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草枕(くさまくら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:32:21  点击:  切换到繁體中文


        三

 昨夕(ゆうべ)は妙な気持ちがした。
 宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合(ぐあい)庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。昔(むか)し来た時とはまるで見当が違う。晩餐(ばんさん)を済まして、湯に入(い)って、室(へや)へ帰って茶を飲んでいると、小女(こおんな)が来て床(とこ)を延(の)べよかと云(い)う。
 不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食(ばんめし)の給仕も、湯壺(ゆつぼ)への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅多(めった)にきかぬ。と云うて、田舎染(いなかじ)みてもおらぬ。赤い帯を色気(いろけ)なく結んで、古風な紙燭(しそく)をつけて、廊下のような、梯子段(はしごだん)のような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降(お)りて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。
 給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段(ふだん)使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へ遠(とおざ)かった時に、あとがひっそりとして、人の気(け)がしないのが気になった。
 生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州(ぼうしゅう)を館山(たてやま)から向うへ突き抜けて、上総(かずさ)から銚子(ちょうし)まで浜伝いに歩行(あるい)た事がある。その時ある晩、ある所へ宿(とまっ)た。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟(むね)の高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間(ま)をいくつも通り越して一番奥の、中二階(ちゅうにかい)へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入(はい)ろうとすると、板庇(いたびさし)の下に傾(かたむ)きかけていた一叢(ひとむら)の修竹(しゅうちく)が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫(な)でたので、すでにひやりとした。椽板(えんいた)はすでに朽(く)ちかかっている。来年は筍(たけのこ)が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
 その晩は例の竹が、枕元で婆娑(ばさ)ついて、寝られない。障子(しょうじ)をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明(つきあきら)かなるに、眼を走(は)しらせると、垣も塀(へい)もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原(おおうなばら)でどどんどどんと大きな濤(なみ)が人の世を威嚇(おどか)しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳(かや)のうちに辛防(しんぼう)しながら、まるで草双紙(くさぞうし)にでもありそうな事だと考えた。
 その後(ご)旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
 仰向(あおむけ)に寝ながら、偶然目を開(あ)けて見ると欄間(らんま)に、朱塗(しゅぬ)りの縁(ふち)をとった額(がく)がかかっている。文字(もじ)は寝ながらも竹影(ちくえい)払階(かいをはらって)塵不動(ちりうごかず)と明らかに読まれる。大徹(だいてつ)という落款(らっかん)もたしかに見える。余は書においては皆無鑒識(かいむかんしき)のない男だが、平生から、黄檗(おうばく)の高泉和尚(こうせんおしょう)の筆致(ひっち)を愛している。隠元(いんげん)も即非(そくひ)も木庵(もくあん)もそれぞれに面白味はあるが、高泉(こうせん)の字が一番蒼勁(そうけい)でしかも雅馴(がじゅん)である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし現(げん)に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
 横を向く。床(とこ)にかかっている若冲(じゃくちゅう)の鶴の図が目につく。これは商売柄(しょうばいがら)だけに、部屋に這入(はい)った時、すでに逸品(いっぴん)と認めた。若冲の図は大抵精緻(せいち)な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼(きがね)なしの一筆(ひとふで)がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形(たまごなり)の胴がふわっと乗(のっ)かっている様子は、はなはだ吾意(わがい)を得て、飄逸(ひょういつ)の趣(おもむき)は、長い嘴(はし)のさきまで籠(こも)っている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。
 すやすやと寝入る。夢に。
 長良(ながら)の乙女(おとめ)が振袖を着て、青馬(あお)に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上(のぼ)って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿(さお)を持って、向島(むこうじま)を追懸(おっか)けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末(ゆくえ)も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
 そこで眼が醒(さ)めた。腋(わき)の下から汗が出ている。妙に雅俗混淆(がぞくこんこう)な夢を見たものだと思った。昔し宋(そう)の大慧禅師(だいえぜんじ)と云う人は、悟道の後(のち)、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命(せいめい)にするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅(はば)が利(き)かない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子(しょうじ)に月がさして、木の枝が二三本斜(なな)めに影をひたしている。冴(さ)えるほどの春の夜(よ)だ。
 気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛(まぎ)れ込んだのかと耳を峙(そばだ)てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜(よ)に一縷(いちる)の脈をかすかに搏(う)たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良(ながら)の乙女(おとめ)の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
 初めのうちは椽(えん)に近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退(とおの)いて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、憐(あわ)れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自然(じねん)に細(ほそ)りて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒(びょう)を縮め、分(ふん)を割(さ)いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫(びょうふ)のごとく、消えんとしては、消えんとする灯火(とうか)のごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨(うら)みをことごとく萃(あつ)めたる調べがある。
 今までは床(とこ)の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕(した)って飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮(あせっ)ても鼓膜(こまく)に応(こた)えはあるまいと思う一刹那(いっせつな)の前、余はたまらなくなって、われ知らず布団(ふとん)をすり抜けると共にさらりと障子(しょうじ)を開(あ)けた。途端(とたん)に自分の膝(ひざ)から下が斜(なな)めに月の光りを浴びる。寝巻(ねまき)の上にも木の影が揺れながら落ちた。
 障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海棠(かいどう)かと思わるる幹を背(せ)に、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧(もうろう)たる影法師(かげぼうし)がいた。あれかと思う意識さえ、確(しか)とは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕(くだ)いて右へ切れた。わがいる部屋つづきの棟(むね)の角(かど)が、すらりと動く、背(せい)の高い女姿を、すぐに遮(さえぎ)ってしまう。
 借着(かりぎ)の浴衣(ゆかた)一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫然(ぼうぜん)としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参(きさん)して考え出した。括(くく)り枕(まくら)のしたから、袂時計(たもとどけい)を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化物(ばけもの)ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此家(ここ)の御嬢さんかも知れない。しかし出帰(でがえ)りの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当(ふおんとう)だ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。怪(け)しからん。
 怖(こわ)いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄(すご)い事も、己(おの)れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画(え)になる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿(やど)るところやら、憂(うれい)のこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢(あふ)るるところやらを、単に客観的に眼前(がんぜん)に思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、自(みず)から強(し)いて煩悶(はんもん)して、愉快を貪(むさ)ぼるものがある。常人(じょうにん)はこれを評して愚(ぐ)だと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓を描(えが)いて好(この)んでその中(うち)に起臥(きが)するのは、自から烏有(うゆう)の山水を刻画(こくが)して壺中(こちゅう)の天地(てんち)に歓喜すると、その芸術的の立脚地(りっきゃくち)を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋旅行(わらじたび)をする間(あいだ)、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊(そうゆう)を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々(ちょうちょう)して、したり顔である。これはあえて自(みずか)ら欺(あざむ)くの、人を偽(いつ)わるのと云う了見(りょうけん)ではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角(いっかく)を磨滅(まめつ)して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
 この故(ゆえ)に天然(てんねん)にあれ、人事にあれ、衆俗(しゅうぞく)の辟易(へきえき)して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無上(むじょう)の宝※(「王へん+路」、第3水準1-88-29)(ほうろ)を知る。俗にこれを名(なづ)けて美化(びか)と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛(さんらん)たる彩光(さいこう)は、炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。ただ一翳(いちえい)眼に在(あ)って空花乱墜(くうげらんつい)するが故に、俗累(ぞくるい)の覊絏牢(きせつろう)として絶(た)ちがたきが故に、栄辱得喪(えいじょくとくそう)のわれに逼(せま)る事、念々切(せつ)なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙(おうきょ)が幽霊を描(えが)くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
 余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰(だ)れが見ても、誰(だれ)に聞かしても饒(ゆたか)に詩趣を帯びている。――孤村(こそん)の温泉、――春宵(しゅんしょう)の花影(かえい)、――月前(げつぜん)の低誦(ていしょう)、――朧夜(おぼろよ)の姿――どれもこれも芸術家の好題目(こうだいもく)である。この好題目が眼前(がんぜん)にありながら、余は入(い)らざる詮義立(せんぎだ)てをして、余計な探(さ)ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟(りくつ)の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪(わ)るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜(ひょうぼう)する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴(ふいちょう)する資格はつかぬ。昔し以太利亜(イタリア)の画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭(かけ)にして、山賊の群(むれ)に這入(はい)り込んだと聞いた事がある。飄然(ひょうぜん)と画帖を懐(ふところ)にして家を出(い)でたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
 こんな時にどうすれば詩的な立脚地(りっきゃくち)に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据(す)えつけて、その感じから一歩退(しりぞ)いて有体(ありてい)に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸(しがい)を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近(てぢか)なのは何(なん)でも蚊(か)でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠(かわや)に上(のぼ)った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直(あんちょく)に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟(さと)りであるから軽便だと云って侮蔑(ぶべつ)する必要はない。軽便であればあるほど功徳(くどく)になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人(ひとり)が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否(いな)やうれしくなる。涙を十七字に纏(まと)めた時には、苦しみの涙は自分から遊離(ゆうり)して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉(うれ)しさだけの自分になる。
 これが平生(へいぜい)から余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと散漫(さんまん)になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
「海棠(かいだう)の露をふるふや物狂(ものぐる)ひ」と真先(まっさき)に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に「花の影、女の影の朧(おぼろ)かな」とやったが、これは季が重(かさ)なっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気(のんき)になればいい。それから「正一位(しやういちゐ)、女に化(ば)けて朧月(おぼろづき)」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。
 この調子なら大丈夫と乗気(のりき)になって出るだけの句をみなかき付ける。

春の星を落して夜半(よは)のかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵(こよひ)歌つかまつる御姿
海棠(かいだう)の精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな
などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
 恍惚(こうこつ)と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何人(なんびと)も我を認め得ぬ。明覚(めいかく)の際には誰(たれ)あって外界(がいかい)を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷(る)のごとき幻境が横(よこた)わる。醒(さ)めたりと云うには余り朧(おぼろ)にて、眠ると評せんには少しく生気(せいき)を剰(あま)す。起臥(きが)の二界を同瓶裏(どうへいり)に盛りて、詩歌(しいか)の彩管(さいかん)をもって、ひたすらに攪(か)き雑(ま)ぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の手前(てまえ)までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞(かすみ)の国へ押し流す。睡魔の妖腕(ようわん)をかりて、ありとある実相の角度を滑(なめら)かにすると共に、かく和(やわ)らげられたる乾坤(けんこん)に、われからと微(かす)かに鈍(にぶ)き脈を通わせる。地を這(は)う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが魂(たましい)の、わが殻(から)を離れんとして離るるに忍びざる態(てい)である。抜け出(い)でんとして逡巡(ためら)い、逡巡いては抜け出でんとし、果(は)ては魂と云う個体を、もぎどうに保(たも)ちかねて、氤※(「气<慍のつくり」、第3水準1-86-48)(いんうん)たる瞑氛(めいふん)が散るともなしに四肢五体に纏綿(てんめん)して、依々(いい)たり恋々(れんれん)たる心持ちである。
 余が寤寐(ごび)の境(さかい)にかく逍遥(しょうよう)していると、入口の唐紙(からかみ)がすうと開(あ)いた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心地(ここち)よく眺(なが)めている。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余が閉(と)じている瞼(まぶた)の裏(うち)に幻影(まぼろし)の女が断(ことわ)りもなく滑(すべ)り込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに這入(はい)る。仙女(せんにょ)の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉ずる眼(まなこ)のなかから見る世の中だから確(しか)とは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟足(えりあし)の長い女である。近頃はやる、ぼかした写真を灯影(ほかげ)にすかすような気がする。
 まぼろしは戸棚(とだな)の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖(そで)をすべって暗闇(くらやみ)のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉(た)たる。余が眠りはしだいに濃(こま)やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
 いつまで人と馬の相中(あいなか)に寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅(すみ)から隅まで明るい。うららかな春日(はるび)が丸窓の竹格子(たけごうし)を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの潜(ひそ)む余地はなさそうだ。神秘は十万億土(じゅうまんおくど)へ帰って、三途(さんず)の川(かわ)の向側(むこうがわ)へ渡ったのだろう。
 浴衣(ゆかた)のまま、風呂場(ふろば)へ下りて、五分ばかり偶然と湯壺(ゆつぼ)のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨夕(ゆうべ)はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界(さかい)にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
 身体(からだ)を拭(ふ)くさえ退儀(たいぎ)だから、いい加減にして、濡(ぬ)れたまま上(あが)って、風呂場の戸を内から開(あ)けると、また驚かされた。
「御早う。昨夕(ゆうべ)はよく寝られましたか」
 戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出合頭(であいがしら)の挨拶(あいさつ)だから、さそくの返事も出る遑(いとま)さえないうちに、
「さ、御召(おめ)しなさい」
と後(うし)ろへ廻って、ふわりと余の背中(せなか)へ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端(とたん)に女は二三歩退(しりぞ)いた。
 昔から小説家は必ず主人公の容貌(ようぼう)を極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、佳人(かじん)の品評(ひんぴょう)に使用せられたるものを列挙したならば、大蔵経(だいぞうきょう)とその量を争うかも知れぬ。この辟易(へきえき)すべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔(へだた)りに立つ、体(たい)を斜(なな)めに捩(ねじ)って、後目(しりめ)に余が驚愕(きょうがく)と狼狽(ろうばい)を心地(ここち)よげに眺(なが)めている女を、もっとも適当に叙(じょ)すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日(こんにち)に至るまで未(いま)だかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘(ギリシャ)の彫刻の理想は、端粛(たんしゅく)の二字に帰(き)するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲(ふううん)か雷霆(らいてい)か、見わけのつかぬところに余韻(よいん)が縹緲(ひょうびょう)と存するから含蓄(がんちく)の趣(おもむき)を百世(ひゃくせい)の後(のち)に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然(たんぜん)たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁(あかつき)には、※(「てへん+施のつくり」、第3水準1-84-74)泥帯水(たでいたいすい)の陋(ろう)を遺憾(いかん)なく示して、本来円満(ほんらいえんまん)の相(そう)に戻る訳には行かぬ。この故(ゆえ)に動(どう)と名のつくものは必ず卑しい。運慶(うんけい)の仁王(におう)も、北斎(ほくさい)の漫画(まんが)も全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画工(がこう)の運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大範疇(はんちゅう)のいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
 ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静(しずか)である。眼は五分(ごぶ)のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨(しもぶくれ)の瓜実形(うりざねがた)で、豊かに落ちつきを見せているに引き易(か)えて、額(ひたい)は狭苦(せまくる)しくも、こせついて、いわゆる富士額(ふじびたい)の俗臭(ぞくしゅう)を帯びている。のみならず眉(まゆ)は両方から逼(せま)って、中間に数滴の薄荷(はっか)を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮(じれ)ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画(え)にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一癖(ひとくせ)あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
 元来は静(せい)であるべき大地(だいち)の一角に陥欠(かんけつ)が起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背(そむ)くと悟って、力(つと)めて往昔(むかし)の姿にもどろうとしたのを、平衡(へいこう)を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日(こんにち)は、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。
 それだから軽侮(けいぶ)の裏(うら)に、何となく人に縋(すが)りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎(つつし)み深い分別(ふんべつ)がほのめいている。才に任せ、気を負(お)えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢(いきおい)の下から温和(おとな)しい情(なさ)けが吾知らず湧(わ)いて出る。どうしても表情に一致がない。悟(さと)りと迷(まよい)が一軒の家(うち)に喧嘩(けんか)をしながらも同居している体(てい)だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧(お)しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合(ふしあわせ)な女に違ない。
「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと会釈(えしゃく)した。
「ほほほほ御部屋は掃除(そうじ)がしてあります。往(い)って御覧なさい。いずれ後(のち)ほど」
と云うや否(いな)や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気(かろげ)に馳(か)けて行った。頭は銀杏返(いちょうがえし)に結(い)っている。白い襟(えり)がたぼの下から見える。帯の黒繻子(くろじゅす)は片側(かたかわ)だけだろう。

        四

 ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗(きれい)に掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下には小さな用箪笥(ようだんす)が見える。上から友禅(ゆうぜん)の扱帯(しごき)が半分垂(た)れかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい衣裳(いしょう)の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。一番上に白隠和尚(はくいんおしょう)の遠良天釜(おらてがま)と、伊勢物語(いせものがたり)の一巻が並んでる。昨夕(ゆうべ)のうつつは事実かも知れないと思った。
 何気(なにげ)なく座布団(ざぶとん)の上へ坐ると、唐木(からき)の机の上に例の写生帖が、鉛筆を挟(はさ)んだまま、大事そうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。
「海棠(かいだう)の露をふるふや物狂(ものぐるひ)」の下にだれだか「海棠の露をふるふや朝烏(あさがらす)」とかいたものがある。鉛筆だから、書体はしかと解(わか)らんが、女にしては硬過(かたす)ぎる、男にしては柔(やわら)か過ぎる。おやとまた吃驚(びっくり)する。次を見ると「花の影、女の影の朧(おぼろ)かな」の下に「花の影女の影を重(かさ)ねけり」とつけてある。「正一位(しやういちゐ)女に化けて朧月(おぼろづき)」の下には「御曹子(おんざうし)女に化けて朧月」とある。真似(まね)をしたつもりか、添削(てんさく)した気か、風流の交(まじ)わりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を傾(かたむ)けた。
 後(のち)ほどと云ったから、今に飯(めし)の時にでも出て来るかも知れない。出て来たら様子が少しは解るだろう。ときに何時だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寝たものだ。これでは午飯(ひるめし)だけで間に合せる方が胃のためによかろう。
 右側の障子(しょうじ)をあけて、昨夜(ゆうべ)の名残(なごり)はどの辺(へん)かなと眺める。海棠(かいどう)と鑑定したのははたして、海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。五六枚の飛石(とびいし)を一面の青苔(あおごけ)が埋めて、素足(すあし)で踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。左は山つづきの崖(がけ)に赤松が斜(なな)めに岩の間から庭の上へさし出している。海棠の後(うし)ろにはちょっとした茂みがあって、奥は大竹藪(おおたけやぶ)が十丈の翠(みど)りを春の日に曝(さら)している。右手は屋(や)の棟(むね)で遮(さえ)ぎられて、見えぬけれども、地勢から察すると、だらだら下(お)りに風呂場の方へ落ちているに相違ない。
 山が尽きて、岡となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの平地(へいち)となり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた隆然(りゅうぜん)と起き上って、周囲六里の摩耶島(まやじま)となる。これが那古井(なこい)の地勢である。温泉場は岡の麓(ふもと)を出来るだけ崖(がけ)へさしかけて、岨(そば)の景色を半分庭へ囲い込んだ一構(ひとかまえ)であるから、前面は二階でも、後ろは平屋(ひらや)になる。椽(えん)から足をぶらさげれば、すぐと踵(かかと)は苔(こけ)に着く。道理こそ昨夕は楷子段(はしごだん)をむやみに上(のぼ)ったり、下(くだ)ったり、異(い)な仕掛(しかけ)の家(うち)と思ったはずだ。
 今度は左り側の窓をあける。自然と凹(くぼ)む二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影を※(「くさかんむり/(酉+隹)/れんが」、第3水準1-91-44)(ひた)している。二株三株(ふたかぶみかぶ)の熊笹(くまざさ)が岩の角を彩(いろ)どる、向うに枸杞(くこ)とも見える生垣(いけがき)があって、外は浜から、岡へ上る岨道(そばみち)か時々人声が聞える。往来の向うはだらだらと南下(みなみさ)がりに蜜柑(みかん)を植えて、谷の窮(きわ)まる所にまた大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から石磴(せきとう)が五六段手にとるように見える。大方(おおかた)御寺だろう。
 入口の襖(ふすま)をあけて椽(えん)へ出ると、欄干(らんかん)が四角に曲って、方角から云えば海の見ゆべきはずの所に、中庭を隔(へだ)てて、表二階の一間(ひとま)がある。わが住む部屋も、欄干に倚(よ)ればやはり同じ高さの二階なのには興が催おされる。湯壺(ゆつぼ)は地(じ)の下にあるのだから、入湯(にゅうとう)と云う点から云えば、余は三層楼上に起臥(きが)する訳になる。
 家は随分広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、右へ折れた一間のほかは、居室(いま)台所は知らず、客間と名がつきそうなのは大抵(たいてい)立て切ってある。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無(かいむ)なのだろう。〆《しめ》た部屋は昼も雨戸(あまど)をあけず、あけた以上は夜も閉(た)てぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う屈強(くっきょう)な場所だ。
 時計は十二時近くなったが飯(めし)を食わせる景色はさらにない。ようやく空腹を覚えて来たが、空山(くうざん)不見人(ひとをみず)と云う詩中にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても遺憾(いかん)はない。画(え)をかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに俳三昧(はいざんまい)に入っているから、作るだけ野暮(やぼ)だ。読もうと思って三脚几(さんきゃくき)に括(くく)りつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。こうやって、煦々(くく)たる春日(しゅんじつ)に背中(せなか)をあぶって、椽側(えんがわ)に花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽(しらく)である。考えれば外道(げどう)に堕(お)ちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸(いき)もしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。
 やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か上(あが)ってくる。近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人は何(なん)にも云わず、元の方へ引き返す。襖(ふすま)があいたから、今朝の人と思ったら、やはり昨夜(ゆうべ)の小女郎(こじょろう)である。何だか物足らぬ。
「遅くなりました」と膳(ぜん)を据(す)える。朝食(あさめし)の言訳も何にも言わぬ。焼肴(やきざかな)に青いものをあしらって、椀(わん)の蓋(ふた)をとれば早蕨(さわらび)の中に、紅白に染め抜かれた、海老(えび)を沈ませてある。ああ好い色だと思って、椀の中を眺(なが)めていた。
「御嫌(おきら)いか」と下女が聞く。
「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐(ばんさん)の席で、皿に盛(も)るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍(かたわら)の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへ行くと日本の献立(こんだて)は、吸物(すいもの)でも、口取でも、刺身(さしみ)でも物奇麗(ものぎれい)に出来る。会席膳(かいせきぜん)を前へ置いて、一箸(ひとはし)も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった甲斐(かい)は充分ある。
「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら、質問をかけた。
「へえ」
「ありゃ何だい」
「若い奥様でござんす」
「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」
「去年御亡(おな)くなりました」
「旦那さんは」
「おります。旦那さんの娘さんでござんす」
「あの若い人がかい」
「へえ」
「御客はいるかい」
「おりません」
「わたし一人かい」
「へえ」
「若い奥さんは毎日何をしているかい」
「針仕事を……」
「それから」
「三味(しゃみ)を弾(ひ)きます」
 これは意外であった。面白いからまた
「それから」と聞いて見た。
「御寺へ行きます」と小女郎(こじょろう)が云う。
 これはまた意外である。御寺と三味線は妙だ。
「御寺詣(まい)りをするのかい」
「いいえ、和尚様(おしょうさま)の所へ行きます」
「和尚さんが三味線でも習うのかい」
「いいえ」
「じゃ何をしに行くのだい」
「大徹様(だいてつさま)の所へ行きます」
 なあるほど、大徹と云うのはこの額を書いた男に相違ない。この句から察すると何でも禅坊主(ぜんぼうず)らしい。戸棚に遠良天釜(おらてがま)があったのは、全くあの女の所持品だろう。
「この部屋は普段誰か這入(はい)っている所かね」
「普段は奥様がおります」
「それじゃ、昨夕(ゆうべ)、わたしが来る時までここにいたのだね」
「へえ」
「それは御気の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」
「知りません」
「それから」
「何でござんす」
「それから、まだほかに何かするのだろう」
「それから、いろいろ……」
「いろいろって、どんな事を」
「知りません」
 会話はこれで切れる。飯はようやく了(おわ)る。膳を引くとき、小女郎が入口の襖(ふすま)を開(あけ)たら、中庭の栽込(うえこ)みを隔(へだ)てて、向う二階の欄干(らんかん)に銀杏返(いちょうがえ)しが頬杖(ほおづえ)を突いて、開化した楊柳観音(ようりゅうかんのん)のように下を見詰めていた。今朝に引き替(か)えて、はなはだ静かな姿である。俯向(うつむ)いて、瞳の働きが、こちらへ通わないから、相好(そうごう)にかほどな変化を来たしたものであろうか。昔の人は人に存するもの眸子(ぼうし)より良きはなしと云ったそうだが、なるほど人焉(いずく)んぞ※(「广+叟」、第3水準1-84-15)(かく)さんや、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。寂然(じゃくねん)と倚(よ)る亜字欄(あじらん)の下から、蝶々(ちょうちょう)が二羽寄りつ離れつ舞い上がる。途端(とたん)にわが部屋の襖(ふすま)はあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の方(かた)に転じた。視線は毒矢のごとく空(くう)を貫(つらぬ)いて、会釈(えしゃく)もなく余が眉間(みけん)に落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。あとは至極(しごく)呑気(のんき)な春となる。
 余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、
Sadder than is the moon's lost light,
   Lost ere the kindling of dawn,
   To travellers journeying on,
The shutting of thy fair face from my sight.
と云う句であった。もし余があの銀杏返(いちょうがえ)しに懸想(けそう)して、身を砕(くだ)いても逢わんと思う矢先に、今のような一瞥(いちべつ)の別れを、魂消(たまぎ)るまでに、嬉しとも、口惜(くちお)しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。その上に
Might I look on thee in death,
With bliss I would yield my breath.

と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。幸い、普通ありふれた、恋とか愛とか云う境界(きょうがい)はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の刹那(せつな)に起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれている。余と銀杏返しの間柄(あいだがら)にこんな切(せつ)ない思(おもい)はないとしても、二人の今の関係を、この詩の中(うち)に適用(あてはめ)て見るのは面白い。あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ。二人の間には、ある因果(いんが)の細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、括(くく)りつけられている。因果もこのくらい糸が細いと苦(く)にはならぬ。その上、ただの糸ではない。空を横切る虹(にじ)の糸、野辺(のべ)に棚引(たなび)く霞(かすみ)の糸、露(つゆ)にかがやく蜘蛛(くも)の糸。切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちは勝(すぐ)れてうつくしい。万一この糸が見る間に太くなって井戸縄(いどなわ)のようにかたくなったら? そんな危険はない。余は画工である。先はただの女とは違う。
 突然襖があいた。寝返(ねがえ)りを打って入口を見ると、因果の相手のその銀杏返しが敷居の上に立って青磁(せいじ)の鉢(はち)を盆に乗せたまま佇(たたず)んでいる。
「また寝ていらっしゃるか、昨夕(ゆうべ)は御迷惑で御座んしたろう。何返(なんべん)も御邪魔をして、ほほほほ」と笑う。臆(おく)した景色(けしき)も、隠す景色も――恥ずる景色は無論ない。ただこちらが先(せん)を越されたのみである。
「今朝はありがとう」とまた礼を云った。考えると、丹前(たんぜん)の礼をこれで三返(べん)云った。しかも、三返ながら、ただ難有うと云う三字である。
 女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐って
「まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話は出来ましょう」と、さも気作(きさく)に云う。余は全くだと考えたから、ひとまず腹這(はらばい)になって、両手で顎(あご)を支(ささ)え、しばし畳の上へ肘壺(ひじつぼ)の柱を立てる。
「御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました」
「ありがとう」またありがとうが出た。菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹(ようかん)が並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好(すき)だ。別段食いたくはないが、あの肌合(はだあい)が滑(なめ)らかに、緻密(ちみつ)に、しかも半透明(はんとうめい)に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上(ねりあ)げ方は、玉(ぎょく)と蝋石(ろうせき)の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫(な)でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔(やわら)かだが、少し重苦しい。ジェリは、一目(いちもく)宝石のように見えるが、ぶるぶる顫(ふる)えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断(ごんごどうだん)の沙汰である。
「うん、なかなか美事(みごと)だ」
「今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなたに召し上がられるでしょう」
 源兵衛は昨夕城下(じょうか)へ留(とま)ったと見える。余は別段の返事もせず羊羹を見ていた。どこで誰れが買って来ても構う事はない。ただ美くしければ、美くしいと思うだけで充分満足である。
「この青磁の形は大変いい。色も美事だ。ほとんど羊羹に対して遜色(そんしょく)がない」
 女はふふんと笑った。口元(くちもと)に侮(あな)どりの波が微(かす)かに揺(ゆ)れた。余の言葉を洒落(しゃれ)と解したのだろう。なるほど洒落とすれば、軽蔑(けいべつ)される価(あたい)はたしかにある。智慧(ちえ)の足りない男が無理に洒落れた時には、よくこんな事を云うものだ。
「これは支那ですか」
「何ですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。
「どうも支那らしい」と皿を上げて底を眺(なが)めて見た。
「そんなものが、御好きなら、見せましょうか」
「ええ、見せて下さい」
「父が骨董(こっとう)が大好きですから、だいぶいろいろなものがあります。父にそう云って、いつか御茶でも上げましょう」
 茶と聞いて少し辟易(へきえき)した。世間に茶人(ちゃじん)ほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張(なわば)りをして、極(きわ)めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如(きくきゅうじょ)として、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな煩瑣(はんさ)な規則のうちに雅味があるなら、麻布(あざぶ)の聯隊(れんたい)のなかは雅味で鼻がつかえるだろう。廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に利休(りきゅう)以後の規則を鵜呑(うの)みにして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。
「御茶って、あの流儀のある茶ですかな」
「いいえ、流儀も何もありゃしません。御厭(おいや)なら飲まなくってもいい御茶です」
「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」
「ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなんですから……」
「褒(ほ)めなくっちゃあ、いけませんか」
「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」
「へえ、少しなら褒めて置きましょう」
「負けて、たくさん御褒めなさい」
「はははは、時にあなたの言葉は田舎(いなか)じゃない」
「人間は田舎なんですか」
「人間は田舎の方がいいのです」
「それじゃ幅(はば)が利(き)きます」
「しかし東京にいた事がありましょう」
「ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、方々にいました」
「ここと都と、どっちがいいですか」
「同じ事ですわ」
「こう云う静かな所が、かえって気楽でしょう」
「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。蚤(のみ)の国が厭(いや)になったって、蚊(か)の国へ引越(ひっこ)しちゃ、何(なん)にもなりません」
「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」
「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出してちょうだい」と女は詰(つ)め寄せる。
「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち――無論とっさの筆使いだから、画(え)にはならない。ただ心持ちだけをさらさらと書いて、
「さあ、この中へ御這入(おはい)りなさい。蚤も蚊もいません」と鼻の前(さき)へ突きつけた。驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、ちょっと景色(けしき)を伺(うかが)うと、
「まあ、窮屈(きゅうくつ)な世界だこと、横幅(よこはば)ばかりじゃありませんか。そんな所が御好きなの、まるで蟹(かに)ね」と云って退(の)けた。余は
「わはははは」と笑う。軒端(のきば)に近く、啼(な)きかけた鶯(うぐいす)が、中途で声を崩(くず)して、遠き方(かた)へ枝移りをやる。両人(ふたり)はわざと対話をやめて、しばらく耳を峙(そばだ)てたが、いったん鳴き損(そこ)ねた咽喉(のど)は容易に開(あ)けぬ。
「昨日(きのう)は山で源兵衛に御逢(おあ)いでしたろう」
「ええ」
「長良(ながら)の乙女(おとめ)の五輪塔(ごりんのとう)を見ていらしったか」
「ええ」
「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。何のためか知らぬ。
「その歌はね、茶店で聞きましたよ」
「婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」と云いかけて、これはと余(よ)の顔を見たから、余は知らぬ風(ふう)をしていた。
「私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。うただけはなかなか覚えなかったのですが、何遍も聴(き)くうちに、とうとう何もかも諳誦(あんしょう)してしまいました」
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌は憐(あわ)れな歌ですね」
「憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏(よ)みませんね。第一、淵川(ふちかわ)へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾(おとこめかけ)にするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
「なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」
「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
 ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯(うぐいす)が、いつ勢(いきおい)を盛り返してか、時ならぬ高音(たかね)を不意に張った。一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を逆(さかし)まにして、ふくらむ咽喉(のど)の底を震(ふる)わして、小さき口の張り裂くるばかりに、
 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけ様(さま)に囀(さえ)ずる。
「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。

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