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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:27:57  点击:  切换到繁體中文


        三十三

 其の晩に脱出ぬけだして、の早四郎という宿屋の忰が、馬子まご久藏きゅうぞうという者の処へ訪ねて参り、
早「おい、トン/\/\久藏ねぶったかな、トン/\/\眠ったかえ。トン/\/\」
 余りひどく表をたゝくから、側の馬小屋につないでありました馬が驚いて、ヒイーン、バタ/\/\と羽目をる。
早「あれまア、馬めえ暴れやアがる、久藏ねぶったかえ……あれまア締りのねえ戸だ、叩いてるより開けてへいる方がい、よっぱれえになって仰向あおむけにぶっくりけえってそべっていやアがる、おゝ/\顔にあぶ附着くッついて居るのに痛くねえか、おきろ/\」
久「あはー……ねぶったいに、まどうもアハー(あくび)むにゃ/\/\、や、こりゃア甲州屋の早四郎か、大層ていそう遅く来たなア」
早「うん、少し相談ちに来たアだから目えさませや」
久「今日は沓掛くつがけまで行って峠え越して、帰りに友達に逢って、坂本さかもと宿しゅくはずれで一盃いっぺいやって、よっぱれえになってけえって来たが、むま下湯そゝゆつかわねえで転輾ぶっくりけえって寝ちまった、ねむたくってなんねえ、何だって今時分出掛けて来た」
早「ま、眼えさませや、覚せてえに」
久「アハー」
早「でけ欠伸あくびいするなア」
久「何だ」
早「他のことでもねえが、此間こねえだわれがに話をしたが、おらうちの客人が病気になって、娘子あまっこが一人附いているだ、女子おなごよ」
久「話い聞いたっけ、女子おなごで、われがねらってるって、それが何うしただ」
早「そのつれの病人が死んだだ」
久「フーム気の毒だのう」
早「ついてはあまおらの嫁に貰えてえと思って、段々手なずけた処が、当人もまんざらでもえようで、謎をかけるだ、此の病人が死んでしまえば、行処ゆきどころもねえ心細い身の上でございますと云うから、親父に話をした処が、親父は慾張ってるから其様そんな者を貰って何うすると、とんと相手になんねえから、われおらア親父に会って話をって、あまを貰うようにしちゃアくんめえか」
久「うさなア、どうもこれはおめいとことっさまという人は中々道楽をぶって、他人ひとのいう事アかねえ人だよ、此のめえ荷い馬へ打積ぶっつんで、おめえとこ居先みせさき[#「居先」は「店先」の誤記か]で話をしていると、父さまがはえぐち駄荷だにい置いて気の利かねえ馬方むまかただって、突転つッころばして打転ぶっころばされたが、中々強い人で、話いしたところが父さまの気に入らねえば駄目だよ、アハー」
早「欠伸い止せよ……これは少しだがの、われえ何ぞ買って来るだが、夜更よふけで何にもねえから、此銭これ一盃いっぺい飲んでくんろ」
久「気の毒だのう、こんなに差しつるべたのを一本くれたか、気の毒だな、こんなに心配しんぺいされちゃア済まねえ、此間こねえだあの馬十ばじゅうに聞いたゞが、どうも全体ぜんてえ父さまが宜くねえ、息子が今これさかんで、丁度嫁をってい時分だに、男振も何処どこからでも嫁は来るだが、何故嫁を娶ってくれねえかと、父さまを悪く云って、おめえの方をみんめている、男がいから女の方から来るだろう」
早「来るだろうって……どうも……親父が相談ぶたねえから駄目だ」
久「相談ぶたねえからって、おめえは男がいからむすめ引張込ひっぱりこんで、優しげに話をして、色事になっちまえ、色事になって何処どこかへ突走つッぱしれ……おらうちへ逃げてう、其の上で己が行って、父さまに会ってよ、お前も気に入るめえが、わけえ同志で斯ういう訳になって、女子おなごを連れて己の家へ来て見れば、家もおさまらねえ訳で、是もさきの世に定まった縁だと思って、あんまやかましく云わねえで、己が媒妁なこうどをするから、あれ※(「女+息」、第4水準2-5-70)よめっこにしてってくんろえ、家に置くのがいやだなら、別に世帯しょたいを持たしてもいじゃアねえかという話になれば、仕方がねえと親父も諦めべえ、色事になれや」
早「成れたって……成る手がゝりがねえ」
久「女に何とか云って見ろ」
早「が悪くって云えねえ、客人だから、それに真面目な人だ、おらが座敷へへいると起上って、誠に長く厄介になって、お前には分けて世話になって、はア気の毒だなんて、中々おさむらえさんの娘だけにおっかねえように、凛々りゝしい人だよ」
久「口で云いにくければふみを書いてやれ、文をよ、たもとの中へ放り込むとか、枕の間へはさむとかして置けい、娘子あまっこが読んで見て、宿屋の息子さんがういう心なれば嬉しいじゃアないか、どうせ行処ゆきどこがないから、の人と夫婦になりてえと、先方さきで望んでいたら何うする」
早「何だか知んねえが、それはむずかしそうだ」
久「そんな事を云わずにやって見ろ」
早「ところがわしふみいた事がねえから、われ書いてくんろ、汝は鎮守様の地口行灯じぐちあんどうこしれえたがうめえよ、それ何とかいう地口が有ったっけ、そう/\、案山子かゝしのところに何かるのよ」
久「うよ、おらがやったっけ、何かおれえ……然うさ通常たゞの文をやっても、これ面白くねえから、何かづくもんでやりてえもんだなア」
早「尽し文てえのは」
久「尽しもんてえのは、ま花の時なれば花尽しよ、それからま山尽しだとか、獣類尽けだものづくしだとかいう尽しもんでりてえなア」
早「それアいな、何ういう塩梅あんべいに」
久「今時だからどうだえ虫尽しかなんかでやればいな」
早「一つこしれえてくんろよ」
久「紙があるけえ」
早「紙は持っている」
久「其処そこに帳面を付ける矢立のでけえのがあるから、茶でもたらして書けよ、まだ茶ア汲んで上げねえが、其処に茶碗があるから勝手に汲んで飲めよ、虫尽しだな、その女子おなごが此のふみを見て、あゝ斯ういう文句をこしらえる人かえ、それじゃアと惚れるように書かねえばなんねえな」
早「だから何ういう塩梅あんべいだ」
久「ま其処へ一つおぼえと書け」
早「覚……おかしいな」
久「おかしい事があるものか、覚えさせるのだから、一つ虫尽しにて書記かきしるまいらせそろ[#「まいらせそろ」の草書体、344-6]よ」
早「ひとつ虫尽しにて書記かきしるし※[#「まいらせそろ」の草書体、344-6]
久「えゝ女子おんな綺麗きれえな所を見せなくちゃアなんねえ……綺麗な虫は……ア玉虫がい、女の美しいのを女郎屋じょろやなどではい玉だてえから、玉虫のようなお前様をと目見るより、いなご、ばったではないが、とびっかえるほどに思いそうろうと書け」
早「成程いなご、ばったではないが、飛っかえるように思いそろ
久「親父のやかましいところを入れてえな、親父はガチャ/″\虫にてやかましく、と」
早「成程……やかましく」
久「お前のそばに芋虫のごろ/″\してはいられねえが、えゝ……簑虫みのむし草鞋虫わらじむし穿き、と」
早「何の事だえ」
久「われが野らへ行く時にア、簑を着たり草鞋を穿いたりするだから」
早「成程……草鞋虫を穿きい」
久「かまぎっちょを腰に差し、野らへ出てもお前様の事は片時忘れるしま蛇もなく」
早「成程……しま蛇もなく」
久「えゝ、お前様の姿が赤蜻蛉あかとんぼの眼の先へちら/\いたしそろ
早「何ういう訳だ」
久「蜻蛉とんぼうの出る時分に野良のらへ出て見ろ、赤蜻蛉あかとんぼ彼方あっちったり此方こっちへ往ったり、目まぐらしくって歩けねえからよ」
早「成程……ちら/\いたしそろ
久「えゝと、待てよ……お前と夫婦みょうとになるなれば、わしは表で馬追むまおい虫、お前は内で機織虫はたおりむしよ」
早「成程……わしうまいて、女子おなごが機を織るだな」

久「えゝ…股へひるの吸付いたと同様お前の側を離れ申さずそろ、と情合じょうあいだから書けよ」
早「成程……お前の側を離れ申さずそろか、成程情合だね」
久「えゝ、あぶ馬蠅むまばえ屁放虫へっぴりむし
早「虻蚊馬蠅屁放虫」
久「取着かれたら因果、晩げえわしを松虫なら」
早「……晩げえわしを松虫なら」
久「藪蚊やぶかのように寝床まで飛んでめえり」
早「藪蚊のように寝床まで飛んでめえり」
久「直様すぐさま思いのうおっぱらそろ巴蛇あおだいしょうの長文句蠅々はい/\[#かしく」の草書体、345-9]
早「成程りゃアいなア」
久「これじゃア屹度きっと女子おなごがおめえに惚れるだ、これを知れねえようにたもとの中へでもほうり込むだよ」
 と云われ、早四郎は馬鹿な奴ですから、右の手紙を書いて貰ってうちへ帰り、そっとお竹の袂へ投込なげこんで置きましたが、開けて見たって色文いろぶみと思う気遣きづかいはない。翌朝よくあさになりますと宿屋の主人あるじが、
五「お早うございます」
竹「はい、昨夜は段々有難う」
五「えゝ段々お疲れさま……続いてお淋しい事でございましょう」
竹「有難う」
五「えゝ、お嬢さん、誠に一国いっこくな事を申すようですが、わたくしは一体斯ういう正直な性質うまれつきで、私どもはこれ本陣だとか脇本陣だとか名の有る宿屋ではございませんで、ほんの木賃宿の毛の生えた半旅籠同様で、あなた方が泊ったところが、さしてお荷物も無し、お連の男衆は御亭主かお兄様あにいさまか存じませんが、お死去かくれになってあなた一人残り、一人旅はごくやかましゅうございまして、え、横川よこかわの関所のとこも貴方はお手形が有りましょう、越えて入らっしゃいましたから、私どもでも安心はして居りますが、何しろ御病気の中だから、毎朝宿賃を頂戴いたす筈ですが、それも御遠慮申して、医者の薬礼お買物の立替え、何ややの御勘定ごかんじょうが余程たまって居ります、それも長旅の事で、無いと仰しゃれば仕方が無いから、へえと云うだけの事で、宿屋も一晩泊れば安いもので、長く泊れば此んな高いものはありません、ついては一国なことを申すようですが、泊って入らっしゃるよりお立ちになった方がお徳だろうし、私も其の方が仕合せで、どうか一先ひとまず立って戴きたいもので」
竹「はい、わたくしはさっぱり何事も家来どもに任して置きました内に病気附きましたので、つい宿賃も差上げることを失念致した理由わけでもございませんが、病人にかまけて大きに遅うなりました、さぞかし御心配で、胡乱うろんの者と思召おぼしめすかは知りませんが、宿賃ぐらいな金子は有るかも知れません、じきに出立いたしますから、早々御勘定ごかんじょうをして下さい、の位あればいか取って下さいまし」
 とお屋敷育ちで可なりの高を取りました人のお嬢さんで、宿屋の亭主風情ふぜいに見くびられたと思っての腹立ちか、懐中からずる/″\と納戸縮緬なんどちりめんの少し汚れた胴巻を取出し、汚れた紙に包んだかたまりを見ると、おおよそ七八十両も有りはしないかと思うくらいな大きさだから、五平は驚きました。泊った時の身装みなりも余りくなし、さして、着換きがえの着物もないようでありました、是れは忠平が、年のいかない娘を連れて歩くのだから、目立たんようにわざと汚れた衣類に致しまして、旅※たびやつ[#「宀/婁」、347-6]れの姿で、町人ていにして泊り込みましたので、五平は案外ですから驚きました。
竹「どうか此の位あれば大概払いは出来ようかと思いますが、書付を持って来て下さい」
 と云われたので、流石さすがの五平も少し気の毒になりましたが、
五「はい/\、えゝ、お嬢さま、誠にわたくしはどうも申訳のない事をいたしました、あなた御立腹でございましょうが、あなたを私が見くびった訳でもなんでもない、実はその貴方におかゝりのかゝらんように種々いろ/\と心配致しまして、馬子や舁夫かごかきを雇いましても宿屋の方で値切って、なるたけやすくいたさせるのが宿屋の亭主の当然あたりまえでへえ見下げたと思召おぼしめしては恐入ります、只今御勘定を致します、へい/\どうぞ御免なすって」
 と帳場へまいりまして、
五「あゝ大層金子かねを持っている、あれは何者か知らん」
 としばらくお竹の身の上を考えて居りましたが、別に考えも附きません。医者の薬礼から旅籠料、何ややを残らず書付にいたして持って来ましたが、一ヶ月居ったところで僅かな事でございます。お竹は例の胴巻から金を出して勘定をいたし、そこ/\手廻りを取片附け、明日あすは早く立とうと舁夫かごやや何かを頼んで置きました。其の晩にそっと例の早四郎が忍んで来まして、
早「お客さん……お客さん……ねぶったかね、お客さん眠ったかね」
竹「はい、何方どなた
早「へえわしでがすよ」
竹「おや/\御子息さん、さ此方こちらへ……まだねむりはいたしませんが、蚊帳かやの中へ入りましたよ」
早「えゝさぞまア力に思う人がおっんで、あんたはさみしかろうと思ってね、わしも誠に案じられて心配しんぺえしてえますよ」
竹「段々お前さんのお世話になって、なんぞお礼がしたいと思ってもお礼をする事も出来ません」
早「先刻さっき親父がとけ貴方あんたが金え包んで種々いろ/\厄介になってるからって、別にわしが方へも金をくれたが、そんなに心配しんぺいしねえでもえ、何も金が貰いてえって世話アしたんでねえから」
竹「それはお前の御親切は存じて居ります誠に有難う」
早「あのー昨夜よんべねえ、わし貴方あんたたもとの中へ打投ぶっぽり込んだものを貴方ひらいて見たかねえ」
竹「何を…お前さんが…」
早「あんたの袂のなけえたものをわしほうり込んだ事があるだ」
竹「何様どんな書いたもの」
早「何様どんなたって、丹誠して心のたけを書いただが、あんたの袂に書いたものが有ったんべい」
竹「私は少しも知らないので、何か無駄書むだがき流行唄はやりうたかと思いましたから、丸めて打棄うっちゃってしまいました」
早「あれ駄目だね、流行唄じゃアねえ、づくしもんだよ、艶書いろぶみだよ、丸めて打棄っては仕様がねえ、人が種々いろ/\丹誠したのによ」
 と大きに失望をいたしてふさいでいます。

        三十四

 お竹は漸々よう/\に其の様子を察して、可笑おかしゅうは思いましたが、また気の毒でもありますからにっこり笑って、
竹「それは誠にお気の毒な事をしましたね」
早「お気の毒ったって、まア困ったな、どうもわしはな……実アな、まア貴方あんたも斯うやって独身ひとりで跡へ残ってさびしかろうと思い私も独身ひとりみでいるもんだから、友達がわれえ早く女房を貰ったらかろうなんてってなぶられるだ、それにいては優気やさしげなお嬢さんは、身寄頼りもねえ人だから、病人が死なばおらがの女房に貰いてえと友達にしゃべっただ、馬十ばじゅうてえ奴と久藏てえ奴が、ぱっ/\と此れを方々ほう/″\へ触れたんだから、たちま宿中しゅくじゅうへ広まっただね」
竹「そんな事お前さん云立いいたてをしておくれじゃア誠に困ります」
早「困るたってわしもしたくねえが、冗談を云ったのが広まったのだから、今じゃア是非ともおめえさんを私の女房にしねえば、世間へてえして顔向が出来ねえから、友達に話をしたら、親父がやかましくって仕様がねえけんども、貴方あんたおれおかしな仲になっちまえば、友達が何うでも話をして、親父に得心のうさせる、どうせ親父は年いってるから先へおっんでしまう、うすれば此のうちみんな己のもんだ、貴方が私の女房に成ってくれゝば、誠に嬉しいだが、今夜同志に此の座敷でねぶってもかんべえ」
竹「しからん事をお云いだね、お前はま私を何だとお思いだ、優しいことを云っていればい気になって、お前私が此処こゝへ泊っていれば、うちの客じゃアないか、其の客に対して宿屋の忰がんな無礼なことを云って済みますか、浪人して今は見る影もない尾羽打枯おはうちからした身の上でも、お前たちのようなはしたない下郎げろうを亭主に持つような身の上ではありません、無礼なことをお云いでない、彼方あっちへ行きなさい」
早「魂消たまげたね……下郎え……此の狸女たぬきあまめ……そんだらえ、そうお前の方で云やア是まで親父の眼顔めかおを忍んで銭を使って、おめえの死んだ仏の事を丹誠した、またつくしものを書いて貰うにも四百しひゃくと五百の銭を持ってって書いて貰ったわけだ、それを下郎だ、身分が違うと云えば、わしも是までになって、あんたに其んなことを云われゝば友達へ顔向が出来ねえから、意気張いきはりずくになりゃアかたき同志だ、可愛さ余って憎さが百倍、お前のけえりを待伏まちぶせして、跡をおっかけて鉄砲で打殺ぶッころす気になった時には、とても仕様がねえ、うなったら是までの命だと諦めてくんろ」
竹「あらまア、そんな事を云って困るじゃアないか、敵同志だの鉄砲でつのと云って」
早「わしは下郎さ、おまえはおさむれえむすめだろう、しか口穢くちぎたなく云われゝば、私だって快くねえから、遺恨に思っておめえを鉄砲で打殺ぶちころす心になったら何うするだえ」
竹「困るね、だけども私はお前に身を任せる事は何うしても出来ない身分だもの」
早「出来ないたって、病人が死んでしまえば便りのない者で困るというから、うちへ置くべいと思って、人に話をしたのが始まりだよ、どうも話が出来ねえば出来ねえでいから覚悟をしろ、親父がやかましくってうちにいたって駄目だから、やるだけの事をやっちまう、棒鼻ぼうばなあたりへ待伏せて鉄砲でってしまうからう思いなせえ」
竹「まアお待ちなさい」
 と止めましたのは、此様こんな馬鹿な奴にっては仕様がない、鉄砲でちかねない奴なれど、かゝる下郎に身を任せる事は勿論出来ず、しかし世に馬鹿程怖い者はありませんから、是はだますにくはない、今のうちは心をなだめて、ほとぼりのけた時分に立とうと心を決しました。
竹「あの斯うしておくれな私のようなものをそれ程思ってくれて、誠に嬉しいけれども、考えても御覧、たとえ家来でも、あゝやって死去なくなってまだ七日もたん内に、仏へ対して其んな事の出来るものでもないじゃアないか」
早「うん、それはうだね、七日の間は陰服いんぷくと云って田舎などではえらやかましくって、蜻蛉一つ鳥一つ捕ることが出来ねえ訳だから、然ういう事がある」
竹「だからさ七日でも済めば、親御も得心のうえでお話になるまいものでもないから、今夜だけの処は帰っておくれ」
早「うおまえが得心なれば帰る、田舎の女子おなごのようにぐ挨拶をする訳にはくめえが、お前のようにいやだというから腹ア立っただい、そんなら七日が済んで、七日の晩げえに来るから、其の積りで得心して下さいよ」
 とにこ/\して、自分一人承知して帰ってしまいました。斯様かような始末ですからお竹は翌朝よくあさ立つことが出来ません、既に頼んで置いた舁夫かごかきも何も断って、荷物も他所わきへ隠してしまいました。主人の五平は、
五「お早うございます、お嬢さま、えゝ只今洪願寺の和尚様が前をお通りになりましたから、今日お立ちになると申しましたら、和尚様の言いなさるには、それはなさけない事だ、遠い国へ来て、御兄弟だか御親類だか知らないが、死人を葬りぱなしにしてお立ちなさるのは情ない、せめて七日の逮夜たいやでも済ましてお立ちになったらかろうに、余りと云えば情ない、それでは仏もうかまれまいとおっしゃるから、わしも気になってまいりました、長くいらっしゃったお客様だ、何は無くとも精進物で御膳でもこしらえ、へゝゝゝ、うちへ働きにまいります媼達ばゞあたちへおまんまア喰わして、和尚様を呼んで、お経でも上げてお寺めえりでもして、それから貴方あなた七日を済まして立って下されば、わたくしも誠にこゝろようございます、また貴方様も仏様のおためにもなりましょうから、どうか七日を済ましてお立ちを」
竹「成程わたくしも其の辺は少しも心附きませんでした、大きに左様で、それじゃア御厄介ついでに七日まで置いて下さいますか」
 というので七日の間泊ることになりました。他に用は無いから、毎日洪願寺へまいり、夜は回向えこうをしては寝ます。よいうちに早四郎が来て種々いろ/\なことをいう。いやだが仕方がないからだまかしては帰してしまう。七日まで/\と云い延べているうちに早く六日経ちました。丁度六日目に美濃の南泉寺なんせんじ末寺まつじで、谷中の随応山ずいおうざん南泉寺の徒弟で、名を宗達そうたつと申し、十六才の時に京都の東福寺とうふくじへまいり、修業をして段々行脚あんぎゃをして、美濃路あたりへ廻って帰って来たので、まだ年は三十四五にて色白にして大柄で、眉毛のふっさりと濃い、鼻筋の通りました品のい、鼠無地に麻の衣を着、鼠の頭陀ずだを掛け、白の甲掛脚半こうがけきゃはん網代あじろの深い三度笠を手に提げ、小さな鋼鉄くろがねの如意を持ちまして隣座敷へ泊った和尚様が、お湯に入り、夕飯ゆうはんべてりますと、禅宗坊主だからちゃんと勤めだけの看経かんきんを致し、それから平生へいぜい信心をいたす神さまを拝んでいる。何と思ったかお竹はふすまを開けて、
竹「御免なさいまし」
僧「はい、何方どなたじゃ」
竹「わたくしはお相宿あいやどになりまして、き隣に居りますが、あなた様は最前おつきの御様子で」
僧「はい、お隣座敷へ泊ってな、坊主は経をむのが役で、おやかましいことですが、夜更よふけまで誦みはいたしません、貴方も先刻さっきから御回向をしていらっしったな」
竹「わたくしは長らく泊って居りますが、供の者が死去なくなりまして、此の宿外しゅくはずれのお寺へ葬りました、今日こんにちは丁度七日の逮夜に当ります、幸いお泊り合せの御出家様をお見掛け申して御回向を願いたく存じます」
僧「はい/\、いや/\それはお気の毒な話ですな、うん/\成程此の宿屋に泊って居るうちわずろうてお供さんが…おう/\それはお心細いことで、此の村方へ御送葬ごそう/\になりましたかえ、それは御看経ごかんきんをいたしましょう、お頼みはなくとも知ればいたす訳で、何処どこへ参りますか」
竹「はい、こゝに机がありまして、戒名もございます」
僧「あゝ成程左様ならば」
 と是から衣を着換え、袈裟けさを掛けて隣座敷へまいり、机の前へ直りますと、新しい位牌があります、白木の小さいので戒名が書いてあります。
僧「あゝ、是ですか、えゝ、むう八月廿四にお死去かくれになったな、うむ、お気の毒な事で南無阿弥陀仏々々々々々々、宜しい、えゝ、お線香はわしが別にいのを持って居りますから、これをきましょう」
 と頭陀ずたの中から結構な香を取出し、火入ひいれの中へ入れまして、是から香を薫き始め、禅宗の和尚様の事だから、ねんごろに御回向がありまして、
僧「えゝ、お戒名は如何いかさまいお戒名で、うゝ光岸浄達信士こうがんじょうたつしんし
竹「えゝ、是は只心ばかりで、おねんごろの御回向を戴きまして、ほんのお布施で」
僧「いや多分に貴方、旅の事だから布施物ふせもつを出さんでも宜しい、それやア一文ずつ貰って歩く旅僧たびそうですから、一文でも二文でも御回向をいたすのは当然あたりまえで、しかし布施のない経は功徳にならんと云うから、これは戴きます、左様ならばわしは旅疲れゆえぐに寝ます、ま御免なさい」
 と立ちかけるをめて、
竹「あなた少々お願いがございます」
僧「はい、なんじゃな」
 と又すわる。お竹はもじ/\して居りましたが、やがて、
竹「おつな事を申上げるようでございますが、当家の忰がわたくしを女とあなどりまして、毎晩私の寝床へまいって、しからん事を申しかけまして、し云うことをかなければ殺してしまうの、鉄砲で打つのと申します、馬鹿な奴と存じますから、私もい加減に致して、七日でも済んだら心に従うと云い延べて置きましたが、今晩が丁度七日の逮夜で、明朝みょうあさ早く此の宿やどを立とうと存じますから、屹度きっと今晩まいって兎や角申し、又理不尽な事を致すまいものでもあるまいと存じますで、誠に困りますが、幸い隣へお相宿になりましたから、事に寄ると私が貴方の方へ逃込んでまいりますかも知れません、其の時には何卒どうぞお助け遊ばして下さるように」
僧「いや、それはしからん、それは飛んだ事じゃわしにお知らせなさい、押えて宿の主人あるじを呼んで談じます、ういう事はない、自分のうちの客人に対して、女旅とあなどり、恋慕れんぼを仕掛けるとはもってのほかの事じゃ、実に馬鹿程怖い者はない、宜しい/\、来たらお知らせなさい」
竹「何卒どうか願います」
 と少しいきどおった気味で受合いましたから、大きにお竹も力に思って、床をってふせりました、和尚さまは枕にくと其の儘旅疲れと見え、ぐう/\と高鼾たかいびきで正体なく寝てしまいました。お竹は鼾の音が耳に附いて、どうもられません、夜半よなかそっと起きて便所ようばへまいり、三尺のひらきを開けて手を洗いながら庭を見ると、生垣いけがきになっている外は片方かた/\は畠で片方は一杯の草原くさはらで、村の人が通るほんの百姓道でございます。秋のことだから尾花おばなはぎ女郎花おみなえしのような草花が咲き、露が一杯に下りて居ります。秋の景色は誠に淋しいもので、裏手は碓氷の根方ねがたでございますから小山こやま続きになって居ります。所々ところ/\ちら/\と農家の灯火あかりが見えます、追々戸を締めてた処もある様子。お竹が心のうちで。向うにかすかに見えるあの森は洪願寺様であるが、彼処あすこへ葬り放しで此処こゝを立つのは不本意とは存じながら、長く泊っていれば、宿屋の忰が来て無理無体に恋慕を云い掛けられるのもいやな事であると、庭の処から洪願寺の森を見ますと、生垣の外にぬうと立っている人があります。男か女か分りませんが、しきりと手を出しておいで/\をしてお竹を招く様子、腰をかゞめて辞儀をいたし、また立上って手招ぎをいたします。
竹「はてな、私を手招ぎをして呼ぶ人はない訳だが……男の様子だな、事によったらかたきの手係りが知れて、人に知れんようにおとゝが忍んで私に会いに来たことか、それとも屋敷から内々ない/\音信たよりでもあった事か」
 と思わずつまを取りまして、其処そこに有合せた庭草履を穿いての生垣の処へ出て見ると、十間ばかり先の草原くさばらに立って居りまして、頻りと招く様子ゆえお竹は、はてな……と怪しみながら又跡を慕ってまいりますと、又男があと退さがって手招きをするので、思わず知らずお竹は畠続きに洪願寺の墓場まで参りますと、新墓しんばかには光岸浄達信士という卒塔婆そとばが立ってしきみあがって、茶碗に手向たむけの水がありますから、あゝ私ゃア何うして此処こゝまで来たことか、私の事を案じて忠平が迷って私を救い出すことか、ひょっとしたら私が気を落している所へ附込んで、きつねたぬきばかすのではないか、もし化されて此様こんな処へ来やアしないかと、茫然として墓場へ立止って居りました。

        三十五

 此方こなたは例の早四郎が待ちに待った今宵こよいと、人の寝静ねしずまるをうかごうてお竹の座敷へやって参り、
早「ねぶったかね/\、お客さん眠ったかえ……居ねえか……約束だから来ただ、※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)かやの中へひえってもいかえひえるよ、入っても宜いかえ」
 と理不尽に※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)かやまくって中へ入り。
早「ねぶったか……あれやア居ねえわ、何処どけえ行っただな、わしが来る事を知っているから逃げたか、それとも小便垂れえ行ったかな、ア小便垂れえ行ったんだ、逃げたって女一人で淋しい道中は出来ねえからな、わしア此の床の中へひえって頭から掻巻けえまきかぶって、ウフヽヽつくなんでると、女子おなごは知んねえからこけえ来る、中へおひえんなさいましと云ったところで、男が先へひえっていりゃアを悪がってひえれめえから、ちっさくなってると、誰もいねえと思ってすっとひえって来ると、おらアこゝにいたよって手をつかめえて引入れると、おめえ来ねえかと思ったよ、なに己ア本当に是まで苦労をしたゞもの、だからなけひえるがい、ひえってもいかえと引張込ふっぱりこめば、其の心があってもだ年い行かないから間を悪がるだ、屹度きっとうだ、こりゃア息いこらしてねぶった真似えしてくれべえ」
 と止せばいのに早四郎はお竹の寝床の中で息をこらして居りました。しばらつとそっ抜足ぬきあしをして廊下をみしり/\と来る者があります。古いうちだからどんなに密と歩いても足音が聞えます、早四郎は床の内で来たなと思っていますと、密と障子を開け、スウー。早四郎は障子を開けたなと思っていますと、ぷつり/\と、吊ってありました※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)かや吊手つりてを切落し、寝ている上へフワリと乗ったようだから、
早「何だこれははてな」
 と考えて居りますと、片方かたっぽでは片手でさぐり、此処こゝあたり喉笛のどぶえと思う処を探り当てゝ、懐から取出したぎらつく刄物を、逆手さかてに取って、ウヽーンと上から力に任せて頸窩骨ぼんのくぼ突込つッこんだ。
早「あゝ」
 と悲鳴を上げるのを、ウヽーンと※(「宛+りっとう」、第4水準2-3-26)えぐりました。苦しいから足をばた/\やる拍子にふすまが外れたので、和尚が眼を覚して、
僧「はゝ、夜這よばいが来たな」
 と思いましたから起きて来て見ると、灯火あかりが消えている。
僧「困ったな」
 とあわてゝ手探りに枕元にある小さな鋼鉄くろがね如意にょいを取ってすかして見ると、判然はっきりは分りませんが、頬被ほうかぶりをした奴が上へしかゝっている様子。
僧「泥坊」
 と声をかける大喝一声だいかついっせい、ピイーンと曲者のきもへ響きます。
曲者「あっ」
 と云って逃げにかゝる所へ如意で打ってかゝったからたまらんと存じまして、刄物で切ってかゝるのを、たんすわった坊さんだから少しも驚かず、刄物の光が眼の先へ見えたから引外ひっぱずし、如意で刄物を打落し、猿臂えんぴのばして逆におさえ付け、片膝を曲者の脊中へ乗掛のっかけ、
僧「やい太い奴だ、これかりそめにも旅籠はたごを取れば客だぞ、其の客へ対して恋慕を仕掛けるのみならず、刄物などを以て脅して情慾をげんとは不埓至極の奴だ、これ宿屋の亭主は居らんか、灯火あかりを早く……」
 という処へ帰って来ましたのはお竹で。
竹「おや何で」
僧「む、お怪我はないか」
竹「はい、わたくしは怪我はございませんが、何でございます」
僧「恋慕を仕掛けた宿屋の忰が、刄物を持って来て貴方に迫り、わっという声に驚いて眼をさまして来ました、早く灯火あかりを……廊下へ出れば手水場ちょうずばに灯火がある」
 といううち雇婆やといばあさんが火をとぼして来ましたから、見ると大の男が乗掛のッかゝってとこが血みどりになって居ります。
僧「此奴こいつかぶものれ」
 と被っている手拭を取ると、早四郎ではありませんで、此処こゝ主人あるじ胡麻塩交ごましおまじりのぶっつり切ったようなまげ髪先はけさきちらばった天窓あたまで、お竹の無事な姿を見て、えゝと驚いてしかみつらをして居ります。
僧「お前は此の宿屋の亭主か」
五「はい」
竹「何うしてお前は刄物を持って私の部屋へ来て此様こんな事をおしだか」
五「はい/\」
 とお竹に向って、
五「あ…貴方はお達者でいらっしゃいますか、そうして此の床の中には誰がいますの」
 と布団を引剥ひっぱいで見ますと、今年二十五になります現在おのれの実子早四郎が俯伏うつぷしになり、のりに染って息が絶えているのを見ますと、五平は驚いたのなんのではございません、真蒼まっさおになって、
五「あゝ是は忰でございます、わしの忰が何うして此の床の中に居りましたろう」
僧「何うして居たもないものだ、お前が殺して置きながら、お前はまア此者これような悪い事をしたか知らんが、本当の子か、仮令たとえ義理の子でも無闇に殺して済む理由わけではない、何ういう理由じゃ」
五「はい/\、お嬢さま、あなたは今晩こゝにお休みはございませんのですか」
竹「私はこゝに寝ていたのだが、不図ふと起きて洪願寺様へ墓参りに行って、今帰って来ましたので」
五「何うして忰が此処こゝへ参って居りましたろう」
僧「いや、お前の忰は此のねえさんのとこへ毎晩来てしからんことを云掛け、云う事をきかんければ、鉄砲で打つの、刄物で斬るのと云うので、娘さんも誠に困ってわしへお頼みじゃ、娘さんが墓参りに行ったあとへお前の子息むすこが来て、床の中に入ってるとも知らずお前が殺したのじゃ」
五「へえ、あゝー、お嬢さま真平まっぴら御免なすって下さいまし、実は悪い事は出来ないもんでございます、たちまちのうちに悪事が我子わがこに報いました、斯う覿面てきめんばちの当るというのは実に恐ろしい事でございます、わたくしは他に子供はございません、此様こん[#「此様こんの」は「此様こんな」の誤記か]田舎育ちの野郎でも、たっ一粒者ひとつぶものでございます、人間は馬鹿でございますが、私の死水しにみずを取る奴ゆえ、母がなくなりましてから私の丹誠で是までにした唯た一人の忰を殺すというのは、みんな私の心の迷い、強慾非道の罰でございます」
僧「土台呆れた話じゃが、何ういう訳でお前は我子を殺した」
五「はい、申上げにくい事でございますが、此の甲州屋も二十年前までは可なりな宿屋でございました処が、わたくしは年をりましても、酒や博奕ばくちが好きでございまして、身代を遂に痛め、此者これの母も苦労して亡りました、斯うやって表をはっては居りますが、実は苦しい身代でございます、ところが此のお嬢様が先達せんだって宿賃をお払いなさる時に、懐から出した胴巻には、金が七八十両あろうと見た時は、面皰にきびの出る程欲しくなりました、あゝ此の金があったら又一山ひとやまおこして取附く事もあろうかと存じまして、無理に七日までお泊め申しましたが、愈々いよ/\明日みょうにちお立ちと聞きましたゆえ、思い切って今晩そっと此のお嬢様を殺して金をろうとたくみました、死骸は田圃伝えに背負出しょいだして、墓場へ人知れず埋めてしまえば、誰にも知れる気遣きづかいないと存じまして、忍んで参りました、道ならぬ事をいたした悪事は、たちまち報い、一人の忰を殺しますとは此の上もない業曝ごうさらしで、実に悪い事は出来ないと知りました、わたくしう五十九でございます、お嬢さま何とも申し訳がございませんから、私は死んでしまい、貴方に申訳をいたします」
 と云切るが早いか、出刄庖丁を取って我がのどに突立てんとするから、
僧「あゝ暫く待ちなさい、まア待ちなさい、お前がこれ死んだからって言訳が立つじゃアなし、命を棄てたって何の足しにもなりゃアせん、嬢さんの御迷惑にこそなれ、いか先非せんぴを悔い、あゝ悪い事をした、たった一人の子を殺したお前の心の苦しみというものは一通りならん事じゃ、是もみなばちだ、一念の迷いから我子を殺し、其の心の苦しみを受け、一旦の懺悔ざんげによって其の罪は消えている、見なさいお嬢様の一命は助かり、お前の子はお嬢様の身代りになったんじゃ、誠に気の毒なは此の息子さん、嬢さん何事も此の息子さんに免じてお前さんも堪弁かんべんなさい、何日いつまでもあだに思っているとかえってお前さんの死んだ御家来さんの為にもならん、いか、又御亭主は客に対して無礼をしたとか、道楽をして棄置すておかれん、親に苦労をかけてたまらんから殺しましたと云って尋常に八州へ名告なのって出なさい、なれども一人の子をわたくしに殺すのは悪い事じゃから髪の毛を切って役所へ持ってけば、是には何か能々よく/\の訳があって殺したというかどで、お前さんにひどく難儀もかゝるまいと思う、うして出家をげ、息子さんの為に四国西国を遍歴して、其の罪滅つみほろぼしをせんければ、ても尋常なみの人に成れんぞ」
五「はい/\」
僧「是から陰徳を施し、善事を行うが肝心、今までの悪業を消すは陰徳を積むより他に道はないぞ」
五「有難うございます」
僧「あゝ何うも気の毒な事じゃなア、お嬢さん」

        三十六

 お竹は不思議な事と心の内で忠平の霊に回向をしながら、
竹「ま、わたくしは助かりましたが、誠に思い掛けない事で」
僧「いや/\世間は無常のもので、実に夢幻泡沫でじつなきものと云って、実はまことに無いものじゃ、世の人は此のらんによって諸々もろ/\貪慾執心どんよくしゅうしんが深くなって名聞利養みょうもんりように心をいらってむさぼらんとする、是らは只今生こんじょうの事のみをおもんぱかり、旦暮あけくれ妻子眷属さいしけんぞく衣食財宝にのみ心を尽して自ら病を求める、人には病は無いものじゃ、思う念慮ねんりょが重なるによって胸に詰って来ると毛孔けあなひらいて風邪を引くような事になる、人間元来もと病なく、薬石やくせきこと/″\く無用、自ら病を求めて病がおこるのじゃ、其の病を自分手にこしらえ、遂に煩悩という苦悩なやみも出る、これを知らずに居って、今死ぬという間際の時に、あゝ悪いことをした、あゝせつない何う仕よう、此の苦痛を助かりたいと、始めて其の時に驚いて助からんと思っても、それはても何の甲斐もない事じゃ、此のを知らずして破戒無慚むざん邪見じゃけん放逸ほういつの者を人中じんちゅうの鬼畜といって、鬼の畜生という事じゃ、それ故に大梅和尚たいばいおしょう馬祖大師ばそだいしに問うて如何いかなるかれ仏、馬祖答えて即心即仏という、大梅が其の言下ごんか大悟だいごしたという、其の時に悟ったじゃ、此の世は実に仮のものじゃ、只四縁しえんの和合しておるのだ、幾らお前が食物たべものが欲しい著物きものが欲しい、金が欲しい、斯ういう田地が欲しいと云った処が、ぴたりと息が絶えれば、何一つ持ってくことは出来やアしまい、四縁とは地水火風ちすいかふう、此の四つで自然に出来ておる身体じゃ、仮に四大(地水火風)が和合して出来てるものなれば、自分の身体も有りはせん、実は無いものじゃ、自然に是は斯うする物じゃという処へ心が附かんによって、わが心があると思われ、わが身体を愛し、自分に従うて来る人のみを可愛がって、う訪ねて来てくれたと悦び、自分にそむく者は憎い奴じゃ、彼奴あいつはいかんと云うようになる、人を憎む悪い心が別にあるかというに、別にあるものでもない、即仏じゃ、親父が娘を殺して金子をろうとした時の心は実に此の上もない極重悪人なれども、たちま輪回応報りんえおうほうして可愛い我子を殺し、あゝ悪い事をしたと悔悟かいごして出家になるも、即ち即心即仏じゃ、えゝ他人を自分の身体と二つあるものと思わずに、欲しい惜しいの念を棄てゝしまえば、争いもなければおこる事もない、自他の別を生ずるによって隔意かくいが出来る、隔意のある所から、物の争いが出来るものじゃ、先方むこうに金があるから取ってやろうとすると、先方むこうではわしの物じゃかららん用を勤めたら金を遣るぞ、勤めをして貰うのは当然あたりまえだから、先方さきへくれろ、それを此方こっちゃで只取ろうとする、先方さきでは渡さんとする、是が大きゅうなると戦争いくさじゃ、実に仏も心配なされて西方極楽世界阿弥陀仏を念じ、称名しょうみょうして感想をこらせば、臨終の時に必ず浄土へ往生すと説給ときたまえり、南無阿弥陀仏/\」
 圓朝が此様こんなことを云ってもお賽銭さいせんには及びません、悪くすると投げる方があります。段々と有難い事をの宗達という和尚さんが説示ときしめしたからお竹も五平を恨む念は毛頭ありません。
竹「お前此の金が欲しければみんな上げよう」
五「いえ/\金はりません、わたくし剃髪ていはつして罪滅しの為に廻国かいこくします」
 というので剃刀かみそりを取寄せて宗達が五平をくり/\坊主にいたしました。早四郎の死骸は届ける所へ届けて野辺の送りをいたし、あとは他人へ譲り、五平は罪滅しのため四国西国へ遍歴に出ることになり、お竹は是より深い事は話しませんが、
わたくしは粂野美作守の家来渡邊という者の娘で、弟は祖五郎と申して、只今は美作国みまさかのくにへまいって居ります、弟にも逢いたいと存じますし、江戸屋敷の様子も聞きたし、弟もお国表へまいって家老に面会いたし、事の仔細が分りますれば江戸屋敷へまいるはずで、の道便りをするとは申して居りましたが、案じられてなりませんから、家来の忠平という者を連れてまいるみちで長く煩いました上、遂に死別しにわかれになりまして、心細い身の上で、旅慣れぬ女のこと、どうか御出家様私を助けると思召おぼしめし、江戸までお送り遊ばして下さいますれば、ようにもお礼をいたしましょう、お忙しいお身の上でもございましょうが、お連れ遊ばして下さいまし」
 と頼まれて見ると宗達も今更見棄てる事も出来ず、
宗「それは気の毒なことで、それならばわしと一緒に江戸まできなさるがわしは江戸には別に便たよる処もないが、谷中の南泉寺へ寄って已前いぜん共に行脚あんぎゃをした玄道げんどうという和尚がおるから、それでも尋ねたいと思う、ま兎も角もお前さんを江戸屋敷まで送って上げます」
 と云うのでようようの事にて江戸表へまいりましたが、上屋敷へも下屋敷へもまいる事が出来んのは、かねてお屋敷近い処へ立寄る事はならんと仰せ渡されて、おいとまになった身の上ゆえ、本郷春木町の指物屋岩吉方へまいり、様子を聞くと、岩吉は故人になり、職人が家督あとを相続して仕事を受取って居りますことゆえ、とて此処こゝの厄介になる事は出来ません。仕方がないので、どうか様子を下屋敷の者に聞きたいと谷中へ参りますと、い塩梅に佐藤平馬さとうへいまという者に会って、様子を聞くと、平馬の申すには、
平「弟御おとゝご此方こっちへおいでがないから、此の辺にうろ/\しておいでになるはお宜しくない、全体お屋敷近い処へ入らっしゃるのは、そりゃアお心得違いな事で、ま貴方は信州においでゞ、時節を待ってござったら御帰参のかなう事もありましょう、御舎弟も春部殿も未だ江戸へはおいでがない、仮令たとえ御家老にんなお頼みがありましても無駄な話でございます」
 と撥付はねつけられ、
竹「左様なら弟は此方こちらへまいっては居りませんか」
平「左様、御舎弟はたしかにお国においでだという話は聞きましたが、多分お国へ行って、お国家老へ何かお頼みでもある事でございましょう、しか大殿様おおとのさまは御病気の事であるが、事に寄ったら御家老の福原様ふくはらさま御出府ごしゅっぷになる時も、お暇になった者を連れておいでになる筈がないから、是は音信たよりを待ってお国においででございましょう、殿様は御不快で、中々御重症だという事でございまして、私共わたくしどもは下役ゆえ深い事は分りませんが、此のお屋敷近い処へ立廻るはお宜しくない事で」
 という。此の佐藤平馬という奴は、内々ない/\神原五郎治四郎治の二人から鼻薬をかわれて下に使われる奴、提灯持ちょうちんもちの方の悪い仲間でございますから、く訳の分らんように云いましたのは、お竹にお屋敷の様子が聞かしたくないから、真実まことしやかに云ってお屋敷近辺へ置かんように追払おっぱらいましたので、お竹はどうも致方いたしかたがない、旧来馴染の出入町人の処へまいりましても、長く泊ってもられません、又一緒にまいった宗達も、長くはられません理由わけがあって、或時お竹に向い、
宗「わしは何うしても美濃の南泉寺へ帰らんければならず、それに又私はと懇意なものが有って、田舎寺に住職をしている其の者を尋ねたいと思うが、貴方は是から何処どこへ参らるゝ積りじゃ」
竹「何処へも別にまいる処もありませんが、お国へまいれば弟が居ります、成程御家老も弟を連れて、おいでは出来ますまい、御帰参の叶う吉左右きっそうを聞くそれまではお国表にいる事でございましょうから、わたくしもどうかお国へ参りとうございます」
宗「しかしどうも女一人ではかれんことで、何ともお気の毒な事だ、じゃアまア美作の国といえばれ百七八十里へだった処、わしが送る訳にはいかんが、今更見棄てることも出来ないが、美濃の南泉寺までは是非かんければならん、東海道筋も御婦人の事ゆえ面倒じゃ、手形がなければならんが、何うか工風くふうをして私がお送り申したいが、困った事で、兎に角南泉寺まで一緒にきなさい、彼方あっちの者は真実があって、随分俗の者にも仏心ぶっしんがあってな、寺へ来て用やなんかするからそいらに頼んだら美作の方へ用事があってまいる者があるまいとも云えぬ、其の折に貴方を頼んでお国へかれるようだと私も安心をします、私は坊主の身の上で、婦人と一緒に歩くのは誠に困る、衆人ひとにも見られて、いやな事でも云われると困る、けれども是も仕方がないから、まきなさるがい、私は本庄宿ほんじょうじゅく海禅寺かいぜんじへ寄って一寸ちょっと玄道という者に会って、それから又美濃まで是非きますから御一緒にまいろう、それには木曾路の方が銭が要らん」
 と御出家はおごらんから、寒くなってから木曾路を引返し本庄宿へまいりまして、婦人ではあるけれどもこれ/\の理由わけだ、と役僧にお竹の身の上話をして、其の寺に一泊いたし、段々日数ひかずを経てまいりましたが、元より貯え金は所持している事で、ようやく碓氷を越して軽井沢かるいざわと申す宿しゅくへまいり、中島屋なかじまやという宿屋へ宿やどを取りましたは、十一月の五日でござります。

        三十七

 木曾街道でも追分おいわけ沓掛くつがけ軽井沢などは最も寒い所で、たれやらの狂歌に、着て見れば綿がうすい(碓氷)か軽井沢ゆきたけ(雪竹)あってすその寒さよ、丁度碓氷の山のふもとで、片方かた/\は浅間山の裾になって、ピイーという雪風で、暑中にまいりましても砂をとばし、随分半纒はんてんでも着たいような日のある処で、恐ろしい寒い処へ泊りました。もう十一月になるとの辺は雪でございます、初雪でも沢山降りますから、出立をすることが出来ません、詮方せんかたがないから逗留とうりゅうという事になると、お竹は種々いろ/\心配いたしている。それを宗達という和尚さまが真実にしてくれても何とのう気詰り、便りに思う忠平には別れ、おとゝ祖五郎の行方は知れず、お国にいる事やら、たゞしは途中でわずらってゞもいやアしまいか、などと心細い身の上で何卒どうぞして音信たよりをしたいと思っても何処どこにいるか分らず、御家老様の方へ手紙を出していか分りませんが、心配のあまり手紙を出して見ました。只今の郵便のようではないから容易には届かず、返事も碌に分らんような不都合の世の中でございます。お竹は過越すぎこし方を種々思うにつけ心細くなりました、これが胸に詰ってしゃくとなり、折々差込みますのを宗達が介抱いたします、相宿あいやどの者も雪のために出立する事が出来ませんから、多勢おおぜい囲炉裡いろり周囲まわりかたまって茫然ぼんやりして居ります。中には江戸子えどっこで土地を食詰くいつめまして、旅稼ぎに出て来たというような職人なども居ります。
○「おいてつう」
鐵「えゝ」
○「からまア毎日めいにち/\降込められて立つことが出来ねえ、江戸子が山の雪を見ると驚いちまうが、飯を喰う時にずうと並んで膳が出ても、誰も碌に口をきかねえな」
鐵「そうよ、黙っていちゃア仕様がないから挨拶えゝさつをして見よう」
○「えゝ」
鐵「挨拶えゝさつをして見ようか」
○「してもいが、きまりが悪いな」
鐵「えゝ御免ねえ……へえ……どうも何でごぜえやすな、お寒いことで」
△「はア」
鐵「おめえさん方は何ですかえ、相宿のお方でげすな」
△「はア」
鐵「何を云やアがる……がア/\って」
○「手前てめえが何か云うからはアというのだ、いじゃアねえか」
鐵「変だな、えゝゝ毎日めえにち膳が並ぶとおたげえに顔を見合せて、御飯おまんまを喰ってしまうと部屋へへいってごろ/\寝るくれえの事で仕様がごぜえやせんな、夜になると退屈てえくつで仕様が有りませんが、なんですかえおまえさん方は何処どこかえお出でなすったんでげすかえ」
△「わしはその大和路の者であるが、少し仔細あって、えゝ長らく江戸表にいたが、故郷こきょうぼうがたく又帰りたくなって帰って来ました」
鐵「へえーうで……其方そちらのお方はお三人連で何方どちらへ」
□「わし常陸ひたちりゅうヶ崎さきで」
鐵「へえ」
□「常陸の竜ヶ崎です」
鐵「へえー何ういう訳で此様こんな寒い処へ常陸からおいでなさったんで」
□「種々いろ/\信心がありまして、全体毎年まいねん講中こうじゅうがありまして、五六人ぐらいで木曾の御獄様おんたけさま参詣さんけいをいたしますが、村の者の申し合せで、先達せんだつさんもおいでになったもんだから、同道してまいりやした、実は御獄さんへ参るにも、雪を踏んで難儀をしてくのが信心だね」
鐵「へえー大変でげすな、御獄さんてえのは滅法けえたけえ山だってね」
□「高いたって、それは富士より高いと云いますよ、あなた方も信心をなすって二度もお登りになれば、少しは曲った心も直りますが」
鐵「えへゝゝゝわっちどもは曲った心が直っても、側から曲ってしまうから、旨く真直まっすぐにならねえので……えゝ其方そちらにおいでなさる方は何方どちらで」
 此の客は言葉が余程鼻にかゝり、
×「わしは奥州仙台しんでい
鐵「へえ…仙台しんでいてえのは」
×「奥州で」
鐵「左様でがすか、えゝ衣を着ておつむりが丸いから坊さんでげしょう」
×「いしやでがす」
鐵「へ何ですと」
×「医者いしやでがす」
鐵「石工いしやだえ」
×「いゝや医道いどうでがす」
鐵「へえー井戸掘にア見えませんね」
×「井戸掘ではない、医者いしゃでがす」
鐵「へえーお医者で、わっちどもはいけぞんぜえだもんだから、お医者と相宿になってると皆も気丈夫でごぜえます、ちっとばかり薄荷はっかがあるならめたいもんで」
×「左様な薬は所持しない、なれども相宿の方に御病気でお困りの方があって、薬をくれろと仰しゃれば、なおる癒らないは、それはまた薬がしょうに合うと合わん事があるけれども、盛るだけは盛って上げるて」
鐵「へえー、斯う皆さんが大勢寄って只茫然ぼんやりしていても面白くねえから、何か面白おもしれえ百物語でもして遊ぼうじゃアありやせんか、大勢寄っているのですから」
医「それも宜うがすが、まく大勢寄ると阿弥陀の光りという事を致します、鬮引くじびきをして其の鬮に当った者が何か買って来るので、夜中でもいといなく菓子をけえくとか、酒をけえくとかして、客の鬮を引いた者は坐ってゝ少しも動かずに人の買って来る物をしょくして楽しむという遊びがあるのです」
鐵「へえーそれは面白おもしれえが、珍らしい話か何かありませんかな」
医「左様でげす、別に面白い話もありませんですな」
鐵「気のねえ人だな何か他に」
○「手前てめえ出て先へしゃべるがいゝ」
鐵「喋るたっておれア喋る訳にはかねえ、何かありませんかな、お医者さまは奥州仙台だてえが、面白おもしろおっかねえ化物ばけものが出たてえような事はありませんかな」
医「左様で別に化物が出たという話もないが、奥州は不思議のあるところでな」
鐵「へえー左様でござえやすかな」
医「貴方は何ですかえ、松島見物においでになった事がありますかえ」
鐵「いや何処どこへも行ったことはねえ」
医「松島は日本三景の内でな、随分江戸のお方が見物に来られるが此のくらい景色のい所はないと云ってな、船で八百八島を巡り、歌をえいじ詩を作りに来る風流人が幾許いくらもあるな」
鐵「へえー松島に何か心中でもありましたかえ」
医「情死などのあるところじゃアないが、差当さしあたって別にどうも面白い話もないが、医者は此様こんきたな身装みなりをして居てはいけません、医者はなりと云うて、玄関が立派で、身装がよくって立派に見えるよう、風俗が正しく見えるようでなければ病者びょうしゃが信じません、随って薬もおのずから利かんような事になるですが、医者は頓知頓才と云ってず其の薬より病人の気をはかる処が第一と心得ますな」
鐵「へえー何ういう……気を料る処がありますな」
医「先年乞食が難産にかゝって苦しんでいるのを、所の者が何うかして助けて遣りたいと立派な医者を頼んでて貰うと、是はどうも助からん、片足出ていなければいが、片手片足出て首が出ないから身体が横になってつかえてゝ仕様がない、細かに切って出せば命がないと途方に暮れ、立合った者もな可愛そうだと云っている処へ通りかゝったのが愚老でな」
鐵「へえ……それからお前さんがうましたのかえ」
医「それから療治にかゝろうとしたが、道具をたくへ置いて来たので困ったが、此処こゝが頓智頓才で、出ている片手を段々と斯う撫でましたな」
鐵「へえ」
医「撫でているうちを開けました」
鐵「成程」
医「それから愚老が懐中から四文銭を出して、赤児あかごの手へ握らせますと、すうと手を引込ひっこまして頭の方から安々やす/\と産れて出て、お辞儀をしました」
鐵「へえまじないでげすか」
医「いや乞食のだから悦んで」
鐵「ふゝゝ人を馬鹿にしちゃアいけねえ、本当だと思ってたのに洒落者しゃれもんだね、田舎者だって迂濶うっかりした事は云えねい……えゝ其方そちらの隅においでなさるお方、あなたは何ですかえ、矢張お医者さまでごぜえやすか」
僧「いや、わしは斯ういう姿で諸方を歩く出家でござる」
鐵「えゝ御出家さんで、御出家なら幽霊なぞを御覧なすった事がありましょう」
僧「幽霊は二十四五たび見ました」
鐵「へえ、此奴こいつ面白おもしれえ話だ、二十四五度……どんなのが出ました」
僧「種々いろ/\なのが出ましたな、嫉妬やきもちの怨霊は不実な男に殺された女が、口惜くちおしいと思った念がって出るのじゃが、世の中には幽霊は無いという者もある、じゃが是はある」
鐵「へえ、ど何んな塩梅あんばいに出るもんですな」
僧「形は絵にいたようなものだ、朦朧ぼんやりとして判然はっきり其の形は見えず、只ぼうと障子やからかみへ映ったり、上の方だけ見えて下の方はけむのようで、どうも不気味なものじゃて」
鐵「へえー貴方の見たうちで一番怖いと思ったのはどういう幽霊で」
僧「えゝ、左様さ先年美濃国みののくにから信州の福島在の知己しるべの所へ参った時の事で、此の知己はなりの身代で、山も持っている者で、其処そこしばらく厄介になっていた、其の村に蓮光寺れんこうじという寺がある、其の寺の和尚が道楽をしていかんあれは放逐せねばならんと村中が騒いで、急に其の和尚を追出すことになったから、お前さん住職になってくれないかと頼まれましたが、わしは住職になる訳にはゆかん、行脚あんぎゃの身の上で、しかし葬式でもあった時には困ろうから、後住ごじゅうきまるまで暫くいて上げようと云うんで、其の寺に居りました」
鐵「へえー」
僧「するとわし知己しるべの山持の妾が難産をして死んだな」
鐵「へえー」
僧「それがそれ、ま主人あるじが女房に隠して、うちにいた若い女に手を附け、それがま懐妊したによって何時いつか家内の耳に入ると、悋気深りんきぶかい本妻が騒ぐから、知れぬうちに堕胎おろしてしまおうと薬を飲ますと、まい塩梅にりましたが、其の薬の余毒よどくのため妾は七転八倒の苦しみをして、うーんうんと夜中にうなるじゃげな」
鐵「へえー此奴こいつこわえなア」
僧「怨みだな、斯う云う事になったのも、わたしは奉公人の身の上相対あいたいずくだから是非もないが、内儀おかみさんが悋気深いためにわしに斯ういう薬を飲ましたのじゃ、内儀さんさえ悋気せずば此の苦しみは受けまい、あゝ口惜くやしい、わたしは死に切れん、初めて出来た子は堕胎おろされ、私も死に、親子諸共に死ぬような事になるも、内儀さんのお蔭じゃ、口惜くやしい残念と十一日の間云い続けて到頭死にました、その死ぬ時な、うーんと云って主人の手を握ってな」
鐵「へえ」
僧「目を半眼にして歯をむき出し、旦那さまわたくしは死に切れませんよ」
○「やア鐵う、もっと此方こっちへ寄れ……気味が悪い、どうもへえー成程……そこを閉めねえ、風がぴゅー/\入るから……へえー」
僧「気の毒な事じゃが、仕方がない、そこでわしがいた蓮光寺へ葬りました、他に誰も寺参りをするものがないから、主人が七日までは墓参りに来たが、七日後は打棄うっちゃりぱなしで、花一本げず、寺へ附届つけとゞけもせんという随分不人情な人でな」
○「へえーひどい奴だね、其奴そいつア怨まア、すぐ幽的ゆうてきが出ましたかえ」
僧「わしも可愛そうじゃアと思うた、斯ういう仏は血盆地獄けっぽんじごくおちるじゃ、早く云えば血の池地獄へ落るんじゃ」
○「へえー」
僧「斯ういう亡者もうじゃには血盆経けっぽんきょうを上げてやらんと……」
○「へえー……けつ……なんて……けつを……棒で」
僧「いや血盆経というお経がある、七日目になア其の亥刻こゝのつ[#「亥刻こゝのつ」はママ、「子刻こゝのつ」か「亥刻よつ」であるかの判別付かず]前じゃったか、下駄をいて墓場へき、線香を上げ、其処そこりんならし、長らく血盆経を読んでしもうて、わしがすうと立って帰ろうとすると」
○「うん、うん」
僧「前が一面乱塔場らんとうばで、裏はずうと山じゃな」
○「うん/\」
僧「其の山の藪の所が石坂の様になってるじゃ、其の坂をりに掛ると、うしろでぼーずと呼ぶじゃて」
○「ふーん、これはこわえな、鐵もっと此方こっちへ寄れ、成程お前さんを呼んだ」
僧「何もわしに怨みのある訳はない、縁無き衆生しゅじょうがたしというが、わしは此の寺へ腰掛ながら住職の代りに回向えこうをしてやる者じゃ、それを怨んで坊主とは失敬な奴じゃと振向いて見た、此方こちらいきおいが強いのでう声がせんな」
○「へえー度胸が宜うごぜえやすな、強いもんだね、始終死人の側にばかりいるから怖くねえんだ、うーん」
僧「それから又きにかゝると、また皺枯しわがれた声での底の方でぼーずと云うじゃて」
○「早桶はやおけうめちまった奴が桶の中でお前さんを呼んだのかね」
僧「誰だと振向いた」
○「へえ……先方せんぽうで驚いて出ましたか、穴の中から」
僧「振向いて見たがんにも居ないから、墓原はかはらへ立帰って見たが、墓には何も変りがない、はて何じゃろうと段々探すと、山の根方の藪ん中に大きな薯蕷やまいもが一本あったのじゃ、これが世に所謂いわゆる坊主/\山のいもじゃて」
○「何のこった、人を馬鹿にして、しか面白おもしれえ、何か他に、あゝ其方そっちにいらっしゃるお侍さん、えへゝゝ、旦那何か面白おもしろえお話はありませんか」
侍「いや最前から各々方おの/\がたのお話を聞いていると、可笑おかしくてたまらんの、拙者も長旅で表向おもてむき紫縮緬むらさきちりめん服紗包ふくさづゝみはす脊負しょい、裁着たッつけ穿いて頭を結髪むすびがみにして歩く身の上ではない、形はかくの如く襤褸袴ぼろばかまを穿いている剣道修行の身の上、早く云うと武者修行で」
○「これはどうも、左様ですか、武者修行で、へえーう聞けばお前さんの顔に似てえる」
侍「何が」
○「いえ、そら久しい以前あと絵に出た芳年よしとしいたんで、鰐鮫わにざめを竹槍で突殺つッころしている、鼻が柘榴鼻ざくろッぱなで口が鰐口で、眼が金壺眼かなつぼまなこで、えへゝゝ御免ねえ」
侍「しからん事をいう、人の顔を讒訴ざんそをして無礼至極」
○「なに、お前さんは左様そんなでもねえけれども、ちっと似てえるという話だ」
侍「貴公らは江戸のものか、職人か」
○「へえ」
侍「成程」
○「旦那、みんなは嘘っぺいばかしでいけませんが、なん面白おもしろえ話はありませんかね」
侍「貴公あんた先にやったら宜かろう」
○「わっちどもはい話がえんで、火事のあった時に屋根屋のとくの野郎め、路地を飛越しそくなやアがって、どんと下へ落ると持出した荷の上へ尻餅をき、睾丸きんたまを打ち、目をまわし、ふくろほころびて中からたまが飛出して」
侍「ういう尾籠びろうの話はいけんなア」
○「それから乱暴勝らんぼうかつてえ野郎が焚火たきび※(「火+共」、第3水準1-87-42)あたって、金太きんたという奴を殴るはずみにぽっぽと燃えてる燼木杭やけぼっくいを殴ったからたまらねえ、其の火が飛んで金太の腹掛の間へへいって、苦しがって転がりやアがったが、余程よっぽど面白うござえました」
侍「其様そんな事は面白くない」
○「そんなら旦那何ぞ面白え話を」
侍「先刻せんこくから空話そらばなしばかり出たので、拙者の話を信じて聞くまいから、どうもやりにくい」


 

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