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梓川の上流(あずさがわのじょうりゅう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-5 8:54:26  点击:  切换到繁體中文


      三

 穂高山の前面に来る。
 河原を切れて処女の森の一つに入る、白檜の森は、水のような虚空を突き、空のような水の面を伺い、等深線の如く横さに走っている、森の中の瀝青チャンのような、くろずんだ水溜りは、川流が変って、孤り残された上へ、この頃の雨でにわたずみとなったのであろう、その周囲には、緑の匂いのする、かびの生えた泥土があって、くるぶしまで吸いこまれる、諸君は深山の沼林ボッギイ・ウッドの寂蓼を味いたることありや、何年かの落葉(七葉樹とちだの、桂だの、沢栗だの)の、肉が消えて網のような繊維ばかり残り、それも形がおぼろになって、この沼の中に月の光を浴び、甘き露をめた執念が残っている、落葉、落葉、また落葉、生々しい青葉は無色になり、輪廓ばかりの原画になって、年々無数に容赦なく振い落される、いつか冬の野原で、風もない、そよとも動かぬ楢林の中で、梢にこびりついている残葉の或一枚だけが、ブルブル震えているのがあった、同じ梢に並んでいる葉が、皆沈黙しているのに、この葉だけは烈しくふるえている、無論虫一疋いないのだ、末期に迫った廃葉の喘ぎは烈しかった、沼の中にも苦痛の呼吸を引いた自然の虐殺、歓喜のどよみを挙げる自然の復活は、行われている。
 この辺になると、森の中に幾筋かの路が出来ている、放された牛馬どもは、無慮五百頭はいよう、六月下旬植えつけが済んで、農家が閑になると、十月上旬頃までここへ放し飼にするのだ、彼らは縦に行き、横にさまよい、森の中の木々に大濤おおなみの渦を捲いて、ガサガサひどい音をさせる、遠くから見ると、大蛇おろちっているのかとおもう、かくて青々と心まで澄んだ水の傍まで来ては、絶望の流人のように悄然しょんぼりと引きかえす、また来ては引きかえす、引きかえしてはまた来る。
 宮川の小舎へ辿り着いた、老猟士嘉門次がいるので、嘉門次の小舎とも呼ばれる、主人は岩魚いわなでも釣りに往ったかして戸が閉っている、小舎の近傍そばには反魂草はんごんそうきいろい花が盛りだ、日光から温かい光だけを分析し吸収して、咲いているような花だ、さっきの沼の傍で、冷たそうに咲いていた菖蒲あやめと比べて、この性の微妙なる働きをおもう、小舎の後には牛馬の襲わないように、木垣が結んである、梓川へ分派する清い水が直ぐ傍を流れている、鍋や飯櫃めしびつも、ここで洗うと見えて飯粒が沈んでいる、猟犬が胡乱うろんくさい眼で自分たちを見たが、かえって人懐つかしいのか、吠えそうにもしない、一体この神河内には、一里も先にある温泉宿を除いて、小舎が二戸ある、一つは徳本峠を下りると直ぐの小舎で、二間四方の北向きに出来ている、徳本の小舎というのがそれで、放し飼の牛馬を一頭幾銭いくらという、安い賃金で、監督する男が住んでいる、川を渉って七、八町も行くと、この宮川の小舎へ出る。
 ここは自分に憶い出の多い小舎である、六年のむかし、槍ヶ岳へ上る前夜、この小舎へ山林局の役人と合宿したとき、こういう話を聞いたからで。
 飛騨の豪族、姉小路大納言良頼の子、自綱よりつなと聞えしは、飛騨一国を切り従えて、威勢ならぶものとてなかったに、天正十三年豊臣氏の臣、金森長近に攻められ、自綱は降人に出た、その子秀綱は健気けなげにも敵人に面縛するをがえんぜず、夫人や、姫や、侍婢、近侍と共に出奔した、野麦峠を越えて、信州島々谷にかかったころは、一族主従離れ離れになり、秀綱卿が波多はたへ出ようとするところを、村の人々に落人おちうどと見られて取り囲まれ、主従ここで討死をした、姫は父を失い、母にはぐれ、山路に行き暮れて、悩んでいるのを、通りがかりの杣人そまびとが案内を承るといつわり、姫を檜にいましめ、路銀を奪って去った、ややありて姫は縛を解き、鏡を木の枝にかけていうことに、鏡は女子の魂ぞ、一念宿りてつらかりし人々に思いをかえさでやと、谷底に躍り入って水屑みくずとなる、かの杣人途にて姫の衣も剥ぐべかりけりとほくそえみて木の下に戻れば、姫はあらで鏡のみ懸かれる、男ふと見れば、鏡のおもてに冷艶雪のかんばせして、恨のまなこ星の如く、はったと睨むに、男とみに死んでけり、病める夫人は谷間へ下り立ち、糧にとて携えたる梨の実を土にうずめ、一念木となりて臨終の土に生いなむ、わがつまの御運ひらかずば、とこしえにうまを結ぶことなかるべしと、ついに敢えなくなりたまう、その梨の木は、亭々として今も谿間にあれど、果は皮が厚く、渋くて喰われたものでない、秀綱卿の怨念おんねんこの世に残って、あだをしたやからは皆癩病になってもがじにに死んだため、島々には今も姫の宮だの、梨の木だのと、遺跡を祀ってあるという。
 囲炉裏にほたをさしくべ、岩魚の串刺にしたやつをあぶりながら、山林吏が、さっき捨てた土饅頭は何だね、と案内の猟師に訊ねる、旦那、ありゃ飛騨の御大名のはかで、と右の一伍一什ふしぶしをうろ覚えのままに話す、役人は、そんな由緒いわれのあるものと知ったら、何とか方法やりかたもあったものをと口惜しそうな顔をした。林道開拓のため、途に当った古墳は、破毀はきされたのである。もう今ごろは石の砕片きれっぱし、一ツなかろう、仮令よしあってもそれが墳墓であったことを、姉小路卿なる国司の在りし世を忍ばせる石であったことを、誰が知ろう、月の世界に空気なく、日本アルプスに人間もなければ、時代もないと思っていた自分は、この悲壮な、クラシックな話に、どんなに動かされたであろう、事業が消えて名が残る、名が消えて石が残る、せめて石さえ存在すれば「誰か」の「何か」であるぐらいな手繰りにはなる、人の唇よりむくわれたことばに曰く、「こんな邪魔なものほうり出せ」これで一切の結末がついた、時代は天正から明治まで垂直に下る、雲の中から覗いている万山は、例の如く冷たい。
 嘉門次が帰りそうにもないので、小舎から二、三町も行く、鳥居があって四尺ばかりのほこらを見せる、穂高神社の奥の院だという、笹を分けると宮川の池。
 明神岳の名を負うている穂高岳の下にあるから、明神の池ともいう、一ノ池、二ノ池、三ノ池と、三つの明珠をつないでいる、一ノ池から順に上の池、中の池、下の池とも言う、一ノ池が一番大きくて、二ノ池がこれに次ぐ。
 青色光の強い水が、濃厚にかさを持って、延板のべいたのように平たく澄んでいる、大岳の影が万斤の重さです、あまりしずかで、心臓ハート形の桔梗の大弁を、象嵌ぞうがんしたようだ、圧すほど水はいよいよ静まりかえって爪ほどの凸面も立てない、山が厳格な沈黙を保てば、水も粛然として唇を結んでいる、千年も万年も、この山とこの池とは二重に反対した暗示をった容貌かたちを上下に向け合っている、春の雪が解けて、池に小波立つときだけあでやかに莞爾にっこりする、秋の葉が髪の毛の脱けるように落ち出すともう真面目になる、なお見惚みとれる。
 この狭い谷の中の小さい池は、我らの全宇宙である、過去の空間に立つ山と、未来に向って走る川との間にはさまって、池はとこしえに無言でいる、自分たち二人(自分は嚮導きょうどう兼荷担ぎの若い男を伴っている)だけが確に現在である、我らはのろわれているのではないかとおもう、不安を感じないわけにはゆかない、見よ、緑の一色を除いて、生けるものの影とては、何もない、とりも啼かないから肉声も聴かない。
 白芥子しろけしの花のような日光がちらり落ちる、飛白かすりを水のおもてに織る、岩魚が寂莫を破って飛ぶ、それも瞬時で、青貝摺の水平面にかえる、水面から底まではおそらく、二、三尺位の深さであろうが、穂高岳を畳んで、延ばしたり、縮めたり、自在にする、水の底に白く透いて見えるのは、石英が沈んでいるのだ。
 二ノ池の方に廻る、池には石が座榻ざとうのように不規則に、水面に点じている、岸には淡紅の石楠花しゃくなげが水に匂う、蛇紋が掻き破られて、また岩魚が飛ぶ、石楠花の雫を吸っている魚だから、はらわたまで芳芬においに染まっていないかとおもう。
 三ノ池は一ノ他の半分ほどしかないが、木が茂って松蘿さるのおがせが、どの枝からも腐った錨綱いかりづなのようにぶら下っている、こればかりではない、葛、山紫藤やまふじ、山葡萄などの蔓は、木々の裾から纏繞まといついてみどりの葉を母木の胸にかざし、いつまでもここにいてと言わぬばかりに取り縋っている。
 夕暮になると、くだんの松蘿や、蔓は大蜘蛛の巣に化けて、おだまきの糸の中に、自分たちを葬るに違いない。

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