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秋果(しゅうか)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 13:00:38  点击:  切换到繁體中文


 蘇州のどぶ川のなかへ沈んで死んでしまへば、そうして工藤へ何か一筆かきのこしておけば、あのひとは本當のあのひとのこゝろにかへつてむくろを引取りに來てくれるだらうと云ふやうな空想も湧いた。蘇州へ旅立つ日、遠い奧地へゆくやうな氣持で、もんは工藤へ電話をかけた。少しはあのひとのこゝろになごりおしさや悔ひを殘すことが出來たらそれで本望だと感傷のこもつた電話のかけかただつた。工藤は電話の向ふで、元氣のいゝ聲で、「ぢやア、僕も休みをとつて遊びに行かう。君も近いンだから時々上海へ出ていらつしやい。躯は大切にして、たべものに氣をつけるンですよ」と誰がきいてもいゝやうな親切な言葉をかけてくれた。もんは電話をきつてから始めて蘇州へ行かなければならないやうな理由の少しもない自分の見得を感じた。つくづくこの氣持をいやだと思つた。と云つてどうしていゝのか自分で自分が判らない。蘇州へ來てからも、もんはわざと簡單なハガキを工藤へ出したきりだつた。軈て工藤からは長い手紙が來た。もん子さんを愛してゐることに少しも變りはない。尊敬さへしてゐます。だけど、あなたと自分はこんな風な運命にたちいたつてしまつて、いまとなつてはどうする事も出來ない。自分のいまの結婚の相手は丁度マノンレスコオのやうなもので、女房は惡い女で、どうにもかうにもならないけれど、まるで病氣にとりつかれてゐるみたいに、毎日風波がたえないくせに、自分は一介のくだらぬ男になりさがつて、逃げてゆく女房を追ひかけてゐる始末です。どうぞわらつて下さい。こんな思ひは上海と云ふ土地のさせるわざなのか。とにかく自分は、女房をすくつて、一度、内地へ戻つてみようと考へてゐます。あなたの親切は永久に忘れません。上海へ來られたあなたに對して冷たくしてゐたわたしの氣持を諒として[#「諒として」は底本では「凉として」]下さい。やがて立ちなほつて、賑やかな家族になつておめにかゝります。女房も今年の夏は子供を生みます。自分の子供だと信じてゐます。どうぞお元氣でゐて下さい。もん[#「もん」は底本では「も諒」]は讀んでゆきながら涙が溢れてゐた。いろんな追憶は悠々と未來の海から吹いてくる風に[#「風に」は底本では「風を」]かき消されて逝く。一年一年と忘却のかなたへ去つてゆく歳月を見送つて、もんはただ呆んやりしてしまつてゐる。女學生時代には考へてもみなかつた少女らしい夢が、いまごろになつて青い炎を燃しはじめてゐるのだ。神樣、私と云ふ女だけが間違つた生きかたをしたのでせうか……。すべては流過のたゞなかにあるのだ。大にしては今日戰ふ國々があり、小にしては、人間のはしくれである、自分のやうな生きかたまでも……すべては歴史のなかに流れてゆくのである。工藤のこゝろを惹くために死んでみようなぞと考へてゐた事が莫迦々々しく思はれてならなかつた。そのくせ、米倉と結婚する氣持には少しもなれなかつた。もんは蘇州で夏をすごしてからめつきり躯を惡くして、醫者からは歸國をすゝめられてゐた。一年近くも住んでみれば上海も蘇州もなつかしかつた。九月半ば、もんはやつとの思ひで上海へ戻り、工藤とはたつた一度支那料理店で逢つたきりで、もんは一年ぶりに東京へ戻つて來たのである。いまは東京には弟の守一ひとりしかゐなかつた。父は仙臺の田舍へもどつて、親類の家で百姓仕事をしてゐると云ふことであつたし、末弟の孝治は青少年義勇隊に應じて、滿洲のジヤムス近くにある追分と云ふところに行つてゐると云ふことだつた。久しぶりに東京へ戻つてみるとたつた四人暮しの肉親の上にも大きい身上の變化があつた。躯の弱い孝治が滿洲へ行つて、どんなに暮してゐるのか、もんには氣がかりで仕方がなかつたけれど、孝治には孝治の考へもあつたことであらうともんは心のなかではあきらめてゐた。――今夜は久しぶりに芝居に行つてみてはどうかと、淋しそうにしてゐるもんへ、守一が歌舞伎の切符を一枚買つて來てくれた。久しぶりに日本の古い芝居を見てゐると、何となく落ちついた氣持になつてくる。笛やたいこや三味線の音色が一つ一つ耳に澄んできこえた。上海や蘇州の町に住んでゐたと云ふことがまるで夢のやうだつた。舞臺は妹背山の菊五郎のお三輪があどけない姿で踊りをおどつてゐる。――糊壺をかぎながら、もんは、華やかな芝居だの、歸りの電車のなかのことなぞを考へてゐた。自分と結婚をしたいと云つてくれた親切な米倉の思ひ出もいまはなつかしい。
 翌日、もんは遲く眼を覺ました。丁度守一が出勤するところで、机の鏡に向つてネクタイを結んでゐた。もんはふつと躯を起した。長い間の勤めを持つてゐるものゝ癖で、もんはすぐ枕もとの腕時計を眺めた。「どうせ、起きたつて飯もないンですから、ゆつくり寢てゐて下さい」守一はよく眠つた朝の滿足した明るい表情でさつさと身仕度をしてゐる。「えゝ、でも、私もゆつくり寢てなんかいられないのよ。今日あたりからぽつぽつ仕事探しをしようと思つてるンだけど……」「仕事なンかまだいゝでせう。ゆつくり休んでからでもいゝですよ。姉さん一人ぐらひなら、結構食べさしてゆけますよ」「働くのいけないかしら?」氣が弱くなつてゐるので、もんは不安そうにたづねた。さして貯えもないのだし、このまゝ守一の厄介にもなつてはいられないだらう。もんはすぐ起きてガスで湯を沸かした。「お茶ぐらい飮んでいらつしやい。いゝでせう。薔薇の花のはいつた支那のお茶を淹れませう。まだ時間は大丈夫でせう?」もんはいつときでも守一と話をしたかつた。蒲團をたゝみ顏を洗つて來ると、手ぎはよく髮を束ねてゐる。格子縞の寢卷タオルの上から、羽織をひつかけてゐるしどけない姿の姉を見て、守一は珍しいものでも見るやうに、「姉さんのそんなかつこうを始めて見ましたね」と云つた。もんはきまり惡るそうに手早く櫛やクリームの瓶を片づけて部屋の隅で何時もの灰色のスートに着替へた。服を着た姉は、さつきとは別人のやうに職業婦人型になつてしまふ。「姉さんはいつも工藤さんと、そんなかつこうで逢ふンでせう?」「どうしてなの?」「うゝん、案外着物の方が似合ふからですよ」「あら、そうかしら、……」これは意外なことをきくものだと、もんは、洋服の方が働きよくて金もかゝらないと云つた。守一は一年前と少しも變化のない平凡な姉の姿を見て、世の中には時々縁遠くて、ひとりのまゝで生涯を果ててしまふ女のひとがゐるけれど、姉も案外そのうちの一人かも知れないと思つた。「米倉さんと云ふひとと、どうして結婚をしなかつたんです。年の若いものがこんな事を云ふのは變だけれど、そんなひとがあれば、姉さんも、いゝかげんに工藤さんの事なんかあきらめて、米倉さんと云ふひとと結婚をした方がいゝンですよ。姉さんだけでも何とか家庭を持つて落ちついてもらはないことには、何時までも親爺をあのまゝで心細いおもひをさしておくわけにもゆきませんしね。孝次だつて、お父さんの事が一番心配だつて云つてゐましたが、あのひとも年をとつてから妙に肉親の縁がうすくて氣の毒ですよ」もんは熱い支那茶をすすりながら父親に濟まないと思つた。「守一さんこそ結婚すればいいのよ。いまならお嫁さんはどこからだつてくるでせう……」守一は出窓に腰をかけて姉の土産のスリーキヤツスルを大切さうに喫つてゐた。「私は當分結婚なんかしませんよ。あとに殘るものが氣の毒ですし、どうせ遲かれ早かれ兵隊ですから、まア、還へつて來てからきれいなのをゆつくり貰ひます。――そりや、僕だつて人いちばい淋しがりやで、女のひとはほしいと思ふんですけれど、いまはそんな氣持にならない。本當ですよ。そんな事よりも、もつと僕には考へることが澤山だし、兎に角、大變な時代ですね……。會社へなンかぐずぐず行つてゐるより、早く出て行きたいと思ひますよ。僕なンか、酒を飮む愉しみも知らないし、これと云つて別にやりたいと云ふこともないし、大學時代から會社員になつてサラリーを貰ふ教育をうけてゐるものには、もう早く行つた方がいいと云つた氣持だけですよ。親爺もこの間手紙をよこしてゐましたがね。親爺さんは實にいゝですからねえ……」姉と弟の水いらずな話の出來るのをもんは久しぶりだと思つた。「でもねえ、私はもう結婚する氣持は少しもないンだし、守一さんがもしも出征するときが來たら、やつぱり、何つて云つても私がお父さんをみなくちやならないンだし、そうしたら、私、お父さんと二人で東京で暮しますよ。うちの亡くなつたお母さんも、早く亡くなつてしまつたけれど、うちぢや、女達がみんな薄命なのね。たみ子だつて亡くなつたしね……」たみ子と云ふのは孝次の上の姉で、もんとは六ツも違つた。仙臺の女學校を出るとすぐ胸を惡くして亡くなつてしまつた。母もたみと前後して亡くなつたけれど、不思議な事には、二三年前に、父親が茶飮み友達のやうにして何處からか連れて來た女のひとも肺をわづらつて去年亡くなつてしまつた。「みんな、女の運が弱くて、うちぢやア、男の運の方が強いンだから……守一さんだつて孝ちやんだつて大丈夫よ」ひよつとしたら、今度は私が死ぬる番ではないかと冗談を云ひたかつたけれども、もんは不吉な氣がしてその事は默つてゐた。
 守一が會社へ出て行くと、もんは自分も仕度をして街へ出て行つた。一日も早く就職して、父親を東京へ呼びたかつた。昨日と今日、新聞を切り拔いておいたところをまはつてみやうと、もんは築地行きの市電へ乘つた。街路樹の枯れ果てた秋の東京の街は銀色にいぶしたやうに白つぽく見える。こんな年になつてからも街に職を探しに出なければならない自分を困つたものだと思ひながらも、もんは、少しばかり晴々した氣持だつた。色があさぐろくて眉の濃いのが情のこまやかな人だのに、あなたばかりはそんなには見えないとよく昔の女友達が云つてゐたけれど、眉の濃いと云ふのが苦になつて、もんは時々毛拔きで眉毛を拔いたりしてゐた。眉毛を拔くときに、細く眼を閉じると、あら、自分にもこんな顏があるのかと、もんは子供のやうにそつと鏡のなかで色々な變化のある表情をしてみる。眼を細めると佛樣のやうな顏になる。ぱつと眼を開くと、よそよそしい表情になつた。笑ひ顏をすると、鼻筋に貧相な皺が寄つた。いまも電車の窓硝子にうつる自分の顏を、もんはぢつと眺めてゐた。昔と違つて、何處へでも勤めようと思へば何處でもつかつてくれる時代で、もんのやうに邦文タイプも出來れば、たどたどしいながらも英文タイプも打てるとなると、勤め口にはさほど困らなかつた。――もんはその日に麹町内幸町の大阪ビルにあるMパルプ工業會社の支店に勤めるやうになつた。昔は、自分のやうな年齡にあるものは傭主の方でみむきもしなかつたものだけれど、いまでは年齡のことなンか苦にしないで何處でも氣樂に働く事が出來た。そのかはり、人の流れも激しいせいなのか、どの社員も新參の人達ばかりで、事務机のまはりは波が動いてゐるやうにざはざはしてゐた。もんの机のまはりにも、九州言葉の娘もおれば、東北なまりの娘もゐた。インクの乾いた硝子瓶が机の中には三ツ四ツごろごろしてゐたし、ペン軸のこはれたのなンかが紙反古といつしよにひきだしの奧にはいつてゐたりする。去つてゆくものゝたしなみのなさが、まるで岩間を突きあたり突きあたり流れてゆく流木のやうにもんには佗しく思へた。こゝには、どんな娘が腰をかけてタイプを叩いてゐたのか、二三日も日がたつてしまへばもう四圍のひとたちはみんなそのおもざしや名前を忘れてしまふのであらう。どう云ふ世の中になつてしまつたのか、人間が流木のやうにどんどん東京と云ふ河口へ流れて來てゐる。庶務課のひとは、もんの履歴書を見て立派な文字だと云つて讃めてくれた。あてがはれた机にはナイフで傷のついてゐるところや、サイダーか何かの瓶の口をあけたやうなギザギザの跡があつたり、もんは何となく氣持が惡るかつた。女のひとが三分の一を占めてゐるやうな廣いオフイスの中に花一つ飾つてない。これでは、どんなに月給を澤山もらつても、女のひと達が荒々しくなるのもあたり前だと、もんはタイプのネジを寄せ、汚れたキイを一つ一つ叩いてみた。油の差しやうが惡いのか、紙の上に文字がうまく載つてゆかない。もんは復へつてから守一に明日から勤める會社の模樣を話した。「ねえ、人間つて、たゞ働く爲だけで生きてゆけるものなのかしら、いくら、かうした非常な世の中だつて、そんな人間のおもひやりなンてものが忘れられて、たゞがらがらとネジを卷くみたいに一本調子に働いてはゆけないと思ふのよ。私の考へてゐることは間違つてゐるのかしら。――からげんきだけでは人間は生きてゆけないものねえ。事務服ときたら袖口のほころびたままのを着てるのがゐるし、何だか火事場で仕事をしてゐるみたいなのよ。はりきつてゐると云へばそれまでなんだらうけれど……妙なものね。私も、だんだん古くなつてきたのかもしれないわね」六疊ばかりの狹い部屋の中では、もんと守一と暮すにはなかなかきうくつである。守一は割合澤山本を持つてゐた。蓄音機はなかつたけれど、レコードも二三十枚あつめてゐた。「そりやア姉さんがすこし古くなつたンですよ。いまは感情がどうのこうのとは云つていられないンですからね。電車に乘つても、バスに乘つても、誰かゞかならずどなりあつてゐるぢやありませんか……」守一はうがひをして籐椅子に腰をかけた。――「この部屋のなかには何もたべものがないのね。明日にでも、私いろんなものを少し買つておきませう」もんは復へりに料理店へ寄つてたべた一皿の定食が胸につかえさうであつた。守一は會社の復へり、街の食堂で毎日どんなものを食べて來るのだらうと、もんは、家庭のないところに復へつて來る弟を氣の毒だと思つた。台所がついてゐても、そこには、朝、茶を淹れた白い湯のみが二つあるきりで皿一つ、茶碗一つない。もんは、アパート住ひをしてゐる、ひとりものゝ男や女は、みんなかうした暮しをしてゐるのだらうかと思つた。もんは、何だか迷子でも探すやうにうろうろしてゐる。獨りものゝ弟にせめて何も彼もとゝのえて、狹い部屋の中をアツト・ホームな世界にしてみたいと心は焦りながら、もんは割合こまめではなかつた。人を責める前に、たつた一部屋の拭掃除もおもふやうにゆかないものだと、もんは疊を拭きながら息切れがしてゐる。夕方になると熱が高くなり、脊中がづきづき痛んだ。守一が煙草を喫ふとがまんにも辛棒してゐられない。躯を丈夫にしなければと思ひながらも、一ヶ月でも二ヶ月でも靜養出來る貯えはないのだつたし、守一は一度病院に行つて診て貰つたらどうですかと云つてくれるのだつたけれど、病院へ行くことは何となくもんは臆病になつてゐる。もんは東京へ戻つて來てからは妙に長生きをしたいと念じてゐた。どんな思ひをしても生きてゐたい。ぼろぼろになつて乞食のやうになつても生きてゐたい。工藤の事を思ひ出すと、時々たまらない氣持になるのだつたけれど、もんは、守一にも、もう工藤の事は話さなくなつた。男のなかにも、女のなかにもいろいろな面があるのだと、もんは、人間の愛慾の樣々をおそろしいものに思つた。どのひとも何氣ない樣子で歩いてゐながら、男は女に苦しめられ、女は男に苦しめられて生きてゐるのかと、時々たちどまつて群集を眺める折があつた。――もんは毎日會社へ勤めた。始めて會社勤をした時のやうに大きい輝くやうな希望はなかつたけれども、それでも、一年ぶりの東京での生活のせゐか、もんは活々としてゐた。軈て間もなく秋も終りになり、もんは[#「もんは」は底本は「もんと」]外套を着て通ふころになつて、もんは日比谷公園の前で思ひがけなく工藤に逢つた。工藤は外套も着ないで海老茶色の[#「海老茶色の」は底本では「老海茶色の」]脊廣を着てゐた。もんは吃驚してものが云へなかつた。「元氣さうだなア、僕は一週間ほど前に戻つて來たンですよ」工藤は癖でする、眼をぱしぱしとまばたきさせながら、もんの肩を抱くやうにして歩いた。もんは何が何だかわけがわからずに工藤の歩く方へ歩いた。「あれから、僕はさんざんな目にあつたンだ……何も彼もなりゆきで仕方がないけれど、これも僕の運命だし……一度、守一君のところにもおもんさんの樣子をきゝに遊びにゆかうと思つてゐたンですがね。――女房は流産のあげく、急性肺炎で亡くなつてしまひましたよ」工藤は鼻をつまらせてゐた。「まア、どうしてそんな簡單に死んだりするンでせう。とても、お丈夫さうな方なンじやありませんか?」「丈夫は丈夫なんですが、あいつも調子が狂つたンですよ。死にぎはは、可哀想だつたけれど、僕がついてゐたンで安心して眼をつぶりました。生前は僕を困らせていけない女房だつたけれど、死んでみるといゝ奴だつたと思つて想出していけないなア……。これも、もんさんの罰があたつたのかな」もんは、厭な事を云ふひとだと思つた。本社がぢきそばにあるとかで、外套も置きつぱなしで美松へ茶を飮みに來たのだと云つた。「ぢやア、上海を引きあげてお歸へりになつたの?」「はア、あのアパートだけは引つ越しましたがね。正月にはまた今度は南京へ行きます。――もんさんは何だか幸福さうだな、とてもいゝ顏色だ。弱はさうなひとが案外丈夫なのだな」工藤は汚れたカラーをしてゐた。顏色も黄ろくなる疲れた人のやうに歩きかたにも元氣がない。工藤は一人者になつて、いま、もんの肩を抱くやうにして寄り添つて歩いてゐるけれど、もんは二人の間はいまもつて遠い距離があるやうに思へた。二人は内幸町まで歩いて、お茶も飮まないで寒い街角で別れた。二三日したら夜うかゞふと云つたけれど、もんは別にあてにもしてゐなかつた。二三日すると、夜更けてから工藤は本當にたづねて來た。手にビール瓶を二本さげてゐた。此寒いのにビールでもないでせうと守一が云ふと、ビールを燗をして飮むとうまいのだと、一本のビールを土瓶にあけて火鉢へかけた。工藤は幾分か醉つぱらつてゐた。もう新聞社もやめてしまひ、いま浪人になつてしまつたのだと云つた。自分の躯からは今は何もなくなつてしまひ、落葉を拂ひおとしたやうにさばさばしたものだと云つて熱いビールを飮んだ。もんは、タオルの寢卷の上に羽織を引つかけてゐた。工藤は珍らしいもんのなまめかしい姿を見て、「もん子女史も、時にはこんな優しい姿をする時があるンですね」と云つた。信州の山の中では、男の浴衣を着てゐたもんの和服姿しか知らない工藤には、よつぽどもんの羽織姿が珍しかつたのであらう。工藤は獨りで醉つた。醉ふと亡くなつたひとの愚痴が多くなつてくる。亡くなつたひとは、田舍の女學校を出て、すぐ上海に來て喫茶店に働いてゐた娘ださうで、まだ十九で非常に野性的な女だつたのださうだ。アパートの段々を幾階も降りるのが厭だと云つて、工藤は人が見てゐても若い妻君を脊負つて階下へ降りたものだと話してゐた。もんはきゝづらい思ひだつた。工藤はよつぽど、どうかしてゐるのではないかと思つた。いくら亡くなつてゐるとは云へ、自分の前で、何の遠慮もなくそんな話が出來るものだと思つた。あんまり莫迦にされてゐるやうなので、もんは「死んだひとにはかなひませんね」と云つた。外國の土地を踏んで來ると、こんなに自己本位な薄のろになつてしまふのかと、守一もしまひには默つてしまつた。いくらもんには甘えてゐるからと云つて、これではあんまり氣の毒だと、守一は怒つたやうな表情をしてゐた。工藤は二本のビールを飮むと、しよんぼりと歸へつて行つた。もんがあわてゝシヨールを肩にして工藤の後を追つて行つた。「そんなに醉つてゝ大丈夫ですか」もんが階段の下でよろよろしてゐる工藤の後から押すやうにして戸外へ出た。工藤は大丈夫ですよと云つた。「僕は、[#「「僕は、」は底本では「僕は、」]自分が君達に失禮だつた事もよく知つてゐます。知つてゐてどうにも話さなければ始末につかなかつたのです。わかりますか。もん女史もこれから元氣に暮し給へ、命さえあればまた逢へますよ。守一君にもよろしく。どうせ、守一君もそのうち出征して行くでせうが、もんさんも、あとに殘つて、お父さんを大切にして上げて下さい。僕は親不幸ばかりしてゐます。これから中野の友人のところへ行つて泊りますよ」もんは握手をしかけた工藤の手を離して、すぐ部屋へ戻つて行つた。守一がもんの寢床を敷いてゐた。「工藤君も變りましたね」「えゝ何だかとても淋しさうね。私の罰だなンて厭な事だけれど、でも、女のひとの愛情をあれだけ身に沁みて感じてゐるの、少しは判つていゝ氣味よ」守一は何の事だかわからなかつたけれど、いゝ氣味よと云つた姉の言葉を射すやうに感じた。
 それから、一週間もしないうちに召集令が下り、守一はいよいよ出征する事になつたけれど、人の風評によれば、工藤もまた召集令が來て出征するのだと云ふことだつた。もんは、あぶない淵に沈んでゐるやうな、莫々とした暮しのなかにある工藤に召集令が來たことは丁度よかつたと思つた。工藤からは何とも云つては來なかつた。守一を送りがてら仙臺行きの汽車に乘つて、もんは椅子へ腰をかけると、もう、これで工藤とも久しく逢へないだらうと思つた。走る汽車の中で考へる工藤の思ひ出はやつぱりなつかしくきれいなものである。萬葉の歌のお方も、あるひはかうした女の氣持だけをお詠みになつたのではあるまいか、戀草を力車に七車の歌をもんは思ひ出して、現實には本當の愛をつかみ得なかつた、女の雲のやうなむくむくした氣持を、もんはいまこそしみじみとなつかしく知つた。人を戀すると云ふことは猫や犬のやうであつてはいけないのだ……。もんは守一の膝に自分の廣いシヨールを掛けてやつた。





底本:「改造」改造社
   1941(昭和16)年9月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
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