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野分(のわき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:09:38  点击:  切换到繁體中文

       一

 白井道也しらいどうやは文学者である。
 八年まえ大学を卒業してから田舎いなかの中学を二三箇所かしょ流して歩いた末、去年の春飄然ひょうぜんと東京へ戻って来た。流すとは門附かどづけに用いる言葉で飄然とは徂徠そらいかかわらぬ意味とも取れる。道也の進退をかく形容するの適否は作者といえども受合わぬ。もつれたる糸の片端かたはしも眼をちゃくすればただ一筋の末とあらわるるに過ぎぬ。ただ一筋の出処しゅっしょの裏には十重二十重とえはたえ因縁いんねんからんでいるかも知れぬ。鴻雁こうがんの北に去りて乙鳥いっちょうの南にきたるさえ、鳥の身になっては相当の弁解があるはずじゃ。
 始めて赴任ふにんしたのは越後えちごのどこかであった。越後は石油の名所である。学校のる町を四五町隔てて大きな石油会社があった。学校のある町の繁栄は三二以上この会社の御蔭おかげで維持されている。町のものに取っては幾個の中学校よりもこの石油会社の方がはるかにありがたい。会社の役員は金のある点において紳士しんしである。中学の教師は貧乏なところが下等に見える。この下等な教師と金のある紳士が衝突すれば勝敗しょうはいは誰が眼にもあきらかである。道也はある時の演説会で、金力きんりょく品性ひんせいう題目のもとに、両者の必ずしも一致せざる理由を説明して、あんに会社の役員らの暴慢と、青年子弟の何らの定見もなくしていたずらに黄白万能主義こうはくばんのうしゅぎを信奉するのへいとをいましめた。
 役員らは生意気なまいきやつだと云った。町の新聞は無能の教師が高慢な不平をくと評した。彼の同僚すら余計な事をして学校の位地を危うくするのはだと思った。校長は町と会社との関係を説いて、みだりに平地に風波を起すのは得策でないと説諭した。道也の最後に望をしょくしていた生徒すらも、父兄の意見を聞いて、身のほどを知らぬ馬鹿教師と云い出した。道也は飄然ひょうぜんとして越後を去った。
 次に渡ったのは九州である。九州を中断してその北部から工業を除けば九州は白紙となる。炭礦たんこうの煙りを浴びて、黒い呼吸いきをせぬ者は人間の資格はない。垢光あかびかりのする背広の上へあおい顔を出して、世の中がこうの、社会がああの、未来の国民がなんのかのと白銅一個にさえ換算の出来ぬ不生産的な言説をろうするものに存在の権利のあろうはずがない。権利のないものに存在を許すのは実業家の御慈悲おじひである。無駄口をたたく学者や、蓄音機の代理をする教師が露命をつなぐ月々幾片いくへんの紙幣は、どこからいてくる。手のひらをぽんとたたけば、おのずから降る幾億の富の、ちりの塵の末をめさして、生かして置くのが学者である、文士である、さては教師である。
 かねの力できておりながら、金をそしるのは、生んで貰った親に悪体あくたいをつくと同じ事である。その金を作ってくれる実業家を軽んずるなら食わずに死んで見るがいい。死ねるか、死に切れずに降参をするか、めして見ようと云ってほうり出された時、道也はまた飄然と九州を去った。
 第三に出現したのは中国へん田舎いなかである。ここの気風はさほどに猛烈な現金主義ではなかった。ただ土着のものがむやみに幅をかして、他県のものを外国人と呼ぶ。外国人と呼ぶだけならそれまでであるが、いろいろに手をわしてこの外国人を征服しようとする。宴会があれば宴会でひやかす。演説があれば演説であてこする。それから新聞で厭味いやみを並べる。生徒にからかわせる。そうしてそれが何のためでもない。ただ他県のものが自分と同化せぬのが気にかかるからである。同化は社会の要素に違ない。仏蘭西フランスのタルドと云う学者は社会は模倣なりとさえ云うたくらいだ。同化は大切かも知れぬ。その大切さ加減は道也といえども心得ている。心得ているどころではない、高等な教育を受けて、広義な社会観を有している彼は、凡俗以上に同化の功徳くどくを認めている。ただ高いものに同化するか低いものに同化するかが問題である。この問題を解釈しないでいたずらに同化するのは世のためにならぬ。自分から云えば一分いちぶんが立たぬ。
 ある時旧藩主が学校を参観に来た。旧藩主は殿様で華族様である。所のものから云えば神様である。この神様が道也の教室へ這入はいって来た時、道也は別に意にも留めず授業を継続していた。神様の方では無論挨拶あいさつもしなかった。これから事がずかしくなった。教場は神聖である。教師が教壇に立って業を授けるのはさむらいものに身を固めて戦場に臨むようなものである。いくら華族でも旧藩主でも、授業を中絶させる権利はないとは道也の主張であった。この主張のために道也はまた飄然ひょうぜんとして任地を去った。去る時に土地のものは彼をもくして頑愚がんぐだと評し合うたそうである。頑愚と云われたる道也はこの嘲罵ちょうばを背に受けながら飄然として去った。
 たび飄然と中学を去った道也は飄然と東京へ戻ったなり再び動く景色けしきがない。東京は日本で一番世地辛せちがらい所である。田舎にいるほどの俸給を受けてさえ楽には暮せない。まして教職をなげうって両手をたもとへ入れたままでるのは、立ちながらみいらとなる工夫くふうと評するよりほかにめようのない方法である。
 道也にはさいがある。妻と名がつく以上は養うべき義務は附随してくる。みずからみいらとなるのを甘んじても妻を干乾ひぼしにするわけには行かぬ。干乾にならぬよほど前から妻君はすでに不平である。
 始めて越後えちごを去る時には妻君に一部始終いちぶしじゅうを話した。その時妻君はごもっともでござんすと云って、甲斐甲斐かいがいしく荷物の手拵てごしらえを始めた。九州を去る時にもその顛末てんまつを云って聞かせた。今度はまたですかと云ったぎり何にも口を開かなかった。中国を出る時の妻君の言葉は、あなたのように頑固がんこではどこへいらしっても落ちつけっこありませんわと云う訓戒的の挨拶あいさつに変化していた。七年の間に三たび漂泊して、三たび漂泊するうちに妻君はしだいと自分の傍を遠退とおのくようになった。
 妻君が自分の傍を遠退くのは漂泊のためであろうか、俸禄ほうろくてるためであろうか。何度漂泊しても、漂泊するたびに月給が上がったらどうだろう。妻君は依然として「あなたのように……」と不服がましい言葉をらしたろうか。博士にでもなって、大学教授に転任してもやはり「あなたのように……」が繰り返されるであろうか。妻君の了簡りょうけんは聞いて見なければ分らぬ。
 博士になり、教授になり、むなしき名を空しく世間にうたわるるがため、その反響が妻君の胸にとどろいて、急におっとの待遇を変えるならばこの細君は夫の知己ちきとは云えぬ。世の中が夫を遇する朝夕ちょうせきの模様で、夫の価値を朝夕に変える細君は、夫を評価する上において、世間並せけんなみの一人である。とつがぬ前、名を知らぬ前、のおのれと異なるところがない。従って夫から見ればあかの他人である。夫を知る点において嫁ぐ前と嫁ぐのちとに変りがなければ、少なくともこの点において細君らしいところがないのである。世界はこの細君らしからぬ細君をもって充満している。道也は自分のさいをやはりこの同類と心得ているだろうか。至る所にれられぬ上に、至る所に起居を共にする細君さえ自分を解してくれないのだと悟ったら、定めて心細いだろう。
 世の中はかかる細君をもって充満していると云った。かかる細君をもって充満しておりながら、皆円満にくらしている。順境にある者が細君の心事をここまでに解剖する必要がない。皮膚病にかかればこそ皮膚の研究が必要になる。病気も無いのに汚ないものを顕微鏡けんびきょうながめるのは、事なきに苦しんで肥柄杓こえびしゃくを振り廻すと一般である。ただこの順境が一転して逆落さかおとしに運命のふちへころがり込む時、いかな夫婦の間にも気まずい事が起る。親子の覊絆きずなもぽつりと切れる。美くしいのは血の上を薄くおおう皮の事であったと気がつく。道也はどこまで気がついたか知らぬ。
 道也の三たび去ったのは、好んで自から窮地におちいるためではない。罪もない妻に苦労を掛けるためではなおさらない。世間がおのれを容れぬから仕方がないのである。世が容れぬならなぜこちらから世に容れられようとはせぬ? 世に容れられようとする刹那せつなに道也は奇麗きれいに消滅してしまうからである。道也は人格において流俗りゅうぞくより高いと自信している。流俗より高ければ高いほど、低いものの手を引いて、高い方へ導いてやるのが責任である。高いと知りながらも低きにつくのは、自から多年の教育を受けながら、この教育の結果がもたらした財宝を床下ゆかしたうずむるようなものである。自分の人格を他に及ぼさぬ以上は、せっかくに築き上げた人格は、築きあげぬ昔と同じく無功力で、築き上げた労力だけを徒費した訳になる。英語を教え、歴史を教え、ある時は倫理さえ教えたのは、人格の修養に附随してたくわえられた、芸を教えたのである。単にこの芸を目的にして学問をしたならば、教場で書物を開いてさえいれば済む。書物を開いて飯を食って満足しているのは綱渡りが綱を渡って飯を食い、皿廻しが皿を廻わして飯を食うのと理論において異なるところはない。学問は綱渡りや皿廻しとは違う。芸を覚えるのは末の事である。人間が出来上るのが目的である。大小の区別のつく、軽重けいちょうの等差を知る、好悪こうおの判然する、善悪の分界をみ込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判をあやまらざる大丈夫が出来上がるのが目的である。
 道也はこう考えている。だから芸をって口をするのを恥辱とせぬと同時に、学問の根底たる立脚地を離るるのを深く陋劣ろうれつと心得た。彼が至る所に容れられぬのは、学問の本体に根拠地を構えての上の去就きょしゅうであるから、彼自身は内にかえりみてやましいところもなければ、意気地がないとも思いつかぬ。頑愚がんぐなどと云う嘲罵ちょうばは、てのひらせて、夏の日の南軒なんけんに、虫眼鏡むしめがねで検査しても了解が出来ん。
 三度みたび教師となって三度追い出された彼は、追い出されるたびに博士よりも偉大な手柄てがらを立てたつもりでいる。博士はえらかろう、しかしたかが芸で取る称号である。富豪が製艦費を献納して従五位じゅごいをちょうだいするのと大した変りはない。道也が追い出されたのは道也の人物が高いからである。正しき人は神の造れるすべてのうちにて最も尊きものなりとは西の国の詩人の言葉だ。道を守るものは神よりもたっとしとは道也が追わるるごとに心のうちで繰り返す文句である。ただし妻君はかつてこの文句を道也の口から聞いた事がない。聞いても分かるまい。
 わからねばこそにもせぬ先から、夫に対して不平なのである。不平なさいを気の毒と思わぬほどの道也ではない。ただ妻の歓心を得るためにが行く道を曲げぬだけが普通の夫と違うのである。世は単に人と呼ぶ。めとれば夫である。まじわれば友である。手を引けば兄、引かるれば弟である。社会に立てば先覚者にもなる。校舎に入れば教師に違いない。さるを単に人と呼ぶ。人と呼んで事足るほどの世間なら単純である。妻君は常にこの単純な世界に住んでいる。妻君の世界には夫としての道也のほかには学者としての道也もない、志士としての道也もない。道を守り俗に抗する道也はなおさらない。夫が行く先き先きで評判が悪くなるのは、夫の才が足らぬからで、いたる所に職を辞するのは、自から求むる酔興すいきょうにほかならんとまで考えている。
 酔興を三たび重ねて、東京へ出て来た道也は、もう田舎いなかへは行かぬと言い出した。教師ももうやらぬと妻君に打ち明けた。学校に愛想をつかした彼は、愛想をつかした社会状態を矯正きょうせいするには筆の力によらねばならぬと悟ったのである。今まではいずこのはてで、どんな職業をしようとも、おのれさえ真直であれば曲がったものは苧殻おがらのように向うで折れべきものと心得ていた。盛名はわが望むところではない。威望もわが欲するところではない。ただわが人格の力で、未来の国民をかたちづくる青年に、向上のまなこを開かしむるため、取捨分別しゅしゃふんべつの好例を自家身上に示せば足るとのみ思い込んで、思い込んだ通りを六年余り実行して、見事に失敗したのである。渡る世間に鬼はないと云うから、同情は正しき所、高き所、物の理窟りくつのよく分かる所にあつまると早合点はやがてんして、この年月としつきを今度こそ、今度こそ、と経験の足らぬ吾身わがみに、待ち受けたのは生涯しょうがいの誤りである。世はわが思うほどに高尚なものではない、鑑識のあるものでもない。同情とは強きもの、富めるものにのみしたがう影にほかならぬ。
 ここまで進んでおらぬ世を買いかぶって、一足飛いっそくとびに田舎へ行ったのは、地ならしをせぬ地面の上へ丈夫な家を建てようとあせるようなものだ。建てかけるが早いか、風と云い雨と云う曲者くせものが来てこわしてしまう。地ならしをするか、雨風あめかぜ退治たいじるかせぬうちは、落ちついてこの世に住めぬ。落ちついて住めぬ世を住めるようにしてやるのが天下の士の仕事である。
 かねいきおいもないものが天下の士に恥じぬ事業を成すには筆の力に頼らねばならぬ。舌のたすけらねばならぬ。脳味噌のうみそ圧搾あっさくして利他りた智慧ちえしぼらねばならぬ。脳味噌はれる、舌はただれる、筆は何本でも折れる、それでも世の中が云う事を聞かなければそれまでである。
 しかし天下の士といえども食わずには働けない。よし自分だけは食わんで済むとしても、妻は食わずに辛抱しんぼうする気遣きづかいはない。豊かに妻を養わぬ夫は、妻の眼から見れば大罪人である。今年の春、田舎から出て来て、芝琴平町しばことひらちょうの安宿へ着いた時、道也と妻君の間にはこんな会話が起った。
「教師をおやめなさるって、これから何をなさるおつもりですか」
「別にこれと云うつもりもないがね、まあ、そのうち、どうかなるだろう」
「そのうちどうかなるだろうって、それじゃまるで雲をつかむような話しじゃありませんか」
「そうさな。あんまり判然はんぜんとしちゃいない」
「そう呑気のんきじゃ困りますわ。あなたは男だからそれでようござんしょうが、ちっとは私の身にもなって見て下さらなくっちゃあ……」
「だからさ、もう田舎へは行かない、教師にもならない事にきめたんだよ」
「きめるのは御勝手ですけれども、きめたって月給が取れなけりゃ仕方がないじゃありませんか」
「月給がとれなくっても金がとれれば、よかろう」
「金がとれれば……そりゃようござんすとも」
「そんなら、いいさ」
「いいさって、御金がとれるんですか、あなた」
「そうさ、まあ取れるだろうと思うのさ」
「どうして?」
「そこは今考え中だ。そうちゃく早々そうそう計画が立つものか」
「だから心配になるんですわ。いくら東京にいるときめたって、きめただけの思案しあんじゃ仕方がないじゃありませんか」
「どうも御前おまえはむやみに心配性でいけない」
「心配もしますわ、どこへいらしっても折合おりあいがわるくっちゃ、おやめになるんですもの。私が心配性なら、あなたはよっぽど癇癪持かんしゃくもちですわ」
「そうかも知れない。しかしおれの癇癪は……まあ、いいや。どうにか東京で食えるようにするから」
御兄おあにいさんの所へいらしって御頼みなすったら、どうでしょう」
「うん、それも好いがね。兄はいったい人の世話なんかする男じゃないよ」
「あら、そう何でも一人できめてしまいになるから悪るいんですわ。昨日きのうもあんなに親切にいろいろ言って下さったじゃありませんか」
「昨日か。昨日はいろいろ世話を焼くような事を言った。言ったがね……」
「言ってもいけないんですか」
「いけなかないよ。言うのは結構だが……あんまりあてにならないからな」
「なぜ?」
「なぜって、その内だんだんわかるさ」
「じゃ御友達の方にでも願って、あしたからでも運動をなすったらいいでしょう」
「友達って別に友達なんかありゃしない。同級生はみんな散ってしまった」
「だって毎年年始状を御寄およこしになる足立あだちさんなんか東京で立派にしていらっしゃるじゃありませんか」
「足立か、うん、大学教授だね」
「そう、あなたのように高くばかり構えていらっしゃるから人にきらわれるんですよ。大学教授だねって、大学の先生になりゃ結構じゃありませんか」
「そうかね。じゃ足立の所へでも行って頼んで見ようよ。しかし金さえ取れれば必ず足立の所へ行く必要はなかろう」
「あら、まだあんな事を云っていらっしゃる。あなたはよっぽど強情ね」
「うん、おれはよっぽど強情だよ」

        二

 せまる秋の日は、いただく帽をとおして頭蓋骨ずがいこつのなかさえほがらかならしめたかの感がある。公園のロハ台はそのロハ台たるのゆえをもってことごとくロハ的に占領されてしまった。高柳君たかやなぎくんは、どこぞいた所はあるまいかと、さっきからちょうど三度日比谷を巡回した。三度巡回して一脚の腰掛も思うように我を迎えないのを発見した時、重そうな足を正門のかたへ向けた。すると反対の方から同年輩の青年が早足に這入はいって来て、やあと声を掛けた。
「やあ」と高柳君も同じような挨拶あいさつをした。
「どこへ行ったんだい」と青年が聞く。
「今ぐるぐるまわって、休もうと思ったが、どこもいていない。駄目だめだ、ただで掛けられる所はみんな人が先へかけている。なかなか抜目ぬけめはないもんだな」
「天気がいいせいだよ。なるほど随分人が出ているね。――おい、あの孟宗藪もうそうやぶを回って噴水の方へ行く人を見たまえ」
「どれ。あの女か。君の知ってる人かね」
「知るものか」
「それじゃ何で見る必要があるのだい」
「あの着物の色さ」
「何だか立派なものを着ているじゃないか」
「あの色を竹藪の傍へ持って行くと非常にあざやかに見える。あれは、こう云う透明な秋の日に照らして見ないと引き立たないんだ」
「そうかな」
「そうかなって、君そう感じないか」
「別に感じない。しかし奇麗きれいは奇麗だ」
「ただ奇麗だけじゃ可哀想かわいそうだ。君はこれから作家になるんだろう」
「そうさ」
「それじゃもう少し感じが鋭敏でなくっちゃ駄目だぜ」
「なに、あんな方は鈍くってもいいんだ。ほかに鋭敏なところが沢山あるんだから」
「ハハハハそう自信があれば結構だ。時に君せっかくったものだから、もう一遍あるこうじゃないか」
「あるくのは、真平まっぴらだ。これからすぐ電車へ乗って帰えらないと午食ひるめしを食いそくなう」
「その午食をおごろうじゃないか」
「うん、また今度にしよう」
「なぜ? いやかい」
いやじゃない――厭じゃないが、始終御馳走ごちそうにばかりなるから」
「ハハハ遠慮か。まあ来たまえ」と青年は否応いやおうなしに高柳君を公園の真中の西洋料理屋へ引っ張り込んで、眺望ちょうぼうのいい二階へ陣を取る。
 注文の来る間、高柳君はあおい顔へ両手でっかいぼうをして、さもつかれたと云う風に往来を見ている。青年はひとりで「ふんだいぶ広いな」「なかなか繁昌はんじょうすると見える」「なんだ、妙な所へ姿見の広告などを出して」などと半分口のうちで云うかと思ったら、やがて洋袴ズボン隠袋かくしへ手を入れて「や、しまった。煙草たばこを買ってくるのを忘れた」と大きな声を出した。
「煙草なら、ここにあるよ」と高柳君は「敷島」の袋を白い卓布たくふの上へほうり出す。
 ところへ下女が御誂おあつらえを持ってくる。煙草に火をけるはなかった。
「これは樽麦酒たるビールだね。おい君樽麦酒の祝杯を一つげようじゃないか」と青年は琥珀色こはくいろの底からき上がるあわをぐいと飲む。
「何の祝杯を挙げるのだい」と高柳君は一口飲みながら青年に聞いた。
「卒業祝いさ」
「今頃卒業祝いか」と高柳君は手のついた洋盃コップを下へおろしてしまった。
「卒業は生涯しょうがいにたった一度しかないんだから、いつまで祝ってもいいさ」
「たった一度しかないんだから祝わないでもいいくらいだ」
「僕とまるで反対だね。――姉さん、このフライは何だい。え? さけか。ここんとこへ君、このオレンジの露をかけて見たまえ」と青年は人指指ひとさしゆびと親指の間からちゅうと黄色い汁を鮭のころもの上へ落す。庭のおもてにはらはらと降る時雨しぐれのごとく、すぐ油の中へ吸い込まれてしまった。
「なるほどそうして食うものか。僕は装飾についてるのかと思った」
 姿見の札幌麦酒さっぽろビールの広告のもとに、大きくなって構えていた二人の男が、この時急に大きなれるような声を出して笑い始めた。高柳君はオレンジをつまんだまま、厭な顔をして二人を見る。二人はいっこう構わない。
「いや行くよ。いつでも行くよ。エヘヘヘヘ。今夜行こう。あんまり気が早い。ハハハハハ」
「エヘヘヘヘ。いえね、実はね、今夜あたり君を誘って繰り出そうと思っていたんだ。え? ハハハハ。なにそれほどでもない。ハハハハ。そら例のが、あれでしょう。だから、どうにもこうにもやり切れないのさ。エヘヘヘヘ、アハハハハハハ」
 土鍋どなべの底のようなあかい顔が広告の姿見に写ってくずれたり、かたまったり、伸びたり縮んだり、傍若無人ぼうじゃくぶじんに動揺している。高柳君は一種異様な厭な眼つきを転じて、相手の青年を見た。
「商人だよ」と青年が小声に云う。
「実業家かな」と高柳君も小声に答えながら、とうとうオレンジをしぼるのをやめてしまった。
 土鍋の底は、やがて勘定を払って、ついでに下女にからかって、二階を買い切ったような大きな声を出して、そうして出て行った。
「おい中野君」
「むむ?」と青年は鳥の肉を口いっぱい頬張ほおばっている。
「あの連中れんじゅうは世の中を何と思ってるだろう」
「何とも思うものかね。ただああやって暮らしているのさ」
うらやましいな。どうかして――どうもいかんな」
「あんなものが羨しくっちゃ大変だ。そんな考だから卒業祝に同意しないんだろう。さあもう一杯景気よく飲んだ」
「あの人が羨ましいのじゃないが、ああ云う風に余裕があるような身分が羨ましい。いくら卒業したってこう奔命ほんめいに疲れちゃ、少しも卒業のありがた味はない」
「そうかなあ、僕なんざうれしくってたまらないがなあ。我々の生命はこれからだぜ。今からそんな心細い事を云っちゃあしようがない」
「我々の生命はこれからだのに、これから先が覚束おぼつかないからいやになってしまうのさ」
「なぜ? 何もそう悲観する必要はないじゃないか、おおいにやるさ。僕もやる気だ、いっしょにやろう。大に西洋料理でも食って――そらビステキが来た。これでおしまいだよ。君ビステキの生焼なまやきは消化がいいって云うぜ。こいつはどうかな」と中野君は洋刀ナイフふるって厚切あつぎりの一片いっぺん中央まんなかから切断した。
「なあるほど、赤い。赤いよ君、見たまえ。血が出るよ」
 高柳君は何にも答えずにむしゃむしゃ赤いビステキを食い始めた。いくら赤くてもけっして消化がよさそうには思えなかった。
 人にわが不平を訴えんとするとき、わが不平が徹底せぬうち、先方から中途半把ちゅうとはんぱ慰藉いしゃを与えらるるのはこころよくないものだ。わが不平が通じたのか、通じないのか、本当に気の毒がるのか、御世辞おせじに気の毒がるのか分らない。高柳君はビステキの赤さ加減をながめながら、相手はなぜこう感情が粗大そだいだろうと思った。もう少し切り込みたいと云う矢先やさきへ持って来て、ざああと水をけるのが中野君の例である。不親切な人、冷淡な人ならば始めからそれ相応の用意をしてかかるから、いくら冷たくても驚ろく気遣きづかいはない。中野君がかような人であったなら、出鼻をはたかれてもさほどに口惜くやしくはなかったろう。しかし高柳君の眼に映ずる中野輝一なかのきいちは美しい、賢こい、よく人情を解して事理をわきまえた秀才である。この秀才が折々この癖を出すのはかいしにくい。
 彼らは同じ高等学校の、同じ寄宿舎の、同じ窓に机を並べて生活して、同じ文科に同じ教授の講義を聴いて、同じ年のこの夏に同じく学校を卒業したのである。同じ年に卒業したものは両手の指を二三度屈するほどいる。しかしこの二人ぐらい親しいものはなかった。
 高柳君は口数をきかぬ、人交ひとまじわりをせぬ、厭世家えんせいかの皮肉屋と云われた男である。中野君は鷹揚おうような、円満な、趣味に富んだ秀才である。この両人ふたりが卒然とまじわりていしてから、傍目はためにも不審と思われるくらい昵懇じっこん間柄あいだがらとなった。運命は大島おおしまの表と秩父ちちぶの裏とを縫い合せる。
 天下に親しきものがただ一人ひとりあって、ただこの一人よりほかに親しきものを見出し得ぬとき、この一人は親でもある、兄弟でもある。さては愛人である。高柳君は単なる朋友ほうゆうをもって中野君をもくしてはおらぬ。その中野君がわが不平を残りなく聞いてくれぬのは残念である。途中で夕立に逢って思う所へ行かずに引き返したようなものである。残りなく聞いてくれぬ上に、呑気のんき慰藉いしゃをかぶせられるのはなおさら残念だ。うみを出してくれと頼んだ腫物しゅもつを、いい加減の真綿まわたで、で廻わされたってむずがゆいばかりである。
 しかしこう思うのは高柳君の無理である。御雛様おひなさまに芸者のきがないと云って攻撃するのは御雛様の恋をかいせぬものの言草いいぐさである。中野君は富裕ふゆうな名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵こたつへあたって、椽側えんがわ硝子戸越ガラスどごしながめたばかりである。友禅ゆうぜんの模様はわかる、金屏きんびょうえも解せる、銀燭ぎんしょく耀かがやきもまばゆく思う。生きた女の美しさはなおさらに眼に映る。親の恩、兄弟の情、朋友の信、これらを知らぬほどの木強漢ぼっきょうかんでは無論ない。ただ彼の住む半球には今までいつでも日が照っていた。日の照っている半球に住んでいるものが、片足をとんと地に突いて、この足の下に真暗な半球があると気がつくのは地理学を習った時ばかりである。たまには歩いていて、気がつかぬとも限らぬ。しかしさぞ暗い事だろうと身にみてぞっとする事はあるまい。高柳君はこの暗い所に淋しく住んでいる人間である。中野君とはただ大地を踏まえる足の裏が向き合っているというほかに何らの交渉もない。縫い合わされた大島の表と秩父の裏とは覚束おぼつかなき針の目を忍んでつなぐ、細い糸の御蔭おかげである。この細いものを、するすると抜けば鹿児島県と埼玉県の間には依然として何百里の山河さんがよこたわっている。歯をんだ事のないものに、歯の痛みを持って行くよりも、早く歯医者にけつけるのが近道だ。そう痛がらんでもいいさと云われる病人は、けっして慰藉を受けたとは思うまい。
「君などは悲観する必要がないから結構だ」と、ビステキを半分で断念した高柳君は敷島をふかしながら、相手の顔を眺めた。相手は口をもがもがさせながら、右の手を首と共に左右に振ったのは、高柳君に同意を表しないのと見える。
「僕が悲観する必要がない? 悲観する必要がないとすると、つまりおめでたい人間と云う意味になるね」
 高柳君は覚えず、薄いくちびるを動かしかけたが、かすかなさざなみほおまで広がらぬ先に消えた。相手はなお言葉をつづける。
「僕だって三年も大学にいて多少の哲学書や文学書を読んでるじゃないか。こう見えても世の中が、どれほど悲観すべきものであるかぐらいは知ってるつもりだ」
「書物の上でだろう」と高柳君は高い山から谷底を見下ろしたように云う。
「書物の上――書物の上では無論だが、実際だって、これでなかなか苦痛もあり煩悶はんもんもあるんだよ」
「だって、生活には困らないし、時間は充分あるし、勉強はしたいだけ出来るし、述作は思う通りにやれるし。僕にくらべると君は実に幸福だ」と高柳君今度はさもうらやましそうに嘆息する。
「ところが裏面はなかなかそんな気楽なんじゃないさ。これでもいろいろ心配があって、いやになるのだよ」と中野君はいて心配の所有権を主張している。
「そうかなあ」と相手は、なかなか信じない。
「そう君まで茶かしちゃ、いよいよつまらなくなる。実は今日あたり、君の所へでも出掛けて、おおいに同情してもらおうかと思っていたところさ」
わけをきかせなくっちゃ同情も出来ないね」
「訳はだんだん話すよ。あんまり、くさくさするから、こうやって散歩に来たくらいなものさ。ちっとは察しるがいい」
 高柳君は今度は公然とにやにやと笑った。ちっとは察しるつもりでも、察しようがないのである。
「そうして、君はまたなんで今頃公園なんか散歩しているんだね」と中野君は正面から高柳君の顔を見たが、
「や、君の顔は妙だ。日のしている右側の方は大変血色がいいが、影になってる方は非常に色沢いろつやが悪い。奇妙だな。鼻を境に矛盾むじゅんにらめこをしている。悲劇と喜劇の仮面めんを半々につぎ合せたようだ」と息もつがず、述べ立てた。
 この無心の評を聞いた、高柳君は心の秘密を顔の上で読まれたように、はっと思うと、右の手で額の方からあごのあたりまで、ぐるりとで廻わした。こうして顔の上の矛盾をかきぜるつもりなのかも知れない。
「いくら天気がよくっても、散歩なんかするひまはない。今日は新橋の先まで遺失品をがしに行ってその帰りがけにちょっとついでだから、ここで休んで行こうと思って来たのさ」と顔をき廻した手をあごの下へかって依然として浮かぬ様子をする。悲劇のめんと喜劇の面をまぜ返えしたから通例の顔になるはずであるのに、妙に濁ったものが出来上ってしまった。
「遺失品て、何を落したんだい」
昨日きのう電車の中で草稿そうこうを失って――」
「草稿? そりゃ大変だ。僕は書き上げた原稿が雑誌へ出るまでは心配でたまらない。実際草稿なんてものは、吾々われわれに取って、命より大切なものだからね」
「なに、そんな大切な草稿でも書ける暇があるようだといいんだけれども――駄目だ」と自分を軽蔑けいべつしたような口調くちょうで云う。
「じゃ何の草稿だい」
「地理教授法のやくだ。あしたまでに届けるはずにしてあるのだから、今なくなっちゃ原稿料も貰えず、またやり直さなくっちゃならず、実にいやになっちまう」
「それで、がしに行っても出てないのかい」
「来ない」
「どうしたんだろう」
「おおかた車掌が、うちへ持って行って、はたきでもこしらえたんだろう」
「まさか、しかし出なくっちゃ困るね」
「困るなあ自分の不注意と我慢するが、その遺失品係りのいややつだ事って――実に不親切で、形式的で――まるで版行はんこうにおしたような事をぺらぺらと一通り述べたが以上、何を聞いても知りません知りませんで持ち切っている。あいつは廿世紀の日本人を代表している模範的人物だ。あすこの社長もきっとあんな奴にちがいない」
「ひどくしゃくさわったものだね。しかし世の中はその遺失品係りのようなのばかりじゃないからいいじゃないか」
「もう少し人間らしいのがいるかい」
「皮肉な事を云う」
「なに世の中が皮肉なのさ。今の世のなかは冷酷の競進会きょうしんかい見たようなものだ」と云いながら呑みかけの「敷島」を二階の欄干てすりから、下へげる途端とたんに、ありがとうと云う声がして、ぬっと門口かどぐちを出た二人連ふたりづれの中折帽の上へ、うまい具合に燃殻もえがらが乗っかった。男は帽子から煙を吐いて得意になって行く。
「おい、ひどい事をするぜ」と中野君が云う。
「なにあやまちだ。――ありゃ、さっきの実業家だ。構うもんかほうって置け」
「なるほどさっきの男だ。何で今までぐずぐずしていたんだろう。下でたまでも突いていたのか知らん」
「どうせ遺失品係りの同類だから何でもするだろう」
「そら気がついた――帽子を取ってはたいている」
「ハハハハ滑稽こっけいだ」と高柳君は愉快そうに笑った。
「随分人が悪いなあ」と中野君が云う。
「なるほど善くないね。偶然とは申しながら、あんな事でかたきを打つのは下等だ。こんな真似をして嬉しがるようでは文学士の価値ねうちもめちゃめちゃだ」と高柳君は瞬時にしてまたもとの浮かぬ顔にかえる。
「そうさ」と中野君は非難するような賛成するような返事をする。
「しかし文学士は名前だけで、その実は筆耕ひっこうだからな。文学士にもなって、地理教授法の翻訳の下働したばたらきをやってるようじゃ、心細いわけだ。これでも僕が卒業したら、卒業したらって待っててくれた親もあるんだからな。考えると気の毒なものだ。この様子じゃいつまで待っててくれたって仕方がない」
「まだ卒業したばかりだから、そう急に有名にはなれないさ。そのうち立派な作物さくぶつを出して、おおいに本領を発揮する時に天下は我々のものとなるんだよ」
「いつの事やら」
「そういたって、いけない。追々新陳代謝してくるんだから、何でも気を永くして尻をえてかからなくっちゃ、駄目だ。なに、世間じゃ追々我々の真価を認めて来るんだからね。僕なんぞでも、こうやって始終しじゅう書いていると少しは人の口に乗るからね」
「君はいいさ。自分の好きな事を書く余裕があるんだから。僕なんか書きたい事はいくらでもあるんだけれども落ちついて述作なぞをする暇はとてもない。実に残念でたまらない。保護者でもあって、気楽に勉強が出来ると名作も出して見せるがな。せめて、何でもいいから、月々きまって六十円ばかり取れる口があるといいのだけれども、卒業前から自活はしていたのだが、卒業してもやっぱりこんなに困難するだろうとは思わなかった」
「そう困難じゃ仕方がない。僕のうちの財産が僕の自由になると、保護者になってやるんだがな」
「どうか願います。――実にいやになってしまう。君、今考えると田舎の中学の教師の口だって、容易にあるもんじゃないな」
「そうだろうな」
「僕の友人の哲学科を出たものなんか、卒業してから三年になるが、まだあすんでるぜ」
「そうかな」
「それを考えると、子供の時なんか、訳もわからずに悪い事をしたもんだね。もっとも今とその頃とは時勢が違うから、教師の口も今ほど払底ふっていでなかったかも知れないが」
「何をしたんだい」
「僕の国の中学校に白井道也しらいどうやと云う英語の教師がいたんだがね」
「道也た妙な名だね。かまめいにありそうじゃないか」
道也どうやと読むんだか、何だか知らないが、僕らは道也、道也って呼んだものだ。その道也先生がね――やっぱり君、文学士だぜ。その先生をとうとうみんなして追い出してしまった」
「どうして」
「どうしてって、ただいじめて追い出しちまったのさ。なにい先生なんだよ。人物や何かは、子供だからまるでわからなかったが、どうも悪るい人じゃなかったらしい……」
「それで、なぜ追い出したんだい」
「それがさ、中学校の教師なんて、あれでなかなか悪るい奴がいるもんだぜ。僕らあ煽動せんどうされたんだね、つまり。今でも覚えているが、る十五六人で隊を組んで道也先生のうちの前へ行ってワーって吶喊とっかんして二つ三つ石を投げ込んで来るんだ」
「乱暴だね。何だって、そんな馬鹿な真似まねをするんだい」
「なぜだかわからない。ただ面白いからやるのさ。おそらく吾々の仲間でなぜやるんだか知ってたものは誰もあるまい」
「気楽だね」
「実に気楽さ。知ってるのは僕らを煽動せんどうした教師ばかりだろう。何でも生意気なまいきだからやれって云うのさ」
「ひどい奴だな。そんな奴が教師にいるかい」
「いるとも。相手が子供だから、どうでも云う事を聞くからかも知れないが、いるよ」
「それで道也先生どうしたい」
「辞職しちまった」
可哀想かわいそうに」
「実に気の毒な事をしたもんだ。定めし転任先をさがす間活計かっけいに困ったろうと思ってね。今度逢ったらおおいに謝罪の意を表するつもりだ」
「今どこにいるんだい」
「どこにいるか知らない」
「じゃいつ逢うか知れないじゃないか」
「しかしいつ逢うかわからない。ことによると教師の口がなくって死んでしまったかも知れないね。――何でも先生辞職する前に教場へ出て来て云った事がある」
「何て」
「諸君、吾々は教師のために生きべきものではない。道のために生きべきものである。道はたっといものである。この理窟りくつがわからないうちは、まだ一人前になったのではない。諸君も精出してわかるようにおなり」
「へえ」
「僕らは不相変あいかわらず教場内でワーっと笑ったあね。生意気だ、生意気だって笑ったあね。――どっちが生意気か分りゃしない」
「随分田舎の学校などにゃ妙な事があるものだね」
「なに東京だって、あるんだよ。学校ばかりじゃない。世の中はみんなこれなんだ。つまらない」
「時にだいぶ長話しをした。どうだ君。これから品川の妙花園みょうかえんまで行かないか」
「何しに」
「花を見にさ」
「これから帰って地理教授法を訳さなくっちゃならない」
一日いちんちぐらい遊んだってよかろう。ああ云う美くしい所へ行くと、好い心持ちになって、翻訳もはかが行くぜ」
「そうかな。君は遊びに行くのかい」
あそびかたがたさ。あすこへ行って、ちょっと写生して来て、材料にしようと思ってるんだがね」
「何の材料に」
「出来たら見せるよ。小説をかいているんだ。そのうちの一章に女が花園はなぞののなかに立って、小さな赤い花を余念よねんなく見詰みつめていると、その赤い花がだんだん薄くなってしまいに真白になってしまうと云うところを書いて見たいと思うんだがね」
「空想小説かい」
「空想的で神秘的で、それで遠い昔しが何だかなつかしいような気持のするものが書きたい。うまく感じが出ればいいが。まあ出来たら読んでくれたまえ」
「妙花園なんざ、そんな参考にゃならないよ。それよりかうちへ帰ってホルマン・ハントのでも見る方がいい。ああ、僕も書きたい事があるんだがな。どうしても時がない」
「君は全体自然がきらいだから、いけない」
「自然なんて、どうでもいいじゃないか。この痛切な二十世紀にそんな気楽な事が云っていられるものか。僕のは書けば、そんな夢見たようなものじゃないんだからな。奇麗きれいでなくっても、痛くっても、苦しくっても、僕の内面の消息にどこか、触れていればそれで満足するんだ。詩的でも詩的でなくっても、そんな事は構わない。たとい飛び立つほど痛くっても、自分で自分の身体からだを切って見て、なるほど痛いなと云うところを充分書いて、人に知らせてやりたい。呑気のんきなものや気楽なものはとうてい夢にも想像し得られぬ奥の方にこんな事実がある、人間の本体はここにあるのを知らないかと、世の道楽ものに教えて、おやそうか、おれは、まさか、こんなものとは思っていなかったが、云われて見るとなるほど一言いちごんもない、恐れ入ったと頭を下げさせるのが僕の願なんだ。君とはだいぶ方角が違う」
「しかしそんな文学は何だか心持ちがわるい。――そりゃ御随意だが、どうだい妙花園みょうかえんに行く気はないかい」
「妙花園へ行くひまがあれば一ページでも僕の主張をかくがなあ。何だか考えると身体がむずむずするようだ。実際こんなに呑気のんきにして、生焼なまやきのビステッキなどを食っちゃいられないんだ」
「ハハハハまたあせる。いいじゃないか、さっきの商人見たような連中れんじゅうもいるんだから」
「あんなのがいるから、こっちはなお仕事がしたくなる。せめて、あの連中の十一の金と時があれば、書いて見せるがな」
「じゃ、どうしても妙花園は不賛成かね」
「遅くなるもの。君は冬服を着ているが、僕はいまだに夏服だから帰りに寒くなって風でも引くといけない」
「ハハハハ妙な逃げ路を発見したね。もう冬服の時節だあね。着換えればいい事を。君は万事無精ぶしょうだよ」
「無精で着換えないんじゃない。ないから着換えないんだ。この夏服だって、まだ一文も払っていやしない」
「そうなのか」と中野君は気の毒な顔をした。
 午飯ひるめしの客は皆去り尽して、二人が椅子いすを離れた頃はところどころの卓布たくふの上に麺麭屑パンくずが淋しく散らばっていた。公園の中は最前よりも一層にぎやかである。ロハ台は依然として、どこの何某なにがしか知らぬ男と知らぬ女で占領されている。秋の日はかっとして夏服の背中を通す。

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