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満韓ところどころ(まんかんところどころ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:26:15  点击:  切换到繁體中文


        三十九

 狭い小路(こうじ)の左右は煉瓦(れんが)の塀(へい)で、ちょっと見ると屋敷町のように人通りが少い。それを二十間ほど来て左手の門を這入(はい)った。ただ偶然に這入ったのだから、家の名も主人(あるじ)の名も知るはずがない。今から考えると、小路のうちには同じような家が何軒となく並んでいて、同じような門がまたいくつでも開(あ)いているのだから、とくにここだけを覗(のぞ)くべき誘致(インデュースメント)は少しもなかったのである。余はただ案内者の後(あと)に跟(つ)いて何の気なしに這入った。その案内者もまた好い加減に這入った。案内者は青林館(せいりんかん)と云う宿の主人である。かつて二葉亭(ふたばてい)といっしょに北の方を旅行して、露西亜人(ロシアじん)に苛(ひど)い目に逢(あ)ったと話した。
 門を這入ると、右も室(へや)、突き当りも室である。左りも隣の壁に隔てられなければ室であるべきはずなのだから、中の一筋だけが頭の上に空を仰ぐ訳になる。そこに立って右手の部屋を覗くと、狭い路次(ろじ)から浅草の仲店(なかみせ)を看(み)るような趣(おもむき)がある。実際仲店よりも低く小さい部屋であった。その一番目には幕が垂れていて、中は判然(はっきり)と分らなかったが、次を覗いて見る段になって驚いた。二畳敷ぐらいの土間の後(うしろ)の方を、上(あが)り框(がまち)のように、腰をかけるだけの高さに仕切って、そこに若い女が三人いた。三人共腰をかけるでもなく、寝転ぶでもなく、互に靠(もた)れ合って身体(からだ)を支えるごとくに、後の壁をいっぱいにした。三人の着物が隙間(すきま)なく重なって、柔かい絹をしなやかに圧(お)しつけるので、少し誇張して形容すると、三人が一枚の上衣を引き廻しているように見える。その間から小さな繻子(しゅす)の靴が出ていた。
 三人の身体が並んでいる通り、三人の顔も並んでいた。その左右が比較的尋常なのに引きかえて、真中のは不思議に美しかった。色が白いので、眉(まゆ)がいかにも判然していた。眼も朗(ほがら)かであった。頬から顎(あご)を包む弧線(こせん)は春のように軟(やわらか)かった。余が驚きながら、見惚(みと)れているので、女は眼を反(そ)らして、空(くう)を見た。余が立っている間、三人は少しも口を利(き)かなかった。
 青林館の主人は自分ほどこの女に興味がなかったと見えて、好加減(いいかげん)に歩を移して、突き当りの部屋に這入った。そこも狭い土間で、中央には普通の卓上(テーブル)が据(す)えてあった。それを囲んで三人の男が食事をしている。皿小鉢(さらこばち)から箸(はし)茶碗(ちゃわん)に至るまで汚(きた)ない事はなはだしい。卓に着いている男に至ってはなおさら汚なかった。まるで大連の埠頭(ふとう)で見る苦力(クーリー)と同様である。余はこの体裁(ていさい)を一見するや否や、台所で下男が飯(めし)を掻(か)き込んでるんじゃなかろうかと考えた。ところがつい隣の室でしきりに音楽をやっている。今見た美人のいる所とはつい三間とは離れていない。実に矛盾な感じである。
 余は二歩ばかり洋卓(テーブル)を遠退(とおの)いて、次の室の入口を覗いて見た。そうしてまた驚いた。向(むこう)の壁に倚添(よりそ)えて一脚の机を置いて、その右に一人の男が腰をかけている。その左に女が三人立っている。その前には十二三の少女が男の方を向いて立(たっ)ている。少し離れて室(へや)の入口には盲目(めくら)が床几(しょうぎ)に腰をかけている。調子の高い胡弓(こきゅう)と歌の声はこの一団から出るのである。歌の意味も節も分らない余の耳にはこの音楽が一種異様に凄(すさま)じい響を伝えた。机の右にいる男が、右の手に筮竹(ぜいちく)のような物を持って、時々机の上を敲(たた)くと同時に左の掌(てのひら)に八橋(やつはし)と云う菓子に似た竹の片(きれ)を二つ入れて、それをかちかちと打合せながら、歌の調子を取る。趣向はスペインの女の用いるカスタネットに似ているが、その男の顔を見ると、アルハンブラの昔を思い出すどころではない。蒼黒(あおぐろ)く土気(つちけ)づいた色を、一心不乱に少女の頭の上に乗(の)しかけるように翳(かざ)して、腸(はらわた)を絞(しぼ)るほど恐ろしい声を出す。少女はまた瞬(またた)きもせず、この男の方を見つめて、細い咽喉(のど)を合している。それが怖(こわ)い魔物に魅入(みい)られて身動きのできない様子としか受取れない。盲目は彼の眼の暗いごとく、暗い顔をして、悲しい陰気な、しかも高い調子の胡弓を擦(す)り続(つづ)けに擦っている。左の方に立っている女の一人が余を見た。それが忌(い)むべき藪睨(やぶにらみ)であった。日の目の乏しくって暮やすい室のうちで、この怪しい団体はこの怪しい音楽を奏して夢中である。余は案内の袖(そで)を引いてすぐ外へ出た。

        四十

 橋本は遠い所へ豚を見に行った。何でも市街(まち)から一里余もあるとか云う話である。こんな痛い腹を抱(かか)えて今更豚でもあるまいと思って止(や)めた。その代りにそこいらをぶらつくべく主人(あるじ)といっしょに馬車で出た。主人がまあ遼河(りょうが)を御覧なさいと云う。馬車を乗り棄(す)てて河岸(かし)へ出ると眼いっぱいに見えた。色は出水(でみず)の後(あと)の大川に似ている。灰のように動くものが、空を呑(の)む勢(いきおい)で遠くから流れて来る。哈爾賓(ハルピン)に行く途中で、木戸さんに聞いた話だが、満洲の黄土はその昔中央亜細亜(アジア)の方から風の力で吹き寄せたもので、それを年々河の流れが御叮嚀(ごていねい)に海へ押出しているのだそうである。地質学者の計算によると、五万年の後(のち)には今の渤海湾(ぼっかいわん)が全く埋(うま)ってしまう都合になっていますと木戸君が語られた。河辺(かわべ)に立って岸と岸との間を眺めていると、水の量が泥の量より少いくらい濁ったものが際限なく押し寄せて来る。五万年は愚(おろ)か、一二カ月で河口はすっかり塞(ふさ)がってしまいそうである。それでも三千噸(トン)ぐらいな汽船は苦(く)もなくのそのそ上(のぼ)って来ると云うんだから支那の河は無神経である。人間に至っては固(もと)より無神経で、古来からこの泥水を飲んで、悠然(ゆうぜん)と子を生んで今日(こんにち)まで栄えている。
 サンパンと云う船がここかしこに浮かんで形(なり)に合しては大き過ぎるぐらいな帆(ほ)を上げている。帆の裏には細い竹を何本となく横に渡してあるから、帆に角(かど)が立つのみか、捲(ま)き上(あ)げる時にはがらがら鳴る。日本では見られない絵である。その間を横切って向岸(むこうぎし)へ着いた。向岸には何にもない。ただ停車場(ステーション)が一つある。北京(ペキン)への急行が出るとか云うので、客がたくさん列車に乗り込んでいる。下等室を覗(のぞ)いたら、腰かけも何もない平土間(ひらどま)に、みんなごろごろ寝ころんでいた。帰りにはサンパンに乗って、泥の流(ながれ)を押し渡った。風が出ると難儀だそうである。春の初めには山のような氷が流れてくる。先が見えないので、氷と氷の間に挟(はさ)まれると命を取られる。ある時氷に路を塞(ふさ)がれて仕方がないから、船を棄(す)てて氷の上へ上(あが)って、乗り捨てた船を引(ひ)き摺(ず)って向う側へ出て、ようやくまた船に乗ったと云う話がある。これは主人(あるじ)の実歴談(じつれきだん)である。
 サンパンは妙なところへ着いた。岸は芦(あし)を畳んでできている。石垣ではなくて芦垣(あしがき)である。こうしなければ水の力で浚(さら)われる恐れがあると云う。芦はいくらでも水を吸い込んで平気でいるから無難だと見える。細い小路(こうじ)を突き抜けると、支那町の真中へ出た。妙な臭(におい)がする。先刻(さっき)から胸が痛むのでポッケットから、粉薬(こぐすり)を出して飲もうとするがあいにく水がない。一滴の飲料も用いずに散薬を呑(の)み下(くだ)す方法は、その後(ご)苦(くる)し紛(まぎ)れに発見した分別(ふんべつ)だが、この時はまだそれほど老練な患者でないので、拝むように主人を煩(わずら)わした。主人はええ訳はありませんと云いつつも、ずいぶん烈(はげ)しく引張り廻した上、ほとんど苦しくって道傍(みちばた)に竦(すく)みそうになった頃、ようやく一軒の店へ這入(はい)った。盆栽(ぼんさい)などの据(す)えてある中庭を通り抜けて角(かど)の一部屋へ案内されたが、水はなかなか出る様子がない。そのうち、こちらへと云ってまた二階へ招(しょう)ぜられた。虫のように段々を上(あが)って廊下から室(へや)へ這入ると、日本人が二三人事務を執(と)っている。さあどうぞと椅子を与えられたので、挨拶(あいさつ)をして始めて解ったが、水を貰いに飛び込んだところは日清豆粕会社(にっしんまめかすかいしゃ)で、さあどうぞと迎えてくれたのは、社員の倉田君である。倉田君は固(もと)より日本から漫遊(まんゆう)もしくは視察の目的をもってわざわざ営口(えいこう)までやって来たものと余を信じている。服薬のために通りがかりのついでながら、日清豆粕会社の奥二階へ水を貰いに立ち寄ったと判じようはずがない。そこで水は容易に出ない。湯も出ない。今御茶を上げると云って、ボイがしきりに支度(したく)をしている。余は青林館の主人が恨(うら)めしくなった。けれども倉田君に対しては相応に体裁(ていさい)を具えた応対をしなければならない。豆が汽車で大連へ出るようになってから、河を下ってくる豆の量が減ったでしょうかてような事を、真面目(まじめ)くさって質問していた。

        四十一

 橋本が博士(はかせ)になったり、ならなかったりした話がある。大連の大和(やまと)ホテルにいる時分、満鉄から封書が届いた。その表に橋本農学博士殿と叮嚀(ていねい)に書いてあったのを乙(おつ)に眺めながら、これだから厭(いや)になっちまうと云って余の方を向いて苦笑したから、先生は学者ぶって、むやみに博士呼(よば)わりをされるのを苦にする意味なんだろうと鑑定して、取り合ってやらなかった。実際こんな事が苦になるくらいなら、始めから博士にならなければ好いと思ったからである。その時はそれですんだ。
 余は橋本をもって固(もと)より農学博士と信じていた。是公(ぜこう)もそう信じていた。現にある人に向って橋本って農学博士さと説明しているのを聞いた。余に至っては、いつかの新聞で、本人の博士になった事をたしかに承知した記憶がある。それで大連を立って北に行く時も、栄誉ある博士の同伴者だと云う自覚がちゃんとあった。ところが毎日毎晩一つ鍋(なべ)のものを突(つ)ついて進行しているうちに、何かの拍子(ひょうし)だったが、いやおれは博士じゃないよと急に橋本が云い出した。その時はいくら本人が証明したってなるほどと云う気になれないくらい驚いた。第一、十年近くも大学の教授をしている男を、博士にしない法はないと考えてる上、どうしても新聞でその授与式を拝見したとしか思われないんだから、余もできるだけは抗弁したが、やっぱり博士じゃないと頑固(がんこ)を張って云う事を聞かない。余もやむをえず、そうかと云って我(が)を折った。この時から橋本は気の毒ながらとうとう、ただの人間になってしまった。
 けれども、世間には迂濶(うかつ)ものが多いと見えて、どこへ行っても橋本博士、橋本博士と云う。新聞を折々読むときっと橋本博士と出ている。しまいにはおいまた博士だよと注意するのが面倒になった。橋本も澄(すま)し返(かえ)っている。もっとも澄まし返さなくったって、一々博士じゃありませんと訂正して歩く訳に行くものじゃない。こう云う余にも覚(おぼえ)がある。釜山(ふざん)から馬関(ばかん)へ渡る船中で、拓殖(たくしょく)会社の峰八郎君(みねはちろうくん)の妻君に逢(あ)ったとき、八郎君は真面目(まじめ)な[#「な」は底本では「を」]顔をして、これは夏目博士と引き合した。すると妻君が御名前はかねて伺っておりますと叮嚀(ていねい)に御辞儀(おじぎ)をされるから、余もやむをえず、はあと云ったなり博士らしく挨拶(あいさつ)をした。だから橋本が博士に慣れ切って満洲を朝鮮へ渡るに何も不思議はない。余もいったんは彼の博士を撤回したようなものの、日を重ねるに従ってまた何だか博士らしい気持がし出した。それで道中つつがなく安奉線(あんぽうせん)を通って、安東県(あんとうけん)までやって来た。ところがここで橋本の博士がちょっと気に食わなくなった。安東県の宿屋の番頭がどう云う不料簡(ふりょうけん)か、橋本博士御手荷物のうちと云う札を余の革鞄(かばん)にぴたぴた結(いわ)いつけてしまった。腹が立ったが面倒だからそのままにしておくと次の宿屋で橋本と分れる事になって、向うの手荷物を停車場(ステーション)へ運び出す際に、余の奇麗(きれい)な革鞄(かばん)を橋本のものだと思い込んで、宿屋の小僧がずんずん停車場まで持って行ってしまった。余は冗談じゃないぜと云った。橋本は面白がって笑っていた。それだから、また博士にならない。

        四十二

 ここだと云うので、降りたには降りたが、夜の事だから方角も見当もまるで分らない。頼りに思う停車場は縁日の夜店ほどに小さいものであった。その軒を離れるとなおさら淋しい。空には星があるが、高い所に己(おのれ)と光るのみで、足元の景気にはならなかった。汽車路を通って行くと、鉄軌(レール)の色が前後五六尺ばかり、提灯(ちょうちん)の灯(ひ)に照らされて、露(つゆ)のごとく映ってはまた消えて行く。そのほかに何も見えなかった。やがて右へ切れて堤のようなものをだらだらと下りる心持がしたが、それも六七歩を超(こ)えると、靴を置く土の感じが不断(ふだん)に戻ったので、また平地(ひらち)へ出たなと気がついた。すると虫の音(ね)が聞えだした。足元で少しばかり鳴いてるような家庭的なものではない。虫の音(ね)だと云う分別(ふんべつ)が出た時には、その声がもう左右前後に遠く続いていた。我々は一つの提灯(ちょうちん)を先にして、平原にはびこる無尽蔵の虫の音に包まれながら歩いた。
 今考えると、なかなか風流である。筆を執(と)って書いていても、魏叔子(ぎしゅくし)の大鉄椎(だいてっつい)の伝(でん)にある曠野(こうや)の景色(けいしょく)が眼の前に浮んでくる。けれども歩いている途中は実に苦しかった。飯の菜(さい)に奴豆腐(やっこどうふ)を一丁食ったところが、その豆腐が腹へ這入(はい)るや否や急に石灰(いしばい)の塊(かたまり)に変化して、胃の中を塞(ふさ)いでいるような心持である。腮(あご)の奥から締めつけられて、やむをえない性質(たち)の唾液(つばき)が流れ出す。それに誘(いざな)われるままにしておくと、嘔(は)きたくなる。せめて口中の折合(おりあい)でもと思って、少し抵抗しにかかると、足が竦(すく)んで動けなくなる。余は幾度(いくたび)か虫の音の中に苦しい尻を落ちつけようかと思った。ただ橋本に心配させるのが、気の毒である。支那の荷持(にもち)に野糞(のぐそ)を垂(た)れてると誤解されたって手柄(てがら)にもならない。そこで無理に歩いた。
 遥(はるか)向うに灯(ひ)が一つ見える。余が歩いている路は平らである。灯はその真正面に当る。あすこへ行くんだろうと推測して星の下を無言に辿(たど)った。今日の午(ひる)は営口で正金銀行の杉原君の御馳走(ごちそう)を断った。晩は天春君(あまかすくん)の斡旋(あっせん)ですでに準備のできている宴会を断った。そうして逃げるように汽車に乗った。乗る時橋本にこの様子じゃ千山(せんざん)行は撤回だと云った。実際撤回しなければならないほど、容体(ようだい)が危(あや)しくなって来た。ただ向うに見える一点の灯火(ともしび)が、今夜の運命を決する孤(ひと)つ家(や)であると覚悟して、寂寞(せきばく)たる原を真直(まっすぐ)に横切った。原のなかには、この灯火よりほかに当(あて)になるものは一つも見つからないのだから心細かった。宿屋はたった一軒かと聞いたら、案内がええと答えた。湯崗子(とうこうし)は温泉場だと橋本のプログラムの中にちゃんと出ているのだから、温泉がこの茫々(ぼうぼう)たる原の底から湧(わ)いて出るのだろうとは、始めから想像する事ができたが、これほど淋(さび)しい野の面(おもて)に、ただ一軒の宿屋がひっそり立っていようとは思いがけなかった。
 そのうちようやく灯のある所へ着いた。平家作(ひらやづくり)の西洋館で、床(ゆか)の高さが地面とすれすれになるほど低い。板間(いたま)ではあるが無論靴で出入(でいり)をする。宿の女は草履(ぞうり)を穿(は)いていた。遠くから見たと同じように浮き立たない家であった。造作(ぞうさく)のつかない広い空家(あきや)へ洋灯(ランプ)を点(とも)して住(すま)っているのかと思った。這入るとすぐの大広間に置いてあったオルガンさえ、先の持主が忘れて置いて行ったものとしか受取れなかった。暗い廊下を突き当って右へ折れた翼(ウイング)の端(はじ)の室(へや)へ案内された。中を二つに仕切ってある。低い床には、椅子と洋卓(テーブル)と色の褪(さ)めた長椅子とが置いてあった。高い方は畳を敷いて、日本らしく取(と)り繕(つくろ)ってあった。ちょうど土間から座敷へ上(あが)るようにして、甲から乙に移る構造である。余はいきなり畳の上に倒れた。三四十分の後(のち)膳(ぜん)が出た。橋本がしきりに起きて食えと勧めたが、ついに起きなかった。第一食卓に何が盛られたかをさえ見なかった。眼を開ける勇気すら無かったのである。

        四十三

 朝起きると、馬が来たとか来ないとか云って橋本の連中が騒いでいる。連中は三人だから、一人が一つの馬に乗るとすれば、三匹要(い)る訳になる。この茫漠(ぼうばく)たる原の中で、生きた馬を三匹生捕(いけど)るとなると、手数(てすう)のかかるのは一通りではあるまい。連中は格別早起きもしない癖に、今更苦情を並べたって始まらないと思って、同行を断念した余は、冷然と落ちついていた。本来を云うと、千山(せんざん)へ行くのが目的で、わざわざここに降りたには相違ないが、一旦自分が千山行を諦(あきら)めたとなると、ほかの連中が予定通(よていどおり)に行動するのが、いまいましくなる。第一橋本なんて農科の男は、千山を見る必要も何もないのである。千山は唐(とう)の時代に開いた梵刹(ぼんさつ)で、今だに残っているのは、牛でもなければ豚でもない、ただ山と谷と巌(いわ)と御寺と坊主だけであるから、農科の教授がわざわざ馬に乗って見物に行くべきところではけっしてない。と云ってせっかく行くと云うものを、意見までして思い止まらせるほどの口実は無論考え出せないから、なすがままにさせて放(ほう)っておいた。そのうち不思議な事に、注文通(ちゅうもんどおり)馬が三匹出て来た。どこから出て来たものか聞いても見なかったが、たしかに出て来た。三人は癪(しゃく)に障(さわ)るほど勇んで外へ飛び出した。余は仕方がないから西洋間と日本間の唯一の主人として、この一日を物静かに休養すべく準備した。まず何よりも横になるのが薬だろうと思って、狸(たぬき)だか狐(きつね)だか分らない毛皮の上にごろりと転がった。すると窓の外から橋本の声で、おいおいちょっと出て見ろと呼んでいる。彼(か)れまだそこいらを迷(まご)ついてるなと思うと、少し面白くなったから、請求通(せいきゅうどおり)原の中へ草履(ぞうり)のまま出た。すると広い牧場のようなところに、馬が三匹立っていた。それがいずれも小汚(こぎた)ない駄馬(だうま)だったのではなはだ愉快であった。のみならず、その中(うち)の一匹がどうしても大重君を乗せようと云わない。傍(そば)へ行くと、飛んだり蹴(け)たりする。馬が怖(こわ)がるからだと云って、手拭(てぬぐい)で眼隠(めかく)しをして、支那の小僧が両手で轡(くつわ)をしっかり抑えている。遠くから見ると、馬が鉢巻(はちまき)をしたようでおかしかった。その傍へ大重君が苦笑いをしながら近寄って行くところは、一層面白かった。しかも一度や二度ではない。よほど馬に遠慮する性質(たち)と見えて、容易に埒(らち)を明けないから、みんながなお喝采(かっさい)する。橋本は北海道の住人だから苦(く)もなく鞍(くら)に跨(またが)った。もう一人――名前を忘れたから、もう一人というよりほかに仕方がないが――これは熊岳城(ゆうがくじょう)の苗圃(びょうほ)の長(ちょう)で、もと橋本に教わった事があると云うだけに、手綱を執(と)る術(すべ)を心得ている。余はこの時立ちながら心の中(うち)で、要するに千山行を撤回した方が、馬術家としての余の名誉を完(まっと)うする所以(ゆえん)ではなかろうかと考えた。
 けれども、そんな気色(けしき)は顔にも出さず、ただ残り惜しげに三人の後姿を眺めていた。そうして大重君の腰つきから推測して、千山まであれで乗り通すのは、定めて心配な事だろうと同情した。橋本は今夜のうちに帰るんだとか号して、しきりに馬を急がせるらしい。苗圃長も負けずに、続いて行く。独(ひと)り大重君だけが後(おく)れた。馬はまだ眼隠をしている。やがて二人の影が高粱(こうりょう)に遮(さえ)ぎられて、どっちへ向いて行くかちょっと分らなくなった。先刻(さっき)からそこいらを徘徊(はいかい)していた背の高い支那人もまた高粱の裡(うち)に姿を隠した。この支那人は肩から背へかけて長い鉄砲を釣っていた。人数(にんず)は二人であった。始めて気がついたときは咄嗟(とっさ)の際に馬賊という聯想(れんそう)が起った。橋本と前後して高粱の底に没して、しばらくすると、どんと云う砲声が聞えて、またしばらくすると、三人の馬の前にどこからかあの背の高い奴が現われて来たら大事件だと想像して、また室(へや)の中へ帰って狸(たぬき)の皮の上に寝た。

        四十四

 手拭(てぬぐい)を下げて風呂に行く。一町ばかり原の中を歩かなければならない。四方を石で畳上(たたみあ)げた中へ段々を三つほど床(ゆか)から下へ降りると湯泉(ゆ)に足が届く。軍政時代に軍人が建てたものだからかなり立派にできている代りにすこぶる殺風景(さっぷうけい)である。入浴時間は十五分を超(こ)ゆべからずなどと云う布告(ふこく)めいたものがまだ入口に貼付けてある通りの構造である。犯則を承知の上で、石段に腰をかけたり、腹這(はらばい)に身を浮かしたり、頬杖を突いて倚(よ)りかかったり、いろいろの工夫を尽くした上、表へ出て風呂場の後へ廻ると、大きな池があった。若い男が破舟(やれぶね)の中へ這入(はい)ってしきりに竿(さお)を動かしている。おいこの池は湯か水かと聞くと、若い男は類稀(たぐいまれ)なる仏頂面(ぶっちょうづら)をして湯だと答えた。あまり厭(いや)な奴だから、それぎり口を利(き)くのをやめにした。岸の上から底を覗(のぞ)くと、時々泡のようなものが浮いて来る。少しは湯気が立ってるかとも思われる。実は魚がいないかと、念のため聞いて見たかったのだけれども、相手が相手だから歩を回(めぐ)らして宿の方へ帰った。後で、この池に魚が泳いでいる由を承知してはなはだ奇異の思いをなした。その上ここには水が一滴も出ないのだと教えられたときには全く驚いた。
 驚いた事はまだある。湯から帰りがけに入口の大広間を通り抜けて、自分の室(へや)へ行こうとすると、そこに見慣れない女がいた。どこから来たものか分らないが、紫(むらさき)の袴(はかま)を穿(は)いて、深い靴を鳴らして、その辺を往ったり来たりする様子が、どうしても学校の教師か、女生徒である。東京でこそ外へさえ出れば、向うから眼の中へ飛び込んでくる図だが、渺茫(びょうぼう)たる草原(くさはら)のいずくを物色したって、斯様(かよう)な文采(ぶんさい)は眸(ひとみ)に落ちるべきはずでない。余はむしろ怪しい趣(おもむき)をもって、この女の姿をしばらく見つめていた。
 室に帰ってまた寝た。眼が覚(さ)めると窓の外で虫の声がする。淋(さび)しくなったから、西洋間へ出て、長椅子の上に腰をかけて、謡(うたい)をうたった。無論出鱈目(でたらめ)である。そこへ下女が来た。先刻(さっき)の女の事を聞いたら、何でも宅(うち)で知ってる人なんでしょうと云っただけで、ちっとも要領を得ない。昨夕(ゆうべ)飯を済まして煙草(たばこ)を呑(の)んでいると急に広間の方で、オルガンを弾(ひ)く音がしたが、あの女がやったんじゃないかと聞くと、いいえ昨夕のは宅の下女ですと云う。この原のなかに、それほどハイカラな下女がいようとは思いがけなかった。先刻の袴はもう帰ったそうである。
 余は一人長椅子の上に坐(すわ)った。そうして永い日が傾(かたむ)き尽して、原の色が寒く変るまでぽかんとしていた。すると静かな野の中でどうぞ、ちと御遊びに、私一人ですからと云う嬌(なまめ)かしい声がした。その音調は全くの東京ものである。余は突然立って、窓の外を眺めた。あいにく窓には寒冷紗(かんれいしゃ)が張ってあった。手早く硝子(ガラス)を開けて首を外へ出すと、外はもう一面に夕暮れていて、蒼(あお)い煙が女の姿を包んでしまったので誰だか分らなかった。
 橋本の連中はその晩帰って来た。下女のしらせで、暗い背戸(せど)に出て見ると、豆のような灯(ひ)が一つ遠くに見えた。下女はあれが連中だと云う。いくら野広(のびろ)いところだって、橋本以外にも灯が見える事もあるだろうと尋ねても、やっぱりあれだと云う。はたしてそうであった。灯は夕方宿から迎(むかえ)に出した支那人の持って行った提灯(ちょうちん)である。背戸口に馬を乗り捨てた橋本は、そう骨を折って見に行く所でもないよと云った。大重君は馬から三度落ちたそうである。

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