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坊っちゃん(ぼっちゃん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:20:56  点击:  切换到繁體中文


 それからうちへ帰ってくると、宿の亭主ていしゅがお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入れると云うからご馳走ちそうをするのかと思うと、おれの茶を遠慮えんりょなく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中るすちゅうも勝手にお茶を入れましょうを一人ひとり履行りこうしているかも知れない。亭主が云うには手前は書画骨董しょがこっとうがすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧誘かんゆうをやる。二年前ある人の使つかい帝国ていこくホテルへ行った時は錠前じょうまえ直しと間違まちがえられた事がある。ケットをかぶって、鎌倉かまくらの大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外今日こんにちまで見損みそくなわれた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大抵たいていはなりや様子でも分る。風流人なんていうものは、を見ても、頭巾ずきんかぶるか短冊たんざくを持ってるものだ。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者くせものじゃない。おれはそんな呑気のんき隠居いんきょのやるような事はきらいだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手付てつきをして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれとたのんでおいたのだが、こんな苦いい茶はいやだ。一ぱい飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗むやみに飲むやつだ。主人が引き下がってから、明日の下読したよみをしてすぐてしまった。
 それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概たいがいは分った。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、るいだろうか非常に気にかるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった。教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗きれいに消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響えいきょうあたえて、その影響が校長や教頭にどんな反応をていするかまるで無頓着むとんじゃくであった。おれは前に云う通りあまり度胸のすわった男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ覚悟かくごでいたから、たぬきも赤シャツも、ちっともおそろしくはなかった。まして教場の小僧こぞう共なんかには愛嬌あいきょうもお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、とおばかりならべておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。田舎巡いなかまわりのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、今度は華山かざんとか何とか云う男の花鳥の掛物かけものをもって来た。自分でとこへかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、そうかなと好加減いいかげん挨拶あいさつをすると、華山には二人ふたりある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、このふくはその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催促さいそくをする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか頑固がんこだ。金があつても買わないんだと、その時は追っぱらっちまった。その次には鬼瓦おにがわらぐらいな大硯おおすずりを担ぎ込んだ。これは端渓たんけいです、端渓ですと二へんも三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、このがんをご覧なさい。眼が三つあるのはめずらしい。溌墨はつぼくの具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯をきつける。いくらだと聞くと、持主が支那しなから持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安くして三十円にしておきましょうと云う。この男は馬鹿ばか相違そういない。学校の方はどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう骨董責こっとうぜめってはとても長く続きそうにない。
 そのうち学校もいやになった。  ある日の晩大町おおまちと云う所を散歩していたら郵便局のとなりに蕎麦そばとかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京にった時でも蕎麦屋の前を通って薬味のにおいをかぐと、どうしても暖簾のれんがくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京とことわる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法めっぽうきたない。たたみは色が変ってお負けに砂でざらざらしている。かべすす真黒まっくろだ。天井てんじょうはランプの油烟ゆえんくすぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日にさんち前から開業したにちがいなかろう。ねだん付の第一号に天麩羅てんぷらとある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まですみの方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中れんじゅうが、ひとしくおれの方を見た。部屋へやが暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶あいさつをしたから、おれも挨拶をした。その晩はひさぶりに蕎麦を食ったので、うまかったから天麩羅を四杯たいらげた。
 翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑おかしいかと聞いた。すると生徒の一人ひとりが、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。ただし笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度はしゃくさわった。冗談じょうだんも度を過ごせばいたずらだ。焼餅やきもち黒焦くろこげのようなものでだれめ手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまでして行っても構わないと云う了見りょうけんだろう。一時間あるくと見物する町もないようなせまい都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露にちろ戦争のようにれちらかすんだろう。あわれな奴等やつらだ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢うえきばちかえでみたような小人しょうじんが出来るんだ。無邪気むじゃきならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供のくせおつに毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、卑怯ひきょうな冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われておこるのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。こうなると学校より骨董の方がまだましだ。
 天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝癪かんしゃくに障らなくなった。学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳が分らない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住田すみたと云う所へ行って団子だんごを食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓ゆうかくがある。おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、だれも知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二さら七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭はらった。どうも厄介やっかいな奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭あかてぬぐいと云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事にめている。ほかの所は何を見ても東京の足元にもおよばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛でかける。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯にそまった上へ、赤いしまが流れ出したのでちょっと見ると紅色べにいろに見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴衣ゆかたをかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目てんもくへ茶をせて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢ぜいたくだと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壺ゆつぼ花崗石みかげいしたたみ上げて、十五畳敷じょうじきぐらいの広さに仕切ってある。大抵たいていは十三四人つかってるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快ゆかいだ。おれは人の居ないのを見済みすましては十五畳の湯壺を泳ぎまわって喜んでいた。ところがある日三階から威勢いせいよく下りて今日も泳げるかなとざくろ口をのぞいてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいてりつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼札はりふだはおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるにはおどろいた。何だか生徒全体がおれ一人を探偵たんていしているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。

     四

 学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。ただたぬきと赤シャツは例外である。何でこの両人が当然の義務をまぬかれるのかと聞いてみたら、奏任待遇そうにんたいぐうだからと云う。面白くもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直をがれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらえて、それがあたまえだというような顔をしている。よくまああんなにずうずうしく出来るものだ。これについては大分不平であるが、山嵐やまあらしの説によると、いくら一人ひとりで不平をならべたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人ふたりだって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐は might is right という英語を引いて説諭せつゆを加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利と云う意味だそうだ。強者の権利ぐらいならむかしから知っている。今さら山嵐から講釈をきかなくってもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、だれが承知するものか。議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番にまわって来た。一体疳性かんしょうだから夜具蒲団やぐふとんなどは自分のものへ楽に寝ないと寝たような心持ちがしない。小供の時から、友達のうちへとまった事はほとんどないくらいだ。友達のうちでさえいやなら学校の宿直はなおさら厭だ。厭だけれども、これが四十円のうちへこもっているなら仕方がない。我慢がまんして勤めてやろう。
 教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのは随分ずいぶん間がけたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。ちょっとはいってみたが、西日をまともに受けて、苦しくって居たたまれない。田舎いなかだけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。生徒のまかないを取りよせて晩飯を済ましたが、まずいにはおそった。よくあんなものを食って、あれだけに暴れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半に片付けてしまうんだから豪傑ごうけつちがいない。飯は食ったが、まだ日がれないからる訳に行かない。ちょっと温泉に行きたくなった。宿直をして、外へ出るのはいい事だか、るい事だかしらないが、こうつくねんとして重禁錮じゅうきんこ同様な憂目うきめうのは我慢の出来るもんじゃない。始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと用達ようたしに出たと小使こづかいが答えたのをみょうだと思ったが、自分に番がまわってみると思い当る。出る方が正しいのだ。おれは小使にちょっと出てくると云ったら、何かご用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと出掛でかけた。赤手拭あかてぬぐいは宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。
 それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方ひぐれがたになったから、汽車へ乗って古町こまち停車場ていしゃばまで来て下りた。学校まではこれから四丁だ。訳はないとあるき出すと、向うから狸が来た。狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。すたすた急ぎ足にやってきたが、ちがった時おれの顔を見たから、ちょっと挨拶あいさつをした。すると狸はあなたは今日は宿直ではなかったですかねえ真面目まじめくさって聞いた。なかったですかねえもないもんだ。二時間前おれに向って今夜は始めての宿直ですね。ご苦労さま。と礼を云ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだ。おれは腹が立ったから、ええ宿直です。宿直ですから、これから帰って泊る事はたしかに泊りますと云い捨てて済ましてあるき出した。竪町たてまちの四つ角までくると今度は山嵐やまあらしに出っわした。どうもせまい所だ。出てあるきさえすれば必ず誰かに逢う。「おい君は宿直じゃないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答えたら、「宿直が無暗むやみに出てあるくなんて、不都合ふつごうじゃないか」と云った。「ちっとも不都合なもんか、出てあるかない方が不都合だ」と威張いばってみせた。「君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出逢うと面倒めんどうだぜ」と山嵐に似合わない事を云うから「校長にはたった今逢った。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でしょうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と云って、面倒くさいから、さっさと学校へ帰って来た。
 それから日はすぐくれる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それもきたから、寝られないまでもとこへはいろうと思って、寝巻に着換きがえて、蚊帳かやくって、赤い毛布けっとねのけて、とんと尻持しりもちいて、仰向あおむけになった。おれが寝るときにとんと尻持をつくのは小供の時からのくせだ。わるい癖だと云って小川町おがわまちの下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の書生が苦情を持ちんだ事がある。法律の書生なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、な事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない。下宿の建築が粗末そまつなんだ。ケ合うなら下宿へ掛ケ合えとへこましてやった。この宿直部屋は二階じゃないから、いくら、どしんとたおれても構わない。なるべくいきおいよく倒れないと寝たような心持ちがしない。ああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらしてのみのようでもないからこいつあとおどろいて、足を二三度毛布けっとの中でってみた。するとざらざらと当ったものが、急にえ出してすねが五六カ所、ももが二三カ所、尻の下でぐちゃりとつぶしたのが一つ、へその所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚ろいた。早速さっそく起きあがって、毛布けっとをぱっと後ろへほうると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味がるかったが、バッタと相場がまってみたら急に腹が立った。バッタの癖に人を驚ろかしやがって、どうするか見ろと、いきなりくくまくらを取って、二三度たたきつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よくげつける割に利目ききめがない。仕方がないから、また布団の上へすわって、煤掃すすはきの時にござを丸めてたたみたたくように、そこら近辺を無暗にたたいた。バッタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれのかただの、頭だの鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。顔へ付いたやつは枕で叩く訳に行かないから、手でつかんで、一生懸命に擲きつける。忌々いまいましい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答がない。バッタは擲きつけられたまま蚊帳へつらまっている。死にもどうもしない。ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治たいじた。ほうきを持って来てバッタの死骸しがいを掃き出した。小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中にっとく奴がどこの国にある。間抜まぬけめ。としかったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を椽側えんがわほうり出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。
 おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のままうでまくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先まっさきの一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎あいにく掃き出してしまって一ぴきも居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜はきだめててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いでけ出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかりせて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿ばかだ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれをめた。「篦棒べらぼうめ、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生をつらまえてなもした何だ。菜飯なめし田楽でんがくの時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。
「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれとたのんだ」
「誰も入れやせんがな」
「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」
「イナゴはぬくい所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」
「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」
「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」
 けちな奴等やつらだ。自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないがいい。証拠しょうこさえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがる。おれだって中学に居た時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような卑怯ひきょうな事はただの一度もなかった。したものはしたので、しないものはしないにきまってる。おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘をいてばつげるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご免蒙めんこうむるなんて下劣げれつな根性がどこの国に流行はやると思ってるんだ。金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違そういない。全体中学校へ何しにはいってるんだ。学校へはいって、嘘を吐いて、胡魔化ごまかして、かげでこせこせ生意気な悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇違かんちがいをしていやがる。話せない雑兵ぞうひょうだ。
 おれはこんなくさった了見りょうけんの奴等と談判するのは胸糞むなくそるいから、「そんなに云われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだ」と云って六人をぱなしてやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりもはるかに上品なつもりだ。六人は悠々ゆうゆうと引きげた。上部うわべだけは教師のおれよりよっぽどえらく見える。実は落ち付いているだけなお悪るい。おれには到底とうていこれほどの度胸はない。
 それからまた床へはいって横になったら、さっきの騒動そうどうで蚊帳の中はぶんぶんうなっている。手燭てしょくをつけて一匹ずつ焼くなんて面倒な事は出来ないから、釣手つりてをはずして、長くたたんでおいて部屋の中で横竪よこたて十文字にふるったら、かんが飛んで手のこうをいやというほどった。三度目に床へはいった時は少々落ち付いたがなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ。考えてみると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛防しんぼう強い朴念仁ぼくねんじんがなるんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うときよなんてのは見上げたものだ。教育もない身分もないばあさんだが、人間としてはすこぶるたっとい。今まではあんなに世話になって別段難有ありがたいとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越後えちご笹飴ささあめが食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は充分じゅうぶんある。清はおれの事を欲がなくって、真直まっすぐな気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。
 清の事を考えながら、のつそつしていると、突然とつぜんおれの頭の上で、数で云ったら三四十人もあろうか、二階が落っこちるほどどん、どん、どんと拍子ひょうしを取って床板を踏みならす音がした。すると足音に比例した大きなときの声がおこった。おれは何事が持ち上がったのかと驚ろいて飛び起きた。飛び起きる途端とたんに、ははあさっきの意趣返いしゅがえしに生徒があばれるのだなと気がついた。手前のわるい事は悪るかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだ。わるい事は、手前達におぼえがあるだろう。本来なら寝てから後悔こうかいしてあしたの朝でもあやまりに来るのが本筋だ。たとい、あやまらないまでも恐れ入って、静粛せいしゅくに寝ているべきだ。それを何だこのさわぎは。寄宿舎を建ててぶたでも飼っておきあしまいし。気狂きちがいじみた真似まね大抵たいていにするがいい。どうするか見ろと、寝巻のまま宿直部屋を飛び出して、楷子段はしごだん三股半みまたはんに二階までおどり上がった。すると不思議な事に、今まで頭の上で、たしかにどたばた暴れていたのが、急に静まり返って、人声どころか足音もしなくなった。これは妙だ。ランプはすでに消してあるから、暗くてどこに何が居るか判然とわからないが、人気ひとけのあるとないとは様子でも知れる。長く東から西へつらぬいた廊下ろうかにはねずみぴきかくれていない。廊下のはずれから月がさして、遥か向うが際どく明るい。どうも変だ、おれは小供の時から、よくゆめを見る癖があって、夢中むちゅうに跳ね起きて、わからぬ寝言を云って、人に笑われた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾った夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がって、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常ないきおいたずねたくらいだ。その時は三日ばかりうちじゅうの笑い草になって大いに弱った。ことによると今のも夢かも知れない。しかしたしかにあばれたに違いないがと、廊下の真中まんなかで考え込んでいると、月のさしている向うのはずれで、一二三わあと、三四十人の声がかたまってひびいたかと思う間もなく、前のように拍子を取って、一同が床板ゆかいたを踏み鳴らした。それ見ろ夢じゃないやっぱり事実だ。静かにしろ、夜なかだぞ、とこっちも負けんくらいな声を出して、廊下を向うへけだした。おれの通るみちは暗い、ただはずれに見える月あかりが目標めじるしだ。おれが馳け出して二間も来たかと思うと、廊下の真中で、かたい大きなものに向脛むこうずねをぶつけて、あ痛いが頭へひびく間に、身体はすとんと前へほうり出された。こん畜生ちきしょうと起き上がってみたが、馳けられない。気はせくが、足だけは云う事を利かない。じれったいから、一本足で飛んで来たら、もう足音も人声も静まり返って、しんとしている。いくら人間が卑怯だって、こんなに卑怯に出来るものじゃない。まるで豚だ。こうなれば隠れている奴を引きずり出して、あやまらせてやるまではひかないぞと、心をめて寝室しんしつの一つを開けて中を検査しようと思ったが開かない。じょうをかけてあるのか、机か何か積んで立てけてあるのか、しても、押しても決して開かない。今度は向う合せの北側のへやを試みた。開かない事はやっぱり同然である。おれが戸を開けて中に居る奴を引っらまえてやろうと、焦慮いらってると、また東のはずれで鬨の声と足拍子が始まった。この野郎やろう申し合せて、東西相応じておれを馬鹿にする気だな、とは思ったがさてどうしていいか分らない。正直に白状してしまうが、おれは勇気のある割合に智慧ちえが足りない。こんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからないけれども、決して負けるつもりはない。このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸えどっ子は意気地いくじがないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻垂はなった小僧こぞうにからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本はたもとだ。旗本の元は清和源氏せいわげんじで、多田ただ満仲まんじゅう後裔こうえいだ。こんな土百姓どびゃくしょうとは生まれからして違うんだ。ただ智慧のないところが惜しいだけだ。どうしていいか分らないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここに居る。おれはこう決心をしたから、廊下の真中へあぐらをかいて夜のあけるのを待っていた。蚊がぶんぶん来たけれども何ともなかった。さっき、ぶつけた向脛をでてみると、何だかぬらぬらする。血が出るんだろう。血なんか出たければ勝手に出るがいい。そのうち最前からのつかれが出て、ついうとうと寝てしまった。何だか騒がしいので、が覚めた時はえっくそしまったと飛び上がった。おれのすわってた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立っている。おれは正気に返って、はっと思う途端に、おれの鼻の先にある生徒の足をつかんで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたりと仰向あおむけに倒れた。ざまを見ろ。残る一人がちょっと狼狽ろうばいしたところを、飛びかかって、肩をおさえて二三度こづき廻したら、あっけに取られて、眼をぱちぱちさせた。さあおれの部屋まで来いと引っ立てると、弱虫だと見えて、一も二もなくいて来た。はとうにあけている。
 おれが宿直部屋へ連れてきた奴を詰問きつもんし始めると、豚は、っても擲いても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す了見と見えて、けっして白状しない。そのうち一人来る、二人来る、だんだん二階から宿直部屋へ集まってくる。見るとみんなねむそうにまぶたをはらしている。けちな奴等だ。一晩ぐらい寝ないで、そんな面をして男と云われるか。面でも洗って議論に来いと云ってやったが、誰も面を洗いに行かない。
 おれは五十人あまりを相手に約一時間ばかり押問答おしもんどうをしていると、ひょっくり狸がやって来た。あとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますって、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。これしきの事に、校長を呼ぶなんて意気地がなさ過ぎる。それだから中学校の小使なんぞをしてるんだ。
 校長はひと通りおれの説明を聞いた。生徒の言草いいぐさもちょっと聞いた。追って処分するまでは、今まで通り学校へ出ろ。早く顔を洗って、朝飯を食わないと時間に間に合わないから、早くしろと云って寄宿生をみんな放免ほうめんした。手温てぬるい事だ。おれなら即席そくせきに寄宿生をことごとく退校してしまう。こんな悠長ゆうちょうな事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。その上おれに向って、あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日はご授業におよばんと云うから、おれはこう答えた。「いえ、ちっとも心配じゃありません。こんな事が毎晩あっても、命のある間は心配にゃなりません。授業はやります、一晩ぐらい寝なくって、授業が出来ないくらいなら、頂戴ちょうだいした月給を学校の方へ割戻わりもどします」校長は何と思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔が大分はれていますよと注意した。なるほど何だか少々重たい気がする。その上べた一面かゆい。蚊がよっぽとしたに相違ない。おれは顔中ぼりぼりきながら、顔はいくられたって、口はたしかにきけますから、授業には差しつかえませんと答えた。校長は笑いながら、大分元気ですねとめた。実を云うと賞めたんじゃあるまい、ひやかしたんだろう。

     五

 君りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味のるいように優しい声を出す男である。まるで男だか女だかわかりゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校でさえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。
 おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、子供の時、小梅こうめ釣堀つりぼりふなを三びき釣った事がある。それから神楽坂かぐらざか毘沙門びしゃもん縁日えんにちで八寸ばかりのこいを針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えてもしいとったら、赤シャツはあごを前の方へき出してホホホホと笑った。何もそう気取って笑わなくっても、よさそうな者だ。「それじゃ、まだ釣りの味は分らんですな。お望みならちと伝授しましょう」とすこぶる得意である。だれがご伝授をうけるものか。一体釣やりょうをする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、殺生せっしょうをして喜ぶ訳がない。魚だって、鳥だって殺されるより生きてる方が楽にまってる。釣や猟をしなくっちゃ活計かっけいがたたないなら格別だが、何不足なくくらしている上に、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて贅沢ぜいたくな話だ。こう思ったがむこうは文学士だけに口が達者だから、議論じゃかなわないと思って、だまってた。すると先生このおれを降参させたと疳違かんちがいして、早速伝授しましょう。おひまなら、今日どうです、いっしょに行っちゃ。吉川よしかわ君と二人ふたりぎりじゃ、さむしいから、来たまえとしきりに勧める。吉川君というのは画学の教師で例の野だいこの事だ。この野だは、どういう了見りょうけんだか、赤シャツのうちへ朝夕出入でいりして、どこへでも随行ずいこうしてく。まるで同輩どうはいじゃない。主従しゅうじゅうみたようだ。赤シャツの行く所なら、野だは必ず行くにきまっているんだから、今さらおどろきもしないが、二人で行けば済むところを、なんで無愛想ぶあいそのおれへ口をけたんだろう。大方高慢こうまんちきな釣道楽で、自分の釣るところをおれに見せびらかすつもりかなんかでさそったに違いない。そんな事で見せびらかされるおれじゃない。まぐろの二匹や三匹釣ったって、びくともするもんか。おれだって人間だ、いくら下手へただって糸さえおろしゃ、何かかかるだろう、ここでおれが行かないと、赤シャツの事だから、下手だから行かないんだ、きらいだから行かないんじゃないと邪推じゃすいするに相違そういない。おれはこう考えたから、行きましょうと答えた。それから、学校をしまって、一応うちへ帰って、支度したくを整えて、停車場で赤シャツと野だを待ち合せてはまへ行った。船頭は一人ひとりで、ふねは細長い東京辺では見た事もない恰好かっこうである。さっきから船中見渡みわたすが釣竿つりざおが一本も見えない。釣竿なしで釣が出来るものか、どうする了見だろうと、野だに聞くと、沖釣おきづりには竿は用いません、糸だけでげすと顋をでて黒人くろうとじみた事を云った。こうめられるくらいならだまっていればよかった。
 船頭はゆっくりゆっくりいでいるが熟練はおそろしいもので、見返みかえると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺こうはくじの五重のとうが森の上へけ出して針のようにとんがってる。向側むこうがわを見ると青嶋あおしまが浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石とまつばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望ちょうぼうしていい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風にかれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見たまえ、幹が真直まっすぐで、上がかさのように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だからだまっていた。舟は島を右に見てぐるりとまわった。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほどたいらだ。赤シャツのおかげではなはだ愉快ゆかいだ。出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議ほつぎをした。赤シャツはそいつは面白い、吾々われわれはこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑めいわくだ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大丈夫だいじょうぶですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだろうが、小旦那こだんなだろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人はわたし江戸えどっ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染なじみの芸者の渾名あだなか何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たしてながめていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。
 ここいらがいいだろうと船頭は船をとめて、いかりを卸した。幾尋いくひろあるかねと赤シャツが聞くと、六尋むひろぐらいだと云う。六尋ぐらいじゃたいはむずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込んだ。大将鯛を釣る気と見える、豪胆ごうたんなものだ。野だは、なに教頭のお手際じゃかかりますよ。それになぎですからとお世辞を云いながら、これも糸をり出して投げ入れる。何だか先におもりのようななまりがぶら下がってるだけだ。うきがない。浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかるようなものだ。おれには到底とうてい出来ないと見ていると、さあ君もやりたまえ糸はありますかと聞く。糸はあまるほどあるが、浮がありませんと云ったら、浮がなくっちゃ釣が出来ないのは素人しろうとですよ。こうしてね、糸が水底みずそこへついた時分に、船縁ふなべりの所で人指しゆびで呼吸をはかるんです、食うとすぐ手に答える。――そらきた、と先生急に糸をたぐり始めるから、何かかかったと思ったら何にもかからない、がなくなってたばかりだ。いい気味きびだ。教頭、残念な事をしましたね、今のはたしかに大ものに違いなかったんですが、どうも教頭のお手際でさえげられちゃ、今日は油断ができませんよ。しかし逃げられても何ですね。浮とにらめくらをしている連中よりはましですね。ちょうど歯どめがなくっちゃ自転車へ乗れないのと同程度ですからねと野だはみような事ばかり喋舌しゃべる。よっぽどなぐりつけてやろうかと思った。おれだって人間だ、教頭ひとりで借り切った海じゃあるまいし。広い所だ。かつおの一匹ぐらい義理にだって、かかってくれるだろうと、どぼんと錘と糸をほうり込んでいい加減に指の先であやつっていた。

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