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五重塔(ごじゅうのとう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 9:52:40  点击:  切换到繁體中文


       其三十三

 耄碌頭巾に首をつゝみて其上に雨を凌がむ準備よういの竹の皮笠引被り、鳶子とんび合羽に胴締して手ごろの杖持ち、恐怖こは/″\ながら烈風強雨の中を駈け抜けたる七藏おやぢ、やうやく十兵衞が家にいたれば、これはまた酷い事、屋根半分はもうとうに風に奪られて見るさへ気の毒な親子三人の有様、隅の方にかたまり合ふて天井より落ち来る点滴しずく飛沫しぶき古筵ふるござで僅にけ居る始末に、扨ものつそりは気に働らきの無い男と呆れ果つゝ、これ棟梁殿、此暴風雨あらしに左様して居られては済むまい、瓦が飛ぶ樹が折れる、戸外おもて全然まるで戦争のやうな騒ぎの中に、汝の建てられた彼塔は如何あらうと思はるゝ、丈は高し周囲に物は無し基礎どだいは狭し、の方角から吹く風をも正面まともに受けて揺れるは揺れるは、旗竿ほどに撓むではきち/\との軋る音の物凄さ、今にも倒れるか壊れるかと、圓道様も爲右衞門様も胆を冷したり縮ましたりして気が気では無く心配して居らるゝに、一体ならば迎ひなど受けずとも此天変を知らず顔では済まぬ汝が出ても来ぬとはあんまりな大勇、汝の御蔭で険難けんのんな使を吩咐かり、忌※(二の字点、1-2-22)しい此瘤を見て呉れ、笠は吹き攫はれる全濡ずぶぬれにはなる、おまけに木片が飛んで来て額に打付りてくさつたぞ、いゝ面の皮とは我がこと、さあ/\一所に来て呉れ来て呉れ、爲右衞門様圓道様が連れて来いとの御命令おいひつけだは、ゑゝ吃驚した、雨戸が飛んで行て仕舞ふたのか、これだもの塔が堪るものか、話しする間にも既倒れたか折れたか知れぬ、愚図※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)せずと身支度せい、疾く/\と急り立つれば、傍から女房も心配気に、出て行かるゝなら途中が危険あぶない、腐つても彼火事頭巾、あれを出しましよ冠つてお出なされ、何が飛んで来るか知れたものではなし、外見みえよりは身が大切だいじ何程いくら襤褸でも仕方ない刺子絆纏さしこばんてんも上に被ておいでなされ、と戸棚がた/\明けにかゝるを、十兵衞不興気の眼でぢつと見ながら、あゝ構ふてくれずともよい、出ては行かぬは、風が吹いたとて騒ぐには及ばぬ、七藏殿御苦労でござりましたが塔は大丈夫倒れませぬ、何の此程の暴風雨で倒れたり折れたりするやうな脆いものではござりませねば、十兵衞が出掛けてまゐるにも及びませぬ、圓道様にも爲右衞門様にも左様云ふて下され、大丈夫、大丈夫でござります、と泰然おちつきはらつて身動きもせず答ふれば、七藏少し膨れ面して、まあ兎も角も我と一緒に来て呉れ、来て見るがよい、彼の塔のゆさ/\きち/\と動くさまを、此処に居て目に見ねばこそ威張つて居らるれ、御開帳ののぼりのやうに頭を振つて居るさまを見られたら何程なんぼ十兵衞殿寛濶おうやうな気性でも、お気の毒ながら魂魄たましひがふはり/\とならるゝであらう、蔭で強いのが役にはたゝぬ、さあ/\一所に来たり来たり、それまた吹くは、嗚呼恐ろしい、中※(二の字点、1-2-22)止みさうにも無い風の景色、圓道様も爲右衞門様も定めし肝を煎つて居らるゝぢやろ、さつさと頭巾なり絆纏なり冠るとも被るともして出掛けさつしやれ、と遣り返す。大丈夫でござりまする、御安心なさつて御帰り、と突撥る。其の安心が左様手易くは出来ぬわい、と五月蠅云ふ。大丈夫でござりまする、と同じことをいふ。末には七藏焦れこむで、何でも彼でも来いといふたら来い、我の言葉とおもふたら違ふぞ圓道様爲右衞門様の御命令ぢや、と語気あらくなれば十兵衞も少し勃然むつとして、我は圓道様爲右衞門様から五重塔建ていとは命令かりませぬ、御上人様は定めし風が吹いたからとて十兵衞よべとは仰やりますまい、其様な情無い事を云ふては下さりますまい、若も御上人様までが塔危いぞ十兵衞呼べと云はるゝやうにならば、十兵衞一期の大事、死ぬか生きるかの瀬門せとに乗かゝる時、天命を覚悟して駈けつけませうなれど、御上人様が一言半句十兵衞の細工を御疑ひなさらぬ以上は何心配の事も無し、余の人たちが何を云はれうと、紙をにして仕事もせず魔術てづまも手抜もして居ぬ十兵衞、天気のよい日と同じことに雨の降る日も風の夜も楽※(二の字点、1-2-22)として居りまする、暴風雨が怖いものでも無ければ地震が怖うもござりませぬと圓道様にいふて下され、と愛想なく云ひ切るにぞ、七藏仕方なく風雨の中を駈け抜けて感応寺に帰りつき圓道爲右衞門に此よし云へば、さても其場に臨むでの智慧の無い奴め、何故其時に上人様が十兵衞来いとの仰せぢやとは云はぬ、あれ/\彼揺るゝ態を見よ、きさままでがのつそりに同化かぶれて寛怠過ぎた了見ぢや、是非は無い、も一度行つて上人様の御言葉ぢやと欺誑たばかり、文句いはせず連れて来い、と圓道に烈しく叱られ、忌※(二の字点、1-2-22)しさに独語つぶやきつゝ七藏ふたゝび寺門を出でぬ。

       其三十四

 さあ十兵衞、今度は是非に来よ四の五のは云はせぬ、上人様の御召ぢやぞ、と七藏爺いきりきつて門口から我鳴れば、十兵衞聞くより身を起して、なにあの、上人様の御召なさるとか、七藏殿それは真実まことでござりまするか、嗚呼なさけ無い、何程風の強ければとて頼みきつたる上人様までが、此十兵衞の一心かけて建てたものを脆くも破壊こはるゝ歟のやうに思し召されたか口惜しい、世界に我を慈悲の眼で見て下さるゝ唯一つの神とも仏ともおもふて居た上人様にも、真底からは我が手腕うでたしかと思はれざりし歟、つく/″\頼母しげ無き世間、もう十兵衞の生き甲斐無し、たま/\当時にならびなき尊き智識に知られしを、是れ一生の面目とおもふてあだに悦びしも真に果敢無き少時しばしの夢、嵐の風のそよと吹けば丹誠凝らせし彼塔も倒れやせむと疑はるゝとは、ゑゝ腹の立つ、泣きたいやうな、それほど我は腑の無いやつか、恥をも知らぬやつこと見ゆる歟、自己おのれが為たる仕事が恥辱はぢを受けてものめ/\面押拭ふて自己は生きて居るやうな男と我は見らるゝ歟、仮令ば彼塔倒れた時生きて居やうか生きたからう歟、ゑゝ口惜い、腹の立つ、お浪、それほど我がさもしからうか、嗚呼※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)生命ももういらぬ、我が身体にも愛想の尽きた、此世の中から見放された十兵衞は生きて居るだけ恥辱はぢをかく苦悩くるしみを受ける、ゑゝいつその事塔も倒れよ暴風雨も此上烈しくなれ、少しなりとも彼塔に損じの出来て呉れよかし、空吹く風もつち打つ雨も人間ひとほど我にはつれからねば、塔破壊こはされても倒されても悦びこそせめ恨はせじ、板一枚の吹きめくられ釘一本の抜かるゝとも、味気無き世に未練はもたねば物の見事に死んで退けて、十兵衞といふ愚魯漢ばかものは自己が業の粗漏てぬかりより恥辱を受けても、生命惜しさに生存いきながらへて居るやうな鄙劣けちな奴では無かりしか、如是かゝる心を有つて居しかと責めては後にてとむらはれむ、一度はどうせ捨つる身の捨処よし捨時よし、仏寺を汚すは恐れあれど我が建てしもの壊れしならば其場を一歩立去り得べきや、諸仏菩薩も御許しあれ、生雲塔の頂上てつぺんより直ちに飛んで身を捨てむ、投ぐる五尺の皮嚢かはぶくろは潰れて醜かるべきも、きたなきものを盛つては居らず、あはれ男児をとこ醇粋いつぽんぎ、清浄の血を流さむなれば愍然ふびんともこそ照覧あれと、おもひし事やら思はざりしや十兵衞自身も半分知らで、夢路を何時の間にか辿りし、七藏にさへ何処でか分れて、此所は、おゝ、それ、その塔なり。
 上りつめたる第五層の戸を押明けて今しもぬつと十兵衞半身あらはせば、礫を投ぐるが如き暴雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までも※(「てへん+止」、第3水準1-84-71)ちぎらむばかりに猛風の呼吸さへ為せず吹きかくるに、思はず一足退きしが屈せず奮つて立出でつ、欄をつかむで屹とにらめばそら五月さつきの闇より黒く、たゞ※(二の字点、1-2-22)がう/\たる風の音のみ宇宙に充て物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聳えたれば、どう/\どつと風の来る度ゆらめき動きて、荒浪の上に揉まるゝ棚無し小舟のあはや傾覆らむ風情、流石覚悟を極めたりしも又今更におもはれて、一期の大事死生の岐路ちまたと八万四千の身の毛よだたせ牙咬定かみしめてまなこ※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはり、いざ其時はと手にして来し六分のみの柄忘るゝばかり引握むでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとはず塔の周囲めぐりを幾度となく徘徊する、怪しの男一人ありけり。

       其三十五

 去る日の暴風雨は我等生れてから以来このかた第一の騒なりしと、常は何事に逢ふても二十年前三十年前にありし例をひき出して古きを大袈裟に、新しきを訳も無く云ひ消す気質かたぎ老人としよりさへ、真底我折つて噂仕合へば、まして天変地異をおもしろづくで談話はなしの種子にするやうの剽軽な若い人は分別も無く、後腹の疾まぬを幸ひ、何処の火の見が壊れたり彼処の二階が吹き飛ばされたりと、ひとの憂ひ災難を我が茶受とし、醜態ざまを見よ馬鹿慾から芝居の金主して何某め痛い目に逢ふたるなるべし、さても笑止彼の小屋の潰れ方はよ、又日頃より小面憎かりし横町の生花の宗匠が二階、御神楽だけの事はありしも気味きびよし、それよりは江戸で一二といはるゝ大寺の脆く倒れたも仔細こそあれ、実は檀徒から多分の寄附金集めながら役僧の私曲わたくし、受負師の手品、そこにはそこの有りし由、察するに本堂の彼の太い柱も桶でがな有つたらうなんどと様※(二の字点、1-2-22)の沙汰に及びけるが、いづれも感応寺生雲塔の釘一本ゆるまず板一枚剥がれざりしには舌を巻きて讃歎し、いや彼塔あれを作つた十兵衞といふは何とえらいものではござらぬ歟、彼塔倒れたら生きては居ぬ覚悟であつたさうな、すでの事に鑿ふくんで十六間真逆しまに飛ぶところ、欄干てすりを斯う踏み、風雨を睨んで彼程の大揉の中に泰然ぢつと構へて居たといふが、其一念でも破壊るまい、風の神も大方血眼で睨まれては遠慮が出たであらう歟、甚五郎このかたの名人ぢや真の棟梁ぢや、浅草のも芝のもそれ/″\損じのあつたに一寸一分歪みもせず退りもせぬとは能う造つた事の。いやそれについて話しのある、其十兵衞といふ男の親分がまた滅法えらいもので、若しもちとなり破壊れでもしたら同職なかまの恥辱知合の面汚し、うぬはそれでも生きて居られうかと、到底とても再度鉄槌も手斧も握る事の出来ぬほど引叱つて、武士で云はば詰腹同様の目に逢はせうと、ぐる/\/\大雨を浴びながら塔の周囲を巡つて居たさうな。いや/\、それは間違ひ、親分では無い商売上敵がたきぢやさうな、と我れ知り顔に語り伝へぬ。
 暴風雨のために準備したく狂ひし落成式もいよ/\済みし日、上人わざ/\源太をび玉ひて十兵衞と共に塔に上られ、心あつて雛僧こぞうに持たせられし御筆に墨汁すみしたゝか含ませ、我此塔に銘じて得させむ、十兵衞も見よ源太も見よとのたまひつゝ、江都かうとの住人十兵衞之を造り川越源太郎之を成す、年月日とぞ筆太に記し了られ、満面に笑を湛へて振り顧り玉へば、両人ともに言葉なくたゞ平伏ひれふふして拝謝をがみけるが、それより宝塔とこしなへに天に聳えて、西よりれば飛檐ひえん或時素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、はなしは活きて遣りける。

(明治二十四年十一月―二十五年三月・四月「国会」)




 



底本:「日本現代文學全集 6 幸田露伴集」講談社
   1963(昭和38)年1月19日初版第1刷発行
   1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。
入力:kompass
校正:浅原庸子
2004年11月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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    「(章+(攵/貢))/心」    66-上-14、81-上-11

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