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弓道中祖伝(きゅうどうちゅうそでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 7:27:59  点击:  切换到繁體中文




 書院へ帰って来た日置正次は、あッとばかりに驚かされた。蒔絵の燭台に燈火がともり、食机おしきの上に盆鉢わんばちが並び、そこに馳走の数々が盛られ、首長の瓶子へいしには酒が充たされ、大さかづきが添えられてあり、それらの前に刺繍を施したしとねが、重々あつあつと敷かれてあったからである。
「ほう」と正次は声を洩らした。
「これは一体どうしたことだ?」
 しかし直ぐに感づいた。
(さっきの女性にょしょうと老人とが、この館に住む人々で、その人々がこの身に対し、心尽くしをしたのであろう)
かたじけのう[#「忝けのう」は底本では「恭けのう」]ござる、頂戴つかまつる」
 どこにも人影は見えなかったが、いずれどこかでこっちの進退を、仔細に観察しているだろうと、こんなように考えられたところから、こうつつましく礼を云い、それから瓶子を取り上げて、酒を注ぎ盞を取った。で、悠々と酒を飲み、数々の料理に箸をつけた。その間も館内は寂然としていて、全く人の気勢けはいはなく、人家に離れているところから、他に物音も聞こえなかった。充分に腹を養ったため、とみに正次は精気づき、心ものびのびとひろがって来た。で、のんびりと部屋を見廻した。
「ほう」とまたも正次は、思わず声を洩らしてしまった。
 見れば背後うしろの床ノ間に、倍実のぶさね筆の山水の軸が、大きくいっぱいに掛けられてあり、脇床の棚の上にはちつに入れられた、数巻の書が置かれてあり、万事正式の布置であって、驚くことはなかったが、ただ一つだけ床ノ間に、陰陽二張の大弓と、二十四條のを納めたところの、調度掛が置いてあったことが、正次の眼を驚かせた。しかも定紋は菊水きくすいであった。
「ム――」と何がなしに正次は唸って、調度掛の前へいざり寄った。

 その同じ夜のことであった。異装の武士の大衆が、京の町を小走っていた。人数は三十五人もあったが、いずれも一様に裸体であり、髪は散らして太い縄で、結び目を額に鉢巻し、同じく荒縄を腰に纏い、それへ赤鞏あかざやの刀を差し、脚には黒の脛巾はばきを穿き、しかも足は跣足はだしであった。が、その中のはすねへばかり、脛当をあてた者があり、又腕へばかり鉄と鎖の、籠手こてを嵌めたものがあり、そうかと思うと腰へばかり、草摺くさずりを纏った者があった。手に手に持っている獲物といえば、まさかり、斧、長柄ながえ、弓、熊手、槍、棒などであった。先へ立った数人が松明たいまつを持ち、中央にいる二人の小男が、蛇味線じゃみせんばちで弾いていた。
 頭領と見える四十五六の男は、さすがに黒革の鎧を着、鹿角かづの[#ルビの「かづの」は底本では「かずの」]を打ったかぶとを冠り、槍を小脇にかい込んでいた。
 この一党は何物なのであろう? いわば野武士と浪人者と、南朝の遺臣の団体あつまりなのであった。応仁の大乱はじまって以来、近畿地方は云う迄もなく、諸国の大名小名の間に、栄枯盛衰が行なわれ、国を失った者、城を奪われた者が、枚挙に暇ないほど輩出した。その結果禄に離れた者がおびただしいまでに現われた。すなわち野武士浪人が、日本の国中に充ちたのである。それ以前から足利幕府に、伝統的に反抗し、機会さえあったら足利幕府に、一泡吹かせようと潜行的に、策動している南朝方の、多くの武士が諸方にあった。すなわち新田にったの残党や、又、北畠きたばたけの残党や、楠氏なんしの残党その者達である。で、そういう武士達は、時勢がだんだん逼塞し、生活苦が蔓延するに従い、個人で単独に行動していたのでは、強請ごうせい押借おしがりというようなことが、思うように効果があがらなくなったのと、いうところの下剋上げこくじょう――下級したの者すなわち貧民達が、上流うえの者を凌ぎ侵しても、昔のようには非難されず、かえって正当と見られるような、そういう時勢となったので、そこで多数が団結し、何々党、何々組などと、そういう党名や組名をつけて、※(「てへん+晉」、第3水準1-84-87)しんしんの館や富豪の屋敷へ、押借りや強請に出かけて行くことを、生活の方便とするようになった。
 ここへ行く一団もそれであって、「あばら組」という組であり、頭目は自分で南朝の遺臣、しかも楠氏の一族の、恩地左近おんじさこんの後統である、恩地雉四郎であると称していたが、その点ばかりは疑わしかったが、剽悍の武士であることは、何らの疑いもないのであった。
 この一団が傍若無人に、それほど夜も更けていないのに、京都の町をざわめきながら、小走りに走って行くのであった。

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