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草枕(くさまくら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:32:21  点击:  切换到繁體中文


        五

「失礼ですが旦那だんなは、やっぱり東京ですか」
「東京と見えるかい」
「見えるかいって、一目ひとめ見りゃあ、――第一だいち言葉でわかりまさあ」
「東京はどこだか知れるかい」
「そうさね。東京は馬鹿に広いからね。――何でも下町したまちじゃねえようだ。やまだね。山の手は麹町こうじまちかね。え? それじゃ、小石川こいしかわ? でなければ牛込うしごめ四谷よつやでしょう」
「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」
「こうえて、わっちも江戸っ子だからね」
道理どうれ生粋いなせだと思ったよ」
「えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、みじめですぜ」
「何でまたこんな田舎いなかへ流れ込んで来たのだい」
「ちげえねえ、旦那のおっしゃる通りだ。全く流れ込んだんだからね。すっかり食い詰めっちまって……」
「もとから髪結床かみゆいどこの親方かね」
「親方じゃねえ、職人さ。え? 所かね。所は神田松永町かんだまつながちょうでさあ。なあに猫のひたい見たような小さな汚ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえはずさ。あすこに竜閑橋りゅうかんばしてえ橋がありましょう。え? そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、名代なだいな橋だがね」
「おい、もう少し、石鹸しゃぼんけてくれないか、痛くって、いけない」
「痛うがすかい。わっち癇性かんしょうでね、どうも、こうやって、逆剃さかずりをかけて、一本一本ひげの穴を掘らなくっちゃ、気が済まねえんだから、――なあに今時いまどきの職人なあ、るんじゃねえ、でるんだ。もう少しだ我慢おしなせえ」
「我慢はさっきから、もうだいぶしたよ。御願だから、もう少し湯か石鹸をつけとくれ」
「我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。全体ぜんてい、髭があんまり、延び過ぎてるんだ」
 やけに頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親方は、たなの上から、うすぺらな赤い石鹸を取りろして、水のなかにちょっとひたしたと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応撫で廻わした。裸石鹸を顔へ塗りつけられた事はあまりない。しかもそれをらした水は、幾日前いくにちまえんだ、溜め置きかと考えると、余りぞっとしない。
 すでに髪結床かみゆいどこである以上は、御客の権利として、余は鏡に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡と云う道具はたいらに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質がそなわらない鏡をけて、これに向えといるならば、強いるものは下手へたな写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したと云わなければならぬ。虚栄心をくじくのは修養上一種の方便かも知れぬが、何もおのれの真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱ぶじょくするには及ぶまい。今余が辛抱しんぼうして向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。仰向あおむくと蟇蛙ひきがえるを前から見たように真平まったいらつぶされ、少しこごむと福禄寿ふくろくじゅ祈誓児もうしごのように頭がせり出してくる。いやしくもこの鏡に対するあいだは一人でいろいろな化物ばけもの兼勤けんきんしなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の構造やら、色合や、銀紙のげ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜体をきわめている。小人しょうじんから罵詈ばりされるとき、罵詈それ自身は別に痛痒つうようを感ぜぬが、その小人しょうじんの面前に起臥きがしなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
 その上この親方がただの親方ではない。そとからのぞいたときは、胡坐あぐらをかいて、長煙管ながぎせるで、おもちゃの日英同盟にちえいどうめい国旗の上へ、しきりに煙草たばこを吹きつけて、さも退屈気たいくつげに見えたが、這入はいって、わが首の所置を托する段になって驚ろいた。ひげる間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出したくらい、容赦ようしゃなく取り扱われる。余の首が肩の上に釘付くぎづけにされているにしてもこれでは永く持たない。
 彼は髪剃かみそりふるうに当って、ごうも文明の法則を解しておらん。頬にあたる時はがりりと音がした。あげの所ではぞきりと動脈が鳴った。あごのあたりに利刃りじんがひらめく時分にはごりごり、ごりごりと霜柱しもばしらを踏みつけるような怪しい声が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。
 最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙なにおいがする。時々は瓦斯ガスを余が鼻柱へ吹き掛ける。これではいつ何時なんどき、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任せた顔だから、少しの怪我けがなら苦情は云わないつもりだが、急に気が変って咽喉笛のどぶえでもき切られては事だ。
石鹸しゃぼんなんぞを、つけて、るなあ、腕がなまなんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方があるめえ」と云いながら親方は裸石鹸を、裸のまま棚の上へほうり出すと、石鹸は親方の命令にそむいて地面の上へころがり落ちた。
「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、何ですかい、近頃来なすったのかい」
二三日にさんち前来たばかりさ」
「へえ、どこにいるんですい」
志保田しほだとまってるよ」
「うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんなこったろうと思ってた。実あ、わっしもあの隠居さんをたよって来たんですよ。――なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、――それで知ってるのさ。いい人でさあ。ものの解ったね。去年御新造ごしんぞが死んじまって、今じゃ道具ばかりひねくってるんだが――何でも素晴らしいものが、有るてえますよ。売ったらよっぽどな金目かねめだろうって話さ」
奇麗きれいな御嬢さんがいるじゃないか」
「あぶねえね」
「何が?」
「何がって。旦那のめえだが、あれで出返でもどりですぜ」
「そうかい」
「そうかいどころのさわぎじゃねえんだね。全体なら出て来なくってもいいところをさ。――銀行がつぶれて贅沢ぜいたくが出来ねえって、出ちまったんだから、義理がるいやね。隠居さんがああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、法返ほうがえしがつかねえわけになりまさあ」
「そうかな」
あためえでさあ。本家のあにきたあ、仲がわるしさ」
「本家があるのかい」
「本家は岡の上にありまさあ。遊びに行って御覧なさい。景色のいい所ですよ」
「おい、もう一遍石鹸しゃぼんをつけてくれないか。また痛くなって来た」
「よく痛くなるひげだね。髭が硬過こわすぎるからだ。旦那の髭じゃ、三日に一度は是非そりを当てなくっちゃ駄目ですぜ。わっしの剃で痛けりゃ、どこへ行ったって、我慢出来っこねえ」
「これから、そうしよう。何なら毎日来てもいい」
「そんなに長く逗留とうりゅうする気なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえった。ろくでもねえものに引っかかって、どんな目に逢うか解りませんぜ」
「どうして」
「旦那あの娘はめんはいいようだが、本当はじるしですぜ」
「なぜ」
「なぜって、旦那。村のものは、みんな気狂きちげえだって云ってるんでさあ」
「そりゃ何かの間違だろう」
「だって、げんに証拠があるんだから、御よしなせえ。けんのんだ」
「おれは大丈夫だが、どんな証拠があるんだい」
「おかしな話しさね。まあゆっくり、煙草たばこでもんで御出おいでなせえ話すから。――頭あ洗いましょうか」
「頭はよそう」
頭垢ふけだけ落して置くかね」
 親方はあかたまった十本の爪を、遠慮なく、余が頭蓋骨ずがいこつの上に並べて、断わりもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。この爪が、黒髪の根を一本ごとに押し分けて、不毛のきょうを巨人の熊手くまでが疾風の速度で通るごとくに往来する。余が頭に何十万本の髪の毛がえているか知らんが、ありとある毛がことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面に蚯蚓腫めめずばれにふくれ上った上、余勢が地磐じばんを通して、骨から脳味噌のうみそまで震盪しんとうを感じたくらいはげしく、親方は余の頭を掻き廻わした。
「どうです、好い心持でしょう」
「非常な辣腕らつわんだ」
「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」
「首が抜けそうだよ」
「そんなに倦怠けったるうがすかい。全く陽気の加減だね。どうも春てえやつあ、やに身体からだがなまけやがって――まあ一ぷく御上おあがんなさい。一人で志保田にいちゃ、退屈でしょう。ちと話しに御出おいでなせえ。どうも江戸っ子は江戸っ子同志でなくっちゃ、話しが合わねえものだから。何ですかい、やっぱりあの御嬢さんが、御愛想に出てきますかい。どうもさっぱし、見境みさけえのねえ女だから困っちまわあ」
「御嬢さんが、どうとか、したところで頭垢が飛んで、首が抜けそうになったっけ」
ちげえねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締りがねえったらねえ。――そこでその坊主がのぼせちまって……」
「その坊主たあ、どの坊主だい」
観海寺かんかいじ納所坊主なっしょぼうずがさ……」
納所なっしょにも住持じゅうじにも、坊主はまだ一人も出て来ないんだ」
「そうか、急勝せっかちだから、いけねえ。苦味走にがんばしった、色の出来そうな坊主だったが、そいつが御前おまえさん、レコに参っちまって、とうとうふみをつけたんだ。――おや待てよ。口説くどいたんだっけかな。いんにゃ文だ。文にちげえねえ。すると――こうっと――何だか、きさつが少し変だぜ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえとやっこさん、驚ろいちまってからに……」
「誰が驚ろいたんだい」
「女がさ」
「女が文を受け取って驚ろいたんだね」
「ところが驚ろくような女なら、殊勝しおらしいんだが、驚ろくどころじゃねえ」
「じゃ誰が驚ろいたんだい」
「口説た方がさ」
「口説ないのじゃないか」
「ええ、じれってえ。間違ってらあ。ふみをもらってさ」
「それじゃやっぱり女だろう」
「なあに男がさ」
「男なら、その坊主だろう」
「ええ、その坊主がさ」
「坊主がどうして驚ろいたのかい」
「どうしてって、本堂で和尚おしょうさんと御経を上げてると、突然いきなりあの女が飛び込んで来て――ウフフフフ。どうしても狂印きじるしだね」
「どうかしたのかい」
「そんなに可愛かわいいなら、仏様の前で、いっしょに寝ようって、出し抜けに、泰安たいあんさんのくびたまへかじりついたんでさあ」
「へええ」
面喰めんくらったなあ、泰安さ。気狂きちげえに文をつけて、飛んだ恥をかせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって……」
「死んだ?」
「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」
「何とも云えない」
「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだってえねえから、ことによると生きてるかも知れねえね」
「なかなか面白い話だ」
「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、が気が違ってるんだから、洒唖洒唖しゃあしゃあして平気なもんで――なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、滅多めったにからかったりなんかすると、大変な目に逢いますよ」
「ちっと気をつけるかね。ははははは」
 生温なまぬるいそから、塩気のある春風はるかぜがふわりふわりと来て、親方の暖簾のれんねむたそうにあおる。身をはすにしてその下をくぐり抜けるつばめの姿が、ひらりと、鏡のうちに落ちて行く。向うのうちでは六十ばかりの爺さんが、軒下に蹲踞うずくまりながら、だまって貝をむいている。かちゃりと、小刀があたるたびに、赤いざるのなかに隠れる。からはきらりと光りを放って、二尺あまりの陽炎かげろうむこうへ横切る。丘のごとくにうずたかく、積み上げられた、貝殻は牡蠣かきか、馬鹿ばかか、馬刀貝まてがいか。くずれた、幾分は砂川すながわの底に落ちて、浮世の表から、らい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の行末ゆくえを考うる暇さえなく、ただむなしき殻を陽炎かげろうの上へほうり出す。れのざるにはささうべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に長閑のどかと見える。
 砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、参差しんしとして幾尋いくひろの干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、なまぐさ微温ぬくもりを与えつつあるかと怪しまれる。その間から、鈍刀どんとうかして、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。
 この景色とこの親方とはとうてい調和しない。もしこの親方の人格が強烈で四辺しへんの風光と拮抗きっこうするほどの影響を余の頭脳に与えたならば、余は両者の間に立ってすこぶる※(「木+内」、第3水準1-85-54)方鑿えんぜいほうさくの感に打たれただろう。さいわいにして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾然こんぜんとして駘蕩たいとうたる天地の大気象にはかなわない。満腹の饒舌にょうぜつろうして、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く一微塵いちみじんとなって、怡々いいたる春光しゅんこううちに浮遊している。矛盾とは、力において、量において、もしくは意気体躯たいくにおいて氷炭相容ひょうたんあいいるるあたわずして、しかも同程度に位する物もしくは人の間にって始めて、見出し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやく※(「さんずい+斯」、第3水準1-87-16)※(「壟」の「土」に代えて「石」、第3水準1-89-17)しじんろうまして、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れぬ。大人たいじん手足しゅそくとなって才子が活動し、才子の股肱ここうとなって昧者まいしゃが活動し、昧者の心腹しんぷくとなって牛馬が活動し得るのはこれがためである。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の滑稽こっけいを演じている。長閑のどかな春の感じをこわすべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。余は思わず弥生半やよいなかばに呑気のんき弥次やじと近づきになったような気持ちになった。このきわめて安価なる※(「(諂-言)+炎」、第3水準1-87-64)きえんかは、太平のしょうを具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。
 こう考えると、この親方もなかなかにも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざとしりえて四方八方よもやまの話をしていた。ところへ暖簾のれんすべって小さな坊主頭が
「御免、一つって貰おうか」
這入はいって来る。白木綿の着物に同じ丸絎まるぐけの帯をしめて、上から蚊帳かやのようにあら法衣ころもを羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。
了念りょうねんさん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、和尚おしょうさんにしかられたろう」
「いんにゃ、められた」
「使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」
「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老師が褒められたのよ」
道理どうれで頭にこぶが出来てらあ。そんな不作法な頭あ、るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から、ね直して来ねえ」
「捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます」
「はははは頭は凹凸ぼこでこだが、口だけは達者なもんだ」
「腕は鈍いが、酒だけ強いのは御前おまえだろ」
箆棒べらぼうめ、腕が鈍いって……」
「わしが云うたのじゃない。老師が云われたのじゃ。そう怒るまい。年甲斐としがいもない」
「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」
「ええ?」
全体ぜんてえ坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托くったくがねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。こんな小坊主までなかなか口幅くちはばってえ事を云いますぜ――おっと、もう少しどたまを寝かして――寝かすんだてえのに、――言う事をかなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」
「痛いがな。そう無茶をしては」
「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」
「坊主にはもうなっとるがな」
「まだ一人前いちにんめえじゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」
「泰安さんは死にはせんがな」
「死なねえ? はてな。死んだはずだが」
「泰安さんは、そののち発憤して、陸前りくぜん大梅寺だいばいじへ行って、修業三昧しゅぎょうざんまいじゃ。今に智識ちしきになられよう。結構な事よ」
「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前おめえなんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――女ってえば、あの狂印きじるしはやっぱり和尚おしょうさんの所へ行くかい」
狂印きじるしと云う女は聞いた事がない」
「通じねえ、味噌擂みそすりだ。行くのか、行かねえのか」
狂印きじるしは来んが、志保田の娘さんなら来る」
「いくら、和尚さんの御祈祷ごきとうでもあればかりゃ、なおるめえ。全くせんの旦那がたたってるんだ」
「あの娘さんはえらい女だ。老師がようめておられる」
「石段をあがると、何でも逆様さかさまだからかなわねえ。和尚さんが、何て云ったって、気狂きちげえ気狂きちげえだろう。――さあれたよ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ」
「いやもう少し遊んで行ってめられよう」
「勝手にしろ、口のらねえ餓鬼がきだ」
とっこの乾尿※(「木+厥」、第3水準1-86-15)かんしけつ
「何だと?」
 青い頭はすでに暖簾のれんをくぐって、春風しゅんぷうに吹かれている。

        六

 夕暮の机に向う。障子もふすまはなつ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞ふるまきょうを、幾曲いくまがりの廊下に隔てたれば、物の音さえ思索のわずらいにはならぬ。今日は一層ひとしお静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬに、われを残して、立ち退いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。かすみの国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水が自然に近づいて、かじをとるさえものうき海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難きさかいただよい来て、ては帆みずからが、いずこにおのれを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんなはるかな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大しだいが、今頃は目に見えぬ霊氛れいふんとなって、広い天地の間に、顕微鏡けんびきょうの力をるとも、名残なごりとどめぬようになったのであろう。あるいは雲雀ひばりに化して、の花のを鳴き尽したるのち、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永くするあぶのつとめを果したる後、ずいる甘き露を吸いそこねて、落椿おちつばきの下に、伏せられながら、世をかんばしく眠っているかも知れぬ。とにかく静かなものだ。
 むなしき家を、空しく抜ける春風はるかぜの、抜けて行くは迎える人への義理でもない。こばむものへの面当つらあてでもない。おのずからきたりて、自から去る、公平なる宇宙のこころである。たなごころあごささえたる余の心も、わが住む部屋のごとくむなしければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。
 踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣きづかいおこる。いただくは天と知る故に、稲妻いなずま米噛こめかみふるおそれも出来る。人とあらそわねば一分いちぶんが立たぬと浮世が催促するから、火宅かたくは免かれぬ。東西のある乾坤けんこんに住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋はあだである。目に見る富は土である。握る名と奪えるほまれとは、小賢こざかしきはちが甘くかもすと見せて、針をて去る蜜のごときものであろう。いわゆるたのしみは物にちゃくするより起るがゆえに、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画客がかくなるものあって、くまでこの待対たいたい世界の精華をんで、徹骨徹髄てっこつてつずいの清きを知る。かすみさんし、露をみ、ひんし、こうひょうして、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物にちゃくするのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々ぼうぼうたる大地をきわめても見出みいだし得ぬ。自在じざい泥団でいだん放下ほうげして、破笠裏はりつり無限むげん青嵐せいらんる。いたずらにこの境遇を拈出ねんしゅつするのは、あえ市井しせい銅臭児どうしゅうじ鬼嚇きかくして、好んで高く標置ひょうちするがためではない。ただ這裏しゃり福音ふくいんを述べて、縁ある衆生しゅじょうさしまねくのみである。有体ありていに云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足にんにんぐそくの道である。春秋しゅんじゅうに指を折り尽して、白頭はくとう呻吟しんぎんするのといえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸しゅうがいれて、われを忘れし、拍手はくしゅきょうび起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐いきがいのない男である。
 されど一事いちじそくし、一物いちぶつするのみが詩人の感興とは云わぬ。ある時は一弁いちべんの花に化し、あるときは一双いっそうちょうに化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風たくふううち撩乱りょうらんせしむる事もあろうが、なんとも知れぬ四辺しへんの風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは那物なにものぞとも明瞭めいりょうに意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿気こうきに触るると云うだろう。ある人は無絃むげんきん霊台れいだいに聴くと云うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域に※(「にんべん+亶」、第3水準1-14-43)※(「にんべん+回」、第3水準1-14-18)せんかいして、縹緲ひょうびょうのちまたに彷徨ほうこうすると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、唐木からきの机にりてぽかんとした心裡しんりの状態はまさにこれである。
 余はあきらかに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚こうこつと動いている。
 いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹せんたんに練り上げて、それを蓬莱ほうらい霊液れいえきいて、桃源とうげんの日で蒸発せしめた精気が、知らぬ毛孔けあなからみ込んで、心が知覚せぬうちに飽和ほうわされてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明ふぶんみょうであるから、ごうも刺激がない。刺激がないから、窈然ようぜんとして名状しがたいたのしみがある。風にまれてうわそらなる波を起す、軽薄で騒々しいおもむきとは違う。目に見えぬ幾尋いくひろの底を、大陸から大陸まで動いている※(「さんずい+(廣-广)」、第3水準1-87-13)こうようたる蒼海そうかいの有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念けねんこもる。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わがはげしき力の銷磨しょうましはせぬかとのうれいを離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単にとらえ難しと云う意味で、弱きに過ぎるおそれを含んではおらぬ。冲融ちゅうゆうとか澹蕩たんとうとか云う詩人の語はもっともこのきょうを切実に言いおおせたものだろう。
 この境界きょうがいにして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と称するものは、ただ眼前がんぜんの人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉過ろくかして、絵絹えぎぬの上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事のうじは終ったものと考えられている。もしこの上に一頭地いっとうちを抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままのおもむきを添えて、画布の上に淋漓りんりとして生動せいどうさせる。ある特別の感興を、おのが捕えたる森羅しんらうちに寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭めいりょうに筆端にほとばしっておらねば、画を製作したとは云わぬ。おのれはしかじかの事を、しかじかに、しかじかに感じたり、その観方みかたも感じ方も、前人ぜんじん籬下りかに立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
 この二種の製作家に主客しゅかく深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分明ぶんみょうなものではない。あらん限りの感覚を鼓舞こぶして、これを心外に物色したところで、方円の形、紅緑こうろくの色は無論、濃淡の陰、洪繊こうせんすじを見出しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界によこたわる、一定の景物でないから、これが源因げんいんだと指をげて明らかに人に示すわけに行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――いやこの心持ちをいかなる具体をりて、人の合点がてんするように髣髴ほうふつせしめ得るかが問題である。
 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに恰好かっこうなる対象をえらばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易にまとまらない。纏っても自然界に存するものとはまるおもむきことにする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。えがいた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興のした刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命を※(「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54)※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)しょうきょうしがたきムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然のいさおしを収め得たる画工があるかないか知らぬ。ある点までこの流派りゅうはに指を染め得たるものをぐれば、文与可ぶんよかの竹である。雲谷うんこく門下の山水である。下って大雅堂たいがどう景色けいしょくである。蕪村ぶそんの人物である。泰西たいせいの画家に至っては、多く眼を具象ぐしょう世界にせて、神往しんおう気韻きいんに傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外ぶつがい神韻しんいんを伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
 惜しい事に雪舟せっしゅう、蕪村らのつとめて描出びょうしゅつした一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わがにして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖ほおづえをやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子わがこを尋ね当てるため、六十余州を回国かいこくして、てもめても、忘れるがなかったある日、十字街頭にふと邂逅かいこうして、稲妻いなずまさえぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないとののしられてもうらみはない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直きょくちょくがこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻ふういんのどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、いとわない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼がじょうのなかへ落ち込むまで、工夫くふうしたが、とても物にならん。
 鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的ちゅうしょうてきな興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
 たちまち音楽の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要にせまられて生まれた自然の声であろう。がくくべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。
 次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界きょうがいもとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏しんりの状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次ていじに展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二がきたり、二が消えて三が生まるるがためにうれしいのではない。初から窈然ようぜんとして同所どうしょ把住はじゅうするおもむきで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排あんばいする必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情けいじょうを詩中に持ち来って、この曠然こうぜんとして倚托きたくなき有様を写すかが問題で、すでにこれをとらえ得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗しんちょくする出来事の助けをらずとも、単純に空間的なる絵画上の要件をたしさえすれば、言語をもってえがき得るものと思う。
 議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先のがった所を、どうにか運動させたいばかりで、ごうも運動させるわけに行かなかった。急に朋友ほうゆうの名を失念して、咽喉のどまで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこであきらめると、出損でそくなった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。
 葛湯くずゆを練るとき、最初のうちは、さらさらして、はし手応てごたえがないものだ。そこを辛抱しんぼうすると、ようやく粘着ねばりが出て、ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいにはなべの中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
 手掛てがかりのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、

青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。※(「虫+蕭」、第4水準2-87-94)蛸掛不動。篆煙繞竹梁。
と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作りやすかったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ないじょうを、次にはうたって見たい。あれか、これかと思いわずらった末とうとう、
独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬※(「しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)白雲郷。

と出来た。もう一返いっぺん最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがたはいった神境を写したものとすると、索然さくぜんとして物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、ふすまを引いて、はなった幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
 余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
 一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿ふりそですがたのすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側えんがわ寂然じゃくねんとして歩行あるいて行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。
 花曇はなぐもりの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干らんかんに、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六けんの中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥しょうりょうと見えつ、隠れつする。
 女はもとより口も聞かぬ。傍目わきめらぬ。えんに引くすその音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行あるいている。腰から下にぱっと色づく、裾模様すそもようは何を染め抜いたものか、遠くてからぬ。ただ無地むじと模様のつながる中が、おのずからぼかされて、夜と昼との境のごとき心地ここちである。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
 この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議なよそおいをして、この不思議な歩行あゆみをつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。く春のうらみを訴うる所作しょさならば何がゆえにかくは無頓着むとんじゃくなる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅きらを飾れる。
 暮れんとする春の色の、嬋媛せんえんとして、しばらくは※(「しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)めいばくの戸口をまぼろしにいろどる中に、眼もむるほどの帯地おびじ金襴きんらんか。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然そうぜんたる夕べのなかにつつまれて、幽闃ゆうげきのあなた、遼遠りょうえんのかしこへ一分ごとに消えて去る。きらめき渡る春の星の、あかつき近くに、紫深き空の底におちいるおもむきである。
 太玄たいげん※(「門<昏」、第3水準1-93-52)もんおのずからひらけて、このはなやかなる姿を、幽冥ゆうめいに吸い込まんとするとき、余はこう感じた。金屏きんびょうを背に、銀燭ぎんしょくを前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこのよそおいの、いと景色けしきもなく、争う様子も見えず、色相しきそう世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々とせまる黒き影を、すかして見ると女は粛然として、きもせず、狼狽うろたえもせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊はいかいしているらしい。身に落ちかかるわざわいを知らぬとすれば無邪気のきわみである。知って、災と思わぬならば物凄ものすごい。黒い所が本来の住居すまいで、しばらくの幻影まぼろしを、もとのままなる冥漠めいばくうちに収めればこそ、かように※(「(靜-爭)+見」、第3水準1-93-75)かんせいの態度で、あいだ逍遥しょうようしているのだろう。女のつけた振袖に、ふんたる模様の尽きて、是非もなき磨墨するすみに流れ込むあたりに、おのが身の素性すじょうをほのめかしている。
 またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚うつつのままで、この世の呼吸いきを引き取るときに、枕元にやまいまもるわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐いきがいのない本人はもとより、はたに見ている親しい人も殺すが慈悲とあきらめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何のとががあろう。眠りながら冥府よみに連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命をはたすと同様である。どうせ殺すものなら、とてものがれぬ定業じょうごうと得心もさせ、断念もして、念仏をとなえたい。死ぬべき条件がそなわらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ回向えこうをする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。りの眠りから、いつのとも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩ぼんのうの綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、おだやかに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつのうちから救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るやいなや、何だか口がけなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端とたんに、女はまた通る。こちらにうかがう人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵みじんも気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初手しょてから、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々しょうしょうと封じおわる。

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