 我輩は蔦吉を物の蔭へ呼んだ。
「どうだ、大概は大丈夫か」
「はい、大丈夫でございます」
「八人芸のお前なんだからな」
「とんだものがお役に立ちまして。……」
「相手は六人だから訳はあるまい」
「癖を取るのは訳はないんですが、六人が一緒に集まって、話しているところへぶつかるのが大骨折りでございました」
「一緒に住んでいないのだからな」
「みよし屋の寮だけがまあまあで」
「だから俺が教えたのさ。三人住んでいるのだからな」
「娘ッ子が難物でございましたよ」
「そうだったろう、大いに察しる」
「いつご用に立てますので?」
「大体明日の晩だろう」
「さようでございますか、よろしゅうございます」
 こんなことで我輩は蔦吉と別れた。
 我輩は好奇ものずきの人間なので、こういう蔦吉といったような、やくざな芸人には知己しりあいがあり、手なずけることも出来たのさ。
 それから我輩は浜の方へ行った。海は波が高かった。桟橋などもきしんでいた。で浜には幾艘かの小舟が、引き上げられて置かれてあった。月があったので明るかったが、それだけに波と波とがぶつかり、白泡立つのが物凄く見えた。
 我輩は北の方へなぎさづたいに歩いた。
 渚は湾をなしていて、その行き止まりが岩の岬で、それを廻ると潮湯治場外になり、潮湯治場外の海はわけても荒く、そこで泳ぐ者はめったになかった。我輩はそっちへ歩いて行った。岬を越して向こう側へ下り、しばらく様子を窺った。
 と、松の林の中から、云い争う声が聞こえて来、やがて一人の若い女が、逃げるようにして走り出して来た。
 と、五人の男の姿が、松林の外側へ現われ出た。
「困った奴だなあ、止せばいいのに」
「あんな姿であんなことをして、人に見られたらどうするのだ」
「病気のように好きなんだからなあ、潮湯治っていうやつをよ。どうにもこうにもやり切れない」
「それも毎晩やるんだからなあ」
 五人の男達は話し合っていた。
 松林の中から燈が見えていた。貸し別荘のみよし屋の寮が、その松林の中にあって、そこでともしている灯火なのさ。
 我輩は娘の様子を見ていた。と、どうだろう女だてらに、なぎさまで行くと着物を脱ぎ、全裸体すっぱだかになって海へ飛び込み、抜き手を切って泳ぎ出したじゃアないか。
 それも素晴らしい泳ぎぶりなのだ。
 今も云ったとおりこの辺の海は、潮湯治場の外なので、波が荒くて危険なのだ。ところどころに岩さえあって、うっかりすると岩の角へ、叩き付けられることさえある。それだのに娘は恐れ気もなく、島田の髷を濡らさないように、乳から上を波から出し、グングン沖の方へ泳いで行くのだ。
 月がそいつを照らしている。白い肩、白いうなじ、白い腕、白い脛、時々ムックリと持ち上がって見える。月がそいつを照らすのだ。
 だが間もなく見えなくなった。遙かの沖へ泳いで行ったからさ。五人の男も見えなくなった。みよし屋の寮へ帰って行ったのだ。我輩はしかし帰らなかった。もう少し見てやろうと思ったからだ。
 四半刻ぐらいも経っただろうか、人魚の姿が見えて来た。渚を目がけて例の娘が、沖から泳いで帰って来たのだ。潮から上がってなぎさに立って、手拭いで体を拭き出した時、さすがの我輩も変な気持ちがしたよ。
 な、女は全裸体すっぱだかなのだ。月がそいつを照らしているのだ。グーッと手拭いで体を拭く。そんな時女ははずかし気もなく、片足を上へ持ち上げるのだ。とうとう我輩は呟いてしまった。
「この様子をあの男へ見せてやらなければならない」と。
 衣裳をまとうとみよし屋の方へ、娘は走って行ってしまった。

十二神オチフルイ、お前何んに来たのだ」
 翌日の晩のことだったよ、館林様がこんなように云って、我輩の席へやって来られた。
「丸田屋と深い縁故でもあるのか」
「さようで」と我輩は云ってやった。「丸田屋とは趣味の友でございます」
 事実それに相違ないのだ。我輩は役目こそ与力であれ、いわば身勝手自由勤めの身分で、肝心の役より蔵前の札差しなどと、吉原へ行って花魁おいらんを買ったり、蜀山人や宿屋飯盛などと、戯作や詩文の話をしたりして、暮らす日の方が多いのだ。ところで丸田屋は俳人なので、かなり以前から懇意にしていて、我輩が名古屋へ来るごとに、立ち寄っては話し合っていた。で今年もやって来たのさ。そうして大野の潮湯治場の、丸田屋の夏別荘へも一再ならず、客としてこれまでも来たことがある。で、今年もやって来たのさ。
「私などよりも館林様こそ、どうして丸田屋の夏別荘などへ、おこしなされたのでございますか!」我輩はこう云って逆襲してやった。
「俺は部屋住みで自由の身分だ。それに天下に知己しりあいがある。どこの何者を訪ねようと、少しも不思議はないではないか」
「これは御意ぎょいにございます」我輩は心からうなずいて云った。
 と云うのはこの人は将軍家の遠縁、元の老中の筆頭の、松平右近将監武元卿の庶子で、英俊で豪邁な人物で、隠れた社会政策家で、博徒や無頼漢や盗賊の群をさえ、手下にして使用するかと思うと、御三家や御三卿のご連枝方と、膝組みで話をすることだって出来る――そういう人物であるのだからな。
「これは御意にございます」――で、そう云ったというものさ。
十二神オチフルイ!」
 と、すると館林様は、不意に鋭い口調をもって、こう我輩を呼びかけたものだ。
「この席にいる客人を、お前、何んとか思わないかな?」
「はい、いいえ、別に何んとも。……」
 云い云い我輩は座を見廻した。善美を尽くした丸田屋の、夏別荘の大広間には、二十人あまりの客があって、出された酒肴を前にして、湧くような快談に耽っていたが、その客人はいずれも男で、女は雑っていなかった。
(はい、いいえ、別に何んとも。……)事実我輩はこういうように答えた。がしかしこれは嘘なのだ。何んとも思わないどころではない、いずれもとんでもない客ばかりなのだからな。身分と姓名とを挙げて見よう。
 生駒家の浪人永井忠則(今は大須の講釈師)、最上家の浪人富田資高(今は熱田の寺子屋の師匠)、丹羽家の旧家臣久松氏音(今は片端のにわか神官)、那須家の浪人加藤近栄(今は鷹匠町の町道場の主)、土方家の浪人品川長康(今は虚無僧として一所不住)、大久保家の旧家臣高橋成信(今は七ツ寺の大道売卜者)、青山家の浪人西郷忠英(今は寺町通りの往生寺の寄人)、桑山家の浪人夏目主水(今は大道のチョンガレ坊主)、久世家の旧家臣鳥井克己(今は大須の香具師やしの取り締まり)、石川家の浪人佐野重治(今は瑞穂町の祭文かたり)、小笠原家の旧家臣喜多見正純(今は博徒の用心棒)、植村家の浪人徳永隣之介(今は魚ノ棚の料理人)、堀家の旧家臣稲葉甚五郎(今は八事の隠亡のかしら)、小堀家の浪人笹山元次(今は瀬戸の陶器絵師)、屋代家の旧家臣山口利久(今は常滑とこなめの瓦焼き)、里見家の旧家臣里見一刀(今は桑名の網元の水夫かこ)、吉田家の浪人仙石定邦(今は車町の私娼じごく宿の主人あるじ

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