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ウィリアム・ウィルスン(ウィリアム・ウィルスン)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 6:37:56  点击:  切换到繁體中文


 この古びた学校のがっしりした壁に取りまかれて、私は、それでも退屈もせずいやにもならず、自分の生涯しょうがいの十歳から十五歳までの年月を過したのである。子供の豊かな頭脳というものは、それを満たしたり楽しませたりするにはなにも外界の出来事を必要としない。そして見たところ陰気なくらい単調な学校生活は、私が青年時代に奢侈しゃしによって得たよりも、あるいは壮年時代に罪悪によって得たよりも、もっと強烈な刺激に満ちていたのであった。でも、私の最初の心の発達には普通ではないものが――常軌を離れたものさえ――よほどあったということは、信じないわけにはゆかない。一般の人々にとっては、ずっと幼いころの出来事は、大きくなってからはっきりした印象を残していることがめったにないものだ。すべてが灰色の影――かすかな不規則な記憶――あわい快楽と幻のような苦痛とのおぼろげな寄せあつめ――である。私にはそうではない。子供のころ、私は、いまもなおカルタゴの賞牌メダルの銘のようにありありした、深い、長もちする線で記憶に刻みこまれているところのものを、大人のような力をもって感じたのにちがいないのだ。
 と言っても、事実は――世間の目から見れば――そこには思い出すことはなんと少ししかなかったことだろう! 朝の目覚めや、夜ごとの就寝命令、復習や、暗誦あんしょう、定期的な半休や、散歩、運動場での喧嘩けんかや、遊戯や、悪企わるだくみ、――こんな事がらが、長いあいだ忘れられていた心の妖術ようじゅつによって、あまたの感覚、かずかずの豊富な出来事、さまざまな悲喜哀楽の感情、もっとも熱情的な感動的な興奮などを味わわせてくれたのだ。“Oh, le bon temps, que ce si※(グレーブアクセント付きE小文字)cle de fer!”(おお、この草昧そうまいの時代の、楽しかりしころよ!)
 実際、私の熱情的な、熱狂的なまた横柄おうへいな気性は、間もなく自分を学友たちのなかでのきわだった人物にさせ、また少しずつ、しかし自然な順序を踏んで、自分よりはさほど年が上ではない者全部に権力をふるうようにさせてしまった。――ただし、それにはたった一人だけ例外があった。この例外というのは、なんの縁故もないのではあるが、私自身のと同じ洗礼名と姓とを持っている、一人の生徒なのであった。――このことは、事実、大して珍しいことではなかった。なぜなら、貴族の出ではあるが、私の名は、長いあいだ用いられてきた権利によってよほど昔から庶民の共有物となっているように思われる、あのごくありふれた名前の一つであったのだから。この物語では私は自分をウィリアム・ウィルスンと名づけることにしているのであるが、――これは実名とあまり違わぬ仮名なのである。学校の言葉で、「我々の仲間」と言っている者のなかで、この私の同名者だけが、あえて学科の勉強でも――運動場の競技や喧嘩でも私と競争し、――私の断言を盲目的に信ずることや、私の意志に服従することを拒み、――私の専断的な命令になんであろうと事ごとに干渉したのであった。もしこの世に最高無条件の専制政治というものがあるなら、それは一人のぬきんでた子供が、その仲間たちの気の弱い心にたいして揮う専制政治である。
 ウィルスンの反抗は、私にはこの上ない当惑の種であった。――人前では彼や彼の言い草を空威張りであしらうようにとくに気をつかったものの、内心では彼を恐れていた。また、彼が私にたやすく対等に振舞っているのは、彼のほうがほんとうは上手うわてである証拠だと思わずにはいられなかっただけ、ますます当惑の種であったのだ。だから負けまいとするためには、私は絶えず努力をしなければならなかった。だが、この彼のほうが上手であるということは――彼が私と対等であるということさえも――私自身のほかにはほんとうに誰一人として気がつかないのであった。私たちの仲間は、なにか妙な愚かさのために、そのことは疑いさえもしないらしかった。実際、彼の競争も、彼の抵抗も、ことに私の意図にたいする彼の無遠慮なしつこい干渉も、きびきびしたものというよりも、むしろ内々のものだった。また、私を駆りたてて卓越させようとする野心も、熱情的な心の力も、彼は持っていないようだった。彼の敵対は、ただ私自身を邪魔したり、驚かせたり、あるいは口惜くやしがらせたりしようとする気まぐれな欲望だけからやっているらしいと考えられた。もっとも、ときには、彼の無礼や、侮辱や、反抗のなかに、あるひどく不似合いな、たしかにひどくしゃくにさわる親切ぶかい態度をまじえるのを、私は不審と屈辱と、立腹との気持をもって認めざるをえないことがあった。この奇妙な挙動は、人を保護したり、かばったりするようないやしい態度をとりたがる、完全な虚栄心から起るのだ、としか私には考えられなかった。
 たぶん、ウィルスンの行為のこの後者の特徴が、二人の名が同じだということと、二人が同じ日にこの学校に入学したという単なる偶然の出来事と一緒になって、私たち二人が兄弟なのだという考えを、その学校の上級生の間にひろげたのであろう。上級生というものは普通は下級生のことを大して精確に詮議せんぎはしないものだ。私は前に言ったが、あるいは言うべきであったが、ウィルスンは私の一家とはどんなに遠い親族関係もなかったのである。しかし、もし私たちが兄弟であったとしたなら、たしかに二人は双生児であったにちがいない。なぜなら、ブランスビイ博士の学校を去ったのち、私は自分の同名者が一八一三年の一月十九日に生れたのであることを偶然に知ったのだ。――そしてこれはちょっと珍しい暗合であった。というのは、その日はまさしく私自身の誕生日なのであるから(7)。
 妙に思われるかもしれないが、ウィルスンが我慢ならない反抗精神で敵対して私を絶え間なしに不安にさせていたにもかかわらず、私はどうしてもまったく彼を憎むという気にはなれないのであった。たしかに二人はほとんど毎日のように喧嘩をしたが、その喧嘩では、彼は表向きは私に勝利をゆずりながらも、なにかの方法で、ほんとうに勝ったのは彼であることを私に感じさせるようにした。けれども、私の高慢と、彼の真実の威厳とは、いつも二人を「言葉をかわすくらいの間柄あいだがら」にしていたのであった。一方、二人の気質には実によく似た点がたくさんあって、それが、私に、二人がこんな立場でさえなかったら、おそらくは友情にまでなっていったかもしれないのにと思う気持を起させた。実際、彼にたいする私のほんとうの感情をはっきり定義することは、あるいはただ記述することでさえも、むずかしいのである。それは雑多な異質の混合物だった。――憎悪ぞうおというほどではない短気な怨恨えんこんもあり、尊敬の念もいくらかあるし、尊重の気持はもっと多くあり、恐れの心はよほどあり、不安な好奇心はうんとたくさんあった。倫理家には、ウィルスンと私自身とがまったく切っても切れない仲間であったということは、つけ加えて言う必要もないであろう。
 疑いもなく、二人のあいだにあるその変則的な関係が、私のウィルスンにたいするすべての攻撃(それは公然とやるのも、こっそりとやるのもどちらもたくさんあったが)を、真面目まじめなきっぱりした敵対でやるよりも、からかいか悪戯いたずら(ただふざけているように見せかけながら苦しめるのである)の方面に向けさせたのにちがいない。しかしこのことについての私の努力は、もっともうまく自分の計画を仕組んだときでさえも、決してみな成功するというわけにはゆかなかった。なぜかというと、鋭い冗談をやりながらも、ただ一つの弱みも持たず、また人から笑われることを絶対に許さない、あのたかぶらない静かな厳格さというものを、私の同名者はその性格にたくさん持っていたからである。実際、私はたった一つしか弱点を見出すことができなかった。それは、たぶん生れつきの病気からくる身体の特殊性にあるもので、私ほど知恵が尽きて他にどうにもしようがなくなった者でなければ、どんな敵手でも見のがしたものであろう。――私の競争者は咽喉のどの器官に悪いところがあって、そのためにどんなときでもごく低いささやき以上に声を高めることができなかったのだ。この欠点に私はすかさず自分の力の及ぶかぎり、大したことでもないのにつけこんだのであった。
 ウィルスンの返報は種類がさまざまであった。そしてそのなかで私をひどく苦しめた悪戯が一つあった。そんな下らないことが私を困らせるということを、どんなに利口な彼でもどうして最初にとにかく見つけたかということは、私になんとしても解けない疑問である。が、それを見つけると、彼はいつもそれで私を悩ませたのだ。私はいつも、自分の貴族的でない姓と、下品というほどではなくともごくありふれた名とを、きらっていた。その言葉を聞くと耳のなかへ毒液を注ぎこまれるようだった。そして、私がこの学校へ着いた日に、もう一人のウィリアム・ウィルスンもまたその学校へ来たとき、私は、彼がその名を持っていることに腹立たしく感じ、また、他人がその名を持っていて、その男のためにそれが二倍もくりかえして呼ばれるのを聞かなければならないだろうし、その男は常に私の前にいるだろうし、その男が学校のいつもの普通の仕事でいろいろやることは、その厭らしい暗合のために、きっとちょいちょい私自身のと混同されるにちがいないのだから、その名を二重に嫌ったのだ。
 こうして生れたいらだたしい感情は、競争者と私とが精神的にも肉体的にもよく似ていることを示すような事情が一つ一つ起るたびに、いよいよ強くなってきた。そのときは私はまだ二人が同い年であるというたいへんな事実を発見していなかった。が、二人が同じ丈であることはわかっていたし、大体の体つきや目鼻だちが奇妙に似てさえいることを認めていた。私はまた、上級生の間に流れていた、あの二人が血族関係だとかいううわさに悩まされた。とにかく、二人のあいだに心でも、体でも、あるいは身分でもの類似があるということをちょっとでも言われることほど、私をひどく苦しませることはなかったのだ(もっとも私はそういう苦痛をひた隠しに隠してはいたが)。しかし、(血族関係という事がらと、ウィルスン自身の場合とをのぞけば)この類似が学友たちの話題になったり、あるいは気づかれたりさえしたことが一度でもあった、と信ずべき理由はなに一つなかった。彼がそのことに、そのすべての方面において、また私と同じくらいはっきりと、気づいていた、ということは明らかであった。が、そういう事がらがそんなにひどく私を悩ませるということを彼が見抜いたのは、前に言ったように、まったく彼のなみなみでない眼力によるというよりほかはない。
 私を完全に模倣するための彼の手がかりは、言葉と動作との両方にあった。そして実に見事に彼はそれをやったのだった。私の服装をまねるなどはたやすいことだった。私の歩きぶりや全体の態度は苦もなくまねてしまった。生れつきの欠陥があるにもかかわらず、私の声さえも彼はのがさなかった。私の大きな声はむろん出そうとはしなかったが、調子は――そっくりだった。そして彼の奇妙なささやきは――私の声の反響そのままになってきた


 

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