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草枕(くさまくら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:32:21  点击:  切换到繁體中文

        一

 山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、つかの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命がくだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするがゆえたっとい。
 住みにくき世から、住みにくきわずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、である。あるは音楽と彫刻である。こまかにえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌もく。着想を紙に落さぬとも※(「王へん+樛のつくり」、第3水準1-88-22)きゅうそうおん胸裏きょうりおこる。丹青たんせい画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさい絢爛けんらんおのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かくかんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収めればる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家には※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)せっけんなきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのう解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかい出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじ乾坤けんこん建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよく覊絆きはん掃蕩そうとうするの点において、――千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。
 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きときうれいいよいよ深く、たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものがえればも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足をささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えばらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
 かんがえがここまで漂流して来た時に、余の右足うそくは突然すわりのわるい角石かくいしはしを踏みくなった。平衡へいこうを保つために、すわやと前に飛び出した左足さそくが、仕損しそんじのあわせをすると共に、余の腰は具合よくほう三尺ほどな岩の上にりた。肩にかけた絵の具箱がわきの下からおどり出しただけで、幸いとなんの事もなかった。
 立ち上がる時に向うを見ると、みちから左の方にバケツを伏せたような峰がそびえている。杉かひのきか分からないが根元ねもとからいただきまでことごとく蒼黒あおぐろい中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引たなびいて、しかと見えぬくらいもやが濃い。少し手前に禿山はげやまが一つ、ぐんをぬきんでてまゆせまる。禿げた側面は巨人のおのけずり去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底にうずめている。天辺てっぺんに一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然はっきりしている。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布けっとが動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義なんぎだ。
 土をならすだけならさほど手間てまるまいが、土の中には大きな石がある。土はたいらにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩ほりくずした土の上に悠然ゆうぜんそばだって、吾らのために道を譲る景色けしきはない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。いわのない所でさえるきよくはない。左右が高くって、中心がくぼんで、まるで一間はばを三角に穿って、その頂点が真中まんなかつらぬいていると評してもよい。路を行くと云わんより川底をわたると云う方が適当だ。もとより急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲ななまがりへかかる。
 たちまち足の下で雲雀ひばりの声がし出した。谷を見下みおろしたが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせとせわしく、絶間たえまなく鳴いている。方幾里ほういくりの空気が一面にのみに刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴くには瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句あげくは、流れて雲にって、ただようているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空のうちに残るのかも知れない。
 巌角いわかどを鋭どく廻って、按摩あんまなら真逆様まっさかさまに落つるところを、きわどく右へ切れて、横に見下みおろすと、の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金こがねの原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、あが雲雀ひばりが十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字にれ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
 春は眠くなる。猫は鼠をる事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分のたましい居所いどころさえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼がめる。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然はんぜんする。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦あんしょうして見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。

  We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、しりえを見ては、物欲ものほしと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、きわみの歌に、悲しさの、極みのおもいこもるとぞ知れ」
 なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌うわけには行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛ばんこくうれいなどと云う字がある。詩人だから万斛で素人しろうとなら一ごうで済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨ぼんこつの倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量のかなしみも多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
 しばらくは路がたいらで、右は雑木山ぞうきやま、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英たんぽぽを踏みつける。のこぎりのような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色なたまを擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座ちんざしている。呑気のんきなものだ。また考えをつづける。
 詩人にうれいはつきものかも知れないが、あの雲雀ひばりを聞く心持になれば微塵みじんもない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸がおどるばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物けいぶつに接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥くたびれて、うまいものが食べられぬくらいの事だろう。
 しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一ぷくとして、一かんの詩として読むからである。であり詩である以上は地面じめんを貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲ひともうけする了見りょうけんも起らぬ。ただこの景色が――腹のしにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配もともなわぬのだろう。自然の力はここにおいてたっとい。吾人の性情を瞬刻に陶冶とうやして醇乎じゅんことして醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
 恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がそのきょくに当れば利害の旋風つむじき込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目はくらんでしまう。したがってどこに詩があるか自身にはしかねる。
 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居はて面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害はたなへ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
 それすら、普通の芝居や小説では人情をまぬかれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄とりえは利慾がまじらぬと云う点にそんするかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒じょうしょは常よりは余計に活動するだろう。それがいやだ。
 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通しとおして、飽々あきあきした。き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞こぶするようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界じんかいを離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌しいかの純粋なるものもこのきょう解脱げだつする事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世うきよ勧工場かんこうばにあるものだけで用をべんじている。いくら詩的になっても地面の上をけてあるいて、ぜにの勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀ひばりを聞いて嘆息したのも無理はない。
 うれしい事に東洋の詩歌しいかはそこを解脱げだつしたのがある。採菊きくをとる東籬下とうりのもと悠然ゆうぜんとして見南山なんざんをみる。ただそれぎりのうちに暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘がのぞいてる訳でもなければ、南山なんざんに親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的しゅっせけんてきに利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。ひとり坐幽篁裏ゆうこうのうちにざし弾琴きんをだんじて復長嘯またちょうしょうす深林しんりん人不知ひとしらず明月来めいげつきたりて相照あいてらす。ただ二十字のうちにゆう別乾坤べつけんこん建立こんりゅうしている。この乾坤の功徳くどくは「不如帰ほととぎす」や「金色夜叉こんじきやしゃ」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てたのちに、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気のんき扁舟へんしゅううかべてこの桃源とうげんさかのぼるものはないようだ。余はもとより詩人を職業にしておらんから、王維おうい淵明えんめい境界きょうがいを今の世に布教ふきょうして広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人ひとり絵の具箱と三脚几さんきゃくきかついで春の山路やまじをのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしのでも非人情ひにんじょうの天地に逍遥しょうようしたいからのねがい。一つの酔興すいきょうだ。
 もちろん人間の一分子いちぶんしだから、いくら好きでも、非人情はそう長く続くわけには行かぬ。淵明だってねん年中ねんじゅう南山なんざんを見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪たけやぶの中に蚊帳かやを釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、えたたけのこ八百屋やおやへ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情がつのってはおらん。こんな所でも人間にう。じんじん端折ばしょりの頬冠ほおかむりや、赤い腰巻こしまきあねさんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本のひのきに取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気をんだり吐いたりしても、人のにおいはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵こよいの宿は那古井なこい温泉場おんせんばだ。
 ただ、物は見様みようでどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げたことばに、あのかねおとを聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第みようしだいでいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路うきよこうじの何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見おのうはいけんの時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落しちきおちでも、墨田川すみだがわでも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれはじょう分芸ぶげい七分で見せるわざだ。我らが能からけるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際てぎわから出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長ゆうちょう振舞ふるまいをするからである。
 しばらくこの旅中りょちゅうに起る出来事と、旅中に出逢であう人間を能の仕組しくみと能役者の所作しょさに見立てたらどうだろう。まるで人情をてる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまではぎつけたいものだ。南山なんざん幽篁ゆうこうとはたちの違ったものに相違ないし、また雲雀ひばりや菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間をてみたい。芭蕉ばしょうと云う男は枕元まくらもとへ馬が尿いばりするのをさえな事と見立てて発句ほっくにした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、じいさんもばあさんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似まねをするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本をぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤じんじかっとう詮議立せんぎだてをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見ればつかえない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ているわけに行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらのふところには容易に飛び込めない訳だから、つまりはの前へ立って、画中の人物が画面のうちをあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。あいだ三尺もへだてていれば落ちついて見られる。あぶななしに見られる。ことばえて云えば、利害に気を奪われないから、全力をげて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識かんしきする事が出来る。
 ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂もたかかっていたと思ったが、いつのまにか、くずして、四方しほうはただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花はくに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸がこまやかでほとんど霧をあざむくくらいだから、へだたりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山のが右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山のすそと見える。深くめる雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 路は存外ぞんがい広くなって、かつたいらだから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂あまだれがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子まごがふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶれたね」
 まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画かげえのように雨につつまれて、またふうと消えた。
 ぬかのように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ひとすじごとに風にかれるさままでが目にる。羽織はとくに濡れつくして肌着にみ込んだ水が、身体からだ温度ぬくもり生暖なまあたたかく感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行あるく。
 茫々ぼうぼうたる薄墨色うすずみいろの世界を、幾条いくじょう銀箭ぎんせんななめに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にもまれる。有体ありていなるおのれを忘れつくして純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和をたもつ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡がりの人にもあらず。依然として市井しせいの一豎子じゅしに過ぎぬ。雲煙飛動のおもむきも眼にらぬ。落花啼鳥らっかていちょうの情けも心に浮ばぬ。蕭々しょうしょうとしてひと春山しゅんざんを行くわれの、いかに美しきかはなおさらにかいせぬ。初めは帽を傾けて歩行あるいた。のちにはただ足のこうのみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目まんもく樹梢じゅしょううごかして四方しほうより孤客こかくせまる。非人情がちと強過ぎたようだ。

        二

「おい」と声を掛けたが返事がない。
 軒下のきしたから奥をのぞくとすすけた障子しょうじが立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋わらじさびしそうにひさしからつるされて、屈托気くったくげにふらりふらりと揺れる。下に駄菓子だがしの箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭ぶんきゅうせんが散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間のすみに片寄せてあるうすの上に、ふくれていたにわとりが、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈どべっついが、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜ちゃがまがかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下はきつけてある。
 返事がないから、無断でずっと這入はいって、床几しょうぎの上へ腰をおろした。にわとり羽摶はばたきをしてうすから飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子しょうじがしめてなければ奥までけぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐かいぬのように考えているらしい。床几の上には一升枡いっしょうますほどな煙草盆たばこぼんが閑静に控えて、中にはとぐろをいた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長ゆうちょういぶっている。雨はしだいに収まる。
 しばらくすると、奥の方から足音がして、すすけた障子がさらりとく。なかから一人の婆さんが出る。
 どうせ誰か出るだろうとは思っていた。へついに火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気のんきに燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世みせけ放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
 二三年前宝生ほうしょうの舞台で高砂たかさごを見た事がある。その時これはうつくしい活人画かつじんがだと思った。ほうきかついだ爺さんが橋懸はしがかりを五六歩来て、そろりと後向うしろむきになって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんどむきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶおれなさった。今火をいてかわかして上げましょ」
「そこをもう少ししつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二声ふたこえにわとりを追いげる。こここことけ出した夫婦は、焦茶色こげちゃいろの畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へふんれた。
「まあ一つ」と婆さんはいつのにかり抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒くげている底に、一筆ひとふでがきの梅の花が三輪無雑作むぞうさに焼き付けられている。
「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ごまねじと微塵棒みじんぼうを持ってくる。ふんはどこぞに着いておらぬかとながめて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
 婆さんは袖無そでなしの上から、たすきをかけて、へっついの前へうずくまる。余はふところから写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。
「閑静でいいね」
「へえ、御覧の通りの山里やまざとで」
うぐいすは鳴くかね」
「ええ毎日のように鳴きます。此辺ここらは夏も鳴きます」
「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」
「あいにく今日きょうは――先刻さっきの雨でどこぞへ逃げました」
 折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火がさっと風を起して一尺あまり吹き出す。
「さあ、あたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端のきばを見ると青い煙りが、突き当ってくずれながらに、かすかなあとをまだ板庇いたびさしにからんでいる。
「ああ、い心持ちだ、御蔭おかげで生き返った」
「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌てんぐいわが見え出しました」
 逡巡しゅんじゅんとして曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山ぜんざん一角いっかくは、未練もなく晴れ尽して、老嫗ろううの指さすかた※(「山/贊」、第4水準2-8-72)※(「山+元」、第3水準1-47-69)さんがんと、あらけずりの柱のごとくそびえるのが天狗岩だそうだ。
 余はまず天狗巌をながめて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々はんはんに両方を見比みくらべた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂たかさごばばと、蘆雪ろせつのかいた山姥やまうばのみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄ものすごいものだと感じた。紅葉もみじのなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生ほうしょう別会能べつかいのうを観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あのめんは定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、おだやかに、あたたかに見える。金屏きんびょうにも、春風はるかぜにも、あるは桜にもあしらってつかえない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手をかざして、遠く向うをゆびさしている、袖無し姿の婆さんを、春の山路やまじの景物として恰好かっこうなものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、今しばらくという途端とたんに、婆さんの姿勢は崩れた。
 手持無沙汰てもちぶさたに写生帖を、火にあててかわかしながら、
「御婆さん、丈夫そうだね」とたずねた。
「はい。ありがたい事に達者で――針も持ちます、もうみます、御団子おだんごきます」
 この御婆さんに石臼いしうすかして見たくなった。しかしそんな注文も出来ぬから、
「ここから那古井なこいまでは一里らずだったね」と別な事を聞いて見る。
「はい、二十八丁と申します。旦那だんな湯治とうじ御越おこしで……」
「込み合わなければ、少し逗留とうりゅうしようかと思うが、まあ気が向けばさ」
「いえ、戦争が始まりましてから、とんと参るものは御座いません。まるで締め切り同様で御座います」
「妙な事だね。それじゃめてくれないかも知れんね」
「いえ、御頼みになればいつでも宿めます」
「宿屋はたった一軒だったね」
「へえ、志保田しほださんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」
「じゃ御客がなくても平気な訳だ」
「旦那は始めてで」
「いや、久しい以前ちょっと行った事がある」
 会話はちょっと途切とぎれる。帳面をあけて先刻さっきの鶏を静かに写生していると、落ちついた耳の底へじゃらんじゃらんと云う馬の鈴がきこえ出した。この声がおのずと、拍子ひょうしをとって頭の中に一種の調子が出来る。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘われるような心持ちである。余は鶏の写生をやめて、同じページのはじに、
春風や惟然いねんが耳に馬の鈴
と書いて見た。山を登ってから、馬には五六匹逢った。逢った五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。
 やがて長閑のどか馬子唄まごうたが、春にけた空山一路くうざんいちろの夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えてもにかいた声だ。
馬子唄まごうた鈴鹿すずか越ゆるや春の雨
と、今度ははすに書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。
「また誰ぞ来ました」と婆さんがなかひとごとのように云う。
 ただ一条ひとすじの春の路だから、行くも帰るも皆近づきと見える。最前うた五六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこの婆さんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山をくだり、思われては山を登ったのだろう。路寂寞じゃくまく古今ここんの春をつらぬいて、花をいとえば足を着くるに地なき小村こむらに、婆さんは幾年いくねんの昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日こんにち白頭はくとうに至ったのだろう。
馬子まご唄や白髪しらがも染めで暮るる春
と次のページへしたためたが、これでは自分の感じを云いおおせない、もう少し工夫くふうのありそうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考えた。何でも白髪という字を入れて、幾代の節と云う句を入れて、馬子唄という題も入れて、春のも加えて、それを十七字にまとめたいと工夫しているうちに、
「はい、今日は」と実物の馬子が店先にとまって大きな声をかける。
「おや源さんか。また城下へ行くかい」
「何か買物があるなら頼まれて上げよ」
「そうさ、鍛冶町かじちょうを通ったら、娘に霊厳寺れいがんじ御札おふだを一枚もらってきておくれなさい」
「はい、貰ってきよ。一枚か。――御秋おあきさんはい所へ片づいて仕合せだ。な、御叔母おばさん」
「ありがたい事に今日こんにちには困りません。まあ仕合せと云うのだろか」
「仕合せとも、御前。あの那古井なこいの嬢さまと比べて御覧」
「本当に御気の毒な。あんな器量を持って。近頃はちっとは具合がいいかい」
「なあに、相変らずさ」
「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。
「困るよう」と源さんが馬の鼻をでる。
 枝繁えだしげき山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨のかたまりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、りの住居すまいを、さらさらところげ落ちる。馬は驚ろいて、長いたてがみ上下うえしたに振る。
「コーラッ」としかりつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に余の冥想めいそうを破る。
 御婆さんが云う。「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前めさきに散らついている。裾模様すそもよう振袖ふりそでに、高島田たかしまだで、馬に乗って……」
「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、御叔母おばさん」
「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田にが出来ました」
 余はまた写生帖をあける。この景色はにもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見てしたり顔に、
花の頃を越えてかしこし馬に嫁
と書きつける。不思議な事には衣装いしょうも髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影おもかげ忽然こつぜんと出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面を早速さっそく取りくずす。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗きれいに立ち退いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧もうろうと胸の底に残って、棕梠箒しゅろぼうきで煙を払うように、さっぱりしなかった。空に尾を彗星すいせいの何となく妙な気になる。
「それじゃ、まあ御免」と源さんが挨拶あいさつする。
「帰りにまた御寄おより。あいにくの降りで七曲ななまがりは難義だろ」
「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩行あるき出す。源さんの馬も歩行出す。じゃらんじゃらん。
「あれは那古井なこいの男かい」
「はい、那古井の源兵衛で御座んす」
「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、とうげを越したのかい」
「志保田の嬢様が城下へ御輿入おこしいれのときに、嬢様を青馬あおに乗せて、源兵衛が覊絏はづないて通りました。――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」
 鏡にむかうときのみ、わが頭の白きをかこつものは幸の部に属する人である。指を折って始めて、五年の流光に、転輪のおもむきを解し得たる婆さんは、人間としてはむしろせんに近づける方だろう。余はこう答えた。
「さぞ美くしかったろう。見にくればよかった」
「ハハハ今でも御覧になれます。湯治場とうじばへ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」
「はあ、今では里にいるのかい。やはり裾模様すそもよう振袖ふりそでを着て、高島田にっていればいいが」
「たのんで御覧なされ。着て見せましょ」
 余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外真面目まじめである。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが云う。
「嬢様と長良ながら乙女おとめとはよく似ております」
「顔がかい」
「いいえ。身の成り行きがで御座んす」
「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」
むかしこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者ちょうじゃの娘が御座りましたそうな」
「へえ」
「ところがその娘に二人の男が一度に懸想けそうして、あなた」
「なるほど」
「ささだ男になびこうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思いわずらったが、どちらへも靡きかねて、とうとう
あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも

と云う歌をんで、淵川ふちかわへ身を投げててました」
 余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅こがな言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。
「これから五丁東へくだると、道端みちばた五輪塔ごりんのとうが御座んす。ついでに長良ながら乙女おとめの墓を見て御行きなされ」
 余は心のうちに是非見て行こうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつづける。
「那古井の嬢様にも二人の男がたたりました。一人は嬢様が京都へ修行に出て御出おいでの頃御逢おあいなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちで御座んす」
「はあ、御嬢さんはどっちへ靡いたかい」
「御自身は是非京都の方へと御望みなさったのを、そこには色々な理由わけもありましたろが、親ご様が無理にこちらへ取りきめて……」
「めでたく、淵川ふちかわへ身を投げんでも済んだ訳だね」
「ところが――先方さきでも器量望みで御貰おもらいなさったのだから、随分大事にはなさったかも知れませぬが、もともといられて御出なさったのだから、どうも折合おりあいがわるくて、御親類でもだいぶ御心配の様子で御座んした。ところへ今度の戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。それから嬢様はまた那古井の方へ御帰りになります。世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは極々ごくごく内気うちきの優しいかたが、この頃ではだいぶ気が荒くなって、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。……」
 これからさきを聞くと、せっかくの趣向しゅこうこわれる。ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣はごろもを帰せ帰せと催促さいそくするような気がする。七曲ななまがりの険をおかして、やっとのおもいで、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずりおろされては、飄然ひょうぜんと家を出た甲斐かいがない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世のにおいが毛孔けあなから染込しみこんで、あか身体からだが重くなる。
「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十銭銀貨を一枚床几しょうぎの上へかちりと投げ出して立ち上がる。
長良ながらの五輪塔から右へ御下おくだりなさると、六丁ほどの近道になります。みちはわるいが、御若い方にはそのほうがよろしかろ。――これは多分に御茶代を――気をつけて御越しなされ」

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