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屁(へ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 8:42:20  点击:  切换到繁體中文


「ええか、ええかあ、にがすなよおっ」
という藤井先生の声が、地べたをはってくる。石太郎はだまって、依然(いぜん)、土手の声に聞き入っていたが、やがて、土手についていたもう一方の手が、ぐっと草をつかんだかと思うと、土管の中から、右手を徐々(じょじょ)にぬきはじめた。
 首ねっこを力いっぱいにぎりしめられていた大きないたち[#「いたち」に傍点]は、窒息(ちっそく)のためもうほとんど死んだようになっていて、土管の外へ出ると、だらりとえりまきを見るようにぶらさがったが、すこし石太郎が手をゆるめたのか、なにかかき落とそうとするように、四肢(し)をもがいた。するとそのとき、どろみぞからあがっていた石太郎は、ちくしょうと口ばしって、目にもとまらぬ敏捷(びんしょう)さで、いたちを地べたへたたきつけた。
 ぼたっと重い音がして、古いたち[#「いたち」に傍点]は、のびてしまった。春吉君は、いつも水藻(みずも)のような石太郎が、こんなにはっきり、ちくしょうっという日本語を使ったこともふしぎだったし、こんなにすばしこい動作(どうさ)ができるということも不可解な気がした。
 それはともかく、そのとき春吉君は、藤井先生が、このかたいなかの、学問のできない、下劣(げれつ)で野卑(やひ)な生徒たちに、しごく適した先生になられたことを感じたのである。といって、べつだん失望したわけでもない。けっきょく、親しみをおぼえて、それがよかったのだ。
 藤井先生は、石太郎ととらえたあのいたちを、ヘびつかみの甚太郎(じんたろう)に、二円三十銭で売った。その金で、小使いのおじさんと一ぱいやったという話を、二、三日して春吉君は、みんなからただおもしろく聞いた。先生はまだ独身で、小使室のとなりの宿直室で寝起(ねお)きしていられたのである。
 教室でも先生が変化したことは、同じことだった。坂市君や、源五兵衛(げんごべえ)君や、照次郎(てるじろう)君などが、知らない文字をうのみにして読本(とくほん)を読んでいっても、最初のころのように、え、え、と、優美にとがめるようなことはされなくなった。年よりの、ぜんそくもちの石黒先生と同じように、知らんふりしてズボンのポケットに両手をつっこんで、つくえのあいだを散歩していられるのであった。 こういうぐあいに、すべての点で藤井先生はいなかの気ふうにならされ、のみならず、いなかふうをマスターするようにさえなったのだが、石太郎の、授業中にときどき音もなくはなつ屁(へ)にだけは、あくまで妥協できなかったのである。
 情景はおおよそ、次第(しだい)がきまっていた。まず最初にそれを発見するのは、石太郎の前にいる学科のきらいな、さわぐことのすきな、顔ががま[#「がま」に傍点]ににている古手屋の遠助(とおすけ)である。かれは、先生のまじめなお話などいささかもわからないので、どんなに、クラス全体が一生けんめいに先生の話に傾聴(けいちょう)しているときでも「あっ、くさっ、あっ、あっ」といいだす。
 すると、教室のその一角(かく)から、「あっ、くさっ、あっ、くさっ」という声が、波紋(はもん)のようにひろがり、ざわめきだす。すると藤井先生は、あわててハンケチを胸のポケットから出す。(あまり倉卒(そうそつ)にとり出すので、頭髪(とうはつ)をすく小さいくしが、まつわってとび出したこともある)ハンケチで鼻をしっかりとおさえる。鼻声で、まどをあけろ、まどを、そっちも、こっちもと、下知(げち)なさる。
 それから南のまどぎわへ歩いていって、外の空気をすうために、ややハンケチをおはなしになる。藤井先生のいつもきまった動作がおもしろいので、生徒らは、男子も女子も、ますます、くさいとさわぐ。すると、古手屋の遠助が、きょうは大根屁(だいこんぺ)だとか、きょうはいも屁だとか、きょうは、えんどう豆屁だとか、正確にかぎわけて、手がら顔にいうのである。
 みんなは、遠助の鑑識眼(かんしきがん)を信用しているので、かれのいったとおりのことばを、また伝えはじめる。
「あ、大根屁だ。大根くせえ」
というふうに。ようやく喧騒(けんそう)が大きくなったころ、先生は、
「だれだっ」
と一かつされる。一同はぴたっと沈黙する。そして申しあわせたように、教室の後方に頭をめぐらす。みんなの視線の集まるところに、屁えこき虫の石太郎が、てれた顔をつくえに近くさげて、左右にすこしずつゆすっているのである。
 その静寂(せいじゃく)の時間がやや長くつづくと、石だ、石だ、という声が、こんどはだれいうとなく、石太郎よりもっとも遠い一角より起こってくる。藤井先生は黒板のうらがわにかけてある竹のむちを持って、つかつかと石太郎のところへいき、いいかげんにしとけと、むちのえ[#「え」に傍点]で、石太郎のこめかみをこづかれる。そのときは先生も、石太郎と協力してとった古いたち[#「いたち」に傍点]の代で、一ぱいいけたことは、忘れていられるように見えるのである。
 こういう情景は、もうなんどくり返されたかしれない。いつも判でおしたかのごとく同じ順序で。
 秋もはじめのころの、学校の前の松の木山のうれに、たくさんのからすがむれて、そのやかましく鳴きたてる声が、勉強のじゃまになる、ある晴れた日の午後であった。
 春吉君たちは、六時間めの手工(しゅこう)をしていた。その日の手工は、かわら屋の森一君がバケツ一ぱい持ってきたねんどで、思い思いの細工(さいく)をするのである。
 春吉君は茶のみ茶わんをつくっていた。ほんとうの茶わんのように、土をうすく、しかも正しい円形につくることは、なかなかよういではない。すでになんべんも、できあがった茶わんが意にみたず、ひねりつぶし、またはじめからやりなおしていた。そしてついに、こんどこそはと思われる逸品(いっぴん)ができあがりつつあった。春吉君は、細心の注意をはらって、竹べらをぬらしては、茶わんのはらの凹凸(おうとつ)をならしていった。
 すっかり茶わんに心をうばわれ、ほかの、いっさいのことを忘れていたが、ふとわれに返った春吉君は、「しまった」と思った。朝からすこし腹ぐあいがわるく、なにか重いものが下腹いったいにつまっている感じで、ときどき、ぷつぷつと豆のにえるような音もしていたので、ゆだんすると屁(へ)をするぞと、心をいましめていたのだが、ついに、しごとに熱中していて、今その屁を音もたてずにしてしまったのである。おかげで腹がかるくなったが、腹のかるくなるほどの屁というものは、はげしい臭気をともなっているはずだと、春吉君は思った。
 うまくだれも気づかずにいてくれればよいがと、春吉君はひそかに願った。ならびの席にいる源五兵衛(げんごべえ)君は、鼻じるをすすりながら、ぶかっこうに大きな動物――たぶん、かめだろうと思われるが、ともかく四足動物の四本めの足をくっつけようと努力している。うしろの照次郎君も、与之助(よのすけ)君も、それぞれの制作に余念がない。
 すこし時間がたった。春吉君はたすかったと思った。と、そのせつな、古手屋の遠助が、あ、くせ、と、第一声をはなった。すぐに、くせえ、くせえ、という声が、四方に伝わった。春吉君は、はずかしさで顔がほてってきた。
 いつもと同じさわぎがはじまった。屁えこき虫の石太郎が屁をはなったときと、寸分(すんぶん)ちがわぬことが。
 春吉君は、どうしていいのかわからない。もう、なりゆきにまかすばかりだ。
 やがて古手屋の遠助が、きょうは大根菜屁(だいこんなっぺ)だといった。なんという鋭敏(えいびん)な嗅覚(きゅうかく)だろう。たしかに春吉君は、けさ大根菜のはいったみそしるでたべてきたのである。
 やがてさわぎが大きくなりだしたころ、藤井先生が例によって、
「だれだっ」
とどなられた。春吉君は意味もなくねんどをひねりながら、いきをのんて、面(おもて)をふせた。みんなの視線が、ちょうどいつも石太郎の上に蝟集(いしゅう)するように、きょうは、じぶんにそそがれているのだと思いながら。
 いまにどこからか、春吉君だという声が起こってくるにそういない、と思った。そういうふうにすっかり観念(かんねん)していたので、石だ、石だ、というあやまった声があがったときには、じぶんの頭上に落ちてくるはずのげんこつが、わきにそれたように、ほっとしたきみょうな感じになった。
 顔をあげてみると、意外にも、みんなの視線は、春吉君に集中されておらず、やはり石太郎の方にむいているのだ。
 藤井先生が、黒板のうらにかかっているむちをとって、つかつかと石太郎の前に歩いていかれる。春吉君の心の底から、正義感がむくっと起きてきた。じぶんだといってしまおうか、しかし、だれひとり、じぶんをうたがってはいないのである。ここで白状するのは、なんともはずかしい。先生が石太郎の席に達するまでのみじかい時間を、春吉君の中で正義感と羞恥心(しゅうちしん)とが、めまぐるしい闘争をした。それが春吉君の動悸(どうき)を、鼓膜(こまく)にドキッドキッとひびくほど、はげしくした。そして、しばらく正義感がおさえられた。
 反射的に、ねんどを親指と人さし指の腹ですりつぶしながら、春吉君は見ていた。石太郎はいつもと変わらず、てれた顔をつくえに近くゆすっている。いまに、おれじゃないと弁解するかと、春吉君がひそかにおそれながらも期待していたのに、その期待もうらぎられた。石太郎は、むちでこめかみをぐいとおされ、左へぐにゃりとよろけたが、依然(いぜん)てれたような表情で、沈黙しているばかりである。
 春吉君はよぎなく、じぶんの罪を白状させられる機会は、ついにこなかった。これでさわぎはすんでしまった。一同は、ふたたび作業にとりかかった。
 しかし春吉君だけは、事がまだ終末にいたっていない。気持ちにせおいきれぬほどの負担ができてしまった。春吉君には、こんな経験は、生まれてはじめてといってもよい。春吉君はいままで、修身の教科書の教えているとおりの、正しいすぐれた人間であると、じぶんのことを思っていた。
 今、じぶんが沈黙を守って、石太郎にぬれぎぬをきせておくことは、正しいことではない。じぶんは、どうどうというべきである。いまからでもよい。さあ、いまから。そう口の中でいいながら、どうしても立ちあがる勇気が出ないのであった。
 春吉君はくやしさのあまり、なきたいような気持ちになってきた。それをはぐらかすために、できあがっていただいじな茶わんを、ぐっとにぎりつぶしたのである。
       *
 まったくこれは、春吉君にとって、この世における最初の、じぶんで処理せねばならぬ煩悶(はんもん)であった。それは家へ帰ってからも、つぎの日学校にふたたびくるまでも、しつこく春吉君のあとをつけてきた。たいていのなやみは、おかあさんにぶちまければ、そして場合によっては少々なけば、解決つくのだが、こんどは、そういうわけにはいかない。
 だいいち、どういっておかあさんに説明したらいいのか。雑誌がほしいとか、おとうさんのだいじな鉢(はち)をわってしまったとかならば、かんたんにじぶんのなやみを知ってもらえるが、これはそんなやさしいものではない。複雑さが、春吉君の表現をこえている。屁(へ)をひった話などしたら、まっさきにおかあさんはわらいだしてしまうだろう、とても、まじめにとってくれぬだろう。
 春吉君は、ただじぶんの正しさというものに汚点がついたのが、しゃくだった。ちょうど、買ったばかりの白いシャツに、汚泥(おでい)の飛沫(ひまつ)をひっかけられたように。
 石太郎にすまないという気持ちや、石太郎はぎせいに立ってえらいなという心は、ぜんぜん起こらなかった。石太郎が弁解しなかったのは、他人の罪をきて出ようというごとき高潔(こうけつ)な動機からでなく、かれが、歯がゆいほどのぐずだったからにすぎない。
 また石太郎は、なんどむちでこづかれたとて、いっこう骨身(ほねみ)にこたえない。まるで日常茶飯事(さはんじ)のようにこころえているのだから、いささかも、かれにすまないと思う必要はないわけである。
 むしろ、石太郎みたいな屁の常習犯がいたために、こんななやみが残ったのだと思うと、かれがうらめしいのである。
 しかし、ときが、春吉君の煩悶(はんもん)を解決してくれた。十日もすると、もうほとんど忘れてしまった。
 だが春吉君は、それからのち、屁そうどうが教室で起こって、例のとおり石太郎がしかられるとき、けっしていぜんのようにかんたんに、それが石太郎の屁であると信じはしなかった。だれの屁かわからない。そしてみんなが、石だ、石だといっているときに、そっとあたりのものの顔を見まわし、あいつかもしれない、こいつかもしれないと思う。
 うたがいだすと、のこらずのものがうたがえてくる。いや、おそらくは、だれにもいままでに、春吉君と同じような経験があったにそういないと考えられる。
 そういうふうに、みんな狡猾(こうかつ)そうに見える顔をながめていると、なぜか春吉君は、それらの少年の顔が、その父親たちの狡猾な顔に見えてくる。おとなたちが、せちがらい世の中で、表面はすずしい顔をしながら、きたないことを平気でして生きていくのは、この少年たちが、ぬれぎぬをものいわぬ石太郎にきせて知らん顔しているのと、なにか、にかよっている。しぶんもそのひとりだと反省して、自己嫌悪(じこけんお)の情がわく。だが、それは強くない、心のどこかで、こういう種類のことが、人の生きていくためには、肯定(こうてい)されるのだと、春吉君には思えるのであった。



底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
   1968(昭和43)年2月20日初版発行
   1974(昭和49)年1月30日12版発行
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2001年9月4日公開
2001年10月15日修正
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