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印度の古話(いんどのむかしばなし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 9:18:20  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本児童文学名作集(上)
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1994(平成6)年2月16日
入力に使用: 1994(平成6)年2月16日第1刷
校正に使用: 2000(平成12)年1月14日第10刷


底本の親本: 露伴全集 第10巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1953(昭和28)年7月

 

 いづれのくににも古話むかしばなしといふものありて、なかなかに近きころの小説家などの作り設くとも及びがたきおもしろみあるものなり。されど小国民を読むほどの少年諸子には、桃太郎猿蟹合戦さるかにかっせんたぐいも珍らしからざるべく、また『韓非子かんぴし』『荘子そうじ』などにでたるも珍らしからざるべければ、日本支那のはしばらさしおきて印度の古話をあつつづり、さきに宝のくらと名づけて学齢館のもとめに応じ出版せしめしに、おもひのほかに面白しとて少年諸子の、なほそのほかにも話ありや、あらば聞かせよといひ越したまふもあるまま、今また一条の物語りをここに載すべし。印度は諸子が父上母上の頃には天竺てんじくと呼びたる最早いとはやくより開け進みし国にて、今日こんにちよりして評するも世界の文明の母ともいふべきところなれば、従つて趣味おもむきある古話にも富みたり、御望みならむには随分諸子のために珍奇なる話を取りいだして一年や二年の間はこの紙上に掲げん。さてこの号には、※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)りた阿利※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)ありた兄弟のはなしを載すべし。

 むかしむかし、一人ひとり長者ちょうじゃありて二人ふたりの子をてり。兄を利※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)といひおととを阿利※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)といひしが、長老は常々つねづね二人にむかひて、高きものはち、常なきものは尽き、生あれば死あり、会へるものは離るることあらむとさとしける。されど一家は常に富み栄えて別にいまはしきことにもはず、世を楽しく過ごし行きけるに、長老が諭しのあたるべき時は来りて、おいの身に病を得しより長者はまくらつひにあがらず、いよいよ生命いのち終るべく定まりたり。時に長者は二人の子を枕に招きて、死するも生くるも天命なれば汝等そちたちみだりに歎くべからず、ただ我終焉いまわに臨みて汝等に言ひ置くことあればく心に留めて忘るるなかれ、のちは汝等二人決して分れをることをすべからず、たとへば一条ひとすじの糸にては象をつなぐこと難けれど多くの糸を集めてなわとなさば大象をも係ぐを得べきがごとく、兄弟力をあわせて家を保たんには家も無事長久なるべけれど汝等互ひに私慾を図りて分れ分れとなりなば、一条の糸の弱きがごとくなりて家も衰へ亡ぶべし、この我がおしえおぼえて決してそむくことなかれとねんごろにいましめ諭して現世このよりければ、兄弟共に父の遺訓にしたがひて互ひに助けあひつつ安楽に日をくらしけり。
 さるほどに弟も生長して年頃としごろとなりしかば、縁ありしをさいわいとして兄はそのためつまを迎へりしに、この婦心狭くしてからぬものなりしゆゑ夫にむかひて、おんみはあたかも奴隷しもべのやうなり、金銀用度も皆兄まかせにて我が所有ものといふものもなく、ただることと食ふこととに不足なさざるばかりなれば奴隷といふてもかるべし、汝如何いかほど働きたりとて唯この家を富ますのみにて汝の所有ものゆるにもあらねば、まことにもって楽み薄し、と賢顔かしこがおに説きければ、弟はこれより分居の心を生じて、兄に財産しんだいを分ちくれむことを求めける。兄は、亡き父上の御遺言をも忘れてそなたは分居せむとや、さても分別違ひのことを能くも汝はいひ得るよ、と度々たびたび弟を誡め諭してあえて弟のいふところを許さざりしが、弟の堅く分居せんといひ張りてまぬに打負けて、ついに一切の財産しんだい正半分まふたつにし、その一方を弟に与へぬ。
 弟夫婦は年少としわかきまま無益むやく奢侈おごりに財をついやし、幾時いくばくも経ざるに貧しくなりて、兄のもと合力ごうりょくひに来ければ、兄は是非なく銭十万を与へけるに、それをも少時しばしつかひ尽してまた合力を乞ひに来りぬ。一人の弟のことなればと、苦き顔もせで兄はいふまままた十万を与へしに、またそれをさへつかひ果して、例の通りに無心に来ること前の如し。前後合せてかくの如きこと六反ろくへんに及びけれど、その度ごとに十万づつ与へて兄はおしともおもはざりしが、七反目にいたりてさすがにこらへきれずなり、父上の遺訓にも背きしのみか数次しばしば来りて財を乞ふ段、弟とはいへ奇怪なり、貧しくなりて苦むも皆自らの心がらぞ、この度だけは十万銭を例のごとくに与ふべけれど以後は来るとも与ふまじきぞ、能く心して生活なりわいの道を治めよ、とねんごろに説き示しければ、弟はこれを口惜くちおしく思ひてそののち生活の道に心を用ひ、ようやく富をいたしけるが、それに引替へ兄はまた数次しばしば弟に財を与へしより貧しくなりて自らささへがたきに及び、かつて与へしこともあれば今は弟に少時しばしのところを助けてもらはむと、弟のところにいたりて、我この頃は大きに財に乏しきゆゑ何卒なにとぞ合力してくれよといひけるに、弟は答へて、先に我が窮困しておんみもとにいたりわずかの合力を乞ひしとき汝は何といひ玉ひし、貧しくなりて苦むも皆みづからの心がらぞとつれなく我を責め玉ひしにはあらずや、我今汝にそのことばを返さん、貧しくなりて苦むも皆みづからの心がらぞ、我は汝を助けがたし、と恩を忘れて謝絶ことわりける。
 兄は弟のあさましき言葉に深きうれいを起し、血統ちすじの兄弟にてすらもかくまでにむごつれなければまして縁なき世の人をや、ああいとはしき世の中なりと、狭き心に思ひ定めて商買しょうばいめ、僧と身をなして、ひたすらにあしき世を善に導かんと修行に心をゆだね、ある山深きところに到りて精勤苦行しゐたりけるが、年月としつきたち一旦いったん富みし弟の阿利※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)ありたは、兄に対して薄情なりし報いのためにや損毛のみ打つづきてまた貧者となり、たきぎを売りてからくもくる身となりけり。時に兄の※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)りた托鉢たくはつなしてを得んと城中まちに入りしが、生憎あやにく布施するものもなかりければ空鉢くうはつをもてかえらんとしけるが、みちにて弟に行遇ゆきあひたり。弟は兄を剃髪染衣ていはつぜんえの身ならむとは思ひもかけず、兄は弟を薪売りびとになりをらむとは思ひもかけず、かつ諸共もろともやつとし老いたればそれとも心づかざれど、弟の阿利※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)は尊げなる僧のゑたる面色おももちして空鉢をささげ還る風情ふぜいを見るより、図らず惻隠そくいんの善心を起し、往時むかし兄をばつれなくせしことをも思ひ浮めて悔いつつ、薪にへて僅に得しひえ※(「麥にょう+少」、第4水準2-94-55)あるを与へんと僧を呼び留め、尊者そんじゃよ、道のためにせらるる尊き人よ、幸ひに我が奉つる麁食そしいを納め玉はむや、と問へば僧はふりかへりて、薪を売る人よ、世の慾を捨てし我らなればその芳志こころざしうくるのみ、美味と麁食とをえらばず、わずかに身をば支ふれば足れりといふにぞ、便すなわち稗の※(「麥にょう+少」、第4水準2-94-55)を布施しけるに、僧は稗の※(「麥にょう+少」、第4水準2-94-55)を食しおわりてさりたりける。

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