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模倣と独立(もほうとどくりつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:30:34  点击:  切换到繁體中文

 今日ははからず御招きにあずかりまして突然参上致しました次第でありますが、私は元この学校で育った者で、私にとってはこの学校は大分縁故えんこの深い学校であります。にもかかわらず、今日までこういう、即ち弁論部の御招待に預って、諸君の前に立った事は御座いませんでした。もっとも御依頼も御座いませんでした。またる気もありませんでした。ただ今私を御紹介下さった速水はやみ君は知人であります。昔は御弟子で今は友達――いや友達以上の偉い人であります。しかし、知りあいではありますけれども、速水さんから頼まれた訳でもありません。今度私が此処ここに現われたのは安倍能成あべよししげという――これも偉い人で、やはり私の教えた人でありますが――その人が何でも弁論部の方と御懇意ごこんいだというので、その安倍能成君を通じての御依頼であります。その時私は実は御断りをしたかった。というのは、近来頭の具合が悪い。というよりも、頭の働き方がこういう所へ参って、組織立った御話をするに適しないようになっております。――一口に言えば、面倒臭めんどうくさいので、一応は御断りを致したのであります。けれども私の断り方がよほど正直だったので、――是非遣らなければならないならば出るが、まあどうか許してもらいたい――こういう風に返辞をした。ところが是非遣らなければならんから出ろ、というのです。後から考えると、余り私が正直過ぎたと思います。もっとも、是非遣らなければならんというのはどういう訳だ、といって問い詰めるほどの問題でもありませんから、遣らなければならんものとして出て参りました。安倍君は君子であります。頼んだ事は引き受けさせようという方の君子。速水君も君子であります。これは頼まない方の君子、遠慮された方の君子でありますが。そういう訳で今日は出ましたので、演説をする前に言訳いいわけがましい事をいうのははなはだ卑怯なようでありますけれども、大して面白い事も御話は出来ないと思いますし、また問題があっても、学校の講義見たように秩序の立った御話は出来ねるだろうと思います。安倍君いわく、何を言ったって構いません、喜んで聴いているでしょう。
 それに、私は此校ここで教師をしていたことがあります。その時分の生徒は皆恐らく今此所ここには一人もいないでしょう、卒業したでしょうけれども、しかし貴方がたはその後裔こうえいといいますか、跡続あとつぎ見たような子分見たような者で、その親分をこの教場で度々いじめていた事などがあるから、その子か孫に当るような人などは何とも思っておらんので、チャンと準備をして出て来るほどうまく行かなかった。
 私は教師としてこの学校に四年間おりました。のみならずその以前には、貴方がたのように、生徒としてこの学校に――何年間おりましたか知らん――落第したと思っちゃいけません。元々私は此所ここ這入はいって来たのじゃない。この学校が予備門といって丁度一ツ橋そとにありました。今の高等商業のある界隈かいわい一面がこの学校兼大学であった。明治十七年、貴方がたがまだ生れない先、私は其所そこへ這入ったのです。それから――実は落第しております。落第して愚図愚図ぐずぐずしている内にこの学校が出来た。この学校が出来て最も新らしい所へいの一番に乗り込んだ者は私――だけではないが、その一人は確かに私である。われわれの教室は本館の一番北のはずれの、今食堂になっている、あそこにありました。文科の教室で。それが明治二十二年位でした。その時分の事を今の貴方がたに比べると、われわれ時代の書生というものは乱暴で、よほど不良少年という傾き――人によるとむしろ気概きがいがあった。天下国家を以て任じて威張いばっておった。われわれの年配の人は、いつも今の若い者はというような事をいっては、自分たちの若い時が一番偉かったように思っているけれども、私はそうは思わない。今でもそうは思わない。貴方がたの前に立ってこうして御話をするときは、なおそう思わない。貴方がたの方がわれわれ時代の者よりよほど偉い。先刻さっきから偉い偉いということを速水君が言われましたが、貴方がたの方がはるかに大人おとなしい、く出来ていると思います。われわれは実に乱暴であった。その悪戯いたずらの例はいくらもあります。それを御話するために此処へ登ったんじゃないが、如何にわれわれが悪かったかということを懺悔ざんげするために御話するのであるから、その真似をしちゃいけませんよ。現に彼処あすこに教場に先生の机がある。先ず私たちは時間の合間あいま合間に砂糖わりの豌豆豆えんどうまめを買って来て教場の中で食べる。その豌豆豆が残るとその残った豌豆豆を先生の机の抽斗ひきだしの中に入れて置く。歴史の先生に長沢市蔵という人がいる。われわれがこれを渾名あだなしてカッパードシヤといっている。何故カッパードシヤというかというと、なんでもカッパードシヤとか何とかいう希臘ギリシャの地名か何かある。今は忘れてしまいましたが、希臘の歴史を教える時、その先生がカッパードシヤカッパードシヤと一時間の内幾回となく繰り返す。それでカッパードシヤという渾名が付いた。この長沢先生の時間と覚えておりますが、その先生がカッパードシヤカッパードシヤとボールドへ書くので、そのカッパードシヤを書こうとしてチョークを捜すために抽斗を明けると、その抽斗の中から豆ががらがらと出て来たというような話がある。これは先生を侮辱ぶじょくした訳ではありません、また先生に見せるためにわざわざ遣ったのでもありませんが、とにかくよほど予備門などにおったわれわれ時代の書生の風儀ふうぎは乱暴でありました。現にこの学校の中を下駄げたで歩くのです。私も下駄で始終歩いた一人で、今はついでだから話しますが、私が此所に這入った時に丁度杉浦重剛すぎうらしげたけ先生が校長で此所ここの呼び者になっていた。この時二十八歳だったかと思います。大変若くて呼び者であったが、暫くするとこういう貼出はりだしが出ました。学校の中を下駄を穿いて歩いてはいけない。それは当然の事ですが、わざわざ貼り出さなければならんほど下駄を穿いて歩いていたものと私は考える。しかるに貼出しがあって暫くしても、私は下駄を穿いて歩いていた。或日の事、丁度三時過ぎです。今頃で、もう誰もいまいと思って、下駄を穿いて、威張って歩けと思って、ドンドン歩いて行った。すると廊下を曲る途端とたんに杉浦重剛さんにパタリと出会った。私は乱暴書生ではない。く気の小さい大人しい者である。杉浦さんに出会ってどうしたと思います。私は急に下駄から飛び降りた。飛び降りたばかりではありません、飛び降りていきなり下駄を握って一目散いちもくさんに逃げ出しました。だから一口も叱られもせずまたつかまえられもせずに済んでしまった。これは唯自分で覚えているだけで人に話した事はありません、今日初めて位のものでありますが、このあいだ或所で杉浦先生に久々ひさびさぶりで御目に掛った。大分先生も年を取っておられる。その時私が、先生こういう事を覚えて御出おいでですか、私は下駄を穿いて歩いてこうこうだったと御話したら、杉浦さんは、いやそれはどうも大変な違いだ、私は下駄を穿いて学校を歩くことは大賛成である、穿いちゃあならんという貼出しが出たのは、あれは文部省が悪い。とかく文部省はやかましい事を言うが、私はその下駄論者だったと言う。私も驚いて、杉浦さんが下駄論者だとおっしゃるのはどういう訳ですかと聞くと、先生のいわく、そもそも下駄は歯が二本しかない、それでいくら学校の中を下駄で歩いたところで、床に印する足跡というものは二本の歯の底だけである、しかるに靴はかかとから爪先つまさきまで足の裏一面が着くじゃないか。もしこれが両方とも同じ程度に汚すのであるならば、学校の床を汚す面積は靴の方が下駄より遥かに偉大である、だから私はその下駄で差支ないということをしきりに主張したが、どうも文部省の当局が分らないから、それでやむをえずああいう貼出しをした。それじゃ私は逃げるどころでなかった大いに賞められてしかるべきであった惜しい事をした、といって笑った。その時分は杉浦さんも二十八位でまだ若かったから暴論を吐いて文部省を弱らせたのでしょう。下駄の方がいという訳はないと考えるのです。まあそういうような時代を貴方がたが想像したら、随分乱暴な奴が沢山おったということが御分りになるでしょうが、実際今よりも悪い悪戯いたずらな奴が沢山おった。ストーブをドンドンいて先生を火攻ひぜめにしたり、教場を真闇まっくらにして先生がいきなり這入って来ても何処も分らないような事をしたり、そういう所を経過して始めて此校ここへ這入ったものであります。
 それから此校ここに二年ばかりおって、大学に入って、大分御無沙汰をして、それから外国に行きまして、外国から帰って来て、此校ここへ這入った。故郷へにしきを着るというほどでもないが、まあ教師になって這入った。そうして初めて教えたのが、今いう安倍能成君らであります。此校ここを出て、大学を出て、諸方を迂路うろついている時に教えたのが、此処ここにいる速水君であります。速水君を教える時分は熊本で教員生活をしておった時で漂泊生ひょうはくせいでありました。速水君を教えていた時分は偉くなかった、あるいは偉い事を知らなかったか、どっちかでしょう。とにかく速水君を教えた事は確かであります。形式的に。無論偉くない人だから本統ほんとうに啓発するほど教えなかったが、教場に立って先生と呼ばれ、生徒と呼んだことは確かにある。なお自白すれば、熊本に来たてであります。私の前に誰か英語を受持っておって、私はその後を引受けた。エドマンド・バークの何とかいう本でありますが、それは私のきらいな本です。これ位解らない本はない。演説でも英吉利イギリス人が解るものならば日本人が字引を引いて解らないことはないはずである。が、実際解らない本です。その解らない物を教えた時に丁度速水君が生徒だったから、偉くない偉くないという考えが何時いつまでも退かないのかも知れません。それでその後英語も大分教えて年功ねんこうを積みましたが、速水君に断りますが、その後発達した今日の私の英語の力でも、あのバークの論文はやはり解らない。嘘だと思うなら速水君があれを教えて御覧になればぐ分る。――こんな下らない事を言って時間ばかり経って御迷惑でありましょうが、実は時間を潰すために、そういう事を言うのであります。大した問題もありませんから。
 それで、先刻演題という話でしたが、演題というようなものはないから、何か好加減いいかげんに一つ題は貴方がたの方で後でこしらえて下さい。チョッと複雑過ぎて簡単な題にならんような高尚な事なんだろうと思う。何か御話しようと思いましたが、実は先刻申上げたような訳で、時間もなし、今日も人が来ますし、チッとも考えられない。それだからいう事は余り大した事ではありません。が、もう少しの間、ざっとしたところを御話して御免こうむる事にしましょう。
 私はこのあいだ文展ぶんてんを見に行きました。(私は御存知の通り、職業が職業ですから、御話する事は一般の事でも、あるいは文芸ということが例になったり、またその方から出立しゅったつする事が多いかも知れませんから、その方に興味のないかたには御気の毒ですが、まあ仕方がない、御聴きを願います。)で、今申しましたように、このあいだ文展を見に行きました。それで文展を見てチョッと感じました。どうも私は文部省の展覧会に反対をしたり、博士を辞したり、はなはだ文部省に受けが悪い人間でありますが今度の文展もおおやけには書きませんでしたが、どうも大変面白くありませんでした。殊に私は日本画の方で、まあそうだと思います。西洋画の方についてもいえばいえますが、その方は後にして置いて、日本画の方について申します。
 一向いっこう面白くなかった。あの画の内どれを見ても面白くない。中には例外はありますけれども、どれを見ても面白くない。唯面白くないといっても分らぬから、訳をいわなくちゃならんが、どれを見てもノッペリしている。ノッペリしているという意味は御手際おてぎわが好いというので、めているのかといえば、そうではない。悪く言う意味で、御手際が大変好いのです。言葉を換えていえば、腕力はある、腕の力はある。それじゃ何処が悪いかと言えば、頭がない。頭がなくて手だけで描いている。職人見たようなものである。そうまでいうと御気の毒だから、それだけは公にしません。――これだけ公にしていれば沢山だが――私は別に画家や文展の非難をっているのではありません、画家を個人的に悪口を言っている訳ではありません。ただ感じた事についてチョッと必要だから申すのでありますが、唯ノッペリとしている。例えばシミがなく、マダラがなく、ムラがなく、仕上げが綺麗に出来ている。ああいう手際というものは、丁稚奉公でっちぼうこうをして五年十年らなければ出来ないでしょうけれども、それ以外に何かあるかと聞かれても、私には分らない。丁度人間でいいますと、やはり紳士というものにく似ていると思う。紳士とはどんな者かというと、紳士というものは、唯ノッペリしている。顔ばかりじゃありません。マナーが――態度及び挙止動作きょしどうさが――ノッペリしている人間で、手を出して握手をしたりする。下層社会の女などがよくあの人は様子ようすいということをいうが、様子が宜い位で女に惚れられるのは、男子の不面目ふめんぼくだと思います。様子が宜いというのは、人をらさないということになる。唯御座おざなりを言うということになる。余りブッキラボーでない、あたさわりが宜いというので御座います。あざやかで穏かでまことに宜い。それは悪い事とは思いません。そういう人に接している方が野蛮人に接しているよりは宜い。一口感情を害してもぐになぐられるというような人より宜い。それを攻撃する訳じゃありませんが、しかしそれだけでは人格問題じゃない。人格問題じゃないというのは――随分悪い事をして、人の金をただ取るとか、法律に触れるような事をしないまでも非道ひどいずるい事をしたり、種々雑多な事をやって、立派な家に這入って、自動車なんぞに乗って、そうして会って見るとまことに調子が好くて、ひんが好くて、ノッペリしている。そうして人格というものはどうかというと、余り感服かんぷく出来ない人が沢山ありましょう。それが紳士だと思ってはいけません。けれどもそういう者が紳士として通用している。つまり人格から出た品位を保っている本統ほんとうの紳士もありましょうが、人格というものを度外どがいに置いて、ただマナーだけを以て紳士だとして立派に通用している人の方が多いでしょう。まあ八割位はそうだろうと思います。それで文展の絵を見てどっちの方の紳士が多いかというと、人格の乏しい絵だ。人格の乏しい絵だといって、何も泥棒が絵描になっているというような訳ではない。そういう侮辱の意味じゃない。けれども尊敬した意味じゃ無論ない。大変どうも頭が――何といっていか――気高けだかいというものがない。御覧になっても分る。気高いということは富士山や御釈迦様おしゃかさまや仙人などを描いて、それで気高いという訳じゃない。仮令たとい馬を描いても気高い。猫をかいたら――なお気高い。草木禽獣そうもくきんじゅう、どんな小さな物を描いても、どんなインシグニフィカントな物を描いても、気高いものはいくらもあります。そういうような意味の絵にはどうも欠乏し切っているのが文展である。これを逆にいうと、そういう絵を排斥しているのが文展である。こういう訳であるから、それが一列一帯にチャンと御手際だけは出来ておらないといけない。御手際が出来てない物は皆落第する――のですかどうか分らないが、とにかくそういうことを私は文展において認め、かつその文展における絵の特色と人間の特色と相対していわゆるゼントルマンに比較して考えたのであります。
 それからその次にある人が外国から帰って展覧会を開いた、それを見に往きました。二人でありました。その一人の絵を見ると、油絵で西洋の色々な絵を描いている。アンプレッショニストのような絵も描いている。クラシカルな、ルーベンスなどに非常にく似たような絵も描いている。仏蘭西フランス派であるが、あれを公平に考えて見ると、の人は何処どこに特色があるだろう。他人ひとの絵を描いている。自分というものが何処にもないようですね。うままずいにかかわらず、他人の描いたようなものはいくらでも描くんですが、それじゃ自分は何所どこにあるかというと、チョッと何所にあるか見えないような絵を展覧会で見せられました。その次にもう一つの外国から帰った人の絵を見た。それはひんい、大人おとなしい絵でした。それで誰が見ても、まあ悪感情を催さない絵でありました。私はその中の一つを買って来て家の書斎に掛けようかと思いました。が、しました。けれども、まあ買っても宜いとは思いました。何故買っても宜いといいますと、相当に出来ているからです。内へ持って来て掛けるのは何故かというと、英吉利風イギリスふうの絵なら絵を、相当に描きこなしておって、部屋の装飾として突飛とっぴでない、丁度平凡でチョッとかろうと思ったから買って来ようかと思ったけれども、買って来ませんでした。その人の絵は誰が見ても習った絵だということが分る。習ってある程度まで進んだ絵である。それだから見苦しくない、ということは分る。その代りその作者をって初めて描けるような絵は一つもないのです。例えばその内のひとつを選んで内に掛けるにしても、その特別なる画家をわずらわさないでも、ほかの人に頼んでも、それと同じような絵が出来そうな絵でありました。それから私はもう一つ見ました。これは日本にいる人で、日本にいる人のある外国の絵でありました。前の二つは帝国ホテル及び精養軒せいようけんという立派な料理屋で見ました。御客様もどうも華やかな人が多い。中には振袖ふりそでを着ている女などがおりました、あんな女などに解るのかと思うほどでした。第三に見たのは、これはどうも反対ですね。所は読売新聞の三階でした。見物人はわれわれ位の紳士だけれども、何だか妙な、絵かきだか何だか妙なはんじもののような者や、ポンチ画の広告見たような者や、長いマントを着てとがったような帽子をかぶった和蘭オランダの植民地にいるような者や、一種特別な人間ばかりが行っている。絵もそういう風な調子である。見物人も綺麗な人は一人もいない。どうもその絵はそれで或程度まではチャンとととのうてはいないと思います。しかし、自分が自分の絵を描いている、という感じは確かにしました。しかしその色の汚い方の絵は未成品みせいひんだと思います。それだから同情もありそれを描いた人に敬意も持ちますけれども、わざわざ金を出して内に買って来て書斎に掛けようと思わない絵ばかりでありました。
 こういう風に色々違う絵があるからして、その点から出立しゅったつして御話をしましょう。――それで文展の画家や西洋から帰って来た二人は自分で自分の絵を描かない。それから今の日本の方のは自分で自分の絵は描くけれども未成品である。感想はそれだけですがね。それについてそれをフィロソフィーにしよう――それをまあこじつけてフィロソフィーにして演説の体裁ていさいにしようというのです。どういう風にこじつけるかが問題であります。それがうまく行けば聴かれそうな演説である。うまく行かなければそれだけの話である。まあどういう風に片付けるかという御手際の善悪などはどうでもいのですから。
 人間という者は大変大きなものである。私なら私一人がこう立った時に、貴方がたはどう思います。どう思うといった所で漠然たるものでありますが、どう思いますか。偉い人と速水君は思うか知らんが、そんな意味じゃない。私は往来を歩いている一人の人をつかまえてこう観察する。この人は人間の代表者である。こう思います。そうでしょう神様の代表者じゃない、人間の代表者に間違いはない。禽獣きんじゅうの代表者じゃない、人間の代表者に違いない。従って私が茲処ここにこう立っていると、私はこれでヒューマン・レースをレプレゼントして立っているのである。私が一人で沢山ある人間を代表していると、それは不可いかん君は猫だと意地悪くいうものがあるかも知れぬ。もし貴方がたがこういったら、そうしたら、いや猫じゃない、私はヒューマン・レースを代表しているのであると、こう断言するつもりである。異存はないでしょう。それならば、それでよろしい。
 同時にそれだけかというとそうでもない。じゃ何を代表しているかというと、その一人の人は人間全体を代表していると同時にその人一人を代表している。詰らない話だがそうである。私はこうやって人間全体の代表者として立っていると同時に自分自身を代表して立っている。貴方がたでもなければ彼方かなたがたでもない、私は一個の夏目漱石というものを代表している。この時私はゼネラルなものじゃない、スペシァルなものである。私は私を代表している、私以外の者は一人も代表しておらない。親も代表しておらなければ、子も代表しておらない、夫子ふうし自身を代表している。いな夫子自身である。

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