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断崖の錯覚(だんがいのさっかく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-20 9:27:14  点击:  切换到繁體中文


        九

 そのように善良な雪を、なぜ私が殺したのか! ああ、私は、一言も弁解ができない。なにもかも、私が悪い! 虚栄の子は、虚栄のために、人殺しまでしなければいけない。私は私の過去に犯した大罪を、しらじらしく、小説に組みたてて行くほどの、まだそれほどの破廉恥漢ではない。以下、私は、祈りの気持で、懺悔の心で、すべてをいつわらずに述べてみよう。
 私が雪を殺したのは、すべて虚栄の心からである。その夜、私たちは、結婚のちぎりをした。私の知られざる傑作「初恋の記」のハッピイ・エンドにくらべて、まさるとも劣らぬ幸福なささやきを交した。私は、結婚を予想せずに女を愛することができなかった。
 翌朝、私は、雪と一緒に、またこっそり湯殿のかげの小さいくぐり戸から外へ出たのである。なぜ、一緒に出たのであろう。わかい私には、そのような一夜を明して、女をひとりすげなく帰すのは、許しがたい無礼であると考えられたのである。夜明けのまちには、人ひとり通らなかった。私たちは、未来のさまざまな幸福を語り合って、胸をおどらせた。私たちは、いつまでもそうして歩いていたかった。雪は旅館の裏山へ私を誘った。私も、よろこんでついて行った。くねくね曲った山路をならんでのぼりながら、雪は、なにかの話のついでに、とつぜん或る新進作家の名前で私を高く呼んだ。私は、どきんと胸打たれた。雪の愛している男は私ではない。或る新進作家だったのだ。私は目の前の幸福が、がらがらと音をたてて崩れて行くのを感じたのである。ここで私は、すべてを告白してしまったら、よかったのである。すくなくとも雪を殺さずにすんだのかも知れない。しかし、それができなかった。そんな恥かしいことは死ぬるともできなかった。私はおのれの顔があおざめて行くのを、自身ではっきり意識した。
 雪も流石さすがに、私のそんなうち沈んだ様子に不審をいだいたらしかった。
「どうなすったの? 私、判るわ。いやになったのねえ。あなたの花物語という小説に、こんな言葉があったわねえ。一目見て死ぬほど惚れて、二度目には顔を見るさえいやになる、そんな情熱こそはほんとうに高雅な情熱だって書かれていたわねえ。判ったわよ。」
「いや、あれは、くだらん言葉だ。」
 私は、あくまでも、その新進作家をよそわねばならなかった。どうせ判ることだ。まっかな贋物だと判ることだ。ああ、そのとき!
 私は、できるだけ平静をよそって、雪のよろこびそうな言葉をならべた。雪は気嫌きげんを直した。私たちは、山の頂きにたどりついた。すぐ足もとから百丈もの断崖になっていて、深い朝霧の奥底に海がゆらゆらうごいていた。
「いい景色でしょう?」
 雪は、晴れやかに微笑みつつ、胸を張って空気を吸いこんだ。
 私は、雪を押した。
「あ!」
 口を小さくあけて、嬰児えいじのようなべそをいて、私をちらと振りむいた。すっと落ちた。足をしたにしてまっすぐに落ちた。ぱっとすそがひろがった。
「なに見てござる?」
 私は、落ちついてふりむいた。山のきこりが、ひっそり立っていた。
「女です。女を見ているのです。」
 年老いたきこりは、不思議そうな面持で、崖のしたをのぞいた。
「や、ほんとだ。女が浪さ打ちよせられている。ほんとだ。」
 私はそのときは放心状態であった。もし、そのきこりが、お前がつき落したのだろうと言ったら、私はそうだと答えたにちがいない。しかし、それは、いまにして判ったのであるが、そのきこりが、私を疑えない筈だった。それは断崖の百丈の距離が、もたらして呉れた錯覚である。たったいま手をかけて殺した男が、まさか、これほど離れた場所に居れる筈がない。私が、当前ママ、山の上を散歩していたということは、私の不在証明アリバイにさえなるかも知れぬ。このような滑稽な錯覚が現実にままあるらしい。きこりは私を忘れて、山のきこり仲間にふれ歩いた。それから雪の死体を海から引きあげるのに三時間以上をついやした。断崖のしたの海岸まで行くのには、どうしても、それだけの時間がかかるのである。私は、ひとりぼんやり山を降りた。ああ、しかし内心は、ほっとしていたのである! これでもう何もかも、かたがついた。私はなんの恥辱も受けない。もう東京へ帰ろう。雪が、ゆうべ私のところへ泊ったことは誰も知らぬ。私は、いま、ただ朝の散歩から帰ったところだ。「いでゆ」でも雪のほかは、私のにせの名前も居どころをさえ知らない。知れないうちに東京へ帰ろう。東京へ帰ったならば、もうしめたものだ。ああ、私が本名を言わずに、他人の名前を借りたことが、こんなときに役立とうとは。

        十

 万事がうまく行った。私は、わざと出発をのばして、まちの様子をひそかにさぐった。雪が酒に酔って、海岸を散歩して、どこかの岩をふみすべったのだろう、と言うことにきまった。雪は海の深いところに落ちこんだらしく、さのみ怪我けがしていなかったようだ。客を送って出たというがそれは雪の酔っぱらったときの癖で、誰をでも送って行くのだそうだ。そんな、だらしない癖が、いけなかったと、宿のものも言っていた。その客は、東京のひとだそうだ、となにげなさそうに言っていた。もはや、ぐずぐずして居られぬ。私は、ゆっくり落ちつきながら、尚いちにち泊って、それから東京へ帰った。
 万事がうまく行ったのである。すべて断崖のおかげであった。断崖が高すぎたのである。もし、十丈の断崖だったら、或いは、こんなことにならなかったかも知れぬ。しかし、私ときこりの見た雪は、ただぼんやりした着物の赤い色だけであった。一瞬にして、ふたつの物体が、それこそ霞をへだてて離れ去り得る、このなんでもない不思議が、きこりには解けなかったのであろう。
 それから、五年経っている。しかし、私は無事である。しかし、ああ、法律はあざむき得ても、私の心は無事でないのだ。雪に対する日ましにつのるこの切ない思慕の念は、どうしたことであろう。私が十日ほど名を借りたかの新進作家は、いまや、ますます文運隆々とさかえて、おしもおされもせぬ大作家になっているのであるが、私は、――大作家になるにふさわしき、殺人という立派な経験をさえした私は、いまだにひとつの傑作も作り得ず、おのれの殺した少女に対するやるせない追憶にふけりつつ、あえぎあえぎその日を送っている。

(完)





底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(昭和64)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:石川友子
2000年4月19日公開
2004年3月4日修正
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