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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:27:57  点击:  切换到繁體中文


        三十八

 向座敷むこうざしきにてぽん/\と手を打ち、
宗「たれも居ぬかな」
下婢「はい」
 此の座敷に寝ているのは渡邊お竹で、宗達が看病を致して居りますので、
婢「お呼びなさいましたかえ」
宗「一寸ちょっとこゝへ入ってくれ」
婢「はい」
宗「ついでに水を持って来ておくれ、病人がうと/\眠附ねつくかと思うと向座敷で時々大勢がわアと笑うので誠に困る」
婢「誠におやかましゅうござりやしょう」
宗「其処そこをぴったり閉めておくれ」
婢「かしこまりやした」
 と立って行って大勢の所へ顔を出しまして、
「どうかあの皆さん相宿の方に病人がありやすから、あんまでけえ声をして、わア/\笑わないように、喧しいと病人が眠り付かねえで困るだから、しずかになさえましよ」
侍「はい/\宜しい……病人がいるなら止しましょう」
○「小声でやってくだせえ、みんなそらっぺえばなしで面白くねえ、旦那が武者修行をした時の、蟒蛇うわばみ退治たいじたとか何とかいうきついのを聞きたいね」
侍「左様さ拙者は是迄恐ろしい怖いというものに出会った事はないが、※(「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2-94-68)のぶすまに両三度出会った時は怖いと思ったね」
○「ど何処どこで」
侍「南部なんぶ恐山おそれざんから地獄谷のむこうへ抜ける時だ」
○「へえー名からしておっかねえね恐山地獄谷なんて」
侍「此処こゝ一騎打いっきうち難所なんじょで、右手めてほうを見ると一筋ひとすじの小川が山のふもとめぐって、どうどうと小さい石を転がすようにすさまじく流れ、左手ゆんでかたを見ると高山こうざん峨々がゞとして実に屏風を建てたる如く、誠に恐ろしい山で、生茂おいしげり、熊笹が地をおおうている、道なき所を踏分け/\段々りて来たところが、人家はたえてなし、雨は降ってくる、困ったことだと思い、暫く考えたがみちは知らず、深更しんこうに及んで狼にでも出られちゃア猶更と大きに心配した、時は丁度秋のすえさ、すると向うにちら/\と見える」
○「へえー、出たんでござえやすか、狼の眼は鏡のように光るてえから、貴方がうんと立止って小便ちょうずをなすったろう」
侍「なに、小便ちょうずなどをやアせん」
○「それから」
侍「これは困ったものじゃ、彼処あすこに誰か焚火たきびでもして居るのじゃアないかと思った」
○「成程山賊が居て身ぐるみ脱いでけてえと、お前さんひっこぬいて斬ったんで」
侍「まゝ黙ってお聞き、そう先走られると何方どっちが話すのだか分らん、山賊が団楽坐くるまざになっていたのではない、一軒の白屋くずやがあった」
○「へえー山ん中に……問屋といやでしょう」
侍「なに茅屋あばらや
○「え、油屋あぶらや
侍「油屋じゃアない、壊れた家をあばらやという」
○「しっかりした家は脊骨屋せぼねやで」
侍「そう先走っては困る、其家そこへ行って拙者は武辺修行ぶへんしゅぎょうの者でござる、かる山中さんちゅうみちに踏み迷い、かつ此の通り雨天になり、日は暮れ、誠に難渋を致します、一樹いちじゅの蔭を頼むと云って音ずれると、奥から出て来た」
○「へえー肋骨あばらぼねが出て、歯のまばらな白髪頭しらがあたまばゞあが、片手になた見たような物を持って出たんだね、一つの婆で、上から石が落ちたんでげしょう」
侍「うじゃアない、二八余りの賤女しずのめが出たね」
○「それじゃア気がえ、雀が二三羽飛出したのかえ」
侍「賤女しずのめ
○「えゝ味噌汁おつけの中へ入れる汁の実」
侍「汁の実じゃアない、二八余り十六七になる娘が出たと思いなさい」
○「へえーうちに居たんだね、容貌おんなうごぜえやしたろうね、容貌おんなは」
侍「そんな事は何うでも宜しいが、く見るとおつな女さ」
○「へえー、おい鐵、此方こっちへ寄れ、ちょいと見るとい女だが、能く見ると眇目めっかちで横っつらばかり見た、あゝいう事があるが、矢張やっぱり其のたちなんでしょう」
侍「足下そっかが喋ってばかり居っては拙者は話が出来ぬ」
○「じゃア黙ってますから一つやって下せえ」
侍「それから紙燭しそくけて出て来て、お武家さま斯様な人も通らん山中やまなかへ何うしてお出でなさいました、拙者は武術修業の身の上ゆえ、あえて淋しい処を恐れはせぬが如何にも追々は更けるし、雨は降って来る、誠に難渋いたすによって一泊願いたいと云うと、何事も行届ゆきとゞきません、召上る物も何もございませんし、着せておかし申す物もございません、それが御承知なれば見苦しけれども御遠慮なくお泊り遊ばせと、親切な女で汚いたらいへ谷水を汲んで来て、足をお洗いなさいというので足を洗いました」
○「へえー其の娘の親父か何かいましたろう」
侍「親父もいない、娘一人で」
○「へえー……母親おふくろもいませんか」
侍「そう喋っては困りますな」
○「もう云いません、それから」
侍「ところが段々聞くと両親もなく、只一人かゝる山の中に居って、みずか自然薯じねんじょを掘って来るとか、あるいきのこるとか、たきゞを採るとか、女ながら随分荒い稼ぎをしてかすかに暮しておるという独身者ひとりものさ、見れば器量もなか/\い、色が白くて目は少し小さいが、眉毛が濃い、口元が可愛らしく、髪の毛の光艶つやし、山家やまがまれな美人で」
○「へえー、ふう成程」
侍「何とも云やアしない、まア黙ってお聞き」
○「へえ」
侍「拙者は修業の身の上で、好い女だとは思いましたけれど、いやらしい事を云い掛けるなどの念は毛頭ない」
○「それは何年頃いつごろの事ですか」
侍「丁度五年以前あとの事で」
○「あなたは幾歳いくつだえ」
侍「其様そんな事を聞かなくともい、三十九才じゃ」
○「老けているね……五年以前あと、じゃアだアさかりな時でごぜえやすな」
侍「左様」
○「へえ、それから何うしました」
侍「拙者の枕元へ水などを持って来て、のどが渇いたら召上れと種々いろ/\手当をしてくれる、蕎麦掻そばがきこしらえて出したが、不味まずかったけれども、親切の志有難く旨く喰いました」
○「蕎麦粉は宜うごぜえやしたろうが、醤油したじが悪かったにちげえねえ、ぷんと来るやつで、此方こっち醤油したじを持ってきたいね」
侍「何を云っている」
○「へえ、それから」
侍「娘は向うの方へ一人で寝る、時は丁度秋の末の事、山冷やまびえでどうも寒い、雨はばら/\降る」
○「成程/\うん/\」
侍「娘は何うしたか何時いつまでも寝ないようで」
○「うん(膝へ手を突き前へ乗出し)それから」
侍「拙者に夜具を貸してしまい、娘は夜具無しで其処そこへごろりと寝ているから、どうも其方そなたの着る物を貸して、此の寒いのに其方が夜具無しで寝るような事じゃア気の毒じゃ、風でも引かしては宜しくないというと、いえ宜しゅうございます、なに宜しい事はない、掛蒲団かけぶとんだけ持って行ってください、拙者は敷蒲団をかけて寝るから、いゝえ何う致しまして、それならば旦那さま恐入りますが、貴方のおすその方へでも入れて寝かしてくださいませんかと云った」
○「へえー、ふう鐵もっと此方こっちへ出ろ、面白い話になって来た、旦那は真面目になってるが、く見ると助平そうな顔付だ、目尻がさがってて、旨く女をごまかしたね、中々油断は出来ねえ、白状おしなさい」
侍「ま、黙ってお聞きなさい、かりそめにも男女なんにょ七才にして席を同じゅうせずで、一つ寝床へ女と一緒に寝て、ひとに悪い評でも立てられると、修行の身の上なれば甚だ困ると断ると、左様ならば御足おみあしでもさすらして下さいましと云った」
○「へえー、女の方で、えへ/\、矢張やっぱり山の中で男珍らしいんで、えへ/\/\成程うん」
侍「どうも様子がおかしい、変だと思った」
○「なに先で思っていたんでしょう」
侍「それから拙者は此方こっちの小さい座敷に寝ていると、改めて又枕元へ来てぴたりとひざまずいて」
○「其の女が蹴躓けつまずきやアがったんで」
侍「蹴躓いたのではない、丁寧に手を突いて、先生わたくしは何をお隠し申しましょう、親のかたきを尋ねる身の上でございます」
○「うん、其の女が…成程」
侍「敵は此の一村ひとむらいて隣村に居ります、わずかに八里山を越すと、現に敵が居りながら、女の細腕で討つことが出来ません、先方は浪人者で、わたくしの父はそまをいたして居りましたが、山界やまざかいの争い事から其の浪人者が仲裁なかに入り、掛合かけあいに来ましたのをはずかしめて帰した事があります、其の争いに先方さき山主やまぬしが負けたので、礼も貰えぬ所から、それを遺恨に思いまして、其の浪人が私の父を殺害せつがいいたしたに相違ないという事は、世間の人も申せば、私も左様に存じます、其のそば扇子せんすが落ちてありました、黒骨の渋扇しぶせんへ金で山水がいて有って、たしかに其の浪人が持って居りました扇子おうぎで見覚えが有ります、どうか先生を武術修行のお方とお見受け申して、お頼み申しますが、助太刀をなすってかたきを討たして下さいませんか、始めてお泊め申したお方に何とも恐入りますが、助太刀をなすって本意を遂げさせて下されば、の様な事でも貴方のお言葉は背きません、不束ふつゝかな者で、とてもお側にいるという訳には参りませんが、御飯焚ごはんたきでもお小間使いでも、お寝間のとぎでも仕ようという訳だ」
○「へえー、此奴こいつ矢張やっぱりういう事があるんでげしょう、へえー、なア……鐵やい、左官のまつの野郎が火事の時に手伝って、それから御家様ごけさまとけ出入でへえりをし、何日いつか深い訳になったが、成程然ういう事がありましょう、それから何うしました」
侍「ういう訳なれば宜しい、助太刀をしてたしかに本意を遂げさせて遣ろうと受合うと、女は悦んで、あゝ有難う草葉の蔭において両親もさぞ悦びましょうと、綺麗な顔で真に随喜の涙を流した」
○「へえー芋売いもがら見たような涙を」
侍「なに有難涙ありがたなみだを」
○「へえ成程それから何うしました」
侍「ところで同衾ひとつに寝たんだ」
○「へえーひどいなア……成程、鐵ウもっと前へ出ろ、大変な話になって来た」
 向座敷で手をぽん/\と打つと、又候またぞろ下女がまいって、
下婢「皆さんお静かになすって、なるたけわア/\云わねえように願います」
○「へえ/\……それから何うしました、先生」
侍「いや止そう」
○「其処そこまで遣って止すてえ事はありません、おねげえだからあとを話しておくんなせえ」
侍「病人があると云うから止そう」
○「だって先生、こゝでめちゃア罪です」
侍「こゝらで止める方が宜かろう」
○「落話家はなしかや講釈師たアちげえます」
侍「此処こゝが丁度段落きりどこだ」
○「おい、よ話しておくんねえな/\」
侍「困るな…すると其の女にこう□□[#底本2字伏字]められた時には、身体しんたいしびれるような大力だいりきであった」
○「へえー、それは化物だ、面白い話だね、それから」
侍「もう止そう」
○「冗談じゃアない、これでめられてたまるものか……皆さん誰か一つ旦那に頼んでおくんなせえな、是から面白おもしろえ処なんで、今止められちゃア寝てからうなされらア」
侍「やるかなア」
○「うん成程、其の女が貴方の顔をペロ/\めたんで」
侍「なに甜めるものか、うーんと振解ふりほぐして、枕元にあった無反むそりの一刀を引抜いて、斬付けようとすると、がら/\/\と家鳴やなり震動がした」
○「ふうん」
侍「ばら/\/\表へ逃げる様子、なお追掛けて出ると、は如何に、拙者がばかされていたのじゃ、茅屋あばらやがあったと思う処が、矢張やっぱり野原で、片方かた/\はどうどうと渓間たにまに水の流れる音が聞え、片方は恐ろしい巌石がんせき峨々がゞたる山にして、ずうっと裏手は杉やもみなどの大樹だいじゅばかりの林で、其の中へばら/\/\と追込んだな」
○「へえー成程、きつねたぬきけつを出して何かに見せると云うが、貴方それから何うしました」
侍「追掛けて行って、すうと一刀あびせると、ばたり前へ倒れた…化物が…拙者も疲れてどたーり其処そこへ尻餅をいた」
○「成程是はもっともです、いとうござえましたろう、其処に大きな石があったんで」
侍「なに石も何もありゃアせん、余計な事を云わずに聞きなさい」
○「な何の化物でげす」
侍「く善く其の姿を見ると、それが伸餅のしもちの石にしたのさ」
○「へえ、何故だろうなア」
侍「だから何うしてもちぎる訳にいかん」
○「冗談じゃアない、真面目な顔をして嘘ばっかりいてる、みんそらっぺいばなしでいけねえ、おれのは本当だ、此のうちに聞いた人もあるだろう、なんの話さ、大変だな、己ア江戸の者だ、谷中の久米野美作守様の屋敷へ出入の職人だったが、其処そこに大変な悪人がいて、渡邊様てえ人を斬って、其の上に女を連れて逃げたは、えゝ何とかいう奴だっけ、うよ、春部梅三郎よ、其奴そいつひどい奴で、重役の渡邊織江様を斬殺きりころしたんで、其の子が跡を追掛おっかけて行くと、旨く言いくろめて、だまして到頭連出して、何とかいう所だっけ、然う/\、新町河原しんまちがわらわきだまうちに渡邊様の子を殺して逃げたというんだが、大騒ぎよ、八州が八方へ手配りをしたが、山越やまごしをして甲府へへいったという噂で」
鐵「止しねえ/\、うっかり喋るな、冗談じゃアねえぜ、し八州のお役人が、れは何う云う訳だ、他人に聞いたんでと云っても追付おッつくめえ」
 と一人が止めるのを、一人の男がしきりに知ったふりで喋って居ります。

        三十九

 別座敷に寝て居りましたお竹が、此の話をれ聞き大きに驚き、
竹「もし/\宗達様/\/\(揺起ゆりおこす)」
宗「あい/\/\、つい看病疲れで少しました、はあー」
竹「よく御寝ぎょしんなっていらっしゃいますから、おおこし申しましては誠に恐入りますが、少し気になることを向座敷で噂をしております、ほかの者の話はうそのように存じますが、中に江戸屋敷へ出入でいる職人とか申す者の話は、少し心配になりますから、お目をさましてくださいまし」
宗「あい……はア……つい何うも……はア大分まだ降ってる様子で、ばら/\雨が戸へ当りますな」
竹「何卒どうぞあなた」
宗「はい/\……はア……何じゃ」
竹「其の話に春部と申す者がわたくしおとゝを新町河原で欺討だましうちにして甲府へ逃げたと云う事でございますが、何卒どうぞくわしく尋ねて下さいまし、都合に寄っては又江戸へ帰るような事にもなろうと思いますから」
宗「それはしからん、図らず此処こゝで聞くというは妙なことじゃ、江戸の、うん/\職人ていの下屋敷へ出入る者、宜しい……えゝ御免ください」
 と宗達和尚が向座敷のふすまを開けて、大勢の中に入りました。見ると矢立を持って鼠無地の衣服に、綿の沢山入っております半纒を着て居り、月代さかやき蓬々ぼう/\として看病疲れで顔色の悪い坊さんでございますから、一座の人々が驚きました。
○「はい、おいでなさい」
宗「あゝ江戸のお方は何方どなたで」
○「江戸の者はわっちで、奥州仙台や常陸の竜ヶ崎や何か集ってるんで、へえ」
宗「只今向座敷で聞いておった処が、その江戸に久米野殿の屋敷へ出入りをなさる職人というはあなた方か」
○「えゝわっちでござえやす」
鐵「えおい、だから余計なことを言うなって云うんだ、詰らねえ事を喋るからおたげえに掛合かゝりあいになるよ」
宗「で、その久米野殿の御家来に渡邊織江と申す者があって人手にかゝり、其の子が親のかたきを尋ねに歩いた処、春部梅三郎と申す者に欺かれて、新町とかで殺されたと云う話、八州が何うとかしたとの事じゃが、それをくわしく話してください」
鐵「だから云わねえ事じゃアねえ、先方むこうあんな姿で来たって八州の隠密だよ」
 と一人のつれの者に云われ、一人は真蒼まっさおになり、ぶる/\とふるえ出し、碌々口もきけません様子。
○「なに本当に知っている訳じゃアごぜえやせん、朦朧ぼんやりと知ってるんで、へえ一寸ちょっと人に聞いたんで」
宗「聞いたら聞いたゞけの事を告げなさい、新町河原で渡邊祖五郎を殺害せつがいした春部梅三郎という者はいずれへ逃げた」
○「あ彼方あっちへ逃げて……それから秩父ちゝぶへ出たんで」
宗「うん成程、秩父へ出て」
○「それからこ甲府へ逃げたんで」
宗「秩父越しをいたして甲府の方へ八州が追掛おっかけたのか」
鐵「おゝおゝ仕様がねえな、本当に手前てめえ饒舌おしゃべりだな」
○「饒舌だって剣術の先生や何かもみんな喋ったじゃアねえか………なんでごぜえやす……えゝ其の八州が追掛おっかけて何したんで、当りを付けたんで」
宗「何ういう処に当りが付きましたな」
○「そりゃア何でごぜえやす、鴻の巣の宿屋でごぜえやす」
宗「はゝー鴻の巣の宿屋……(紙の端へ書留め)それは何という宿屋じゃ」
○「わっちア知りやせん、其の宿屋へ女を連れて逃げたんで、其の宿屋が春部とかいう奴が勤めていた屋敷に奉公していて、私通くっついて連れて逃げた女の親里とかいう事で」
宗「うん…それから」
○「それっ切り知りやせん」
宗「知らん事は無かろう、知らんと云っても知らんでは通さん」
○「へえ……(泣声)御免なせえ、真平まっぴら御免下さい」
宗「あなた方は江戸は何処どこだ」
○「真平御免…」
宗「御免も何もない、言わんければなりませんよ」
○「へえ外神田そとかんだ金沢町かなざわちょうで」
宗「うん外神田金沢町…名前は」
○「甚太じんたっ子」
宗「甚太っ子という名前がありますか、甚太郎じんたろうかえ」
○「たしうで」
宗「甚太郎……其方そっちにいるお方は」
鐵「わっちは喋ったんでもねえんで」
宗「言わんでもい、名前が宿帳と違うとなりませんぞ、宜いかえ」
鐵「へえ、下谷したや茅町かやちょう二丁目で」
宗「お名前は」
鐵「ガラ鐵てえんで」
宗「ガラ鐵という名はない、鐵五郎てつごろうかえ」
鐵「へえ」
宗「宜しい」
鐵「御免なさい」
 と驚いてすぐに其の晩の内此処こゝを逃出して、夜通し高崎まで逃げたという。其様そんなに逃げなくとも宜しいのに。此方こっちはお竹が病苦の中にて此の話を聞き、どうか直に此処を立ちたいと云う。
宗「何うして今から立たれるものか、碓氷を越さなければならん」
 とようやくの事で止めました。翌朝よくあさになると、お竹は尚更癪気しゃくきが起って、病気は益々重体だが当人が何分にもきませんから、駕籠をやとい、碓氷を越して松井田まついだから安中宿あんなかじゅくへ掛り、安中から新町河原まで来ますと、とっぷり日は暮れ、往来の人は途絶えた処で、駕籠から下りてがっかり致し、お竹はまたキヤ/\差込んで来ました。宗達は驚いて抱起したが、舁夫かごや此処こゝまでの約束だというので不人情にも病人を見棄てゝ、其の儘ずん/\往ってしまいました。宗達は持合せた薬をませ、水を汲んで来ようと致しましたが、他に仕方がないから、ろはつという禅宗坊主の持つわんを出して、一杯流れの水を汲んで持って来ました。ようやくお竹に水を飲ませ、しきりと介抱を致しましたが、中々はげしい事で、
竹「ウヽーン」
 と河原の中へ其の儘そりかえりました。
宗「あゝ困ったものじゃ、何うか助けたいものじゃ」
 と又薬を飲まし、口移しに水をふくませ、お竹を□□[#底本2字伏字]めてわが肌のあたゝかみで暖めて居ります内に、雪はぱったり止み、雲が切れて十四の月が段々と差昇ってまいる内に、雪明りと月光つきあかりとで熟々つく/″\お竹の顔を見ますと、出家でも木竹きたけの身では無い、たちまち起る煩悩に春情しゅんじょうが発動いたしました。御出家の方では飲酒戒おんしゅかいと云って酒を戒め、邪淫戒と申して不義の淫事を戒めてあります。つまり守り難いのは此のかいでございます。此の念を断切たちきる事は何うもかたい事です、修業中の行脚を致しましても、よく宿場女郎を買い、あるいは宿屋の下婢おんなに戯れ、酒のためについ堕落して、折角積上げた修業も水の泡に致してしまう事があります、さかんな宗達和尚、お竹の器量と云い、不断の心懸こゝろがけといい、実に惚れ/″\するような女、其の上侍の娘ゆえ中々凛々りゝしい気象なれども、またやさしい処のあるは真に是が本当の女で、かる娘は容易に無いととうから惚込んで、看病をする内にも度々たび/\起る煩悩を断切り/\公案をしては此の念を払って居りましたが、今はまよいの道に踏入ふみいって、我ながら魔界へ落ちたと、ぐっとお竹を□□[#底本2字伏字]める途端に、あたゝかみでふと気が附いたお竹が、眼をいて見ますと、力に思う宗達和尚が、常にもない不行跡ふぎょうせきひげだらけのほおを我が顔へ当てゝ、肌を開いて□□[#底本2字伏字]めて居りますから、驚いて、
竹「アレー、何を遊ばします」
 と宗達和尚を突退つきのけて向うへ駆出しにかゝる袖をしっかり押えて、
宗「お竹さん御道理ごもっともじゃ、どうも迷うた、もうとても出家は遂げられん、わしはお前の看病をして枕元に附添い、次の間にていても、此の程はお前の身体からだが利かんによって、便所へくにも手を引いて連れて行き、足や腰をなでてあげると云うのも、実は私が迷いを起したからじゃ、とても此の煩悩が起きては私は出家が遂げられん、真に私はお前に惚れた、□□□□[#底本4字伏字]私の云う事をいてくだされば、衣も棄て珠数じゅずを切り、生えかゝった月代さかやきを幸いに一つべッついとやらに前をそりこぼって、お前の供をして美作国みまさかのくにまで送って上げ、かたきを討つような話も聞いたが、ような事か理由わけは知らんが、助太刀も仕ようし、又何の様な事でも御舎弟とともに力を添える、誠に面目ない恥入った次第じゃが、何うぞ私の言う事を肯いてくだされ」
 と云われ、呆れてお竹は宗達の顔を見ますと、宗達の顔色は変り、眼の色も変り、少し狂気している容子ようすで、つかみ付きにかゝるのを突退つきのけて、お竹は腹立紛れに懐へ手を入れて、母の形見の合口のつかを握って、寄らば突殺すと云うけんまくゆえ、此方こちらも顔の色が違いました。
竹「宗達さん、あなたはしからぬお方で、御出家のお身上みのうえで……御幼年の時分から御修業なすって、何年の間行脚をなすって、わしは斯う云う修業をした、仏法は有難いものじゃ、斯ういうものじゃによって、お前も迷いを起してはならないと、宿に泊って居りましても臥床ふせる迄は貴方の御教導、あゝ有難いお話で、大きに悟ることもありました、美作まで送って遣ろうとおっしゃっても、他の方なれば断る処なれど、御出家様ゆえ安心して願いました甲斐もなく、貴方がう云うお心になってはなりません、何卒どうぞ迷いを晴らして……おこりはしませんから、元々通り道連れの女と思召して、美作までお送り遊ばしてくださいまし、是迄の御真実はわたくしが存じて居りますから」
宗「むゝう、是程に云ってもお聞済きゝずみはありませんか」
竹「どうして貴方大事を抱えている身の上で其様そんな事が出来ますものか」
宗「うか……そうお前に強う云われたらもう是までじゃ、わしもどうせ迷いを起し魔界にちたれば、あくまでもよこしまく、私はこれで別れる、あなたはわずろうている身体で鴻の巣まできなさい、それもいが、道の勝手を知ってるまい、夜道にかゝって、女の一人旅はような難儀があろうも知れぬ、さ、これで別れましょう」
竹「お別れ申しても仕方がございませんけれども、貴方の迷いの心をひるがえしてさえくだされば、私においてはお恨みとも何とも存じませんから」
宗「いや、お前は何ともあるまいが、此方こちらに有るのじゃ、わし還俗げんぞくしてお前のためには力を添えて、何の様にも仕よう、長旅をして、お前を美作まで送って上げようとは、今迄した修業を水の泡にしてしまうのもみんなお前のためじゃ、何うぞ私のねがいかなえてください、それともかんければ詮方せんかたがない、もう此の上は鬼になって、何の様な事をしても此の念を晴さずには置かん、仕儀によっては手込てごめにもせずばならん」
 と飛付きに掛りますから、お竹はあわてゝ跡へ飛退とびさがって、
竹「迷うたか御出家、寄ると只は置きませんぞ」
 と合口をすらりと引抜いて振上げ、けんまくを変えたから、
宗「おまえはわしを斬る気になったのじゃな、う此の上は可愛さ余って憎さが百倍、さ斬っておくれ」
 と云いながら身をかわして飛付きにかゝる。
竹「そんなれば最う是迄」
 と引払ひっぱらって突きにかゝる途端に、ころり足がすべって雪の中へ転ぶと一杯ののりで、
宗「おゝ何処どこか怪我アせんか」
竹「私を斬ったな、法衣ころもを着るお身で貴方は恐しい殺生戒を破って、ハッ/\、お前さんは鬼になったどころじゃアないじゃになった、あゝ宗達という御出家は人殺しイ」
 と云うが、ピーンと川へ響けます。
宗「あゝ悪い事をした、お竹さんが此様こんな怪我をする事になったのも畢竟ひっきょう我が迷い、実に仏罰は恐ろしいものである」
 と思ったので宗達はカアーと取逆上とりのぼせて、お竹が持っていた合口を捻取ねじとって、
「お前一人は殺しはせん、わしも一緒に死んで、地獄の道案内をしましょう」
 と云いながらわが腹へプツリ。
宗「ウヽーン/\」
竹「もし/\……宗達さま」
宗「あい/\……あい……はアー」
竹「あなたは大層うなされていらっしゃいました」
宗「あい/\、あゝ……おゝ、お竹さま」
竹「はい」
[#「宗」は底本では「竹」]「あなたはお達者で」
竹「あなた怖い夢でも御覧なすったか、大層魘されて、お額へ汗が大変に」
宗「はい/\……お前は何うしたえ」
竹「はい、私は大きに熱が退れましたかして少し落着きました」
宗「左様か、ウヽン……煩悩経にある睡眠、あゝ夢中むちゅうゆめじゃ、実に怖いものじゃの、あゝ悪い夢をました、悪い夢を視ました」
 と心のうちに公案を二十ばかり重ねて云いながら、手拭を出して額と胸のあたりの汗を拭いて、ホッと息をき、
宗「あゝ迷いというものはひどいものじゃ」

        四十

 さて又粂野の屋敷では丁度八月の六日の事でございます。此の程は大殿様が余程御重症でございます。お医者も手に手を尽して種々いろ/\の妙薬を用いるが、どうも効能きゝめが薄いことで、大殿様はお加減の悪い中にまた御舎弟紋之丞様は、只今で云えば疳労かんろうとか肺労とかいうような症で、漸々だん/\お痩せになりまして、勇気のお方がおせきが出るようになり、お手当は十分でございますが、どうも思うように薬の効能が無い、唯今で申せば空気のかわった所へと申すのだが、其の頃では方位が悪いとか申す事で、小梅の中屋敷へいらっしゃるかと思うと、又お下屋敷へ入らっしゃいまして、谷中のお下屋敷で御養生中でありますと、若殿の御病気は変であるという噂が立って来ましたので、忠義の御家来などは心配して居られます。五百石取りの御家来秋月喜一郎というは、の春部梅三郎の伯父に当る人で、御内室はおなみと云って今年三十一で、色の浅黒い大柄でございますが、ごく柔和なお方でございます。或日良人おっとむかい、
浪「いつものばゞあがまいりました、あの大きなかご脊負しょってお芋だの大根だの、や何かを売りに来る婆でございます」
秋「あ、田端辺たばたへんからまいる老婆か、久しく来んで居ったが、なんぞ買ってやったら宜かろう」
浪「貴方がおあつらえだと申してごみだらけのふくべを持ってまいりましたが、あれはお花活はないけに遊ばしましても余りい姿ではございません」
秋「うか、それはどうも……わしが去年頼んで置いたのが出来たのだろう、それでも能く丹誠して……早速さっそく此処こゝへ呼ぶがい、庭へ通した方が宜かろう」
浪「はい」
 と是から下男が案内して庭口へ廻しますと、飛石とびいしを伝ってひょこ/\とばあさまが籠を脊負って入って来ました。縁先の敷物の上に座蒲団を敷き、前の処へ烟草盆が出ている、秋月殿は黒手の細かい縞の黄八丈の単衣ひとえに本献上の帯を締めて、下襦袢したじゅばんを着て居られました。誠にお堅い人でございます。目下の者にまで丁寧に、
秋「さア/\ばゞあこゝへ来い/\」
婆「はい、誠に御無沙汰をしましてま今日こんにちはお庭へ通れとおっしゃって、此様こんなはア結構なお庭を見ることは容易にア出来ねえ事だから、ま遠慮申さねえばなんねえが、御遠慮申さずに見て、※(「女+息」、第4水準2-5-70)よめっ子や忰に話して聞かせべいと思ってめえりました、皆様お変りもごぜえませんで」
秋「ばゞア丈夫だの、幾歳いくつになるの」
婆「はい、六十八になりますよ」
秋「六十八、左様か、アハヽヽヽいやどうも達者だな田端だっけな」
婆「はい、田端でごぜえます」
秋「名は何という」
婆「はい、おなわと申します」
秋「妙な名だな、お繩…フヽヽ余り聞かん名だの」
婆「はいあのわしの村の鎮守様は八幡様はちまんさまでごぜえます、其の別当は真言宗で東覚寺とうかくじと申します、其の脇に不動様のお堂がごぜえましてわたくし両親ふたおやが子がえって其の不動様へ心願しんがんを掛けました処が、不動様が出てござらっしゃって、左の手で母親おふくろの腹ア緊縛しっちばって、せつないと思って眼え覚めた、申子もうしごでゞもありますかえ、それから母親がおっぱらんで、だん/″\腹がでかくなって、当る十月とつきわしが生れたてえ話でごぜえます、縄で腹ア縛られたからお繩とけたらかんべえと云って附けたでごぜえますが、是でも生れた時にゃア此様こんな婆アじゃアごぜえません」
秋「アハヽヽ田舎の者は正直だな、手前は久しく来なかったのう」
婆「はい、ま、ね、秋は一番忙がしゅうごぜえまして、それになにわしなどは田地を沢山持って居ねえもんだから、他人ひとの田地を手伝をして、小畠こばた取上とりやげたものをちっとべえ売りにめえります、白山の駒込の市場へめえって、彼処あすこで自分の物を広げるだけの場所を借りれば商いが出来ます」
秋「成程左様か、娘が有るかえ」
婆「いえ嫁っ子でごぜえます、是が心懸のいもので、忰と二人で能く稼ぎます、わしうちにばかり居ちゃア小遣取こづけえどりが出来ましねえから、斯うやって小遣取りに出かけます」
秋「そうか、茶ア遣れ、さ菓子をやろう」
婆「有難う…おや/\まアれだけおくんなさいますか、まア此様こんな沢山えら結構なお菓子を」
秋「いよ、また来たら遣ろう」
婆「はい、此のめえめえりました時、でけえ御紋の附いたお菓子を戴きましたっけ、在所に居ちゃアとても見ることも出来ねえ、お屋敷様からいたゞえた、有りがたい事だって村中の子供のある処へちっとずつ遣りましたよ、毎度はや誠に有難い事でござえます」
秋「どうだ、暑中の田の草取りは中々辛いだろうのう」
婆「はい、熱いと思っちゃア兎ても出来ませんが、草が生えると稲が痩せますから、何うしてもってやらねえばなりませんが、此間こねえだもうけもんでござえまして、蝦夷虫えどむし一疋いっぴき取れば銭い六百ずつくれると云うから、大概の前栽物せんざいもの脊負しょい出すより其の方が楽だから、おまえさまとッつかめえて、毒なア虫でごぜえますから、かごへ入れてふたをしては持ってめえります」
秋「ムヽウ、それは何ういう虫だえ」
婆「あの斑猫はんみょうてえ虫で」
秋「ムヽウ斑猫……何か一疋で六百文ずつ……どんな処にいるものだえ」
婆「はい、豆の葉にたかって居ります、在所じゃア蝦夷虫えどむしと云っていやがりますよ」
秋「なんにいたすのだ」
婆「何だかお医者がいて来まして膏薬こうやくると、これがでけえ薬になる、毒と云うものも、使いようで薬に成るだてえました」
秋「ムヽウ、の位つかまった」
婆「左様でごぜえます、沢山たくさんでなければ利かねえって、なんにするんだか沢山たんとるって、えらつかめえましたっけ」
秋「そりゃア妙だ、医者は何処どこの者だ」
婆「何処の者だか知んねえで、一人男を連れて来て、其の虫をつかまって置きさえすれば六百ずつ置いては持ってきます、其の人は今日お前様白山へめえりますと、白山様の門の坂の途中のとこにある、小金屋という飴屋にいたゞよ、わし懇意ちかづきだからお前様のうち此処こゝかえと何気なしに聞くと、其の男が言っては悪いというように眼附をしましたっけ」
秋「はて、それから何う致した」
婆「わしも小声で、今日は虫が沢山たくさんれましねえと云うと、明日あした己が行くから今日は何も云うなって銭いたもとへ入れたから、幾許いくらだと思って見ると一貫呉れたから、あゝ是は内儀かみさんや奉公人に内証ないしょうで毒虫を捕るのだと勘づきましたよ」
秋「ムヽウ白山前の小金屋という飴屋か」
婆「はい」
秋「あれは御当家の出入でいりである……茶のいのを入れてください、婆ア飯を馳走をしようかな」
婆「はい、有難う存じます」
秋「婆アちっと頼みたい事があるが、明日あした手前のうちわしくがな、其の飴屋という者を内々ない/\で私に会わしてくれんか」
婆「はい、殿様はの飴屋の御亭主を御存じで」
秋「いや/\知らんが、少し思うことがある、それゆえ貴様のうちくんだが、貴様の家は二間ふたまあるか、失礼な事を云うようだが、広いかえ」
婆「店のとこは土間になって居りまして、折曲おりまがって内へ入るんでがすが、土間へは、まきを置いたり炭俵を積んどくですが、二間ぐれえはごぜえます、庭もちっとばかりあって、奥が六畳になって、縁側附でも切ってあって、都合が宜うごぜえます、其の奥の方も畳を敷けば八畳もありましょうか、すぐに折曲って台所になって居ります」
秋「そんなら六畳の方でも八畳の方でもいが、そのところに隠れていて、飴屋の亭主が来た時にわしに知らしてくれ、それまで私を奥の方へ隠して置くような工夫をしてくれゝばかたじけないが、隠れる処があるかえ」
婆「はい、せもうござえますし、それに殿様が入らっしたって、汚くって坐る処もないが、うえ藤右衞門とうえもんとこ屏風びょうぶが有りますから、それを立廻たてまわしてあげましょう」
秋「それは至極宜かろう、何でも宜しい、わしが弁当を持ってくから別に厄介にはならん」
婆「うめえものは有りませんが、在郷ざいごのことですから焚立たきたての御飯ぐらいは出来ます、畑物の茄子なすぐらい煮て上げましょうよ」
秋「うしてくれゝば千万かたじけないが、事に寄るとわし一人ひとりくがな、飴屋の亭主に知れちゃアならんのだが、何時なんどきぐらいに飴屋の亭主は来るな」
婆「左様さ、大概お昼をあがってから出て参りますが、あれでも未刻過やつすぎぐらいにはまいりましょうか、それとも早く来ますかも知れませんよ」
秋「そんならわし正午前ひるまえに弁当を持ってまいる、村方の者にも云っちゃアならん」
婆「ハア、それは何ういう理由わけで」
秋「此のほうに少し訳があるんだ、注文をして置いた瓢覃ひょうたんを持って来たとな」
婆「誠に妙ななりでお役に立つか知りませんが」
 と差出すを見て、
秋「斯ういうかたちじゃア不都合じゃが」
婆「其の代り無代たゞで宜うがんす、口を打欠ぶっけえて種子たねえ投込んで、のきへ釣下げて置きましたから、銭も何もらねえもんでごぜえますが、思召おぼしめしが有るなら十六文でも廿四文でも戴きたいもんで」
秋「是はほんの心ばかりだが、百ぴき遣る」
婆「いや何う致しまして、殿様此様こんなに戴いては済みません」
秋「いや、とっとけ/\、おまんまべさせてやろう」
 と是からおまんまを喫べさせて帰しました。さて秋月喜一郎は翌日野掛のがけ姿なりになり、弁当を持たせ、家来を一人召連れてばゞアの宅を尋ねてまいりました。の田端村から西の方へ深く切れてまいると、丁度東覚寺の裏手に当ります処で。
秋「此処こゝかの、……ばゞア在宅うちか、此処かの、婆はいないか」
婆「ホーイ、おやおいでなせえましよ、さ此処こゝでござえますよ、ままどうも…今朝けさっから忰も悦んで、殿様がおいでがあると云うので、まちに待って居りました処でござえます、何卒どうぞすぐにおあがんなすって……お供さん御苦労さまでごぜえました」
秋「其の様に大きな声をして構ってくれては困る、世間へ知れんように」
婆「心配ごぜえませんからお構えなく」
秋「左ようか……其の包を其の儘此方こっちへ出してくれ」
婆「はい」
秋「これ婆ア、是は詰らんものだが、ほんの土産みやげだ、れは御新造ごしんぞが婆アが寒い時分に江戸へ出て来る時に着る半纏はんてんにでもしたら宜かろう、綿は其方そっちにあろうと云って、有合せの裏をつけてよこしました」
婆「あれアまア……魂消たまげますなア、此様こんなに戴きましては済みませんでごぜえます、これやい此処こゝう忰や」
忰「へえ御免なせえまし……毎度めえどハヤばゞが出まして御贔屓になりまして、けえって来ましちゃア悦んで、何とハア有難ありがたえ事で、おれような身の上でお屋敷へ出て、立派なアお方さまの側で以てからにおまんまア戴いたり、直接じかにお言葉を掛けて下さるてえのは冥加みょうが至極だと云って、毎度めいどけえりますとお屋敷の噂ばかり致して居ります、へえ誠に有難い事で」
秋「いや/\ばゞアに碌に手当もせんが、今日は少し迷惑だろうが、少しの間座敷を貸してくれ、弁当は持参してまいったから、決して心配をしてくれるな、兎や角構ってくれてはかえって困る、これは貴様の妻か」
嘉「へえ、わしかゝあでごぜえます、ぞんぜえもので」
妻「お入来いでなせえまし、毎度おっかめえりましては種々いろ/\御厄介になります、何うかお支度を」
秋「いやもう構ってくれるな、早く屏風を立廻してくれ」
婆「かしこまりました、破けて居りますが、あれでも借りてめえりましょう、其処そこうちでは自慢でごぜえます、村へへい画工えかきいたんで、立派というわけにはめえりません、お屋敷様のようじゃアないが、丹誠して描いたんだてえます」
秋「成程是は妙なだ、福禄寿ふくろくじゅにしては形が変だな、成程大分だいぶんい画だ」
婆「うちこしらえた新茶でがんす、嘉八かはちや能くお礼を申上げろ」
嘉「誠に有難うごぜえます、貴方あんた飴屋がめえりますと、何かお尋ねなせえますで」
秋「其様そんなことを云っちゃアいけない」
嘉「実はその去年から頼まれて居りますが、ばアさまの云うにア、それはえがおかしいじゃアなえか、何ういう理由わけか知んねえ、毒な虫をって六百文貰ってえかえ、なに構ア事はなえが、黒い羽織を着て、立派なア人が来るです」
秋「まゝ其様そんなことを云っちゃアいけない」
嘉「へえ/\、なに此処こゝは別に通る人もごぜえませんけれども、梅の時分には店へ腰をかけて、草臥足くたびれあしを休める人もありますから、ちっとべえ駄菓子を置いて、草履ぞうり草鞋わらじ吊下つるさげて、商いをほんの片手間に致しますので、子供も滅多に遊びにもめえりません、手習てならいをしまって寺から帰って来ると、一文菓子をくれせえと云ってめえりますが、それまではたれめえりませんから、安心して何でもおっしゃいまし、お帰りに重とうござえましょうが、芋茎ずいきでかく成りましたから五六ひっこ抜いてお土産にお持ちなすって」
供「旦那さま、芋茎のお土産は御免をこうむりとうございます……御亭主旦那様は芋茎がお嫌いだからお土産は成るたけ軽いものがい」
嘉「軽いものと仰しゃっても今上げるものはごぜえません、南瓜とうなすがちっと残って居ますし、柿は未だ少し渋が切れないようですが、柿を」
供「柿のはお屋敷にもあります」
秋「今日こんにちは来ないかの」
嘉「いえ急度きっとめえるに相違ごぜえません」
 と云っている内に、只今の午後三時とおもう頃にってまいりましたのは、飴屋の源兵衞でございます。
源「あい御免よ」
婆「はい、お出でなせえまし、さ、おあがんなせえまし」
源「あゝ何うも草臥くたびれた、此処こゝまで来るとがっかりする、あい誠に御亭主此間こないだは」
嘉「へえ、是はいらっしゃいまし、久しくおいでがごぜえませんでしたな、漸々だん/″\秋も末になってめえりまして、毒虫も思うようにれねえで」
源「これ/\大きな声をするな、れは毒のを取って膏薬をこしらえるんだ、わしは前に薬種屋きぐすりやだと云ったが、昨日きのうばアさんに会った、隠し事は出来ねえもんだ、これは口止めだよ、少しばかりだが」
[#「嘉」は底本では「源」]「どうもこれは…」
源「其の代り他人ひとに云うといけないよ」
嘉「いえ申しませんでごぜえます」
源「わし十露盤そろばんを取って商いをする身だから、沢山たんとの礼も出来ないが、五両上げる」
嘉「えゝ、五両……魂消たまげますな、五両なんて戴く訳もなし、一疋つかまえて六百文ずつになれば立派な立前たちめえはあるのに、此様こんなに、でかく戴きますのは止しましょうよ」
源「いや/\其様そんなことを云わないで取ってお置き、事に寄るとめになる事もあるから、決して他人ひとに云っちゃア成りませんよ、わしが頼んだという事を」
婆「それは忰も嫁も心配しんぺえっていますが、他の者じゃアなし、毒な虫をお前様に六百ずつで売って、何ういう事で間違えでも出来やアしねえかと心配しんぺいしてえます」
源「其様そんな事は有りゃアしないよ、此の虫を沢山たんとつかまえて医者様がびんの中へ入れて製法すると、はげしい病もなおるというは、薬の毒と病の毒と衝突かちあうから癒るというので、ま其様なに心配しないでも宜い」
婆「お金は戴きませんよ、なア忰」
嘉「えゝ、これは戴けません、此間こねえだから一疋で六百ずつの立前たちめえになるんでせえ途方もえ事だと思ってるくれえで、これが玉虫とか皀角虫さいかちむしとかをるのなれば大変だが、豆の葉にたかってゝ誰にでも捕れるものを大金てえきんを出して下さるだもの、其様そんなに戴いちゃア済みません」
源「これ/\其様そんな大きな声を出しちゃアいけない」
嘉「これは何うしても戴けません」
源「そこに種々いろ/\理由わけがあるんだ、其様そんなことを云っては困る、これは取って置いてくれ」
嘉「へえ立前たちめえは戴きます、ま此方こっちへおあがんなすって、なに其処そこを締めろぴったり締めて置け、砂がへいっていかねえから……えゝゝ風がへいりますから、ま此方こっちへ……何もごぜえませんがおまんまでもべてっておくんなせえまし」
源「お飯はべたくないが、礼を受けてくれんと誠に困るがな、受けませんか」
嘉「へえ」
 と何う有っても受けない、百姓は堅いから何うしても受けません。源兵衞も困って、
源「そんなら茶代に」
 と云って二分にぶ出しますと、
嘉「お構い申しもしませんのに……お茶代と云うだけに戴きましょう、誠にどうも、へえ」
源「今日は帰ります、ばアさん又彼方あっちへ来たらお寄り、だが、私が此処こゝへ来たことは家内へ知れると悪いから、店へは寄らん方がい、店には奉公人もいるから」
婆「いえ、お寄り申しませんよ、はい左様なら、気を附けてお帰んなせえましよ」
源「あい」
 是から麻裏草履を穿いて小金屋源兵衞が出にかゝる屏風の中で。
秋月「源兵衞源兵衞」
 と呼ばれ、源兵衞は不審な顔をして振反ふりかえり、
源「誰だ……何方どなたでげす、私をお呼びなさるのは何方ですな」
秋「わしじゃ、一寸ちょっとあがれ、ま此方こっちへ入ってもい、思い掛ない処で会ったな」
源「何方どなたでげす」
 と屏風を開けて入り、其の人を見ると、秋月喜一郎という重役ゆえ、源兵衞はきもつぶし、胸にぎっくりとこたえたが、素知そしらぬていにて。
源「誠に思い掛ない処で、御機嫌宜しゅう」
秋「少し手前に尋ねたい事があって、急ぐか知らんが、同道しても宜しい、しばらく待ってくれ、少し問う事がある、源兵衞其の方は何ういう縁か、飴屋風情でお屋敷の出入町人となっている故、殿様の有難いかたじけないという事を思うなら、又此のほうが貴様を引廻してもつかわすが、しん以てかみを有難いと心得てお出入をするか、それから先へ聞いて、あとゆっくり話そう」
源「へえ誠にどうも細い商いでございますが、御用向を仰付けられて誠に有難いことだ、冥加至極と存じまして、へえ結構な菓子屋や其ののお出入もある中にて、飴屋風情がお出入とは実に冥加至極と存じて居ります、殿様が有難くないなどゝ誰が其様そんなことを申しました」
秋「いやうじゃアない、真に有難いと心得てるだろう」
源「それは仰しゃるまでもございません、此ののちともお引廻しを願いとう存じます」
秋「それでは源兵衞、手前がように隠しても隠されん処の此方こちらに確かな証拠がある、隠さずに云え、じゃが手前は何ういう訳で斑猫はんみょうという毒虫をばゝに頼んで一疋六百ずつで買うか、それを聞こう」
 と源兵衞の顔を見詰めているうちに、顔色がんしょくが変ってまいると、秋月喜一郎はわざとにや/\笑いかけました。


 

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