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沙漠の古都(さばくのこと)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-2 7:36:09  点击:  切换到繁體中文


        二十四

 ボルネオ政庁の玄関には山のように人々が集まっていた。南国の空はよく晴れて朝陽がキラキラと輝いている。椰子やしの葉隠れに啼いている鳥も今日の門出を祝うようだ。一台の自動車が見物を分けて静かに前へすべり出た。車内にはラシイヌとダンチョンとマハラヤナ博士とマーシャル氏とが元気の溢れた顔をして悠然と坐席に着いている。この勇敢な探検隊をよく見ようとして群集は自動車の周囲まわりへ寄って来た。政庁の露台バルコニーには州知事をはじめサンダカン市の名誉職達が花束を持ちながら並んでいる。道路には警官が立ち並んで大声で群集を制している。家々の門には国旗が立てられ、街の四辻の天幕テント張りからは楽隊の音色が聞こえて来る。
 その時知事は露台バルコニーの上から、その探検の成功と隊員の無事とを祈りながら花束を自動車へ投げ込んだ。それに続いて名誉職達は手に手に持っていた花束を雨のように下へ投げ下ろした。楽隊は進行曲マーチを奏し出す。見物の群集はときを上げる。響きと色彩いろと人の顔とが入り乱れている雑沓ざっとうの間をそろそろと自動車は動き出した。やがて市中を出外れると一時間二十マイルの速力で自動車は猛然と走り出した。目差すところは森林である。その森林には探検用のさまざまの道具を守りながらレザールが待ち受けているのである。こうして自動車は進みに進みその日の正午を過ごした頃、遙か彼方の護謨林の中に幾個か張られた天幕テントの姿が白く光るのを見るようになった。自動車が近付くに従って林の中から一行を迎える歓呼の声が聞こえて来た。純白の天幕を囲繞とりまいて銅色の肌をした土人どもがはえのようにウヨウヨ集まっている。その中に一人白々と夏服姿の若紳士が小手をかざして見ているのは無論レザールに相違ない。
 自動車は警笛を吹き鳴らし次第次第に速力を弛めだんだん林に近寄って行った。そして全く停まった時には自動車の周囲まわりは土人の群で身動きもならないほど取り巻かれた。彼らは一斉に手を上げて無事の到着を祝すための奇妙な叫び声を挙げるのであった。
 ラシイヌの一行は自動車を降りて土人の中を掻き分けながらレザールの後に従って天幕の方へ歩いて行った。林の中の有様はちょうど軍隊が野営したかのように、活気と混雑とに充たされている。馬や水牛は草をみながら絶えず尻尾を振っている。小虫の集まるのを防ぐためだ。火を焚いている土人がある。いずれもほとんど半裸体で足に藁靴わらぐつを穿きながら、その足でパタパタ地面をたたいてボルネオ言葉で話し合い時々大声で笑い出す。弓を引いている土人もある。護謨ゴムの林の奥を目がけてヒューッとその矢を放すと同時に、木立の上から南洋鷹が弾丸のように落ちて来た。武器の手入れをする土人もある。銅笛を吹いている土人もある。競走マラソンをしている土人もある。
 十数いくつか天幕テントを支配するかのように、巨大の天幕がその中央に棟高く一張張られてあったが、ラシイヌ達の一行はその天幕へはいってきた。
 ラシイヌは四辺あたりを見廻してから事務的口調で質問ききだした。
「土人は一人も逃げないかね?」
「そのうちポツポツ逃げ出すでしょうが、今のところ一人も逃げません」事務的口調でレザールも云った。
「それでは総勢百人だね?」ラシイヌは軽くうなずいて、「探検用の道具類は一つも盗まれはしないだろうね?」
「一応調べることに致しましょう」
 天幕二つに満たされてある道具類の検査が始まった。一つの天幕には武器の類が順序よく並べて置かれてある。七十挺の旋条銃、一万個入れてある弾薬箱、五十貫目の煙硝箱、小口径の砲一門、五個に区劃した組立て船、二十挺の自動銃、無数の鶴嘴つるはし、無数の斧、シャベル、のこぎり喇叭らっぱ、国旗、その他細々こまごましい無数の道具……もう一つの天幕には食料品が山のようにうず高く積まれてある。それに蒙昧もうまいの野蛮人を帰服させるための道具として数千粒の飾り玉やけばけばしい色の衣服きもの類や無数の玩具やを箱に入れてこの天幕に隠して置いたが、それら一切の武器や食料は少しも盗まれてはいなかった。
 その夜はそこで一泊して翌日いよいよ奥地を目掛けて探検隊は出発した。河幅おおよそ二町もあるバンバイヤ河の岸に沿って元気よく出発したのである。アチン人種、馬来マレー人種、ザンギバール人種、マホメダ人種、さまざまの人種が集まって出来た土人軍の五十人が先頭に立って、進む後から、白人の一団が進んで行く、その後を小荷駄の一隊が五十人の土人軍に守られて粛々として歩をすすめる。数百年来人跡未踏の大森林は空を蔽うて昼さえ夕暮れのように薄暗く、雑草や熊笹や歯朶しだや桂が身長より高く生い茂った中を人馬の一隊はうごめいて行く。先頭の一団は斧や鋸で生木を払って道を造り岩を砕いて野を開き川を埋めて橋を掛け後隊の便を計るようにすれば、後隊の方では眼を配ってダイヤル人種、マキリ人種などの食人種族の襲撃から免れしめるように心掛ける。先頭の隊で太鼓を打てば後方うしろの隊でも太鼓を打つ、白人隊で喇叭らっぱを吹けば土人軍でも喇叭を吹く。そして時々喊声を上げて猛獣の襲来を防ぐのであった。白人は全部馬に乗り土人軍でも酋長だけはボルネオ馬にまたがった。暁を待って軍を進め陽のあるうちに野営した。斥候ものみを放し不眠番ねずのばんを設けて不意の襲撃に備えるのであった。一日の行程わずかに二里、目的めざす土地までは一百里、約二ヵ月の旅行である。しかも最後の目的地にはたして宝庫があるや否やそれさえ今のところ不明である。それに、もう一つラシイヌ達にとって、心にかかることがある。袁更生一派の海賊がやはりこの島に上陸していて、やはり土人達の唄を聞きまた土人達の伝説を聞いて宝庫の所在ありかに見当を付けて、その宝庫をあばくため探検隊を組織して奥地に向かって行きはしないか? もしも彼らが行ったとしたら我々白人の探検隊よりも遙かに便宜がある筈である。ボルネオ土人の風習として亜細亜アジア人に好意を尽くすからである。土人の好意を利用して彼ら亜細亜アジア人の海賊どもは捷径ちかみちを撰んで奥地に分け入り、我々よりも一足先に宝庫の発見をとげはしないか? ――これがラシイヌ達の心配であった。それで彼らは一刻も早く奥地地帯へ踏み込もうと土人軍どもを鞭韃した。しかしどのように鞭韃しても荊棘いばらに蔽われた険阻の道をそう早く歩くことは出来なかった。

        二十五

 行く行く彼らは土人の部落――すなわち部落へ到着ゆきつくごとに飾り玉や玩具を出して見せて彼らの食料と交換した。米や野菜や鶏や卵や唐辛とうがらしまたは芭蕉の実やココアなどと貿易したのである。部落コホンの土人は想像したより彼らに敵意を示さなかった。貯蔵ためていた食料を取り出して来て惜し気もなく彼らと交換した。そして一行を歓待して土人流の宴会を開催ひらいてもくれた。羽毛を飾ったかぶとを冠って人間の歯の頸飾りをかけ、磨ぎ澄ました槍を手に提げ宴会の庭へ下り立って戦勝祝いの武者踊りをさも勇猛に踊ってくれた。もっとも時には一行に向かって敵意を現わす部落もあった。バンバイヤ河の水源のバンバイヤ湖へ来た時に突然あしの繁みから毒矢を射出す者があった。味方の土人が五、六人それに当たって地に倒れた。それに驚いた味方の土人は一度に後に退いたが旋条銃の狙いをよく定めてやがて一斉にぶっ放した。次第に消えて行く煙りの間から湖水の方を眺めて見ると独木舟まるきぶねがおよそ十五、六隻周章あわてふためいて逃げて行く。多数の死傷者があるらしい。味方の土人は勢いを得て岸に沿うて敵を追おうとしたがラシイヌはそれを許さなかった。伏兵のあるのを恐れたからだ。味方の負傷者を調べて見るといずれも傷は浅かったが、やじりに劇毒が塗りつけてあるので負傷者はのた打って苦しがる。そしてだんだんに弱って行く。マーシャル医学士は智恵を絞って負傷者のために尽くしたけれど、二人だけはその夜息が絶えた。土人の死骸を埋葬してから一行は尚進んで行った。一つの部落へ着いた時、不思議にも部落は空虚からであった。一人の土人の姿もない。そこで一行は安心して部落の空地へ天幕を張って、その夜の旅宿をそこに定め各※(二の字点、1-2-22)眠りにつこうとした。ちょうど真夜中と覚しい頃、突然部落の家々から一斉にほのおを吐き出したので、一同は初めて土人達の計略に落ちたことを感付いた。焔はその間も天幕を包んで四方から刻々に襲って来る。立ち昇る火の粉を貫いて雨のように毒矢が降って来る。無智の土人達は火を怖れて消そうともせずふるえている。馬や水牛やボルネオ犬は――いずれも荷物を運ばせるためにまちから連れて来た家畜であるが――火光に恐れて手綱を切って焔を目掛けて飛び込もうとする。味方は火薬を持っているだけに危険の程度が大きいのであった。火焔が天幕を焼くようになったらおのずと火薬は爆発しよう。五十貫の火薬箱がもし一時に爆発したら、一行百余人の生命いのちは粉な粉なになって飛んでしまうだろう!
 ラシイヌもレザールもマハラヤナ博士も、ダンチョンもマーシャル氏も手をつかねて茫然と火勢を見ているばかりでどうすることも出来なかった。椰子や護謨の樹に燃え移る焔が樹油あぶらにパチパチ刎ねる音や、燃え崩れる小屋の地響きや、敵方の上げる閧の声が、千古斧を入れない森林の夜を戦場のように掻き立てる。
 その時、四人の酋長の中、ザンギバール人の酋長が息せき切って走って来たが、マハラヤナ博士を捉らまえて何か早口に話し出した。
 それを博士が通弁する……
「飾り玉を百個くれるなら敵の土人と和睦わぼくして、火事を消し止めてお目にかけるとこの酋長が云っているのです」
「飾り玉で和睦が出来るなら二百でも三百でもくれてやりましょう」
 ラシイヌは喜んでこう叫んだ。博士がそれを通弁する。すると酋長は身を翻えしてそばの椰子の樹へよじ上り敵の土人を見下ろしたが、そこから大声で怒鳴り出した。と、不思議にもそれっきり敵の方から矢が来なくなった。間もなく焔の勢いが弱って次第次第に消えて行った。危険は全く去ったのである。危険が立ち去ったばかりでなく、新たに五十人の味方が出来た。今まで敵であった部落の土人が、五十人の壮丁をりすぐって従軍させたいと云い出したからで、ラシイヌはそれをすぐ許した。彼ら部落の土人どもはザンギバール人であるのであった。それでこっち方のザンギバール人の酋長の提議をすぐに入れて容易たやすく和睦をしたのであった。
 百五十人の探検隊は翌日部落を発足して奥地への旅を続けて行った。無限に続く大森林! 森林の中の山と川! 底なしの沼やわにの住む小川! それを越えて奥へ奥へ既に一月も進み進んで英国領もいつか越え、和蘭オランダ領へはいり込んだ。こうして尚も追撃を続け、目差す奥地も間近くなった。その時精悍なダイヤル種族の大部落と衝突したのであった。
 幾度かの小戦闘こぜりあいが行われた。食人人種ダイヤル族は噂に勝って猛悪であった。味方の土人は彼らを恐れて前進しようとはしなかった。彼らの姿を一目でも見ると手の武器を捨てて逃げるのであった。それを叱ると罰を恐れて隊から逃亡するのであった。十人あまりも既に逃げた。逃げる時土人は銃を盗んだり飾り玉を盗んだりして逃げるのであった。
 ある夜、敵方の陣地から不意に唄声が聞こえて来た。それは意外にもあのうたであった。

古木天を侵して日已に沈む
天下の英雄寧ろ幾人ぞ
此の閣何人か是れ主人
巨魁来巨魁来巨魁来

 この詩を聞くとラシイヌはいまいましそうにこう云った。
「心配した通り袁更生めがダイヤル族を手なずけて旨く味方に引き入れたらしい。海賊の一味が加わったからには、ダイヤル族のあの陣地は容易に抜くことは出来ないだろう。仕方がないから僕らの方でも堅固なとりでを築くことにしよう」
 こうしていよいよ両軍の間には持久戦の準備が始められた。

        二十六

(張教仁備忘録)……どこから私は書いて行こう? 私の頭は乱れている。何んと云って私は説明をしよう? 私は全く五里霧中だ……ラシイヌ探偵の親切で一旦奪われた紅玉エルビーを阿片窟から奪い返して燕楽ホテルへ連れ戻ったのもほんの一時の喜びであった。ある日私の目の前で彼女は窓から飛び出して再び行衛ゆくえくらましてしまった。袁更生の邪教に誘われてふたたび犠牲になったのだ。それからの私は狂人であった。袁更生の行衛を追って北京ペキンから上海シャンハイへ下って来たのも紅玉エルビーを取り返したいためであった。しかしどのように探しても紅玉エルビーの行衛は解らない。私はとうとう諦らめて南洋に向かって去ろうとした。宝庫を探しに行こうとした。私は費用を使い果たしてこの時全くの無一文であった。そこで私はいろいろに考え私のいつもの十八番の手で南洋航路の英国船の料理人として雇われた。明日はいよいよ出航というその前の日の宵の中を私は公園の柵の外の海岸通りを歩いていた。公園の中の楽堂では管の音が聞こえている。青葉を渡る風の音が公園の並木に当たっている。大変和やかな夜であった。私は何気なく前を通ると面紗ヴェールを冠った若い女が足早に向こうへ歩いて行く。姿こそ変っているけれど何んで彼女を忘れよう! それは紅玉エルビーに相違ない。それからの私の行動は自分ながら愚劣に思われる……やにわに私は走りかかって紅玉エルビーを腕に引っ抱えた。紅玉エルビーの背後から追跡けて来た一人の大きな欧羅巴ヨーロッパ人が突然私の邪魔をした。……不意にその時闇の中から無数の人間が飛び出して来て私と欧羅巴ヨーロッパ人とを打ち倒し紅玉エルビーを箱の中へ入れようとした。……箱から現われ出た大猩々おおしょうじょう! 私はそのまま気絶して再び呼吸いきを吹き返した時には四辺は寂然しんと静まり返り、一人さっきの欧羅巴ヨーロッパ人が死んだように倒れているばかりだ。私の負傷は軽かったので疲労つかれた足を引きずり引きずり、汽船の料理人コック部屋へはいり込んで深い眠りに墜ちてしまった。
 航海は大変無事であった。台湾海峡も事なく通りやがて香港ホンコンへ到着した。南支那海を南東に向けて再び航海は続けられた。フィリッピン群島を左に見て英領ボルネオの首府サンダカンへ次第次第に近寄って行った。航海はこれまでは無事であった。しかし※(二の字点、1-2-22)たまたまラブアン島辺へ正午頃船が差しかかった時突然大難が起こったのであった。すなわち、海賊――袁更生の船が汽船を沈没させたのであった。
 私は海へ飛び込んだ。さめや悪魚の住んでいる海へ。それでも私は喰われもせずしばらくの間泳いでいた。その時短艇ボートがどこからともなく私の側へ漂って来た。疲労つかれた手足を働かせて私はボートへ這い上がった。人影はなくて肉の砕片が真紅に船底を濡らしている。そしてそこには一本の櫂と一挺の短銃と若干すこしばかりの弾丸と万年筆と手帳とが血に穢れて散らばっている。恐らく誰かが短艇これに乗って、賊から遁がれようとしたのだろう。しかるに不幸にも賊に見つかって鉄砲で撃たれて海へ落ちたのだろう。――死んでその人は不幸ではあるがおかげでこっちは大助りだ! こう思いながら四辺あたりを見ると既に賊船の姿はなくて今まで乗って来た汽船の影さえどこの波間にも見えなかった。私はホッと安堵してそれからボートを漕ぎ出した。間もなく日が暮れて夜が来た。激しい空腹と疲労とは私を昏睡ねむりに引っ張り込む。今眠っては危険である! 死に誘惑される眠りであると、心の中では思いながらいつか眠りに捕えられた。
 ……幾時間私は眠ったろう……
 何者か私の全身を摩擦している者がある。しなやかではあるがあらい手で私の全身からだじゅうさすっている。その快い触覚が疲労と苦痛とで麻痺している私の肉体からだいたわってくれる。私の意識は次第次第に恢復するように思われた。どうかして一目眼を開こう、眼を開いて私を労わってくれる親切な人を見ようとしても重い眼瞼まぶたは益※(二の字点、1-2-22)重くどうすることも出来なかった。それでも私は努力した。そしてようやく薄目を開けてあたりの様子を見ようとした。するとその時私の体を撫で廻していた手が止まった。いくらあたりを見廻してもそれらしい人の姿もない。ただここに一つ不思議なことには日光から私を防ぐため棕櫚しゅろで拵えた大きな笠が私の体を蔽うている。そして砂地に足跡がある。跣足はだしの人間の足跡である。その足跡は海岸の背後うしろの大森林まで続いている。岸辺を見ると繋ぎ止められたボートが水に浮かんでいて舟の中には元通り短銃ピストルや万年筆が置いてある。私はそこまで這って行ってそれらの物を取って来たが、もう這うことも出来なくなった。私は腹を砂の上へ丸太のように転ってそのまま昏々と眠りに入った。そうして再び目覚めた時には私の側に椰子の果実このみと呑み水とが一椀置いてあった。果実このみを食って水を飲むと私はようやく元気づいた。棕櫚笠を頭に戴いて短銃と弾丸帯を腰に着けて手帳と万年筆とは下衣に隠して林の方へはいって行った。何より先に蘇生させてくれた恩人の姿を見つけようと足跡を手頼たよりに進んで行ったが、林へはいると雑草に蔽われ見出すことが出来なかった。雑草はたけ延びて身丈せいよりも高く林の中は夜のように暗い。喬木はすくすくと空に延し上がり葉と葉は厚く重なり合い数町あるいは数里に渡って緑の天蓋を造っている。太古のままの静けさが森林の中に巣食っている。鳥も啼かず人影もなく風さえ葉の壁にさえぎられて林の中までは吹いて来ない。
 自然の厳粛に打ちひしがれて私は茫然と立ち尽くした。いったいどうしたらいいのだろう? これから俺はどうしよう? こう思って来て自分ながら恐ろしい運命に戦慄した。

        二十七

 どっちへ行こうかと森林の中を途方に暮れて見廻した時、またも奇蹟が発現あらわれた。こっちへ来いというように丈なす草が苅り取られ小径が出来ているではないか!
「足跡の主に相違ない」
 私はすぐにこう思った。それで少しも躊躇せずに小径を奥へ歩いて行った。私は幾時間歩いたろう? 体が綿のように疲労つかれて来た。私は一歩も進めなくなった。ここでこのまま倒れたなら猛獣毒蛇の恐ろしい牙がすぐにも噛みつくと思いながらどうすることも出来なかった。歯朶しだの葉の茂っている地面の上へ私はパッタリ腰を下ろした。すぐに睡眠ねむりが襲って来る。私は眠りに落ちたらしい。眠りながら私は手の触覚を体の全体に感じていた。しなやかではあるが粗い掌の絶え間ない触覚を感じていた。
 どれだけ眠ったか私には一向見当がつかなかった。眼を開いて見ると朝だと見えて厚く重なった葉の天蓋から二筋三筋日光の縞が黄金きん線のように射していた。林の中の諸※(二の字点、1-2-22)の葉は朝風に揺れてさも嬉しそうに上下に舞踏ダンスを踊っている。そして私の枕もとには新鮮な果実このみが置かれてある。私は朝飯をそれで済ますと体に勇気が充ちて来た。やおら私は立ち上がって森林の旅を続けようとした。その時何気なく四辺を見ると私のすぐ側の雑草の中に巨大な一匹のボルネオ虎が毒矢に貫かれて死んでいる。私は思わず飛び上がった。身の毛の慄立よだつ思いをしながら死骸の側にたたずんだ。
「昨夜こいつがこの俺を餌食にしようと襲って来たのを、例の眼に見えない恩人が毒矢で射殺してくれたのだろう」
 私の心は感謝の念ではち切れそうに思われた。そして私はどんなことをしてもその恩人を発見みつけだして思うさま感謝を捧げないことにはどうにも気がすまなく思われて来た。私は毒矢を抜き取って仔細にそれを調べて見た。土人の使う弓矢である。やじりの先には飴色をした毒液がたっぷり塗りつけてある。記念のためにその弓の矢を私は大事に手に持って先へあてなしに進んで行った。昨日のように雑草の中に一筋径が出来ている。朝風が止むと林の中はまた音もなく静まり返って陽の光さえかすかになった。草の丈は益※(二の字点、1-2-22)高くなる。喬木はいよいよ生い茂ってどこで尽きるとも想像がつかない。今の私の境地ほど寂しい境地はないだろう。しかし私は私を守る例の恩人が絶えずどこかで見張っていてくれると思うので寂しくも恐ろしくも思わなかった。私は私の恩人についていろいろ想像をめぐらして見た。毒矢を使う上からはこの島の土人に相違ない。しかし私をすった時の嫋かな手付きを考えて見るに男のようには思われない。それでは土人の女だろうか?
「土人の女がこの俺のような支那の若者をこう熱心に保護してくれる所以いわれがない」
 こう思うにつけてもいよいよ私はその恩人を一目なりとも見たい希望に燃え立った。
 その日も林で一日暮らして三日目の昼頃になった時少し林がまばらになって空の蒼味と陽の光とがいくらか仰がれる小丘へ出た。見るとその丘の頂きに三本の樫の木が立っていて、二丈あまりの高い所に風雨にらされた木小屋が一ついかにも厳重に造られてあって、丈夫な縄梯子が掛かっていた。小屋の古さに比らべて縄梯子はまだ新らしい。私は丘へ上って行って注意深く小屋を見上げて見た。その構造でその小屋が猛獣狩りに用立てるためずっと昔に造られたもので、今はもう誰もその小屋には住んでいないという事が感じられた。猛獣狩りの小屋だけに素晴らしく厳重に造られてある。四方の板壁には規則正しく三つずつの銃眼が造られてあるし正面の扉などは錆びてこそおれ鉄の一枚板でつくられてある。
 私は念のため小屋に向かって幾度も呼んで見た。もちろん答えるものもない。そこで私は決心してそろそろと縄梯子を上って行った。小屋の内には予想した通り人間の住んでいる気配もない。ガランとして空虚である。熱帯蜘蛛ぐもの大きな網が到る所にかかっている。床には塵埃ほこりが積もっている。そして木椅子や卓子が五人前ちゃんと揃っている。室は二つに仕切られてあった。奥の小部屋は寝室と見えてボロボロの寝具が敷かれてある。
「五人の勇敢な猟師どもがボルネオ虎や猩々や馬来マレー種の猪を獲るためにこの小屋の中に閉じこもって銃眼から猟銃をったものらしい。沢山獲物が出来たので小屋をそのまま放擲うっちゃってどこかへ立ち去って行ったのだろう。風雨に曝らされた板壁の様子や床に積もった塵埃ごみから推すと、三年、五年、もっと以前まえから小屋は造られてあったものらしい」
 こう思いながら尚私は室の様子を見廻した。すると今まで気が付かなかったが室の片隅のテーブルの上に、果実このみがうず高く積んであって椰子の実で拵えた椀の中に飲料水さえ盛ってある。ちょっと驚いて眼を見張ったがそれでもすぐに感付いた――
「眼に見えない例の恩人」が昼食を送ってくれたのだろう。
 そこで木椅子へ腰掛けて味の好い賜り物を頂戴した。それから小屋に別れを告げて縄梯子を伝って下りようとした。その縄梯子が見当らない。ほんの先刻まで掛かっていた棕櫚縄の梯子が見当らない。私は呆然と突っ立ったまま考えることさえ出来なかった。
「これはいったいどうしたんだ!」私は声を筒抜かせて無意味に室の中を見廻した。ほんとにこれはどうしたんだ! 棕櫚縄の梯子は私の足もとに手繰たぐられて置かれてあるではないか! いったい誰が手繰ったんだろう? 云うまでもなく「恩人」だ! どういう意味で手繰ったんだろう?
「ほんとにどういう意味だろう?」
 私はしばらく考えた。
 私の胸へ光明が一筋しらしらと白んで来た。
「そうだ!」と私は膝を打った。「小屋に住めという謎なんだろう! 雑草を苅って径をつけてここまで私を導いて来て梯子を外ずしたというのだからこれより他に考えようはない……住めというなら住むことにしよう。住みよさそうな小屋でもあるし猛獣の害から遁がれることも出来る。あてなしに林を彷徨さまようよりここにいた方がよさそうだ」
 私はにわかに決心して室の掃除に取りかかった。それから自分で縄梯子を掛けて林の方へ枯草を採りに――それで寝床を拵えるつもりで――雑草を分けてはいって行った。
 その日とそしてその翌日と二日かかって小屋の中を規則正しく片附けた。今のところ食料と飲料水とは「見えぬ恩人」が持って来てくれるので心配する必要はなかったけれど、いつそれが中止やめになるかもしれぬ。自分で食物と飲料水とを供給することに心掛けなければ困難な目を見るだろう……このように私は考え付いたので果実このみの所在と泉の出場所とを毎日熱心に探し廻った。
 私はこんなように考えた……。
「こんな厳重な小屋を造って猛獣狩りをした位だから、十日か二十日で小屋を見捨てて立ち去って行った筈はない。一月や二月は小屋に籠もって生活していたに相違ない。あるいは半年も一年もここに籠もっていたかもしれない。それではその間を猟師達はまちから持って来た食料や水で、生活をしていたろうか? 五人の猟師の一年間の食料! それは随分大したものだ。とてもそれだけの大量の物をこの小屋へ貯えては置かれない。それでは彼らはどうしたろう? 自分の思うところでは恐らく彼らは食料や水を小屋の附近の林の中で求めていたに違いない! だからそいつをこの俺も林の中で見つけよう」
 幸いにも私のこの考えは間もなく事実になって裏書きされた。半マイルと離れない林の中で二つとも私は見つけたのであった。すなわち、泉と果物の樹とを……

    第六回 宝庫を守る有尾人種(中)


        二十八

 私の見つけた果樹園には椰子やし檳榔樹びんろうじゅやパインアップルやバナナの大木が枝もたわわに半ば熟した果実このみをつけて地に垂れ下がっているのであって、その果樹園の中央所に四方を石で畳み上げた人工の泉が湧き出ていた。苔や木の葉に蔽われてはいたが、玉のような水は濁りもせず掌にすくって飲んで見ると一種の香味と甘味とを備えて大変軟らかな水である。
 果樹園と泉とを見つけてからは私は急に心強くなって生活にも不安が伴わなくなった。菜食人種の私にとっては、魚肉や獣肉の食われないということもさして苦痛とは思われない――このように私が果樹園を発見したということを例の「眼に見えぬ恩人」はどこかで見ていて知ったと見えて、もはや果物や清水の類を持って来ることをしなくなった。その代りある日土人用の弓と矢とをこっそり持って来てくれた。それにもう一つ火打ち石と火打ち鎌とを持って来てくれた。おかげで私はそれ以来鳥や獣を獲ることが出来て、それらの肉を火であぶって賞味することが出来るようになった。私はその時まあどんなに一つまみの塩を欲しく思ったろう! 塩を持たないこの私は果物を絞ってその液に浸してわずかに肉を食うのであった。
 私の日々の生活はロビンソン・クルーソーそっくりであった。小屋で備忘録を認める。朝食として食べるものはバナナ三個に無花果いちじくに、椰子の果実を四分の一。昼までは私は腰かけたまま種々のことを考える。それから私は猟に行く、腰へ拳銃と弾丸帯をつけて手に土人用の弓を持って背中へ矢筒を背負った姿で林の中へ行くのであった。私は猟をしながらも例の「眼に見えぬ恩人」を探し出そうと苦心した。そして私はその恩人がどんな所に住んでいるか、彼の住んでいる土人部落を発見したいものだと思いながら林中を縦横に歩くのであった。半日林中を狩りくらして陽のあるうちに小屋に帰って夕飯の仕度にかかるのであった。夜は獣油に燈心を浸して乏しい光をそれで取った。
 燈火ともしびは点けても心を慰める書物一冊手もとにはない! この寂しさは何んと云おう! 寂しいと云えば万事万端寂しくないものは一つもない。林を渡る嵐の音、丘でうそぶく豹の声、藪で唸っている狐の声。……
 ある夜銃眼から覗いて見ると一匹の豹が小屋の扉を一生懸命で掻いている。この辺は木立がまばらなので月光が隙から射して来る。その月光に照らし出された豹の姿の美しさ、軟かな毛並み鮮かな斑点、人の児のような優しい手つきでセッセと爪をいでいる。私はしばらく見ていたが内側から扉を足で蹴ると扉を掻く音をヒタと止めて、少しの間考えていたがやがて抜き足して小屋を離れて幹を伝って丘へ下りた。そして林へはいって行った。
 林に住んでいる獣のうち山羊や小猿はよく慣れて毎日小屋の辺へ集まって来た。そして私から餌を貰っては喜んでそれを食べるのであった。最初は恐れていた小鳥達も次第次第に慣れて来て終いには銃眼から小屋の内へまで恐れ気もなく舞い込んで来て小鳥らしい可愛い悪戯いたずらをして――たとえば糞を落としたり椅子のもたれをつついたりして――そしてまた同じ銃眼から林の方へ帰るのであった。ある日私は山羊を捉らえて試みに乳を絞って見た。すると純白の不透明の乳液ちちが、椰子の実の椀に三杯取れた。それは大変味がよくてきわめて立派な飲料であった。煙草たばこには不自由しなかった。野生の煙草の木がどこにでもあって立派な刻煙草きざみになるからである。手製のパイプへそれを詰めて惜し気なくそれを吹かす時私は真に幸福であった。小憎らしいのは猩々である。遠くの木の股から顔を出して二日でも三日でも見守っている、弓を向けると仰天して周章あわてて葉蔭へ隠れるけれど少し経つとやっぱり覗いている。嫉妬深い獣の習慣つねとして私と戯れている小猿達を見ると、彼は猛烈に岡焼きして気味の悪い声で吠え立てて威嚇おどかそうとするのであった。
 一マイルほど林を行くとあしの茂っている川がある。そこには幾匹かのわにがいて、獲物の来るのを待っている。ある日私は友人と一緒に――すなわち山羊や小猿を連れてその川の方へ猟に行った。間もなく川の岸へ出た。その岸を私と友人達とは喧騒さざめきながら歩いて行った。すると私の目の前にいた一匹の元気のよい青年の山羊が、水を飲もうとして川へ下りた。とその瞬間褐色をした一本の材木が首を上げた。カッとその口を開けたかと思うと山羊の半身は鞠のようにその口の中へ飛び込んだ。材木と思ったのは鰐であって鰐はそのまま水音を立てて水底深く沈んでしまってどうすることも出来なかった。またある時のことであるが、やはり私は友人を連れて沼沢地方を歩いていた。蘆やすすきが生い茂ってそれが身長の倍ほども延びて空に向かって靡いている。私の友人の猿や山羊は沼沢地方が珍らしいと見えて、私より先に走って行って騒がしくお喋舌りをかわせている。ところが突然そのお喋舌りが糸を切ったように断ち切れた。

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